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2019/08
20
[ #1126 ]

皆生

 先日ちょっとばかり皆生温泉にいってまいりました。
 この時期、隔年位で無目的なドライブを古い友人達と行うのですが、今年は皆生温泉が目的地となりまして・・・。
 実は私、皆生温泉を訪れるのは今回が初、そう遠くない場所ですし周辺は散々バイク等で訪れた記憶も有るのですが、何故か皆生温泉は足を踏み入れて無かったのですよね。ということで友人が決めた皆生泊というプランも個人的にはありがたくいそいそと参加とさせていただきました。

 往路は相も変わらず無目的にドライブし、途中海を眺めながら一寸飲んだりと(その後は飲まなかったA様に運転していただき・・・感謝です)のんびり移動し皆生温泉に到着したのは夕方4時くらいでしたかね?


 IMG_20190817_131208.jpg
 やっぱり海、好きなのです。


 先ずは湯に浸かり汗を流して、夕食は街中のすし屋さん。

 そのお店に歩いていく途中、呼び込みさんに声を掛けられ・・・、オッ、現役感あるな・・・、というか懐かしいというか・・・。

 で、そのすし屋さんで皆でぐずぐずと飲み(基本的に酒飲み以外の友人は存在しない私です)、何はとまれ海岸まで出てみることに・・・・。
 

 IMG_20190817_191755.jpg


 はい、こんな感じでなかなかリゾート感が有るといいますか・・・。
 (マルベーリャとはいいませんが・・・、いかにも日本的な海の家が有るのが少々ミスマッチというか日本的というか・・・な感も・・・、それも風情かな?)

 唯、ここから宿泊先のホテルまでの帰途、少しばかり街中を歩いてみたのですが、結構な寂れ感も・・・・、また営業中のこうした場所の写真も撮りづらい故、散策は翌朝としてこの日は大人しく就寝(実は夜に一人でバーを訪れたのですが、適当な時間であったにも関わらず何故か扉が閉まっておりまして・・・・・・)。


 で翌朝、日の出とともに町並み散策、朝日を眺めるにも良い場所とのうわさも聞き・・・です。


 波・朝日


 結構波が強いです。泳ぐのは大変かな?波消しブロックも設置してあるのですが・・・・・。



 それはさて置き、街並み散策としゃれ込みます・・・・。

 先ず目に付いたのが、いたるところの”空き地”。駐車場に転用して有りますが、やはり空き地感はあります。それと街路が南北十文字に綺麗に交わっている事。
 この雰囲気、私が良く歩く街並みに近いといいますか・・・・、そういってみれば”新地”感があります。
 古びた風俗店やスナックが目に付くのもそう。

 因みに新地、明治後半~大正~昭和初期に掛けて、塩田跡や海岸、田圃等を埋め立て、新たに開かれた地域で、町おこしや税収アップを狙い、多くが歓楽街として開発された場所・・・といえばよいかな?OO新地なんて場所、そういった雰囲気が濃厚にありますよね?

 ということで、全国各地のそうした場所同様の”寂れ感”も濃厚に・・・・。


 で、目に付いた建物の写真を少々。


 P1010924.jpg

 こうしたプレート、そこかしこにあります。

 ただ、多くが・・・・・。


 P1010926.jpg


 廃業・・・・。


 廃業


 このソープも最近廃業されたのかな・・・・。


 P1010935.jpg P1010936.jpg

 こうした温泉街らしいお店もかろうじて残っていますが・・・・、広い道路に面していますと、どうもね・・・・。
 古くからの温泉街のように狭い路地ならまた一寸違った風情にもなるのかも知れませんが・・・・。


 P1010937.jpg

 スナック街ですが・・・・・。やはり広い道路沿いだと・・・・。

 みやげ物やさん等も・・・・。


 P1010933.jpg P1010927.jpg


 寂れ感が・・・・。

 バブルの崩壊&官官接待禁止等で各地の温泉街、軒並み寂れ気味ですが、ここ皆生の路地裏は特にそれを感じます・・・。
 (海沿いの大型ホテル群はさて置き・・・・)


 思えば、皆生温泉、明治33年の源泉の発見から造られた街、正に新地的といいますか・・・・。そんな空気を感じましたね。

 そして今は海沿いのホテル群を中心に現代的な方向に転換すべく努力中という事なのですかね?

