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2018/12
03
[ #1067 ]

「その日暮らし」の人類学

 先日図書館で借り出したこの本、私好みといいますか”我が意を得たり”といいますか・・・、非常に興味深かったのです。



       「その日暮らし」の人類学



 「その日暮らし」の人類学     小川さやか

 副題に ”もう一つの資本主義経済” と付いていますが、言ってみれば80年代以降の新自由主義的資本主義は大多数の生活者を幸福にしなかった、という現実を踏まえ、太古の採集的生活を継続している先住民等の生活、或いは彼らの自信に満ちた日々の生活等の研究から、19世紀以降に隆盛した近代的資本主義では無く地域の慣習や習慣等に密着した社会経済の有り方の良さ、といった物を提示している本ですかね?

 確かに私好みの内容。またそれ故に”物足りなさ”といった部分も多々有るのですが(まあ所詮は”新書”ですしね・・・、というと失礼か?)・・・。
 例えば全体として、参考文献の紹介的に成っている面とか、あえて主張を抑え気味に書かれている面が突っ込み不足と感じるといいますか、卒業論文的といいますか官僚文章的といいますか(あとがきなんてもっと尖ってよいと思いますが)・・・、その辺り著者の若さを感じるといいますか・・・・まあ、不満も色々とあるのですが・・・・・・。
 
 例えばこの本、「Living for Todey という言葉をキーワード、視角として色々な事を切り取られている訳ですが、私としては何故に「その日暮らし」の言葉ではいけないのか?或いは「今を生きる」等々では駄目なのか?と想う訳です。
 そうあえて「Livinng for Today」なんていう英語を使う故に(他にも各種外来語が多用してありますが)、かえって近代西洋的な視点に拠る上から目線の視点になっている印象を受ける訳で、それはこの本の趣旨とは全く逆の印象を与えかな無いのでは?とかね・・・。
 等々・・・・。

 等と否定的なことばかり書いていますが、それも好みの本故といいますか・・・・久々、人に勧めたくなる本でした。
 まあ、私自身が”儲からないBARのマスター”という、正に「その日暮らし」の生活をしている故かも知れませんが・・・ 笑 。


 そう、京大の霊長目や文化人類学系の本、面白いのですよね。

 
 
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2018/11
17
[ #1063 ]

心中しぐれ吉原

 遊郭文学というジャンルが存在するかどうか良く判らないのですが、遊郭や色街を舞台とした小説等、昔からそれなりの数が存在いていると思われますし、また遊郭跡等に惹かれる私としは結構好んで読むジャンルといいますか。まあ嚆矢としては江戸中期頃に流行った”洒落本”辺りがそうなる気もしますし、或いは師宣の浮世絵作品等が言ってみればそうともいえそうですし。

 其れはさて置き、”小説”というもの基本的にフィクションでしょう、そしてその架空の物語において何かを表現といいますか書こうとしている訳でして、そしてその為に色々と舞台設定も考えられる訳でしょうが、結果として作品がその舞台設定に束縛されたりする面も当然あるわけでしょうし。
 (まあ、故にある種のSF作品等はその舞台設定の影響を嫌ってあえてSFというスタイルを選んでいる様にも思えてたりも・・・)
 
 そしてまた、場合によってはその手段たる舞台設定が目的となってしまったりする作品もまま見受けられる気も・・・。
 (所謂、ペパーバックやノベルズといわれるジャンルなんてそんな感じが多い様な・・・)

 そう遊郭を舞台とした小説にもまま有るのですよね。
 勿論其れはそれで悪くない気もしますが、やはり何かを書きたくて書かれた作品の方が読み応えがあるというか・・・。
 そう、そうした作品を何冊か読むと余計に著者の個性というか筆力というか思いというかが感じれる気がするのですよね。


 前置きが長くなりましたが、最近読んだそうした小説で結構読み応えがあったのがこの作品。


  心中しぐれ吉原


 著者は山本兼一氏、”利休にたずねよ”が映画化されたので代表作ですかね?

 京都出身&元々は僧侶の家系ということか、濃いといいますか、どろどろしてるといいますか、えぐいといいますか、深いといいますか・・・・、兎も角雰囲気がありました。

 この作品、寛政初期の江戸吉原周辺が舞台という事で、その京都的雰囲気の文章が”粋と張り”を売りとする吉原に合うのか?という意見も有りそうですが、これが良かったのです。
 (逆に嶋原辺りを舞台とすると、それこそドロドロの和事的になりそうですかね?)

