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2019/08
20
[ #1126 ]

皆生

 先日ちょっとばかり皆生温泉にいってまいりました。
 この時期、隔年位で無目的なドライブを古い友人達と行うのですが、今年は皆生温泉が目的地となりまして・・・。
 実は私、皆生温泉を訪れるのは今回が初、そう遠くない場所ですし周辺は散々バイク等で訪れた記憶も有るのですが、何故か皆生温泉は足を踏み入れて無かったのですよね。ということで友人が決めた皆生泊というプランも個人的にはありがたくいそいそと参加とさせていただきました。

 往路は相も変わらず無目的にドライブし、途中海を眺めながら一寸飲んだりと(その後は飲まなかったA様に運転していただき・・・感謝です)のんびり移動し皆生温泉に到着したのは夕方4時くらいでしたかね?


 IMG_20190817_131208.jpg
 やっぱり海、好きなのです。


 先ずは湯に浸かり汗を流して、夕食は街中のすし屋さん。

 そのお店に歩いていく途中、呼び込みさんに声を掛けられ・・・、オッ、現役感あるな・・・、というか懐かしいというか・・・。

 で、そのすし屋さんで皆でぐずぐずと飲み(基本的に酒飲み以外の友人は存在しない私です)、何はとまれ海岸まで出てみることに・・・・。
 

 IMG_20190817_191755.jpg


 はい、こんな感じでなかなかリゾート感が有るといいますか・・・。
 (マルベーリャとはいいませんが・・・、いかにも日本的な海の家が有るのが少々ミスマッチというか日本的というか・・・な感も・・・、それも風情かな?)

 唯、ここから宿泊先のホテルまでの帰途、少しばかり街中を歩いてみたのですが、結構な寂れ感も・・・・、また営業中のこうした場所の写真も撮りづらい故、散策は翌朝としてこの日は大人しく就寝(実は夜に一人でバーを訪れたのですが、適当な時間であったにも関わらず何故か扉が閉まっておりまして・・・・・・)。


 で翌朝、日の出とともに町並み散策、朝日を眺めるにも良い場所とのうわさも聞き・・・です。


 波・朝日


 結構波が強いです。泳ぐのは大変かな?波消しブロックも設置してあるのですが・・・・・。



 それはさて置き、街並み散策としゃれ込みます・・・・。

 先ず目に付いたのが、いたるところの”空き地”。駐車場に転用して有りますが、やはり空き地感はあります。それと街路が南北十文字に綺麗に交わっている事。
 この雰囲気、私が良く歩く街並みに近いといいますか・・・・、そういってみれば”新地”感があります。
 古びた風俗店やスナックが目に付くのもそう。

 因みに新地、明治後半~大正~昭和初期に掛けて、塩田跡や海岸、田圃等を埋め立て、新たに開かれた地域で、町おこしや税収アップを狙い、多くが歓楽街として開発された場所・・・といえばよいかな?OO新地なんて場所、そういった雰囲気が濃厚にありますよね?

 ということで、全国各地のそうした場所同様の”寂れ感”も濃厚に・・・・。


 で、目に付いた建物の写真を少々。


 P1010924.jpg

 こうしたプレート、そこかしこにあります。

 ただ、多くが・・・・・。


 P1010926.jpg


 廃業・・・・。


 廃業


 このソープも最近廃業されたのかな・・・・。


 P1010935.jpg P1010936.jpg

 こうした温泉街らしいお店もかろうじて残っていますが・・・・、広い道路に面していますと、どうもね・・・・。
 古くからの温泉街のように狭い路地ならまた一寸違った風情にもなるのかも知れませんが・・・・。


 P1010937.jpg

 スナック街ですが・・・・・。やはり広い道路沿いだと・・・・。

 みやげ物やさん等も・・・・。


 P1010933.jpg P1010927.jpg


 寂れ感が・・・・。

 バブルの崩壊&官官接待禁止等で各地の温泉街、軒並み寂れ気味ですが、ここ皆生の路地裏は特にそれを感じます・・・。
 (海沿いの大型ホテル群はさて置き・・・・)


 思えば、皆生温泉、明治33年の源泉の発見から造られた街、正に新地的といいますか・・・・。そんな空気を感じましたね。

 そして今は海沿いのホテル群を中心に現代的な方向に転換すべく努力中という事なのですかね?

 P1010955.jpg


 こうした感じで・・・・。


 なにはとまれ、楽しませていただきました・・・・。

 
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2019/08
02
[ #1122 ]

伊予松山

 今年は伊予松山にしてみました。

 何が・・?って、馴染みのお客様を伴っての小旅行です。
 もはや完全に恒例行事と成った感もありまして実施らない訳にはいかない状態、今年は先方の都合等もありこの時期に決定、先の日月です。
 唯今回は参加希望の皆様、お忙しい方が多かった様子で私を入れて7名という少々寂しい構成。
 それでもまあこういうことも有るかと、現地集合組2名を除き、5名にて日曜の朝JR西条駅前を車にて出発、一路松山を目指します。


 先ず車を停めたのはこちら。


   鯛や


 三津浜に在ります”鯛めし”屋さん、銅版葺きの壁を持つ堂々とした建物です(文化財指定をうけていらっしゃるとか)。此処にて伊予名物の鯛めしで昼食とし旅のスタートとする算段です。

 因みに案内されたお部屋はこんな雰囲気で、瀬戸内の海端で育った私としては懐かしい雰囲気です。

 鯛や部屋


 食事の後は周辺を少しばかり散策、此処三津浜、以前は港町として栄えた地域、特に明治後半から昭和期にはせとうち観光の拠点等として賑わった印象があります。
 この建物等は正にその象徴でしょう。


 石崎汽船


 因みに私は、”確かこの路地の先に旧遊郭の常夜灯が在るという噂が・・・”ってな感じで徘徊。

 三津浜遊郭跡


 常夜灯、既に撤去されておりました・・・・。


 ただこの日は梅雨明け直後の猛暑ということもあり、散策も短めに切り上げ、ホテルにチェックインのため早々に松山市内の繁華街に向かいます。
 因みに予約しているホテルは皆バラバラという。いかにも単独行動を好むバーの馴染みらしい状況。まあどちらにしろ飲み屋街周辺ですが・・・・(笑)。

