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2018/12
21
[ #1072 ]

万作の会

 年末でバタバタしているといいますか、相変わらず貧乏暇無しな中時間を造ってこの公演を観て来ました。


   PC190887.jpg


 「万作の会」 と名づけられた狂言会です。
 場所は広島市内の明日テールプラザ。確か先月東広島のクララでも同様の公演が行われた筈ですが、そちらはチケットが取り辛く・・・。

 またアステールの中ホール、実は能舞台が設置出きる様になっているのですよね。それもありどうせ見るならとこちらを選択。
 会場はこんな感じです。

 
   PC190888.jpg


 主催の野村万作氏、最近高齢故に足の具合がとの噂も耳にしており、もしかするとこの公演も今年で最後かな?という想いも有り出かけた訳ですが確かにお辛そうでした。


 それとせっかく広島市内まで出張ったのであれば・・・、と最近話題のこちらにも立ち寄り、軽く一杯。

 
   IMG_20181219_171457.jpg


 JR広島駅北口周辺にオープンした飲食店街、”ekie”。
 気軽に駅のみというコンセプトであろうと思うのですが、確かに使い易そうです。

 はい、消費者、詰まりお客様目線でみると比較的リーズナブル&カジュアルに飲食できる空間ですが、逆に私の様に個人で飲食をしている人間からすると周辺や市内の繁華街の個人経営の飲食店に対する影響は?等とも考えてしまいます。
 まあ共存は出来るのでしょうが・・・、唯、物販店は個人店は全国的に疲弊、各地の駅前繁華街も軒並みシャッター通りと化している現状を考えると・・・・、ですね。

 そんな事を考えました。

 まあしかし側のお土産コーナー等も含め広島駅もようやく他の政令指定都市の駅並みになった印象でもありました。


 

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2018/12
08
[ #1069 ]

戦争

 今日は太平洋戦争の開戦日、77年前の今日に真珠湾攻撃が有ったのですよね(ジョン=レノンの命日という話もありますが・・・)。という事で少しばかり戦争や太平洋戦争について考えてみたくなりました。


 そう”戦争”ってそもそも何なのか?
 勿論、切り口、アプローチの方向は色々と有るでしょうが、先ずは”戦争”という言葉、これって恐らく新語ですよね?
 (因みに新語とは主として明治維新以降に英語等を和訳し新たに日本語に加えられた言葉、或いは江戸期頃に中国語から取り入れられ定着した言葉も含む場合も・・・)
 少なくとも昔から日本にある言葉=やまとことば、では無いでしょう。
 では”やまとことば”で戦争に近い物というと・・・・恐らくは戦(いくさ)。
 でこの二つの言葉、戦争といくさ、実は結構異なった位相にある気がするのですよね。といいますか”いくさ”という物の方が私には理解しやすいというか”しっくり”来るというか・・・。で、先ずは”いくさ”とはどういう事象を表すのか?というと・・・・。

 それは共同体同士の社交方法の一つではないかと。

 明治以前のこの国では地域社会という枠組み、共同体の存在が強かったと思われるのですが(例えば町とか村とか”くに”とか・・・)、そうした共同体同士で隣接した物はどうしても揉め事等が発生しますよね?で、そうした場合の解決策としては、恐らくはしきたりや慣習等に従い解決されたのでしょうが(例えば何らかの贈与とか・・・・)、それがうまく行かなかった場合は話し合いや、間に他地域の有力者に入って貰い落としどころを探るとか(まあ、色々な方法が取られたのでしょうが)、それがこじれた場合に行われるのがある種の示威行為を含めた実力行使、まあこれが”戦”ではないかと?

 また少し違った視点だと、例えばそれに参加する兵の視点等から見ると、また其れは祭祀的出も合ったりしたでしょう。
 例えば”岸和田のだんじり”とか”西大寺の裸祭り”のごとく・・・。いってみれば男を売る場というかある種冒険的というか・・・。
 (勿論実利的な面も有ったでしょうが・・・)

 そう、それ故に戦では”名のり”なんて事も行われる、「やぁやぁ、我こそはOOのXXなり、尋常に勝負勝負~~」なんてやつですね。単に勝つ事(実利)だけを考えればそんな事する必要は無い訳ですが、それこそ名を売る場、行われる訳ですね、ネッ?祭りっぽいでしょ?

