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2018/08
15
[ #1044 ]

大山倍達正伝

 先日図書館で借り出した本、私好みで興味深く読めました。


        大山倍達正伝

 大山倍達正伝   小島一志・塚本佳子


 大山倍達といえば我々世代からすると漫画”空手バカ一代”の主人公、そして当時の空手界のカリスマともいえる存在。
 そしてこの漫画、色々と言われますがその後封切られたブルース・リーの映画と共にある種の空手ブームを生み出し、それが現代に続く格闘技ブームを生み出したのは確かでしょう。

 また一方死後は色々と誹謗中傷的な情報も流され、その実態が見え辛い方という印象も。

 それが先日図書館でこの本の背表紙を目にし、もしかするとその実像的な物が垣間見えるかと借り出した訳ですが予想以上に興味深かったのです。
 特に第一部はかなり面白いといえる内容でした。

 その興味深かった部分を私なりの解釈も混ぜながら(笑)少しばかり紹介してみようと想います。
 (恐らく長くなります)


  
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2018/06
08
[ #1030 ]

聖戦美術

 先日あるお客様が貸して下さった本、といいますか画集です。


  002_2018060810212529e.jpg


 「聖戦美術」  陸軍美術協会

 

 昭和17年に出版された非売品の画集。
 陸軍に帯同した画家たちの描いた作品を集めた画集ですね(第二弾かな?)。


 カヴァーを開くとこんな感じ・・・・。

  003_201806081026177b7.jpg



 初めに数点の題字(書)が掲載され、その次に多くの絵画(主として洋画)が掲載されています。

 因みに最初に掲載されています題字(書)及び表題の書は、松本石根陸軍大将。

 そして絵画のトップバッターは・・・・



   005.jpg

 藤田嗣治


 当時わが国の洋画界美術界の第一人者という地位にあったことが伺われます。
 また藤田嗣治氏はこうした絵画を描いたことにより戦後戦争協力者として非難を浴びた訳ですが・・・、またそれらを要因として渡欧、フランス人として生涯を閉じた訳です。


 そんな事を思いながらこの画集を捲らせていただいたわけですが・・・・、私の感想として、全体としての雰囲気、暗いのですよね。色調もそうですし、描かれている場面や対象も全体的にそう・・・。

 どう観ても、「勝った勝ったまた勝った」といった雰囲気ではないのですよね。
 果たしてこれで国民の戦意高揚に繋がるのか?というと甚だ疑問な訳です。

 (もしかすると藤田氏も、にもかかわらず戦争協力者としての非難を受けたことにより、この国の美術界に見切りをつけ渡欧となったのでは?等と思ってしまいます、やはりこの国の美術界の嫉妬体質に・・・云々・・・・)


 まあ、実際の戦場を自らの目でみた画家達がそれを描いている訳ですし、現実の戦場、特に20世紀以降の近代戦の現場って、そんな勇ましく格好の良いものでは無い訳ですから、それを画題といして描くとそんなに華々しいものにならないのはあたりまえといえばあたりまえでして・・・・。
 まあそれも含めて芸術家の視点といいますか、画家の良心(というと大げさかもしれませんが)なんて事を思ったり。
 もしかすると日本人のメンタリティー故かも知れません(”海ゆかば”だって戦意高揚に繋がる曲調と想えないと同様に)。

 兎も角この画集をながめますと、戦地で一旗挙げて・・・という気分にはなれそうも無いのですよね。

 しかしそう思うと、往時何故こんな画集が出版されたのか?
 まあ色々あるのでしょうかね。


 そう思うと実際に戦争を煽ったの、こうした画家たちのように実際に戦場に赴いた人たちでは無いのかも知れません。

 当時の新聞広告等みますと、それこそ「空爆にはキャラメルもって」の広告ではないですが、そうしたメディア、つまり、大本営発表をひたすら垂れ流した新聞とか、広告代理店、あるいは広告主だった大企業辺りが主体だった様にも思われますがどうなのでしょうね?(またその雰囲気やシステム、今現在にも行われている気も・・・・というと嫌味ですかね?)