 P1010955.jpg


 こうした感じで・・・・。


 なにはとまれ、楽しませていただきました・・・・。

 
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2019/08
15
[ #1125 ]

木綿恋い記

 久々に水上勉の小説を読んでみました。
 この作品です。


 木綿恋い記


 といってもこれでは何の作品か分からないですね。
 因みに背表紙にはちゃんと書名が記されております。

 背表紙



 「木綿恋い記」  水上勉


 そういえばこの著者名、わたしは”みなかみ”と記憶していたのですが現在では”みずかみ”に統一されているとか・・・(ほか”みながみ”と読む方もあった記憶も・・・)。

 閑話休題、少し前、あるお客様が、「全集には集録されていないけれども興味深い作品ですよ・・・」とおっしゃっておられまして、それならばと図書館で借り出し読んでみたわけです。

 はい確かに興味深く読ませていただきました。

 ストーリーとしては湯布院近くの村で生まれ育った由布という名の女性の半生を描いた小説・・・といった内容なのですが、往時の社会風俗が推察される描写が多く、私好みの作品でした。

 前半は戦中から戦後まもなくの湯布院周辺、別府~湯布院~湯平温泉といった地域の社会状況、戦中の雰囲気から戦後の物不足、進駐軍の登場、また朝鮮戦争勃発により日出生台の旧軍の演習場が米軍に接収され拡張されることによる影響等々、特に風俗嬢(?)周辺の事情など興味深いです。

 中盤は由布が出て行った往時(昭和20年代後半)から昭和30年代の高度成長に向かう東京の雰囲気、社会風俗の描写、当時の人々の思考といったものが推察され、これまた興味深いです。

 そして後半は、由布の恩人の草本医師の言葉を借りて紡がれる著者の想い(アメリカ文明の急速な流入に拠り拝金主義が蔓延し人心の荒廃が起きているのでは、弱者が馬鹿を見る社会になっているのでは・・・云々)が書かれており、この辺りはそのまま現在でも当てはまるといいますか、そのまま続いているといいますか・・・。
 また、由布のモノローグを通じて語られる著者の故郷への想いといいますか、人生観といいますか・・・、そのあたりも・・・・。
 (ここに関しては著者の仏教的思考といいますか、浄土真宗的感覚といいますか・・・、そのあたりを感じますね)。

 
 おそらく元は新聞の連載小説であったと思われますが、それゆえか少々ストーリーのまとまりに欠ける印象もありますが(もしかするとこれも全集から漏れた要因か?)、興味深く読ませていただきました。


 


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2019/08
02
[ #1122 ]

伊予松山

 今年は伊予松山にしてみました。

 何が・・?って、馴染みのお客様を伴っての小旅行です。
 もはや完全に恒例行事と成った感もありまして実施らない訳にはいかない状態、今年は先方の都合等もありこの時期に決定、先の日月です。
 唯今回は参加希望の皆様、お忙しい方が多かった様子で私を入れて7名という少々寂しい構成。
 それでもまあこういうことも有るかと、現地集合組2名を除き、5名にて日曜の朝JR西条駅前を車にて出発、一路松山を目指します。


 先ず車を停めたのはこちら。


   鯛や


 三津浜に在ります”鯛めし”屋さん、銅版葺きの壁を持つ堂々とした建物です(文化財指定をうけていらっしゃるとか)。此処にて伊予名物の鯛めしで昼食とし旅のスタートとする算段です。

 因みに案内されたお部屋はこんな雰囲気で、瀬戸内の海端で育った私としては懐かしい雰囲気です。

 鯛や部屋


 食事の後は周辺を少しばかり散策、此処三津浜、以前は港町として栄えた地域、特に明治後半から昭和期にはせとうち観光の拠点等として賑わった印象があります。
 この建物等は正にその象徴でしょう。


 石崎汽船


 因みに私は、”確かこの路地の先に旧遊郭の常夜灯が在るという噂が・・・”ってな感じで徘徊。

 三津浜遊郭跡


 常夜灯、既に撤去されておりました・・・・。


 ただこの日は梅雨明け直後の猛暑ということもあり、散策も短めに切り上げ、ホテルにチェックインのため早々に松山市内の繁華街に向かいます。
 因みに予約しているホテルは皆バラバラという。いかにも単独行動を好むバーの馴染みらしい状況。まあどちらにしろ飲み屋街周辺ですが・・・・(笑)。

 という事で午後1時前後でいったん解散、夕方に備えます。


 因みに私はホテルにチェックイン後、部屋で荷物の整理&一服の後、早々に松山市内の散策に・・・・。


 先ずは大街道から路面電車にて松山市駅に移動、そこから炎天下を10分余り徒歩にてたどり着いたのは・・・・。

 土橋料亭街


 一般に?料亭街と呼ばれる地域、こうした存在を”料亭街”と呼称するのは大阪スタイルですかね?
 この寂れ具合が何とも・・・・。
 殆どがデリバリースタイルに変わっている昨今ではいつまで存在できるか?とも想われます。

