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2018/04
21
[ #1019 ]

パリジェンヌ

 昨日このような展示を鑑賞て来ました。


      パリジェンヌ

                 「パリジェンヌ展」
 
   中々キャッチーなタイトル、広島県立美術館の特別展示です。 

 事前広告等に拠りますと18世紀半ばから20世紀半ばにかけてのパリの女性をテーマとした展示、ということで19世紀半ばから20世紀前半にかけての社会風俗等に少々興味惹かれる私としてはやはり観てみたくなる企画展ではあるわけです。

 ということで何はとまれ出かけて来ました。


 個人的な感想としては”少々あっさりした展示”という印象。

 まあ考えてみれば18世紀半ばから20世紀半ばにかけての”パリジェンヌ”とはいいましても余りにその範囲といいますか意味するところは広い訳でして、それを総括する展示といいましてもね・・・・・。
 
 はい出来ればもう少しテーマを絞り込んだ展示内容であれば・・・・とは思いましたね。
 基本的に女性のファッションが中心とは思えたのですが、それに徹して特化されている訳でもなく少々ぼやけた印象、点数もそれほど多い訳でもありませんし・・・・。

 そうファッション一つとっても切り口は無限にありそうですし、或いは女性の社会進出なんてテーマだって・・・・・・・・。
 19世紀~20世紀前半って特に社会変化の大きい時期ですから、風俗にしろ文化にしろ文明にしろ社会システムにしろ、政治システムにしろ・・・・・・。


 とまあ苦言的なことばかり書きましたが、それでも最低限押さえる所は押さえてある印象も・・・・。

 私としては初見のロートレックの油絵とか、初期のピカソの素描とか、或いはカフェ・ドームや晩年のキキの写真とか、”ロレット”を対象としたリトグラフとか・・・・・・。


 それと19世紀のファッション・プレートやそののちそれらが転じたポスト・カード等は私好みの方向ですし・・・・・。
 因みにファッション・プレートとは、当時の最新流行の服装の広告絵といいますか・・・。当時それらが一冊の雑誌にまとめられ最新流行のファッションを形づくっていった訳です。


 因みに、拙店の店内にも当時の物が一枚架けてあります。


 こんな物です。


 1853.jpg

 因みに1853年の物。


 会場に主として展示されていたのはもう少し後のもの。其の一枚がポストカードになっていましたので、買ってきてみました。


 こちら

 ファッションプレート



 これは1872年の物が元ですかね?


 更に言えば1830年位だとこんな感じ。

 1930-3



 そんなこんなで、少々物足りなさは有ったものの割りと楽しんで来たのは事実です。


 


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2018/03
09
[ #1012 ]

ミュシャ展

 ひろしま美術館で開催中の「ミュシャ展」を観て来ました。


     ミュシャ展




 ミュシャの描く絵画、ポスター、イラスト、リトグラフ、或いは女性像等・・・・、好きか?と問われますと、実はちょっと苦手だったりするのです(では何故に観に行く? 笑 )。唯、彼の活躍した時代、(19)世紀末からベル・エポックと呼ばれる時代の社会風潮に興味を惹かれるといいますか、魅力を感じる面が有りいそいそと出かけた訳です。

 その展示内容或いは鑑賞した印象ですが、バランスの良い展示といいますか正統派な展示といいますか・・・・ミュシャという作家を判り易くみせていただける展示でした。
 もう少し具体的にいえば、生まれ育ったチェコ時代~ベルリン留学時代~パリでの最盛期~アメリカ滞在期~スラブ民族主義に回帰する晩年のチェコ時代、といった展示内容でそれぞれの時代の作品等を彼が係った(モデルとした)女性の紹介と共に紹介されるといったものでした。


 個人的に感じたのは、彼自身晩年に生まれ故郷に戻りスラブ民族主義的活動に向かうのですが、常に彼のベースに有ったのは生まれ育った故郷の文化や風俗等だったであろいうという事ですね。

 (後に)アール・ヌーヴォーと呼ばれる当時の流行。植物の意匠、或いはそれらを意匠化したデザインの大流行、それを代表する作家がミュシャであり彼の作品には多く植物がこれでもか?と描かれている訳です。また紐が絡まった様な独特の意匠も(こちらの方が目に付くかな?)。
 個人的な意見ですが、これらはもしかすると彼が生まれ育った東欧の刺繍や編み物の影響が強いのでは無いのか?という思いです。
 実際彼は女系家族といいますか、多くの姉妹や母親等の女性に囲まれ(そして彼女たちは当然刺繍や編み物、裁縫等を日常的におこなっていたでしょう)幼少期を過ごした訳で、これが彼の作品に与えた影響は多大ではないかと、という事ですね。
 
