FC2ブログ
2018/07
03
[ #1035 ]

今年の散策・・・

 今年も少しばかりリフレッシュ休暇といいますか、少々お休みをいただき色々と散策してまいりました(台下冷蔵庫も壊れてしまったし・・・・とか?)。
 周って来たのは兵庫津周辺~海雲台~旧沖之村(常盤)遊郭跡周辺&鶴丸城址・・・といったところです。

 
 先ず最初の目的地は兵庫津周辺・・・今で言う神戸市兵庫区ですね・・・・。
 
 この神戸市兵庫区の海際、古くからの重要な港町でして(今の神戸港は幕末以降の発展の印象が深いです)、古くは遣唐使、日宋貿易、日明貿易、北前舟、朝鮮通信士・・・等々の寄港地として名の挙がる場所、また平安末期には清盛が都を築こうとしたりと・・・・兎も角、日本史において重要な港町なのです(その割りに影が薄い印象も)。

 明治半ば以降に全国に鉄道網が普及するまでは海運(水運)が重要な輸送手段でして、人・物・情報といったものが水の上を移動していた訳です(最も最近では鉄道インフラも新幹線と都市部以外は見捨てられ気味ですが)。
 そしてこの兵庫の港(兵庫津・兵庫の関)はその中でも都に近く重要な場所、それ故に清盛も都を築こうとしたりした場所。
 また清盛といいますと、私の生まれ育った広島の瀬戸内とも関連深く音戸の瀬戸や厳島神社と関わりは直ぐに思い浮かびますし、まあその辺りも含め一度訪れてみたかったのです。


 そしてこれが兵庫の清盛像

 清盛像

 
 晩年の剃髪後のお姿ですね。この像があります住吉神社周辺に往時に関連するものが多く残され、また清盛の存在感が強いです。
 広島の清盛像、どちらかというと未だ若かりし頃といいますか上り調子の頃、対して兵庫は晩年の清盛を・・・という印象です。

 
 また運河付近に到着しますと、至る所にこのような幟が・・・・。

   幟


 知らなかったのですが、明治期に造られた兵庫運河を中心とした遺構が日本遺産として登録されたという事なのでしょうね。
 そういえば私が店をさせていただいている東広島の西条駅前の酒蔵が密集している地域も確か・・・・(もしかするとこの日本遺産、明治の近代産業遺構中心なのですかね?個人的には江戸以前が日本らしい気がするのですが・・・)。


 少々再開発され過ぎというきらいもありますが確かに雰囲気はあります。

 水門 1  水門 2

 この二つの水門やこんな風景

 兵庫運河



 で、私としてはこの写真に小さく写っている紅い橋にやはり惹かれる訳で・・・・。

 その橋、


 新川橋


 新川橋を南に渡った周辺、往時は新川遊郭として賑わった場所です。

 もっとも現在では再開発が進み当時の面影は全くといっていい程残っていませんが・・・・、


 新川 建物

 しいて言えばこの建物が一寸雰囲気でしたかね・・・。

 しかしこれら(遊郭の存在)もわが国近代の一つの側面ですしね、そうした存在を保全しても・・・と思うのは私だけでしょうかね?

 
 とまあこんな事を思いつつ兵庫運河周辺を散歩した後はそのまま北に歩き、新開地周辺へ・・・・。
 この”新開地”という地名、如何にもといった感で惹かれます。


 歩いて見ますと大衆演芸場が残っていたり・・・・。

 新開地劇場


 ドヤが残っていたり・・・・

 どや


 と、雰囲気です。

 まあ港近くは日雇い港湾労働者等々が必要とされる面もあり、こうした雰囲気ありますよね・・・・。
 


 で、其の新開地の直ぐ傍に旧福原遊郭跡がありまして・・・・、吉原・嶋原と並び、3原の一角を占めた著名な遊郭地、また多くの女性が働いていたことでも(洲崎等とともに)著名な場所。


 当然歩いて観ます・・・・。



 ここも空襲で焼けていますので古い建物は無いです。また、戦後直ぐの建物も少ないです。強いてあげればこのような旅館が数軒見受けられました。

 福原

 
 といいますか福原、しっかり現役の風俗街として存在しています。
 東京の吉原がマンション等に転換している場所が多かったり、歴史遺構的雰囲気を表に出そうとしていたりするの比べ現役感が強いです。


 福原 看板


 流石、関西ですか?



 とまあ神戸はこれ位で・・・・続いて(翌々日)こちらを訪れてみました・・・・。












 プサン



 反対から観ると・・・。

 プサン2



 完全に現役ですな・・・・。
 (因みに場所は海雲台、某所)


 夜はこんな風景になるのでしょう・・・・。
 
 ジオラマ


 このジオラマですが、タイトルは”金上等兵の休暇”とついていましてこちらに展示されていました。




 ラブランド

 
 済州ラブランドという場所です。


 済州島にありますテーマパークです。
 多くの現代アート作品が展示してあるテーマパークなのですが、テーマが”性”という事で・・・・・・まあいわば”秘宝館”な訳ですが(済州島、新婚旅行のメッカで温泉もあるということで・・・?)、基本的に作品は芸大の方が造られたらしく、結構アートしています。


 例えば・・・・。

 ラブランド3



 と同時に秘宝館ですから笑いを取ることも忘れず・・・・。

 ラブランド2



 元々春画の事を”笑い絵”とも言いますし、この手のものはおおらかに笑って鑑賞するのが一番ですね。
 はい、お勧めのテ-マパークです。



 そして更に次の日はこちら・・・・。

 思案橋


 旧沖之村遊郭傍の思案橋です。
 先の新川橋もそうですが、遊郭的空間、やはり川や橋が結界として存在するのがよいですね。
 場所は鹿児島・・・。

 ここも今は昔で、往時の建物は殆ど残っておりません。
 強いてあげれば・・・・。

 タイル  旅館  つれこみ


 唯、これらの建物が在る大通りの一本裏の通り、しっかり現役で明るいうちから黒服の男性がしっかり立たれていました(この辺が南国か?)


