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2018/11
03
[ #1061 ]

レーサーの死

 先日図書館で借り出した本なのですが思った以上に興味深かったのです。


     PB020897.jpg


 「レーサーの死」   黒井尚志  2006年  双葉社


 図書館でこの本を見つけた際は表紙の写真ををみて ”ああ、セナね・・・・”等とも思ったのですが借り出して読んでみますとこれが硬派かつジャーナリスティックでして非常に好みに合ったのです。

 内容といいますか、此処で取り上げられている死したレーサーは

 1章 アイルトン・セナ・ダ・シルバ & ローランド・ラッツエンバーガー
 2章 福沢幸雄
 3章 河合 稔
 4章 鈴木誠一 & 風戸裕
 5章 高橋徹 & 小河等

 といったラインナップ

 特に2章から4章のある種一連の事故の経緯や其処にいたる当時の日本の4輪レース界の風潮といった物が非常に興味深かく読み応えが有りました(それに対し1章は、表紙がセナで有るにも関わらずモタースポーツ報道の舞台裏といいますか、やや楽屋落ち的な印象も・・・・)。
 でその2~4章辺りの感想といいますか、それを読んで感じた私の主観といいますか、少しばかり記してみたくなったのです。


 日本のモータースポーツ、特に4輪のレースが本格化するのは恐らく1962年にホンダが開設した鈴鹿サーキットの完成が契機であるといって間違いないと思うのですが、その3年後に完成した富士スピードウエイの完成もその後の日本の4輪レースに与えた影響もまた大きかった様に思えます。

 また少々話がずれるかも知れませんが個人的に思うのは、モータースポーツ、或いはスポーツ全般に於いてヨーロッパ型とアメリカ型の物があるといいますか、言い換えると中世からの伝統をどこかに内包した古典的スポーツの流れを汲むものと、その影響の少ない新世界或いは近現代型のスポーツといっても良いようにも。
 そしてヨーロッパ起源のものの本質はそれはやはり”社交”であるという事。古くからの祭りに代表される様な地域同士の社交、例えばロイヤル・シュローブド・タイドに代表されるような物とか、また我が国の”だんじり”等もその類と思えます。また個人スポーツにしても、基は地域の領主同士の”社交”といった要素が強いと思われます。
 対してアメリカ型のそれはどちらかというとレジャー(遊び)であり、そしてショービジネスのしても位相が濃いとも。
 例えばゴルフ等は典型で、ヨーロッパでは”社交”故にドレスコード等が言われる(例えば社交の典型であるパーティー等と同様に)、そしてアメリカではレジャー故にその辺りが緩い訳でしょう・・・。

 何をいいたいかというと、1965年に完成した富士スピードウェイはじつはこのアメリカ的メンタリティーがベースに造られた物であるということ、またそれが後々まで影響を与えてきたと思われる事。

 この本に書いてありましたが、富士スピードウェイの開設はアメリカの自動車業界や自動車レース業界のエージェントである”ドン・ニコルズ”という人間の日本の政財界や興行界への働きかけが切っ掛けで始められた訳でして、その設立には河野一郎代議士や丸紅、富士急行、大成建設、(他、建設地の)等の思惑が影響している訳です。
 言ってみればプロレス等と同じようなメンタリティー、経緯というといいすぎかな?
 そしてまたそれ故に当初はナスカー(NASCAR)向けのバンク付きのオーバルコースで建設予定だった訳ですが、地形の問題やそれに関するスターリング・モスの助言(ヨーロッパ型のロードコースとすべき)も合ったりして、1コーナーが30度のバンク、その後がヨーロッパ的ロドーコース風という、ある種折衷案的な形で開設される訳です。

 其れはさて置き、この富士スピードウェイの完成もあり国内の4輪レースは本格的な盛り上がりを呈し各メーカーもワークス体制のレーシングチームを造り参加を派zめるのですが・・・・、其処はレースの成績が自社の製品の人気や売り上げや直結する自動車会社、まして日本の企業(スポーツ)の体質というか・・・・。
 例えば長く人気だった都市対抗野球などでも、当初は組合運動の抑制の為愛社精神の高揚を目的に企業が始めた要素は強い訳ですし(野球等は特にアメリカ型スポーツの代表ともいえますよね)。
 早い話、利益至上主義といいますか勝利至上主義といいますか、そうした方向に行く訳ですよね(其処に社交といったヨーロッパ型というかスポーツマンシップというかは忘れられていく)。

 そしてその延長線上に有ったのが、第二章の福沢幸雄のトヨタ7のテスト中の事故死で合った訳で、また第3章の河合稔のトヨタ7ターボの同じくテスト中の事故死であると。
 そしてこの2つの事故、恐らく(というか殆ど)車の設計ミスに拠るものと思われるのですが、トヨタはそれを徹底的に隠蔽する訳です。またマスコミや警察も殆ど追及しない。
 (そういえば60年代、本田総一郎がF1等での事故に絡み”レースは走る実験室”といった発言をマスコミに散々叩かれましたが、実は当時最も人命軽視で利益優先主義だったのはトヨタではなかったと思われる)
 
