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2017/08
18
[ #957 ]

Maiking of a Victorian Lady

 先日図書館で借り出した本、実は好きなのですよねこの手の本(一寸キャッチー過ぎる書名という気もしますが・・・・・)。


     英国レディーになる方法

  「英国レディになる方法」


 
 内容はというと19世紀、ヴィクトリア朝時代の英国の中流家庭女性の生活やそれを取り巻く社会を、当時の小説や雑誌広告等々から浮き上がらせようといった趣旨の本でして、各種図版等が多く収録されています。

 当時の絵画をはじめ、小説等の挿絵から雑誌広告やポスター新聞広告、写真(時期的にそれはど多くは無いですが)等々。
 また往時のファッションプレート等が掲載されているのも非常に嬉いですね。


 以前こんな本の事も一寸だけアップしたかも知れませんが、

 明日は舞踏会  「明日は舞踏会」

 この本の英国版といった雰囲気。



 閑話休題、”ファッションプレート”等と書きましたが、”明日は舞踏会”という書籍は正に19世紀前半のフランスのファッションプレートを中心にまとめられた本です。
 (本としての纏りはこの”明日は舞踏会”のほうが上という気はします、がそれはさて置き・・・・)


 ではファッションプレートとは何ぞや?ときかれますと、主として19世紀フランス等を中心に出版されたファッション雑誌や商品カタログに掲載された衣装や装身具の見本図版、といったところですかね。
 特に石版画に手彩色されたものがそう呼ばれている様で・・・・・。

 言ってみれば浮世絵の西洋版といいますか・・・・。はい、浮世絵同様に惹かれるのです。


 因みにこの本にもこんな感じで少しばかり載っています。

 1843  1861



 浮世絵の西洋版などと書きましたが、実は浮世絵の方が少々古いといいますか先駆者といいますか。

 例えば歌麿の「夏衣装当世美人」のシリーズ、おそらくは寛政末頃のものでしょうから丁度1800年前後、西洋のファッションプレートの全盛期より半世紀ほど早いですし。それにこのシリーズは明らかに和版ファッションプレートといった感じで、描かれているのが、越後屋、大丸、松阪屋、白木屋・・・・・・・・等々の着物と帯(を身にまとった美人)ですからね。

 更に言えば、湖龍斎から初期の清長に引き継がれた「雛形若菜の初模様」シリーズもいわばファッションプレート的ですし、これは更に2.30年ほど早い18世紀中期辺りですしね・・・・更に言えば師宣になると17世紀後半・・・・。


 おっと話が横道に・・・・。


 因みにバカナリヤにも往時のファッションプレートが一枚掛けてあります。

 1853

 因みに1853年のフランス物です。
 この19世紀中期の頃のものが版や彩色も緻密で好きですね。


 しかしこの19世紀、英国ではヴィクトリア朝時代、フランスではナポレオンの帝政から19世紀末に向かう時代、正に現代の走りといいますか、資本主義が世界を席巻する最初の時期といいますか・・・・。

 現代に有る多くの品物(製品等)の基はこの時期に殆ど出揃っているのです。デパートやパックツアー、冷蔵庫、新聞や新聞広告、インスタント食品、またそれらを見せる博覧会、等々・・・・・・・。
 この雑多というか何でもあり感というか、またその光の部分に対する影の濃さというか、混乱といいますか・・・・。
 興味を惹かれるのです。

 そしてこの本、このヴィクトリア朝時代に確立された社会感というか作法というか慣習というかシステムというか・・・・・、これらが明治維新以降強力に我が国に流れ込み(導入され?)、現代にも繋がっている事も実感させられる本でもありました。
 更に戦後の家庭教育のモデルケースにも・・・・・。

 また一寸厭味な言い方をすれば、19世紀とは女性を(都合の良い?)消費者に仕立て上げる時代という気もします。
 またそれを担ったのが商業新聞に代表されるマスコミであり広告であったとも。

 (その辺りも含め興味深い訳です)


