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2018/04
12
[ #1016 ]

瀬戸内の海人たち

 先日図書館で借り出した本、楽しく読ませていただきました。
 

     瀬戸内の海人たち

 「瀬戸内の海人たち」    ・森 浩一 ・網野喜彦 ・渡辺則文    中国新聞社

            
 私自身瀬戸内の海の側で生まれ育った故かこの手の本に惹かれるのです(或いは私の出自故か・・・どうも先祖は廻船問屋を営んでいたようで)。


 しまなみ街道の開通を期に広島の地元新聞社が出された本で、内容は序章に続き・・・

 ・考古学から瀬戸内をさぐる ・中世瀬戸内の海民 ・近世における瀬戸内の島々 の3章を中心としまとめ的に

 ・<討論>瀬戸内研究への提言  他、・中世都市と民衆 ・幕末の漂流民 

 といった内容で私好みです。因みに網野喜彦氏の「中世瀬戸内の海民」は既読でした(まあ、97年出版の古い本ですし)。

 
 全体を通して書かれていること、歴史学で語られるわが国の位相は農本主義或いは土地本位制を主体とした視点であり、また各文書に対する素直な信頼といいますかなんといいますか・・・・であり。そこから見える物と実際の人々の生活や生業といった物はかなり異なるのではないか?といった物に思えます。
 更にいえば、そこには海からの視点・海民の視点といったものが不足しているのでは?海上を船で運ばれる情報や品物の流通といった物を観ないと事実は判らないのでは?・・・・・云々といった感じですね。


 そう、恐らく律令制の導入やそれに伴う古事記や日本書紀の編纂といった事を切欠に、農地からの租税を基本とする政権が力を持ち、歴史も其の視点で掛かれた物が主流(大本営発表? 笑 )となり、海や山で暮らす人々や其の視点は消されてきたというのがわが国の歴史(学)の世界とも思えるのですよね・・・・。
 また其の先に、藤原純友の乱や、源平の争いや、南北朝の争いといった物もあるように思えるのですよね。
 で、そうした見方をする私にジャストな本でした。

 古本屋で見かければゲットして手元に置いておきたくなりそうな本でもありました。

 
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2018/04
06
[ #1015 ]

桜を横目に・・・

 先日の火曜日、初夏の様な陽気に誘われオートバイを引っ張り出し近所をウロウロ。

 向かったのは下蒲刈島の三ノ瀬地区、朝鮮通信士の寄港地として著名な地区で、一寸気になる物も有り此処を最初の目的地とした訳ですが、駐車場にバイクを停め少しばかり散策と歩き始めると周辺が妙に静か。
 そうこの地区の美術館・博物館等々の施設、火曜日が休館日と記してあります。又故にみやげ物屋さん等も休業日。広島県のこうした施設の多くが月曜休館ですので何も考えず訪れた訳ですが”大失敗”(もう少し慎重に行動しないと・・・・)。

 また各施設等閉まっています故トイレも・・・・、で役所にお邪魔しトイレを拝借しトイレ休憩のみで次へと向かうことに・・・(三ノ瀬は改めてリベンジですな、まあ何度も訪れている場所でもありはするのですが・・・)。


 
 で、次にバイクを停めたのはこちら・・・・

     観音崎


 愛媛県の岡村島に在ります”観音崎という場所。向かいは大崎下島で広島県。
 といいますか、真向かいに御手洗の常夜灯が見えます。そういう場所です。

 御手洗は何度も訪れているのですがここは足を踏み入れて無かったので、今回は此処に。
 さて岬の上までバイクで・・・とも想っていたのですがこの看板のすぐ脇にこれが・・・・。

      2輪は・・・


  
 はい、真面目にバイクを降り徒歩で遊歩道を観音堂まで登ります。


 此処を音訪れたのはこれを観てみたかった故です。

     地蔵




 この近くお不動さんを祭った祠のそばにこうした説明文があります。

 説明文



 また、以前聞いた話では、
 「身の不幸を嘆き身投げをした御手洗の遊女の遺体がこの観音崎沿岸に打ち上げられる事が多く、その引き取り手の無い彼女たちの骸を当時の島民達が無縁仏として松林のなかに埋葬し墓をたて供養した~~」

 どちらが正しいか?何て事を断定するのは難しいですが、話としては後者の方が古いと想われますので、実際に此処に遊女の遺体が流れ着いた事が有ったのでしょう。他の案内板等にも”遊女の墓”と記されていたりもしますしね。


