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2018/05
31
[ #1028 ]

LUCKY

  LUCKY(ラッキー)


 といっても特別に何か幸運なことに出会ったというわけではないのです・・・・。
 (といいますか、どちらかというと私という人間、普段から、幸・不幸 運・不運 ラッキー・アンラッキー ・・・・といった考え方はあまりしないタイプでして・・・。特に単車なんか乗っていますと転倒の原因等を”不運”に帰結すると同じ過ちを繰り返す気がしますしね・・・。)


 先日映画館で「LACKY」というタイトルの映画を鑑賞て来ましてその話なのです。

 
 
 一月程前でしょうか、どこかで(ネットの情報だったとか・・・・)この映画の事を知りどうも気になっていたのです。
 で、たまには映画館に足を運ぶか・・・ということで先日観て着ました。映画館はシネマ尾道です。


   IMG_20180528_152834.jpg


 閑話休題この映画、何故私が気になったかといいますと、どこかのネットで「ロックな生き方を貫いてきた一人暮らしの老人男性が自らの死期が遠くないことを悟ったとき、どう死と向き合うか・・・云々・・・」といった内容の映画だと紹介されておりまして。
 まあ、”ロックな生き方”たる物の定義なんて良く判りませんが、何となく雰囲気は伝わりますよね・・・・。

 また映画館の紹介では「一匹狼の偏屈な老人が静かに死と向き合っていく姿をユーモアを織り交ぜながら・・云々・・・」と記してあったり。

 さらに公式ポスターでは「90歳の気難しい現実主義者が人生の終盤で悟る、”死とはなにか”云々・・・」という小見出しが着いていたり・・・・・。


   IMG_20180528_133432.jpg



 ロックな、一匹狼、偏屈、気難しい、現実主義者・・・・・。

 これらの形容詞って人事では無い気がしまして・・・・ 笑 (どうも私という人間、一部ではそう噂されているとか・・・?)。

 どちらにしろ、「無頼な人間がいかに死に対峙するか?」という内容とおもわれ、それは気になるというか身につまされるというか・・・・。



 観た感想ですが・・・・。



 いいたい事は良く判ります。

 というか判りすぎるくらい判ります。


 まあ、普段私が考えている事というか、態度というか、姿勢というか・・・・。
 そしてそれ故に、少々、差異が、細かい言い回しが・・・気になるといいますか、物足りないといいますか・・・・。

 東洋思想(あるいは仏教思想)の影響からくる台詞等、クライマックスとも言えそうですが、何せ私は本家本元の日本人ですからねぇ・・・・。
 ”無”とか”空”とかアメリカ人に言われても・・・・というと言い過ぎかな?

 そう確かに良い映画なのですが、そこはアメリカ映画というかアメリカ人のメンタリティーに立脚しているわけで、特にこうしたセンシティヴなテーマとなると、そのメンタリティーの違いにどうしても違和感が拭えないというか・・・微妙に・・・・・。


 また思ったのですが、同じテーマでフランス映画だったり、日本映画だったりするともっとシックリ来そうな気がしますね。
 といいますかそうした映画を観てみたく思いましたね(既にありそうですが)。


 そんな映画でした。





 追記

 ポスターの見出しに「HARRY DEAN STANTON IS LUCKY」と書かれているところをみますと、この映画が遺作となった主演の”ハリー ディーン スタントン”自身をかれの友人達が撮影った映画とも言えそうで、なんというか身内感というか、身内ノリ、といった印象を受けたのもちょっと物足りなさの原因かも知れません。

 まあそれはそれとして、現実主義者=リアリスト という言葉のニュアンスなんてことも考えた映画でしたね。


 個人的には、”リアリスト”ってロマンチストやセンチメンタリストと対をなす言葉で、ロマンチスト=明るい未来が来るはずと夢見ている楽天主義的人、センチメンタリスト=昔は良かった、つまり現実や未来は詰まらないとするやや悲観主義者、リアリスト=今の現実をドライに見つめる現実主義者・・・といった見方なのですが・・・。

 この映画(あるいはパンフ)でも、”現実主義=状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え”と記していたりなのですが・・・同時にアメリカ(人)では、キリスト教の神や天国に対する懐疑的態度というか否定というか、そうした意味も強そうに思えましたね。