 因みに裏から見ると・・・。

 土橋料亭街2


 夜に訪れるとまた違った雰囲気かも知れません・・・・。


 ここからどこに行こうか?と一寸悩んだのですが、そういえば松山城って上がってないな・・・・と。

 で、私鉄~路面電車と乗り継ぎ・・・・


 伊予電


 更にロープウェイ乗り場に行く途中古本屋に引っかかり本を衝動買いなんてしながら松山城へ。

 ロープウェイで本丸辺りまで上がり、直ぐに降りて道後の路地裏散策・・・とも想ったのですが、上がってみるとこれが中々雰囲気のあるお城でして・・・・。

 印象としてはこじんまりした天守閣で地味な印象の城と想っていたのですが、間違いでしたね。
 さすがに江戸期からの現存天守を持つ城の一つ。広大な本丸御殿跡等少々観光化され過ぎとの印象も無いわけでは無いですが、それも市民に愛されている故かとも想われたり・・・。

 特に複雑な造りの天守閣の構造物等魅力的でしたね・・・・。

 天守


 また石垣も・・・。


 松山城石垣


 そんなこんなで気がつくと既に4時近く・・・・。


 道後の路地裏は次の機会に回すとして、いったんホテルに帰り仮眠ぐらいとらないと・・・相変わらずの寝不足だし・・・。
 という事で城を下り、ホテルに向かっていたのですが、炎天下を3時間近く歩き回った喉の渇きに耐え切れず、居酒屋の生ビール(&ハイボール)に引っかかってしまいました。

 それでも何とかホテルにはたどり着き、ひとっ風呂浴びて汗を流し、着替えも済ませ、何とか予定通りの時刻にはホテルを出発、道後に向かう・・・ところが路面電車を乗り間違え(ダメダメですな)、現地到着はギリギリの時間。
 
 既に疲れが・・・・

 大丈夫か私・・・・・。


 まあ、なんていっても仕方ない訳で、いよいよメインイベントに・・・・。


 
 

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2019/07
07
[ #1116 ]

今年の散策(2019)

 ここ数年この時期(5~6月)は嫁さん孝行、あるいはリフレッシュと称し少しばかり旅行といいますか散策といいますかに出かけているわけですが、今年も少しばかりうろうろして参りました。

 先ず最初に立ち寄ったのは高知市。昨年も訪れているのですが、今年は老舗料理旅館”臨水”様で昼食でもいただければとの想い(今年の初めあるお客様が訪問され非常に良かったとおっしゃっておりまして・・・)。

 臨水  ちなみにこれは10年ほど前に外観のみ愛でさせていただいた折のもの。


 しかしこれが当日のランチタイムは予約でいっぱい、との事。
 非常に残念ですが臨水様はまたの機会を考えるとして、昨年訪れた時と同じ居酒屋様で昼飲みと相成りました(この居酒屋様、仲居さんの働き具合といい、庶民的価格設定といいお気に入りなのです)。

 ただ、これだけで高知を後にするのもいま一つ物足りないという事で、境町辺り少しフラフラ・・・・。

 此処境町・・・、まあいわば現役の風俗街ですな・・・・。


 因みに高知、江戸期土佐藩の時代は遊郭の設置が認められておらず官許の遊郭は無かった訳ですが、明治維新後数年を経て遊郭地の設置が認められ開設されたのが、高知の中心部から鏡川を下流に下った稲荷町遊郭(下の新地)(映画や小説にも成った得月楼・ヨウキロウで著名ですね)、鏡川を上流に行った場所の玉水遊郭(上の新地)(此処にも得月楼の出店が有ったとか・・・)。そして稲荷町遊郭は戦中の空襲で全焼、戦後その代わりに赤線として歓楽街となったのが南はりまや町&境町といった鏡川沿いの地域、その後昭和33年の売春禁止法の施行にともない南はりまや町は料亭街に(現得月楼や濱長様はここですよね?)、そして境町はソープ街となり現在に至る・・・といった話だった筈。

 で、少しばかり散策・・・・。

 境町

 
 この道路を貫く生垣なんて遊郭っぽいですが、成立過程を考えると一寸異なるような(江戸期からの名残かな・・・)。
 閑話休題、一寸寂れ感があります。

 石鹸の国  廃業


 地元の方のお話では、「もう最近は寂れてるよね・・・、結局スマホ等の普及で派遣型ばかりになり・・・、周辺のホテルも以前はそうした女性の出入りは禁止していたのだけど最近は黙認せざるを得ない状況・・・云々・・・」、との事。
 まあ殆どの地方都市同様といいますか、風営法改正以降の傾向ですかね、固定店舗型からアメリカ式のコールガール方式に移行というか誘導というか・・・。
 まあ一般人の目に触れ辛く・・・といった事かも知れませんがアンダーグラウンド化しそうですよね・・・、それに風情も失われるといいますか、まあ色街文化なんて事を言う人間も少数派でしょうし、今や昔でしょうね・・・。