 それが戦争=近代戦ではまったく無意味となる(第一次大戦辺りが転換点ともいわれたりもしますが・・・)。
 勿論それ以前にも色々な戦いでいくさ的で有ったり戦争的であったりもしたでしょうが・・・。

 例えば源平の戦い、平家方は明らかに戦(いくさ)を行ってりるというかそうした意識で戦っている。
 (例えば屋島にしろ女御衆もいてこの扇を射抜いてみろ・・・なんてやっている訳ですし、壇ノ浦にしろ・・・)
 対して源氏方、特に義経なんて戦争をやっている。
 奇襲攻撃で寝込みを襲うなんて事も平気でしますし、壇ノ浦だって船頭等の非戦闘員を狙い撃ちにしている訳ですかから・・・。  卑怯っちゃ卑怯というか、勝つ事、詰まり実利のみを追求している、詰まりは戦争をやっていると・・・・。

 そして前にも書いた様に世界的には第一次大戦辺りがその転換点とも言われていますが、詰まり戦争に参加した英国の志願兵の若者なんて、”ちょっと冒険をしてくる、とか、男を上げてくる、位の気持ちで志願したのが、現実には地獄が待っていた訳で。
 また、ドイツだって、初期は騎兵や歩兵が中世的兜を被り、突撃~、なんて感じでやっていたのが機関銃でなぎ倒され・・・・・・。

 そう確かに一時大戦辺りが転換点なのかも知れませんが、その前、南北戦争辺りがそうかとも思われたり・・・。

 何だか話しがとっちらかってしまっていますが、言いたかったのは、戦いには”いくさ(戦)”と”戦争(近代戦)”という二つの位相があるのではないかと思うのですよね。
 で戦はある種社交的であり祭司的であり、拠って、勝つ事(実利)も大事だが、勝ち方、それ以上に負け様や”卑怯で無い事”が重視される。

 では戦争は?というと・・・・・。
 それはひたすら実利的行為。勝てば官軍的というか・・・・・。
 ではその実利、利益を得るのは・・・・?というと・・・・。
 近代国家?或いは近代政府?  何だか実態が見えないというか顔が見えないというか・・・、私としては良く判らない存在。
 ではもっと具体的に誰が戦争で実利を得たのか・・・・?
 
 この辺りを考えると近代というやつの正体も見えそう?というといいすぎですかね?

 戯言でした  

 

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2018/05
21
[ #1025 ]

すい

 確か前回”いき(粋)”という言葉、あるいは価値観につい、”しゃれ”と同様江戸っ子を規定する重要な価値観、あるいは言葉ではないか?等と書いた記憶があります。
 また実はこの”粋”という漢字、関西圏では”すい”と読むのですよね(すいなお方やなぁ~ なんて)、でこれはこれでやはり難波っ子を規定する重要な価値観にもおもえたり・・・・。


 そうなるとこの”いき(な)”と”すい(な)”ってどう違うのか、あるいはどう似通っているのか? やはり考えてみたくなりますよね。

 江戸っ子の”粋な”って感覚、日本各地から異なる出自の人々が江戸という過密都市で暮らす上において無益な争いを減ずる為、・性欲・食欲・金銭欲 等に恬淡である(こだわらない、あっさりしている)様に振舞う事、あるいは他者に感じさせない事、それらをよしとする物だろうと思えるわけですが、思えば関西圏だって太閤さんの都市開発以降全国から異なる出自、価値観の人々が集まり大阪(難波)という都市を築く訳で、それは江戸という都市と変らないわけで・・・・。
 といいますか大阪周辺という地域、それよりも相当昔から港町として成立していたわけで(それこそ太古の昔から)、当然色々な出自の人間、よそ者、まれびと・・・等が訪れて来た場所、当然、無益な争いを避ける為、三欲に恬淡であることをよしとする文化は古くから育まれていた筈というか、そう思えますよね。

 で、当然”すい(粋)”という価値観にはそれらを内包している様に思えます。
 金や女や食い物に拘る(欲深い・えげつない)人って、あまり粋(すい)な感じではないですよね?というか”粋”という評価はされないでしょう。


 じゃあ、江戸の”いき”と同じではないか?となるのですが・・・・ちょっとちがいそうです。


 人前で三欲に恬淡であることは当然というかなんというか、まあそうすれば無益な争いは減るでしょう。
 ただ、それでも人間という生き物、根っこのところでは、三欲からは離れきれない、色と欲の存在は否定しきれない訳で・・・・・。