 そんな映画でした。


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2017/11
10
[ #980 ]

フレッド アステア

 先日ある方が下さった本。


    表紙

 「The Fred Astaire DANSE BOOK」    フレッド アステア ダンス ブック。


 1962年アメリカで出版のフレッド アステア ダンス スタジオ のダンス教本です。


 
 これが面白いのです。

 因みに”フレッド アステア”といっても若い方やダンスに興味の無い方は判らないかも知れませんが、戦前1930年代から戦後の時期にかけて活躍した映画俳優(かつダンサー&歌手)で、アメリカのミュージカル映画の基礎を造ったといいますか、全盛期を支えた方ですね。
 因みに裏表紙に当時の顔写真とサインが・・・・。


 裏表紙

 

 恐らく代表作は「カッスル夫妻」とか「踊るニュウ・ヨーク」とか「ザッツ・エンタテイメント」辺り・・・・。
 (個人的には初期作品がいかにもといった雰囲気があって好きですかね。曲もコールポーターだったり・・・・)

 で彼の後をついでミュージカルの主役となったのが「巴里のアメリカ人」や「雨に唄えば」のジーン=ケリー。


 その後は・・・というと、こうした典型的ミュージカル映画は受けなくなり・・・・・。

 まあストーリーはワンパターン&常にハッピーエンド、といったいかにもアメリカ映画。この能天気さはベトナム戦争が問題視される頃から廃れていき、ハッピーエンドではないアメリカ映画(ニュー アメリカン シネマ)におされて衰退する訳で。
 そう、「イージー・ライダー」とか「真夜中のカーボーイ」とか「ボニー&クライド」とか・・・・。
 (個人的にはスケアクロウなんて好きですかね)

 相変わらず話が脱線気味です・・・・

 
 閑話休題、このフレッド=アステアのダンス。タップは当然巧い訳ですが(タップこそがアメリカのダンスの代表といったイメージが私にはあります)、それ以上にフォックストロットの名手の印象が強いですね。
 軽やかに滑るようなダンス。或いは歩くように踊り、踊りながら歩くというか・・・・・。
 (因みにジーン=ケリーのダンスは、もっと床を踏んでいるというか、力を感じるというか、ヒップホップの萌芽というか・・・そうした印象ですね)


 で、この本を開いてみると・・・・足型など丁寧に書いてあるのですが現代とはかなり違うのです。

 例えば、フォックストロットが、スローフォックスとクイックステップ(加えて言えばブルース)に分かれていないのです(1962年当時、未だ分化はされていなかった訳では無い筈ですが・・・・)。

 こんな感じで・・・

 フォックス


 他、チャチャチャのニューヨークというフィガーがクロスオーヴァーという名で紹介されていたり。

 チャチャ


 まあ競技向けではなくパーティー向けの本、あるいはアステアの様に踊りたい人向けの本なのかも知れませんが、色々と興味深いのです。
 (一寸アステア主演の映画を再見したくなりました)



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2017/10
18
[ #974 ]

エルネスト

 昨日、某ワインインポーター様の試飲会の為広島市内に出ていたのですが、折角市内まで出張るのであればと映画も一本観て着ました。久々の映画館です。

 観ました映画はこちら・・・・、


         エルネスト


 「エルネスト」    場所はサロンシネマです。

 
 日系ボリビア人、”フレディー=前村(作戦時名エルネスト=メディコ)”を描いた作品です。
 因みに”エルネスト”なる作戦時名は”エルネスト=チェ=ゲバラ”が名付けたとか。
 今年がゲバラと前村、両氏の没後50年という事で制作された映画という事の様です。


 感想ですが、坦々とした描き方の中に迫力と雰囲気をかんじさせて呉れる私好みの映画でしたね。

 また主演のオダギリジョー氏の演技というか存在感というか雰囲気というか、登場時から日本人というよりも”いかにも日系ラテンアメリカン”といった感じで、台詞のスペイン語も見事といいますか・・・・(まあ彼のスペイン語がネイティヴから聴いてどうなのか私には判断付きませんが)。

 また映画のスタートがゲバラ氏の広島訪問から始まるのも驚きといいますか(広島の人間なら一度は観ても・・・等と想ったり・・・・ )。
 そう没後50年という事で、ゲバラ氏に対する色々な再評価もされている様ですが、広島訪問といった行動も含めその存在や影響といった事を考えるのも良いのかとも想ったり。