 とまあこんな感じで歩いて来ました。



 おっと、他、鶴丸城址も・・・。

 弾痕

 美しい石垣に壮絶な弾痕です。


 細かいことは店のカウンターででも・・・・。



スポンサーサイト

続きを読む »

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2018/05
04
[ #1022 ]

7年ぶりの・・・・

 前回2011年から7年ぶりに観て来ました。



 何って・・・・。


 
 先帝祭です。


  上臈参拝


 はい、相変わらずです。

 
 
 今回が3回目。

 2009年に初めて訪問した際にはバスツアーを利用したのですが行きがけ高速の事故渋滞に引っかかり・・・・予定よりやや遅めの到着。ということもあり2011年にはリベンジを期しバイクで・・・・と想っていたところ、これが寝過ごしてしまいやはり遅めの到着となり・・・・。
 更に昨年は、お客様もお誘いして車で早めに出発・・・・等と想っていたところ土砂降りの雨であえなく中止・・・・。

 そんなこんなで、一度くらいは端から道中を愛でなければと本年再び訪れることにした訳です。


 今回は寝過ごすこともなく(最近歳の所為か朝早く目覚めてしまうといいますか、眠りが浅いといいますか・・・、バーテンダーとしては少々不味いのですが・・・)ほぼ予通り、朝の7時過ぎに家をスタート、GSで燃料を満たし西条ICから高速で一路下関を目指し走ります。

 足は当然オートバイ、そして単独行。

 しかしこれで正解だったかも知れません。
 この日の山陽道、UターンラッシュとGウィークのお出かけラッシュが重なったのか、えらい量の車が走っています。幸い事故渋滞等は無かったのですが、とにかく流が遅いこと遅いこと、オートバイの単独行で無ければ間に合わなかったでしょうね。

 はい、ちゃんと先帝祭のスタートに間に合いました。


 その先帝祭、午前中下関市内各所の商店街で太夫さんが外八文字を披露、午後赤間神宮に参拝という行事。
 (往時、壇ノ浦で滅んだ平家に仕えていた女官さん達が毎年不遇の死をとげた安徳天皇の命日に御霊を慰めるため行っていた古事が基と成っているといわれております)


 でその行列ですが、

 はじめに武者行列(源氏方・ついで平家方)、関係者の列。そして5組の太夫さんおよび禿さん等介添え衆・・・という順で登場。



 源氏方 源氏方2 武者行列・平家方 関係者 一の太夫 二の太夫 三の太夫 四の太夫 五の太夫




 こんな雰囲気です、因みに太夫さんは下関舞踊組合所属の名取さん(のはず)。



 下関駅周辺の商店街での外八文字を愛でさせていただいた後は唐戸周辺に移動、何はとまれ水分補給にと自動販売機を探します。
 7時過ぎに自宅を出発した後、何も口にしていなかったもので咽喉がカラカラに乾いておりまして・・(オートバイでの走行、緊張でも渇きを感じるのです)。

 確かこの辺りに飲み物の自販機が在った筈と歩いていきますと・・・・悪いことにそこにはこんな屋台が・・・・。


     地ビール屋台


 クラフトビール(地ビール)の屋台です。

 店主の方、英国出身(奥様が日本人)の方で、下関に英国スタイルのパブ出店を検討中とか・・・・・。

 で思わずIPAを一杯。
 (この日はドライに過ごす心算だったのですが・・・・まあ、帰る時間迄には醒めるでしょう・・・・。)


 この日の唐戸周辺、下関海峡祭りで多くの人、人混みの苦手な私はそれを避け渡し船で門司に渡ります。
 そしてここでも人混みを避け路地裏を散歩。

 こんなものを見つけるとすこし嬉しかったり。


 プレート

 
 しばらく徘徊の後下関に取って返し(渡し舟では外のデッキにいたのですが、風が強く結構濡れてしまいました)、赤間神宮の上臈参拝へ。

  
    赤間神宮


 何だか今年は人出が多い印象、外で結構待たされました。


 境内では三の太夫さんの参拝と、二の太夫さんの帰路の時間にあたりまして・・・・。


 太夫のすれ違い



 この二の太夫さん、私としては初めて御見かけする方かな・・・・?と・・・・。


  二の太夫2


 ここで観る二の太夫さん、ほんとお人形さんみたいで・・・・。

 来年も行くかな・・・。



 追記

 帰路はラッシュを避け中国道回り。
 30キロ余り遠回りになるのですが車が少なく走りやすかったです、何とか燃料も持ちました。
 ただ西風が強く(強風注意報が出ていたはず)気を使ったのと、また結構寒くトイレ休憩は必須、ノンストップとは行かなかったですね。
 