 その根っこの部分、色と欲から逃げ切れない人間の業も認める、あるいはそれを判った上で、三欲に適度に恬淡である姿、これがおそらく”すい”なのではないかと・・・・・。

 いってみれば三欲に恬淡で有ることに拘る、若い江戸っ子文化の”いき”にたいして、さらにそこから成熟し色と欲から逃げ切れないことも飲み込む大人の難波っ子というといいすぎですかね・・・・。
 あるいは建前重視の江戸にたいして、本音と建前の両方認める難波というか・・・・・。

 歌舞伎等もそうですが、江戸の荒事ってわかり易いヒーローものといいますか・・・・。
 対して上方の和事歌舞伎や文楽、浄瑠璃の主人公って、結構、色(性欲)や金、出世等々に振り回されているというか、とらわれているというか、あがいているというか・・・・そんな印象ですよね。

 それにだいいち、大阪(難波)は商都、商売の街。金銭に恬淡だと街が成立しないでしょうし・・・・ 笑 。
 

 しかし、金(金銭欲)って、三欲の中でも最もえげつないというか汚いというか(少なくとも近代以前ではそう認識されていた筈)そうした物、その金という存在と難波はどう折り合いを付けてきたのか?といのは気になります。
 銭金オンリーというか、金儲けの安直な肯定は争いを増やすでしょうし残酷な都市を生み出しそうですし・・・・。



 恐らくですが・・・・・、
 難波の商人は往事、出来る限り手形決済等を増やし、出来る限り現銀(金)のやり取りする機会をへした。あるいは定期的に読書会や勉強会等を催し”商人道”といったものの研鑽に勤めた(義を忘れたビジネスは単なる金儲けに堕するといった意の事をいったのは確か渋沢栄一だったとおもいますが、そういうものかと・・・・)。


 あともうひとつ、しゃべくり倒す。

 等というと ?????  と思われそうですが・・・・・。

 儲かりまっか? ボチボチでんな ~~~~~~~~等々というある種形式化された会話、実は、銭金のえげつなさを中和する為の作法というか道具立てというか、しつらえというか・・・・。まあそんなものと思えます。

 飲む・打つ・買う といった人間の本能というか欲望が直接現われる空間や場にこそ、設えや仕来りが発達するように・・・・。
 (たとえば西洋の競馬場のドレスコードやマナー、江戸期の遊郭文化、喫煙具や飲酒道具の様に・・・・)


 そう、公の場では三欲に恬淡であることは当たり前としつつ、色と欲も否定しきらずこなせる、これが”すい”って物ですかね。

 本音と建前の両立というか、大人というか・・・・。


 でもまあ、江戸っ子の粋(いき)も難波商人の粋(すい)も共に興味深く思えますよね・・・・相変わらずの戯言ですが・・・・。


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2018/04
14
[ #1017 ]

いき

 前回、「花競 贅二編」という江戸後期の見立て番付から江戸時代のあるいは江戸っ子の持つ”しゃれ”という感覚についてグダグダと書いた訳ですが、ではもう一つの重要な価値観”いき(粋・意気)”は・・・となりますよね?
 「花競 贅二編」でも西の方は”いき”になっていた訳ですし。

 しかしまあ、この”粋”というやつに関しては昔から色々と書かれてきてもおりますし(確か”粋の構造”なんて本もあった記憶が)、今更私が詰まらない事を書いてもそれこそ無粋という気もしますので、そこは私らしく一寸違った視点で・・・・。

 
 この”いき(粋・意気)”という価値観、”しゃれ”以上に江戸っ子を代表する価値観にも思える訳ですが、では何故この”いき”という価値観を江戸っ子が大事にするようになったのか?

