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2009/07
01
[ #61 ]

雑考 14 絶対

 ”絶対”なる言葉、私としては出来るだけ使いたくない言葉かも知れません。

 可能ならば普段は頭の中から追い出して置きたい等と思います(その割りに酔った時など思わず口にしている気もしますが・・・)。


 理由としては、何かの事象に付いて考える場合、その事象にに対する見方(観念、ベクトル、思想、切り口・・・etc)は無限に設定出来ると思うのですが、”絶対”なる言葉を使った時点で見方を制限してしまい考え方を不自由にしてしまう気がしてしまう故ですね。
 まして他者との会話の中で使用した場合、会話相手の考えを否定する事に成る。
 これって結構失礼ですし、会話の広がりも止めてしまいますよね。
 尤も友人同士の会話等で、互いが友人である事、友人という閉鎖的共同体に所属している事を確認する場合(ある種、甘えあいの空間)に意識して使用するといった使い方は有ると思いますが・・・。



 また、こうも言えるかと・・・。


 世の中には多くの情報が溢れていますが、個々の情報は所詮”点”でしかなく、それらの点の関係性を考え、線(観念、価値観)を作り出す(実際にはそれも単なるベクトルで、正が生まれれば誤も同時に生まれ、現実の中ではその境目さえあやふやな気がしますが)。
 さらに、その線と並行する線や交わる線等を考え”面”とし、さらに他の観念を加え立体にし、さらに時間経過を思う。


 私にとって、考ええ世界を認識するするという行為とはこういった作業では無いかと思うのですが”絶対”って言葉を使った時点で、認識が一つの点、見方に集約され、思考停止に陥る気がしてしまいます。


 しかし最近の世の中、yes/no、正誤の二元論的空気が強い気がして・・・。
 ペーパーテスト重視の教育か、資本主義的価値観の蔓延のしすぎか、デジタル情報の蔓延のせいか・・。

 どちらにしろちょっと不自由な気がします。
 

 私自身は何事にも拘らず、軽やかに、自由な考え方で生きるのを理想としているのですがね・・・。
 その方が楽しいですものね。


 もっともっと、自由な考え方をしませんか?と言いたい今日この頃です。

 ますた
 

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2009/07
06
[ #62 ]

 竹原辺り

 先週は伯母の葬儀等もあり、何やかにやで忙しく(店は相変わらず暇・・・?)、昨日5日の日曜日は家でゆっくり・・・等と想っていたのですが、なぜかオートバイに跨りたくなりまして・・・。
 これといって行く当ても無かったのですが家を出てしまいました。


 先ずバイクを止めたのが竹原の町並み保存地区。

 が、そのとたんに雨・・・。


         雨に濡れる



 前日の天気予報では降らないと言っていた筈・・・。
 どうも最近、私がバイクに乗ると決まって雨に降られる様な・・・。


 それはそれとして先ずは竹鶴酒造へ。
 私のお気に入りの酒でもありますし、杜氏さんとも何度かお話をさせて戴いた事が有る割りには最近訪ねる事が無かったので、先ずは竹鶴酒造に・・・。


         竹鶴酒造



 中々赴きの有る建物ですよね。
 中で大正時代の地図を見せていただいたり、色々話相手をしていたりで、感謝です。


 その後、雨宿りも兼ね周辺散策。雨が上がったので再びエンジンに火を入れ・・・。

 
 向かった先は同市の明神地区。ここは売春禁止法施行まで遊女屋の有った地域。
 大体、昔は船が停泊する場所の近くには間違いなく、遊郭なり、遊女屋なり、女抱屋なり、が有ったはずですが、差別問題等々で、その殆どは歴史の彼方に・・・。


 で、この地区は・・・?
 もはや昔の建物も少なく、濱神社、明神橋の名前、周辺の地形にその残り香を探すが・・・。
 (生活感も有りで写真は無しね)

 そんなこんなで早々にそこを離れ、忠海の床浦神社周辺を経由し忠海の駅前へ。ここも昔は遊女屋、船宿、商家等、賑ったところ。
 

   うだつ   うだつ


 うだつの有る建物が数件。


 周辺散策~筆影山経由・・・の途中雨が再び降り出し、とっとと帰ってしまいました(リヤタイヤの溝が怪しく、雨具も無かったので・・・)。

   
 その後、スピードメーターケーブルも切れ・・・。
 ついてない日はこんなものですかね。 

  ますた
 

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2009/07
07
[ #63 ]

浮世絵つり百景

 昨日は廿日市に在る”海の見える杜美術館”へ、”浮世絵つり百景”展を観に行っておりました。


 ”つり”という行為に対しこれと言った思い入れは無いのですが(海育ちなのでやらない事は無いですが・・・)、浮世絵は少々好きなもので・・・。
 それに、美術館に行くのがちょっと好きなのです。
 気分転換にはもってこいです。


 で、今回の展示は?

 まあまあですかね?
 出来る事なら手に取れる位の距離で観賞出来れば嬉しかったですね。展示ケースの中に在る作品が多く、それらは浮世絵の観賞距離としては少々遠い気がしました。


 それはそれとしてこの美術館の2Fに在るカフェーの外のウッドデッキがお気に入り、来るたびに寄っています。
 ちょっと、贅沢気分に浸れますよ。

  ますた


 

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2009/07
10
[ #64 ]

 えっ!