 またこの遊女の墓のある観音崎の突端、これ以外にも観音堂等や古い常夜灯等もありまして。
 その常夜灯・・・、

 元文年間


 元文の文字が刻まれています(既にそのころより沖乗り航路が活性化していたということでしょう)。

 
 またその周辺も含め遊歩道やちょっとした公園に整備されておりまして、ちょうど桜が満開~散り始め。
 桜吹雪の下を散歩させていただきました。

 桜



 しかし、こうして桜の舞う中、こうした句を眼にしますと、色々な思いが浮かんできます。

  句碑


 
 一時間余り居たでしょうか?そこからせっかくなので御手洗にも立ち寄ります。


 それが此処も火曜日は各種施設はお休み・・・・。

 まあ何度も来ている場所でも有りますし、というか此処もいつかリベンジですね。


 それに今回はこうした物を手に御手洗の街並みを歩いてやろう、という気で立ち寄った面もありまして・・・。

 089.jpg 090.jpg


 昭和初年の職業別明細図です。


 これを頼りに歩いてみますと、結構往時の建物が残っております(平成3年の台風19号の被害でかなり崩壊したという話も聞いていたのですが・・・・、)。


 例えばこれは往時御手洗券番だった建物。

 元芸妓券番

 
 やはりどこか粋な風情が残っていますね。


 そんなこんなでしばらく街を散策させていただいた後、天満宮にも立ち寄り・・・

 天満宮


 散り際の桜を愛でさせていただき



 更にこちらに・・・・。

 070_20180406134618053.jpg


 此処はこうした場所です。

 071.jpg



 084.jpg



 此処に並んでいるお墓、享保から慶応辺りに掛けての年号が記されています。唯、殆どが戒名が記されているだけで俗名は無く、本当に全てが遊女の墓か?というと少々疑問も・・・・・。


 まあ、色町や風俗に関する話というのは中々難しいですしね・・・・・。


 又いつか訪れてみたいと想い、夜は仕事なので早々に退散。



 そんなこんなの今シーズン最初のバイクでの散歩(プチツーリング)でした。
 
 
 

 追記

 
 帰りがけに一寸だけ遠回りして、宿根の江戸彼岸の巨木に立ち寄り。

 昨年から丁度1年での訪問。
 昨年はつぼみでしたが、今年は風に花びらが舞っていました。
 今年の桜は本当に早いです。


 宿根の江戸彼岸



 

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2017/07
09
[ #948 ]

 そういえば今月は”海の日”というのが有りますよね(因みに今年の海に日、私はシェラトンに居る予定ではありますが・・・)。

 最近はそうでもないですが昔はなにはとまれ海の日には海に居た記憶があります。
 そう、海好きなのです。海派か?山派か?と尋ねられると、迷い無く”海派”と答えるであろう私なのです。
 (とはいいましても最近ホント海で遊んで無いですが・・・、それ故か先日は海を感じにクルーズも出かけたりした面も・・・)

 おそらくは、私が海の傍で生まれ育った故でしょう・・・。自宅から海までは徒歩数秒、子供の頃は正に海が遊び場でした。
 そして最近、年老いた両親の顔を見るため田舎に帰った際もしばしば海の傍を散歩したりしています。

 そうした時に想うのは”魚が減ったな”ということ。


 子供の頃海を覗き込めば、何らかの魚影が見えたものです。
 季節や場所にも拠りますが、コノシロが回遊していたり、水面近くをサヨリが泳いでいたり、干潟の水溜りにはハゼ類やえびかに類。
 一寸岩でもひっくり返せば、ギンポの仲間やゴカイ等。
 すこし穿り返せば、アサリ等の貝類やタコ・・・・。
 更に季節によっては夜、魚の跳ねる音が耳について・・・・何て場合も・・・・。

 落語のじゅげむでは無いですが、海砂利水魚は尽きぬほどといった喩えも大げさに感じない程で・・・・。
 (それでも父親などに言わせれば、昔は更に・・・・ともなるのですが)


 しかしそうした水生生物類も70年代くらいからは急速にその数を減らし・・・・、特に70年代後半からは劇的に姿を見れなくなったのです。(また漁業権なんて事もいわれ、勝手に干潟を穿り返せない状況にも・・・・)


 しかし何故こんなに急速に魚等が居なくなったのか?

 色々の理由が言われてきた気がします。

 先ずは”漁労技術の発達による魚の取りすぎ”
 これはかなり昔からいわれ現在でも言われていますよね?