 そんな事をおもった画集でした。

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2018/04
12
[ #1016 ]

瀬戸内の海人たち

 先日図書館で借り出した本、楽しく読ませていただきました。
 

     瀬戸内の海人たち

 「瀬戸内の海人たち」    ・森 浩一 ・網野喜彦 ・渡辺則文    中国新聞社

            
 私自身瀬戸内の海の側で生まれ育った故かこの手の本に惹かれるのです(或いは私の出自故か・・・どうも先祖は廻船問屋を営んでいたようで)。


 しまなみ街道の開通を期に広島の地元新聞社が出された本で、内容は序章に続き・・・

 ・考古学から瀬戸内をさぐる ・中世瀬戸内の海民 ・近世における瀬戸内の島々 の3章を中心としまとめ的に

 ・<討論>瀬戸内研究への提言  他、・中世都市と民衆 ・幕末の漂流民 

 といった内容で私好みです。因みに網野喜彦氏の「中世瀬戸内の海民」は既読でした(まあ、97年出版の古い本ですし)。

 
 全体を通して書かれていること、歴史学で語られるわが国の位相は農本主義或いは土地本位制を主体とした視点であり、また各文書に対する素直な信頼といいますかなんといいますか・・・・であり。そこから見える物と実際の人々の生活や生業といった物はかなり異なるのではないか?といった物に思えます。
 更にいえば、そこには海からの視点・海民の視点といったものが不足しているのでは?海上を船で運ばれる情報や品物の流通といった物を観ないと事実は判らないのでは?・・・・・云々といった感じですね。


 そう、恐らく律令制の導入やそれに伴う古事記や日本書紀の編纂といった事を切欠に、農地からの租税を基本とする政権が力を持ち、歴史も其の視点で掛かれた物が主流(大本営発表? 笑 )となり、海や山で暮らす人々や其の視点は消されてきたというのがわが国の歴史(学)の世界とも思えるのですよね・・・・。
 また其の先に、藤原純友の乱や、源平の争いや、南北朝の争いといった物もあるように思えるのですよね。
 で、そうした見方をする私にジャストな本でした。

 古本屋で見かければゲットして手元に置いておきたくなりそうな本でもありました。

 

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2017/12
22
[ #990 ]

秋から最近にかけ読んだ本から

 今年の正月明けから諸事情によりスマートフォンを持つことにしたのですがおそらくはその所為でしょう、最近目が弱って本が読めなくなっているのですよね・・・。
 明らかに読書量が落ちています。

 それでもボチボチとは読んではいますので、その中から何冊かをアップ・・・・。



 先ず一冊目

 
    10版

 「慰安婦と戦場の性」  秦郁彦


 

 このところニュース等で慰安婦像の話題がかしましい故に読んだ・・・・という訳では無いです。

 以前にも書きましたが、私という人間は旧遊郭地等を徘徊する性質がありまして、そうした面からこの手の話も押さえておきたいと・・・・、またそれ以上に図書館でこの本を見つけた時に表紙に書かれた著者の言葉に惹かれまして。


 其の文章・・・・・。


 リード



 そう確かに最近、特に1970~80年代頃から提起される諸問題、この慰安婦の問題や嫌煙権がらみの問題、ほか反捕鯨運動とかフェミニズム等・・・・それこそあげると限が無いのですが・・・・兎も角、感情論や政治的ポジション等々に堕しつまらない過熱の仕方に向かい、冷静かつ多面的で深みのある議論や会話にならない印象が強いのですよね・・・。


 そこで借り出し読んでみた訳ですがよかったです。

 一言で言えば(偏執狂的)労作。かな?資料等の集め方等が特に其の印象。
 また過去や外国の従軍売春婦や戦場における軍隊の性の問題(私娼制か公娼制か等)にもちゃんと言及してありますし。
 