 そうした意味でも観て良かった映画でしたね。


 また、映画の中で”ゲバラ”氏が”自由”という言葉を多く使っているのですがこの自由という言葉、結構捕らえ方が無難しいというか、多様過ぎるといいますか。

 自由を標榜する米国が一方でラテンアメリカの国々を経済的植民地化し、そこでの人々が当たり前に生活する”自由”を奪っているという事実、そしてラテンアメリカの庶民の”自由意思”に基づいた生活・・・云々といった意味で使われている訳でしょうが、どちらかというと私としてはゲバラ氏がどこかで言ったといわれる「農民の悦楽」といった言葉の方がしっくり来る気も・・・・。

 日本風に言えば「民のかまど・・・・」といった感じで・・・・。

 蛇足ながら、この”民のかまど”満たすのが実は保守なのかとも想ったり・・・・。

 というのもこの映画を観てもう一つ思い出したのが、広島県出身の国会議員”亀井静香”氏がこの度政界を引退されると発表された事。

 確か氏の尊敬する政治家の一人が”エルネスト=チェ=ゲバラ”氏だった筈(確かもう一人が”大塩平八郎”だったと・・・)。
 そうした保守観を持たれていた政治家の方が引退されるのも、また時代の流れかと・・・・・。


 閑話休題、好きなタイプの映画でした。

 

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2017/09
30
[ #968 ]

ウイスキーのはなし 8

 前回まで、ビールは宴会向けのお酒で”とりあえずビール”なんて言葉がそれを象徴している様にも思える、またそのビールも”クラフトビール”という言葉が使われ始めた今世紀初頭辺りから嗜好品的(個人的、趣味的)飲み方をする方も増えてきた・・・云々というはなしを書いていた気がするのですが、では(特にここのところ)趣味的飲み方のされる事の多いウイスキーはどうなのだ?ということを考えてみよたく想うのです。


 そう、ウイスキー。宴会等で差しつ差されつといった飲み方には向かない印象が強いですよね・・・・。
 日本式に水割りで飲むにしてもそれぞれ好みの濃さがあったり、最近流行のハイボールといった飲み方なんて当然差しつ差されつはやり辛いです。オンザロックやストレートなら出来ない事は無いですがそうしたイメージではないですしね・・・・・。

 そうウイスキーは個人個人で飲む印象が強い訳でして、そうした日本式の宴会的飲み方からは遠い位置にいるお酒に思えます。
 まあ洋酒ですしね。
 それでもテキーラやウオッカ等のホワイトスピリッツなら、皆で一気飲みというかたちで宴会的飲み方も出来そうですが、ウイスキー(或いはブランデーも)はそれとも違う印象。

  

 ではウイスキーが我が国で昔から嗜好品的(趣味的)の飲み方をされていたのか?というと実はそれも一寸違う気がするのですよね。
 (もっとも昔からそうした飲み方をする方は少数ながら在ったでしょうが、それはどんな酒だろうが食べ物だろうが時代だろうが少しはいらっしゃるでしょうから)

 ではその昔(言ってみれば明治から昭和の後半位まで)、我が国でウイスキーはどういう(飲み方をされる)酒だったのか?



 私が想うのは、ヒエラルキー的な意味づけが強く出た酒・・・・・ということ。


 どういうことか?


 もちろん先に書いたように、個人をベースに飲まれる事は多かったでしょうが、其の中でもある種のヒエラルキーが意識される酒では無かった?という事。


 判り易く言えば・・・・。

 例えばバーやスナック、クラブ等々で飲む場合において・・・。
 平社員は二級のウイスキー(例えばS社だとトリス)を、係長クラスは一級(同じくホワイト)を、課長クラスは特級(オールド)を、そして役員クラスや社長などは、スコッチウイスキー(いわゆるジョニ黒等)を、といった事がかなり明確に意識されていたのではないかという事。
 つまり最近の様に各銘柄の細かい香りや味の違いを個人的に或いは趣味的に楽しむ、という飲み方とは少し異なった飲み方されていたという事。
 当時の邦画等を観ても其の辺りが意識されるシーンは多い気がします(例えば黒澤明の”悪いやつ程よく眠る”とか・・・)。