 元々江戸という土地、家康が小田原征伐後に入府するまでは寒村というと大げさかも知れませんが恐らくは人口数百~程度の小さな集落だったと想われます(まあ、大田道灌の造った江戸城跡はあった訳ですが)、それがその後100年ほどで一気に人口100万程度の大都市になった訳ですよね。
 ではその100万まで増えた人口の出自はといいますと・・・・。家康入府前から江戸に住んでいた人の子孫というのは元が少ない訳ですから当然多くないですよね?多かったのは家康入府とともに移ってきた其の家臣団や周辺、三河等東海地方の人々の子孫という事に成るのかもしれませんが、それだけではなく商人等は伊勢や近江や京、大阪から多く来ているでしょうし、佃島等も関西の漁師の移住組みでしょう。また関東周辺からの流入や、越後や東北からの出稼ぎ組み等々、更に参勤交代制度がありますので全国各地の大名やその家臣、関係者、商人・・・・等々。

 早い話、全国あらゆる地域から集まった人々やその子孫によって江戸の人口は構成されていたと考えられます。


 しかし、全国各地から色々な出自や職業の人間が江戸というある種の過密都市に集まって暮らすとどうなるか?

 当然、それぞれの持つ慣習や習慣、仕来り、作法、宗派、ハレ、感覚、考え方 etc、etc。微妙に異なる訳ですよね。
 そうした異なった感覚、価値観を持った人々が狭い都市空間で暮らすとどうなるか?特に庶民と定義されそうな人々(江戸という土地、武家地と寺社地が広く庶民の暮らすいわゆる街場的空間は広くなかった)がですよね。

 当然一寸したことで争いや喧嘩が絶えなくなる。
 (実際、江戸初期の屏風絵など観ても現在の人形町辺り、旧吉原辺り等には喧嘩をする人々が多く描かれていたり)

 しかし争いや喧嘩が多いという状況は良くないですよね?基本的に哺乳類、無益な争いを避けることを是としている訳でから。治安も悪くなりそうですし、誰もうれしくない。

 では、無益な争いを避けるためにはどういった行動が大切か・・・・・。

 少々一面的ですが、”自分さえ良ければイイ”なんて態度、或いはそれを他者に感じさせるとだめですよね?当たり前ですが、喧嘩になる。

 もう少し具体的にいえば、三欲を満たす姿を人様の前では見せない。
 三欲は、食欲、性欲、睡眠欲ですが、近世以降では(睡眠欲の代わりに)”金銭欲”。
 これらはいってみれば、生き物が自らの生命維持の為の動物的行為、つまり個体の生存競争に直結する行為な訳で、そりゃそれを前面に出すと争いに成りますわな (笑)。

 で、それらを人様(他人様)のいる場所では出さないようにすれば争いも減じると考えられる訳でして・・・。 


 そう、いってみれば”いき(粋・意気)”とは、食欲・性欲・金銭に恬淡(てんたん=あっさりしていること)である事をよしと感覚と言って良いかも知れません。
 江戸落語なんてこの価値観が根っこにある故の江戸落語でしょうし・・・。

 もう少し具体的に言えば・・・・。

 よく言われる「江戸っ子は宵越しの金は持たない」なんて言い回しは金銭に恬淡で有る事でしょうし。「饂飩なんて腹の膨れる物が食えるかい、とか、腹が減ってるから蕎麦をくってるんじゃねぇ香りを楽しんでんだ」なんてのは食欲に恬淡であることに意思表示でしょうし、「大門を清い体で出れるなんて冥加なことだ」なんてのは性欲に恬淡であるということでしょう・・・・・。


 唯・・・・

 実際にはこれらを大きな声でいうと台無し。

 ”宵越しの金は持たねーんだ!”なんて大きな声で年中言っているやつ、それこそ「意気がっている」或いは「野暮」といわれる。

 まあそりゃそうですよね、”俺が俺が”、”わかってわかって”、は結局自分だけよければですから・・・・・。


 さりげなく他者にかんじさせて・・・・じゃないとね(難しいですが)






 

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2018/03
05
[ #1010 ]

しゃれ

 先月、”おしゃれ”という言葉はある種江戸時代後期を代表する価値観のひとつである”しゃれ(洒落)”が基ではないか・・・?等と書いた記憶が有るのですが、では江戸時代の洒落、あるいは洒落ているといった言葉、具体的にはどんな価値観や行為だったのか?等とも想ってしまうわけなのです。

 そんな事をグズグズと考えておりますと、思い出したのが以前どこかで目にした記憶のある”番付”。
 具体的には”花競 贅二編”という見立て番付ですね。

 そう江戸時代も後半になると相撲の番付に見立てて色々な番付が刷られ人気を博したようなのですが、現代に置き換えますと”何でもランキング”といった感じですかね。

 そして”花競 贅二編”の番付は言ってみれば、男がやりたい贅沢な遊びの番付といった内容で、具体的にはこんな感じです。


 
 