 考えてみれば社会における売春婦の存在という事に対する問題意識というの、古代エジプトから存在するわけでして。あるいは飲む・打つ・買うの他の二つ、飲酒の社会的問題や賭博の問題とも同様に古代から世界各地で存在してきたわけす。
 それに対し古今東西、いろいろな為政者や国や地域社会もいろいろにあがき、制度や慣習、習慣等を生み出し付き合ってきたわけですが、それらを全てスルーし現代の問題に矮小化し近視眼的視点で語っても仕方ない訳でして・・・・(まあ故に感情論に堕するのでしょうが)。

 そうした面ではこの本、近代の戦場の性という部分に特化している本という意味では物足りないとも言えるし、特化している故に深いとも言える印象でしたね。

 兎も角、好みの本だった故その後新刊を購入してしまいました。
 最初の写真に著者の言葉が無いのはそれ故です。
 初版はこんな感じ・・・・。

 初版


 図書館で借りた本を本屋で購入なんて久々にやりました・・・。

 
 

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2017/10
12
[ #972 ]

少し似ている様な・・・

 衆議院選挙が告示され選挙期間に入りましたが、これまでの選挙に比べそれ程選挙カーの声が耳に付かないような・・・。
 
 それはさて置き、別に政治の事を書こうという訳では無いのです。ただ少し前から、21世紀にとなったこの十数年の雰囲気が大正から昭和初期の社会風潮に似ているのでは?と想うことが結構あり、其の辺りの事を思いつくまま少しばかり記してみたくなったのです。


 大正から昭和初期といいますか、20世紀初頭の数十年とこの十数年が少しばかり似通っているかもしれない?と想ったのは何時頃からかは判りませんが、もしかすると東北の震災から東京オリンピック誘致決定の流れの頃からかも知れません。

 そう、2011年の東北の震災が1923(大正12)年の関東大震災に、2020に予定されている東京オリンピックが中止となった1940(昭和15)年の東京オリンピックに対応しそう・・・等と漠然想ったあたりからです。

 しかしそうした想いで当時の社会風潮等を観ますと確かに此処最近の雰囲気、当時と似ている様に益々思えるようになった訳でして・・・・。
 例えば当時、船旅のブームというのがあったのです、各海運会社が客船等就航させ船旅を奨励していた訳です。そして此処最近もクルーズブームの様な物が明らかに有りますよね?
 また当時、瀬戸内海地区が国立公園と指定され(世界基準の自然公園等と宣伝され)それに伴い観光やリゾートブームが起こる訳ですが、またそれに伴い山登り等も流行する。これも此処最近の世界遺産指定による観光奨励や山ガールの言葉等に代表される登山ブームがそれに当たる気がします・・・。
 また当時各地で博覧会が盛んに開催されある種のブームともいえそうな風潮でもあったのですが、最近のOOフェスとの各種イベントも似た空気を感じるのですよね。

 更に言えば、第一次大戦による好景気は、昭和末期のバブル景気に。その後の不況はバブル崩壊に・・・と。

 そして更に、都市部と地方(当時特に東北辺りの農村)との格差拡大が深刻な状況となり社会問題となる。これも同様に・・・、限界集落なんて言葉が生まれるくらいですから。
 またこの問題は昭和初期の不作と重なり、多くの女性が身売りされ娼妓・芸者・酌婦といった風俗嬢となる(恐らく昭和初期が我が国でそうした女性が最も多かった時期でしょう)。
 これに関しては現代とは違うのでは?といわれそうですが、ある種の女性アイドルグループの売り方等見ていると、遊郭の商売の仕方と似ている気がして仕方ないですし、”JKビジネス”なんて言葉が生み出されるくらいですから似た風潮とも思えそうです。

 また、大戦景気や関東大震災からの復興景気は、成金と同時に都市部の貧困層を生み出しましたし、これも最近、格差の拡大が言われていますよね・・・・。

 またこれは原因とも結果とも言えそうですが、当時を”大正ロマン”といった言葉で表現することもあります、この”ロマン(主義)”言ってみれば本来は”科学技術が発達すれば不可能は無い”といった科学万能論に根ざした楽天主義とも言えそうで、これは現代の”AIブーム”にも似た風潮を感じさせられますし。また”昭和モダン”の風潮も、言ってみれば兎に角新しいものが良い、或いは”科学技術”発展=無条件に良いといった風潮とも想えこれも同様・・・・・。