 そうした意味でも、ミュシャという人物を知るには良い展示という印象でしたね。




 追記

 そういえば数年前に呉市立美術館でもミュシャ展が開催った様で・・・・。
 私は行けてないのですが、行かれたお客様のお話では、色々の小物(お菓子のパッケージや箱等)の展示品が充実していたとか・・・・。もしかするとそちらの方が私好みだったかも知れません、行きそびれた事が少々悔やまれます。

 
 

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2017/08
18
[ #957 ]

Maiking of a Victorian Lady

 先日図書館で借り出した本、実は好きなのですよねこの手の本(一寸キャッチー過ぎる書名という気もしますが・・・・・)。


     英国レディーになる方法

  「英国レディになる方法」


 
 内容はというと19世紀、ヴィクトリア朝時代の英国の中流家庭女性の生活やそれを取り巻く社会を、当時の小説や雑誌広告等々から浮き上がらせようといった趣旨の本でして、各種図版等が多く収録されています。

 当時の絵画をはじめ、小説等の挿絵から雑誌広告やポスター新聞広告、写真(時期的にそれはど多くは無いですが)等々。
 また往時のファッションプレート等が掲載されているのも非常に嬉いですね。


 以前こんな本の事も一寸だけアップしたかも知れませんが、

 明日は舞踏会  「明日は舞踏会」

 この本の英国版といった雰囲気。



 閑話休題、”ファッションプレート”等と書きましたが、”明日は舞踏会”という書籍は正に19世紀前半のフランスのファッションプレートを中心にまとめられた本です。
 (本としての纏りはこの”明日は舞踏会”のほうが上という気はします、がそれはさて置き・・・・)


 ではファッションプレートとは何ぞや?ときかれますと、主として19世紀フランス等を中心に出版されたファッション雑誌や商品カタログに掲載された衣装や装身具の見本図版、といったところですかね。
 特に石版画に手彩色されたものがそう呼ばれている様で・・・・・。

 言ってみれば浮世絵の西洋版といいますか・・・・。はい、浮世絵同様に惹かれるのです。


 因みにこの本にもこんな感じで少しばかり載っています。

 1843  1861



 浮世絵の西洋版などと書きましたが、実は浮世絵の方が少々古いといいますか先駆者といいますか。

 例えば歌麿の「夏衣装当世美人」のシリーズ、おそらくは寛政末頃のものでしょうから丁度1800年前後、西洋のファッションプレートの全盛期より半世紀ほど早いですし。それにこのシリーズは明らかに和版ファッションプレートといった感じで、描かれているのが、越後屋、大丸、松阪屋、白木屋・・・・・・・・等々の着物と帯(を身にまとった美人)ですからね。

 更に言えば、湖龍斎から初期の清長に引き継がれた「雛形若菜の初模様」シリーズもいわばファッションプレート的ですし、これは更に2.30年ほど早い18世紀中期辺りですしね・・・・更に言えば師宣になると17世紀後半・・・・。


 おっと話が横道に・・・・。


 因みにバカナリヤにも往時のファッションプレートが一枚掛けてあります。

 1853

 因みに1853年のフランス物です。
 この19世紀中期の頃のものが版や彩色も緻密で好きですね。


 しかしこの19世紀、英国ではヴィクトリア朝時代、フランスではナポレオンの帝政から19世紀末に向かう時代、正に現代の走りといいますか、資本主義が世界を席巻する最初の時期といいますか・・・・。

 現代に有る多くの品物(製品等)の基はこの時期に殆ど出揃っているのです。デパートやパックツアー、冷蔵庫、新聞や新聞広告、インスタント食品、またそれらを見せる博覧会、等々・・・・・・・。
 この雑多というか何でもあり感というか、またその光の部分に対する影の濃さというか、混乱といいますか・・・・。
 興味を惹かれるのです。

 そしてこの本、このヴィクトリア朝時代に確立された社会感というか作法というか慣習というかシステムというか・・・・・、これらが明治維新以降強力に我が国に流れ込み(導入され?)、現代にも繋がっている事も実感させられる本でもありました。
 更に戦後の家庭教育のモデルケースにも・・・・・。

 また一寸厭味な言い方をすれば、19世紀とは女性を(都合の良い?)消費者に仕立て上げる時代という気もします。
 またそれを担ったのが商業新聞に代表されるマスコミであり広告であったとも。

 (その辺りも含め興味深い訳です)


 更に言えば、フランス人権宣言以降喧伝される所謂”男女同権”の一つの側面は、女性を消費者に、(低)賃金労働者に、納税者に仕立て上げるためのプロパガンダであったのかも?・・・・・・なんていうと厭味が過ぎますかね? (笑)

 
 等々、色々書きましたが楽しめる本でした。


 

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2016/12
30
[ #896 ]

ワインのはなし 11

 海外の、特にヨーロッパのそれなりワインを買いますと、AOCとかDOCGとかDOとか・・・規格といいますか格付けがついてますよね。
 こうした格付けに関する法律、消費保護や公正な商取引等々の立場で行われているといった説明もされるのですが、ではこういった格付けは何時頃から始まったのか・・・?といいますと、恐らくは1855年のボルドーワインのそれが嚆矢ではないかと思われるのですよね。
 