 そして当時、70年代頃に言われて居たのは・・・。
 都市部への人口集中に拠る生活雑排水の増加に伴う、海洋汚濁、富栄養化。
 今でも溶存酸素量の低下しやすい夏場等では赤潮発生とともに言われたり。
 
 それと工場排水に含まれる有害物質等による海洋汚染。
 そういえば当時、呉の広大川河口周辺では”お化けハゼ釣り大会”なんてのが催されていた記憶も・・・・。

 そしてたしか、特に瀬戸内は内海故に水の入れ替わりも少なくそうした影響も出易い故、四国山脈の下を貫通するトンネル水路を設け、太平洋の海水を瀬戸内中央部に流し込んで浄化しようなんて案が言われていた記憶も・・・・。流石、日本列島改造論の時代ですね・・・・。
 (この辺りは水質汚濁防止法や、浄化槽や下水道の普及で改善傾向という気も・・・)

 また、その時代風潮故に、各地の(魚のゆりかごともいえる)干潟が相当数埋め立てられた事も大きい気がしますし・・・。


 そして70年代から80年代の高度成長~バブルに向かう建設ラッシュの中、大量の海砂の採取。

 また当時はあまり言われなかったですが、水田等への(水銀系を含む)大量の農薬散布も原因の一つに想われます・・・・。


 そして90年代に入るとTBTO(トリブチルスズ化合物)の影響なんて事も盛んに言われた時期があった気も・・・。
 トリブチルスズ化合物は船底塗料や養殖の魚網やロープに使用される防汚剤で、催奇性が強く、環境ホルモン(女性ホルモン)として作用し貝類に大きなダメージを与えると・・・・。

 また、各地での行き過ぎた養殖漁業の影響なんて事も言われた事もあった記憶も・・・(富む栄養価に拠る汚濁や、えさに含まれる抗生物質の影響、海洋汚染、上記のTBTOの事等・・・)

 また、各地に建設されたダムの影響で砂浜が痩せる・・・・といった事が言われた事も。


 また今世紀に成ってからは、そのダムの影響や里山の崩壊に拠る貧栄養価とか・・・・・。


 更に最近では、マイクロファイバー(微細プラスティック)の問題。
 これは海洋投棄された石油化学製品、所謂プラスティックが波等により細かくなり、それを動物性プランクトンが餌と誤認識し摂取、死滅していっているのでは?という件ですね。
 (因みに根本的対処法は無いとか・・・・)

 更に最近では、人間の服用したピル等のホルモン製剤が尿として排出されたものが河川に流れ込み淡水魚に影響を与えているという報告もあった記憶が・・・・。

 そういえば普及した下水道処理施設の温排水の問題何てのもありましたし、余り語られませんが原発の温排水何て問題も・・・・。


 何だか書いていて暗くなってきました・・・。

 
 まあ、どれが実際の海洋生物減少の主原因か?何て話は正確な事は証明されない気もしますし、地域等によっても異なるでしょうし、全てが原因とも言えそうですし・・・・。

 まあしかし、兎にも角にも我々人類が利便性を追及した結果ではあるわけでしょうから・・・・。


 唯、ある程度対処療法的とはいえ、対策も少しづつは利いている気もします。
 実際先日、田舎に帰った際に干潟を散歩して見ますと90年代には殆ど姿を見かけなくなっていた”ウミニナ”が少し戻ってきていました。
  
 海、或いは自然の持つホメオスターシス(恒常性)といいますか、懐の深さに一寸期待したくなったといいますか・・・・。
 少し嬉しい気もしましたね。


 丁度海の日に里山創作カクテルコンペなんていう物がある所為か、そんな事とを想いましたね。

  

 002_20170709153249d3c.jpg



 

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2017/05
22
[ #935 ]

日本海周辺(移動手段編)

 先日、舞鶴~金沢~境港~釜山~といった日本海沿岸の諸都市を散策してきた事は既に記しましたが、今回はその移動手段の話。

 こいつですね・・・・。


      船

 コスタ・ネオ・ロマンチカというイタリアのカジュアルクルーズ船。



 事の始まりは確か4月の10日頃。
 自宅で雑誌に目を通しておりますとこのクルーズの広告が・・・・、たいそうリーズナブルな価格表示に驚き傍に居た連れ合いに「えらくリーズナブルなんだけどどう思う?」・・・なんて感じで其の雑誌を手渡すとそれを一瞥した連れ合いは、「行く、行きたい、行かねば・・・・・」といった具合で・・・・。