 主人公は当時の通人の代表格ともいえる蔵前の札差という設定、これも面白いといいますか。
 当時の資料等も当然しっかりと調べられていらっしゃる感じで、且つ、その資料等に引きずられない書き方は見事私好みでした。
 (そう、遊郭関係、それなりに資料等も多いようですが、それ故に資料に引きずられ易いというか、そうした小説作品も多い印象)

 また著者最晩年の作品で、恐らく著者自体自らの寿命を悟った上で執筆されたのでしょうが、その所為か後半特にある種の”暗さ”の様なものが強烈にあり、これがまた特徴というか、印象深いというか・・・・。人間の業というか情というか、人生の無常というか・・・・、兎も角そうしたことを感じさせられ、人間の生・性、という物が描かれている感がありました。

 良かったです。

 

 

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2018/11
03
[ #1061 ]

レーサーの死

 先日図書館で借り出した本なのですが思った以上に興味深かったのです。


     PB020897.jpg


 「レーサーの死」   黒井尚志  2006年  双葉社


 図書館でこの本を見つけた際は表紙の写真ををみて ”ああ、セナね・・・・”等とも思ったのですが借り出して読んでみますとこれが硬派かつジャーナリスティックでして非常に好みに合ったのです。

 内容といいますか、此処で取り上げられている死したレーサーは

 1章 アイルトン・セナ・ダ・シルバ & ローランド・ラッツエンバーガー
 2章 福沢幸雄
 3章 河合 稔
 4章 鈴木誠一 & 風戸裕
 5章 高橋徹 & 小河等

 といったラインナップ

 特に2章から4章のある種一連の事故の経緯や其処にいたる当時の日本の4輪レース界の風潮といった物が非常に興味深かく読み応えが有りました(それに対し1章は、表紙がセナで有るにも関わらずモタースポーツ報道の舞台裏といいますか、やや楽屋落ち的な印象も・・・・)。
 でその2~4章辺りの感想といいますか、それを読んで感じた私の主観といいますか、少しばかり記してみたくなったのです。


 日本のモータースポーツ、特に4輪のレースが本格化するのは恐らく1962年にホンダが開設した鈴鹿サーキットの完成が契機であるといって間違いないと思うのですが、その3年後に完成した富士スピードウエイの完成もその後の日本の4輪レースに与えた影響もまた大きかった様に思えます。

 また少々話がずれるかも知れませんが個人的に思うのは、モータースポーツ、或いはスポーツ全般に於いてヨーロッパ型とアメリカ型の物があるといいますか、言い換えると中世からの伝統をどこかに内包した古典的スポーツの流れを汲むものと、その影響の少ない新世界或いは近現代型のスポーツといっても良いようにも。
 そしてヨーロッパ起源のものの本質はそれはやはり”社交”であるという事。古くからの祭りに代表される様な地域同士の社交、例えばロイヤル・シュローブド・タイドに代表されるような物とか、また我が国の”だんじり”等もその類と思えます。また個人スポーツにしても、基は地域の領主同士の”社交”といった要素が強いと思われます。
 対してアメリカ型のそれはどちらかというとレジャー(遊び)であり、そしてショービジネスのしても位相が濃いとも。
 例えばゴルフ等は典型で、ヨーロッパでは”社交”故にドレスコード等が言われる(例えば社交の典型であるパーティー等と同様に)、そしてアメリカではレジャー故にその辺りが緩い訳でしょう・・・。

 何をいいたいかというと、1965年に完成した富士スピードウェイはじつはこのアメリカ的メンタリティーがベースに造られた物であるということ、またそれが後々まで影響を与えてきたと思われる事。

 この本に書いてありましたが、富士スピードウェイの開設はアメリカの自動車業界や自動車レース業界のエージェントである”ドン・ニコルズ”という人間の日本の政財界や興行界への働きかけが切っ掛けで始められた訳でして、その設立には河野一郎代議士や丸紅、富士急行、大成建設、(他、建設地の)等の思惑が影響している訳です。
 言ってみればプロレス等と同じようなメンタリティー、経緯というといいすぎかな?
 そしてまたそれ故に当初はナスカー(NASCAR)向けのバンク付きのオーバルコースで建設予定だった訳ですが、地形の問題やそれに関するスターリング・モスの助言(ヨーロッパ型のロードコースとすべき)も合ったりして、1コーナーが30度のバンク、その後がヨーロッパ的ロドーコース風という、ある種折衷案的な形で開設される訳です。