       番付


 この番付、相撲番付で言えば向かって右、東が”しゃれの方”となっているのです。
 因みに左、西は”いきの方”と成っています。

 で、これを観れば当時の江戸っ子の”しゃれ”の意識が想像出来るかな?なんてね。


 そして、この中で”しゃれた”贅沢遊び筆頭は伊勢の”多々馳走籠”となっております。
 これはオンシの用意する贅沢な駕篭で居たせりつくせりの伊勢参り、という事でしょう。
 因みに対応する”いきな”贅沢遊びは安芸の宮島の”七夷船廻り”となっております。

 で次が、しゃれの方が”川一丸家形船”での川遊び。
 これは当時著名な豪華屋形船、一説には贅沢にやれば一晩300両ほども掛かるとか掛からないとか。
 今で言えば、隅田川かお台場辺りの花火大会に、巨大なモーターヨット(クルーザー)で出張ってフライングデッキで銀座のクラブの綺麗どころをはべらせシャンパーニュを・・・といった具合ですかね?

 対応するいきの方が”加茂川夕涼”。
 個人的には加茂川を見下ろす(貸し)座敷で馴染みの芸妓さんや舞妓さんと・・・・・といったイメージかな。



 とまあこんな感じなのですが・・・。

 こうしてみると、しゃれの方の遊び、言ってみれば誰でも知ってるメジャーな遊び。その分ミーハーというか何と言うか・・・・。 
 似合わない奴がやると、単なるお馬鹿?といった感じになりそうですし、それなりの人がやってもちょっとね・・・・、という感じですかね?

 でいってみれば、その馬鹿を承知でやる”遊び心”これが”しゃれ(洒落)”
 あるいは”しゃれっ気”かな?


 しかしこれはこれで結構難しそうです・・・・。

 先ず、結構金が掛かりそう(まあ、その無駄使い感がしゃれなのでしょうが・・・)。
 また、一応金さえ有れば誰でも出来そうですが、下手すると単なる下品な馬鹿になりそうですし。
 これがいい感じで洒落た感を醸し出そうとすると、そうとう・・・・。

 またこの番付の下のほうに、料理の部でしゃれの方が”初松魚(カツオ)のなまりぶし”なんて有るのですが、まあこれなんて典型的な”しゃれ”に思えます。
 江戸の後期、最盛期には一本数両(今で言えば10万円以上した)初鰹。またそれは新鮮さと初物に対する対価だった訳ですが、それを敢えて”なまりぶし”にしてしまう。
 まあ、見事というか何というか。それこそ「洒落だよ、しゃれ」という言葉が聞こえそうで・・・・。


 で初鰹のなまりぶしに対するいきの方は?といいますと・・・”鉢植え茄子ノ新漬”。 
 渋いですな。

 そう洒落は遊び心(まあ程度ものという気もしますが・・・・)ですかね?ただしスマートにやれれば・・・・といった感じですかね。

 思えばファッションもそんな気がしますよね。
 スマートで一寸遊び心が感じれれるのが”おしゃれ”の基本という気も・・・・・。


 ではもう一方の”いき(粋)”という価値観は・・・・?

 これは長くなりそうなので次回にでも・・・・。







 追記

 閑話休題、この”花競 贅二編”という番付結構お気に入りなのです。

 何がって・・・・、当時の色町の名前や関連がてんこ盛りなのです。

 番付の中央、行司の部分に・・・
 ・江戸吉原・京島原・大阪新町・長崎丸山・大阪島之内・祇園新地。
 更に・品川・三国・博多・室津・鞆の浦・・・・他・宇都宮・船橋・岡崎・吉田・松戸・甲府 とありまして・・・・。

 更に本文中に・・・・、
 ・伊勢・下関・新湊・有馬・駿河・潮来・鳥羽・水戸・・・・・といった具合。

 ともかく面白いのです。


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2018/02
21
[ #1008 ]

ドナルド=キーン

 先日、図書館にて借り出した本は日本文学者のドナルド=キーン氏の著作なのですが、楽しく読ませていただきました。
 
   
     ドナルドキーン

 日本文学の歴史 ⑨   近世編3

 
 ドナルド=キーン氏、たまにTVの画面に登場されたりされますが、私としては何といいますか全身からこの国、あるいは日本語というものや日本の文学、文芸に対する愛情が溢れている印象を受ける方でして以前から気になっていたのですが、未だその著作に触れたことが無く・・・。
 それが先日図書館でこの本を見かけ思わず借り出した訳です。