 更に政府債務残高の増大も・・・・。

 また地域の自治会の法人化云々といった流れも、明治末の地方改良事業と似た空気を感じさせる気がしたり・・・・。



 おまけに言えば、北朝鮮に対する経済封鎖といった報道も何となくですが、当時のABCD包囲網といったものを思い出したり・・・・。

 (こうなると殆ど私の妄想か・・・・?  笑 )
 

 まあそれはさておき、1940年の東京オリンピック中止決定の後何が起こったかというと、いわずと知れた”先の大戦”な訳です・・・・・。


 最も其の前に1940年秋に大政翼賛会の結成なんてのが有ったり・・・・。





 この選挙の後、そうならないで欲しいな、とは想うのですが・・・・・。

 ちょっと思いついたので記してみました。

 

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2016/12
30
[ #896 ]

ワインのはなし 11

 海外の、特にヨーロッパのそれなりワインを買いますと、AOCとかDOCGとかDOとか・・・規格といいますか格付けがついてますよね。
 こうした格付けに関する法律、消費保護や公正な商取引等々の立場で行われているといった説明もされるのですが、ではこういった格付けは何時頃から始まったのか・・・?といいますと、恐らくは1855年のボルドーワインのそれが嚆矢ではないかと思われるのですよね。
 
 そう1855年に初めてボルドーワインの格付けが行われる訳ですが、これはやはり1855年に行われた第一回のパリ万博に向けて・・・・というのが大きな理由といえそうです。


 等といいますと、では何故?万博故に格付け?という疑問もありそうです。
 そう、一寸と考える分には万博と格付けって余り関係なさそうな気もするのですが・・・。


 1851年にロンドンで初めて開催された万博というシステム、特にその後粗11年ごとに行われたパリ万博、これは言ってみれば全ての文物をショービジネス、詰まりは見せ物の対象とするシステムであるともいえますし、全ても物を商品化するシステムとも言えそうです・。

 そうして其の中でボルドーのワインも一般消費者向けの商品としての位置づけが明確になる、あるいはそうしようとしたということなのでしょう。


 革命以前のフランスのワイン、その多くは貴族等富裕層に飲まれたり、或いは流通業者によってイギリス等に輸出されたり・・・・という事が多かったのでしょうが、この万博を切欠に一般消費者向けの商品、或いは消費者の視点ということを意識したのでは・・・?ということです。


 そして一般消費者向けの商品として必要な要素とは・・・・、先ずは解りやすさそして高級感・・・・といったところですかね。
 つまりはブランド商品化すること。

 例えば昔の日本の酒の等級等考えても解り易いのですが・・・。

 特級=いい物、高級品。2級=安物、廉価品。

 ねっ、解り易いですよね。(もっとも日本の場合酒税の都合も多そうですが・・・)

 
 また考えると、日本で人気の宝飾品ブランド多くがフランス製という気がします(エルOスとかヴィOンとか・・・)。勿論18世紀以前においてもルイ王朝御用達のフランス制奢侈品は著名だった訳ですが、これをブランド商品として成立させたのが19世紀であり、パリの万博であったという気がするのです。
 そしてそのワインとしての嚆矢がボルドーワインであり、行ったのはナポレオン3世の周辺・・・ということなのでしょう。
 