 其れはさて置き、この富士スピードウェイの完成もあり国内の4輪レースは本格的な盛り上がりを呈し各メーカーもワークス体制のレーシングチームを造り参加を派zめるのですが・・・・、其処はレースの成績が自社の製品の人気や売り上げや直結する自動車会社、まして日本の企業(スポーツ)の体質というか・・・・。
 例えば長く人気だった都市対抗野球などでも、当初は組合運動の抑制の為愛社精神の高揚を目的に企業が始めた要素は強い訳ですし(野球等は特にアメリカ型スポーツの代表ともいえますよね)。
 早い話、利益至上主義といいますか勝利至上主義といいますか、そうした方向に行く訳ですよね(其処に社交といったヨーロッパ型というかスポーツマンシップというかは忘れられていく)。

 そしてその延長線上に有ったのが、第二章の福沢幸雄のトヨタ7のテスト中の事故死で合った訳で、また第3章の河合稔のトヨタ7ターボの同じくテスト中の事故死であると。
 そしてこの2つの事故、恐らく(というか殆ど)車の設計ミスに拠るものと思われるのですが、トヨタはそれを徹底的に隠蔽する訳です。またマスコミや警察も殆ど追及しない。
 (そういえば60年代、本田総一郎がF1等での事故に絡み”レースは走る実験室”といった発言をマスコミに散々叩かれましたが、実は当時最も人命軽視で利益優先主義だったのはトヨタではなかったと思われる)
 
 またそうした日本の4輪メーカーやレース界の体質が4章の1974年の富士GCの大事故に繋がると。


 そう実はこの本のクライマックスはこの1974年の富士GC大事故の検証にあると思われます。
 その事故へ至る流れを作ったのは・・・・
 
 先ずは富士GC主催者の興行主義。
 上にも書いた様に富士スピードウエイはアメリカ型のスポーツ=ショウ・ビジネス(=金儲けの為の見世物)が開設動機な訳で(インディ・ジャパンなんて興行も打っていますしね)。また故の安全軽視といいますか、これは1977年のF1の事故でも言われましたし5章の高橋徹の事故死の際も言われた筈です。

 そして各ワークスチームというか4輪メーカーの勝利至上主義というか利益追求主義というか・・・・。
 60年代後半からこの頃まで、各メーカーのチーム監督等は、ライバルメーカーの車に対しぶつけても勝てという指示を当たり前に出していたし、その結果そうした事が4輪のワークスドライバーの間では当たり前と思われていた・・・・。

 また石油ショックに端を発するワークス系レーサーの解雇問題~選手同士の軋轢・・・・・等々。


 どちらにしろ、この事故を切っ掛けに4輪のレースブームが沈静化し、またレースやスピードといったものが”悪”とされる風潮が強くなり、その後の3無い運動等々に繋がったのは確かでしょう。
 またバブル以降というか84年のLAオリンピック以降スポーツの商業化=ショウビジネス化が世界的に進み勝利至上主義の台等、また変らない日本的体質もありそれが今年のアメフト問題等々にも繋がっている事も実感させられました。


 色々書きましたが硬派で面白い本、レース好き、スポーツ好きの方には一読を勧めたくなる本でしたね。

 
 また、そうして全編を読んだ後に1章のセナの件を読むと其れはそれでまた味があるといいますか、良かったです。

 また5章の話しは、高橋徹というレーサーが東広島出身という事も有り、少々思い入れというか複雑な気持ちも有りで書くことはスルーします。

 

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2018/05
08
[ #1023 ]

釜ヶ崎のススメ

 先日図書館で借り出した本、非常に興味深く読ませていただきました。
 
 こんな本です.。


       釜ヶ崎のススメ

 「釜ヶ崎のススメ」    原口 剛 他


 
 先ずはタイトルが強烈です(といいますかこのタイトルに引かれ衝動借りした訳です・・・)。
 ”釜ヶ崎”を勧めるのか・・・・? と。

 ”OOのススメ”といいますと我々世代からしますと、まずは”学問のすゝめ(福沢諭吉)”とか、”気くばりのすすめ(鈴木健二)”とかが思い浮かびまして、確かに学問も気くばりの当たり前に身に着けるべきものといいますか、確かに人に勧めても良いかな?と思えるものですが・・・・”釜ヶ崎”ですからね。