 三次のベッケンビール、一時休業とは・・・。


 私としては良い感じの地ビールとの認識を持っていまして、梅雨が明けたらフラッと飲みに行こうか?等と想っていた矢先のニュース。残念です。


 呉のクレールさん等もそうかも知れませんが、レストラン併設のやり方は、田舎では少し難しいのかも知れません。

 クレールもオープン当初は料理のメニューもドイツ風だったのが、段々と和風に変わって行きましたし・・・。
 飲酒運転の罰則強化も田舎の郊外型店舗には厳しかったのかも知れませんね。

 何はとまれ残念です。 

   ますた
 

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2009/07
18
[ #67 ]

 雑考 15 いろは

 最近、小学校で”いろは47文字”って教えているのでしょうかね?私が小学校の頃はあまり習った覚えが無いのですが・・・。
 単に私が覚えていないだけかも知れませんが、基本は”あいうえお”の50音のみで習った気がします。


 確かに子音を縦軸に母音を横軸にした50音は論理的かつ合理的で、ローマ字にも応用出来良いと想うのですが、この歳になると”いろは”の良さに目が行き家庭教育や初等教育でしっかりと教えるのも良いのでは等と想ったりします。



 そこで、お節介がてら”いろは47文字”を記すと・・・。

”いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす(ん)”



 解り辛いので漢字を混ぜると

”色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず” 

 ですよね。


 これって結局この世の無常を詠っているのでしょうが、この無常観こそがある種日本人の根底に在る共通の感覚では無いかと想うわけです(南方系モンゴロイド共通とか、採集系民族共通といった考え方も有りでしょうが・・)。

 他にも平家物語 ”盛者必衰の理は、目の前にこそ顕れけれ” であったり、
 祇王の ”もえ出るも かかるもおなじ 野辺の草 いずれか秋に あはではつべき” にしろ、
 浄土真宗御文書の ”・・この世の始中終幻のごとくなる一期なり・・” もそうですよね。

 また、この無常観を日本の国土中で熟成した先に、茶の湯の ”侘びさび” が有ったり、”足るを知る” といった感覚であったり、武士道の"死に様”であったり、情緒的にまとめれば本居宣長の”もののあはれ”が有ったりもするのでしょうし・・・。



 でこの”いろは”ですが、我が国固有の”かな文字”を日本人のすきな7.5調で歌(和歌)にし、無常観を現し、しかも常用かな47字を一度づつ使う遊び心。 見事に日本的ですよね。


 こんな事を書くと、マスターは国粋主義者ですか?とか、このグローバル、国際化の時代にい”いろは”は無いでしょ?等と言われそうですが、逆に国際化で海外に出る機会が当たり前に成ったからこそ、個々人の日本人としてのアイデンティイーも問われるとも想うのですが・・・。

 少なくとも攻撃的で利己的な米語を初等教育で教えるよりは、この国が暮らしやすくなる気はします。 


  ますた

 

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2009/07
22
[ #68 ]

 日食


   画像 311   画像 313
  
  オンボロデジカメ&フリーハンドじゃこの程度です。

  ますた
 

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2009/07
29
[ #70 ]

雑考 16 ハレ

 ”ハレ”の意は非日常とするのが最も適当かと想うのですが、この日常と非日常(ハレとケ)を人類が使い分ける様になったのは何時頃からなのでしょう・・・。

 私としては人類が比較的大きな集団(村と言っても良いかも)を形成し、その集団に成人した男性固体が多く残るように成った事がきっかけでは無いかと想うのですが・・・。



 群れを作る哺乳類の殆どは群れの中に成長したオスは多く残らないですよね。
 オスなるもの、同種のオスに対してどうしても、競争心であったり、攻撃性であったり、裏返しの恐怖であったりの感情が発生し、中々一緒に暮らすのは難しい様に思えます。
 その感情を理性等で押さえ込んで集団生活を営む事と成ったのでしょうが、当然そこにストレスが発生する。
 それ故、それを開放する為に出来たと考えるのです。

 またそれは、個々の男がオス的に戻り、女にアピールして良い空間として機能する意味も大きいのでは等と想う訳です。


 振り返って今の日本では、岡山西大寺の裸祭り、岸和田のだんじり、話題の蘇民祭り、伊予西条の喧嘩神輿(太鼓祭り)等の荒っぽい祭りに象徴的に残っている気がします。


 またハレ(非日常)の他の意味としては、各地の秋祭り(これは蕩尽としての非日常として)、また、お盆、イヨマンテ等(彼岸とシガンの関係で)、また、村同士の大綱引き(擬似的戦)の面が表に出るものも有ると思います。
 それらにしても、夜這いがついて回ったり性的な面は否定出来ない気がします。また、怪我人等も容認される・・・(それが目的では無い気もしますが)。


 結局、祭り(ハレ)って、日常を支配している”お約束”(不文律だったり成文法)を無くして、別の”お約束”(不文律)に成る事に意味が有ると私は考えるのですが・・・。(あるいは、動物的本能を開放する時間、空間)
 昨今では、祭りで怪我人が出て主催者責任が問われたり(伝統的祭りでは少ないかも知れませんが・・・)、ポスターが卑猥だと問題になったり・・・。

 ナンダカナ?と想いますね。



 私自身、高度成長期に育ち、村の伝統的祭りも殆ど無く(また、積極的に参加する方でも無く)、自分自身でハレを見つけようと足掻いた気がします(私にとってはバイクでサーキットを走ったり、峠で膝を削ったりがそうだったのかも知れません)。
 故に、各地で成人式が荒れたりするのも一寸仕方ないか等と想ったりもします。今の若者にとってのハレはそういった場所か、TVのバラエティーか、ゲームの中なのでしょう。

 かといって、”村おこし町おこし”として新しい祭りを創設したり、伝統的祭りの復活をうたっても効果はどうなのですかね(勿論、よさこいソーランの様に効果が有る物も否定しませんが)。


 伝統的祭りが残っている地域は本当に幸いだと想います。

 
 また、夜の街も有る面ハレの空間でしょう・・・。   



 全くもってまとまりの無い文章、失礼しました。スランプかも・・・。

 
  ますた
 

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