 更に言えば、フランス人権宣言以降喧伝される所謂”男女同権”の一つの側面は、女性を消費者に、(低)賃金労働者に、納税者に仕立て上げるためのプロパガンダであったのかも?・・・・・・なんていうと厭味が過ぎますかね? (笑)

 
 等々、色々書きましたが楽しめる本でした。


 
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2016/01
15
[ #790 ]

魔女

 先日広島市内に出かけました折、このような展示を観てきました。


  魔女

 「魔女の秘密展」


 副題に ~”魔女”とは誰だったのか?~ 等と記されてありまして少々気になったのです。


 会場に行ってみますと・・・・一寸微妙かな?という雰囲気(まあ、博物館の展示ではなくショッピングセンター内のイベントスペースの展示ですしねえ・・・・)。

 
 まあそれでも折角なのでと、何はとまれチケットを購入、入場してみる事に。


 これが意外とといいますか・・・展示されている物に面白い物が幾つか有りました。
 唯(まあ仕方ないですが)、それに付随する解説文が少々物足りないのです。下段にある小学校低学年向けと思えるものはさておき、一般向けの解説も個人的には物足りない印象。
 まあ、若い世代向けの展示なのでしょう・・・・(最後の展示は”現代の日本のコミックに描かれた魔女”という物でしたし、まあ女子供向けの展示?)。


 閑話休題、その興味深かった展示物ですが・・・・、
 例えば”魔除けやペスト除けの護符”なんて江戸期の日本の疱瘡除けや麻疹除けの護符と共通するメンタリティーも感じます。
 また、当時の魔女や錬金術師を描いた版画作品や絵画も私の興味対象の範囲内ですし、古い文献の展示もそう。
 まあ文献に関しては、何せ英語も怪しい私ですので、古いドイツ語やラテン語は当然無理でして・・・・・(この当たり訳文&濃い解説文が有ればと思った次第)。
 また、拷問道具や捕縛道具の展示も有り・・・・例えば”苦悩の梨”何て・・・・・・(解説は一寸??? かな?)。



 其の中で最も興味深かった展示は、16世紀前半にマルティン=ルターがラテン語から翻訳して出版した聖書。
 この聖書の中でルターは異端者に関する記述の一部分、「男の呪術師」の部分を「呪術を使う女」と訳して記述した・・・・云々という解説がありまして・・・・・。

 これですね。

 もしかするとこれが魔女狩りの切っ掛けか?とも思えそうです・・・・・。考察したくなる事象です。

 (魔女や魔女狩りについて主観を記すと長くなりそう故、自重します)
 


 その後は気になっていた古本カフェへ・・・・・・、これがお休み。
 更に、ダンス用品のお店へ・・・・・・、これもお休み。
 一寸、ほしい物があり酒屋さんへ・・・・・、見つける事叶わず。


 結局、魔女展だけで無駄に過ごした一日になってしまいました・・・・。
 当たり前ですが、曜日を検討して出かけるべきですな。
 何せ行き当たりばったりの私、反省です。

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2015/02
09
[ #690 ]

ブランデーのはなし 3

 前回、所謂ブランデー=グレープ・ブランデーは17世紀頃にオランダの貿易商主導で造られた・・・・なんて話を書きましたが、では葡萄以外のブランデー(フルーツ・ブランデー)はといいますと・・・・。
  
 フルーツ・ブランデーは葡萄以外の果物原料で造られた蒸留酒の総称ですが、一般には透明な物が多いのです。特にドイツやフランス周辺で造られる物。
 ドイツでは”~~ヴァッサー(~~ヴィルネというタイプも・・・)”と呼ばれ、フランスでは”オー・ド・ヴィー~~”と呼ばれます。 とはいってもフランスでも主として造られるのはアルザス辺りなのでやはりドイツ文化圏の物とも言えそうです(他スイス等)。


 オー・ド・ヴィー・ド・フランボワーズ  これはオー・ド・ヴィー・ド・フランボワーズ

 キルシュ  こちらはキルシュ。少々糖分添加でリキュール規格にして在りますので、キルシュ・リコールと記して在ります。糖分が無いとキルシュ・ヴァッサー

 
 ではこうしたお酒はどうやって造られ販売される様に為ったのか?
 

