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2015/10
03
[ #760 ]

百日紅

 久々に映画館で映画を観て来ました。
 どうも鷹野橋のサロンシネマが閉まって以来映画館に行く頻度が下がっていると思い付きまして、それならばと・・・。
 まあ天気も良いし単車でも引っ張り出してと出かけた訳です。

 観た映画はこちら。


           百日紅


 アニメかよ?何ていわれそうですが・・・。


 実は私、映画館でアニメ作品の上映をみるのは本作が初体験。因みに映画館は”シネマ尾道”


 シネマ尾道


 数年前に出来たという噂は耳にしていたのですが、ここも初体験。
 まあ、何事でも初体験は大事かと。


 閑話休題、何故この映画なのかといいますと。

 このアニメ映画の原作は数年前に夭逝された杉浦日向子さん、知る人ぞ知る江戸文化大好き女性。この方の書かれるエッセイ等好みで良く読んでいたのです(因みにこの映画の原作”百日紅は未読です・・・・)。
 そしてこの作品の主役は葛飾於栄、北斎の娘の女浮世絵師。江戸文化や浮世絵に興味引かれる面の多い私としては気になっていた訳です。

 
 そこで、感想。

 何せ登場人物が、於英、北斎、若いころの英泉に とと屋北渓、さらに国直・・・・ですから、それだけで嬉しいですね。
 

 そう、動く杉浦日向子ワールドが楽しめるだけで、個人的には満足だったのです(ということで一般の方の意見とは異なるかも知れません)。
 製作者の杉浦日向子さんに対する尊敬とかオマージュといったものを感じる映画でした。

 また北斎の描き方も良かった気がします。


 個人的意見ではありますが・・・・・。

 江戸中期、暴れん坊将軍(笑)に拠り享保の改革が行われた訳ですが、その改革の一つに蘭学に対する禁忌の緩和という物もあった筈です。これに拠り、特に都市部の知識層に近代的合理性とか西洋思想・近代科学といった物が普及していく訳ですが(たとえば平賀源内とか司馬江漢、解体新書等はその代表的なものでしょう)、それに拠り都市部において、それまでの日本的あるいは土着的な信仰の様な物の存在感が薄くなって行く何て事も起った様に思われるのです。
 たとえば妖怪や物の怪といった存在に対する懐疑や祈りとか、あの世といった存在に対する懐疑・・・・といった風に。
 そして都市部の進歩的な住人の感覚と従来の感覚を保つ人々の間にある種感覚の(分断というと大げさですが)差異の様な物も生まれ、あるいは個人の内面においてもある種の分裂の様な物も生まれた様にも思えるのです。
 故に江戸中期以降、妖怪絵や怪談話も逆説的に流行った気もするのです。

 そして、北斎の晩年はある種それらの統合の様な事をしていたのではと個人的には思う面もありまして。

 そして、この映画の北斎のイメージはそれに近いのですよね。

 結構、納得の映画でした。


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2013/11
03
[ #552 ]

祐天

 累の霊が菊に憑依したという事象は、ある面累が菊を人質に取り羽生村の人々に無理難題を押し付けている事とも読み取れ、そういった状況に置いては村人達に勝ち目は薄い・・・云々~と先月書きましたが、此処で祐天というヒーローの登場と成るわけです。


 では、そこで祐天は何をしたのか?
  
 まず初めに、阿弥陀経・四弘誓願・般若心経・光明真言・隨求陀羅尼・称名念仏等を唱えますが、累には全く通じない・・・。
 言い換えればそれは、当たり前の言葉に依る説得が効果を示さなかった、とも言えそうです。

 ではそれを受けて次に祐天はどうしたのか?


 庭先に出て、天に向かって吠えるのです。

 それは・・・・。


 「十劫正覚の阿弥陀仏、天眼天耳の通を以て、我がいふ事をよく聞かれよ。五思惟の善巧にて、超世別願の名を顕し、極重悪人、無他方便、唯称名字、必生我界の本願は、たれがためにちかいけるぞや。また常在霊山の釈迦瞿曇も、耳をそばだてたしかに聞け。弥陀の願意を顕すとて、是以甚難の説を演べ、我見我利のそらごとは、何の利益を見けるぞや。それさへ有るに、十方恒沙の諸仏まで広長い舌相の実言は、何を信ぜよとの証誠ぞや。かかる不実なる仏教共が世に在るゆえ、あらぬそらごとの口まねをし、誠の時に至りては現証少しもなきゆえに、かほどの大場にて恥辱に及ぶ口おしや。但し此方にあやまり有りて、その利益あらはれずんば、仏のめり法を譏る、急いで守護神をつかはし、只今我身をけさくべし。それなき物ならば、我ここにてげんぞくし、外道の法を学びて、仏法を破滅せんぞ」 