 まあ、そんなこんなで高知市は早めに切り上げです(今回は連れ合い以外にも同行者が2名ありまして、怪しい町並みばかりフラフラするわけにもいかずでして・・・・)。


 そして次の目的地は油津&宮崎市周辺・・・・の予定だったのですが、これが低気圧の影響で急遽変更となりまして・・・・。



 で、訪れたのは・・・”佐世保市”。



 先ずはタクシーに乗り込み・・・・

 「”かっとみちょう”って判りますか?そこまで・・・・」とお願いしますと、運転手さん曰く、「判りますけどあまり観光客の人に言われる場所じゃ無いですがね・・・、何か有りましたっけ?」とのお返事。

 すかさず同行の方が・・・、「この人遊郭マニアで云々・・・・・」、と。


 はい確かに否定和しませんがそう直裁に説明されても恥ずかしいというかなんと言うか・・・・(笑)


 で、ともかく古い旅館のような建物でも有れば・・・とお願いしますと・・・。

 「確かに有りましたよね・・・、そういわれると昔は夜になると女性が立っていた記憶も・・・・」

 という事で連れて行っていただいたのがこの建物の前。



 勝富町2勝富町1


 造作といい、見事私好みの建物(運転手さんありがとう御座います)。

 この周辺、確かに再開発も進み宅地化が進行していますがそこかしこに幾つかの雰囲気のある建物等が残っています。

 たとえば・・・。

 勝富町3 勝富町4 勝富町5 勝富町6


 と、こんな感じ。


 またこの看板も雰囲気です。


 勝富町7



 恐らくこの地区、昭和33年の売春禁止法施行後、高知の境町の様にソープ街には移行できず(長崎県がソープの営業を認可しなかった故)、旅館街という方向を選択今に至る、といった事でしょうね。


 ゆっくりと徘徊したかったのですが同行者3名ではままならず・・・・で、早々にこの地を後にすることに。


 ここから佐世保でもう一つ個人的に気になっていた場所に向かいます。


 それは戸尾市場。

 昔、船乗りだった父親が「佐世保には防空壕を利用した市場があり、云々・・・・」とよく言ってまして、一度訪れてみたかったのです。


 かっとみちょう遊郭跡から川沿いの道を歩いて市場方面に向かいますが、この道、恐らく往時、漂客の歩いた経路、動線でしょう、らしい雰囲気の建物が残っていて雰囲気です。
 (川沿いというのが良いですよね、やはり色町には水の存在が欠かせませんよね・・・)

 川沿い


 その戸尾市場、恐らく往時の賑わいは既に無く・・・といった状況でしたが、変わりに空き店舗を利用したBARや一杯飲み屋さんがありました。

 またその飲み屋さんのオーナーが丁度昼の営業を終え出てこられたところに出くわしまして、無理を言って店内を見せていただきました(ホントありがとう御座いました)。


 内部 内部2

 なるほどです。
 
 チャンスがあれば、一度此処で飲んでみたいものです(この日は時間が合わずで)。


 そこから長いアーケード街に繰り出し、またまた居酒屋で遅めの昼食代わりに飲みます(飲んでばかり・・・・)。

 しかし、このアーケード街、想いの他元気な印象。大体地方都市のアーケード街、商店街というとシャッター通りの印象が強いのですが佐世保はそうでは無かったです。
 (個人的推察ですが、恐らく新幹線が通っていない事が大きいのでは?と。また近くの島々への通船も有るゆえかと・・・・)

 更に少しばかりミーハーして佐世保バーガーなんてもので早めの夕食。

 基本的にハンバーガーは食べない私ですが、これならたまにはアリかな?と思わされる味でした。

 そんなこんなの佐世保でしたが、雰囲気のある街ですね・・・、チャンスがあればまた訪れたくなります。
 そこかしこに猫が居るのも、これまた(特に佐世保の猫、人なつっこい印象でした)・・・・でした。


 猫1 猫2 猫3 猫4



 今年の散策 2 につづく・・・。

 

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2018/11
17
[ #1063 ]

心中しぐれ吉原

 遊郭文学というジャンルが存在するかどうか良く判らないのですが、遊郭や色街を舞台とした小説等、昔からそれなりの数が存在いていると思われますし、また遊郭跡等に惹かれる私としは結構好んで読むジャンルといいますか。まあ嚆矢としては江戸中期頃に流行った”洒落本”辺りがそうなる気もしますし、或いは師宣の浮世絵作品等が言ってみればそうともいえそうですし。

 其れはさて置き、”小説”というもの基本的にフィクションでしょう、そしてその架空の物語において何かを表現といいますか書こうとしている訳でして、そしてその為に色々と舞台設定も考えられる訳でしょうが、結果として作品がその舞台設定に束縛されたりする面も当然あるわけでしょうし。
 (まあ、故にある種のSF作品等はその舞台設定の影響を嫌ってあえてSFというスタイルを選んでいる様にも思えてたりも・・・)
 