 という事で午後1時前後でいったん解散、夕方に備えます。


 因みに私はホテルにチェックイン後、部屋で荷物の整理&一服の後、早々に松山市内の散策に・・・・。


 先ずは大街道から路面電車にて松山市駅に移動、そこから炎天下を10分余り徒歩にてたどり着いたのは・・・・。

 土橋料亭街


 一般に?料亭街と呼ばれる地域、こうした存在を”料亭街”と呼称するのは大阪スタイルですかね?
 この寂れ具合が何とも・・・・。
 殆どがデリバリースタイルに変わっている昨今ではいつまで存在できるか?とも想われます。

 因みに裏から見ると・・・。

 土橋料亭街2


 夜に訪れるとまた違った雰囲気かも知れません・・・・。


 ここからどこに行こうか?と一寸悩んだのですが、そういえば松山城って上がってないな・・・・と。

 で、私鉄~路面電車と乗り継ぎ・・・・


 伊予電


 更にロープウェイ乗り場に行く途中古本屋に引っかかり本を衝動買いなんてしながら松山城へ。

 ロープウェイで本丸辺りまで上がり、直ぐに降りて道後の路地裏散策・・・とも想ったのですが、上がってみるとこれが中々雰囲気のあるお城でして・・・・。

 印象としてはこじんまりした天守閣で地味な印象の城と想っていたのですが、間違いでしたね。
 さすがに江戸期からの現存天守を持つ城の一つ。広大な本丸御殿跡等少々観光化され過ぎとの印象も無いわけでは無いですが、それも市民に愛されている故かとも想われたり・・・。

 特に複雑な造りの天守閣の構造物等魅力的でしたね・・・・。

 天守


 また石垣も・・・。


 松山城石垣


 そんなこんなで気がつくと既に4時近く・・・・。


 道後の路地裏は次の機会に回すとして、いったんホテルに帰り仮眠ぐらいとらないと・・・相変わらずの寝不足だし・・・。
 という事で城を下り、ホテルに向かっていたのですが、炎天下を3時間近く歩き回った喉の渇きに耐え切れず、居酒屋の生ビール(&ハイボール)に引っかかってしまいました。

 それでも何とかホテルにはたどり着き、ひとっ風呂浴びて汗を流し、着替えも済ませ、何とか予定通りの時刻にはホテルを出発、道後に向かう・・・ところが路面電車を乗り間違え(ダメダメですな)、現地到着はギリギリの時間。
 
 既に疲れが・・・・

 大丈夫か私・・・・・。


 まあ、なんていっても仕方ない訳で、いよいよメインイベントに・・・・。


 
 

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2019/07
11
[ #1117 ]

今年の散策 2

 佐世保の次に訪れたのは昨年同様釜山。
 
 釜山市内に足を踏み入れようとする直前、連れ合いが一言。
 「もう遊郭跡は行かないから!」

 「ハイ、わかりました」 という事で観察対象を変える事に。

 それは・・・二輪車。

 いぜん釜山を訪れた時に2輪の多い街という印象もありまして・・・、まあ港町という場所、長崎にしろ呉にしろ他の地域に比べ比較的二輪が多い印象があるのですが(最近はそうでもないかな?)、まあ細い路地も多いので4輪は少々持て余すし、坂道が多いので自転車も辛い故、といったところでしょう。
 そして釜山も恐らく同様と・・・。


 ただ日本とは少々雰囲気が異なります。

 我が国、ここの所また少しばかりオートバイブーム的といいますか、250や大型を目にすることも増えた印象なのですが、それら、特に125㏄を超える排気量の物に関しては、非常に趣味性の強い存在という気がします。
 スポーツ的に走るにしても、ツーリングに使うとしても・・・・、ファッション的(昔、流行ったビックスクーターやTW改、SR改なんてそうですよね?)に乗るにしても、どちらにしろかなり趣味性の強い乗り物・・・。
 125㏄クラスだって半分くらいはそんな気がしますしね(あとは通勤等の足・・・?)。

 それが釜山となると・・・完全に仕事の道具といいますか、荷物運搬用といいますか・・・・。

 もちろん、ファッショナブルなビックスクーターやカーボンサイレンサーを組んだスポーツモデルもゼロでは無いですが、圧倒的に少数派。基本は働く二輪。

 こんな感じ・・・・。


 P6280970.jpg

 





 で、今回見かけた中で、私の一番のお気に入りはコレ・・・

  
  P6280972.jpg


 建築現場で使う鉄筋2種を曲げと溶接で組み上げた大型の荷台、その荷台に重い荷物を積んでも対応できるように、支点を上にしたサイドスタンド・・・、まあ単なる鉄パイプ(水道管か?)やん・・・という意見も・・・。
 しかも良く観ると、走行中、そのサイドスタンド(鉄パイプ)を挿しておける様に細めの鉄筋が荷台の側に溶接して設置して有ります。
 更に割れたフロントのウインカーレンズ、ハンドル側のウエースも味がありますし、妙な付き方のリヤショック(コレは純正でしょう)も高荷重仕様といった感じで・・・。
 そして、釜山の二輪の標準装備といえそうな前後のごついパイプガード。

 このステンパイプのガード、特にスクータータイプは顕著、正に釜山仕様といいますか・・・・。
 実際、日本ではどう考えても車両通行止め、といった市場の細い路地や歩道の上を結構な大きさのスクーターがバンバン走っています。
 当然、人やその辺の物にぶつかる事も多いでしょうから、そうした場合に樹脂製ボディーや燈火類を守るためでしょうね、ホント実用本位。
 昔、我が国でも4駆が前後にごついパイプガードをやたらと付けている時代が有りましたが(日本にカンガルーは居ないぞ!)、その多くがファッション的だったと想われるのとは異なり、実用本位といった感じが渋いといいますか・・・・。