 そう以前にもショートクルーズに行った事が有るのですが、その折連れ合いは体調が余り良くなく(その後しばらくして入院~手術という仕儀と相成りました故結構悪かったのでしょう)て楽しめずリベンジの機会を探していた様で、もうこれは行くしかないか?という状況。また私も最近煮詰まり気味といいますか・・・・。で、たまにはリフレッシュをと、その後数日の検討の後行くことに決めた訳です。

 時間も差し迫って居ます故、何はとまれ広告主の旅行社にTEL・・・・、空き部屋が有るという話で結果5月6日博多港発に乗ることに・・・・。


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2016/04
01
[ #812 ]

桜を探して

 本格的に暖かく成って来た事もあり、昨日は桜を求めてバイクで散歩。

 冬場は冬眠気味でしたのでバイクに身体を馴染ませる事も含めてですね。
 (少しだけバイクのセッティグを変えた面もあり味聞きも兼ねてかな?)

 
 先ずは自宅から須波港に向かい・・・・。
 一寸いい気に成って走った所為で早く着き過ぎてしまいましたので、写真を撮ってみたり・・・。


 須波港

 天候は良い感じの花曇り・・・・。

 此処からフェリーで先ずは生口島(瀬戸田)に渡ります(何だかフェリーが小さい物になっている気が・・・・・・)。



 これが気になってのルートを選択。


 金剛館

 
 耕三寺博物館の名品展。
 ポスターの下の部分に”洛中洛外図”が写っています。
 洛中洛外図や昔の鳥瞰図、古地図なんて存在に惹かれるのですよね。

 という事で、洛中洛外図が展示されています”金剛館”を訪れますと、受付にて 「チケットを見せて下さい」 と・・・・。
 「エッ?此処でチケット売って無いのですか?」 ・・・・。

 耕三寺、メイン部分&金剛館&未来心の丘、と大きく分けて三つの部分に分かれていて、共通券で全てを見る事が出来るというシステムの様で・・・・。
 確かにお得な気もしますが、出来れば金剛館単独や未来心の丘単独のチケットも有ると嬉しいかな?
 
 閑話休題、洛中洛外図屏風や源平合戦図屏風、源氏物語図屛風、曽我派の鷹図屛風・・・等々楽しませていただきました。
 (其の辺りを細かく書くと長くなりそうなので、カウンターの話題にするという事で・・・・ 笑 )

 次いで、折角なので? メイン部分にも立ち寄らせていただきました(結局立ち寄る訳です)。
 館外のしだれ桜が良い感じで開いておりましたので・・・、


 耕三寺 桜

 内の桜はさぞかし・・・・、と期待したのですが、三分咲き位でしたかね。


 耕三寺 桜 2

 
 それもあり、個人的にお気に入りの”潮セイ閣”(和洋折衷の見事な建築です)を見せていただき次に移動です。


 一山超えて洲ノ江港まで走り、またまたフェリーで岩城島まで・・・・。

 
 洲ノ江港   洲ノ江港です



 この岩城島に有ります”積善山”が桜の名所と聞き及び、訪れる事にした訳です。

 唯、フェリーの方にお聞きしますと、”未だ三部咲き”との事。
 ニュース等で、東京等では史上最も早く開花宣言が・・・・といった報道もされていた印象もあるのですが、島の桜は平年どおりの様です。
 

 何はとまれ小漕港に上陸、此処から4キロ程舗装林道を走った場所に山頂展望台の駐車場が有りまして、そこにバイクを停めます。この舗装林道(桜登山道)の両脇に多くの桜が植えてあります。

 木によって開花状況はまちまちですが、おしなべて観れば五部咲きといった感じでしたね。


 積善山 駐車場


 この駐車場から更に100m余り徒歩で登った場所に展望台があり・・・。

 積善山 登り道

 これを登って来る訳ですが、結構、急に感じます。



 展望台

 これが展望台。この屋上から周囲360度見渡せる訳です。


 はい、多島美が満喫出来ます。

 多島美



 しばらく楽しませていただいた後は島の南側、岩城港辺りへ・・・・・。

 
 岩城郷土館


 こうした場所が好きなのです。


 この郷土館、解説板にも書かれてあります様に、松山藩の島本陣としても使われた三浦家の屋敷跡という事で、江戸中期頃から大正期頃にかけて多くの文人(頼春水・山陽親子や若山牧水、吉井勇等々や其の関係者)が訪れた場所でもあるという事です。

 (往時の豪商、金持ちはこうしたかたちで文人等を”たにまち”的に援助、育てていたという事を実感させられます)