 そしてまた、場合によってはその手段たる舞台設定が目的となってしまったりする作品もまま見受けられる気も・・・。
 (所謂、ペパーバックやノベルズといわれるジャンルなんてそんな感じが多い様な・・・)

 そう遊郭を舞台とした小説にもまま有るのですよね。
 勿論其れはそれで悪くない気もしますが、やはり何かを書きたくて書かれた作品の方が読み応えがあるというか・・・。
 そう、そうした作品を何冊か読むと余計に著者の個性というか筆力というか思いというかが感じれる気がするのですよね。


 前置きが長くなりましたが、最近読んだそうした小説で結構読み応えがあったのがこの作品。


  心中しぐれ吉原


 著者は山本兼一氏、”利休にたずねよ”が映画化されたので代表作ですかね?

 京都出身&元々は僧侶の家系ということか、濃いといいますか、どろどろしてるといいますか、えぐいといいますか、深いといいますか・・・・、兎も角雰囲気がありました。

 この作品、寛政初期の江戸吉原周辺が舞台という事で、その京都的雰囲気の文章が”粋と張り”を売りとする吉原に合うのか?という意見も有りそうですが、これが良かったのです。
 (逆に嶋原辺りを舞台とすると、それこそドロドロの和事的になりそうですかね?)

 主人公は当時の通人の代表格ともいえる蔵前の札差という設定、これも面白いといいますか。
 当時の資料等も当然しっかりと調べられていらっしゃる感じで、且つ、その資料等に引きずられない書き方は見事私好みでした。
 (そう、遊郭関係、それなりに資料等も多いようですが、それ故に資料に引きずられ易いというか、そうした小説作品も多い印象)

 また著者最晩年の作品で、恐らく著者自体自らの寿命を悟った上で執筆されたのでしょうが、その所為か後半特にある種の”暗さ”の様なものが強烈にあり、これがまた特徴というか、印象深いというか・・・・。人間の業というか情というか、人生の無常というか・・・・、兎も角そうしたことを感じさせられ、人間の生・性、という物が描かれている感がありました。

 良かったです。

 

 

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2018/07
03
[ #1035 ]

今年の散策・・・

 今年も少しばかりリフレッシュ休暇といいますか、少々お休みをいただき色々と散策してまいりました(台下冷蔵庫も壊れてしまったし・・・・とか?)。
 周って来たのは兵庫津周辺~海雲台~旧沖之村(常盤)遊郭跡周辺&鶴丸城址・・・といったところです。

 
 先ず最初の目的地は兵庫津周辺・・・今で言う神戸市兵庫区ですね・・・・。
 
 この神戸市兵庫区の海際、古くからの重要な港町でして(今の神戸港は幕末以降の発展の印象が深いです)、古くは遣唐使、日宋貿易、日明貿易、北前舟、朝鮮通信士・・・等々の寄港地として名の挙がる場所、また平安末期には清盛が都を築こうとしたりと・・・・兎も角、日本史において重要な港町なのです(その割りに影が薄い印象も)。

 明治半ば以降に全国に鉄道網が普及するまでは海運(水運)が重要な輸送手段でして、人・物・情報といったものが水の上を移動していた訳です(最も最近では鉄道インフラも新幹線と都市部以外は見捨てられ気味ですが)。
 そしてこの兵庫の港(兵庫津・兵庫の関)はその中でも都に近く重要な場所、それ故に清盛も都を築こうとしたりした場所。
 また清盛といいますと、私の生まれ育った広島の瀬戸内とも関連深く音戸の瀬戸や厳島神社と関わりは直ぐに思い浮かびますし、まあその辺りも含め一度訪れてみたかったのです。


 そしてこれが兵庫の清盛像

 清盛像

 
 晩年の剃髪後のお姿ですね。この像があります住吉神社周辺に往時に関連するものが多く残され、また清盛の存在感が強いです。
 広島の清盛像、どちらかというと未だ若かりし頃といいますか上り調子の頃、対して兵庫は晩年の清盛を・・・という印象です。

 
 また運河付近に到着しますと、至る所にこのような幟が・・・・。

   幟


 知らなかったのですが、明治期に造られた兵庫運河を中心とした遺構が日本遺産として登録されたという事なのでしょうね。
 そういえば私が店をさせていただいている東広島の西条駅前の酒蔵が密集している地域も確か・・・・(もしかするとこの日本遺産、明治の近代産業遺構中心なのですかね?個人的には江戸以前が日本らしい気がするのですが・・・)。


 少々再開発され過ぎというきらいもありますが確かに雰囲気はあります。

 水門 1  水門 2

 この二つの水門やこんな風景

 兵庫運河



 で、私としてはこの写真に小さく写っている紅い橋にやはり惹かれる訳で・・・・。

 その橋、


 新川橋


 新川橋を南に渡った周辺、往時は新川遊郭として賑わった場所です。

 もっとも現在では再開発が進み当時の面影は全くといっていい程残っていませんが・・・・、


 新川 建物

 しいて言えばこの建物が一寸雰囲気でしたかね・・・。

 しかしこれら(遊郭の存在)もわが国近代の一つの側面ですしね、そうした存在を保全しても・・・と思うのは私だけでしょうかね?