 元来こうしたドイツ圏等の中北部ヨーロッパは結構寒いのですよね、故に亜熱帯系の果物である葡萄は造り辛い。
 実際中世の頃には北部ヨーロッパでは殆ど葡萄は造らていれない。
 その代りに他の果物が食生活に馴染んでいた訳で、たとえばドイツ等で中心的なのはリンゴ、他に洋ナシやカリン、プラム、各種のベリー類。
 
 故にでしょう、ヨーロッパ各地で行われる中世祭り等ではこのリンゴやそれを絞ったリンゴのジュースが付き物であったりもします。
 こうした果物はビタミン類の補給にも重要でしたでしょうし、それ以上に自然の恵みを実感させられる存在として祭り等では象徴的に扱われるのでしょう・・・・。

 そして当時の中北部ヨーロッパではこうした果物を各家庭で収穫貯蔵し、場合によってはジュースとし、或いはそれを発酵させ・・・・といった事が当たり前に行われていた様です(こうした果実やそのジュース、割と簡単に発酵しアルコールを生成するのですよね)。


 その後18世紀頃(?)に為りますと、そうした一寸した家庭に簡易な蒸留器が置かれる様な状況が生まれて来ます。

 その結果、そうした家では自家製のジュースを発酵させた酒を蒸留しホワイトブランデーを造る様になる。
 基本的には自家消費、或いは村内消費用ですので、そんなに多量に造る訳でも無いですし輸出する訳でも無いですから樽に入れる事も無い訳でして・・・・。

 故に透明なまま・・・・。

 また以前アマレットの時にも書きましたが、村で中心的な家、これが庄屋や雑貨屋、宿屋等も兼ね、たまに宿泊者や旅の人たちにそうした酒を振舞ったりと・・・・・。
 その後、評判の良かった物が流通にのる様になり、メーカーとなり・・・・。
 
 そうした経緯、その形を受け継いでいる故に透明のままと言えそうです。


 もっとも東欧辺りでは、透明な物と同時に樽で寝かせた物も在りますが・・・。   
 例えばルーマニアで、カリン等から造られた透明な物=ツイカ。プラムから造られ寝かした物=パリンカ。 等々・・・・。


  ツイカ&パリンカ


 また、ブルガリアでは”ラキア”と呼ばれ祭りの時等に回し飲みされるとか・・・・。
 (何だか、泡盛や焼酎を連想しますね・・・・)


 恐らくこの辺り、西欧の流通(海運)圏・文化圏から少し離れている故に独自の発達となっているのではと思われます。


 相変わらずの言いたい放題です。

  

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2014/10
31
[ #659 ]

シェリーのはなし 3

 14世紀半ばから15世紀半ばに架けての100年戦争で英国はボルドーを手放し、それに寄って英国に輸入されるワインの産地がフランス(ボルドー)から、スペイン産(シェリー)の比率が増えていった・・・・、何て事を書きましたが、ではその後はというと・・・・?

   
 順調にシェリーの輸出量は増えていった様です。しかし、ここで問題が起きるのですよね・・・。

 それは英国のヘンリー8世の離婚問題。
 これが基で当時の教皇はヘンリー8世を破門(1538)、これを切っ掛けに英西間の関係が悪化して行くのです・・・。

 で、海賊の登場とか色々と・・・。更に英西戦争(1585~1604)へ・・・。

 で、シェリーの出荷も減少・・・・、
 となったかどうかは実は良く解らない面も有りそうで・・・・。



 こんな話があります。

 1587年、カリブ海周辺を荒らしまわった著名な海賊”フランシス=ドレイク”がカディスの港を襲撃、多量のシェリーを略奪、その多くを英国王室に献上。これを切っ掛けにその後の英国王室でシェリーがブームとなり、消費も飛躍的に増えたとか・・・。
 もしかしたら休戦後の事かも知れませんが、戦争と商売は有る面、別、という事なのかも知れません・・・。