 そう1855年に初めてボルドーワインの格付けが行われる訳ですが、これはやはり1855年に行われた第一回のパリ万博に向けて・・・・というのが大きな理由といえそうです。


 等といいますと、では何故?万博故に格付け?という疑問もありそうです。
 そう、一寸と考える分には万博と格付けって余り関係なさそうな気もするのですが・・・。


 1851年にロンドンで初めて開催された万博というシステム、特にその後粗11年ごとに行われたパリ万博、これは言ってみれば全ての文物をショービジネス、詰まりは見せ物の対象とするシステムであるともいえますし、全ても物を商品化するシステムとも言えそうです・。

 そうして其の中でボルドーのワインも一般消費者向けの商品としての位置づけが明確になる、あるいはそうしようとしたということなのでしょう。


 革命以前のフランスのワイン、その多くは貴族等富裕層に飲まれたり、或いは流通業者によってイギリス等に輸出されたり・・・・という事が多かったのでしょうが、この万博を切欠に一般消費者向けの商品、或いは消費者の視点ということを意識したのでは・・・?ということです。


 そして一般消費者向けの商品として必要な要素とは・・・・、先ずは解りやすさそして高級感・・・・といったところですかね。
 つまりはブランド商品化すること。

 例えば昔の日本の酒の等級等考えても解り易いのですが・・・。

 特級=いい物、高級品。2級=安物、廉価品。

 ねっ、解り易いですよね。(もっとも日本の場合酒税の都合も多そうですが・・・)

 
 また考えると、日本で人気の宝飾品ブランド多くがフランス製という気がします(エルOスとかヴィOンとか・・・)。勿論18世紀以前においてもルイ王朝御用達のフランス制奢侈品は著名だった訳ですが、これをブランド商品として成立させたのが19世紀であり、パリの万博であったという気がするのです。
 そしてそのワインとしての嚆矢がボルドーワインであり、行ったのはナポレオン3世の周辺・・・ということなのでしょう。
 
 確かに現代でもワインの産地名として最も著名なのはボルドーという気がしますよね。

 
 万博に出品し受賞したことにより、万博来場者に知名度が広がり更にそこからの口コミで・・・・・と、こうしてボルドーワインの名は不動の物に・・・・。


 ただ万博に行けない人たち、一般消費者への知名度は・・・・?
 となりますと・・・・。
 そこでもう一つの要素、広告・宣伝という存在や媒体。


 19世紀とはまた、商品広告が本格的に始まった時代という気もするのですよね。


 例えば以前一寸アップしたこの本。


 明日は舞踏会


 表紙もそうですが中にも多くのイラスト(石版画)が掲載されておりまして・・・・。

 例えば

 1830頃


 これらは恐らく1930年前後の”モード”誌のページでしょうが、この頃からこうした形で広告宣伝的な物が本格的に始まり商品のブランド化、知名度向上に貢献していく訳でしょう。

 そして恐らくこのモード誌はエミール・ド・ジラルダンの作ったものでしょうが、その後彼は1836年にページの半分が広告という形態の新聞(広告料故に値段が安い)を発行する訳ですが、これが商業新聞の嚆矢でしょう・・・・。
 (そういえば私の家に配達される新聞もその役半分のスペースが広告やそれに類するものですな)


 一寸話は飛びますが、実は18世紀末の寛政時代に活躍した歌麿や写楽等の浮世絵も上のモード誌同様の存在(詰まり広告的)だった訳ですし、平賀源内が引き札(ちらし広告)を発明したのは18世紀半ばですから其のあたり我が国の方が実はかなり早いですかね?更に云えば菱川師宣の”吉原の態”なんて17世紀半ばですし(実は個人的には菱川師宣が浮世絵広告の嚆矢とも思えたり)。

 となると、ジラルダン等も浮世絵に影響を受けた?
 (いやいや、フランス革命自体印刷物の影響が大きそうですし、マスコミ・プロパガンだ的存在が起こしたとも言いえそうだし・・・・・) 

 ついつい妄想癖が・・・・・申し訳ない。



 閑話休題、バカナリヤの店内に掛けてありますこちら
 
 1853頃

 1853年の物です。

 石版や手彩色の手法が1930年代より上がっています。
 (はい、この手のもの好きなのです)

 更に云えば19世紀の終わり頃になりますと印刷技術の発達で印刷のイラスト広告が、それこそ大量生産される時代に・・・・アメリカのシャツメーカーの”アローマン”なんて代表的存在ですよね。


 そういえば、モード誌が1830年前後、私の店内の物が1853年ころ・・・・。
 1830年のフランスは復古王政~7月王政への転換期、1953年は第二帝政が始まりパリ万博を間近に控えた時期・・・。
 色々思いますよよね。

 (個人的には7月王政期に現代資本主義社会が成立したと思いますし、第二帝政でそれが固定化したとも思っています・・・)