 ”釜ヶ崎”と聞いて私のような(広島の)人間からすると思い浮かぶイメージとしては、・ドヤ街・ホームレス・暴動・日雇い・泥棒市場・・・・・etc(そう大阪のDEEPサウスの代表かと・・・・)。
 まあ普通は人様に勧めたくなる物、あるいは場所ではないですよね。
 まあ私個人としては路地裏好きということもあり、それらのキーワードに惹かれる面もありで、何度か訪れてもいる場所ではありますが・・・・。

 そんなこんなで何はとまれページを捲ってみますと、これが中々・・・・・。


 実は”釜ヶ崎”という地名、ここのところあまり耳にする地名ではないのです。どちらかといいますと”あいりん地区”と呼ばれる事が多い、あと”西成”とか・・・・。

 西成は区名ですので地図にも載っていますが、実は”釜ヶ崎”も”あいりん”も現代では正式な地名としては残っていないのです。昔は正式に”釜ヶ崎”という地名は字の名として地図等にも掲載されていたのが、暴動等が頻発したころからそのイメージの定着を懸念した動きが生まれ、あるときからマスコミでは”釜ヶ崎や西成”といった地名は使わなくなった・・・。で、代わりに使われる様に成ったのが”あいりん地区”の呼称。
 さらに現在ではその呼称も良いイメージが無い故”新今宮”とか”萩の茶屋”という地名を使う方も多い・・・・とか。
 
 そして現在、”釜ヶ崎”あるいは”カマ”とこの地区を呼ぶ人たちは、この地区で長年日雇い労働等をされてきた方々で、この地区にある種の思い入れのある方・・・・。
 ”あいりん地区”という呼び名は、福祉関係や定住者等で”釜ヶ崎”にあるある種のイメージが世間に定着する事を懸念される方やマスメディア等。
 そして最近この地域の再生や町おこしに携わっている方は”・新今宮・萩の茶屋”という地名で呼ぶ・・・と。

 とまあこんな感じで・・・、呼称(地名)の変容だけでも興味深いことが多く引き込まれましたね。


 他、江戸期からの古地図から現代までの各時代の地図や航空写真からこの地区の成り立ちや変容を見たり。あるいは学生さんが実際に日雇い労働や飯場で働いた体験談であったり。長年この地区で日雇い労働者として生きてこられた方たちが語られるお話であったり、暴動の歴史であったり、また福祉関係の方や労働運動関係の方の話や、現在ゲストハウス街として地域再生を目指される方の話とか・・・・・・。

 ともかくその成り立ちから現在までの”釜ケ崎”について多面的に記されてありました。


 最近、メディアやネット等に流れる、あるいは氾濫する情報って今の点の情報を一面的に押し付けがましく垂れ流すだけでは?といふうに私には思われますし、またそれを深く考えることなくその情報や見方のみを取り込む方も多そうですが、それって結局非常に不味い状況とも思われるのですよね。

 そう”大本営発表”を国民が鵜呑みにした結果の悲惨さは70数年前に証明されたはずです・・・・(相変わらず話がそれて申し訳ない)。

 またこの本、多面的かつ成立過程からの意味づけという、言ってみれば当たり前の事をしているだけかも知れません、がそこに惹かれましたね。




 追記

 そして、しかし、何故”釜ヶ崎”のススメなのか?


 おそらくはですが・・・・・。

 この地区は日雇い労働者の地区としてある種意図的に作られた面もある様で・・・。

 明治の近代化からの大阪の都市開発、戦前の勧業博覧会や、1970年の万博、等々。それらを成し遂げるためには使い勝手がよくかつ切り易く、保障等もしなくて良い日雇い労働者が必要とされた訳です。しかも出来れば市内には住んでもらいたくない故此処に集められた。

 実は産業革命・資本主義というのは、奴隷的労働者を必要としそれによって発展してきたわけですが、その弊害から労働者保護の動きも出来。わが国でも戦後。労働基準法等制定され・・・・・・。
 ただ、ここや山谷等の日雇い労働者はある種その埒外におかれていた面も強く・・・、いってみれば人間扱いされない労働力が必要とされた訳です(また治外法権的地域が必要とされた)。

 またそれをコントロールするのが、(それは江戸時代の幡瑞院長辺衛のころからそうでしょうが)いわゆるヤクザといわれる方や、場合によっては警察だったり。 


 そして現在、確か1980年代あたりから派遣労働法が改正に改正を重ね、確か2004年ころでしたか、ほとんどの業種で派遣労働が可となり、さらに”働き方改革”なんて言葉が踊ったり・・・・(あと外国人研修生とか・・・・・・)。
 そうした現状を見ると日本全体が”釜ヶ崎”化に向かっていると言えなくも無い訳でして・・・・。