 格好良いですね。殆ど歌舞伎の台詞の様です。まあそれ故、この台詞をそのまま祐天が吠えたとは一寸思い難いのです(恐らくは作者(残寿)の創作の面も強いのであろうかとも思えます)が、それはさて置き意味は伝わります。


 つまり早い話、天(仏)に喧嘩を売っている訳で「これだけ真面目に仏法を学んで来たのに、この大一番で効果がないのはどういう事だ?此処で仏教の力を示せないのであれば、邪教を学んで仏教を滅ぼすぞ!」何て言ってる訳ですから・・・・。
 非道い話ですね。

 更にこの台詞の意味を現代風に解釈すれば・・・。
 祐天は天に向かい、更に”累に聞こえる様に”こう吠えたのでは無いかと?

 「神?仏?法律?そんな物、俺には関係無いね!!」と。

 
 更に村人に対し「菊の命を俺に呉れ、菊も殺し俺も死に、そうやって村人を苦難から救おう」と宣言し、菊(累?)の髪を引っ掴んで顔を上げさせ、本人(累?)自らに「私が悪うございました」と言わせる訳です。


 殆どヤクザですな・・・。(笑)



 
 更にひと月程後、菊に新たな霊(後に助と判明)が憑依した時等には・・・。
 菊に対し「汝は菊や?累や?」と問いかけ、相手が答えないとなると・・・いきなり髪を引っ掴み床にねじ伏せ「人が物を訪ねているのに何故答えん?ねじ殺してやろうか!」と脅す訳ですから・・・。

 まんま、ヤクザですわな。(笑)



 しかし実は、世の中こうした物かも知れません。
 現代は法事国家である等と言われますが、それは結局、世の中を(裁判等という)神を殺した後の論破ゲームに成り果てさせ、有る面小理屈を言う人間ばかり世に憚る様になる訳でして・・・。
 たとえ暴力的であろうとも、”してはいけない事はしてはいけない”と言える、躾けの出来る人間も必要な気がします。

 
 また祐天が言った「菊を殺し自分も死に、村人を苦難から救う」というあり方は、正に武士(道)と言いまか・・・。人・地域、詰まりは = ”一所” を救い守る為に、場合によっては殺人も辞さず。そうしてその罪を背負うという覚悟・・・・、正に武士(道)的と想えます。(またこの台詞辺りから、人質事件を連想した訳でもありますが)


 ではこの羽生村事件において、武士は何をしているのか?


 名主が言っています。「こんな不名誉が役人にしれたら、村の存亡の危機だ」

 この事件の当時。1670年代、既に武士は見事に官僚化、小役人化してた訳ですね・・・。



 閑話休題。この事件を切っ掛けに人々に名が売れた祐天。その後、どうなるのか?


 この事件から約15年程後、祐天は浄土教団を退団し野に下るのです。

 まあ仕方ないのかも知れません。祐天の様に個性が強く、かつ無頼な人間は組織の中では生き辛い訳で。
 結局組織というもの、その組織が大きくなればなる程、組織の主流派とは異なった考えを持った人間を、変わり者として傍流に追いやり排斥する物ですから・・・。


  
 そうして祐天が下野して3年程後に「死霊解脱物語聞書」が開版(出版)され、祐天は庶民を初め多くの人々のヒーローとなる訳です。
 確かに上の台詞何て格好良いですし・・・。(実際、祐天。江戸後期の勇み肌のお兄さんの彫り物の題材にも結構なっていたり)

 
 そこから更に約10年程後、祐天は浄土教団に復帰。最終的には増上寺の法主という、実質教団トップ辺りまで出世する訳ですから、(祐天派の成した)「死霊解脱物語聞書」の出版という乾坤一擲の賭けは成功したという事なのでしょう。


 しかし、庶民の人気・知名度だけで出世が出来るとも思えないですよね。他の力を持った(反祐天派、教団主流派の)坊主の妨害もあるでしょうし・・・。
 
 では何故、これ程祐天は出世できたのか?