 
 とまあこんな事を思いつつ兵庫運河周辺を散歩した後はそのまま北に歩き、新開地周辺へ・・・・。
 この”新開地”という地名、如何にもといった感で惹かれます。


 歩いて見ますと大衆演芸場が残っていたり・・・・。

 新開地劇場


 ドヤが残っていたり・・・・

 どや


 と、雰囲気です。

 まあ港近くは日雇い港湾労働者等々が必要とされる面もあり、こうした雰囲気ありますよね・・・・。
 


 で、其の新開地の直ぐ傍に旧福原遊郭跡がありまして・・・・、吉原・嶋原と並び、3原の一角を占めた著名な遊郭地、また多くの女性が働いていたことでも(洲崎等とともに)著名な場所。


 当然歩いて観ます・・・・。



 ここも空襲で焼けていますので古い建物は無いです。また、戦後直ぐの建物も少ないです。強いてあげればこのような旅館が数軒見受けられました。

 福原

 
 といいますか福原、しっかり現役の風俗街として存在しています。
 東京の吉原がマンション等に転換している場所が多かったり、歴史遺構的雰囲気を表に出そうとしていたりするの比べ現役感が強いです。


 福原 看板


 流石、関西ですか?



 とまあ神戸はこれ位で・・・・続いて(翌々日)こちらを訪れてみました・・・・。












 プサン



 反対から観ると・・・。

 プサン2



 完全に現役ですな・・・・。
 (因みに場所は海雲台、某所)


 夜はこんな風景になるのでしょう・・・・。
 
 ジオラマ


 このジオラマですが、タイトルは”金上等兵の休暇”とついていましてこちらに展示されていました。




 ラブランド

 
 済州ラブランドという場所です。


 済州島にありますテーマパークです。
 多くの現代アート作品が展示してあるテーマパークなのですが、テーマが”性”という事で・・・・・・まあいわば”秘宝館”な訳ですが(済州島、新婚旅行のメッカで温泉もあるということで・・・?)、基本的に作品は芸大の方が造られたらしく、結構アートしています。


 例えば・・・・。

 ラブランド3



 と同時に秘宝館ですから笑いを取ることも忘れず・・・・。

 ラブランド2



 元々春画の事を”笑い絵”とも言いますし、この手のものはおおらかに笑って鑑賞するのが一番ですね。
 はい、お勧めのテ-マパークです。



 そして更に次の日はこちら・・・・。

 思案橋


 旧沖之村遊郭傍の思案橋です。
 先の新川橋もそうですが、遊郭的空間、やはり川や橋が結界として存在するのがよいですね。
 場所は鹿児島・・・。

 ここも今は昔で、往時の建物は殆ど残っておりません。
 強いてあげれば・・・・。

 タイル  旅館  つれこみ


 唯、これらの建物が在る大通りの一本裏の通り、しっかり現役で明るいうちから黒服の男性がしっかり立たれていました(この辺が南国か?)


 とまあこんな感じで歩いて来ました。



 おっと、他、鶴丸城址も・・・。

 弾痕

 美しい石垣に壮絶な弾痕です。


 細かいことは店のカウンターででも・・・・。



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2018/06
05
[ #1029 ]

若冲 他

 先の日曜日福山方面にいっておりました。

 主目的はこれ、


      若冲


 ふくやま美術館で開催中の特別展 
 「若冲と京の美術」  -京都 細見コレクションの精華ー   展


 連れ合いも鑑賞てみたいといい、気候も良いので久々のタンデムです。

  
 でその展示ですが、良かったですね(ここ数年のふくやま美術館、行きたくなる特別展が多い気がします)。

 全体としては若冲展というよりは細見コレクション展といった内容で、いかにも京都というか都の趣味というか、そうした雰囲気が感じられる展示物が多く堪能させていただきました。
 (以前京都の細見美術館を訪れた際は休館日でしたので、そのリベンジが出来た気分です)
 
 前半の展示は特に都趣味というか、派手&雅というか・・・、洛中洛外図や祇園祭礼図といった屏風絵も多く展示され(ハイ、好みなのです)嬉しかったですね。またそれらの屏風絵や扇面画等に描かれた人物の構図等、後の浮世絵等にも引き継がれているというか浮世絵師達が参考にしたであろう事も想像出来、楽しかったです(そういえば、錦絵の嚆矢晴信の師匠の祐信は京都の絵師でしたしね)。