 確かに現代でもワインの産地名として最も著名なのはボルドーという気がしますよね。

 
 万博に出品し受賞したことにより、万博来場者に知名度が広がり更にそこからの口コミで・・・・・と、こうしてボルドーワインの名は不動の物に・・・・。


 ただ万博に行けない人たち、一般消費者への知名度は・・・・?
 となりますと・・・・。
 そこでもう一つの要素、広告・宣伝という存在や媒体。


 19世紀とはまた、商品広告が本格的に始まった時代という気もするのですよね。


 例えば以前一寸アップしたこの本。


 明日は舞踏会


 表紙もそうですが中にも多くのイラスト(石版画)が掲載されておりまして・・・・。

 例えば

 1830頃


 これらは恐らく1930年前後の”モード”誌のページでしょうが、この頃からこうした形で広告宣伝的な物が本格的に始まり商品のブランド化、知名度向上に貢献していく訳でしょう。

 そして恐らくこのモード誌はエミール・ド・ジラルダンの作ったものでしょうが、その後彼は1836年にページの半分が広告という形態の新聞(広告料故に値段が安い)を発行する訳ですが、これが商業新聞の嚆矢でしょう・・・・。
 (そういえば私の家に配達される新聞もその役半分のスペースが広告やそれに類するものですな)


 一寸話は飛びますが、実は18世紀末の寛政時代に活躍した歌麿や写楽等の浮世絵も上のモード誌同様の存在(詰まり広告的)だった訳ですし、平賀源内が引き札(ちらし広告)を発明したのは18世紀半ばですから其のあたり我が国の方が実はかなり早いですかね?更に云えば菱川師宣の”吉原の態”なんて17世紀半ばですし(実は個人的には菱川師宣が浮世絵広告の嚆矢とも思えたり)。

 となると、ジラルダン等も浮世絵に影響を受けた?
 (いやいや、フランス革命自体印刷物の影響が大きそうですし、マスコミ・プロパガンだ的存在が起こしたとも言いえそうだし・・・・・) 

 ついつい妄想癖が・・・・・申し訳ない。



 閑話休題、バカナリヤの店内に掛けてありますこちら
 
 1853頃

 1853年の物です。

 石版や手彩色の手法が1930年代より上がっています。
 (はい、この手のもの好きなのです)

 更に云えば19世紀の終わり頃になりますと印刷技術の発達で印刷のイラスト広告が、それこそ大量生産される時代に・・・・アメリカのシャツメーカーの”アローマン”なんて代表的存在ですよね。


 そういえば、モード誌が1830年前後、私の店内の物が1853年ころ・・・・。
 1830年のフランスは復古王政~7月王政への転換期、1953年は第二帝政が始まりパリ万博を間近に控えた時期・・・。
 色々思いますよよね。

 (個人的には7月王政期に現代資本主義社会が成立したと思いますし、第二帝政でそれが固定化したとも思っています・・・)


 何だかワインの話からそれていますな・・・・。

 でも思えば、フランスのAOCが発効するのも、確かパリで万博が行われた1937年だった記憶が・・・・。


 この辺り、中々面白いと思うのですがね・・・・。

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2016/09
15
[ #864 ]

東廓

 明けて月曜日、覚めると体内にしっかりと酔いが宿ったままです。
 まあ前夜の宴会、酒の燗付けが間に合わない位のペースで燗徳利が空いておりましたし(今回もですか・・・!)、其処から更にバーホッパー(因みに私は4軒程・・・・・)。まあ仕方ないですがやはり歳は感じます。確か10年ほど前に初めて実施した京都では、昼から飲み続けた後~お座敷でも飲み倒し~更にバーを8軒回ってもそれほど二日酔い無かった記憶が有ったのですが・・・・。


 閑話休題、宿酔いを嘆いても仕方ないので、ホテルの朝食はしっかりと腹に収め街歩きに出かけます。


 この日の目的地は東の茶屋街周辺。

 この辺りが恐らく入り口、その昔木戸が置かれた辺りですかね?