 それはどうも大奥の引きが強かった事に拠りそうです。

 この時期、17世紀の終わり頃から18世紀始めに掛けての大奥、荒れていますよね。確か、絵島・生島事件が1714年頃ですし。

 大奥内部が、京都(公家)派と江戸(旗本)派に別れ勢力争いをしている時期。
 女ばかりの世界での壮絶な勢力争い。
 考えただけでもゾッとしますが、そんな状況。

 そうして、たとえその勢力争いに勝利したとしても(勿論、破れても)、大奥の女性の心には明らかに悪意が凝り固まって残ったと思われます。
 そうして大奥の女性、特にその上部の上臈の様な女性。自分の心中に巣くった悪意の存在は意識したでしょうし、取り除こうともしたでしょうし、苦しみもしたでしょう(特に年齢を重ね死期が近づけば)。

 この”悪意”というものを観念化・実体化させた物を恐らく西洋では悪魔と呼び、日本では悪霊・悪魂(玉)等と呼ぶのでしょうが・・・・そうなりますと当時の大奥の女性、自分(の心中)に悪霊が取り付いているという思いを抱いても可笑しく無い訳でして・・・。
 そこで、悪霊祓い(エクソシズム)のエキスパートとしての評判の高い祐天の出番となったのでしょう。

 現に、天英院や月光院とも大奥にて対面している訳で。違う言い方をすれば、彼女たちのカウンセラー的であったのかも知れません・・・。



 そんなこんなで、4ヶ月程色々と勝手・言いたい放題を書きましたが、怪談累ヶ淵、そして祐天、興味深いのです。
 特に祐天のそのヤクザな存在感や無頼なスタンス、ある種庶民的で解り易い雄弁の力。実は今の世の中にも求められているのでは?と思ったり。

 といいますか、祐天の様な怖いおじさんも少なくなったな。と。

 という事(何がだ?)で累ヶ淵の話は、一応これで終わりとします。

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2013/10
04
[ #543 ]

死霊解脱物語聞書

 先月、元禄3年開版の「死霊解脱物語聞書」は完全な創作(フィクション)と考えるのは無理が有り、又、寛文12年の羽生村の事件の完全なノンフィクション(ルポルタージュ)と考える事も妥当とは想えず、恐らくは事件を基にした実録小説的に捉えるのが適当と想える。しかしそうなると、死霊(悪霊・幽霊)の実在や憑依、口寄せ等の存在を肯定せざるを得ない。しかしそれは現代科学の視点からすると如何なものかと想える・・・。
 そこでもっと違った読み方は出来ないか? といった事を書きましたが・・・。



 では、どういった視点で読むと幽霊の存在の有無に引きずられなくて済むのか?


 それは、”累”という強力なクレマー(毒女・モンスター・悪女・・・・)的なる女と、羽生村の住民たち(地域社会・共同体)との闘争の記録として読むという視点。
 こういった視点で読めば、幽霊が実在するかいなかはそれほど重要な問題では無くなる気がするのです。


 では何故、私がこうした読み方をする事が面白いと思ったのか?

 それは、”菊”に憑依した”累”が”菊”の口を借りて行う村人や村の名主、祈祷師、坊主達との会話。
 この会話の展開・進め方等が現代社会で言われるところの所謂”クレーマー”と他者から認識される人々の言い回しや行動をを強く連想させるからなのです。
 それはとにかく(或いは”敢えて”)対話する相手を傷つけよう、不快にさせよう、言い負かそう、揚げ足をとってやろう目的で発せられると思われる言葉の数々であり、また、金銭や資産等に対する強い執着を思わせる言葉で有ったりする訳です。 


 では何故、所謂クレーマー等と呼ばれる人々はそうした行動をするのか?