 閑話休題、このときドレイクが略奪し王室に献上したシェリー。今で言えば”オロロッソ”と言われるタイプだったそうで・・・。といいますか、当時ヘレスで造られ(カディス等から)出荷されていたシェリーは全てこのタイプであったとか・・・。(シェリー=オロロッソであった) 
 アモンティリャードやフィノなんて言われるタイプが出てくるのは、だいぶ時代が下ってからだそうです・・・・(19世紀)。

 となりますと、シングルモルトウイスキーが詰められた樽も、初期はオロロッソの樽であったという事なのでしょうね。

 しかしカディスが輸出港として著名になる前、シェリーの輸出港はサンルーカル・デ・パラメーダで有った訳で(そういえばコロンブスもここから出航した事があった筈・・・)、そこの名産といえば”マンサニージャ”・・・・。
 当時のマンサニージャはオロロッソの様なタイプだったのですかね???


 閑話休題、当時の英西関係がらみの逸話をもう一つ・・・。

 16世紀に英西関係が悪化、英国の私掠船がスペインの船を襲ったりすることが多くなり、スペインの軍艦と英国の私掠船が戦うなんて事がしばしば起こるようになるわけですが、当時英国の私掠船を追いかけていたスペインの軍艦「エル・カルヴァードル号」が嵐に遭遇、フランス北西部ノルマンディーの海岸に座礁する・・・。
 この船の名に”カルヴァドス”というお酒の名は由来しているという話。

 この辺りも含め歴史とお酒の関係、興味深いのです・・・・。



 因みにこれは以前訪れた時のカディスの港・・・。
 
 カディス
 
 

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2014/06
16
[ #619 ]

リキュールのはなし 4

 前回、1575年創業のボルス社が世界初のリキュール製造販売会社・・・・等と書きましたが、実はそれより古い年号が記されたリキュールも有るのです。

 例えばコレ。


 アマレット

 ディサローノ・アマレット


 ラベルに1525の年号が・・・。

 disaronno.jpg



 これは次のような逸話に基づいて記されている物です。

 1525年、ミラノ近郊のサローノ街にあるサンタ・マリア・デ・グラッチェ教会に、ダ・ヴィンチの弟子に当たるルイーニという画家がフレスコ画を描くために派遣された。
 そしてそのフレスコ画を描くあいだ逗留していた宿屋の女主人と仲良くなり彼女にも絵を送った。
 そのお礼として女主人は宿で造っていた人気のリキュールを彼にプレゼントした。
 その後(19世紀初頭)、このレシピに基づき製造販売される様になったのが、この酒。
 ディサローノ(サローノのの意)アマレット。

 
 簡単に書けばこうした話なのですが、この逸話に結構興味を惹かれるのです。

 それは、当時宿屋等がリキュールを造っていたという事実が語られているからです(他にも教会との関係とか・・・)。


 ここで思い出すのが、一つは以前観たブリューゲル等のフランドル派の絵画によく書かれている居酒屋の絵(村の民家の様な建物の軒先に酒を入れる壷等がぶら下げてあるのがその査証)。
 詰まり当時の村や町、街の中心に教会が在り、その近くに宿屋兼居酒屋兼よろずや的な存在が在り、そこで酒を造っていたらしいということ(更にそこで冠婚葬祭や祭りの宴会の様な物も開かれていたであろうという事)。

 まあ、英国圏のパブの起こりを思い出しますね。


 また更に思い出したのが、昔飲みに行ったバンベルクのスペチアル醸造所。この建物、バンベルクの街のプラッツ近くに在り、宿屋(プチホテル)なのですが、ビールも醸造していまして(現在はそれが有名)、1Fがビアレストラン、中庭がビアテラスとなっているのです。更に近所の方々今でも通い瓶(缶)を持ってビールを買いに来られる・・・。


 スペチアル  通い缶

 
 中世のヨーロッパ。村の中心に教会があり、近くでその村の庄屋的な家がよろずや兼居酒屋の様な事をしていて、そこでビール等も造っていた。場合によってはそこが宿屋にもなる・・・。
 そしてそこで造られるビール等は、基本的に自家消費。流通に乗ること無く村内で消費されていたという事でしょうね。