 また、同美術館で併催されておりました「日本伝統工芸中国支部展」も観させていただいたのですが、これまた良かったのです。
 特に書く受賞作が展示されております展示室のもの。陶器等迫力満点で、眼福でした(というか驚き&圧倒されました)。


 

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2018/04
06
[ #1015 ]

桜を横目に・・・

 先日の火曜日、初夏の様な陽気に誘われオートバイを引っ張り出し近所をウロウロ。

 向かったのは下蒲刈島の三ノ瀬地区、朝鮮通信士の寄港地として著名な地区で、一寸気になる物も有り此処を最初の目的地とした訳ですが、駐車場にバイクを停め少しばかり散策と歩き始めると周辺が妙に静か。
 そうこの地区の美術館・博物館等々の施設、火曜日が休館日と記してあります。又故にみやげ物屋さん等も休業日。広島県のこうした施設の多くが月曜休館ですので何も考えず訪れた訳ですが”大失敗”(もう少し慎重に行動しないと・・・・)。

 また各施設等閉まっています故トイレも・・・・、で役所にお邪魔しトイレを拝借しトイレ休憩のみで次へと向かうことに・・・(三ノ瀬は改めてリベンジですな、まあ何度も訪れている場所でもありはするのですが・・・)。


 
 で、次にバイクを停めたのはこちら・・・・

     観音崎


 愛媛県の岡村島に在ります”観音崎という場所。向かいは大崎下島で広島県。
 といいますか、真向かいに御手洗の常夜灯が見えます。そういう場所です。

 御手洗は何度も訪れているのですがここは足を踏み入れて無かったので、今回は此処に。
 さて岬の上までバイクで・・・とも想っていたのですがこの看板のすぐ脇にこれが・・・・。

      2輪は・・・


  
 はい、真面目にバイクを降り徒歩で遊歩道を観音堂まで登ります。


 此処を音訪れたのはこれを観てみたかった故です。

     地蔵




 この近くお不動さんを祭った祠のそばにこうした説明文があります。

 説明文



 また、以前聞いた話では、
 「身の不幸を嘆き身投げをした御手洗の遊女の遺体がこの観音崎沿岸に打ち上げられる事が多く、その引き取り手の無い彼女たちの骸を当時の島民達が無縁仏として松林のなかに埋葬し墓をたて供養した~~」

 どちらが正しいか?何て事を断定するのは難しいですが、話としては後者の方が古いと想われますので、実際に此処に遊女の遺体が流れ着いた事が有ったのでしょう。他の案内板等にも”遊女の墓”と記されていたりもしますしね。


 またこの遊女の墓のある観音崎の突端、これ以外にも観音堂等や古い常夜灯等もありまして。
 その常夜灯・・・、

 元文年間


 元文の文字が刻まれています(既にそのころより沖乗り航路が活性化していたということでしょう)。

 
 またその周辺も含め遊歩道やちょっとした公園に整備されておりまして、ちょうど桜が満開~散り始め。
 桜吹雪の下を散歩させていただきました。

 桜



 しかし、こうして桜の舞う中、こうした句を眼にしますと、色々な思いが浮かんできます。

  句碑


 
 一時間余り居たでしょうか?そこからせっかくなので御手洗にも立ち寄ります。


 それが此処も火曜日は各種施設はお休み・・・・。

 まあ何度も来ている場所でも有りますし、というか此処もいつかリベンジですね。


 それに今回はこうした物を手に御手洗の街並みを歩いてやろう、という気で立ち寄った面もありまして・・・。

 089.jpg 090.jpg


 昭和初年の職業別明細図です。


 これを頼りに歩いてみますと、結構往時の建物が残っております(平成3年の台風19号の被害でかなり崩壊したという話も聞いていたのですが・・・・、)。


 例えばこれは往時御手洗券番だった建物。

 元芸妓券番

 
 やはりどこか粋な風情が残っていますね。


 そんなこんなでしばらく街を散策させていただいた後、天満宮にも立ち寄り・・・

 天満宮


 散り際の桜を愛でさせていただき



 更にこちらに・・・・。

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 此処はこうした場所です。

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 此処に並んでいるお墓、享保から慶応辺りに掛けての年号が記されています。唯、殆どが戒名が記されているだけで俗名は無く、本当に全てが遊女の墓か?というと少々疑問も・・・・・。


 まあ、色町や風俗に関する話というのは中々難しいですしね・・・・・。


 又いつか訪れてみたいと想い、夜は仕事なので早々に退散。



 そんなこんなの今シーズン最初のバイクでの散歩(プチツーリング)でした。
 
 
 

 追記

 
 帰りがけに一寸だけ遠回りして、宿根の江戸彼岸の巨木に立ち寄り。

 昨年から丁度1年での訪問。
 昨年はつぼみでしたが、今年は風に花びらが舞っていました。
 今年の桜は本当に早いです。


 宿根の江戸彼岸



 