 またそうした日本の4輪メーカーやレース界の体質が4章の1974年の富士GCの大事故に繋がると。


 そう実はこの本のクライマックスはこの1974年の富士GC大事故の検証にあると思われます。
 その事故へ至る流れを作ったのは・・・・
 
 先ずは富士GC主催者の興行主義。
 上にも書いた様に富士スピードウエイはアメリカ型のスポーツ=ショウ・ビジネス(=金儲けの為の見世物)が開設動機な訳で(インディ・ジャパンなんて興行も打っていますしね)。また故の安全軽視といいますか、これは1977年のF1の事故でも言われましたし5章の高橋徹の事故死の際も言われた筈です。

 そして各ワークスチームというか4輪メーカーの勝利至上主義というか利益追求主義というか・・・・。
 60年代後半からこの頃まで、各メーカーのチーム監督等は、ライバルメーカーの車に対しぶつけても勝てという指示を当たり前に出していたし、その結果そうした事が4輪のワークスドライバーの間では当たり前と思われていた・・・・。

 また石油ショックに端を発するワークス系レーサーの解雇問題~選手同士の軋轢・・・・・等々。


 どちらにしろ、この事故を切っ掛けに4輪のレースブームが沈静化し、またレースやスピードといったものが”悪”とされる風潮が強くなり、その後の3無い運動等々に繋がったのは確かでしょう。
 またバブル以降というか84年のLAオリンピック以降スポーツの商業化=ショウビジネス化が世界的に進み勝利至上主義の台等、また変らない日本的体質もありそれが今年のアメフト問題等々にも繋がっている事も実感させられました。


 色々書きましたが硬派で面白い本、レース好き、スポーツ好きの方には一読を勧めたくなる本でしたね。

 
 また、そうして全編を読んだ後に1章のセナの件を読むと其れはそれでまた味があるといいますか、良かったです。

 また5章の話しは、高橋徹というレーサーが東広島出身という事も有り、少々思い入れというか複雑な気持ちも有りで書くことはスルーします。

 
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2017/11
24
[ #984 ]

大相撲

 最近ニュースをチェックしていると矢鱈と大相撲の話題が目に付きます。
 何と言いますか、少々多すぎという気がしますね(他にもニュースは有りそうですし)。

 閑話休題、大相撲に興味が無いのか?と問われると「無い訳ではない」というのが答え。
 私の性格として、基本的に全ての物事に興味は惹かれます、ただそれは客観的視点に基づいた興味の惹かれ方でして、インサイダー的といいますか、何かに対してのファン的興味の持ち方では無いのです・・・。それ故にこの大相撲に対する過剰とも思える報道が少々鬱陶しく感じたりもする訳です。

 或いは逆にこうした感じで過剰報道されるという事象に対して少しばかり興味深く感じるというか・・・・。


 そうした事も含めこうした報道を目にして想うのは”定期的にこうした問題が出てくるよね・・・”という事。そしてそれは何故なのか・・・・?なんてね。
 

 で想うのは、そもそも”大相撲”とは何ぞや?ということ(私の思考はえてこうした方向に動くのです)。


 等というと”それは国技です”。といった答えが返ってきそうですが・・・。


 そうなると”国技”とは何ぞや?或いは其の定義は?はたまた国技という言葉が使われだしたのは何時からか(江戸時代には無かったよね?)? 等々等々・・・・・。
 とまあこうなる訳です。が、これを追求しすぎると色々難しそう(或いは楽しいかも)なので今回はやめというか、ああ国技なのね、としておいて・・・・・。
 しかし相撲に対しては他にも色々の言い方がありますよね?という方向で。


 例えば、神事だとか、伝統文化だとか、興行だとか、スポーツだとか・・・・・。


 そう考えると広義としての「相撲」という存在は、確かに神事・祭祀的要素が強いともいえそうですし、そうした視点からすると国技という位置づけもなんとなくわかる気もする様な・・・・。

 しかし最近ニュース等をにぎわしている「大相撲」となると・・・・・。
 それは一つの団体、組織、とも言えそうです。


 またもう少し異なった視点ですと、プロスポーツなのか、興行なのか、文化事業なのか、宗教行事なのか、ショービジネスなのか・・・・と。
 まあ、それぞれの要素が全て含まれての「大相撲」、というい方も出来そうですが。 
 ただ言ってみれば、TV放映の都合にあわせ仕切りの時間や回数に制限を設けた(つまりルールを変えた)時点で、プロスポーツやショービジネスとしての意味合いが強くなったのは確かでしょうね。
 故に八百長といった事も問題視されたりするようにもなったり(まあ明治時代にもあったかな)。

