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2010/02
03
[ #138 ]

 雪見

 先の日曜日に友人とスキー場に行って参りました。今回もスノーボードです。


  約1年ぶりのスキー場。出来れば雪の降った年明け早々に行きたかったのですが、貧乏暇無しで・・・。
 
         スキットル

 ETC割引の効果か?結構人出が多く何年か振りにリフト待ちをした気がしました。また、人が多く怖いので、無理はせず早々に引き上げ・・・。
 
 確か昨シーズンも1度ボードをしただけ。
 5年程前まではスキーだ、ボードだ、ダイビングだ、ウェークボードだ、と結構活動していたはず・・・。歳を重ねるってこういった事なのでしょうね。

 まあ店を開ける事が第一優先ですからそれはそれで納得もしています。ただ出来ればたとえ細くても、長くスキーもボードも続けたいですね。

 ますた


 
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2010/02
07
[ #139 ]

 禅とオートバイ修理技術  ロバート・M・パーシグ

 

           禅とオートバイ修理技術

 禅とオートバイ修理技術  ロバート・M・パーシグ  1990・4  めるくまーる社
 ジャンル  ニューアカデミズム



 ストーリー全体の流れとしては、作者が友人夫婦及び自分の息子と計4名でキャンプツーリングをしながら、そこで考えた事を書いてあるのですが、オートバイの事、キャンプの事、メインテナンスの事等が具体的に書いてあるわけではありません。


 では、何が書いてあるのか・・・?

 この本に作者が書いているのは、物事の認識の仕方、考え方、感じ方には、ロマン的思考と古典的思考が有り。オートバイに乗るという行為は、ロマン的である。しかしオートバイが不調になりそれをメインテナンスしようとした場合、このロマン的思考は、役を成さない。そういった場合には古典的思考が必要である。
 そしてこの古典的思考にて、世界、或いは自分、自分の内面、他者、自分を取り巻く状況等を認識する行為は、重要でかつ楽しい・・・。

 と同時に、この二つの思考の融合、バランスが大事である。
 更に、多くのアメリカ人はロマン的思考に偏り勝ちで、トラブルになった場合にヒステリー的に成りやすい(その例としての友人)。
 またこの古典的思考、或いはそれによって世界や自分の内面等を認識する作業は禅的である・・・。
 


 といった事ではないかと想うのです。あるいは作者がツーリングを通してこうした考えをする事が書いてある気がします。更には作者がその行為を通じて自己を再構築する過程。



 が・・・・。

 ???ロマン的思考、対、古典的思考?
 ゴシック→バロック→ロココ→新古典主義→ロマン主義→印象主義・・といった、西洋の文化の流れから採っているのかどうか判らないですが、初めて読んだ時にはこの二項対立、或いは言葉の使い方に違和感を覚え、最後までこの違和感に引きずられしっくりと来なかった覚えが有ります。


 そして何年か後に読み返してみると・・・。
 この”ロマン的⇔古典的”とした考え方。私なりに翻訳すれば、感覚的⇔分析的、表面的⇔内面的、文系的⇔理系的、感情的⇔理性的、形而下⇔形而上、直感的⇔論理的・・・・・・・・・。
 で良いのかな?

 そう想って読み返すと、ちょっとすっきりしました。

 しかしだとすると、この古典的と作者が定義した思考パターン。これに近いものを、私は物心付いた頃から当たり前にしていた様な気がします・・・・・(故に周りから”暗い”と言われる事が有ったのかも知れませんが)。
 また、他者の思考パターンってなかなか判り辛いのですが、意外と日本人は昔からこういった思考の人は多いのではとも想ったり・・・・。

 まあだからこそ、禅といった事も我が国でひろまったのかもしれません。



 それはさておき、確か1980年頃から”根アカ⇔根クラ”なる言葉が流行りだし、根クラ=悪い。といった風潮になった様な覚えがあります。
 この本の言う古典的思考って、ある種、自分の内面を掘り下げる思考=根クラの思考とも言えるのと思えるのですが・・・・。
 
 何だか1980年頃から、”根アカ=軽い”の思考が持て囃され、世の中の軽薄化が進みその後にバブルがあった様な気もします。特にメディアの軽薄化は一気に進んだのでは・・・・?