 
 日雇い労働者の失業・ホームレス化・高齢化。地域のスラム化~治安の悪化等々を経験し、今その対策をあがきながら、あるいは地域住民の共生等を模索している釜ヶ崎は、そうした面で一歩も二歩も先を行っているとも言えそうで・・・・。


 故に今、”釜ヶ崎のススメ”

 なのでしょうね。

 兎も角、面白い本でした。

 

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2018/01
19
[ #999 ]

広重

 先日こちらも観賞て来ました。


    広重


 ひろしま美術館で開催中の 「歌川広重の世界」 展。
 
 
 またまた浮世絵。そう好きなのです。


 とはいいましても今回展示の歌川広重の保永堂版”東海道五十三次”のシリーズ、実はじっくりと愛でさせていただいたことが無かったのです。
 理由は色々と有るのですが、余りに著名すぎてなんとなく観た気になっていたのもそのひとつかもしれません。
 子供の頃に永谷園のお茶漬けの付録にこのカードが入っていましたよね?応募すればそろい物が貰えた様な記憶も・・・・。
 また単独では結構様々な浮世絵展でも展示されていたり・・・。
 それとやはり浮世絵は女絵に惹かれる面が強く、どうも風景画にはいまひとつ惹かれなかったとかと、やはり化政年間以降のベロ藍が積極的に使われだして以降の物は一寸けばけばしい印象が有ってとか・・・(等々)。
 

 そんなこんなであまりじっくりと観てはいなかった訳ですが、今回の展示がひろしま美術館に巡回してくる事を聞き及び、また他の美術館で観賞されたお客様等の評判も良く何はとまれ覗いて観る事にした訳です。

 併設展示の”根付”展も気になり。



 でその感想ですが、この保永堂版の東海道五十三次の揃い物。確かに名作の呼び声高いのも納得でした。
 特に初刷り、かつコンディション良い物ばかりの展示という事も有ったのでしょうがなるほど名作といいたくなりましたね。
 また後刷りの物や佐野喜版も展示されておりまして、その辺りも興味深かったです。
 (佐野喜版に賛としてつけられた狂歌等も魅力的です)


 また江戸の名所シリーズ等も展示されており・・・・。

 その構図などからフランス等の印象主義作家に多大な影響を与えたことで著名な名所江戸百景シリーズ。それも含め兎も角江戸時代のわが国の美しさ、良さといったものを再確認させられた気がしました。
 また作者の広重自身もそうした物=江戸や各地の風景や風情、風習やそこに生きる人々、に対する深い愛情をもった人であったでろうということが感じられる展示でした。


 その中でも特に保永堂版の五十三次は最も精魂込められたシリーズかなという印象(といいますか、東海道五十三次が売れ一躍人気絵師となり、その後は少し仕事に追われる面も有ったのかな?等と思ったり)。

 小説等でもそうですが、デビュー作あるいは出世作の魅力といった物って存在する気がしますよね。


 また蛇足ですが、東都名所シリーズの吉原の絵(鳥瞰図的三枚続きの物)の実物が観れた事も嬉しかったです。



 もうひとつの”根付”展の方はというと・・・全体的に現代作家物が多い印象でした。
 その中で個人的に魅力を感じたのは、入り口付近に展示されておりました、帯と煙草入れや印籠と一式で展示されていた物。

 やはり根付は基本的には実用品といいますか、そうした面が強い物に思えるわけでして。”用の美”といいますか、個人的にはそこに惹かれるのですよね。で、近現代の作品は美術品や作品としては面白いのですが、どうもこの”用の美”という物が・・・。
 ということで少しフィギュアっぽく感じてしまうといいますか・・・。やはり皆が和服を着ていた時代の物に惹かれましたね。

 そんな展示でした。


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2018/01
14
[ #998 ]

衝動買い

 先日、珍しく本屋で平積みされていたコミック(漫画)を衝動買い。
 基本的にコミックや平積みされている本を買うことは少ないのですがなぜか衝動買い。
 たまにはこうゆうのも悪くないかと・・・・。


 その本(漫画)ですが、結構巷でも話題ですかね?