 全集形式といいますかかなりの冊数のあるシリーズで、初刊から読み通す気力は今の私には有りそうに無かった故に、先ずはこの一冊を選択。

 ”近世編3” ということで対象は江戸後期、享保の改革の後から幕末が範囲ですね。浮世絵等江戸という時代に興味惹かれる私としてはここになります。
 
 内容は背表紙に記された目次から判断していただければ・・・・。


    内容


 
 読後感ですが、訳の良さも有るのでしょうが江戸期にわが国の文芸の流れといいますかアウトラインといいますか、それが非常にわかり易く、楽しく読めました。

 勿論、私個人の見方とは異なる面もというか・・・も多いのですが・・・。
 例えば基本的に江戸中期の洒落本や狂歌やその作者に対する評価低いです。
 離世的で無為、社会風刺も無く文学的に見るものは無い・・・云々、といった感じで。

 まあ、西洋近代文学学(ちょっと変ないいまわしになってしまいました)、あるいはその研究者からすればそうなるのでしょうが、まあ私などはそこが好きだったり。


 閑話休題、この一冊でも相当な内容といいますか、現代の日本人でも一般の方では日本の文芸に対しこれほどの知識といいますかを持たれる方は少ないのでは?と思います。またこの国の文化の魅力といいますか、この国の人々をそうたらしめているメンタリティーといいますか、内面といいますか感性といいますか、それらを再認識させていただいた気がしますし、またそれらが好きになる内容でした。
 そう著者の日本、あるいは日本語や日本の文芸に対する愛情を感じる本でした(この国を好きに成るってこうしたことのような気が・・・・)。
 また同時に振り返って現代の日本人の愛国心とは?等とも考えさせられたり・・・・。

 
 ハイ、魅力的な一冊でした。





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2018/02
02
[ #1003 ]

おしゃれ?

 最近はそうでも無いですが、たまに初見のお客様等から「おしゃれな店、こじゃれた店、等々」の言葉をいただくことがあります。
 店主である私としては全くもってそうした意識は有りませんので(普通のとか、場末感漂うとか、ありきたりなとか、古いやり方・・・等々なバーだと想っております)、少々”?????”と思う面も有るのですが、まあそれはそれでお褒めいただいている訳でしょうから素直に感謝でもある訳ですが。
 あるいは、それ程意味があって発せられる言葉でも無いのかも知れませんし(例えば女性達が色々な物や事象に対し”カワイイ”という言葉を良く使われる事と同様に)、それほど意識する事も無いのが良いなでしょう。

 唯、私のような面倒くさい性格の人間はツイツイ、”おしゃれ”ってどのような物や事象や状態を表す言葉なのか?とか、そもそも”おしゃれ”ってどういう物なのか?等と考えてしまったりするのです。

  
 まあ”おしゃれ”という言葉、その意味とか使われ方は時代と共にかなり変化している訳でしょうし。特に最近は、先に書いた”カワイイ”なんて言葉同様に非常に便利に、故に乱用されている気配もありまして・・・・(まあ、故にちょっと耳障りだったり・・・と 笑 )。

 これがもう少し(数十年)前だと、ちょっと古めかしい言葉の印象ともあったり、ちょっと気恥ずかしい印象もあったりした記憶が有るのですよね。

 更に言えば、当時の雑誌や文章を読んだり観たりした印象ですが、昭和の20~30年代くらいには当たり前に(特に女性に)よく使われた言葉という印象もあります。
 
 また、昭和の後半の時代には、外面だけでなく内面の”おしゃれ”が大事といった方向や論調にむかったきらいもあった様な記憶もあったり無かったり・・・・。


 ではその前はというと・・・・・(まあ私の勝手な妄想。推察ですが・・・・)。

 大正、昭和初期は”おしゃれ”という言葉よりも”モダン”という言葉が流行していた気配が・・・(モボとかモガとかね)。

 で、明治は?