 
 勿論それは我が国の酒税法上の級分け(特級・一級・二級・三級)の存在が大きいのでは?という意見もありそうですし、確かにそうした面も有ったかもしれませんが、日本酒(清酒)等はそこまで意識されていない印象もありますしね。

 勿論、酒類全般にそうしたヒエラルキーというか、立場・身分的な意識、イメージは有ったでしょう。
 例えば、職工さんたちや肉体労働者は焼酎とか・・・・・。
 (そうなるとウイスキーは都会のホワイトカラーのヒエラルキーが反映される面の強かった酒ともいえそうですが・・・)

 

 閑話休題、ではウイスキーが今の様に嗜好品的飲み方をする人が多くなったのは何時頃からかなの・・・・?

 はっきり何時とはいえないのですが80年代位かな?という気はしています。そして本格的になったのは90年代に入ってからかなと・・・・。
 
 
 そう80年代に入ると”新人類”とか”おたく”という言葉も生まれ、ヒエラルキーよりも個人の趣味等を重視する人々が増え(そこには70年代半ばころからの一億総中流といわれる社会状況の出現も理由として有ったのかもしれません)た事もありそうですし、酒の等級に対する疑問や廃止、関税の引き下げといった事も大きいでしょう。

 そんな中、私の印象ですと80年前後から結構バーボンが流行り(ある種アメリカ的自由のイメージが強かったのかも知れません)、その後ニッカのピュアモルトの発売やサントリーの山崎の発売、バブル経済、等級廃止・・・・・。

 そんな事が効いている印象。

 
 ただウイスキーに限らず酒を嗜好品的(個人的趣味の対象として)飲む流れは世界的な気もします。
 クラフトビールも世界的にブームな様ですし、シングルモルトウイスキーもそう。

 またアメリカ映画等観ていても少し前までは、スコッチウイスキーの12年物=高級品。アイリッシュウイスキー=労働者のウイスキー。ライウイスキーやジンのストレート=アル中・・・・・といったキーワードで語られていた気がしますが、最近の映画では変わってきている印象ですし。


 何だか相変わらずまとまりの無い事を書いきました。
 それはさて置きこれからこの流れがどういった方向に向かうかは判りませんが、私が営んでいるカウンターバーなんてのはやはり個人的・趣味的な空間ですから、やはりこれからもウイスキー等を主に扱っていくのでしょうね。

 

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2017/07
04
[ #946 ]

ダンデライオン

 少々古い本、昔読んだ事があるのですが無性に再読したくなり先日図書館で借り出し読んでみました。



     ダンデライオン

  「ダンデライオン」   著者はメルヴィン=バージェス   英国人だそうです。

 
 因みにダンデライオンというのは「タンポポ」の事ですね。葉っぱのギザギザがライオンの牙に似ていることが名の由来とか・・・・(そういえばユーミンの曲のタイトルにもあった様な・・・・・)。

 

 閑話休題、何故急に再読したくなったかは私自身でも定かではないのですが、確か先日このブログに”最近の日本の社会の空気が大正~昭和初期に似て拠っている・・・” 何て事をアップした記憶が有りますが、それと同時に戦後の英国の所謂”英国病”といわれた時代からサッチャリズムの時代にも一寸似てるのかな?と漠然と想った事が理由かも知れません。

 この小説、日本での出版は確か2000年頃だったと想うのですが、舞台は70年代末から80年代初頭位の英国なのです(正に英国病の時代?)。

 
 ストーリーは”ジェンマ”という少女と”タール”と呼ばれる少年が(それぞれ?)家出をし、パンクス~ジャンキーへと転落していくといったものなのですが、それだけでは語れない魅力のある小説です。

 因みに原題は「JUNK」。
 ジャンキーのジャンクでしょう。

 
 何が魅力かといいますと、おそらく登場人物の心理描写。

 これがなんとも繊細かつ秀逸で引き込まれます。
 ある種青春小説の傑作ともいえそうですし、また当然のことながらデカダンス的小説です(もしかすると若い世代には太宰の小説同様の受け取り方をするかも知れません。)。

 著者は執筆当時40代のおっさんでしょうが、若者の心理描写はホントみごとです。

 そういえば同時期の英国の若者を描き話題となった映画に「トレインスポッティング」なる作品がありましたが、比較すると面白いですかね?けっこう雰囲気は違いますが・・・。


  
 話は変わりますが、当時結構存在感があった”パンク、パンクス”の若者たち、最近余り見かけない気も・・・・。
 そうあの頃のパンク、そのトンガリ具合・・・、存在感があったというか一寸惹かれるというか。
 それも私がこの本に惹かれる理由かも知れません。


 装丁画も雰囲気ですよね?