 恐らくそれは自分が王様(女王様)として扱われたいからでは無いかと想像できます。言い換えれば特別な人として扱いをされたい。自分をそう想いたい。

 王様・女王様は何をしても許される立場。
 詰まりは”人としてしてはいけないこと=悪意を持って他者を傷つける”事をしても許される人。こう自己認識したいのでしょう。
 特別視されたい、自分は特別な人間と思いたい。その為に”他者を傷つける~相手が折れる~自分は特別と想える”の回路が出来てしまっている人。
 また金銭に対する執着も強い。大金さえ持てば(払えば)何をしても許される=特別視される、という思い。

 でも、実はそれは幼児と同じなのかも知れません・・・。
 乳幼児は、泣き喚いて他者を困らせばおっぱいが貰える、食べ物が貰える、おむつを変えて貰える。その心象と変わらない様に想えます・・・。 



 閑話休題、では”累”をクレーマーとしてこの物語を読み直しますとどうなるか?(目一杯私の主観で・・・笑)


 恐らく”累”が生まれたのは1623年頃。その後、成長につれクレーマー的な面が出てくるも(原文では累の事を「顔かたち、類ひなき悪女にして剰え心ばへまでも、かたましきゑせもの」と記してあります)、両親の健在な内はそれ程村人とのトラブルは表面化しなかった。
 そうして両親の死後、村人とのトラブルが増加、村中に”悪意の連鎖”が起こり羽生村の地域社会に存亡の危機が訪れる。そこで名主が、婿でも充てがえば累も少しは大人しくなるか?と思い婿を取らせるが、状況は改善しない。


 まあそんな物ですよね。例えば婿となった”与右衛門”が村の寄り合い等で「お前の嬶、一寸なんとかしろよ」等と言われ、家に帰って”累”に意見する。そうなると・・・、まあ恐らく累は、「何?入婿のくせに生意気な!」 この一言で終わりですわな(この手の方って、~~のくせに生意気だ!というフレーズ良く口にされる様で・・・)。

 まあとにかく、”累”の行動は改善しない。
 しかし、婿の”与右衛門”は”累”の身内として、他の村人対する義務として、何とかしなければいけない(厄介者の始末を着けるのは身内の責任)。

 そして”累”の殺害に至る・・・。

 
 しかしそうなると別に殺害で無くても良いわけでして。座敷牢に押し込めたのかも知れませんし、村から追放したのかも知れません・・・。

 どちらにしろ、現実・現世の村の地域共同体からオミットし、寺の人別に”事故により逝去”と届出る。
 こうした事でしょう。
 (こうなると”累”が死んだかどうかは程重要では無くなる訳で・・・)


 そうしてその22年程後、”累”は村社会に舞い戻り再登場する。それは”菊”という”与右衛門”の娘に憑依というかたちかも知れませんし、”菊”を人質に取って村人と対峙した、でも良い訳です・・・(実際、村人にとっては同様の効果を表す訳で・・・)。

 こうなりますと、村人に勝ち目は無い様に思えます・・。
 ”菊”という人質がいなくても、一般の(村)人は(累という)クレーマーと議論しても勝ち目は薄い訳で(何故なら、普通、会話というものはお互いが理解し合うため、楽しくなるため、無益な争いを避ける為、等々の目的・前提で成す訳でしょう。そしてそれはたとえ議論でもあっても互いにプラスとなる事を良しとして行う訳ですが、”累”のようなタイプはとにかく相手を傷つける事を目的としているのですから、前提が違いますから)、更に人質を取れれている訳ですから、村人に勝ち目は無い。


 そこで祐天という、村の地域自治の外側の人間である種の力を持った(治外法権的)人間の登場と成るのでしょう。


 相変わらず長くなりましたので、続きは次回にでも(まだ続くのか・・・・)。

 

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2013/09
06
[ #528 ]

累ヶ淵怪談

 先月は日本に数多くある怪談の中で、”累ヶ淵”怪談に興味を惹かれると書きましたが今回は其の続きです。

 累ヶ淵怪談に関しては以前、本のカテゴリーでこの本の事をアップしましたが、その昔この本を読んだ事が、累ヶ淵に興味を惹かれる様に成った切っ掛けかも知れません。


 閑話休題、累ヶ淵怪談。
 寛文12年(1672年)に下総国岡田村羽生村(現在で言えば水海道から鬼怒川を挟んで対岸、常総市羽生村)で起きた”事件”を、後に”残寿”という人が関係者に取材して書物にまとめ、元禄3年(1690年)に出版した(された)「死霊解脱物語聞書」が基に成っており、この辺りの事が非常に興味を惹かれる点で有る・・・・と書きましたが、ではこの”寛文12年の羽生村の事件”とはどんな事件であったのか?