 では江戸(時代)の大相撲はショービジネス、言い換えれば興行や見世物では無かったのか?とも言われそうですが・・・・。

 勿論そうした面もあったでしょうが、何はとまれ回向院で開催される勧進、詰まりは明暦の大火の死者の鎮魂ということを大義名分として第一にかかげていた、あるいはそうした縛りを設けていた時点で第一義は宗教的あるいは神事的な面は残っていたでしょうし、また著名な力士を大名が抱え扶持をあたえていた時点で、大名同士の社交という要素も強かったようにも想えるのですよね。
 (勿論、勧進ですので寺への寄付・寄進という意味も・・・)


 そう言えばここのところ多くのスポーツがプロ化されていますよね?古くのプロ野球から始まり、Jリーグの男子サッカー、後バスケットボールやバレーボール。陸上などもプロ宣言する選手が有ったり・・・そういえば先日も某体操選手が・・・・・。
 オリンピックも1984年のLA大会以降そうした方向ですし(まあ其の先に某スノーボード選手の服装問題なんてのもでてきたり・・・・)。
 例の「参加する事に意義がある」といったオリンピック精神はどこに・・・・・何てね。


 そう全てのスポーツがプロ化の方向に向かい(アマチュアスポーツの代表的に見られてもいた)高校野球などもその予備軍というか(特に80年代辺りが)、そうした傾向が強くなった気がします。
 またなんというか、プロ=正しい。アマ=甘い。といった傾向というか風潮というか・・・・(プロフェッショナルなんていうプロ礼賛の番組もあるとか)。

 
 しかしスポーツにおけるプロとアマの違いって・・・・・。


 まあ本来のスポーツって全てアマだったわけですよね。所謂プロスポーツが誕生するのは恐らく19世紀の終わりごろ(まあ、江戸時代の関取はプロスポーツ選手ではないのか?という切り口もありそうですがそれはひとまずおいておいて)。
 それまでのスポーツは基本的にアマチュアスポーツといいますか、そうした言い方も恐らくはプロスポーツが出来て以降言われ出したように思えます。

 ではそれまでのスポーツはなんだったか?というと・・・・

 個人的な見方かもしれませんが・・・第一に”社交”だった様に、そして祭祀的だったように思えます。

 そして参加者は、確かに勝つ事を目指しますが、それ以上に卑怯でない事=信用できる事、或いは男らしさが問われたように思えます。
 また見る側もそこを見るというか、つまり”負け様”が大事といいますか・・・・。



 で、プロスポーツ。

 プロの選手は、勝つ事が第一義。それが収入や地位にランキングに直結する。
 どんな汚い手を使っても勝つ事が大事、というのがプロ選手。

 というと言い過ぎですかね?

 まあ観客を喜ばせるのが第一義という言い方も有りそうですが。
 (さらにう穿ちをすれば興行主やスポンサーを儲けさせるのが良い選手ともいえそうで・・・・)
 

 根本的に違いますよね。
 

 (更に更に穿ちをすれば、プロスポーツ。奴隷が解放奴隷になれる手段。というと言い過ぎか・・・・ )


 とまあ、相変わらず訳のわからない事を書きましたが、大相撲の問題の根っこには実はこの辺りの事が有りそうな気もするのですよね・・・・。





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2017/09
15
[ #964 ]

ストイック?

 先日出たダンスのコンペが散々だったという事は以前アップしましたが、さもありなんという心境でして・・・・。
 はい、全くコンペ用の練習をせずぶっつけ本番という状況であった訳で、まあそうだよねと。

 といいますか、此処のところコンペを意識したダンスを全くといっていいほどしていなかったのです・・・等と書きますと、パーティー等のダンスとコンペ用のダンスはそんなに違うのか?と問われそうなのですが・・・・。

 
 勿論基礎的なことは変らないと想うのですが、心構えといいますか目的といいますか、其の辺りが完全に異なるのですよね。

 例えるならば、パーティーのダンス、オートバイで言えば皆で楽しくツーリング・・・といった感じ。
 皆で楽しく和気藹々と怪我をしないようにといった事が目的である訳でして、個人的には兎に角女性が気持ちよく踊れるように・・・といった事を心がけているわけでして。
 
 で、コンペというと当然オートバイではレース。
 基本的によりよい成績を目指す訳でして・・・・。(楽しさが異なるというか、結構しんどかったり・・・・)

 といいますか、コンペを志向するなら普段からそうしたある種の心構え、言ってみれば”ストイック”さは要求される訳です。

 
 例えばオートバイのレースでも本気で成績を考えている人間は一般道でオートバイは一切乗らない、という方が多かったり、ダンスでもコンペ志向の方はパーティーでは踊らないという方が多かったりの筈です。