 こんな感じ・・・・。


 168.jpg P6280966.jpg P6280969.jpg P6280979.jpg 156.jpg



 正に仕事の道具。
 日本の1950年代~60年代といった雰囲気ですかね。

 
 そんなこんなで遊郭跡は歩きませんでしたが結構楽しめました。

 一寸怪しい(現役感を感じる)路地も歩きましたし・・・・。

 P6280975.jpg


 そんな今年の散策でした。



 

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2019/07
07
[ #1116 ]

今年の散策(2019)

 ここ数年この時期(5~6月)は嫁さん孝行、あるいはリフレッシュと称し少しばかり旅行といいますか散策といいますかに出かけているわけですが、今年も少しばかりうろうろして参りました。

 先ず最初に立ち寄ったのは高知市。昨年も訪れているのですが、今年は老舗料理旅館”臨水”様で昼食でもいただければとの想い(今年の初めあるお客様が訪問され非常に良かったとおっしゃっておりまして・・・)。

 臨水  ちなみにこれは10年ほど前に外観のみ愛でさせていただいた折のもの。


 しかしこれが当日のランチタイムは予約でいっぱい、との事。
 非常に残念ですが臨水様はまたの機会を考えるとして、昨年訪れた時と同じ居酒屋様で昼飲みと相成りました(この居酒屋様、仲居さんの働き具合といい、庶民的価格設定といいお気に入りなのです)。

 ただ、これだけで高知を後にするのもいま一つ物足りないという事で、境町辺り少しフラフラ・・・・。

 此処境町・・・、まあいわば現役の風俗街ですな・・・・。


 因みに高知、江戸期土佐藩の時代は遊郭の設置が認められておらず官許の遊郭は無かった訳ですが、明治維新後数年を経て遊郭地の設置が認められ開設されたのが、高知の中心部から鏡川を下流に下った稲荷町遊郭(下の新地)(映画や小説にも成った得月楼・ヨウキロウで著名ですね)、鏡川を上流に行った場所の玉水遊郭(上の新地)(此処にも得月楼の出店が有ったとか・・・)。そして稲荷町遊郭は戦中の空襲で全焼、戦後その代わりに赤線として歓楽街となったのが南はりまや町&境町といった鏡川沿いの地域、その後昭和33年の売春禁止法の施行にともない南はりまや町は料亭街に(現得月楼や濱長様はここですよね?)、そして境町はソープ街となり現在に至る・・・といった話だった筈。

 で、少しばかり散策・・・・。

 境町

 
 この道路を貫く生垣なんて遊郭っぽいですが、成立過程を考えると一寸異なるような(江戸期からの名残かな・・・)。
 閑話休題、一寸寂れ感があります。

 石鹸の国  廃業


 地元の方のお話では、「もう最近は寂れてるよね・・・、結局スマホ等の普及で派遣型ばかりになり・・・、周辺のホテルも以前はそうした女性の出入りは禁止していたのだけど最近は黙認せざるを得ない状況・・・云々・・・」、との事。
 まあ殆どの地方都市同様といいますか、風営法改正以降の傾向ですかね、固定店舗型からアメリカ式のコールガール方式に移行というか誘導というか・・・。
 まあ一般人の目に触れ辛く・・・といった事かも知れませんがアンダーグラウンド化しそうですよね・・・、それに風情も失われるといいますか、まあ色街文化なんて事を言う人間も少数派でしょうし、今や昔でしょうね・・・。

 まあ、そんなこんなで高知市は早めに切り上げです(今回は連れ合い以外にも同行者が2名ありまして、怪しい町並みばかりフラフラするわけにもいかずでして・・・・)。


 そして次の目的地は油津&宮崎市周辺・・・・の予定だったのですが、これが低気圧の影響で急遽変更となりまして・・・・。



 で、訪れたのは・・・”佐世保市”。



 先ずはタクシーに乗り込み・・・・

 「”かっとみちょう”って判りますか?そこまで・・・・」とお願いしますと、運転手さん曰く、「判りますけどあまり観光客の人に言われる場所じゃ無いですがね・・・、何か有りましたっけ?」とのお返事。

 すかさず同行の方が・・・、「この人遊郭マニアで云々・・・・・」、と。


 はい確かに否定和しませんがそう直裁に説明されても恥ずかしいというかなんと言うか・・・・(笑)


 で、ともかく古い旅館のような建物でも有れば・・・とお願いしますと・・・。

 「確かに有りましたよね・・・、そういわれると昔は夜になると女性が立っていた記憶も・・・・」

 という事で連れて行っていただいたのがこの建物の前。



 勝富町2勝富町1


 造作といい、見事私好みの建物(運転手さんありがとう御座います)。

 この周辺、確かに再開発も進み宅地化が進行していますがそこかしこに幾つかの雰囲気のある建物等が残っています。

 たとえば・・・。

 勝富町3 勝富町4 勝富町5 勝富町6


 と、こんな感じ。


 またこの看板も雰囲気です。


 勝富町7



 恐らくこの地区、昭和33年の売春禁止法施行後、高知の境町の様にソープ街には移行できず(長崎県がソープの営業を認可しなかった故)、旅館街という方向を選択今に至る、といった事でしょうね。


 ゆっくりと徘徊したかったのですが同行者3名ではままならず・・・・で、早々にこの地を後にすることに。


 ここから佐世保でもう一つ個人的に気になっていた場所に向かいます。


 それは戸尾市場。

 昔、船乗りだった父親が「佐世保には防空壕を利用した市場があり、云々・・・・」とよく言ってまして、一度訪れてみたかったのです。


 かっとみちょう遊郭跡から川沿いの道を歩いて市場方面に向かいますが、この道、恐らく往時、漂客の歩いた経路、動線でしょう、らしい雰囲気の建物が残っていて雰囲気です。
 (川沿いというのが良いですよね、やはり色町には水の存在が欠かせませんよね・・・)