 そして初期の蒸留酒やそれをベースにしたリキュールもそうした場所で造られる様になっていった、ということがこのディサローノ誕生の逸話から推察出来るのですよね・・・。
 興味深いです。


 そしてこのディサローノの逸話から50年後。”ボルス”というリキュールを(大量に)製造し”(流通にのせ)”販売する会社(企業)が誕生する。
 ボルス社の誕生はそうした物事(近代への移行)の象徴的とも思えるのです・・・。


 

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2013/01
21
[ #457 ]

Amalia RODRIGUES

 バカナリヤではJAZZを流す事が多いのですが、たまには違うジャンルのCDを流すこともあります。
 という事で今回はJAZZ以外のジャンルから・・・。


         amalia rodorigues

   「THE ART OF Amalia RODRIGUES」



 Fadoの女王、アマリア=ロドリゲスのベストアルバムです。

 以前、少し書いた事も有りますが、”Fado”とはポルトガルの民族歌謡です。

 Fado。大きく分けてコインブラ周辺(北部寄り)の男性ヴォーカルの物と、リスボン周辺の女性ヴォーカル主体の物とに分別出来ると想えるのですが、アマリア=ロドリゲス、女性ヴォーカルという事で当然後者。


 基々Fadoという音楽、レコンキスタの終わり頃にポルトガル北部周辺で誕生し(教会、或は大学の聖歌隊の流れを汲むなんて話も有ります)。当時は基本的に男性ヴォーカルだった物が、19世紀、リスボン周辺で女性が歌った物が人気を博すようになり(マリア=セヴェラ等)盛んに歌われる様になった物だそうです。

 私個人としては、コインブラ系のFadoは少し伝統的。リスボン系のFadoはそれに比べロマ(ジプシー)音楽の影響も強そうに想え、やや大衆歌謡的に想えます。
 (まあ、ヨーロッパの民族的大衆歌謡って、何処かしらロマ音楽の影響下に有りそうにも思えますが)
 
 で、アマリア=ロドリゲスはそのリスボン系のFadoの最も著名な歌い手、ポルトガル大衆歌謡の女王といった存在です。
 言ってみれば、ポルトガルの美空ひばり?的存在ですかね?

 その歌声の圧倒的存在感、恵まれているとは言えない出自、権力者との関係をマスコミから叩かれたり・・・といった部分も似ているかも知れません。


 閑話休題、このCD。個人的にお気に入りでたまに店でも流したくなるのですが、アマリア=ロドリゲスの歌声の圧倒的存在感(それ故に第一人者たり得たのでしょうが)、又Fado自体が持つ曲調等に拠り、店の空気自体変わってしまいそうにさえ想えます。
 店がポルトガルの場末のバルになる様な?(一寸大げさですが・・・)

 しかし、それでもたまに流したくなる、そんなアルバムです。


 

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2012/10
17
[ #430 ]

市内で・・・

 某インポーター様の内見会(試飲会)の為広島市内に出向いて来ました。春、秋はこうした事が多い気がします。


 内見会

 会場の様子はこんな感じです。約2時間で、出品された100余りのワインの内の8割以上は味見させていただきましたかね?
 何種か仕入れたいと想っています。



 それはそれとして、折角市内まで出ましたので此処にも立ち寄りました。


 県美

 広島県立美術館。
 特別展示はヴェネツィア展。


 内容は・・・・。

 一寸予想と違っていましたかね?

 以前どこかで観たパリ(世紀末)展?(だったか?)
 そんな感じの展示(街の歴史とか地理とか風景・文化等を中心とした)を予想していたのですが・・・、ヴェネツィアに有る幾つかの美術館の収蔵品の展示が主、といった印象が強かったです?