続きを読む »

タグ :   芸舞妓  /   バイク  /   街並み  /

バイクで散歩CM(0)TB(0)URITOP

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2018/04
06
[ #1015 ]

桜を横目に・・・

 先日の火曜日、初夏の様な陽気に誘われオートバイを引っ張り出し近所をウロウロ。

 向かったのは下蒲刈島の三ノ瀬地区、朝鮮通信士の寄港地として著名な地区で、一寸気になる物も有り此処を最初の目的地とした訳ですが、駐車場にバイクを停め少しばかり散策と歩き始めると周辺が妙に静か。
 そうこの地区の美術館・博物館等々の施設、火曜日が休館日と記してあります。又故にみやげ物屋さん等も休業日。広島県のこうした施設の多くが月曜休館ですので何も考えず訪れた訳ですが”大失敗”(もう少し慎重に行動しないと・・・・)。

 また各施設等閉まっています故トイレも・・・・、で役所にお邪魔しトイレを拝借しトイレ休憩のみで次へと向かうことに・・・(三ノ瀬は改めてリベンジですな、まあ何度も訪れている場所でもありはするのですが・・・)。


 
 で、次にバイクを停めたのはこちら・・・・

     観音崎


 愛媛県の岡村島に在ります”観音崎という場所。向かいは大崎下島で広島県。
 といいますか、真向かいに御手洗の常夜灯が見えます。そういう場所です。

 御手洗は何度も訪れているのですがここは足を踏み入れて無かったので、今回は此処に。
 さて岬の上までバイクで・・・とも想っていたのですがこの看板のすぐ脇にこれが・・・・。

      2輪は・・・


  
 はい、真面目にバイクを降り徒歩で遊歩道を観音堂まで登ります。


 此処を音訪れたのはこれを観てみたかった故です。

     地蔵




 この近くお不動さんを祭った祠のそばにこうした説明文があります。

 説明文



 また、以前聞いた話では、
 「身の不幸を嘆き身投げをした御手洗の遊女の遺体がこの観音崎沿岸に打ち上げられる事が多く、その引き取り手の無い彼女たちの骸を当時の島民達が無縁仏として松林のなかに埋葬し墓をたて供養した~~」

 どちらが正しいか?何て事を断定するのは難しいですが、話としては後者の方が古いと想われますので、実際に此処に遊女の遺体が流れ着いた事が有ったのでしょう。他の案内板等にも”遊女の墓”と記されていたりもしますしね。


 またこの遊女の墓のある観音崎の突端、これ以外にも観音堂等や古い常夜灯等もありまして。
 その常夜灯・・・、

 元文年間


 元文の文字が刻まれています(既にそのころより沖乗り航路が活性化していたということでしょう)。

 
 またその周辺も含め遊歩道やちょっとした公園に整備されておりまして、ちょうど桜が満開~散り始め。
 桜吹雪の下を散歩させていただきました。

 桜



 しかし、こうして桜の舞う中、こうした句を眼にしますと、色々な思いが浮かんできます。

  句碑


 
 一時間余り居たでしょうか?そこからせっかくなので御手洗にも立ち寄ります。


 それが此処も火曜日は各種施設はお休み・・・・。

 まあ何度も来ている場所でも有りますし、というか此処もいつかリベンジですね。


 それに今回はこうした物を手に御手洗の街並みを歩いてやろう、という気で立ち寄った面もありまして・・・。

 089.jpg 090.jpg


 昭和初年の職業別明細図です。


 これを頼りに歩いてみますと、結構往時の建物が残っております(平成3年の台風19号の被害でかなり崩壊したという話も聞いていたのですが・・・・、)。


 例えばこれは往時御手洗券番だった建物。

 元芸妓券番

 
 やはりどこか粋な風情が残っていますね。


 そんなこんなでしばらく街を散策させていただいた後、天満宮にも立ち寄り・・・

 天満宮


 散り際の桜を愛でさせていただき



 更にこちらに・・・・。

 070_20180406134618053.jpg


 此処はこうした場所です。

 071.jpg



 084.jpg



 此処に並んでいるお墓、享保から慶応辺りに掛けての年号が記されています。唯、殆どが戒名が記されているだけで俗名は無く、本当に全てが遊女の墓か?というと少々疑問も・・・・・。


 まあ、色町や風俗に関する話というのは中々難しいですしね・・・・・。


 又いつか訪れてみたいと想い、夜は仕事なので早々に退散。



 そんなこんなの今シーズン最初のバイクでの散歩(プチツーリング)でした。
 
 
 

 追記

 
 帰りがけに一寸だけ遠回りして、宿根の江戸彼岸の巨木に立ち寄り。

 昨年から丁度1年での訪問。
 昨年はつぼみでしたが、今年は風に花びらが舞っていました。
 今年の桜は本当に早いです。


 宿根の江戸彼岸



 

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2017/05
17
[ #934 ]

舞鶴他(街並み編)