 何だかワインの話からそれていますな・・・・。

 でも思えば、フランスのAOCが発効するのも、確かパリで万博が行われた1937年だった記憶が・・・・。


 この辺り、中々面白いと思うのですがね・・・・。

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2016/10
24
[ #876 ]

ウイスキーのはなし 5

 以前、1820年代に(スコッチ)ウイスキーのメーカーが多く誕生した(リベット・マッカラン・クライヌリッシュ・・etc)・・・云々、なんて話を書いた記憶が有るのですが、そのころから英国でウイスキー蒸留所が企業化していった訳でしょうね。


 でその後は?といいますと・・・・。
 次に多くの蒸留所が誕生するのが1880年代辺りの所謂(19)世紀末の時期と思えます。
 例えば、有名なところではグレンフィディック、他クラガンモアとかバルベニー、グレンロセス・・・・・と枚挙に暇が無い程で・・・・。

 また、既に企業として成立していた蒸留所も規模拡大等を行っている様に思えます。
 恐らくはウイスキーというものに対する需要が急速に増大したのが大きな要因でしょうね。


 何故か?


 考えられるものは、一つはフィロキセラ禍。ヨーロッパメインランドでフィロキセラの被害が広がり葡萄の収穫量が減少、当然の事ながらワインやブランデーの生産量も減少、それに変わる物としてウイスキーの需要増大という事が有ったでしょう。

 また更に重要なのは、資本主義・自由貿易の定着や蒸気船や蒸気機関車の普及による流通の発達による市場規模や経済の劇的拡大とも思えます。

 また19世紀半ば、1851年に行われたロンドンを皮切りに万博が先進国各地で行われる様になりますが、それも商業主義や経済の拡大のメルクマールともいえそうで・・・・。大型デパートの誕生もこの時期でしょうし、商業新聞等の商業マスコミの誕生も・・・・(更に言えば・日本・イタリヤ・プロシアといった国が近代国家として登場するのもこの時期)。
 更に、石炭に続き、ガス・電気・石油が実用化されるのもこの時期。


 まあ、ともかくバブルな訳でして・・・ 笑 。

 で、そうした状況にあって社会の雰囲気も当然変わりますし飲酒のあり方も変わるわけですよね。


 例えばそれ以前ですと、庶民に於いてはお酒は祭り等の特別(ハレ)の日に村人皆で飲んで酔っ払う物だったのが、この頃からは日常的に個人的に飲める物に変わった訳です。

 特に都市部では・・・・。
 都会に飲み屋等があちこちに出来、いつでも飲めるという事に・・・。


 言い換えれば”都市”という物の誕生の時期といえるかも知れませんし、また都市では日常的にハレの空間が存在するといっても良い気もします。
 (それ以前、あるいは田舎では”ハレ・ケ”は暦で決まり、近代あるいは都市では場所、空間に寄るとも言えそうです・・・・。一寸面白いテーマでは無いですか?)
 


 閑話休題、この時期世界的にアルコールの消費量、ウイスキーに対する需要が増大したのは確かでしょうし、それを受けてスコットランドでは蒸留所が次々誕生、あるいは規模拡大等が行われたのでしょう。


 思えばスコッチウイキーの蒸留所が一番勢いがあったのはこの時期なのかも知れません・・・・。

 まもなくブロック経済による囲い込み~第一次大戦~、更に1920年代はスコッチウイスキーの最も重要な市場となっていた米国での禁酒法の施行、1930年代の大恐慌と大不況~第二次大戦と続く訳ですからね・・・・・・。


 まあ、それでもこの時期があったから今のスコッチウイスキーもある訳でして・・・・・。

 といいますかこの時期、19世紀はお酒の世界でも転換点と思えるのですよね。

 

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2016/03
10
[ #806 ]

リキュールのはなし 6

 19世紀、更に言えば18世紀の後半辺りから結構な数のリキュールが商品化されている印象が強いのですよね、特に薬草系のリキュールが・・・・何といいますか19世紀はリキュールの世紀と言いたくなる位に・・・・。
 そしてそうした薬草系のリキュールはそうした時代の空気をも纏っている故かある種の(妖しい?)魅力を感じるのです。

 という事もありバカナリヤのバックバーには割りと薬草系の酒が多めに並んでいたりもするのす。

   リキュール    その一部です。


 そこで今回はこの辺りの酒の与太話を少々・・・・。

 

 何故19世紀辺りにそうしたリキュールが多く商品化されたのか?