   君たちはどう生きるか

 「君たちはどう生きるか」


 
 表紙の男の子の目力に負けたのか?このストーレートなタイトルに惹かれたのか?我ながら良く解からないのですが・・・衝動買いです。


 早々に読んで見ますと・・・・。

 基本的に書かれているのは至極当たり前のこと。といいますか、通過して来た事といいますか、数十年前に考えたことといいますか、今でもたまに考える事といいますか・・・・。

 多くを知り、感じ、自らの心の動きを内観し、考え、決断し、行動し、そうして成長し生きていく。
 そしてその際に大事なのは他者の心の痛みがわかること。
 これが無ければいわば人でなしに堕すると・・・・。

 とまあ、こうした内容ですかね。


 私自身がそうしたことをちゃんと行えたかはさておき (笑)。
 当然、良い事も悪い事もしたし、卑怯な事もそうでない事もしたし・・・。
 その成れの果てが今の私な訳ですな。


 他、いくつかこの本を読んで感じたこと。

 確かこの本(漫画)1935(昭和10)年に児童文学として出版された本を基にコミックされた物だと思うのですが、とすると当時の若者も原作を読んでいた訳ですよね?そしてこうした本を読んで色々と考えながら成長した若者がその後戦争に巻き込まれていく訳でしょう。戦争、あるいは当時の軍隊、圧倒的”不条理”ですよね?
 特に戦場なんて・・・。

 そして彼らはその不条理にそうとう苦しんだでしょう・・・・。
 それを思うと心が重くなりましたね。
 またもしかすると彼らその不条理な体験が、戦後のアプレゲールや愚連隊を生み出したのかもと・・・・。


 またこの漫画、100万部も売れた(刷られた)そうで・・・・。
 このような漫画が100万部(凄い数ですよね?)も売れる今という時代、これはこれで大丈夫なのか?とも思ったり。
 普段平積みの漫画なんて買わない私もツイツイかってしまった訳なので人事でもないのでしょうが、ただ最初にも記したようにこうした事は自然と自分で愚図愚図と考えるものですし、あるいは普段の生活の中で自然と学んでいくもので、こうした一寸言い方は悪いですがハゥツー本的タイトルの漫画がここまで売れるというのも(そう、確かにこの表紙とタイトルは正解というか、インパクトがあるというか、売れた理由のひとつでしょうね)ちょっとね?とも思いすね。


 それともうひとつ、男児にとって叔父(両親の兄弟)という存在の良さも・・・。いってみれば叔父って、最も近い他人の大人といいますか。
 その距離感や存在って結構大事にも思えるのですよね。
 確か古いフランス映画の名作に”ボクの叔父さん”なんて有った記憶も有りますし。
 その叔父という存在が内包するのは、おそらく適度な、あるいはゆるい、ちょっと無責任な”父性”なのではないかと思えるのですよ。
 これが結構良いのでは?と。


 まあ、”父性”というものは何か?といくとこれまた難しいのですが、まあ言ってみれば”システム?社会性?お約束?不文律?フィクション?しきたり?社会的ルール?・・・・etc”

 まあ良く解かりませんがそんなものでしょう。

 おそらく古い時代はある程度大きくなった男の児って、近所の銭湯での大人の会話を小耳に挟んだり、葬式等の儀式で同じようになんとなく学んだり、時にはしかられたりと、とにかく近所のおっさん達の会話や振る舞いから色々な事を学んだり、知ったり、考えたりして成長した面が強いと思いますし、また大人も子供が聞いている、見ていることを意識して振舞っていた様に思えます。
 
 これが父親とか教師、先輩とかになると、ある種の絶対的力関係というか上下関係や責任感が有りすぎて色々難しい面も多そうですが、これがいわば他人の大人ですと適度に無責任だったりしてやさしくもできたり・・・と。

 この適度な無責任さというかやさしさというか責任感(で、場合に拠っては遊び相手にもなれたり・・・)の代表的なのがこの叔父という存在のてきとうな”父性”かな?とも想った訳です。


 少々我田引水的にはなりますが、実はバーテンダーにものめられる重要な要素のひとつがこの(叔父のような)”父性”でとは常々おもっていたりしまして・・・・。
 またスナック(広島ではスタンドともいいますが)のママさん等の本来的売り物は”母性”では無いかとも。
 (この辺がファミリーレストラン等とは違うところ)


 翻ってこの本が多量に売れているのは、こうした近所のおっさんとか親戚の叔父さんとかとの交流、そうした人たちからなんとなく学ぶ機会の減少も一因では無いかと思いましたね。


 また蛇足ながら、この本は基本的に子供向けの本、おそらく対象年齢は10台前半、小学5年生から中学生いっぱい辺りでは無いかとも思える本でした。拠って当然ながら私のようなおっさんには内容自体は少々物足りない印象も。