 先日少々まとまった休みをいただきましてちょっと出かけてまいりました。
 めぐって来たのは舞鶴他の日本海側諸都市です。


 舞鶴を訪れるのは実質初(正確には30年程前にオートバイで通過はしているのですが、雨中に通過しただけですので)。
 ここで先ず目指したのは朝代地区。西舞鶴駅前から徒歩で向かいますが、其の手前高野川に掛かる橋を渡っている折に思ったのが、この街(西舞鶴)は江戸期に北前舟等の入る港町としてかなり繁栄していた街であろうという事。


 高野川

 高野川と国道が交わる辺りにも立派な商家建築が幾つか残っておりましたし、また訪れた朝代神社にありましたこの巨大な灯篭等も其のあたりを想像させられるのです。


 石灯籠

 江戸期、北前舟等の廻船の主要航路は日本海側だったと思われます。当時の廻船では銚子の鼻や遠州灘沖が結構な難所という事も有り少なくとも江戸中期頃までは日本海が主要航路。故に日本海側の港町が発展していた訳ですし、そして港町の神社等には化政期辺りから大阪あたりの豪商が立派な石灯籠を寄進している例も多いように思われます故ですね・・・・。



 閑話休題、この朝代地区を私が訪れたのはそれもありますが明治20年代に遊郭地となった故(相変わらずです)。
 どうも朝代地区の高野川沿いは往時商家街だったと想像されますが、その裏手が遊郭地とされたように思えます。もしかすると往時から茶屋や旅籠の在った地区かも知れません(一寸、米子の灘町遊郭と似た立地にも思えます・・・)。

 
 そして朝代神社の次に訪れた千野宮神社、これが良かったのです。

 此処の社を囲む玉垣・・・・。


 朝代玉垣1

 朝代玉垣2


 といった感じで・・・・記されている名前が、・朝代貸席組合 ・朝代芸妓一同 ・霞月楼 ・・・と往時遊郭に存在した店等の名がずらり。

 更に入り口付近にはこんなものも・・・・。

 大門柱?


 大門の門柱に思えるのですがいかがでしょうか・・・?


 
 ということで周辺を少々徘徊。

 立派な木造3階建ての建物が残っていたり、他にも雰囲気のある建物がちらほら・・・・。


 木造3階建て  朝代建物


 思うのですが古くからの港町はこうした色町の存在等に寛容な気がするのですよね・・・。そうしてこうした玉垣や碑等も割りと残されているように・・・・・。


 また桂林寺という立派な寺も観させていただき・・・・・

 桂林寺


 田辺城址公園経由で西舞鶴駅に取って返しました・・・・。

 田辺城址公園


 因みに田辺城址、戦国武将細川幽斎が思い出されますが、この幽斎、信長暗殺の黒幕の一人なんて説も有ったり・・・・(妄想が膨らみますな・・・・)。それはさておき市民の憩いの場として愛されている印象でした。そこ此処に往時の石垣も残っていますし花も綺麗で・・・・・。


 
 そして西舞鶴駅からJRで一駅(思ったより遠いです)、東舞鶴駅に降り立ちました・・・・。

 ここでタクシーを拾い目的地を告げます・・・・。

 それは・・・・・。



   竜宮遊郭跡

 旧竜宮遊郭跡。
 (お約束です 笑 )


 因みにこれは私が愛読している書籍に掲載されている往時の絵葉書。


   往時の竜宮遊郭



 此処は明治30年代東舞鶴に海軍鎮守府が置かれた際に開かれた遊郭。

 この朝代と竜宮の関係、同じ軍港都市”呉”の吉浦遊郭と朝日町遊郭との関係を連想させられますね・・・(私だけか・・・?)。


 でこの竜宮遊郭跡ですが、かなり開発が進んで住宅地然とした雰囲気となっています。また空き地もチラホラ・・・・・。
 (このあたり土地の記憶の強弱か?あるいは立地に寄るものか・・・・)

 ただこの場所は、こんな感じで・・・・。


 植え込み


 往時のメインロードの中に造られた桜の植え込みの形が残っているのです・・・。(他所にはあまり無いのでは?)

 またこんな如何にもカフェー建築といった建物が残っていたり・・・・。

 カフェー建築


 結構雰囲気は感じられました。


 そしてそこから再び東舞鶴駅までバスでも使って帰ろうかと国道に出てバス停の時刻表を確認・・・・・・。

 が・・・・・、時間が中途半端な故か1時間以上バスが無い!
 仕方なく駅までトボトボと歩きましたが結構な距離・・・・。もしかすると戦後竜宮遊郭が流行らなかったのはこの辺も要因の一つかとも思われたり・・・・・。
 (そして商店街は西も東もシャッター通り・・・・、地方都市の悲哀を感じます・・・・)

 閑話休題、東舞鶴駅に無事到着、これで私の舞鶴徘徊は一段落。そこ此処に花が植えられ綺麗な印象も有る街でした。





 明けて二日目、今度は金沢。

 金沢といえば私のような人間からすると東廓西廓となるところですが、此処は昨年割りとしっかり歩かせていただいております故今回は、21世紀美術館~兼六園~金沢城址公園~と定番コースを歩かせていただき、近江町市場で鮨をつまみに軽く一杯としました。


 さて21世紀美術館ですが、ちょうど展示がお休み(月曜日)ということもあり、ゆっくりと建物を愛でさせていただきました。


 21世紀美術館

 正に現代アートを主に展示する美術館に似合った建物といった印象、興味深かったです。


 そして兼六園、此処は約30年振りですか・・・・。
 若い時はその魅力等良く判らなかったのですが、一歳拾うとまた違った味わいといいますか・・・・。


 兼六園

 こんな場所で金沢芸妓さんと、何て思ったり(笑)。


 そして金沢城址。
 此処も30年ほど前訪れている筈ですが記憶が・・・・・・。


 で、今回思ったのは・・・・石垣が魅力的!