 川沿い


 その戸尾市場、恐らく往時の賑わいは既に無く・・・といった状況でしたが、変わりに空き店舗を利用したBARや一杯飲み屋さんがありました。

 またその飲み屋さんのオーナーが丁度昼の営業を終え出てこられたところに出くわしまして、無理を言って店内を見せていただきました(ホントありがとう御座いました)。


 内部 内部2

 なるほどです。
 
 チャンスがあれば、一度此処で飲んでみたいものです(この日は時間が合わずで)。


 そこから長いアーケード街に繰り出し、またまた居酒屋で遅めの昼食代わりに飲みます(飲んでばかり・・・・)。

 しかし、このアーケード街、想いの他元気な印象。大体地方都市のアーケード街、商店街というとシャッター通りの印象が強いのですが佐世保はそうでは無かったです。
 (個人的推察ですが、恐らく新幹線が通っていない事が大きいのでは?と。また近くの島々への通船も有るゆえかと・・・・)

 更に少しばかりミーハーして佐世保バーガーなんてもので早めの夕食。

 基本的にハンバーガーは食べない私ですが、これならたまにはアリかな?と思わされる味でした。

 そんなこんなの佐世保でしたが、雰囲気のある街ですね・・・、チャンスがあればまた訪れたくなります。
 そこかしこに猫が居るのも、これまた(特に佐世保の猫、人なつっこい印象でした)・・・・でした。


 猫1 猫2 猫3 猫4



 今年の散策 2 につづく・・・。

 

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2019/02
22
[ #1087 ]

松江泰治展

 先日久々に広島市現代美術館を訪れました。開催中でした特別展は・・・

 
 P2200904.jpg


 松江泰治  地名事典


 少し前某所にてこのポスターを発見

 ポスター


 街並み関係の写真展かな?等と想い少々気になっていたところ、先日広島市内まで出向く用事が有り、少々時間の都合も付きそうという事で覗いて観たという事です。

 で鑑賞した印象ですが・・・・。


 思っていた物と少々異なるというか、不思議な印象といいますか・・・・。

 ポスターを見た時点で、以前この美術館で行われた”考現学”的な物、あるいはやはりここで行われた”都筑響一”展的な物かと勝手に想像していたのですが、全く異なった方向の展示でした。

 この作家(写真家)さんの作品群、時期によっても異なるようなのですが、ポスターにも掲載された様な作品、或いはそのモノクローム版の様な物が代表作と思えるのですが、その作品群・・・。

 風景を陰影を出来るだけ殺し立体感を排除した撮影&現像により特徴有る風景を平面的に表現してあります。
 その結果、それらの作品を少し離れた位置で観てみますと・・・、そうですね、ある種の抽象的現代絵画作品の様に見えるのです。
 それこそこの美術館に常設展示してあるある種の作品群の様に・・・・。


 ポスターの写真部分だけですとこんな感じ・・・。


 P2220913.jpg


 言いたい事が伝わりますかね・・・・?




 尤もそれらの作品群、そうした色の配置等にて何かの意味を表したり表現したり・・・、といった物と個人的には思って観る訳ですが、この作者の作品、現実に存在する風景を切り取っている訳ですから、細かい(色彩等の)配置に拠って何かを表現するという事は無理な訳でして・・・。
 そう、強いて言えば、その風景を現代抽象絵画風にするその”写真術”こそが主題というか・・・、そんな印象でした。
 或いは写真という表現やテキノロジーの可能性というか、それ自体を追求されている印象。
 そういった意味で、写真家らしい写真家なのかな?とも・・・。

 一般に私が目にする写真、報道写真等もそうですが、何を写すか、またそれで何を伝えるか?表現するか?といった物が殆どであると思えるのですが、この作家さんは(時期にも拠りますが)その表現術に特化されている印象。
 なんとも不思議というか・・・。

 勿論実際に存在する風景ですので近づいて近視眼的に観れば、一般の風景や街並み写真の様にも観る事も可能、実際全面的にピントが合って細部まで観る事が可能な撮影ですし、唯、其処がテーマでは無いと思えます。

 ちょっと独特でした。


 

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2018/07
03
[ #1035 ]

今年の散策・・・

 今年も少しばかりリフレッシュ休暇といいますか、少々お休みをいただき色々と散策してまいりました(台下冷蔵庫も壊れてしまったし・・・・とか?)。
 周って来たのは兵庫津周辺~海雲台~旧沖之村(常盤)遊郭跡周辺&鶴丸城址・・・といったところです。

 
 先ず最初の目的地は兵庫津周辺・・・今で言う神戸市兵庫区ですね・・・・。
 
 この神戸市兵庫区の海際、古くからの重要な港町でして(今の神戸港は幕末以降の発展の印象が深いです)、古くは遣唐使、日宋貿易、日明貿易、北前舟、朝鮮通信士・・・等々の寄港地として名の挙がる場所、また平安末期には清盛が都を築こうとしたりと・・・・兎も角、日本史において重要な港町なのです(その割りに影が薄い印象も)。

 明治半ば以降に全国に鉄道網が普及するまでは海運(水運)が重要な輸送手段でして、人・物・情報といったものが水の上を移動していた訳です(最も最近では鉄道インフラも新幹線と都市部以外は見捨てられ気味ですが)。
 そしてこの兵庫の港(兵庫津・兵庫の関)はその中でも都に近く重要な場所、それ故に清盛も都を築こうとしたりした場所。
 また清盛といいますと、私の生まれ育った広島の瀬戸内とも関連深く音戸の瀬戸や厳島神社と関わりは直ぐに思い浮かびますし、まあその辺りも含め一度訪れてみたかったのです。


 そしてこれが兵庫の清盛像

 清盛像

 
 晩年の剃髪後のお姿ですね。この像があります住吉神社周辺に往時に関連するものが多く残され、また清盛の存在感が強いです。
 広島の清盛像、どちらかというと未だ若かりし頃といいますか上り調子の頃、対して兵庫は晩年の清盛を・・・という印象です。