 それはそれで楽しめました。(私自身が博物館的展示が好きな所為でそうした印象になったのかも知れません・・・)
 
 と同時にヴェネツィアに付いてお客様等からお聞きしました話を少しばかり思い出しました。



 ヴェネツィア、年間に千万人単位の観光客の訪れる世界を代表する観光地。
 映画にも良く登場します(最近ではツーリストとか、007カジノ・ロワイヤルの新作。007ロシアより愛をこめてとか・・・・)
 (そういえば映画007シリーズ、観光地紹介映画の嚆矢という気もします。流石クック旅行会社を生んだ英国ですかね?)。

 そしてそれなのに(或はそれ故にか?)、非常に治安の良さを感じさせる街ですね。
 地図を見ながらの夜の一人歩きも、此処なら出来そうな印象がありました(現に、そうした観光客の姿も多く見かけました)(海外の他都市では一寸遣りたく無い行為です)。


 夜のベネチア


 実はこの治安の良さは現地マフィアが担っているとか。
 まあそうした物なのでしょう(その分少々物価が高い?)。

 まあヴェネツィアは元々他の場所から隔離されたような立地の自治都市国家ですしね・・・。

 それ以外にも、商業都市として成立したヴェネツィアのその個性。十字軍~レコンキスタ~ルネッサンス~新教徒運動~世紀末~現代資本主義 etc etc・・・。 

 色々と妄想が拡がり楽しかったですね。



 またワインの試飲会の後という事で、ヴェネツィア辺りの(で飲んだ)ワインの事を考えたり。


 ルガーナ

 (個人的には、↑こんなのがお気に入り。ベネト州辺りでユニ・ブランから造られる、ルガーナ。)
 (日本だと余り見かけませんし、割高な気も・・・・)


 

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2011/01
24
[ #261 ]

雑考50  エス

 最近はあまり耳にしなくなった気もしますが、1~2年程前にはやたらと「どエス⇔どエム」等という言い回しが耳に付いた記憶があります。

 尤もこの「どエス⇔どエム」以外にもこうした二元論、言い方は多い気もしますが・・・。

 例えば、「草食系⇔肉食系」であったり、「勝ち組⇔負け組」、「根アカ⇔根クラ」、「まる金⇔まるビ」等々幾らでも出てきそうです。
 もしかすると昨今の日本人、こうした言い回しが大好きなのかも知れません。
 (尤も私は外国語が全くの苦手な者で、外国人にこうした事が有るかは解りませんが・・・)


 閑話休題この「どエス⇔どエム」・・・多用されていましたが、ここでの”エス”とか”エム”実際どういう事なのか・・・。
 本当のところ皆さん、どういった意味で使われていたのでしょう・・・。
 嗜虐的⇔被虐的・・・?
 まあそれはそれで良いのかも知れませんが・・・。

 ちょっと歴史も踏まえ考えてみたくなります・・・。


 ここで言う”どエス”の”S”・・・。18世紀の貴族マルキ・ド・サド侯爵の”サド”の頭文字、Sですよね・・。
 彼の著した”悪徳の栄え”等がこの言葉の流行の発端になっているのでしょう・・・。

 ではサド侯爵は何故そんな本を書いたのか、あるいは何が言いたかったのか?そうして”S”なる言葉、どう捕らえるべきか?


 確か以前タレント?の”みうらじゅん”氏が何処かのコラムで”SMのSはサービスのS”と書いていらっしゃったのを読んだ覚えがあります。しかし現実にサービス業(接客業?飲食業?)で口を汚させていただいている私としては、少々物足りない気もするのです。


 そこでサド侯爵の生きた18世紀のヨーロッパ、あるいはヨーロッパの歴史の大まかな流れ・・・。


 もともと人々にとって何が正しい事なのか・・・。
 原初の時代、それは慣習とか、習慣に拠って規定されていたと想われます。”お約束”といっても良いかも知れません。それらの慣習、人々が暮らす地域の自然環境や生活様式等々に拠り長い時間の中で自然発生的に、あるいは熟成され成立していた様に思えます。

 その後文明の発生を経て、異なった慣習をもった人々の接触が始まり、混ざり合った生活が始まる。あるいは異なった習慣を持った人々を内包した統一国家が誕生してくる。
 この統一国家を成立するために必要とされた価値観(それは、何が正しいかを規定する)。その一つが貨幣であり、さらに一つが宗教(一神教)(聖書)だったのでしょう。