 金沢城址

 &ともかく広い・・・ということ(流石加賀百万石ですか・・・・)。


 また50間長屋も復元され・・・・・(これはこれで築城時の雰囲気が伝わって良いのかも知れません、賛否はありそうですが・・・)。


 そして近江町市場は相変わらずの人出。
 何といいますか金沢市、日本海側の唯一の勝ち組都市といった雰囲気も・・・・・。

 それはそれとして、市場内で食べた鰯の握り寿司が私の口に合い嬉しかったです(鰯、下魚ですが美味しいのです、足が速くてあまり握りなどにはならなかったりですしね・・・・)。




 更に翌日は境港。


 此処はノーチェックだったのですよね。港町ですし遊郭色町が存在しない筈は無いとは思っていましたし、若いころ訪れた印象も適度に怪しく・・・・・。唯、其の手の資料等にはほとんど記載されずで・・・。
 
 唯、少し前に此処に昔栄町(桜町)遊郭なる物が存在したと聞き及び・・・・其の辺りを歩いてみようという事です。


 栄町遊郭跡


 が・・・・・・、雰囲気のある建物は見当たらず・・・・・・・(やはり戦中の徴用船の事故による壊滅故か・・・・)。
 

 栄町辺り

 この建物も一寸違う印象だし・・・・・。

 ということで、代わりといっては何ですが水木しげるロード歩いてみることに・・・・・。


 これが思ったより良いのです・・・・。
 漫画で街起こし??? 等と思って訪れて無かったのですが、これが結構魅力的といいますか、本気度が伝わるといいますか、手抜き感が無いといいますか・・・・・。

 はい、良かったです。

 特にこの”砂かけ婆”さんなんて、動き等ちゃんと煮詰てあるな~~という印象で。

 砂かけ婆



 更に造り酒屋のかくうちで軽く飲んだりと・・・・・、

 精米歩合


 ハイ、結構楽しかったのです。境港。




 そして翌日は更に釜山で街歩き。
 韓国上陸は初めてです。


 国際ターミナル前から無料バスで南浦洞、チャガルチ近くに行き、先ずは国際市場の東の通りを歩いてみます。
 此処は帽子や鞄、靴といった商品が並んでいるのですが余り魅力は感じなく、更に真ん中の通り、此処は厨房機器や食器が並んでいるのですが此処も・・・ということで富平市場に移動してみると。
 此処は一寸DEEPな雰囲気で、路地(裏)好きの私としては結構好みといいますか・・・・・。

 此処で・・・


 モペット


 働いてる感満載のモペット発見(私には車種不明)、人や店は写し辛いのでこんな物を撮ってみました。

 また市場内といわず、歩道等もバンバン走っているスクーター、排気量の大小に関わらず大体こんな一体型のバンパーをつけています。

 スクーター




 それはそれとして、そこから忠武洞遊郭跡辺りに移動・・・・(相変わらずです)。

 この辺り10年余り前までは風俗街として栄えたらしいのですが、法改正により・・・・・・ということらしく。
 (そういえば我が国も風営法の改正等で風俗産業が派遣・デリバリー型に移行し、いわばコールガール化といいますか・・・店舗型は急速に目立たなくなっているとも思えるのですが、この辺りもグローバル化、西洋化、なのですかね?)
 (ジェントリフィケーション?)
 
 閑話休題、この辺りと思われる場所を少々徘徊してみたのですがハングルが読めない私としては風情が・・・・・。
 (そう、朝代の玉垣みたいなのが好きなのです)


 忠武洞遊郭跡  つれこみ?

 これくらいで・・・・・。


 代わりに猫なんか撮ってみたり・・・・。

 釜山の猫


 まあ、港町ですから・・・・・。


 それから、忠武市場辺りを歩き(此処も雰囲気でした)、チャガルチ市場ビル(此処は観光化され過ぎの印象)、ロッテデパート(綺麗ですが広すぎて疲れました)と歩き・・・、自宅から持ってきた地図を頼りに国際ターミナルまで歩き・・・・・。




 が・・・・。

 何か景色が違う・・・・・・。


 周辺を結構うろうろしてたのですが、やっぱり来がけにバスに乗った場所が判らない・・・・・。

 意を決して建物まで歩き内で人に尋ねると・・・・・・。


 此処は昔の国際ターミナル。1年ほど前にターミナルの移転がありまして此処からタクシーで5分程です。との返答。


 持って来た地図が古かったのですね・・・・・。
 疲れが一気に出まして(其の所為かここ数日体調が・・・・)、何はとまれ広い道まで出てタクシーを拾うことに。


 しかしこのタクシー、運転手さん愛想がよくまた日本よりリーズナブルで助かりました。



 とこんな感じで各地の町並みを徘徊した数日でした・・・・。


続きを読む »

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2016/09
15
[ #864 ]

東廓

 明けて月曜日、覚めると体内にしっかりと酔いが宿ったままです。
 まあ前夜の宴会、酒の燗付けが間に合わない位のペースで燗徳利が空いておりましたし(今回もですか・・・!)、其処から更にバーホッパー(因みに私は4軒程・・・・・)。まあ仕方ないですがやはり歳は感じます。確か10年ほど前に初めて実施した京都では、昼から飲み続けた後~お座敷でも飲み倒し~更にバーを8軒回ってもそれほど二日酔い無かった記憶が有ったのですが・・・・。


 閑話休題、宿酔いを嘆いても仕方ないので、ホテルの朝食はしっかりと腹に収め街歩きに出かけます。


 この日の目的地は東の茶屋街周辺。

 この辺りが恐らく入り口、その昔木戸が置かれた辺りですかね?