 簡単に記しますと・・・。


 寛文12年(1672年)の旧暦1月、羽生村の百姓”与右衛門”の娘”菊”に、与右衛門の最初の妻”累”の死霊(悪霊)が憑依する。そこで村人等が集まり祈祷氏や近所の坊主等に除霊を頼み試みるも上手く行かず。それを当時、弘経寺の修行僧であった祐天和尚が見事に除霊。
 更に4月、”菊”に”累”の異父兄である”助”の霊が憑依するも、これも祐天和尚が無事除霊、”助”の霊は無事昇天した。


 簡単に書けばこんな話になりますかね。

 それを後に残寿という人間が、事件の関係者に聞き歩き一つの書物にまとめ、それが開版(初出版)されたのが事件の18年後の元禄3年(1690年)という事に成るのです。

 そしてその書物の中で”助”に憑依された”菊”の様子が、「床より上へ一尺余りうきあがり~、中にて五たいもむこと人道の中にしてかかる苦患の有べしとは・・・・」(床から30センチ余りも空中に浮遊し身体を捻る様はこの世の物とは思えない苦痛を表す)、といった風に記されている訳ですが、この辺りリンダ=ブレア主演のホラー映画の傑作「エクソシスト」を連想させる訳です。
 (そういえば、エクソシストも実話を基にしているとか・・・、)
 (メリーランド悪魔憑依事件)


 それはさておき、この残寿の行った関係者にインタビューして書物にまとめるという手法、現代で言えばルポルタージュ、あるいはドキュメンタリーやノンフィクションの手法ですよね・・・。

 しかし、そうなりますと(死霊解脱物語聞書がノンフィクションであるとすると、認めると)・・・、死霊(幽霊・悪霊)の存在、あるいは憑依現象といった事を肯定しなければ成らなく成る訳でして・・・。
 それは結局、幽霊は存在すると発言する事と同意な事として、科学万能の近現代では・・・(例えば、「UFOの存在」を力説する事と同様に)、オカルトマニア扱いされる可能性の高い行為な訳です・・・。
 それ故この「死霊物語聞書」は、学問(歴史学・国文学等)の世界ではある種”奇書”扱いされていた面もありそうです。

 では、この書物が作者(残寿)創作の完全な作り話だと仮定たとしても、それはそれで無理がありそうにも思えます・・・。
 開版当時(1670~80年代)の江戸では羽生村の事件は既にかなり著名な事件であった様子、また事件から18年後と言いますと事件の関係者はかなり存命中な筈(現に菊もその婿の金五郎も存命中)で、そこで嘘八百を書いた書物を出版する事は現実的で無い様に思えます。


 では、実際にはどうなのか?

 私が想うに、事実を基とした”実録小説”的に見るのが妥当な様に思えます。作者の残寿の主観や、如何にも坊主臭い、説教臭い言い回しも多いですしね。
 更に言えば、平家物語が浄土真宗的”諸行無常”という価値観を世間に流布する為に藤原行長(西仏という僧と同一人物の説有り)に拠って編まれた事と同様に、死霊解脱物語聞書も残寿(恐らく祐天に近い僧)に拠って”因果応報”という価値観を世間に流布する事を目的に編まれたといった事にも思えます。
 (更に穿ちをすれば、羽生村事件に拠り、世間的に余りに著名になり過ぎた祐天という個性的僧が浄土教団主流派から追放された事に対し、祐天派の人々が起死回生の策として編んだという見方も当りの様な・・・)


 しかしそういう見方をしたとしても、死霊(幽霊・悪霊)が現実に存在するか否か(或は憑依現象を認めるか)?という問題の答えには成らない訳でして・・・・。
 
 
 では学者さん等はどういった見解を出されているのか・・・?といいますと。

 基本的には、”累”の霊魂の姿、”助”の霊魂の姿をはっきりと見ている(見えている)のは”菊”唯一人であるという見解ですね(*祐天にすら見えていない)。

 どういうことか?