 という事で建物も往時の繁栄が伺われる物です(岩城港、藩の垣根を越えて使われたある種の自由貿易港だったとか)。

 瓦  内部  頼氏 詩



 出来れば此処で管理者の方に昔の事でもお聞きしてみたかったのですが(港町につき物の色町の事とか・・・・・笑 )、なんと管理人さんはいらっしゃらないのですよね・・・・。

 という事で代わりといっては何ですが、しばらく中庭等を眺めさせていただき、ゆっくりさせていただきました。

 
 それから、この郷土館を探している時にすぐ東側に神社の石段があることに気付いておりましたので、そちらにも立ち寄る事に・・・・。

 この神社、現在は八幡様となっておりますが、

 社殿



 ・・・・往時は水軍の砦(城)であった場所でした。


 亀山城址


 忠海の賀儀城跡と似た雰囲気でしたね。
 (現在は木が生い茂って海は見え辛い事も同様に?)

 また、玉垣や石灯籠も興味深かったです。

 玉垣  灯篭


 そうこうしているうちに、空が暗くなり始め、気温も心持ち低下・・・・。

 帰りのフェリーの場所と時間を確認しておくかな?と長江港に行きますと、丁度因島行きのフェリーがいます。

 これ幸いとそのまま乗り込み・・・・・、岩城島を後にしました。

 長江港


 フェリーの上で煙草を一本吹かしながら、フッと思いついたのが、そういえば岩城島では(色町跡を探して?)街並みを徘徊しなかったな・・・・と。

 いつかの宿題ですね。


 結局、あまり距離は走りませんでしたが、これで私のバイクシーズンの始まりです。

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2015/09
23
[ #755 ]

無目的なドライブ 2

 二日目の朝、いい子して布団に包まっていますと何だか気配が・・・・。
 連れのお二人が出かけようとしています。
 慌てて飛び起き、私も混ぜてくださいよ~~。

 で朝食前に朝の散歩、車で港周辺へと向かいます。


 歩いてみますと現在の香住町、非常に漁業が盛んな印象。
この日も調度、香住ガニの競りが終わったタイミングの様子で、蟹を積んだトラックが盛んに市場から出て行っています。



 市場

 この様な市場の建物が何棟も建っているのです。
 


 因みに競り落とされたであろう蟹は・・・・・。

    香住がに

 


 そして採って来たであろう船は・・・・。

 蟹舟


 香住ガニ専用の船なのですかね・・・・・・。




 周辺にも漁師町らしい風情をたたえた建物や船溜まりが有ります。

 
 町並み2  町並み3




 また散歩していた近くの海浜公園でこんなレリーフを発見。


     レリーフ


 恐らくは江戸期の香住の古地図をレリーフにした物でしょうが、これを観ると風除け等に良さそうな地形、往時は北前船も結構入っていたのでは無いでしょうか、特にこれから西の鳥取の海岸線が砂浜ばかりですしね、一寸調べてみたくなりますね(明治期に遊郭が在ったという話は聞かないですが 笑 )。


 閑話休題、その後宿で朝食もしっかりといただき帰途に着きます。

 前日はバイパスを通って香住の街に入ったのですが、この日は海沿いの旧道を選択、走っているうちにこんな神社に出会いました。


 荒砂神社


 荒砂神社という名だそうで、縁起はここに。

 縁起


 7世紀後半~8世紀前半・・・・・。古い神社ですね。
 (この8世紀初頭に確か古事記や日本書紀が成立していますので、この頃にいわゆる神社神道が成立したのでは?等と個人的には想えたりもするのですが・・・・)
 また、向かいの島の恵比須神社はこんな風情。

 恵比須神社


 いかにも漁民の信仰を集めたらしい佇まいです。

 また岩美町、この神社の西の地区。崖に(恐らくは漁業従事者の)人々の住宅がへばり付く様に建っていまして独特の風情、出来ればまたいつか訪れてみたくなった町並みでした。



 更に浦富海岸辺りも少し散歩し(400弱?の)階段を降り海岸まで行ってみました。

 浦富海岸




 ここまでは行かなかったのですが、気になる地名ですね 笑 。

 酒宴洞門  酒宴洞門(さかもりどうもん)





 そこからは大山経由(紅葉には未だ早そうでしたが、久々の大山を愛でさせていただきました)で無事夕方には東広島に帰り着きました。


 大仙




 店?もちろん開けましたよ。






 

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2015/08
31
[ #747 ]

海を眺めに

 昨日はプライベートな友人達と海を眺めに・・・。


    県民の浜



 10年程前まではやたらと海遊びをしていたのですが、その頃のメンバーで・・・・。

  

 事前の週間天気予報だと降水確率70%ということで、近場を選択、蒲刈に。
 集合地点にはこんなアート作品が・・・・。


 三ノ瀬


 この辺り観光地として結構整備されています。(永野兄弟のお膝元という事もあるのでしょうか?)