 
 また運河付近に到着しますと、至る所にこのような幟が・・・・。

   幟


 知らなかったのですが、明治期に造られた兵庫運河を中心とした遺構が日本遺産として登録されたという事なのでしょうね。
 そういえば私が店をさせていただいている東広島の西条駅前の酒蔵が密集している地域も確か・・・・(もしかするとこの日本遺産、明治の近代産業遺構中心なのですかね?個人的には江戸以前が日本らしい気がするのですが・・・)。


 少々再開発され過ぎというきらいもありますが確かに雰囲気はあります。

 水門 1  水門 2

 この二つの水門やこんな風景

 兵庫運河



 で、私としてはこの写真に小さく写っている紅い橋にやはり惹かれる訳で・・・・。

 その橋、


 新川橋


 新川橋を南に渡った周辺、往時は新川遊郭として賑わった場所です。

 もっとも現在では再開発が進み当時の面影は全くといっていい程残っていませんが・・・・、


 新川 建物

 しいて言えばこの建物が一寸雰囲気でしたかね・・・。

 しかしこれら(遊郭の存在)もわが国近代の一つの側面ですしね、そうした存在を保全しても・・・と思うのは私だけでしょうかね?

 
 とまあこんな事を思いつつ兵庫運河周辺を散歩した後はそのまま北に歩き、新開地周辺へ・・・・。
 この”新開地”という地名、如何にもといった感で惹かれます。


 歩いて見ますと大衆演芸場が残っていたり・・・・。

 新開地劇場


 ドヤが残っていたり・・・・

 どや


 と、雰囲気です。

 まあ港近くは日雇い港湾労働者等々が必要とされる面もあり、こうした雰囲気ありますよね・・・・。
 


 で、其の新開地の直ぐ傍に旧福原遊郭跡がありまして・・・・、吉原・嶋原と並び、3原の一角を占めた著名な遊郭地、また多くの女性が働いていたことでも(洲崎等とともに)著名な場所。


 当然歩いて観ます・・・・。



 ここも空襲で焼けていますので古い建物は無いです。また、戦後直ぐの建物も少ないです。強いてあげればこのような旅館が数軒見受けられました。

 福原

 
 といいますか福原、しっかり現役の風俗街として存在しています。
 東京の吉原がマンション等に転換している場所が多かったり、歴史遺構的雰囲気を表に出そうとしていたりするの比べ現役感が強いです。


 福原 看板


 流石、関西ですか?



 とまあ神戸はこれ位で・・・・続いて(翌々日)こちらを訪れてみました・・・・。












 プサン



 反対から観ると・・・。

 プサン2



 完全に現役ですな・・・・。
 (因みに場所は海雲台、某所)


 夜はこんな風景になるのでしょう・・・・。
 
 ジオラマ


 このジオラマですが、タイトルは”金上等兵の休暇”とついていましてこちらに展示されていました。




 ラブランド

 
 済州ラブランドという場所です。


 済州島にありますテーマパークです。
 多くの現代アート作品が展示してあるテーマパークなのですが、テーマが”性”という事で・・・・・・まあいわば”秘宝館”な訳ですが(済州島、新婚旅行のメッカで温泉もあるということで・・・?)、基本的に作品は芸大の方が造られたらしく、結構アートしています。


 例えば・・・・。

 ラブランド3



 と同時に秘宝館ですから笑いを取ることも忘れず・・・・。

 ラブランド2



 元々春画の事を”笑い絵”とも言いますし、この手のものはおおらかに笑って鑑賞するのが一番ですね。
 はい、お勧めのテ-マパークです。



 そして更に次の日はこちら・・・・。

 思案橋


 旧沖之村遊郭傍の思案橋です。
 先の新川橋もそうですが、遊郭的空間、やはり川や橋が結界として存在するのがよいですね。
 場所は鹿児島・・・。

 ここも今は昔で、往時の建物は殆ど残っておりません。
 強いてあげれば・・・・。

 タイル  旅館  つれこみ


 唯、これらの建物が在る大通りの一本裏の通り、しっかり現役で明るいうちから黒服の男性がしっかり立たれていました(この辺が南国か?)


 とまあこんな感じで歩いて来ました。



 おっと、他、鶴丸城址も・・・。

 弾痕

 美しい石垣に壮絶な弾痕です。


 細かいことは店のカウンターででも・・・・。



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2018/05
04
[ #1022 ]

7年ぶりの・・・・

 前回2011年から7年ぶりに観て来ました。



 何って・・・・。


 
 先帝祭です。


  上臈参拝


 はい、相変わらずです。

 
 
 今回が3回目。

 2009年に初めて訪問した際にはバスツアーを利用したのですが行きがけ高速の事故渋滞に引っかかり・・・・予定よりやや遅めの到着。ということもあり2011年にはリベンジを期しバイクで・・・・と想っていたところ、これが寝過ごしてしまいやはり遅めの到着となり・・・・。
 更に昨年は、お客様もお誘いして車で早めに出発・・・・等と想っていたところ土砂降りの雨であえなく中止・・・・。

 そんなこんなで、一度くらいは端から道中を愛でなければと本年再び訪れることにした訳です。


 今回は寝過ごすこともなく(最近歳の所為か朝早く目覚めてしまうといいますか、眠りが浅いといいますか・・・、バーテンダーとしては少々不味いのですが・・・)ほぼ予通り、朝の7時過ぎに家をスタート、GSで燃料を満たし西条ICから高速で一路下関を目指し走ります。

 足は当然オートバイ、そして単独行。

 しかしこれで正解だったかも知れません。
 この日の山陽道、UターンラッシュとGウィークのお出かけラッシュが重なったのか、えらい量の車が走っています。幸い事故渋滞等は無かったのですが、とにかく流が遅いこと遅いこと、オートバイの単独行で無ければ間に合わなかったでしょうね。

 はい、ちゃんと先帝祭のスタートに間に合いました。


 その先帝祭、午前中下関市内各所の商店街で太夫さんが外八文字を披露、午後赤間神宮に参拝という行事。
 (往時、壇ノ浦で滅んだ平家に仕えていた女官さん達が毎年不遇の死をとげた安徳天皇の命日に御霊を慰めるため行っていた古事が基と成っているといわれております)