 詰まりこの現象は、”菊”の精神錯乱で有り、村人はその精神錯乱の激しさに巻き込まれ集団催眠に罹った(また結果的にそれを側面から強化したのが祐天というトリックスターである)。
 これは、明治に活躍した学者(哲学・心理学等)、井上円了の論理を踏襲した物でしょう。
 まあ、現代科学の視点ではこういった見解しか無い気はします。
 (一寸、無理無理な気もしますが)
 詰まり神経作用であると。
 (この学問的見解を踏まえ、三遊亭圓朝は累ヶ淵を創作落語として発表する際、頭に”真景”(神経)と付けたそうで・・・)


 私自身としては、幽霊等に関して(私個人は見た事が無い、見えない人ですが)”在ってもおかしくは無いよね~。”といった”ゆる~い”スタンスです(学者・科学者でもないですし)。
 といいますか、理解できない事は否定しない(積極的に肯定もしない)事を良しとしたいです。

 憑依・口寄せ・口走りといった事・現象にしても同様。

 (そういえば最近東北辺りでは、震災の死者の霊を降ろして遺族と対話させ遺族の心を癒すという活動も行われているとか。またそれを記録されている人々もあるとか・・・。”いたこ”の現存する東北は、ある種口寄せという”文化”が根付いている土地なのでしょうね。)


 色々書きましたが、結局羽生村事件とは何であったか(幽霊が現れたのか?、集団催眠か?)(悪霊・霊魂は存在するのか)、という事に結論は出しにくいわけでして。
 そこで私などは全く違った視点を持って見たくなるのですね・・・。
 長くなりましたので、其の辺りはまた来月にでも・・・。

 (しつこい性格の私です・・・・)  

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2013/08
02
[ #518 ]

怪談

 毎日暑いですね。そこでこの暑い日本の夏で、思い付くのは・・・・ ”怪談” ですかね?

 もっとも最近では”怪談”なんて言葉を耳にする事も減った気もしますが・・・、どちらかといえば”ホラー”と呼ばれたり。
 ホラー映画、ホラー小説、ホラー文庫・・・。また”妖怪”という物の方が一寸流行りの様ですしね。
 確かに妖怪は一寸アニメ的で現代の風潮には合いやすいのかも知れませんし、お子様受けもしそうで流行っているのかも知れませんが、しかし私のような一寸古めの人間には、やはり”怪談”の方が気になるのです。

 
 そこで日本の怪談といいますと・・・、代表的なところでは・(東海道)四谷怪談 ・(怪談)牡丹灯篭 (番町)皿屋敷 といったところですかね。
 他、・(真景)累ヶ淵 ・(鍋島の)化け猫騒動 辺りを入れても良いかも知れません。

 ハーンの「怪談」や雨月物語、といった意見も有りそうですが怪談=怪しを談ずる、と成るとやはり語り物が思い浮かんでしまいます。


 上に挙げた5つの怪談話もそうした語り物、浄瑠璃(歌舞伎狂言)や落語で世間に流布した物でしょうし、それ故か何れも少し似通った雰囲気を要している様に思えるのも確かなのですが、しかしこの雰囲気が私としては如何にも日本的で少し安心するといいますか、一寸嬉しいような(子供の頃にはそうは思わなかったのですが・・・、落語も歌舞伎も大人の娯楽という事なのかも知れません)。

 これらの怪談、何れも基と成るエピソード・事件等が有り、それが読み本等で世間に流布。更にそれを南北とか馬琴辺りが、当時の庶民好みの物を色々と習合させて浄瑠璃(歌舞伎狂言等)に仕立てて、更に幕末から明治に架け三遊亭圓朝が落語として完成させ、またそれが歌舞伎となったり、更に後には映画となったりしたのでしょうから、日本の怪談、実は圓朝スタイルといっても良いのかも知れません。似か寄るのも当然と言えば当然なのでしょう(圓朝の落語となると、それが速記本となり、日本語速記の嚆矢・・・、更に口語文語の一体化表現として我が国の小説に多大な影響・・・云々といった面も面白そうなのですが・・・)。


 閑話休題、これらの怪談で私が最も興味を惹かれるのは、実は「累ヶ淵」なのです。

 その理由は色々と在るのですが・・・。

 先に、これらの怪談は基となる出来事等があり、それが読み本等となり、歌舞伎や落語として流布した・・・、等と書きましたが。
 例えば・・・。
 ・四谷怪談、 元禄頃に田宮又左右衛門の娘”岩”が浪人を婿取りするが、其の浪人に一方的に離縁され狂乱したというエピソードが基に成っていた筈で(この時点では幽霊は関係ない)、それが後に怪談となり鶴屋南北が東海道四谷怪談として歌舞伎狂言とする。(この時点で当時の庶民好みの話が多数盛り込まれ今の形になるのでしょう)
 