 一つは、産業革命等を経て科学的なものの見方が世間で認知される様になり(魔女狩りも終わり?)、それまで結構怪しい見方をされていた錬金術的なものが科学として認識される様に成った面がありそうです。
 医師や科学者の存在が認められたといっても良いかも知れませんし、そうした空気がヨーロッパに広まった事が先ずは遠因としてありそうです。

 また、そうした科学の発達に拠り、科学万能論的な空気も生まれ、機械や薬といった化学の力に拠り、人間が超人的な存在に近付けるのでは?といった思想も生まれた(それは精神と肉体を分離して認知する見方が生まれた・・・或いは肉体を一つの装置として見る考えが生まれたといって良いかも知れません)


 そしてまた、当然ながら1789年のフランス革命と其れによる種々の社会的変化。
 
 さらにフィロキセラに拠る葡萄の収穫量の激減~ワインやグレープブランデーの生産量の減少・・・・。といった事も大きかったかもしれません。


 
 で、最初の錬金術師 云々・・・・、という話。

 何度か書きましたが、錬金術師には色々な位相が付いて廻っていた様思えます。
 例えば、・医師・占い師・占星術師・妖術師・科学者・預言者・薬剤師・贋金造り・・・・・そう何とも妖しいのです。

 それ故、異端審問の対象にも当然成っていたいた訳ですが、これが16世紀半ばルターの訳した聖書で、呪術師を情勢の呪術使いとされた事もあり、魔女狩りといった言葉で表されるように、どちらかというと女性に焦点が辺り、医師や薬剤師は結構審問の対象から外れていった様にも思えます。

 こうした事を書いていますと、触れてみたくなる話が一つ。

 それは16世紀に活躍したスイスの”パラケルスス”という人物。
 高名な医師とも書かれたり、有名な錬金術師とも紹介されたり・・・・。

 彼はこんな意味のことも書いてるそうで・・・・。

 「人は首を絞められるとその精気が頭の外縁部に集まる、故にそうした遺体の頭部は非常に強い精気を含んだ万能薬と成る・・・云々・・・」

 まあ、つまりはミイラ等がが薬に成るという話です・・・・。当時はこうした事が信じられていた様で(東洋でも一寸有りますが)身体の悪い部分を直そうとすれば、其の部分を食すると良いというやつですね。

 そしてまた彼は”ロードナム”という万能薬を生み出した事でも知られています。
 この薬、正に万能薬として王侯貴族等に人気であったとか・・・・。



 そしてこの薬の主成分は・・・・・”アヘン” (確かに万能薬ではありますかな?)。

 ね?錬金術師って怪しいでしょ・・・・・?


 更に17世紀と成りますと、英国の内科医の”シデナム”という人間がこれを液体化した薬を造り売り出すのですが・・・・。”シデナムズ ロードナム”という名の其の薬・・・・赤ワインにアヘン等を溶かし込んだ物でして・・・・・。
 そう、謂”アヘンチンキ”というやつです(ゲーテ等もこれに依存していたとかいないとか・・・・)。

 これまた今からみると怪しいのですが、当時はそうした物かも知れません。

 とにかくこうして薬という物が認知され普及していった訳でしょう(そしてその延長線上に現代の薬もあるといっても良いかも知れません)。

 そして19世紀以降~20世紀半ばは(或いは現代でも?)、全てを(人間までも)機械的・科学的こ捕らえる思考が生み出され、故に薬の万能感も肯定され歓迎される時代風緒があったと思えるのです(人間の機械化?)。
 (大戦時に日本で使われたアンフェタミンやドイツで使われたメタンフェタミンは正に人間を兵器化するために使われたともいえそうですしね)

 そして、そうした時代の空気が各種のリキュールが生み出される遠因となったと思えるのです。


 一寸長くなりましたので続きは次回にでも・・・・。

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2016/01
11
[ #789 ]

昨年後半に読んだ本から

 昨年も図書館や古本屋を主たる入手先として、グズグズと本を読んで暮らしていた気がします。
 その中から少々印象に残った物を何冊か、小説をメインに・・・・・。


 先ずはこの本。


  窪 美澄

  「ふがいない僕は空を見た」   窪 美澄

 
 あるお客様のお勧めで、図書館で借り出した本です。


 はい、面白かったです。
 妙な生々しさを感じるというか、リアル感を感じるといいますか・・・・。勿論小説なのでフィクションであることは間違いないのですがこの独特のリアルな感じが印象に残りました。
 ハードボイルド等の手法でリアルさを出すには細部や小物のディティールに拘るべきだ、という言説を耳にした記憶が有りますが、それとも異なる印象。もしかすると女性作家ならではの生々しさか?とも思えたり。

 またこの作品、女性のための女性によるRー18文学賞受賞作。もしかするとこの文学賞受賞作故か?とも・・・・。
 昔読んで印象の良かったこの作品も確か受賞作。
 ということで、この賞を得た作家の本を何冊か借り出してみる事に・・・・・当然の事ながら合う合わないがありましたが。