   東廓


 紅柄の壁と風にそよぐ柳が雰囲気です。

 此処で先ず向かったのは、国の文化財にも指定されております御茶屋建築「志摩」様。続けてその斜め向かい、やはり保存されています御茶屋建築の「懐華楼」様。

 ハイ、完全に私の趣味です。


 しかし、この二つの建物の雰囲気の差異、興味深かったですね。

 共に文政3(1820)年に建てられたものでしょうが、志摩の方は其の当時の雰囲気を残しており(まあ、故に文化財指定なのでしょう)、懐華楼の方は(恐らくは御茶屋としての廃業時)、昭和初期の雰囲気が色濃く出ている感じですね。

 そう、志摩は江戸末期の金沢の社交文化の中心であり社交場であったお茶屋の雰囲気やありようが感じられます。
 全体的に抑え気味かつ繊細で風雅な空気ですかね。

 この中庭などいかにもですよね。

 志摩
 

 またここでもう一つ個人的に興味深かったのが此処。


 台所

 台所といいますか厨房といいますか。

 地域に拠りますが、お茶さんでは基本的にお客様向けの料理はしない訳で、お酒の燗付けと後、吸い物の出汁をひく位、でこうした場所はこじんまり。

 これが料理を造れるしっかりした厨房&庭に本格的な茶室が付くと、所謂”揚屋”ですね(長崎ではこの呼称が逆の様です)。


 これに対し懐華楼は、いかにも大正~昭和の雰囲気といいますか、謂わば世間でイメージされるであろう所謂”遊郭”的雰囲気が漂っています。

 玄関を入ったところのたたきがこうですし。

 懐華楼



 其の先の大階段がこうですし。

 階段



 更に2階の大広間がこうですから。

 畳


 そう粋な志摩に艶っぽい懐華楼。
 あるいはお茶屋的志摩に妓楼的懐華楼。

 興味深かったです。


 
 そこからこの辺りの芸妓さんの信仰が厚いといわれる菅原神社に・・・・。
 此処の玉垣は・・・・。


 玉垣


 東廓事務所ときしてあります。

 現在は東茶屋街と呼ばれていますが、恐らく昭和の時代まではこの辺り東廓(ひがしのくるわ)と呼ばれていたはずでして、耳ざわりもそちらの方が良い気がしますし日本語としても・・・・・(で、私は東廓と書くわけですが)。


 この日は余り時間の余裕も無い&単独行動でも無い故余り長居はせず、梅の橋まで坂を下り此処から川沿いを中の橋まで散歩。


 浅野川を挟んで観る主計町の茶屋街が雰囲気です。


    主計町

 何といいますか、京都の木屋町辺りとも似た雰囲気ですかね・・・・。

 川沿い、柳。
 雰囲気ですね。


 ここから、券番事務所前~暗がり坂と歩き今回の金沢の街歩き、個人的には終了。

 市場で軽く昼食&散策の後は帰るばかり・・・・・。
 やはり一泊二日では足りないですな、21世紀美術館も行けなかったですし・・・・・。

 まあまた機会が有れば・・・・です。




 追記

 金沢の東西両廓。文政4年に成立する訳ですが・・・・、其の前は?なんて疑問もありそうです。

 個人的な見解では有るのですが、1620年辺りから、金沢の廓の成立する1820年頃迄の江戸の主要期、江戸(吉原)、大阪(新町)、京(島原)、長崎(丸山)といったところに(官許の)廓が有るわけですが、其処以外、殆どの城下町には公には廓はあまり存在しないのですよね(勿論例外も)。また往時の黄表紙等にも「遊郭」の文字は殆ど見当たらない・・・・。

 また我が国で娼妓さんの数が最も多かったのは、恐らく昭和初期。


 言ってみれば”遊郭”とは、明治~大正~戦前 といった時代の象徴ともいえそうです。

 江戸期は、廓とか茶屋(街)(あるいは遊所)・・・・。


 そんな事も考えた金沢でした。

 

 

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2016/09
13
[ #862 ]

金沢

 この日月とお休みをいただき、金沢まで行ってまいりました。

 在来線~新幹線~特急サンダーバードと乗り継いでの行程ですが、東広島からだと遠いですね金沢。
 一泊二日だと少々無理も感じる旅程ですがそこは貧乏暇無しなバーテンダー、これが精一杯という感じなのです。

 そこまでして何をしに金沢まで?