 因みに裏表紙の装丁画は・・・、


    裏表紙



 そういえば先日、あるTV番組で若者の意識が相当に保守化しているといった事を伝えていました・・・・。
 もちろん所詮はTVですし、インタビューの結果からということでどれほど信用できるかはさておき、確かにそうした事は感じます。
 安全思考というか、ともかく言質をとられない様なしゃべり方というか・・・・素直すぎるというか・・・・リスクを避けたがるというか・・・。

 別にパンクスになれとはいわないですが、少しばかり自分の頭で考えるとか、尖がってみるとかも大事な気もするのですがね。


 まあそんな事も思う小説、若い世代に勧めたくなる小説です。



 追記

 もしかすると現代はパンクの代わりにヒップ・ホップなのですかね?


 

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2017/05
30
[ #937 ]

ウイスキーのはなし 7

 戦後、今に続くウイスキーの事を思うとやはりこの酒の話は外せない気がするのですよね・・・。


      フィディック

 グレン・フィディック 12年


 1963年に市販が始まった初のシングルモルト・スコッチウイスキー。


 何故1963年だったのかはいまひとつ良く判らない気もするのですが其の辺り徒然に妄想を膨らませて・・・・。
 
 
 前回も書きましたが、戦後スコッチウイスキーは英国の外貨獲得の主力商品となり盛んに海外、特に米国に輸出されるのです。

 特に1950年代から60年代という時代の米国は戦後の好景気、まさに我が世の春といった具合で・・・・、まあ第二次大戦唯一の勝ち組といっても過言では無いでしょうし。そう、映画でいえば”アメリカングラフティー”等が描いた世界。
 当然スコッチウイスキーも盛んに輸出され、高級ウイスキーの地位を獲得する訳です。

 そう、戦後のアメリカ映画等を観ていますとしばしば、「これは俺の取って置き、スコッチの12年物だ・・・」、何て表現に出くわします。そうした位置づけなのでしょう。

 また其の流れで我が国でも、60年代辺りからスコッチウイスキー=高級品、高級ブランドといったイメージが定着していた気がします(それこそジョニー=ウォーカーの黒なんて・・・、また初期にはホワイトホースやベルとかも・・・。黒澤監督の天国と地獄だったですか?ホワイトホースがそんな感じで使われていたのは・・・・)。

 といいますか、世界的にそうしたブランドイメージが定着し英国からのウイスキーの輸出量が飛躍的に増える時期ですよね。

 で、其の時期にグレン・フィディックは初の市販シングルモルトウイスキーとして売り出される訳ですが、実はこの時期のモルトウイスキー蒸留所は厳しい時期だった・・・なんて記述もあったりして・・・一寸??? な気分だったり。


 それはさておき、初の市販シングルモルトとして・・・と書きましたが、それまではそうした物は無かった訳です。

 つまりスコットランドのモルト・ウイスキーの蒸留所は基本的に樽の形で売っていた、という事。

 流通業者が樽で買い付けブレンデッドウイスキーのメーカーに売りに行くという形が主流。
 またそうした業者が独自にビン詰めして売ったり(いわゆるボトラーさんですね)。
 あと、地元の人が直接買いに来たりもあったでしょう・・・・。

 ともかく、スコットランドのモルトウイスキー蒸留所は”瓶詰めライン”を自前では持っていなかった訳ですね。

 でこの時期にフィディックはそうした投資を行い(他、樽造りの職人を抱えたり、ビジターセンターを造ったり・・・・)独自に販売を始めたという事でしょう。

 
 という事は50年代~60年代辺り、ブレンデッドウイスキーの会社は景気は良かったが、モルトウイスキーの蒸留所はその下請け的でボチボチといった感じだったということですかね?