 其の中で好みに合ったといいますか、面白く読ませていただけたのがこの作家さんの物。


  しゃぼん

 「しゃぼん」 吉川トリコ


 これまた独特の生々しさといいますか女子の世界といいますか・・・・。それでありながら男の私でも興味深く読めるといいますか・・・・面白かったですね・・・・。

 どちらにしろバブル以降、女性作家の小説に面白いと思えるものが増えた気がします。



 男性作家の作品では?といいますとこれが印象に残っています。


 夢の栓

 「夢の栓」  青来有一


 長崎出身の作家さんという事故か、何といいますか・・・・潮風の持つ湿度感?といった印象を受けました。
 また南方系モンゴロイド、オールドタイプのモンゴロイドの共通無意識といいますか、採集の民のそれと言いますか・・・・・。
 ともかく縄文以前、山の民、海の民として自然の中で生活していたアジアの民の身体感覚、メンタリティーの様な物、或いは其の良さといった物が底流にある作品。
 このウエットさが懐かしいといいますか、一寸辛いといいますか・・・・・。
 ともかく、私の中にも在るであろう南方系海洋民族の無意識?といった物にコミットする小説でした。
 


 他、この辺りは完全に私の興味の対象という事で・・・・・。


 二十世紀のパリ

 「二十世紀のパリ」  ジュール=ヴェルヌ


 「海底2万里」等で著名な作家の1863年の作品ですが、当時は諸事情に拠り未発表となっていた物。その後1990年代に発見され出版に至った作品。
 この作品の書かれた19世紀後半のパリの風俗等に興味を惹かれるのですよね。

 この作品、当時(1863年)にヴェルヌが100年後(1963年)のパリを舞台に描いたいわば空想科学小説。
 つまりは19世紀の空気の中で想像された20世紀な訳ですが・・・・(アルベール=ロビダの第20世紀も同じような作品ですが、それよりも約20年前に書かれています)、そしてその内容が結構辛辣といいますか・・・興味深いといいますか・・・・・。


 第1章の表題が「教育金融総合会社」ですからねェ・・・・・。

 つまりは株式会社形式の教育産業(今で言えば私立で幼稚舎~大学まで持っている様な学校か?)、が存在感を持ってパリに君臨しているという訳です。
 またそして其処では、古典文学等の非実利的な学部、学問は急速に廃止の憂き目に会っている・・・・(そういえば現代の我が国でも文科系の学部が廃止傾向とか・・・・・・)。力を持っているのは金融・経済学、化学、建築等の実利的な学部。
 また実社会でも銀行等の金融屋、或いはそれらリンクした公社等がが力を持っている。

 そうした空気の中、パリの街には高架のリニア環状鉄道が走り、道路には内燃機関で走る自動車が溢れ、モニュメント的高層建築の塔が建ち・・・・・と。
 また、絵画や音楽、文学といった物も数学的ロジックで造られる・・・・(現代クラッシックやキュビズムを連想します)。

 そうした状況の中、古代のラテン語の詩を専攻する主人公は・・・・・・・といった内容。いわばディストピア小説とも言えそうですが、1984とはまた異なった出自。

 
 ともかく作品が書かれた1963年、第2帝政当時のパリの空気を想像出来ます。

 

 またこの本も・・・・・。


  ルパン

 「怪盗 ルパンの時代」  和田英次郎


 ルパンといっても三世では無く基の方ですよね、その(書かれた)時代の空気をルパンの作品から見ていこうという本。

 小学生から中学頭にかけてミステリーを読み漁っていた時期がありますのでルパン物も読んでいる筈なのですが、印象に残っていないのですよね・・・・(また確かその後読んだ時は少々荒唐無稽な印象だった記憶も)。

 それはさておき今、改めてルパンの時代と言われると、とっさには????

 実はルパンの小説の背景(副題にベル・エポックを謳歌した伊達男と有る様に・・・)、ベル・エポック時代のパリ(&ルーアン等のノルマンディー地方)なのです。
 という事で衝動借り。

 作者が自動車評論家という事もあり楽しい本でした。

 兎も角、私19世紀後半からのパリ周辺の空気、風俗等が興味深いのです・・・といいますか、15世紀末から現代に至る歴史の流れ、興味を惹かれるのです。

 
 という訳で愛も変わらず本を読み飛ばしている日々ではあります。

 

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2015/11
29
[ #777 ]

シャンパーニュのはなし

 これから一月余りの期間は恐らくは一年で最もシャンパーニュが抜栓される時期では無いかと思われます。
 クリスマスにしろ新年のお祝いにしろ。
 そこでシャンパーニュに対する与太話を少々・・・。

 
 シャンパーニュ、ワインの仲間のなかでは割と歴史が浅いのですよね。
 現在のシャンパーニュの様な発泡性の物が造られる様になったのは17世紀も後半になってから、それまではシャンパーニュ地方も主として赤ワインを生産していた訳でして。
 
 そして17世紀の後半、かの著名なピエール・ドン・ペリニヨンの功績に拠りシャンパーニュが誕生する訳です。

 かいつまんで言えば、英国でワインを発泡させて飲むといった事が行われていると知ったペリニヨンがその手法を導入し、発泡性のワインを生み出したという事なのですが、もしかするとこの時期、丈夫なガラス瓶&コルク栓が開発されていた事も運が良かったのかも知れません。

 そのシャンパーニュ、当初はそれ程著名な酒では無かった様に思われます、どちらかといえばランス辺りで造られている泡の出る変わったワインといった位置づけかも知れません。

 ではどの様にして今の様なお目出度い酒、特別な酒という地位を築いて行ったのか・・・?