 目的地とした県民の浜にもこんな物が・・・・。

 天文台


 当日、この県民の浜のビーチは既に今シーズンは終了の様子で売店も閉まっていました。
 その分、人出も少なく静かで助かりました。
 何だか最低一年に一度はこうして海を眺めたくなるのです。
 ワイン何ぞ飲みながら”ボ~~~っと”過ごす時間が欲しいのです。


 唯この日は、ここの施設で知っている方々がダンスパーティーを開催中という事でそちらににも顔出し。
 結構忙しい私なのです。

 でもリフレッシュにはなりました。

 

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2015/07
21
[ #736 ]

暑くなって来ましたので・・・・。

 台風が通り過ぎ本格的に暑さが増して来る気配となりました(梅雨明け宣言も出たとか・・・・)、恐らくこれからひと月程の間この暑さと付き合って往かなければならないのでしょう・・・・。
 という訳で?車庫からバイクを引っ張り出し・・・・。


 実はここ数年間、この時期にバイクに跨り炎天下を走りまわって”無理やり身体を暑さに馴染ませる”何て事をしているのです。
 

 向かったのは四国・・・・・。 
 忠海からフェリーで大三島に渡り、しまなみ海道を通って四国に上陸、そこから下道で香川県に向かう算段です。

 しかし、四国の下道って結構流れが遅い印象。まあ、幹線道路ですしね。
 しばらく走りトイレ休憩の為、新居浜辺りのコンビニに停車。
 早めはやめの水分補給も兼ねて・・・・といったところ。


 そういえば新居浜市、住友鉱山の企業城下町、山手には別子銅山跡もあります。
 となると色町や遊郭跡も・・・・という話に私としてはなる訳でして・・・・ 笑 。

 しかし明治~昭和の前半に遊郭が在ったという話は無さそうで・・・・(山中の鉱山町にお女郎屋さんは在ったのでしょうが・・・・、端島だってそうだった筈ですし・・・・)。
 唯、戦後には色町(赤線)が存在していた様です。


 こうした街ですと鉄道の駅と港の間辺りに存在するのが定番と言う事で、その辺りを少し徘徊・・・・。


 こんな物を発見・・・・。


    新居浜・タイル


 そしてこの近くに、

 
 新居浜  泉池  

 往時の色町(赤線)跡でしょうね・・・・・・

 しかし、炎天下の街並みはホント暑い・・・・おまけにサングラスを壊してましい・・・・・早めに切り上げ次に移動。


 やはり下道を一般車やトラックの後ろに付いて・・・・・、ホント暑いこと暑いこと・・・・。
 それでも頑張って走り、此処にバイクを停めました。


      柳
 


 川沿いの柳って色街ぽくって良いですね  笑 。


 因みに琴平です。
 有名な”こんぴらさん”の石段は、今回は上がらず、金倉川を挟んで反対の地域を歩きます。
 旧富士見町遊郭跡、幾つかソープの看板が目に付きますがその裏辺りに・・・・。


 琴平  琴平・タイル  琴平・行灯


 
 しかし琴平の商店街も想ったより寂れ気味・・・・。
 イベントの開催日等は異なるかも知れませんが、観光バスで来て主要な場所を観て次の目的地に・・・・・といった観光スタイルが主流となった今日では、宿泊して現地で遊んで・・・・・といった人達も少ないでしょうからねェ・・・・。


 閑話休題、更にそこから旧多度津街道を走り善通寺の遊郭跡へ・・・・。

 こんぴら参りの中継地としてか善通寺の門前町としてか或いは駐屯地故か、兎に角昔は遊郭が認可されていたそうで(砂古遊郭)・・・・。


 しかし現在は完全に再開発済み、単なる住宅地と化しています。

 しいて言えば、こんな看板建築が・・・・・・・。


 善通寺




 早々に次の多度津へ・・・・。


 ここには昔の港町の風情を残した街並みがありました。
 (西浜遊郭跡等)