 閑話休題、ともかく1963年にフィデックは売り出された訳でして・・・・・。


 で、どうなった・・・?

 一つはグレンフィディック自体がブランド品としての地位を確立したという事は有るでしょう。


 以前、某所でイングランドの方とプライベートで飲む機会が合ったのですが、その際彼が”私のとっておき”として出してきて下さったのが、グレン・フィデイックの18年でした。
 確かに私がウイスキーを飲むようになった頃に聞いた話で、当時イングランド人のとっておきの酒はグレン。フィディックの18年と聞いた事があったのですが(高度成長期の日本人にとってのジョニ黒やナポレオン的な存在)、そういった地位を確立したということでしょう(他英国のTVドラマや映画等でもそうしたシーンを観た記憶も・・・・)。


 そしてもう一つはウイスキーがそうした社交ツールから嗜好品としての位相も獲得したという事でしょう。

 それこそフランスワインがAOC等により、セパージュ(葡萄品種)やテロワール(土壌や風土)の違いを楽しむ(場合によっては学んだり)嗜好品となったように(シングルモルト)ウイスキーもその風土等の蒸留所の個性に違いを楽しむ嗜好品としての地位を得たという事だと思えるのです。

 つまりは趣味や道楽の対象に成るべく踏み出した・・・・ということなのでしょう。
 そして現代、シングルモルトはウイスキー出荷量の15%以上を占める様になり、各地にモルトバーが出来ていたり・・・。


 もちろん今という時代、ウイスキーや酒だけでなくほかの多くの物や商品も、趣味(収集、おたく)の対象として存在、あるいは消費されている訳ですが・・・。

 鉄道・車・音楽・映画・・・・キリが無いですが・・・・・。
 
 現代というものそうしたものかも知れません・・・・(いや、骨董とか絵画を考えると、けっこう古いか・・・・)、。

 そんな事を考える訳です。


 

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2017/01
27
[ #904 ]

ブルーに生まれついて

 映画を1本観て来ました、本年の初映画館です。


    ブルーに生まれついて

 「ブルーに生まれついて」 (BORN TO BE BLUE)

 著名なるジャズトランペッター ”チェット=ベイカー” を描いたいわば伝記映画です。




 それはさておき、チェット=ベイカー+映画という事で先ず私の頭に浮かぶのは「リプリー」という映画(”レッツ ゲット ロスト”は?ともいわれそうですがこれは観てないもので、観てみたいのですが・・・・)。
 この映画の中でベイカーの曲がかなり印象的に使われているのです。

 また”リプリー”という映画は名作「太陽がいっぱい」のリメイク版。
 一般に名作のリメイク版というと失望することが多い気がするのですがこの映画は良かったのです(勿論太陽がいっぱいも良かったです)。実はこの”リプリー”、”太陽がいっぱい”に比べパトリシア=ハイスミスの原作小説により近いといわれておりましてそれがリメイク成功の鍵とも思えます。
 原作者のパトリシア=ハイスミス、アメリカの女性作家なのですが「女嫌いの小品集」等という短編集も出ておりまして(確かうちの本棚にも在った記憶が・・・・)、そうした作家の作品故か、映画のリプリーにも所謂”ゲイ”的空気が漂っているのですよね。

 そう昔からチェット=ベイカーには”ゲイ”というキーワードもついて回る気がしていたのですが、この映画を観ると彼自身はそういったタイプではなさそうで・・・・。
 (どうも彼の中性的歌声や歌い方がゲイを連想させたとか、女性にもですがゲイの方々に非常に人気があったとか、ゲイの振りをして徴兵を逃れた経験があったとか・・・・、まあそんな理由でゲイというキーワードと親和性が強いジャズメンだったのかも知れません、我々の商売でもゲイバーでよく流れるなんて噂もあったり・・・・・)

 
 では彼チェット=ベイカーとはどんなタイプのジャズメンなのか・・・・といいますと。

 私の主観ですが、”破滅的”。或いは破滅志向、蕩尽的、タナトスに囚われたタイプ・・・・・まあそういったところでしょう。

 しかしこうした破滅的なタイプ、現代では全く評価されないというか否定されるというか・・・・。


 現代という時代、特に此処最近は、堅実で蓄財的(或いは向上心が強く、前向きで野心溢れ、成り上がり思考・・・等々)といったタイプや発言以外は否定される傾向が強い気がします・・・。
 しかし恐らく人間ってそんな物ではなく、両面を内包する存在だと思えます。特に男性という性なんて・・・・。
 そしてまたこの破滅的、蕩尽的空気を纏った男性、ある種の女性に非常に人気だったり・・・・。