 ・牡丹灯篭・・・、中国、明時代の小説が基で、京伝等が戯作化し、圓朝が落語化・・・。

 ・(番町)皿屋敷・・・、日本各地に有った皿屋敷伝説と、延宝年間の旗本書院番大久保彦六の下女の自死の話が合わさり怪談に成った物。

 ・(真景)累ヶ淵・・・、寛文12年、下総の羽生村で起きた事件が、死霊解脱物語聞書という本にまとめられそれが、歌舞伎や、落語となる。

 ・(鍋島の)化け猫・・・、全国各地にあった化け猫伝説に、竜造寺氏一族の家老格だった鍋島氏が、竜造寺一族から家を乗っ取った史実を重ねて怪談にした。
 
 簡単に書けばこんな感じでしょうが、この中で”累ヶ淵”のみが、基と成る事件自体が既に怪奇現象であり、それが”聞書”という、ある種ノンフィクションにまとめて有るのです(それ以外は基の事件は怪奇現象では無いと思われる・牡丹灯篭は基が小説)。
 
 
 この基となった羽生村の事件&其の聞き書き(ルポルタージュ?)の関係が実はかなり現代的な様にも思え、興味を惹かれるのです。


 という事で「累ヶ淵」という怪談の話を書きたかったのですが、長くなりましたので続きは次回に・・・。

 ますた

 

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2012/08
25
[ #416 ]

瀬戸田

 先日、瀬戸田を訪れてみました。近所の割には訪れる機会が無く、約二十年振りです。


 R185を海岸沿いに走り、須波港からフェリーを利用。
 途中驚いたのは、幸崎の能地の漁港が跡形も無く埋め立てられていたこと。
 能地と言えば尾道の吉和地区や豊島と同じく家船の巣。瀬戸内の漁業集落として著名な場所ですが・・・。
 時代ですかね・・・・。


 閑話休題、何はとまれフェリーで沢港に上陸。

 フェリー



 瀬戸田町(生口島)、見所は色々と有りますが今回はこれに惹かれて訪問。

 美術館

 平山郁夫美術館特別展示「海のシルクロードと瀬戸内の文化」展。興味を引かれるタイトルなのです・・・。


 拝見させて頂きますと・・・、タイトルに関連しそうな画伯の絵の展示。

 私としては文化人類学、あるいは歴史学・社会学的展示かと勝手に思い込んでおりました故、少々肩透かし。
 (冷静に考えれば美術館の展示ですからねぇ~)

 しかしそれはそれとして画伯の絵の方向性やその成り立ちが理解出来る興味深い展示でした。
 (瀬戸内の風除港に生まれ海と船を観て育ち、大戦中に思春期を過ごし広島で被爆・・・といった体験や成長過程・・・・・)


 その後、瀬戸田の商店街周辺を少し散策。

 商店街


 雰囲気の有る商店街です。昭和30年代で時間が止まっている様です。
 
 そのまま瀬戸田港辺りまでフラフラと散歩。
 この辺りは瀬戸内の港町、当然昔は色町の空気が漂っていた場所の筈です。
 (確か、昭和初期に妓楼が7軒だったか?)

 古い商家に混じって雰囲気のある建物もちらほら・・・例えば・・・。


 さざなみ スナック 三角 住之江旅館裏 好み 住之江旅館

 (瀬戸田に限らず瀬戸内のそこそこの港町、昔はほぼ何処でも遊女屋は存在していた様ですし、そうした物です。)



 其れはさておき、瀬戸田の名所と言えば・・・。

 戦後では、やはり”耕三寺”ではないでしょうか。


 しかしこれが訪れた記憶が無いのです。
 物心が付いてからは余りの著名さに少々避けていた気もします(また、所詮は近代に建てられた物でしょ?なんて思いもあり・・・)。

 それでもやはり一度は観て置かないと、と訪れてみました。


 予想以上に良かったです。
 孝養門なんて、ホント吃驚です。


 孝養門

 日光東照宮の陽明門をそのまま写して建立された物との事ですが、見事です。

 各伽藍に収蔵されております仏像等も素晴らしい物が有りますし。
 正式名称は耕三寺博物館となっていますので博物館登録なのでしょう。
 確かに博物館的要素も強いですが、それ以上に私には”仏教テーマパーク”といった印象です。

 
 宗教とテーマパークの組み合わせって?と、いう意見も有りそうですが・・・。
 江戸時代には日本各地の神社仏閣は一大観光地であり、遊び場であり、テーマパークであり、門前町は盛り場でも有った訳ですから・・・。