 先ず始めはポンパドール(公爵)婦人が好んで飲んだ辺りから、これを切っ掛けにフランスの宮廷辺りで流行り始め・・・・(18世紀中頃でしょう)、その後ナポレオン=ボナパルトが好んだという話も有って著名となり。更にこの後、クリコ婦人(ヴーヴ・クリコ)による新たな手法の発明や糖分測定技術の発達も有り、拠り安定した生産も可能になり、また味もドライとなり・・・・。

 そして世界的に現在の様なお祝いの酒パーティに欠かせない酒としての地位を築くのは、19世紀後半。
 いわば19世紀末から、という事のようです。


 では19世紀末にシャンパーニュがお祝いの酒として世界に定着したのは何故なのか?

 19世紀末といいますと、ロートレック等が活躍したパリのイメージが強いのですが、シャンパーニュを流行らせたその発信地はどうもロンドンに有りそうです。


 当時、パリには(藝術)キャバレーや、カフェ・コンセールといった物があちこちに建ち(例えばシャ=ノワール等)世紀末パリの空気を造り出して行くのですが、同じ19世紀後半、ロンドンでもミュージック・ホールといったある種の劇場酒場が多数出来、活況を呈するのです。
 そしてそれらのミュージック・ホールに出演していた芸人(歌手・エンタテナー)が実はシャンパーニュを流行らせた、といわれています。

 物の本に拠れば、その最も著名な一人が”ジョージ=レーバーン”で有るとか。
 彼は先ず始めに”シャンペン・チャーリー”という歌を流行らせ、続いて”モエット・アンド・シャンドン”という曲も流行らせた(また”クリコ”という曲を流行らせた歌手もいたとか)。
 そうしてこうした歌とともにシャンパーニュを抜栓して乾杯するといった形式が流行し世界に発信され、世界標準となって行った、という事なのです。
 そして当然その背後には新聞や雑誌&広告業の誕生といった事がある訳ですが・・・・。


 こう書きますと、結局シャンパーニュの価値はマスコミが生み出した(あるいは流行らせた)物なのか?と、いう話になってしまいそうなのですが・・・・(確かに19世紀以降、世の中の価値、何が正しいか・間違っているか?といった物はマスコミが決めている面が強いといえそうですが、あるいはグーテンベルクの活版印刷の発明が嚆矢か?)。唯、シャンパーニュという酒にそれだけのポテンシャルが無いとこれだけ著名にも普及もしない訳ですし、また時代の空気といった物もそれを後押ししたようにも思えます。


 ではシャンパーニュの魅力とは何なのか?
 それは矢張り発泡している事にが第一と思われます。

 瓶内発酵し発泡している事にに拠り、その抜栓作業が一寸儀式的といいますか、イベント的になりますよね。そうした意味でもやはり特別なイベントに相応しい酒という位置づけされるのに合い相応しいと思われます。
 また、発泡していることに拠り、その気泡とともに香りが立ち上ってくる訳でして、積極的に香りを嗅ごうとしなくても自然と香りが感じられる、人の味覚は7割以上は香りに左右されるといわれますが、この香りが感じやすい訳ですからそれは美味しく感じられますよね。
 更に、グラスの底から立ち上る泡を見ているだけでも飽きないですし、視覚も楽しませてくれる訳ですから。
 更に、適度な度数、また発泡性であることににも拠り、アルコールの吸収が早い。これも口開けの酒ととしては適当と思われます・・・・。  等々。


 また、時代も味方した面もありそうです。

 確かこの頃(19世紀)ソーダサイホン何て物も造られ始め、ウイスキー・ソーダといった飲み方もされる様になる訳ですが、こうした炭酸飲料の好まれる時代であった事もありそうです。
 ドライで刺激的な飲み物が好まれる時代、またそれらが科学とか未来、新世界といった空気とともに語られ好まれる時代。
 そういえばジンもこの頃から、”ロンドン ドライ”ジンになってゆく訳で・・・・。

 この辺りプランテーシャンに拠る砂糖の生産量が向上しイギリスにおける砂糖の消費量が飛躍的に伸び、アルコール飲料に甘さが余り必要なくなったとも言えそうですし、確かわが国でも景気の悪いときは甘口の酒が、良いときは辛口の酒が流行るなんて伝承?も有りますし、確かに19世紀ロンドン(あるいはパリも)バブル真っ盛りといった空気ですしね。