 そう、しいて言えばチェット=ベイカー、小説家の太宰治等と共通する空気をもった存在とも思えます。


 太宰&彼の作品も一部の方に圧倒的人気を現代でも保っていますし、所謂堅実志向、蓄財思考の方達からは蛇蝎のごとく嫌われたり・・・・(一寸大げさか 笑 )。

 しかし、この堕落的といいますか蕩尽的な志向、恐らく無くなる物でもないですしある種の魅力が在るのも事実。
 (”ハレとケ”同様、人間てそんな物だと思いますし一面だけを肯定しても仕方ない気がします)

 大体、落語なんてこの手の破滅的男性、沢山出てきますよね(文七元結の長兵衛さんにしろ・・・)。といいますか古典落語何て基本的にそうした男性に対する愛で溢れている訳でして・・・・(勿論、新喜劇だって浪花節だって浄瑠璃だって)。

 本来人間ってそんな存在の気がします。

 それにバーや酒を愛するある種の方々やオートバイを愛するある種の方々にはそうした面を色濃く感じますし、また故に魅力的ですしね。

 当然私自身にもそうした面はありますから・・・・。


 結局、男性はそれを飼いならしながら生きていくのでしょうし、ある種の女性は男性のそうした面に惹かれるのは本能的な物にも思えたり・・・。


 何だか相変わらずの戯言で映画の話ではなくなってしまいました。


 え?映画ですか・・・・。

 雰囲気有りましたよ。悪くなかったです。


 

 追記。

 上に太陽がいっぱいとリプリーの話を一寸だけ書きましたが、ともに名作、好きな映画ですね。


 太陽がいっぱいは、ニーノ=ロータの曲も含め、その哀愁、地中海的、カトリック的・・・・・・等々、其の空気だけでも酔えますね。また、リプリーも心理的不安感というか、ザワザワする感じが何ともいえず・・・、また身につまされる感じといいますか。現代的なその不安定感といいますか・・・・これも酔えますね。


 とまあ、私の今年初映画館は「ブルーにうまれついて」でした。

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2017/01
19
[ #902 ]

私の日本地図

 先日「現代を読む」という新書の話をアップしたのですが、其の本を読んでこの方の作品を読み直してみたくなり・・・・。


      私の日本地図


 宮本常一 著  私の日本地図 のシリーズの内 瀬戸内Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 。


 少し前に「この世界の片隅で」という映画を観、氏の著作を思い出した事もありまして・・・。



 私自身瀬戸内で生まれ育った事も有り3冊の内、瀬戸内Ⅱ「芸予の海」は以前読んだことがあるのですが、今回は3冊まとめて読んでみました。


 やはり、宮本氏の著作は好みですね。 
 特に瀬戸内Ⅲの周防大島編が特に良かった印象です。

 周防大島、著者の生まれ育った島という事でその思い入れもあるのでしょうが、なんといいますか我々日本人の来し方とか、我々が獲得した生死観といったものまで描かれている気もしまして。

 瀬戸内という風土に暮らすことによって育まれてきた人々の生死観であったり、生活観、慣習・習慣・文化といったもの(そうした物はかなりの昔から江戸時代にかけて粗出来上がったとも思われます)が、明治維新以降の近代化にどう接し、どう変わり、どう云ったのか、また崩壊していったのか・・・?といった事が感じられ・・・。
 (或いはそして、戦後に急速に地域という存在ごと崩壊に向かいつつあるそれら・・・・・)

 確か昨年、忠海に在った”岩風呂”が閉鎖した話を聞き及んだ事もあり印象深く読めました。




 追記


 そしてこんな映画(DVD)も観てみたり・・・。


    故郷


 山田洋次監督の”故郷” という映画です。


 山田洋次監督といえば”寅さん”シリーズが著名ですが、実は私、寅さんシリーズは全くといってよい程観ていないのですよね。

 どうもあのベタな感じといいますか、これが日本の心だ・・・・的にいわれると(そうした印象ありますよね?)。また日本各地でのロケによ観光案内的な雰囲気も(釣りバカ日誌シリーズ等もそうなのですが・・・・)少々苦手で・・・・。