      虫籠窓
 

 例えばこの虫籠窓の跡なんて時代を感じます。

 また、街並みには・・・・。

 多度津  多度津3 



 また多度津に限らず、四国の瀬戸内にこんな意匠が目に付く気も・・・・・。

 意匠


 またこの看板?からは時代背景が推察できそうです。


      多度津2



 良い街並みでした。



 更に走って丸亀へ・・・・、


 何だかこの頃から軽い頭痛が・・・・・、
 熱中症気味か?或いはバイク用に誂えた度の強い眼鏡を掛けっ放しなのが原因か・・・・(サングラス壊したのは痛かったな~)。

 ということで丸亀の港、この近くで一寸休憩。


      丸亀灯篭


 側の石版に、往時こんぴら参りを伊勢参りに並ぶ観光とする為江戸で講を組織~~~、といった説明があります。


 一服した後周辺散策。




 港の東側には(西平山?新堀遊郭?)・・・・。


      丸亀タイル

 
 このタイルの色が・・・・・。

 他、   丸亀

 こんな建物等も在りましたが全体的には寂れ気味。
 瀬戸大橋が出来船便の需要が減った訳ですから仕方ないですが・・・・。
 (まあ遊郭地跡ですしね・・・)(また数日前の台風の爪あとも・・・・・)



 次いで、港の西側に(福島遊郭?)・・・・・。


 雰囲気のある建物を発見。


     丸亀3


 この当時のタイル、艶かしいですね。


 全体像は、 丸亀4 。



 そこから少し歩いた場所で・・・・。


     丸亀バイク

 
 1980年ころのCB750Kですかね・・・・。崩壊しつつある街並みを象徴する様で・・・・。



 このバイクの在った建物は、丸亀5

 元は医院ですかね?



 更にしつこく走り坂出の港辺りへ・・・・。
 往時の繁栄を思わせる建物が港の入り口付近に・・・・。


      坂出1



 恐らくこの建物から内港を挟んで北側辺りが昔の遊郭地では?想われるのですが・・・・・。


 坂出2


 しかし現在ではその殆どが倉庫等流通団地といった雰囲気。

 では・・・・と、港と鉄道駅の間の商店街へ・・・・・。

 昔は賑やかだったのでしょうね・・・・・。
 今では完全なシャッター通りといいますか、それ以上に・・・・・といった雰囲気。
 瀬戸大橋開通に拠り急速に寂れ・・・・・、といった噂は耳にしておりましたが、確かに。

 坂出・商店街

 一寸、玉島の商店街を思い出しました。
 

 その辺りで・・・・、


     坂出・廃墟





 何だか商店街がそのまま廃墟に向かっている様にも想え・・・・。
 (この建物、バックの青空も含め南の島の廃墟の様な印象を受けました、建築業界ではそれなりに著名な建物であったとか・・・・?)


 折角なので、色街的な場所・建物も探してみました。



 坂出3  坂出4  坂出・ネコ


 ネコはおまけね。


 そこから本土に戻る為高松港へ移動。
 瀬戸大橋を走ったほうが早いのは確かでしょうが、一寸暑さでグロッキー気味で・・・・。
 それにフェリー乗り場の少し東には旧新地(八重垣)遊郭跡が在った筈・・・・・と。


 その新地(城東)遊郭跡ですが、現状は完全にソープ街。
 日が高いうちから黒服を着たおにいさん方が入り口の前に立っていらっしゃる。
 そうなると写真を撮る訳にもいかないので、仕方なくこちらにバイクを停めまして・・・・。


  城東・神社

  
 この神社の玉垣。

    玉垣


 
 いかにも遊郭地の神社の玉垣ですね。


 そこから、フェリーの時間まで高松の飲み屋街を少しだけ散歩。
 路地裏メインに 笑 。


 高松・路地

 
 結構、賑わっていそうな雰囲気。

 やはり県庁所在地ですね。
 転勤族・出張族・官公庁・支店・支社等もあるでしょうから・・・・。
   

 こんな感じで走り廻ってきましたが、夏場は街並みよりも山道を走るのが正解ですね。ホント、暑くて辛かったです・・・・、年齢の所為もあるかな・・・・。





 

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2014/06
09
[ #617 ]

梅雨の晴れ間に・・・

 昨日は店休日とさせていただいておりまして、天気が良ければバイクのエンジンに火を入れてやろうという心積もりだったのです。
 朝、無理やりに目を覚ますと微妙な天気&予報、路面も前夜の雨でウエット気味。更にしっかり持病の寝不足。