 でその行列ですが、

 はじめに武者行列(源氏方・ついで平家方)、関係者の列。そして5組の太夫さんおよび禿さん等介添え衆・・・という順で登場。



 源氏方 源氏方2 武者行列・平家方 関係者 一の太夫 二の太夫 三の太夫 四の太夫 五の太夫




 こんな雰囲気です、因みに太夫さんは下関舞踊組合所属の名取さん(のはず)。



 下関駅周辺の商店街での外八文字を愛でさせていただいた後は唐戸周辺に移動、何はとまれ水分補給にと自動販売機を探します。
 7時過ぎに自宅を出発した後、何も口にしていなかったもので咽喉がカラカラに乾いておりまして・・(オートバイでの走行、緊張でも渇きを感じるのです)。

 確かこの辺りに飲み物の自販機が在った筈と歩いていきますと・・・・悪いことにそこにはこんな屋台が・・・・。


     地ビール屋台


 クラフトビール(地ビール)の屋台です。

 店主の方、英国出身(奥様が日本人)の方で、下関に英国スタイルのパブ出店を検討中とか・・・・・。

 で思わずIPAを一杯。
 (この日はドライに過ごす心算だったのですが・・・・まあ、帰る時間迄には醒めるでしょう・・・・。)


 この日の唐戸周辺、下関海峡祭りで多くの人、人混みの苦手な私はそれを避け渡し船で門司に渡ります。
 そしてここでも人混みを避け路地裏を散歩。

 こんなものを見つけるとすこし嬉しかったり。


 プレート

 
 しばらく徘徊の後下関に取って返し(渡し舟では外のデッキにいたのですが、風が強く結構濡れてしまいました)、赤間神宮の上臈参拝へ。

  
    赤間神宮


 何だか今年は人出が多い印象、外で結構待たされました。


 境内では三の太夫さんの参拝と、二の太夫さんの帰路の時間にあたりまして・・・・。


 太夫のすれ違い



 この二の太夫さん、私としては初めて御見かけする方かな・・・・?と・・・・。


  二の太夫2


 ここで観る二の太夫さん、ほんとお人形さんみたいで・・・・。

 来年も行くかな・・・。



 追記

 帰路はラッシュを避け中国道回り。
 30キロ余り遠回りになるのですが車が少なく走りやすかったです、何とか燃料も持ちました。
 ただ西風が強く(強風注意報が出ていたはず)気を使ったのと、また結構寒くトイレ休憩は必須、ノンストップとは行かなかったですね。
 


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バイクで散歩CM(0)TB(0)URITOP

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2018/04
06
[ #1015 ]

桜を横目に・・・

 先日の火曜日、初夏の様な陽気に誘われオートバイを引っ張り出し近所をウロウロ。

 向かったのは下蒲刈島の三ノ瀬地区、朝鮮通信士の寄港地として著名な地区で、一寸気になる物も有り此処を最初の目的地とした訳ですが、駐車場にバイクを停め少しばかり散策と歩き始めると周辺が妙に静か。
 そうこの地区の美術館・博物館等々の施設、火曜日が休館日と記してあります。又故にみやげ物屋さん等も休業日。広島県のこうした施設の多くが月曜休館ですので何も考えず訪れた訳ですが”大失敗”(もう少し慎重に行動しないと・・・・)。

 また各施設等閉まっています故トイレも・・・・、で役所にお邪魔しトイレを拝借しトイレ休憩のみで次へと向かうことに・・・(三ノ瀬は改めてリベンジですな、まあ何度も訪れている場所でもありはするのですが・・・)。


 
 で、次にバイクを停めたのはこちら・・・・

     観音崎


 愛媛県の岡村島に在ります”観音崎という場所。向かいは大崎下島で広島県。
 といいますか、真向かいに御手洗の常夜灯が見えます。そういう場所です。

 御手洗は何度も訪れているのですがここは足を踏み入れて無かったので、今回は此処に。
 さて岬の上までバイクで・・・とも想っていたのですがこの看板のすぐ脇にこれが・・・・。

      2輪は・・・


  
 はい、真面目にバイクを降り徒歩で遊歩道を観音堂まで登ります。


 此処を音訪れたのはこれを観てみたかった故です。

     地蔵




 この近くお不動さんを祭った祠のそばにこうした説明文があります。

 説明文



 また、以前聞いた話では、
 「身の不幸を嘆き身投げをした御手洗の遊女の遺体がこの観音崎沿岸に打ち上げられる事が多く、その引き取り手の無い彼女たちの骸を当時の島民達が無縁仏として松林のなかに埋葬し墓をたて供養した~~」

 どちらが正しいか?何て事を断定するのは難しいですが、話としては後者の方が古いと想われますので、実際に此処に遊女の遺体が流れ着いた事が有ったのでしょう。他の案内板等にも”遊女の墓”と記されていたりもしますしね。


 またこの遊女の墓のある観音崎の突端、これ以外にも観音堂等や古い常夜灯等もありまして。
 その常夜灯・・・、

 元文年間


 元文の文字が刻まれています(既にそのころより沖乗り航路が活性化していたということでしょう)。

 
 またその周辺も含め遊歩道やちょっとした公園に整備されておりまして、ちょうど桜が満開~散り始め。
 桜吹雪の下を散歩させていただきました。

 桜



 しかし、こうして桜の舞う中、こうした句を眼にしますと、色々な思いが浮かんできます。

  句碑


 
 一時間余り居たでしょうか?そこからせっかくなので御手洗にも立ち寄ります。


 それが此処も火曜日は各種施設はお休み・・・・。

 まあ何度も来ている場所でも有りますし、というか此処もいつかリベンジですね。


 それに今回はこうした物を手に御手洗の街並みを歩いてやろう、という気で立ち寄った面もありまして・・・。

 089.jpg 090.jpg


 昭和初年の職業別明細図です。


 これを頼りに歩いてみますと、結構往時の建物が残っております(平成3年の台風19号の被害でかなり崩壊したという話も聞いていたのですが・・・・、)。


 例えばこれは往時御手洗券番だった建物。

 元芸妓券番

 
 やはりどこか粋な風情が残っていますね。


 そんなこんなでしばらく街を散策させていただいた後、天満宮にも立ち寄り・・・

 天満宮


 散り際の桜を愛でさせていただき



 更にこちらに・・・・。

 070_20180406134618053.jpg


 此処はこうした場所です。

 071.jpg



 084.jpg



 此処に並んでいるお墓、享保から慶応辺りに掛けての年号が記されています。唯、殆どが戒名が記されているだけで俗名は無く、本当に全てが遊女の墓か?というと少々疑問も・・・・・。