 
 はい、いつものこれです。







   舞




 そう10年程前ですかね?有る方のご尽力も有り、初めてこうした企画の旅を行ったのは・・・・。
 どうもそれ以来定番化致しまして、1年か2年に一度こうした事をさせていただいております。

 そして今回は念願の金沢です。

続きを読む »

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2016/09
02
[ #859 ]

プラザ閉店

 8月31日を以て西条駅前地区にあったショッピングセンター「西条プラザ」が閉店してしまいました。

 まあ色々と事情も有るのでしょうが、少し寂しく&不便になりますね。
 昭和48年(1973)年オープンということで、43年ですか・・・・・。

 
 
 私は西条という街で生まれ育った訳ではないのですが、それでも昭和48年にこの建物がオープンした時には、西条の駅前にえらく豪華なショッピングセンターがオープンした、と話題に成った記憶があります。

 そういえば、渋谷のパルコも同じ年の開店とか(あちらは一時閉鎖で大規模改装に入っているとか・・・・)。
 そうあの時期、各地にこうしたショッピングセンターが出来た時期という記憶があります。
 (三原プラザとか、三次プラザ何てのも有った様な・・・・・)

 
 大店法の影響といいますか、絡みも合ったのでしょうかね?


 そしてパルコも大規模改修を行うということは、現在、そうした時期(建物の寿命や、消費動向の変化等)に来たということですかね。
 まあ、耐震基準の法的変更や消防法の変更といった事もあったのかも知れません。


 そういえば、このところ急速に古い建物が減っている気がします。
 全国的な物かもしれませんが、特に東広島はそんな傾向を感じます。

 各地の生涯学習センター(旧公民館)や消防署の立替・・・・といった事も行われましたし、駅も建て変わりましたしね。
 更に賀茂輝さんや、ホテルユーカリ・・・・吟古館も解体されていますし、吉富蔵もかな・・・・・。

 街の賑わい、活性化といった面では良い事なのでしょうが、少々寂しく思えるのも事実。
 
 恐らく、若い頃でしたら古い物が無くなり新しくモダンな建物が出来ると聞くと、それだけでワクワクしたと想うのですが、この歳になり古い街並みに惹かれたり、そうした場所の歴史等に興味を惹かれるように成りますと・・・、何というか”もったいない”といいますか、寂しいといいますか・・・・・・。


 最近各地をドライブ等しても殆ど同じような景色に見えますよね・・・・。都市のバイパス道沿いに、全国チェーンの量販店やレストラン、ドラッグストア・・・・等々、等々・・・・・。
 (恐らくはこれも大店法廃止の影響による物なのでしょう・・・・)

 確かに便利では有るのですがね・・・・・。

 何といいますか、そうした事も含め、21世紀になり、何かが変わりつつ有る気がします。


 古い地図等を観ていますと、徒歩で移動できる範囲に多くの店舗等が凝縮して存在している事がわかります。そして恐らく旧来の日本文化といいますか日本人のメンタリティーは、この”歩いて”移動、生活することに拠って創生された物とも想うのです。
 そして、昭和の時代までは地方都市や町でも有る程度そうした商店街のような物が成立していた記憶があります。

 それらが今では殆どシャッター通り。

 そういえばこの度閉店した”西条プラザ”も、ショッピングセンターとはいえ、商店街が建物内に入っていたような雰囲気も感じさせる物でしたし、時代なのでしょうね?
 そして恐らくは、元には戻れないのでしょう・・・・・。


 何といいますか、何かの転換点なのかも知れないな?と、いう気がしています。

 

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2016/07
08
[ #842 ]

暑くなって来ましたので・・・・

 今月に入り急に気温が上昇しましたが、いきなりですので結構応えます。
 そこでこうした場合は毎年炎天下にバイクに跨り強制的に暑さに身体を馴染ませる、というのが私のやり方(良い子は真似をしてはいけません 笑 )。

 そんな訳で数日前、炎天下にオートバイをガレージから引っ張り出し、家を出たのは10時前位でしたかね・・・・?近所のGSで燃料を入れ下道をひたすら西へ。

 向かった先は周防大島、何度も訪れている場所ではありますが今回はこちらを覗いてみようという算段です(以前訪れた時は休館日だったのです)。


 記念館

 
 この島出身の著名な民俗学者「宮本常一」氏の記念館です。
 この方の著書、興味を惹かれるのです。

 大島大橋を渡り、そこからは広域農道(オレンジロード)に入って記念館に向かいます。

 この道、中速のワインディングで昔は結構楽しい道という印象だったのですが年々荒れて来ているといいますか、最近は各所に砂が浮いているのですよね、おまけに降り続いた雨の影響もあるのか水の流れている所も・・・・また全域落ち葉等多く、更に農作業の軽トラが停まっていたり、ダンプの出入り口も・・・・と言った状況。
 まあ想定内でしたので、今回はアップライトなポジションにしてあります方を引っ張り出して来ている訳です、またペースも抑え気味に走ります。


 因みにこのバイクです。

 2号機


 お蔭様で記念館に無事到着。

 入館料300円を支払い館内に・・・・。


 感想ですか?