 例え公道を走ったり、パーティーで踊ったりしても、常にコンペを意識しているというか、少なくともそうした目的意識なり意味を考えているはずです。
 そう、オートバイやダンスに限らず競技を志向される方は、普段からそうした意識を持って行動しているというか、そうしないと成績が出ないわけでして・・・・。


 そう”ストイック”でないといけない訳ですよね。


 言い換えればストイック(禁欲的)にすることが好きな人が競技に向いているといいますか。
 ストイックである事が快感といいますか・・・・。
 (もっともそうなるとストイシズムとエキュピリズムの差異と共通性といった話を蒸し返さなければならなくなりますが・・・・)

 まあ兎も角、ツーリングやダンスパーティーの楽しさと、レースやダンス競技会で得られる楽しさは異なっている訳です。



 それはさて置き、競技志向になると普段の生活や意識がストイックな感じになる訳ですが、それって結構他人からは理解されないというか鬱陶しがられるというか・・・、結構”変わり者”扱いされる傾向も有りそうで・・・・。

 どうなのですかね?(特に最近、そうした禁欲的とか真面目である事を揶揄するようね社会風潮という気がするのは私だけでしょうか?余り良い事とは思えないのですが・・・・バブルの頃からですかね・・・・?)
 またバーテンダーという職業(生き方)も本来結構ストイックなものというイメージもありまして・・・(もっとも最近そうでもないかな?)、個人的には少しばかりストイックにするのが好きだった気がするのです。

 唯、年齢とともにそれが辛くなるのも確か。
 拠って仕事以外の事、詰まりダンスやオートバイに対してはストイックになりきれなく成って来ているのは確か。


 でもたまには昔草レース等を追っかけていた時のような、ストイックさの快感といった事も思い出したくなったりはします(出来るかな?)。



 
 追記

 ダンスとオートバイで競技志向云々・・・なんて書いたのですが、根本的に異なる事が一つ。

 それはダンスは2人が基本という事。
 これが結構難しいのです。

 ホント・・・・。


 蛇足ついでにもう一つ・・・。

 パーティー等で競技の様なダンスをすると・・・・・・。

 実はこれは結構まわりに迷惑だったり危なかったり・・・・・、ツーリング(公道)でサーキットに近いペースで走るのと同様。
 このあたりは似てるかな・・・・・。


 

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2016/07
22
[ #846 ]

3年ぶりに・・・

 3年ぶりにエアロビクスダンスをやってみました。
 以前通っていたスポーツクラブを退会したのが確か13年の9月。それ以来エアロビクスダンスも、フリーウェイトやマシンを使った筋トレも一切していなかったので非常に不安ではあったのですが・・・・。

 
 少し前の事です、以前よくジムでご一緒していた方が某スポーツクラブの招待チケットを下さいまして(大感謝です)、これは久々にエアロでもやってみるかとイソイソと出かけた訳です。


 久々なので上級クラスは避け(みっともない事になってもいけませんし)中級クラスと想われるクラスを選択。
 エアロが始まるまでウォーミングアップ代わりに20分程、軽くダンベルを振り回してみますが、筋力は想ったより落ちていない感じ(もちろん流石に三年前同様とはいきませんが・・・・)。

 
 そしていよいよスタジオに・・・・。

 
 結構忘れていない物ですね・・・・。流石に一寸バタバタはしましたが楽しめました、息も上がらなかったですし。

 まあ、ラテンエアロというクラス選択も良かったのかも知れません・・・・。
 (半分くらいがラテンダンスからの応用の動きにおもえました)

 エアロを終えスタジオでマシンを使っていますと、以前ジムで顔見知りだった方々から「太ったよね・・・」の声が・・・・(ハイ、わかっていますので言わないでね・・・・)  笑 。

 それはさておき、更にストレッチ代わりにヨガのクラスも一本、これは初体験(失敗、靴下を脱いでおくべきでした・・・)、と言った感じで楽しませていただきました。



 しかし、久々にエアロビクスダンスをやると楽しいですね。リーダーの指示に合わせて無心で動けるというのは・・・・。最近やっている社交ダンスですと(特にパーティー形式等では)先ずは女性をリードする事に気を使いますから、思いっきり体を動かすといった感じにはならない訳でして・・・(尤も、余りリードしようとすると返って女性も踊りにくいとか・・・・何はとまれ基本をの動きを丁寧に行うことが第一と言う気もします・・・・)。他、他のカップルとぶつからない様に気を使うとか・・・・。


 (以前の書きましたが)エアロと社交ダンス両方と言うのは不器用な私には難しい気もしますが、時間や予算の都合が付けばジム通いも再開したくなりましたね・・・・。
 (週一位でよいのだけど・・・・・、そういう訳にもいかないだろうし・・・・・、現実には一寸無理かな・・・・。)
 (誰か体験チケットプリーズ 笑 )



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2015/03
19
[ #701 ]

ボクシング

 私という人間、基本的に余り真剣にTVは観ないのですよね。
 そんな私が割りと御執心なのが、WOWOWエキサイトマッチというボクシング中継。この番組だけはそこそこに観ている気がします。