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2018/03
05
[ #1010 ]

しゃれ

 先月、”おしゃれ”という言葉はある種江戸時代後期を代表する価値観のひとつである”しゃれ(洒落)”が基ではないか・・・?等と書いた記憶が有るのですが、では江戸時代の洒落、あるいは洒落ているといった言葉、具体的にはどんな価値観や行為だったのか?等とも想ってしまうわけなのです。

 そんな事をグズグズと考えておりますと、思い出したのが以前どこかで目にした記憶のある”番付”。
 具体的には”花競 贅二編”という見立て番付ですね。

 そう江戸時代も後半になると相撲の番付に見立てて色々な番付が刷られ人気を博したようなのですが、現代に置き換えますと”何でもランキング”といった感じですかね。

 そして”花競 贅二編”の番付は言ってみれば、男がやりたい贅沢な遊びの番付といった内容で、具体的にはこんな感じです。


 
 

       番付


 この番付、相撲番付で言えば向かって右、東が”しゃれの方”となっているのです。
 因みに左、西は”いきの方”と成っています。

 で、これを観れば当時の江戸っ子の”しゃれ”の意識が想像出来るかな?なんてね。


 そして、この中で”しゃれた”贅沢遊び筆頭は伊勢の”多々馳走籠”となっております。
 これはオンシの用意する贅沢な駕篭で居たせりつくせりの伊勢参り、という事でしょう。
 因みに対応する”いきな”贅沢遊びは安芸の宮島の”七夷船廻り”となっております。

 で次が、しゃれの方が”川一丸家形船”での川遊び。
 これは当時著名な豪華屋形船、一説には贅沢にやれば一晩300両ほども掛かるとか掛からないとか。
 今で言えば、隅田川かお台場辺りの花火大会に、巨大なモーターヨット(クルーザー)で出張ってフライングデッキで銀座のクラブの綺麗どころをはべらせシャンパーニュを・・・といった具合ですかね?

 対応するいきの方が”加茂川夕涼”。
 個人的には加茂川を見下ろす(貸し)座敷で馴染みの芸妓さんや舞妓さんと・・・・・といったイメージかな。



 とまあこんな感じなのですが・・・。

 こうしてみると、しゃれの方の遊び、言ってみれば誰でも知ってるメジャーな遊び。その分ミーハーというか何と言うか・・・・。 
 似合わない奴がやると、単なるお馬鹿?といった感じになりそうですし、それなりの人がやってもちょっとね・・・・、という感じですかね?

 でいってみれば、その馬鹿を承知でやる”遊び心”これが”しゃれ(洒落)”
 あるいは”しゃれっ気”かな?


 しかしこれはこれで結構難しそうです・・・・。

 先ず、結構金が掛かりそう(まあ、その無駄使い感がしゃれなのでしょうが・・・)。
 また、一応金さえ有れば誰でも出来そうですが、下手すると単なる下品な馬鹿になりそうですし。
 これがいい感じで洒落た感を醸し出そうとすると、そうとう・・・・。

 またこの番付の下のほうに、料理の部でしゃれの方が”初松魚(カツオ)のなまりぶし”なんて有るのですが、まあこれなんて典型的な”しゃれ”に思えます。
 江戸の後期、最盛期には一本数両(今で言えば10万円以上した)初鰹。またそれは新鮮さと初物に対する対価だった訳ですが、それを敢えて”なまりぶし”にしてしまう。
 まあ、見事というか何というか。それこそ「洒落だよ、しゃれ」という言葉が聞こえそうで・・・・。


 で初鰹のなまりぶしに対するいきの方は?といいますと・・・”鉢植え茄子ノ新漬”。 
 渋いですな。

 そう洒落は遊び心(まあ程度ものという気もしますが・・・・)ですかね?ただしスマートにやれれば・・・・といった感じですかね。

 思えばファッションもそんな気がしますよね。
 スマートで一寸遊び心が感じれれるのが”おしゃれ”の基本という気も・・・・・。


 ではもう一方の”いき(粋)”という価値観は・・・・?

 これは長くなりそうなので次回にでも・・・・。







 追記

 閑話休題、この”花競 贅二編”という番付結構お気に入りなのです。

 何がって・・・・、当時の色町の名前や関連がてんこ盛りなのです。

 番付の中央、行司の部分に・・・
 ・江戸吉原・京島原・大阪新町・長崎丸山・大阪島之内・祇園新地。
 更に・品川・三国・博多・室津・鞆の浦・・・・他・宇都宮・船橋・岡崎・吉田・松戸・甲府 とありまして・・・・。

 更に本文中に・・・・、
 ・伊勢・下関・新湊・有馬・駿河・潮来・鳥羽・水戸・・・・・といった具合。

 ともかく面白いのです。


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