 中止とすべきかとも考えたのですが、気合で車庫からバイクを引っ張り出し・・・予定よりかなり遅めに家を出て向かった先は、呉。

 ここからフェリーで四国は松山に渡ってやろうという算段だったのです。
 が、思いつきのタイミングで家を出た故次のフェリーまで45分程・・・しかも750オーバーのバイクは結構な値段。
 少し悩んだのですが、まあそれも含めフェリーを使うという事か?と・・・結局乗船。

 この航路に乗るのは恐らく30数年ぶり。昔は竹原~波止浜間や阿賀~堀江間にも航路が有りそれを利用する事が多かったのです。

 閑話休題、音戸の瀬戸を抜けフェリーは松山を目指します。

 音戸大橋

 音戸の瀬戸の渡しが写っています・・・。



 船上の仮眠で寝不足解消としたかったのですが結局寝付けず、海や島を見て過ごします。

 安居島

 これは「安居島」。この島にも昔は潮待ちの湊がありそこに遊郭が在りました。チャンスがあれば一度渡って見たい物です。


 閑話休題、松山観光港に着いて先ず私が向かったのは三津浜地区。
 往時は海運や港町として栄えた場所で、遊郭も在りました。

 先ずは伝統的建築物の鯛めし屋(鯛や)さんで、見学&昼食と想ったのですが、あいにく多くの予約が入っているという事で遠慮いたしまして何はとまれ周辺を散歩する事に。

 鯛めし


 往時の建物も少しづつ取り壊されている様子。妓楼建築は見つけれませんでしたが、商家や洋風建築がある程度残っています(いつか時間を作って再訪したい街並みです、鯛やさんで簡単な街並みマップも頂きましたので)。

 三津浜3 石崎汽船 三津浜にて 三津浜2 湊三島大明神

 港町らしい港町です。
 ゆっくりしたかったのですが、この日私が乗ったフェリーが松山に入港したのが昼の12時、早々に次の目的地へ・・・。


 それはこちら、

 松ヶ枝

 旧松ヶ枝遊郭跡です。
 恐らく上の写真の場所が往時のメインストリートの筈ですが妓楼建築は殆ど残っていません、といいますかこの宝厳寺の参道もかねた通りの左右。半分位は空き地や駐車場と化しています。
 まあ、それでも微かに雰囲気は・・・。

 松ヶ枝2 松ヶ枝3 松ヶ枝4 松ヶ枝5

 
 ということでここも早々に立ち去りまして(ここも一度ゆっくり来てみたいですね、出来れば泊まりで)。
 R317で山越え。地図で見ますと結構峠っぽいので少しばかり気合を入れて・・・と思っていたのですが、コーナーごとに例の縦溝が・・・(これ苦手なのですよね・・・。ハンドルを下げている私のバイク、特に下りは怖いです)。おまけに途中からはPCの先導も・・・という事でのんびりと走る事に・・・。まあ、寝不足の体調には良いかも知れません。




 次にバイクを停めたのは今治駅の近く・・・。ここも往時は・・・・。ということで・・・。


 今治 今治2 今治3 今治4

 看板建築がいくつか目に付きますので賑やかだった時期が推察出来る気がします。


 更に移動し波止浜にも。

 ここは昔、竹原からフェリーが入港していましたし、同級生がこの町の自動車学校の合宿で普通車免許を取るという事も多く、何となくですが馴染みがあります。
 それはさておき、昔は塩田や海運、その後は造船で栄えた町、往時を偲ばせる立派な商家建築が残っていたり。

 波止浜


 また、今治に色町が造られる前はこの辺りに遊郭が在ったとか?
 しかし現在は寂れ気味、上の建物も崩壊気味・・・。

 波止浜2

 飲み屋街も寂れ・・・。

 波止浜3


 印象に残ったのは街並みの入り口に在ります「龍神社」。雰囲気があります。

 龍神社 常夜灯


 そこから来島大橋を初体験・・・。
 (少し空けセルを開き気味で・・・、先日2次減速比をロングに振りましたので、その味利き・・・?横風が怖かったです)


 来島大橋


 島の北側、水軍で著名な能島の対岸宮窪町は、いかにも(現役の)漁師町といった風情。細い路地が多く在ります。

 能島 路地 美保神社


 
 更に大三島の宮浦にも立ち寄り、盛からフェリーで忠海へといった帰路・・・。 ここでもフェリーの待ち時間があったので周辺を散歩。
 廃校となった小学校に立派な木が・・・・。

 廃校
 
 実は私が卒業した小学校も廃校となったのです。
 考えさせられます。現代社会の末路はこうなるのでしょうかね・・・。

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