 小説など、特に男性が書いた物では”酒落”(しゃら、しゃらく)なんて言葉が使われたり。
 洒落(しゃら・しゃらく)という言葉はそうとう古そうです。
 ただ”おしゃれ”という言葉はあまり小説等で読んだ記憶は・・・・(まあ当時小説は未だ文語が主体の面も有るでしょうし・・・・)。
 
 ただ、口語ではそこそこ使われていたのでは無いかと想うのですよね。

 特に女性の間では。

 酒落(しゃら)なんて言葉を書きましたが、これに接頭語の御(お)を付けて”御酒落”(おしゃらく)なんて使い方も有ったようで、これは今でも”オシャレ”と読めますし。
 名詞や形容詞に接頭語の”お”をつけてるのは女性言葉という面が強そうですから(あと京なまりや山の手言葉といった印象も、また漢字で”御”を付けると丁寧語になりそうだったり・・・・・)。
 またゆえに”気取っている”等の負の印象を受ける場合や方も・・・・・。 



 閑話休題、その前、江戸時代は”しゃれ”という言葉や価値観は良く使われた様に思えます。
 ”洒落本”なんて存在、江戸を語るには欠かせない気もしますし。
 (ちなみに”しゃら”という言葉、遊女を表す場合もあったり・・・・)
 
 あと似た言葉で”いき”なんて言葉もそれこそ江戸を代表する価値観にも思えたり。

 また、これが江戸の前期頃までだと”伊達(だて)”だったり。

 とまあこの手の言葉、考えれば考えるほど面白いのですよね。
 
 まあやりすぎると切りが無いので続きはまた。ちょっと長くなりましたし。



 追記

 そういえば江戸中期の著名な浮世絵(師)。
 写楽(しゃらく)。

 そう考えると、これを生み出した蔦重は、やはり洒落(しゃらく)と写楽(しゃらく)を掛けていたのでしょうね。
 らしいといいますか。

 となると(以前ちょっと書きましたが)、写楽の存在は・・・・・。

 なんてね。

 
 

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2018/01
05
[ #993 ]

お笑い

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
お正月はゆっくり過ごされましたでしょうか?
 私はというと今年もカウンターの内側で年越し、ということで相も変わらずで・・・。

 しかし年々正月らしさといったものも減じているようにも思えます、コンビニエンスストアやショッピングセンター等元日から開いていますしね。子供の頃はそうしたお店も三が日は閉めていた様な記憶もありますが(もしかすると田舎故という事もあったかも知れません・・・)。
 またそんなこんなで子供の頃の正月というと、TVでやっていたお笑い番組を結構観ていた印象があるのですが、最近は殆ど観なくなりましたね。
 といいますか、何時頃からかTVのバラエティー番組やTVドラマといった物を殆ど観なくなったのです。
 
 そんな私ですが、たしか先月の中ごろ、ネットのニュースサイトか何かで”ウーマンラッシュアワー”という芸人が披露した漫才が凄かった(あるいは笑えない)といった事が結構でていて・・・・気になってその漫才をネットで観て見た訳です(便利な時代ですね)。
 
 で、感想はというと・・・久々に笑える漫才を観させていただいたといいますか、一寸懐かしいといいますか・・・・。
 そう昔の漫才って、ああいった風刺的な側面がけっこう強く、そこが笑えたという印象が有るのです。


 上にも書きましたが何時ごろからかTVのバラエティー等を一切観なくなったのです、それはおそらく1980年台の初めくらいから。そしてウーマンラッシュアワーの漫才はそれ以前のお笑いの空気を感じた訳でして・・・・。
 
 おそらく其の頃、1980年代になった頃から所謂”お笑い(番組)”の質が変わった印象なのですよね。
 

 ではそれ以前の”お笑い”は、更にいえば”笑う”という行為とは?

 個人的見方ですが”笑う”という行為、霊長目の”パントコール”と同様、あるいはそれに端を発するものだと思えるのです。そしてサル等が発するパントコール、解釈は色々有るでしょうが仲間(身内)と敵を分ける行為、あるいはそうした状況で使われる、あるいは意味を持つ行為と思われるのですよね。
 昔から言われませんでした?
 公の場で大きな声で笑うな。とか、見ず知らずの人の前で笑うな。とか。
 そう、見ず知らずの人とは中々笑えないですし、仲の良いグループとか共同体の中でリラックスしていると自然に笑えますしね。
 笑うという行為はそうした物だと思えるのですよね。