 ではどんな本が好みかと(あるいは高校生以上向けだとどうだ)いうと。



 最近読んだ本ではこの辺り、面白かったのですよね。


 都市と野生の思考


 「都市と野生の思想」  インターナショナル新書
 
 適度な読み易さ&対談形式が私好みで楽しかったです。


 

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2017/12
22
[ #990 ]

秋から最近にかけ読んだ本から

 今年の正月明けから諸事情によりスマートフォンを持つことにしたのですがおそらくはその所為でしょう、最近目が弱って本が読めなくなっているのですよね・・・。
 明らかに読書量が落ちています。

 それでもボチボチとは読んではいますので、その中から何冊かをアップ・・・・。



 先ず一冊目

 
    10版

 「慰安婦と戦場の性」  秦郁彦


 

 このところニュース等で慰安婦像の話題がかしましい故に読んだ・・・・という訳では無いです。

 以前にも書きましたが、私という人間は旧遊郭地等を徘徊する性質がありまして、そうした面からこの手の話も押さえておきたいと・・・・、またそれ以上に図書館でこの本を見つけた時に表紙に書かれた著者の言葉に惹かれまして。


 其の文章・・・・・。


 リード



 そう確かに最近、特に1970~80年代頃から提起される諸問題、この慰安婦の問題や嫌煙権がらみの問題、ほか反捕鯨運動とかフェミニズム等・・・・それこそあげると限が無いのですが・・・・兎も角、感情論や政治的ポジション等々に堕しつまらない過熱の仕方に向かい、冷静かつ多面的で深みのある議論や会話にならない印象が強いのですよね・・・。


 そこで借り出し読んでみた訳ですがよかったです。

 一言で言えば(偏執狂的)労作。かな?資料等の集め方等が特に其の印象。
 また過去や外国の従軍売春婦や戦場における軍隊の性の問題(私娼制か公娼制か等)にもちゃんと言及してありますし。
 
 考えてみれば社会における売春婦の存在という事に対する問題意識というの、古代エジプトから存在するわけでして。あるいは飲む・打つ・買うの他の二つ、飲酒の社会的問題や賭博の問題とも同様に古代から世界各地で存在してきたわけす。
 それに対し古今東西、いろいろな為政者や国や地域社会もいろいろにあがき、制度や慣習、習慣等を生み出し付き合ってきたわけですが、それらを全てスルーし現代の問題に矮小化し近視眼的視点で語っても仕方ない訳でして・・・・(まあ故に感情論に堕するのでしょうが)。

 そうした面ではこの本、近代の戦場の性という部分に特化している本という意味では物足りないとも言えるし、特化している故に深いとも言える印象でしたね。

 兎も角、好みの本だった故その後新刊を購入してしまいました。
 最初の写真に著者の言葉が無いのはそれ故です。
 初版はこんな感じ・・・・。

 初版


 図書館で借りた本を本屋で購入なんて久々にやりました・・・。

 
 

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2017/11
10
[ #980 ]

フレッド アステア

 先日ある方が下さった本。


    表紙

 「The Fred Astaire DANSE BOOK」    フレッド アステア ダンス ブック。


 1962年アメリカで出版のフレッド アステア ダンス スタジオ のダンス教本です。


 
 これが面白いのです。

 因みに”フレッド アステア”といっても若い方やダンスに興味の無い方は判らないかも知れませんが、戦前1930年代から戦後の時期にかけて活躍した映画俳優(かつダンサー&歌手)で、アメリカのミュージカル映画の基礎を造ったといいますか、全盛期を支えた方ですね。
 因みに裏表紙に当時の顔写真とサインが・・・・。


 裏表紙

 

 恐らく代表作は「カッスル夫妻」とか「踊るニュウ・ヨーク」とか「ザッツ・エンタテイメント」辺り・・・・。
 (個人的には初期作品がいかにもといった雰囲気があって好きですかね。曲もコールポーターだったり・・・・)

 で彼の後をついでミュージカルの主役となったのが「巴里のアメリカ人」や「雨に唄えば」のジーン=ケリー。


 その後は・・・というと、こうした典型的ミュージカル映画は受けなくなり・・・・・。

 まあストーリーはワンパターン&常にハッピーエンド、といったいかにもアメリカ映画。この能天気さはベトナム戦争が問題視される頃から廃れていき、ハッピーエンドではないアメリカ映画(ニュー アメリカン シネマ)におされて衰退する訳で。
 そう、「イージー・ライダー」とか「真夜中のカーボーイ」とか「ボニー&クライド」とか・・・・。
 (個人的にはスケアクロウなんて好きですかね)