 しかしこの映画は良かったですね。

 セミドキュメンタリーという手法がうまく嵌まったのですかね?
 もっとも私自身、舞台となった倉橋島周辺の海でよく遊んでいましたし、私の父も船乗りから陸上がりをしていますし・・・・思い入れがあります故でしょう・・・・・。

 しかしそれはさて置き好みの映画でしたね。

 1970年代の高度成長期の中、石舟の船主を諦め陸上がりを決断する主人公、彼が口にする「庶民が勝つことが出来ない大きな物」・・・・。
 情緒的に云えば、”時代の流れ”でしょうし、分析的に云えば資本の原理ともいえそうですが・・・・。

 そういえば昔からこの国には「長い物には巻かれろ・太い物には呑まれろ」といった言い回しがありますが(或いは泣く子と地頭には勝てないとか)、この諦観、あきらめが日本人的なのですかね・・・・。或いは若しかしたら明治維新以降に余計に流行した言い回しなのか?とも思ってみたり・・・・。


 はい、相変わらずの戯言でした・・・・。

 

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2016/12
13
[ #892 ]

人に勧めたくなりました

 昨日、時間を作って映画を一本観て来たのですが、これが良い映画で、何といいますか人に勧めてみたくなる映画でしたね。

 勿論、何を持って”良い映画”というのか?と突っ込まれそうでは有りますが、観終わって劇場を後にした際に心に浮かんだのが、シンプルに「良い映画を観させてもらった」という思いだったのです。
 ”面白かった”とか”泣けた””感動した”楽しかった””ハラハラした”・・・等々映画を表す言葉は多々ありそうですが、この映画に対し私が先ず想ったのは”良い映画だった”という思いだったのです。

 其の映画

 
      この世界の片隅に

 「この世界の片隅に」。


 普段アニメ映画を観ることは無いのですが(そういえば数年前”百日紅”は観に行ったか・・・・)、この映画は少々気になったのです。
 舞台設置が昭和初期の呉、広島周辺という事がその主たる理由でもあったのですが、予想以上に良かったですね。


 描かれているのは、その昭和初期、江波で生まれ育ち呉に嫁いだ主人公の女性及び其の周辺の方達の日常であり、当時のそれが淡々と描かれている訳なのですがこれが見事といいますか・・・・。

 奇をてらう訳でも無く(そう最近の多くの映画、そうした表現があざといとというかインフレというか、兎も角疲れる気がするのですが・・・)、描かれた当時の人々の生活から其の頃の日本の庶民の生活や生活観、性格、更に言えば慣習や習慣といった物まで推察できる描き方で、まるで宮本常一氏の著作を読んでいるような気にもさせれれます。

 恐らくはオーラル(聞き取り)や一次資料の調査といった事もそうとうされたのでしょう、こ作品自体がある種民俗学の資料とすら成りそうで・・・・。

 そしてその当時の庶民視点から見た戦争という物がこれまた当たり前描かれているといいますか、或いは戦争という不条理が庶民に与えた事というべきか・・・・。


 そう、我々の親の世代までは先の大戦を体験している訳でして、またそうした方々から少しばかりですが当時の事も聞かせていただいたりはして来ましたがそうした方々も既に高齢となられ・・・・、という今の時期にこの映画が作られたことはやはり意味が有る様に想われます。

 なんといいますか、そうした(オーラル等に協力された)方々の思いの様な物まで感じられる気のする作品でした。

 またどうも聞くところによると、有志の寄付等?も制作費に入っている作品とか・・・・。
 それも一因ですかね?
 

 別に商業主義が全面的に悪いとは言いませんが、最近の映画作品や世相等々、投資家の取り分ばかり増えているというか・・・・。まあ兎も角そうした印象を受ける事例が多い気もしますので、そうでない方法論の良さなのかも知れないとも想ったり・・・・。


 何だかべた褒め的になりましたが良い作品でした。
 (朝日遊郭も描かれていた分、個人的にポイントアップになったかもしれません   笑 )

 

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