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戯言 2012年5月 |
店でもたまに、”何故社交ダンスを?”と聞かれる事もあります。
そう、何故、社交ダンスを習う事にしたのか?
理由は色々有るのですが、大きな理由の一つは、「社交」という事柄について考える切っ掛けとしたい、或は体感してみたい・・・・、といった様な心の動きです。
そう、酒(アルコール飲料)という、代表的社交ツールを扱わさせていただいておりますし、バーという、社交空間を遣らせていただいておりますゆえ・・・。
にも拘らず、かなり社交性に欠けている性格ですし・・・。
(拗ね者バーテンダーです・・・)
で、ダンスを習って、「社交」という事が幾らか理解出来たのか?
理解出来たかどうかは良く判りませんが、私なりに感じた事は幾つか有ります。
それは、社交(の場、空間)においては、「お約束」と言うものが厳然と存在するという事。
(マナー、とか、ルール、或は、決まり事、作法、基本、基礎、律、・・・等と呼んでも良いかも知れませんが・・・)
例えば、以前より細々と続けております、エアロビクスダンスなどですと、周りの方々を危険にさせなければ、結構、自分なりに動いても問題無い気がします。(筋肉を意識して動くとか、大きめに動くとか、兎に角楽しむ事に主眼を置くとか・・・) 基本的に個人的な活動ですので、自分が動きたいように動いて問題ないのですが・・、社交ダンスでは、それは全く通用しないという事。
私は、こんな風に踊りたい!なんて、全く通用しないという事。
何せ、相手がありますから。
ワルツには、ワルツのお約束が、タンゴにはタンゴのお約束が、ルンバにはルンバの、チャチャチャにはチャチャチャのお約束が有るという事。
まあ、特定のパートナーとのみ踊るのであれば、それも少しは通用するのかも知れませんが、パーティー等で不特定多数の方と踊る場合は全く通用しない、という事。これを実感させられました。
というか、社交の場、社会的な交流の空間においては、それがスムーズに行われる為に、「お約束」が造られた、と言っても良いかも知れません。
俺が俺が、僕が僕が、私は私は、といった主観的、一人称的な考え方は、全く通じないという事。
何と不自由な!と言われるかも知れませんが・・・。
でも、実際世の中、そんな物の様な気もします。
高速道路を走るときは、高速道路のお約束が、一般道には一般道のお約束が(道交法以前の問題として)、公共の場には公共の場のお約束が有る様に・・・(成文法以前に)・・・。
(或は、ジャズにはジャズのお約束が有る様に、と言っても良いかも知れませんが・・・)
それに、やってみればそれ程不自由でもないのです。
お約束(基本)さえ外さなければ、後は、どんなフィガー(一つ一つの動き)を組み合わせるかは、個人個人の勝手ですから・・・。
それと、もう一つ感じた事は・・・。
私は、男性なので、リーダーとなるのですが。リーダー、詰まり、パートナー(女性)をリードする義務が有るという事。
詰まり、主導権を取る責任が有るという事。
そして、その難しさが有るという事。
主導権を取る事の、難しさ、義務感、覚悟、怖さ、等々・・・。また、それ故に付いてくる快感。
勿論、女性は、「相手に主導権を与える、取ってもら」事の、怖さ、難しさ、覚悟・・・・、そして、それ故の快感が有る様に想えます。
もしかすると社交って、そんな物なのかも知れない・・、と現時点では感じております。
お約束の存在、と、主導権を取る覚悟、与える覚悟・・・・。そんな物。
まあ、別にダンスの話だけでは無い気がします。
遊びの空間・・・・。例えば・・・。
バーにはバーのお約束、居酒屋には居酒屋の、寿司屋には寿司屋の、カウンターにはカウンターの、スナックにはスナックのお約束が有りそうですし、主導権の存在も有りそうですから・・・。
それに、そうした空間に限らず、人間、2人以上集まれば、常にそうした事は内包されていそうですし・・・。
そんな事を想います。
ただ、最近では、このお約束ってヤツ。壊れてきている気もします。
権利、権利・・・・。法律(成文法)に書いてない事は、何しても良いんだ・・・。といった時代・・・。
まあ、私が判っている(出来ている)とは言いませんが(なにせ、社交性欠如気味です)、このお約束ってヤツ、これが、文化とか知恵ってヤツの正体かも知れませんね。
相変わらずです。
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