   東廓


 紅柄の壁と風にそよぐ柳が雰囲気です。

 此処で先ず向かったのは、国の文化財にも指定されております御茶屋建築「志摩」様。続けてその斜め向かい、やはり保存されています御茶屋建築の「懐華楼」様。

 ハイ、完全に私の趣味です。


 しかし、この二つの建物の雰囲気の差異、興味深かったですね。

 共に文政3(1820)年に建てられたものでしょうが、志摩の方は其の当時の雰囲気を残しており(まあ、故に文化財指定なのでしょう)、懐華楼の方は(恐らくは御茶屋としての廃業時)、昭和初期の雰囲気が色濃く出ている感じですね。

 そう、志摩は江戸末期の金沢の社交文化の中心であり社交場であったお茶屋の雰囲気やありようが感じられます。
 全体的に抑え気味かつ繊細で風雅な空気ですかね。

 この中庭などいかにもですよね。

 志摩
 

 またここでもう一つ個人的に興味深かったのが此処。


 台所

 台所といいますか厨房といいますか。

 地域に拠りますが、お茶さんでは基本的にお客様向けの料理はしない訳で、お酒の燗付けと後、吸い物の出汁をひく位、でこうした場所はこじんまり。

 これが料理を造れるしっかりした厨房&庭に本格的な茶室が付くと、所謂”揚屋”ですね(長崎ではこの呼称が逆の様です)。


 これに対し懐華楼は、いかにも大正~昭和の雰囲気といいますか、謂わば世間でイメージされるであろう所謂”遊郭”的雰囲気が漂っています。

 玄関を入ったところのたたきがこうですし。

 懐華楼



 其の先の大階段がこうですし。

 階段



 更に2階の大広間がこうですから。

 畳


 そう粋な志摩に艶っぽい懐華楼。
 あるいはお茶屋的志摩に妓楼的懐華楼。

 興味深かったです。


 
 そこからこの辺りの芸妓さんの信仰が厚いといわれる菅原神社に・・・・。
 此処の玉垣は・・・・。


 玉垣


 東廓事務所ときしてあります。

 現在は東茶屋街と呼ばれていますが、恐らく昭和の時代まではこの辺り東廓(ひがしのくるわ)と呼ばれていたはずでして、耳ざわりもそちらの方が良い気がしますし日本語としても・・・・・(で、私は東廓と書くわけですが)。


 この日は余り時間の余裕も無い&単独行動でも無い故余り長居はせず、梅の橋まで坂を下り此処から川沿いを中の橋まで散歩。


 浅野川を挟んで観る主計町の茶屋街が雰囲気です。


    主計町

 何といいますか、京都の木屋町辺りとも似た雰囲気ですかね・・・・。

 川沿い、柳。
 雰囲気ですね。


 ここから、券番事務所前~暗がり坂と歩き今回の金沢の街歩き、個人的には終了。

 市場で軽く昼食&散策の後は帰るばかり・・・・・。
 やはり一泊二日では足りないですな、21世紀美術館も行けなかったですし・・・・・。

 まあまた機会が有れば・・・・です。




 追記

 金沢の東西両廓。文政4年に成立する訳ですが・・・・、其の前は?なんて疑問もありそうです。

 個人的な見解では有るのですが、1620年辺りから、金沢の廓の成立する1820年頃迄の江戸の主要期、江戸(吉原)、大阪(新町)、京(島原)、長崎(丸山)といったところに(官許の)廓が有るわけですが、其処以外、殆どの城下町には公には廓はあまり存在しないのですよね(勿論例外も)。また往時の黄表紙等にも「遊郭」の文字は殆ど見当たらない・・・・。

 また我が国で娼妓さんの数が最も多かったのは、恐らく昭和初期。


 言ってみれば”遊郭”とは、明治~大正~戦前 といった時代の象徴ともいえそうです。

 江戸期は、廓とか茶屋(街)(あるいは遊所)・・・・。


 そんな事も考えた金沢でした。

 

 

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2016/08
12
[ #853 ]

 TUTOMU ARAO

 前回は般若心経のアルバムでしたので今回は・・・


        平曲


 「平曲」    荒尾 勉

  
 平曲、詰まりは平家物語のアルバム、平家琵琶の演奏にあわせての弾き語りです。

 演者は”荒尾 勉” 氏 。
 以前この方の講演を聞かせていただいた時に衝動的に購入した物です。
 因みにこの方、本業は会社勤めで某大企業の宇宙工学部門で働いていらっしゃるとか・・・・。