 相変わらず話が脱線気味です・・・・

 
 閑話休題、このフレッド=アステアのダンス。タップは当然巧い訳ですが(タップこそがアメリカのダンスの代表といったイメージが私にはあります)、それ以上にフォックストロットの名手の印象が強いですね。
 軽やかに滑るようなダンス。或いは歩くように踊り、踊りながら歩くというか・・・・・。
 (因みにジーン=ケリーのダンスは、もっと床を踏んでいるというか、力を感じるというか、ヒップホップの萌芽というか・・・そうした印象ですね)


 で、この本を開いてみると・・・・足型など丁寧に書いてあるのですが現代とはかなり違うのです。

 例えば、フォックストロットが、スローフォックスとクイックステップ(加えて言えばブルース)に分かれていないのです(1962年当時、未だ分化はされていなかった訳では無い筈ですが・・・・)。

 こんな感じで・・・

 フォックス


 他、チャチャチャのニューヨークというフィガーがクロスオーヴァーという名で紹介されていたり。

 チャチャ


 まあ競技向けではなくパーティー向けの本、あるいはアステアの様に踊りたい人向けの本なのかも知れませんが、色々と興味深いのです。
 (一寸アステア主演の映画を再見したくなりました)



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2017/07
04
[ #946 ]

ダンデライオン

 少々古い本、昔読んだ事があるのですが無性に再読したくなり先日図書館で借り出し読んでみました。



     ダンデライオン

  「ダンデライオン」   著者はメルヴィン=バージェス   英国人だそうです。

 
 因みにダンデライオンというのは「タンポポ」の事ですね。葉っぱのギザギザがライオンの牙に似ていることが名の由来とか・・・・(そういえばユーミンの曲のタイトルにもあった様な・・・・・)。

 

 閑話休題、何故急に再読したくなったかは私自身でも定かではないのですが、確か先日このブログに”最近の日本の社会の空気が大正~昭和初期に似て拠っている・・・” 何て事をアップした記憶が有りますが、それと同時に戦後の英国の所謂”英国病”といわれた時代からサッチャリズムの時代にも一寸似てるのかな?と漠然と想った事が理由かも知れません。

 この小説、日本での出版は確か2000年頃だったと想うのですが、舞台は70年代末から80年代初頭位の英国なのです(正に英国病の時代?)。

 
 ストーリーは”ジェンマ”という少女と”タール”と呼ばれる少年が(それぞれ?)家出をし、パンクス~ジャンキーへと転落していくといったものなのですが、それだけでは語れない魅力のある小説です。

 因みに原題は「JUNK」。
 ジャンキーのジャンクでしょう。

 
 何が魅力かといいますと、おそらく登場人物の心理描写。

 これがなんとも繊細かつ秀逸で引き込まれます。
 ある種青春小説の傑作ともいえそうですし、また当然のことながらデカダンス的小説です(もしかすると若い世代には太宰の小説同様の受け取り方をするかも知れません。)。

 著者は執筆当時40代のおっさんでしょうが、若者の心理描写はホントみごとです。

 そういえば同時期の英国の若者を描き話題となった映画に「トレインスポッティング」なる作品がありましたが、比較すると面白いですかね?けっこう雰囲気は違いますが・・・。


  
 話は変わりますが、当時結構存在感があった”パンク、パンクス”の若者たち、最近余り見かけない気も・・・・。
 そうあの頃のパンク、そのトンガリ具合・・・、存在感があったというか一寸惹かれるというか。
 それも私がこの本に惹かれる理由かも知れません。


 装丁画も雰囲気ですよね?

 因みに裏表紙の装丁画は・・・、


    裏表紙



 そういえば先日、あるTV番組で若者の意識が相当に保守化しているといった事を伝えていました・・・・。
 もちろん所詮はTVですし、インタビューの結果からということでどれほど信用できるかはさておき、確かにそうした事は感じます。
 安全思考というか、ともかく言質をとられない様なしゃべり方というか・・・・素直すぎるというか・・・・リスクを避けたがるというか・・・。

 別にパンクスになれとはいわないですが、少しばかり自分の頭で考えるとか、尖がってみるとかも大事な気もするのですがね。


 まあそんな事も思う小説、若い世代に勧めたくなる小説です。



 追記

 もしかすると現代はパンクの代わりにヒップ・ホップなのですかね?


 

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