  元々2輪の世界選手権を観る為にWOWOWを導入したのですが間も無くそれも無くなり・・・・代わりに嵌ってしまったのがこの番組。

 番組自体、試合を淡々と放映している面が多く、民放の様な応援放送的アナウンスもし無いですし、ワザと盛り上げようとしたり、タレントを出演させたりとかもないのが良く(またアナウンサーや解説陣も好みです)。
 そんなこんなでしばらく観続けていてボクシングという競技の魅力に嵌ったといいますか・・・・。

 それは・・・・。


 実はボクシング、リング上では基本的に喋ってはいけないのですよね。
 言葉で相手選手を罵倒したり惑わせたりする行為は”卑怯な事”だとされている故です(尤も最近はエイドリアン・ブローナーの様なマナーの悪い選手も有りますがね・・・・)。
 違った言い方をすればプロボクシングという物、大金も動きますし、マスコミや宣伝も深く関わり典型的商業スポーツといった側面も確かに強いのですが、リングに選手が上がりゴングが鳴った瞬間から、2人の選手の世界となり周辺の事は関係なくなる様に思えるのです(また、それは2輪のレース等の、スタートした瞬間から選手個人の出自等関係なくなり、誰が最初にゴールするか?といったシンプルな価値観に支配される事と良く似ている様に思えます)。

 そしてゴングが鳴った後、リング上で2人は何をしているのか・・・・?といいますと・・・。
 勿論、どちらが強いかを競いあっている訳ですが、それは同時に、どちらがヨリ”卑怯者で無いか””勇気が有るか””信用できる人間であるか”といった事を競い合っている様にも思えるのですよね・・・・。
 (またそうした要素故に、その昔英国は植民地支配にも使用した訳ですが・・・・。詰まり・・・・アフリカ等現地の種族の戦士等とボクシングで戦い、同一ルールで相手を打ちのめすことに拠り相手の信頼・尊敬を勝ち得る、云々・・・・)

 何と言いますか、古代から人々の本能に刻まれている物に合致する物を感じるといいますか・・・。
 それは恐らく、太古の戦とか、現代にも続く古典的祭りと共通する物を内包しているのでしょう・・・・。

 どちらにしろボクシング、一寸、惹かれるのですよね。




 追記

 ではそうして観て来た中で、私が魅力を感じた選手は?といいますと。
 1人挙げれば、”ディエゴ・(チコ)・コラレスという選手ですかね?(勿論TV画面を通して観た印象だけですが・・・)

 その理由・・・・。

 そうですね、
 先ず第一に「負け様」が良いということ。
 例えば、メイウェザー戦の負け様。或いは、カサマヨールとの第一戦の負け様。
 (それぞれ、レフェリーストップ&ドクターストップに拠るTKO負けですが、負けてなお闘志溢れるといいますか・・・・)

 そして「勝ち方」。
 例えば、アセリノ・フレイタスに勝ちライト級のタイトルを獲得した試合。
 恐らくアスリートとしての能力(スピード・テクニックetc)はフレイタスが上に想われたのですが、それをハートの強さで勝ったといいますか、相手の闘志を折って勝った試合といいますか・・・・・。

 最期は交通事故で他界したわけですが・・・・、確かオートバイで飲酒運転だったとか(其の辺りも何とも・・・・・)。
 
 そう実はボクシング、勝つ事(勝ち方)以上に、負け様(負け様)を観る事が出来るといいますか、そこが魅力に思えるのです。
 また、他の競技や人生においても、実はこの「負け様」に対する視点という物は大事な気がするのです。

 
 

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2015/02
16
[ #692 ]

スニーカー

 立春も過ぎ春らしい気配も増して来ましたが、そうなりますとバイクのメンテなんて事もしたくなる訳なのです・・・。
 しかし今年はそれ以上にバイクに跨る時の足元を何とかしたいという状況。

 
 実はこの数年、バイクに跨る時に愛用していたのはごく普通のスニーカー・・・。

 何て書きますと”普通のスニーカーでバイクに乗る事の危険性が理解出来ない年齢でも無いでしょ?”何てお叱りも受けそうです。 (笑)


 はい、確かに。


 勿論ブーツも何足か持ってはいるのですが、それなりに理由もありまして普段はもっぱらスニーカーを愛用していたのです。

 その理由・・・・・。
 ここのところ私がバイクで訪れる場所がもっぱら古い街並み等である事。特に色街や遊郭の跡何て場所が多く、そうした場所を矢鱈と歩き回る(徘徊?)訳です。
 そうした状況でレース用のライディングブーツは流石に違和感が・・・・で、スニーカーとなる訳です。