 まあ、色町や風俗に関する話というのは中々難しいですしね・・・・・。


 又いつか訪れてみたいと想い、夜は仕事なので早々に退散。



 そんなこんなの今シーズン最初のバイクでの散歩(プチツーリング)でした。
 
 
 

 追記

 
 帰りがけに一寸だけ遠回りして、宿根の江戸彼岸の巨木に立ち寄り。

 昨年から丁度1年での訪問。
 昨年はつぼみでしたが、今年は風に花びらが舞っていました。
 今年の桜は本当に早いです。


 宿根の江戸彼岸



 

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2017/05
17
[ #934 ]

舞鶴他(街並み編)

 先日少々まとまった休みをいただきましてちょっと出かけてまいりました。
 めぐって来たのは舞鶴他の日本海側諸都市です。


 舞鶴を訪れるのは実質初(正確には30年程前にオートバイで通過はしているのですが、雨中に通過しただけですので)。
 ここで先ず目指したのは朝代地区。西舞鶴駅前から徒歩で向かいますが、其の手前高野川に掛かる橋を渡っている折に思ったのが、この街(西舞鶴)は江戸期に北前舟等の入る港町としてかなり繁栄していた街であろうという事。


 高野川

 高野川と国道が交わる辺りにも立派な商家建築が幾つか残っておりましたし、また訪れた朝代神社にありましたこの巨大な灯篭等も其のあたりを想像させられるのです。


 石灯籠

 江戸期、北前舟等の廻船の主要航路は日本海側だったと思われます。当時の廻船では銚子の鼻や遠州灘沖が結構な難所という事も有り少なくとも江戸中期頃までは日本海が主要航路。故に日本海側の港町が発展していた訳ですし、そして港町の神社等には化政期辺りから大阪あたりの豪商が立派な石灯籠を寄進している例も多いように思われます故ですね・・・・。



 閑話休題、この朝代地区を私が訪れたのはそれもありますが明治20年代に遊郭地となった故(相変わらずです)。
 どうも朝代地区の高野川沿いは往時商家街だったと想像されますが、その裏手が遊郭地とされたように思えます。もしかすると往時から茶屋や旅籠の在った地区かも知れません(一寸、米子の灘町遊郭と似た立地にも思えます・・・)。

 
 そして朝代神社の次に訪れた千野宮神社、これが良かったのです。

 此処の社を囲む玉垣・・・・。


 朝代玉垣1

 朝代玉垣2


 といった感じで・・・・記されている名前が、・朝代貸席組合 ・朝代芸妓一同 ・霞月楼 ・・・と往時遊郭に存在した店等の名がずらり。

 更に入り口付近にはこんなものも・・・・。

 大門柱?


 大門の門柱に思えるのですがいかがでしょうか・・・?


 
 ということで周辺を少々徘徊。

 立派な木造3階建ての建物が残っていたり、他にも雰囲気のある建物がちらほら・・・・。


 木造3階建て  朝代建物


 思うのですが古くからの港町はこうした色町の存在等に寛容な気がするのですよね・・・。そうしてこうした玉垣や碑等も割りと残されているように・・・・・。


 また桂林寺という立派な寺も観させていただき・・・・・

 桂林寺


 田辺城址公園経由で西舞鶴駅に取って返しました・・・・。

 田辺城址公園


 因みに田辺城址、戦国武将細川幽斎が思い出されますが、この幽斎、信長暗殺の黒幕の一人なんて説も有ったり・・・・(妄想が膨らみますな・・・・)。それはさておき市民の憩いの場として愛されている印象でした。そこ此処に往時の石垣も残っていますし花も綺麗で・・・・・。


 
 そして西舞鶴駅からJRで一駅(思ったより遠いです)、東舞鶴駅に降り立ちました・・・・。

 ここでタクシーを拾い目的地を告げます・・・・。

 それは・・・・・。



   竜宮遊郭跡

 旧竜宮遊郭跡。
 (お約束です 笑 )


 因みにこれは私が愛読している書籍に掲載されている往時の絵葉書。


   往時の竜宮遊郭



 此処は明治30年代東舞鶴に海軍鎮守府が置かれた際に開かれた遊郭。

 この朝代と竜宮の関係、同じ軍港都市”呉”の吉浦遊郭と朝日町遊郭との関係を連想させられますね・・・(私だけか・・・?)。


 でこの竜宮遊郭跡ですが、かなり開発が進んで住宅地然とした雰囲気となっています。また空き地もチラホラ・・・・・。
 (このあたり土地の記憶の強弱か?あるいは立地に寄るものか・・・・)

 ただこの場所は、こんな感じで・・・・。


 植え込み


 往時のメインロードの中に造られた桜の植え込みの形が残っているのです・・・。(他所にはあまり無いのでは?)