 下手に見ず知らずの人の前で大きな声で笑ったりすると・・・・
 「ワリャー、なに人のこと笑よーんなら (怒)」 とか 「ワリャ、今、ワシのこと笑ろーたろーが (怒)」
 となるのもそうした査証ですよね。


 何だか話が横道にそれていますが・・・・。

 そう1970年代以前の笑いとそれ以降のものの違いって話で・・・・。

 なんといいますか、1970年代までは多くの日本人。お笑いを楽しむような時といっても良いかも知れませんが、そうした人々の自己認識に、”庶民”というものが有ったのではないのかと思うのですよね。

 其の頃までは、漫才にしても落語にしても。演じるのも聞くのも(観るのも)、基本的に庶民。あるいはそうした意識が有ったのでは無いかと思えるのです。生活者といっても良いかも知れません。 
 そうした庶民が日々の生活で色々と足掻きながら暮らしている、その足掻きが滑稽だったりして、其の姿に共感しつつ笑えるというのが実は日本の伝統的話芸というか・・・庶民芸能の本質というと大げさですがまあそうした物ではないかと思えるわけで・・・・。

 たとえば、往時人気だった藤山寛美の新喜劇だってそうですし、それ以前、名作と言われる古典落語(文七元結にしろ芝浜にしろ)もそうですし、古くは近松の世話物もそうですしね・・・・・。

 そして80年代ころになるとバラエティー番組で演じられる笑いが、そうしたものから”弱いもの虐め”の物に変わってきた気がするのです。そして個人的にはそれらは笑えない故そうした物(バラエティー等)は一切観なくなってしまった・・・・。
 またその後もそうした”弱いもの虐め”的なものがどんどん多くなっていった気がするのです。


 結局其の頃から、日本人のメンタリティーも変わったのかも知れません。
 確かわが国がGNP世界第二位になったのが1968年だったと記憶するのですが、その後の70年代は石油ショック等もありそれを実感できる部分は少なかった気がするのです、それが80年代となり、バブルに一直線に向かうごろから何かが変わった気がします。

 何と言うか”俺たちは金持ちな日本人だ・・・”といった自意識が芽生え、強くなっていった気が・・・・。
 (確か東南アジア等への買春ツアーなんて事が問題視されて来たりしたのもこの頃のような・・・・)

 つまり自分たちは”庶民”ではなく所謂”勝ち組”だという自意識に変わっていったのがこの頃からという気がするのですよね。
 (勝ち組なんて言葉がはやるのは未だ先ですが)

 で、笑いも庶民の悲哀といったものから、弱いもの虐めの下衆な物に変わっていったと・・・・・。

 そして現状は・・・・。



 そんな事を考えさせられた、ウーマンラッシュアワーの漫才でした。

 

 

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2017/10
06
[ #970 ]

筑前琵琶

 ”筑前琵琶”の演奏を聴いて来ました。新たに開園した仙石庭園の開園感謝観月会です。

 仙石庭園、存在は以前から知っていましたがこの度正式に開園となった事を聞き及び先月辺りからしばしば訪れていたのですが、十五夜(当日は旧暦八月十五日でした)の月の下、琵琶の演奏が行われると聞き及びいそいそと出かけた訳です。



    004.jpg



 当日は見事に晴れ渡り美しい月の光、その下での琵琶の演奏。
 良かったです。



 北風が強くマイクがその音を拾ったりと、で・・・どうなるか?等といらぬ心配などもしたのですが杞憂でした。
 といいますかその風の音や周りの風景・雰囲気、青く冴え渡る月、これらのが演目の”敦盛”に見事マッチし・・・、侘び感満点・・・。
 兎にも角にも演者の奥村旭翠氏の見事な琵琶の音色とともに、震える程でした。


  琵琶


 唯私、防寒対策を忘れていまして・・・・これはこれで寒さにも震えてしまいました。


 当日はえらく冷え込み(まあ故に月が冴え渡って呉れたのでしょうが)、そこに結構な北風・・・・、それもあり、また仕事も有りということで途中退席となってしまいましたが、良かったです。

 もし次があるのであればしっかりと防寒対策をして出かけたいですね。

 
 
 といいますかこの仙石庭園、自宅から遠くないので機会をみてしばしばお邪魔させていただこうと想っております。
 (もうすぐ紅葉シーズンでもありますし)

 近所にこの様な庭が開園しありがたいです。

 

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