 閑話休題、平家物語といっても膨大な長さに成りますが、このアルバムに収録されていますのは「飛脚到来」(捨物)と「先帝御入水」(節物)の段です。

 先帝御入水はいわずと知れた平曲のクライマックス、壇ノ浦で負けていく平家軍、其の船上で二位の尼が安徳天皇を抱きかかえ入水するという涙をさそう場面。やはり平曲と言うとこの段ということですね。

 そしてもう一つの「飛脚到来」。実はこの段も気になる段でして・・・・。

 各地で平家に対し源氏方の反乱が起こり始める時期、其の一つ伊予の国の河野四郎通清の反乱を額入道西寂が討伐するのですが、その後鞆の浦に渡り、遊女を呼んで戦勝の宴を催している最中、通清の息子、通信に奇襲され打たれる・・・といった物です・・・・。

 この”備後の鞆へおし渡り遊君遊女ども召し集め遊び戯れ・・・・云々”という部分、詰まりは当時の鞆の浦の状況が推察出来る気がしますよね。またあえて遊君、遊女と記してあり・・・もしかすると遊君=太夫クラス女性、遊女=娼妓的女性か?等と想像が膨らむわけでして・・・・ 笑 。



 とまあ。こんなCDも流したりする訳です。

 確かにバーという空間の雰囲気には・・・・????? ですが・・・・ 笑 。

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2016/07
26
[ #848 ]

瀬戸内モダニズム周遊

 先日図書館で借り出したこの本、中々興味を惹かれる本でしたのでその感想等を少々・・・・。


        瀬戸内モダニズム周遊

 「瀬戸内モダニズム周遊」   橋爪紳也



 何はとまれタイトルと装丁に惹かれ借り出したのですが、色々と興味惹かれる本でした。

 先ずはこの装丁が良いですね、この分野の第一人者”吉田初三郎”氏の観光鳥瞰図ですから。

 内容はと言いますと、大正から昭和初期にかけわが国に観光ブームが訪れる訳ですが、その観光ブームを”瀬戸内”と”モダニズム”という2つのキーワードを切り口に多面的に論じてみようという物です。
 私自身、瀬戸内で生まれ育ったこともありますし、またこのモダニズムあるいはそうしたことが喧伝された大正~昭和初期の建物に惹かれる面もありまして、正にツボ嵌ったという訳です。

 そして読み進めるにつれ観光立国を目指す現在のわが国の在り様および観光ブームと、往時のそれの余りの類似性に驚いたり楽しくなったりと・・・・。


 たとえば昭和初期の観光ブーム、国立公園という世界基準の公園の制定により地域のブランド化がなされた事をきっかけに沸騰する面が有るのですが(また故に地域おこしとして制定を促す運動が各地域で行われたり)、これは現在の世界遺産等の登録運動と瓜二つに思えますし、また格地域における観光開発のやり方も同様に・・・・。
 地域の風景・景観・神社仏閣・歴史・民話・伝統・工場・盛り場・等々・・・・・を観光資源として開発。更にレジャーランド等の建設。
 そして各種イベントの開催(往時では博覧会、共進会etc、現在では各種グルメやスポーツイベント等々)。
 国を挙げて外国人観光客の誘致を推し進め、それに対応するホテル等の建設、等々・・・・・・。
 また、船旅のブームなんてのも・・・・。、
 まさに約100年前と同じことを現在もやっているのだと実感させられます。


 またそうした行為、一言で言ってしまえば(少々不遜な言い方ではありますが)「軽薄」と成りますかね。

 勿論現場で苦労された方々の行動や地域おこしの想い等々は安直に軽薄とはいえない様に思えます。
 しかし、この観光ブームを俯瞰的(それこそ鳥瞰図的に?)に見た場合、やはり軽薄という印象が拭えないのですよね。
 まあ”ブーム”というものは押しなべて軽薄なものではあるわけですしね・・・・。