 またこんな如何にもカフェー建築といった建物が残っていたり・・・・。

 カフェー建築


 結構雰囲気は感じられました。


 そしてそこから再び東舞鶴駅までバスでも使って帰ろうかと国道に出てバス停の時刻表を確認・・・・・・。

 が・・・・・、時間が中途半端な故か1時間以上バスが無い!
 仕方なく駅までトボトボと歩きましたが結構な距離・・・・。もしかすると戦後竜宮遊郭が流行らなかったのはこの辺も要因の一つかとも思われたり・・・・・。
 (そして商店街は西も東もシャッター通り・・・・、地方都市の悲哀を感じます・・・・)

 閑話休題、東舞鶴駅に無事到着、これで私の舞鶴徘徊は一段落。そこ此処に花が植えられ綺麗な印象も有る街でした。





 明けて二日目、今度は金沢。

 金沢といえば私のような人間からすると東廓西廓となるところですが、此処は昨年割りとしっかり歩かせていただいております故今回は、21世紀美術館~兼六園~金沢城址公園~と定番コースを歩かせていただき、近江町市場で鮨をつまみに軽く一杯としました。


 さて21世紀美術館ですが、ちょうど展示がお休み(月曜日)ということもあり、ゆっくりと建物を愛でさせていただきました。


 21世紀美術館

 正に現代アートを主に展示する美術館に似合った建物といった印象、興味深かったです。


 そして兼六園、此処は約30年振りですか・・・・。
 若い時はその魅力等良く判らなかったのですが、一歳拾うとまた違った味わいといいますか・・・・。


 兼六園

 こんな場所で金沢芸妓さんと、何て思ったり(笑)。


 そして金沢城址。
 此処も30年ほど前訪れている筈ですが記憶が・・・・・・。


 で、今回思ったのは・・・・石垣が魅力的!

 金沢城址

 &ともかく広い・・・ということ(流石加賀百万石ですか・・・・)。


 また50間長屋も復元され・・・・・(これはこれで築城時の雰囲気が伝わって良いのかも知れません、賛否はありそうですが・・・)。


 そして近江町市場は相変わらずの人出。
 何といいますか金沢市、日本海側の唯一の勝ち組都市といった雰囲気も・・・・・。

 それはそれとして、市場内で食べた鰯の握り寿司が私の口に合い嬉しかったです(鰯、下魚ですが美味しいのです、足が速くてあまり握りなどにはならなかったりですしね・・・・)。




 更に翌日は境港。


 此処はノーチェックだったのですよね。港町ですし遊郭色町が存在しない筈は無いとは思っていましたし、若いころ訪れた印象も適度に怪しく・・・・・。唯、其の手の資料等にはほとんど記載されずで・・・。
 
 唯、少し前に此処に昔栄町(桜町)遊郭なる物が存在したと聞き及び・・・・其の辺りを歩いてみようという事です。


 栄町遊郭跡


 が・・・・・・、雰囲気のある建物は見当たらず・・・・・・・(やはり戦中の徴用船の事故による壊滅故か・・・・)。
 

 栄町辺り

 この建物も一寸違う印象だし・・・・・。

 ということで、代わりといっては何ですが水木しげるロード歩いてみることに・・・・・。


 これが思ったより良いのです・・・・。
 漫画で街起こし??? 等と思って訪れて無かったのですが、これが結構魅力的といいますか、本気度が伝わるといいますか、手抜き感が無いといいますか・・・・・。

 はい、良かったです。

 特にこの”砂かけ婆”さんなんて、動き等ちゃんと煮詰てあるな~~という印象で。

 砂かけ婆



 更に造り酒屋のかくうちで軽く飲んだりと・・・・・、

 精米歩合


 ハイ、結構楽しかったのです。境港。




 そして翌日は更に釜山で街歩き。
 韓国上陸は初めてです。


 国際ターミナル前から無料バスで南浦洞、チャガルチ近くに行き、先ずは国際市場の東の通りを歩いてみます。
 此処は帽子や鞄、靴といった商品が並んでいるのですが余り魅力は感じなく、更に真ん中の通り、此処は厨房機器や食器が並んでいるのですが此処も・・・ということで富平市場に移動してみると。
 此処は一寸DEEPな雰囲気で、路地(裏)好きの私としては結構好みといいますか・・・・・。

 此処で・・・


 モペット


 働いてる感満載のモペット発見(私には車種不明)、人や店は写し辛いのでこんな物を撮ってみました。

 また市場内といわず、歩道等もバンバン走っているスクーター、排気量の大小に関わらず大体こんな一体型のバンパーをつけています。

 スクーター




 それはそれとして、そこから忠武洞遊郭跡辺りに移動・・・・(相変わらずです)。

 この辺り10年余り前までは風俗街として栄えたらしいのですが、法改正により・・・・・・ということらしく。
 (そういえば我が国も風営法の改正等で風俗産業が派遣・デリバリー型に移行し、いわばコールガール化といいますか・・・店舗型は急速に目立たなくなっているとも思えるのですが、この辺りもグローバル化、西洋化、なのですかね?)
 (ジェントリフィケーション?)
 
 閑話休題、この辺りと思われる場所を少々徘徊してみたのですがハングルが読めない私としては風情が・・・・・。
 (そう、朝代の玉垣みたいなのが好きなのです)


 忠武洞遊郭跡  つれこみ?

 これくらいで・・・・・。


 代わりに猫なんか撮ってみたり・・・・。

 釜山の猫


 まあ、港町ですから・・・・・。


 それから、忠武市場辺りを歩き(此処も雰囲気でした)、チャガルチ市場ビル(此処は観光化され過ぎの印象)、ロッテデパート(綺麗ですが広すぎて疲れました)と歩き・・・、自宅から持ってきた地図を頼りに国際ターミナルまで歩き・・・・・。




 が・・・・。

 何か景色が違う・・・・・・。


 周辺を結構うろうろしてたのですが、やっぱり来がけにバスに乗った場所が判らない・・・・・。

 意を決して建物まで歩き内で人に尋ねると・・・・・・。


 此処は昔の国際ターミナル。1年ほど前にターミナルの移転がありまして此処からタクシーで5分程です。との返答。


 持って来た地図が古かったのですね・・・・・。
 疲れが一気に出まして(其の所為かここ数日体調が・・・・)、何はとまれ広い道まで出てタクシーを拾うことに。


 しかしこのタクシー、運転手さん愛想がよくまた日本よりリーズナブルで助かりました。



 とこんな感じで各地の町並みを徘徊した数日でした・・・・。


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