 それならばバイク用のスニーカーを履けば?とも言われそうですが・・・・。
 
 確かに以前はエルフの物等を愛用していた時期も有ります。ただそうしたバイク用のスニーカー、街場を何時間も歩き回るには一寸?と思うことも多く・・・・。
 例えば防水性を考えてある所為か通気性がいまいち・・・・はっきり言えば蒸れ易い・・・・等々。
 そこで今履いているのスニーカーに落ち着いたのです。



 それはミズノの”ウエーブ・ダイバース4”というエアロビクス用のモデル。

 10年近く前に当時通っていたジムで”ミズノから新しいモデルが発売され、お勧めですよ~”等と勧められ衝動買い。
 早速エアロで使ってみますと・・・、これが私には合わないのですよね。 (笑)


 何と言いますか、ゴツ過ぎるのです。
 靴底も厚くクッション性も良いのでしょうが、その所為で床の感触が掴み辛く汗で塗れた時等に少し怖いのです。
 またプロテクション等個人的にはオーバークオリティに想え、アッパーもごつくて通気性がもう一つ?またそれ故に重く感じるのです(インストラクターの方等の用途には良いのかも知れませんが好みでは無かったのです)。

 結局数ヶ月履いてお蔵入り。


 しかしこのスニーカーをジ~ッと眺めていますと、バイクで使えそう・・・・・。

 転用してみますと、見事私の好みに合致。



 厚すぎると感じたソールもバイクでは丁度良い感じですし、踝(くるぶし)部のプロテクションもしっかり、問題の靴紐も甲の部分のベルクロベルトで留める事が出来ます。それにバイクや街歩きだと通気性も十分(何せ基がエアロ用ですし)。アッパーのデザインもエアロ用としては???と思っていたのですが、バイク&街歩き用ならいけそう・・・・。

 こんなスニーカーです。


  ウェーブダイバー 4



 しかし流石に10年近くも使い続けますと限界が来ました(しかしそれだけ履けたということは耐久性も十分あったと言う事でしょう)。そこでもう一度同じ物を買ってやろう?と考えたのですが流石に終売、モデルチェンジされていました。


 故に現在、少々悩み中なのです(シフト部分にプロテクター付けてバイク用で再販してくれないかな? 笑 )。


 
 まあ素直にバイク用を買えば良いのでしょうがね・・・・・。


 
 実は履く物だけでなく、バイクに跨る時の服装って結構悩むのですよね。
 林道とかレース・峠なら自ずと答えは決まって来ますが、街歩き主体となりますと・・・・・。


 まあそれも楽しみの一つではありますが・・・。

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2014/08
08
[ #635 ]

好きだったイベント

 今回の記事は完全に私個人の昔話、おっさん単車乗りの郷愁ですので笑ってスルーしていただければ・・・。
 

 昔のF1はどこか草レースっぽさが残っていてその頃が面白かったとか、昔の2輪のレースにあるアマチュア的パッションの様なものが良い・・・・・、何て事ばかりを書いていたのですが、私も一時期、草レースに良く顔を出していた時期があるのです。

 そうして参加させていただいた草レースの中で特にお気に入りだったのが、岡山県の中山サーキットで開催されていた”Exciting Sunday(エキサイティング サンデー)というイベント。
 このイベント、実に草レースらしい草レースといいますか、単車乗り、サイドカー乗りの運動会的といいますか・・・・、適度に真剣で適度にアットホームという何とも雰囲気の良いイベントだったのです。
 クラスはクラッシクバイク、4stのシングル・ツイン、サイドカー、それぞれ数クラス・・・・。









 という事で、その雰囲気が伝わるかな?と当時の写真を少しばかり(押入れに眠っていました写真をデジカメで撮ってといういい加減な物ですが・・・・)。


 89年ピット
 89年のピット風景、雨天です。


 89年sc
 同年のレーシングサイドカークラス(多分予選)、走っていらっしゃる人は誰だか知りません (笑) 。
 ショートホイールベースの車体が雰囲気です。


 90年スタンド
 90年のグランドスタンド前、結構観客が入ってます・・・・。


 92年スタート
 92年のスタートシーン。


 94年スタート
 94年のスタート前。


 雰囲気伝わりますかね?
 







   
 当時愛車にしていたのは、新古車で手に入れたSRX6(87年式、俗に言うⅡ型)。これを少しだけ触って出ていました。


 普段は通勤やツーリングにも使っていましたので基本的にノーマルに毛の生えた(何処にだ?)程度。
 ピストンやキャブレター・カム等ノーマルのままでした・・・(レギュレーションの事もあったかも知れません)。
 そんなバイクでも結構遊べたのが中山サーキットというこじんまりしたサーキットの良さだったとも思えます。







 恥ずかしながらこんな感じで・・・・。



 94年予選 94年
 94年



 このバイク、
 94年がエキサイティング・サンデー最後の開催となり、95年からTIをメインに・・・・、といった事情も有り手放してしまったのですが・・・・・。
 残しておけばよかったかな。




 因みに手放す直前(95年)のSRX、

 街乗り
 

 モトサロンの2in1を気持ち上向き加工し、それに合わせてポートを拡げ、バルブ周辺を磨き、吸気系を裸にしてキャブのジェットを変え、熱対策を少々。車体はFFのスプリング(WP)、ヨシムラカヤバサスユニット。自作プレートのステップ。Fブレーキホース。チェーン&スプロケ・・・・。
 ホンとこれ位。
 (手放す直前にアルミのスイングアームとST1カムを組んだのですがレースでは使ってないので効果は???)