 近所にあればしばしばお邪魔しそうな雰囲気ですが、わざわざ2時間余り掛けて来る程では・・・・かな?調べ物等の明確な目的が有ればまた別でしょうが・・・・・。

 それでも小一時間程楽しませていただき汗も少し落ち着きましたので、再びバイクに跨りせっかくなので島の東端、陸奥記念館まで海沿いを走る事に・・・・。
 流して走るには気持ち良い道なのです。


 また、この陸奥記念館のある伊保田港近くの集落、昔の海沿いの集落の風情が少しばかり感じられる街並みでもあります。
 こんな建物が有ったり・・・・。

   兜造り


 所謂兜造りですかね・・・・?と成ると江戸の終わり頃の建物ですか・・・・。
 化政期から幕末に掛け、廻船に拠る水運が隆盛しましたが往時の繁栄が偲ばれる気もします。

 また、陸奥記念館にはこんな物も・・・・・。


 PS1


 新明和のPS-1飛行艇ですな・・・、こうした機械物を観るのは楽しいです(結構事故率が高かった機体の印象も有るのですが・・・)。


 ただ、さすがに気温が高くなって着ましたので長居はせず早々に帰途に着きます。空なんて完全に”夏”です。


 海


 帰りは宮本常一記念館辺り迄オレンジロードを走り・・・・・(やはり落ち葉等多いです)。


 因みに某所の寒暖計が37度になっておりました(暑かったはずです 笑 )。
 しかしまあこれで、少し身体が暑さに馴染んだ気もする訳です。

 

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

2016/06
09
[ #833 ]

長野辺り

 前回の続き。

 早起きして上諏訪の遊郭跡を散歩した後、ホテルで一風呂浴び朝食も済ませ次の目的地に移動。
 それはこちら・・・・。


     松本城


 
 松本城です。
 国宝指定も受けている名城です。
 
 個人的には天守閣の残らない石垣のみの城址が好みといえば好みなのですが、此処は良いですね。
 折角なので天守閣内部も見学させていただきましたが、これがまた良いのです。

 天守の建物自体も良いですが、窓から遠くに望める山々が良いですし、鉄砲に特化したとも言える展示も良かったです。


 こんなマニアックな物も有ったり。

 鉄砲


 それから城下町も少しだけですが散策、これまた雰囲気。
 城下町の空気を色濃く残す街、どこか文化的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?
 まあとは言いましても私が主に歩くのは少々怪しい雰囲気の残る場所だったりもするのですが・・・・ (笑) 。


 其の辺りで・・・・・。

   松本にて   松本2



 観光開発された故か綺麗に整備された街の印象、怪しい雰囲気の建物は少ないですね・・・・。
 (市内から少し離れた場所に遊郭跡が在る事も知ってはいたのですが、今回は時間が無くスルーです)


 ということでそそくさと移動、次はこちら・・・・・。



   仁王門

 善光寺です。これは立派な仁王門。


 本堂はこんな感じです。

   善光寺
 

 遠くとも一度は参れ善光寺・・・・等とも言いますし、年老いた親を伴っての善光寺参りも悪くは無いかと・・・・。


 此処はなんといいますか上諏訪の本宮に近い雰囲気。神社仏閣という言葉もあるとおり、著名な寺や神社、少々似た空気を感じます。
 また今回は神社仏閣ばかり巡っていましてやや食傷気味といいますか、疲れも有りで長居はせず早めにに次の目的地に移動(遊郭跡もスルーです 笑 )。




   火之御子社

 戸隠の火之御子社。


 由緒は・・・・・

   由来



 此処が気になっていたのです。

 由来にも記してありますが、”天うず女命”を祭る神社で仏教に習合されることの無かった神社です。
 戸隠で最も古いと思われる九頭竜社(古くからの竜神信仰の場所)も九頭竜権現となったにも関わらずです・・・・。
 また”あまのうずめの命”、古事記の逸話を素直に受けるのであれば、日本最古の遊女とも言えそうですし・・・・。

 更に言えば、天岩戸伝説も気になります。
 天岩戸伝説、皆既日食が基になって作られた逸話という説も強いですが、もう一つ火山噴火による火山灰の影響で太陽が遮られた事を基にした逸話という説も有り・・・・・。
 (恐らくは上記二つの出来事、或いは更に他の出来事等も習合して生まれて逸話でしょう・・・・)
 其のうち皆既日食は卑弥呼失脚に繋がると思え、そして此の地の伝説は後者の火山噴火由来では?と個人的には思っています。



 しかしどちらにしろある種の空気を強く感じる場所でした・・・・・。



 それからこの日の宿泊地までドライブ・・・・。

 選択したのは上山田戸倉温泉。

 善光寺参りの精進落としの地として賑わった等という話を耳にした事もあり・・・・(また、見番が生きているなんて噂も耳にし・・・・)。



 ホテルに行く前に一寸だけ寄り道、城山城址公園(荒砥城址)に立ち寄るという話になり・・・。
 しかしこれが駐車場に車を止めますと、其処から更に(数百M?)歩かなければならない事が判明、しかも閉館時間間際・・・という事で、駐車場からの景色のみを愛でてホテルに向かう事に・・・・。


    城山史跡公園

 櫓跡まで登れば更に良い景色に出会えたのでしょうが、雰囲気は伝わりました。
 (先日訪れた備中松山城からの眺めと共通する物がありますね、此の時期の山城に共通する物でしょう・・・)


続きを読む »

タグ :   寺社  /   温泉  /   街並み  /   城跡  /

ちょっとお出かけCM(0)TB(0)URITOP

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.