 また現代でも世界各地の寺院・教会等、地域の重要な観光地資源となっていますしね。
 デ○〇ニーランドだって”アメリカ文明万歳教”という宗教のテーマパークとも言えそうですし・・・(笑)。


 それはさて置き耕三寺、良かったです”潮聲閣”なんて建物もありますし。


 潮セイ閣

 耕三和上がご母堂の為に昭和2年に建築された建物との事ですが、当時流行の洋館建築と書院造りの和建築の複合の建物で恐ろしく手が込んでいます。
 先日、萩で訪れて伊藤博文邸と近い時期の物ですが、この頃(明治末から昭和初期)の建築物にも少々惹かれます。


 更に金剛館という建物(博物館)もあり盛り沢山です。

 今回の企画展示はこれ。


 金剛館展示

 「もののけが蠢く百鬼夜行の世界&もののふが輝く源平合戦の世界」

 これも楽しませて頂きました。

 金剛館の書士の方にお聞きしたところ耕三寺、昭和29年に某観光組合の人気観光地投票の一位を獲得されたとか・・・。
 実際訪れてみみますと、それも納得できる気がしました。


 瀬戸田町、季節を選んで再訪したいですね(蓮の花の咲き乱れる時期とか)(今回は一寸暑過ぎましたので)。

 (向上寺、シトラスパーク、中野集落等興味惹かれる場所も多いですし・・・)
 

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2009/10
17
[ #97 ]

 江戸の悪霊祓い師(エクソシスト)  高田衛

      

           江戸の悪霊祓い師


 江戸の悪霊祓い師   高田衛   1991・01  筑摩書房
 ジャンル  日本文化 江戸文化



 歌舞伎、落語、浄瑠璃等で有名な”怪談累ヶ淵”、それの元になった羽生村事件、そして祐天和尚を通して日本文化、日本人の心理に迫ろうとした本です。


 三部構成に成っておりまして、第一部が羽生村事件を記し怪談累ヶ淵の元ともなった、元禄3年開版の”死霊解脱物語聞書”の現代語訳並びに解説なのですが、此処だけでも読む価値有りと想わせます。
 ”累”後に”助”に憑依された”菊”の姿。またそれを除霊する祐天の姿が生き生きと描写されていて、ちょっと凄いのです。
 このまま出来るだけリアルに、かつシンプルに映画化されれば米ホラー映画の名作”エクソシスト”以上の迫力と成る事必定と思わせる程です。


 第二部は、祐天を中心に彼を取り巻く当時の幕府(特に大奥)の考えで有るとか、浄土教団の態度等から、当時の世相等を読み解くといった内容で、これはこれで非常に興味深く読めます。


 第三部は、芝居となった”怪談累ヶ淵”の成立過程から日本人の心理、水辺、河原、因果といった物を読み解く、といった構成です。


 読みやすい本とは言いませんが、江戸好き、怪談好き、芝居好きの方にはお勧めです。読み辛ければ第一部だけでもお勧めですよ。


  ますた 


 

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2009/08
08
[ #72 ]

 稲生物怪録

 先日、”稲生物怪録”の展示を見るため広島県立歴史民俗資料館(みよし風土記の丘内)に行って参りました。


 因みに”稲生物怪録”とは寛延2(1749)年に今の三次市に於いて広島藩の若き武士”稲生平太郎”が遭遇した奇怪な体験の聞き書き、ならびにそれに関する各種、読本、絵草子、絵巻物、等々の総称で良いと想います。
 私としては、元禄3(1690)年開版の”死霊解脱物語聞書”とそこから広がった各種の”怪談累ヶ淵”との共通性や違いにも少しばかり興味が有り出かけた訳です。


 で、展示内容ですが県立歴史民俗資料館にしては(失礼ですね)、もとい、入館料200円の展示としては見応えが有って良かったですね。更に、展示図録が読み応えが有りそうで思わず購入してしまいました。


 その後、広島三次ワイナリー文化交流館の展示から、三次市歴史民俗資料館の展示へと周ったのですが、三次市歴史民俗資料館の建物(古い銀行を使用)と、その周辺(旭通、本通)の古い建物群が私好みでよかったですね。 ただあまりの暑さに散策もままならず早々に退散してしまいましたが・・・(涼しくなったらリベンジしたいと想います)。
  

   ますた


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