 良く遊ばせてもらったバイクです。(シングルは触り易いのです)(またそれが楽しかったのですよね)。





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2014/02
28
[ #583 ]

ソチ五輪も終わりまして

 ソチ五輪も終わりましたが、今回のオリンピックはつまみ食い的に結構TV中継を観た気がします。
 仕事を終え深夜に帰宅しますとちょうど何かしらの競技を放送していまして・・・。
 そして見始めるとスポーツって、やはりと言いますか結構面白いのです(お陰で少々寝不足気味だった気も・・・)。
 

 では?観た競技の内でどれが好みか?と聞かれますと・・・、やはり昔ながらのアルペンスキーと成りますかね。

 あのタイム(時間)とか、コースという物に対し恐怖心を押し殺し、肉体を駆使して挑んでいく選手の姿にはやはり惹かれるのです。
 モータースポーツ(特に二輪)のタイムトライアルと似た雰囲気という事もお気に入りの理由かも知れません。
 早い者勝ちってのもシンプルで良いですしね。その辺り最近多いジャッジスポーツ(尤も最近はダンスを齧ったりもしていますので、それはそれで楽しめるのですが・・・)よりもやはり好みです。

 こう書きますと、では”スキークロス”何て競技の方がよりモータースポーツ(レース)ぽくって良くないですか?何て声も聞こえそうですが・・・。
 確かにスキークロス、判り易くて面白いのですが、この判り易過ぎる事が少し好みと違うと言いますか・・・。
 判り易い競技って、その判り易い見方に切り口が限定される気がするのです・・・。
 
 昔、TVでレース中継等を観ていますと「同じ所を似たような車がグルグル回っているのを観て何が面白いの?」なんて言われる事がよくありましたが、その単調さを主観的に解釈出切る面が結構面白かったのです。


 
 また”4人乗りボブスレー”も非常に印象に残っています。
 競技(レース)自体が面白いというよりも、その競技中の雰囲気、TV画面を通してもその雰囲気の良さが伝わって来た気がします。
 何というか、選手だけでなくスタッフ(ピットクルー?)や運営側、観客も含め、全員が根っからボブスレー好きな感じで・・・、そうした方々が和気あいあいと楽しくやっている雰囲気。これに惹かれましたね。
 勿論”国の威信を掛けて”何て意識も有ったのかも知れませんが、それ以上に好き物が集まって楽しんでいる感じが良かったです。
 これこそスポーツの原点と言いますか、草レースの楽しさと言いますか・・・・。兎に角、良かったのです。

 そんなこんなで、ソチ五輪、結構楽しく見れたのは確かです。
 唯、苦手だったのが、競技と競技の間に挟まれた解説といいますか、ワイドショー的バラエティー的放送。
 所謂タレントとかアナウンサー等が(盛り上げようと?)喋られる部分(この盛り上げる・盛り上がるといった言葉も好きになれない言葉では有るのですが・・・)。苦手と言いますか、不快ですね(TVを消す切っ掛けには丁度良かったとも言えます)。

 
 そこで思い出したのが、昔のF1中継。確か89年シーズン辺りの事だと思うのですが、某プロレス中継上がりのアナウンサーが起用された時の事。それと同じ印象。
 (確かその時放送をしていたTV局、開局始まって以来の抗議の電話の数を記録したとか)
 
 別に貴方(アナウンサーやタレント)に見方を強制されなくてもレース(スポーツ)中継くらい、自分で能動的に観れますから!といった気持ちでしたね。
 元来TVとは非常に押し付けがましいメディア。活字を読むように能動的に接す事が難しいのですが、更にそこで押し付けがましく見方を強制されますと・・・。

 今思えば、どうもその頃からF1中継に対する興味が少しづつ減じていった様にも思えたり(店を始めて以降は殆ど観ていません)。
 
 そして先日「RUSH」という映画を観に行き、”もしかしたらF1や他のモータースポーツ、放送のあり方に関わらずレースその物が昔の方が面白かったのでは?”何て想いも湧いたのです。
 その辺りの事も書きたいなと想ったのですが、長くなってしまいましたので来月辺りから・・・。まあボチボチと・・・。
 当時の雑誌等全く残して無いのでアヤフヤな記憶が頼り、いい加減な話にはなりそうですが・・・。




 追記

 

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2014/02
16
[ #579 ]