 また、(物見遊山や近代)観光と言う行為自体が言わば生産性の無い行為、言ってみれば軽薄な行為と言われても仕方ない面が強くあるとも言えそうですし。
 現実に当時もそう認識されていた面もありそうでして・・・・。この本に記されていたことによれば、当時、観光産業のみで成立していると言っても良い”別府”という街。ある識者は別府を”煙突の無い街”評価したそうです。その意というのは、工場の無い街であり生産的行為は行っておらず、タダタダ人様の財布の小遣いをあてにして飯を食っている・・・云々、と。

 (まあ、非生産的、非実利的行為が遊びであろうし、また上手くすればそれが文化ともなりそうで、結構個人的には好きなのですがね・・・・ 笑 )


 更に言えば、近代と言う存在自体が実は軽薄ともいえそうでもありますし。
 (確か「近代の夜明けと共に世界は軽薄の炎に包まれた・・・・云々、・・・」といった言い回しもありました・・・・誰だったかな?橋本治か?)

 実際当時でもそうした見方はあった様で、この本に紹介されています「モダン讃岐」という雑誌、その創刊号に編集者がこの様な意味なる創刊の辞を載せているのです。
 「浅薄なるモダニズムは真のモダニズムにあらず・・・云々・・・・」
 詰まり当時、モダニズムには浅薄というイメージがもたれていたと言うことでしょう。

 (まあモダニズム、場合に拠っては、また捕らえ方によれば、伝統的な物事を否定する主観的思想であり、とにかく新しいことをよしとする風潮でもありますからね。まあ、浅薄と言われても仕方ない気も・・・・・・。)


 実際、近代化、あるいは近代観光ってやはり浅薄・軽薄に堕し易いともいえそうで。


 例えば当時、また現代でも、地域の祭りや盆踊りが観光商品として存在感を放っていますが、近代以前それらの行為は地域の人々にとって先祖供養であったり、自然に対する感謝であったり、祭司的であったり、儀式的であったり、ハレとしての重要な日であったり・・・と、気域の行事として重要な意味を持っていた筈ですが、近代(観光)というもの、それらの多くの意味をすべて無視し、あるいは無理解とする立場において、単に観光資源としてしか評価しないわけですね・・・・・。
 更に言えば近代化と言うもの、言わば資本主義化でもあり、結局のところ全ての物事に対し、商品価値というスケール以外をあてはめ無い訳ですから・・・・そりゃ軽薄ですわな(それらの行為物事に内包された多々ある意味を理解出来ないって・・・・そりゃ浅薄といいますか、軽薄といいますか・・・・・)。


 そうして言ってみればこの商品価値でしか判断できない=経済理論優先の先にあったのが、わが国の大陸への進出であり、満州事変~日中戦争~太平洋戦争~敗戦・・・という一連の流れにつながっているとも思えるのですよね・・・・。

 実際に西洋でも、爛熟と退廃の19世紀末の先に第一次大戦があり、喧騒と金融バブルのジャズエイジの先に第二次世界大戦が来たともいえそうですしね。


 もしかすると、軽薄・浅薄なる社会風潮の先には地獄が口を空けて待っているのかも・・・・・、何てことも考えてしまいましね・・・・。
 特に今朝、いやなニュース(介護施設での大量殺人事件)を耳にしたこともありまして、こんな話しになってしまいました。



 それはさておきこの本、版が小さめ&白黒の印刷と言うこともあり見えにくいのがネックですが、多くの資料も掲載されていますし非常に魅力的な本なのですよね。特に呉や高松の当時の花街の事や、各種ホテル等の建築物などの資料は正に私好み、この企画で博物館展示なんてしてもらえませんかね?といった内容でした。

 


 追記、そういえば北海道の某所では新たに伝説を創作(捏造?)しその文脈にて祭りを行い観光客を集めているとかいないとか・・・?正に・・・・といった印象ですね。
 (しかし、アイヌとの関係やその存在はどう表しているのでしょうか?)
 

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