 
 おまけついでに、シャンパーニュという酒、ポンパドール侯爵~ナポレオン~ロンドンといった具合に飲まれ流行って行くわけですが、それは世界の社交文化、あるいはその発信地の移り変わりといった事も感じさせらます。

 18世紀の終わりにフランス革命が起るまでは、フランスブルボン王朝が社交文化の標準形を決めていた訳でしょうし、その後は世界帝国となった大英帝国が決定して行く・・・といった事(故に今でもフランスのブランド品が強かったり、公式のパーティーのウエルカムドリンクがジン&トニックであることが多い・・・・といった風に)等々、色々と興味を惹かれます。

 (そういえば、ポンパドール・ナポレオン・ロンドンのシティ、どれもいわばブルジョワ、市民階級上がりといいますか、プロテスタントといいますか・・・・、シャンパーニュも当時としては結構科学と親和性が高い気もしますし・・・・、シャンパーニュ、実は近現代を象徴する酒なのかも知れませんね)
 
 
 

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2015/11
21
[ #775 ]

呉市へ

 昨日は久々に日差しも有り暖かかった故、一寸呉まで。

 目的はこれ。

 
     北斎&リヴィエール


 呉市立美術館で開催中の「北斎とリヴィエール」展。

 

 浮世絵、1900年前後のパリ風俗、共に興味惹かれる対象であるという事で出かけてみた訳です。
 足は単車。東広島~呉道路の開通以来、呉の街が近くなりました。

 呉市立美術館



 さて展示ですが、富嶽三十六景×エッフェル塔三十六景が主かと思っていましたが、1階は全て「北斎漫画」の展示。
 北斎漫画、冊子等では良く眼にしていたのですが現物をこれだけの数を鑑賞するのは初めて、見応えがありましたね。その成立過程等も含めた解説も必要十分な感じで見やすかったです。版木の展示が多かったのも嬉しい事でした。

 そして2階に富嶽三十六景&エッフェル塔三十六景、およびテーマに沿った広島市立大学美術部員の作品展示という構成。
 富嶽三十六景もまとめて鑑賞させていただくのは初めてかも知れません。


 そしてリヴィエールのエッフェル塔三十六景ですが・・・・。

 富士の山という物、確かに江戸期、江戸の中心、江戸庶民の(心の)ランドマークで有った訳でして、またエッフェル塔は19世紀末から現代までのパリの中心、パリ市民の(心の)ランドマークであり、確かにそうした面では共通性といった物も多そうです。


 実は観に行く前は、富士の山も含め火山列島であるこの国において火山という存在は太古からの畏怖の対象・象徴であり、いわばアニマ的存在。対してエッフェル塔という存在はフランス革命100周年を記念して建てられたものであり、いわば”ヨーロッパ的アニマ”や文化等を習合・内包したカトリック(教会)に対する、プロテスタント(自由主義・科学万能主義・蓄財主義・・・)からの勝利宣言のモニュメントともいえそうで、似ていても本質は異なるのでは・・・・?等と思っていたのです。
 故、同じ三十六景でもかなり雰囲気方向性は異なるのでは・・・・と。


 で、観させていただきますと・・・・。これが中々良いのです。

 エッフェル塔三十六景、エッフェル塔自体を描いているかといいますと(勿論そんな作品も入っていますが)、エッフェル等が建った、あるいは建ちつつあるパリという街に住む人々を活写している面が強そうで、これが結構良いのです。

 富嶽三十六景や北斎漫画もそうですが、市井の人々に対する視点・愛情のような物を強く感じますが、エッフェル塔三十六景もそうなのですよね。パリの市井の暮らしや庶民に対する視点といいますか。
 そうした視点も含め、19世紀末のジャポネスクは成立していたのかも・・・・?と思えましたね。

 (しかし北斎の描く江戸期の庶民に比し、描かれる19世紀末のパリの庶民は陰を感じるといいますか・・・・、暗さを感じますね)


 どちらにしろ楽しませていただきました、人も多からず少なからずで(福山のピカソ展より多かった気も・・・・)。



 それから折角なのでこちらにも立ち寄り。

 戦艦展


 はい、大和ミュージアムですね。特別展示は日米最後の戦艦。

 この特別展示は一寸イメージしていた物とは異なりましたが、それはそれで・・・・。
 (大和ミュージアムとミズーリ記念館の姉妹提携記念の展示という趣旨が強そうかな?)

 そして常設店も・・・・・(何だか以前訪れた時に比べ、幾つか展示も変わっている気も・・・・)。

 しかし此処の展示、好きなのです。造船と海軍と共に発展してきた呉の街という存在・空気・歴史が良く感じられます。
 また、ガイド(学芸委員?)の方々にも展示に対す愛情のような物が感じられますし、全国から鑑賞者が集まるのも解る気がします。

 この日も多くの入館者でした。


 この日はあまり時間に余裕が無かったので早々に退散しましたが、また改めて訪れたいですね。
 いっそのこと泊まりで・・・・?
 呉の街、好きなのです。

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