RUSH

 久々に映画館に行って来ました。
 観た映画は・・・・、


          RUSH.jpg

                        「RUSH」


 76年シーズンを中心に、ラウダとハントという2人のF1パイロットを描いた映画です。
 私自身、F1が最も面白かったのは70年代では?等と思っておりまして、これは観に行かねば!と時間をやりくりして出かけてきた訳です(時間の都合で、吹き替え版を観る事と成ってしまったのは少々残念ではありましたが・・・)。
 

 更にいえば私、昔からバイクに乗る時のヘルメットがこんな事に成っておりまして・・・・。


    ヘルメット

 (ハントのファンと言うわけでも無いのですが・・・、 笑 )



 それはさておき、映画の内容・感想ですが・・・悪くないです。

 当時の映像も上手にはめ込まれていますし、俳優の雰囲気も良かったです(加えていえばラウダの吹き替えも結構雰気)。
 そして何より70年代のF1の良さや、当時の2人の位置付けや個性といった物を再確認出来、この頃がF1の転換点でも有った事や、この2人がその象徴的存在で有った事も理解し易く、非常に楽しめました。



 では私が思うところの70年代F1の魅力とは何なのか?

 簡単に言えば、F1が未だ”大いなる草レース(アマチュアスポーツ)”の空気を保てていた事、自動車レースの原点であるところの貴族(ブルジョワ)同士の社交(としてのスポーツ)といった面も保っていた事辺り有ったと思えます。
 (勿論技術面・テクノロジー等の事も有りますが、細かい事を書けば切りは無いのですが・・・)

 そしてこの2人。
 破滅的で享楽的、故に(特に英国で)人気者である、ある種古いタイプのレーサーとしてのハント。職人的でプロフェッショナルな姿勢(プロフェッショナルの言葉の元々の意味は、”金儲けを目的に働く人間”の意でしょう)、勝つためにはステアリングを握っていない時でも努力を惜しまない、現代(人)的レーサーのはしりとしてのラウダ。

 そう言えば76年は二輪のGPのワールドチャンピオンも、破滅的・享楽的雰囲気を感じさせる人気者の英国人、バリー・シーンでしたし、この頃、70年代中期がそうしたタイプのレーサーがチャンピオンを取れた最後の時期であったとも言えそうです。
 更にいえば、パイロット(レーサー)だけでなく、デザイナー、設計者、メカニック、チーム監督、オーナー等々、個人の存在感が輝き、F1を動かしていた時期とも言えそうです。

 また、サーキットを速く走るという共通の目的に対し、同じ3リッターエンジンを積みながらも色々のアプローチが可能な時代でもあった訳で、それらの異なった個性のマシンが意外と近い戦闘力を発揮出来た事も楽しいのです。
 
 その後、80年代中期以降はコンピュターやテレメーターシステムの発達に依り、殆どのマシンが似た形となり初め、現代では殆ど同じような形状。

 また現代では、テクノロジーや勝つためのメソッドといった物が発達し、F1チームも一つのシステムとして動く様になり、パイロットもそのシステムの単なる1つのパーツと成ってしまった感が有ります。

 またそれはF1以外の世界でもそうなって来ている様にも思えるのです。
 (子供時代から(社会的)成功者に成る事を目的として、良い中学~良い高校~良い大学~良い就職・・・・を目指し、生活の殆どの部分捧げなければ成らない時代、しなければ負け犬となってしまう時代。)
 ハントの様なタイプは生きていけない時代に成って来た様に思えます(92年マンセルが最後かな?)。そしてラウダの様なタイプ(その完成型がシューマッハとも言えそうですが・・・)が主流となり・・・。


 因みにこの映画が描いた時代のその後・・・。
 77年以降、ハントは早々に引退、享楽的な(ある種ヒッピー的)生活を続け40代で夭折。ラウダは77年、84年とチャンピオンとなり、更にラウダ航空という会社を立ち上げ社会的な成功者となる・・・。
 (そう言えば60年代、ホンダに勝利をもたらしたR=ギンサーというF1パイロットも引退後ヒッピーをしていた筈・・・)


 さらに余談を続ければ、76年は富士で初めてF1が開催された年。白人文化圏以外の地域でのF1開催の嚆矢。
 F1が大いなる草レースから脱却を目指してグローバル戦略を始めた年。
 そして、そのフロンティアの地として選ばれた日本(現代では、アジアや中東でやたらと開催される様に成っていますが)。放映権等の力や、FIAの組織としての力が急速に増大する時代の始まり・・・。

 正に76年は転換点であったのでしょう。
 個人的にはその辺りの事も頭に浮かんだ映画。楽しめました。
 もっとも、F1に興味の無い一般の日本人の方が観てどの様な感想となるかな判りませんが・・・。



 色々と書きましたが当時のF1、様々な面で魅力的なのです。その辺りの事を何時かアップしてみたいですね。

 
 

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