 そしてヨーロッパでは3世紀のローマのキリスト教の国教化以降、このキリスト教の力が強くなる。
 尤も中世ヨーロッパに於いては都市国家として、割と小さな単位にて自治が成立していたため、現実には領主(貴族)がその地域の慣習に従い自治を行っていた面も強いと想われます。

 しかし時間と供に、領主の力よりもキリスト教の力が強くなる。またそうした中で教会も腐敗する・・・。


 前置きが長くなりましたが、サド侯爵が為したかった事(それは有る面無意識的かも知れませんが)。
 それは・・・、世の中の何が正しいのかは、教会に決めてもらわなくても良い。地方領主の責任に於いて自らが決めてやる・・・って事ではなかったのか?という事です。
 この領主の責任感(これは日本の地方領主や殿様、庄屋等々にも求められた気がします)。
 

 つまり私としては”S”の言葉を日本的解釈をするのであれば、この地方領主に求められた様な”責任感”と訳したい訳です・・・。サービスのSでは無く責任者のS(そして無責任のM?)。



 詰らない事を長々と書きましたが、こんな事を書くとマスターはSなのですか?Mなのですか?等と聞かれそうです・・・。

 私自身プライベートでは全くのノーマルだと想っています。何せ所詮は自分基準ですから 笑 。
 あるいはS的な面もM的な面もあると思っています(そんな物でしょう・・・)。
 
 ただ店のカウンター内に立つ時は意識して”S”的であろうと想っています。

 だってバカナリヤにおいては私が店の責任者(Sekininsya)ですし、店の主人(Syuzin)ですし。カウンターで交わされる会話の審判役(Sinpan)、指揮者(Sikisya)、支配者(Sihaisya)に成らなければいけない事も在りますし・・・。
 出来れば責任感(Sekinin)を持って、接客(Sekkyaku)、サービス(Service)が出来ればと想いますから・・・。

 ちょっとくどかったですね・・・・。



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2010/12
11
[ #247 ]

酒場の文化史  海野 弘

        

    酒場の文化史


 酒場の文化史  海野 弘  1983・04  TBSブリタニカ
 ジャンル  風俗史


 サントリー博物文庫の中の1冊です。副題に -ドリンカーたちの華麗な足跡- と付けてあります。
 内容としては14世紀頃から20世紀初頭に架けてのヨーロッパ、特にイギリス、フランスの酒場の形態の変化を小説や絵画等を通しと明らかにしていくといった物です。

 先ずはホメーロスのオデュッセイアから酒場の誕生を語り、チョーサーの文章から14世紀、シェイクスピアで15世紀、ディッケンズで19世紀、といった風に英国の酒場の変化を。またバルザックやロートレック等で19世紀末のフランスの酒場を、そこから更にカクテル、バーテンダーといったアメリカスタイルの流入といった辺りまで書かれております。


 私の感想としては、酒場の文化史と言うより”盛り場の文化史”とでも呼びたいような内容です。


 何故か?
 14世紀頃に出てくるタバト(宿屋、兼、酒場の様な物)、そしてその近くに多く有ったとされるシチューハウスの事。特にこのシチューハウス、元々は風呂屋らしいのですがそのうち女性が常駐して売春宿的になっている・・・。これなんて江戸前期の湯女風呂ですよね・・・。そしてこれらが、川沿いや橋の袂等に固まりある種の盛り場を形成している。
 洋の東西を問わず、そうした物なのでしょう。

 他にも15世紀頃の”イン”。中庭の付いた宿屋(馬車宿・商人宿)。この中庭で大道芸等が演じられ、酒が飲め、売春婦がたむろする・・・。
 またミュージックパブ、カフェコンセールといった演劇酒場。
 更に、後にサパークラブで催されるギャンブル・・・。

 タバト、エールハウス、パブ、タヴァン、パーラー、ビクトリアンパブ、ジンショップ、ビールパレス、バー・・・・・。
 酒場の形態、名前の変化等々の記述も確かに勉強になるのですが、それらの裏に潜む社会の変化、遊びの変化、社会状況、社会心理、歴史、文学・・・・。

 そんな内容で、とにかく色々と読み取れそうでお気に入りの本なのです。

 
 

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