 まあ其れはそれとして・・・・、たまにはこういった読み甲斐のある本も良いですよ。

 ますた


 

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2010/02
11
[ #140 ]

 雑考28  グラッパ

 グラッパは特徴的香りのする蒸留酒で、私が興味をそそられる酒の一つです。


  一般には”粕取りブランデー”と称されるジャンルの酒で、イタリアにて造られる物がグラッパです。
 この粕取りブランデー、ワインをそれなりの規模で造っている国には大体存在するようで(流通に乗っているかどうかは別にして・・・)、ヨーロッパでは他にフランスの”マール”、スペインの”オルーホ”、ギリシャの”チプロ”等々が存在します(他にも有りますが)。

 そしてグラッパの起源ですが、基本的には他のヨーロッパの蒸留酒の起源の延長線上に在ると考えて良いと思います。

 どういう事かといいますと・・・。
 ヨーロッパで蒸留酒が一般化する以前は、ワイン等醸造酒が飲まれていた訳ですが、特にワインはそこに含まれるアルコールのもたらす効用から薬としても用いられ、またそれ故に聖なる飲み物とも位置付けされていたのでしょう(キリストの血といった表現もそれ故でしょう)。
 その聖なる飲み物の中から、より聖なる部分を純粋に取り出そうとして生まれたのが、所謂”アクア・ヴィータ”=命の水=初期の蒸留酒ですよね。
 すると更にそこから・・・。ワインの元となるブドウ、そのブドウの中のよりエキス分の多い部分、味の濃い部分(皮、皮側)や、より生命力に溢れると想われる部分(種)から、アクア・ヴィータを作ればより生命力に溢れた聖なる(薬効の高い)薬が作られると考えるのは、道理。

 こうして、造られたのが初期のグラッパと考えて良いのでは、と想う訳です。


 それ故に、そこに各種の薬草等のエキスをさらに染み込ませた(アルコールによって抽出した)、薬酒も作られる。これがエリクシール=のちのリキュール。
 薬草系グラッパ、グラッパベースのリキュールが今でも多いのはその伝統、出自によるものでしょう。

 造ったのは、やはり錬金術師。
 (錬金術師をどう捕らえるか?   占星術師等と共に権力者に仕えるウィッチ・ドクター=伝統医的に捕らえても良いのでは?  アルノー・ド・ヴィルヌーヴ=リキュールの父や ノストラダムス=占星術師 ミカエル・サレルヌス=医師、錬金術師)(日本で言えば陰陽師や修験道師、密教僧?)
 時期は12世紀ルネッサンスとの関連を考えると、その辺り。

 
 しかしその後、16世紀の近代の目覚め以降ワインの商品化、生産の規模拡大、王権の強大化等々の理由から、ブドウやワインを造るブドウ農家、ワイン農家が、自分たちで作ったワインを殆ど口に出来ない、といった時代が訪れ、その結果、彼らが廃棄物であるワインの搾りかすから、自分たちの飲む安酒を造る様になる。
 それが、近代の”粕取りブランデー”
 フランス、ブルゴーニュのマールの出自はこの傾向が強いのでは?故にブルゴーニュでは蒸留器を載せた車が農家を廻る事が最近でもあるとか。また、樽熟成により、より味を良くしようとする努力とかもその現われでは?(少々、考察が必要ですが・・・)


 そして戦後。流通の発達、情報の氾濫、社会の安定・・・等により、より個性的な嗜好品を楽しめる、求める時代風潮により”粕取りブランデー”も安酒から個性的地酒に位置付けしなおされ流通に乗る。今のグラッパはそうした飲み物でしょう。


 さらに付け加えれば、グラッパの語源・・・。「グラッポロ」=ブドウの房の意からの説。「グラスパ」=絞るの意からの説。「グラッパ山」=ベネト州に在る山、あるいはその麓の村=バッサーノ・デル・グラッパから来たとする説があります。

       グラッパ    グラッパ系リキュール



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2010/02
15
[ #141 ]

 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論  赤松啓介

   

       夜這いの民俗学

 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論  赤松啓介  2004・6  ちくま学芸文庫
 ジャンル  民俗学



 我が国の近代民俗学の嚆矢は、恐らく明治政府が対外政策、海外進出の為に旧帝大に行わせた事では無いかと思うのですが、それは有る面、上からの民族学といえるのではないでしょうか。
 もちろんそれはそれで意味のある事でしょうし、また旧帝大系の民族学にも、柳田国男の様に現場からの民族学を成された方が在るのも確かだと思います。
 しかしそれもでやはり、今流行の言い方をすれば、上から目線の民俗学のくびきは逃れられないのでは、ともおもいます。

 そしてこの本は、そうした上から目線の民俗学が避けてきた幾つかのテーマの内の一つ、”性”について挑んだものです。


 内容は勿論、夜這いの記録・研究なのですが、貞女をもって日本女性の鑑とする(イメージの)我が国に、こうした風習が戦後まで残っていた事を信じられない方も多いかも知れません。そんな内容です。

 しかし、私が年配の方にお話をお聞きしたりした限りにおいても(地方にによってかなり違いもあるでしょうが)、昭和30年代初頭頃まではある程度残っていたように感じます。


 では何故こうした風習が有り、またその時期に消滅に向かったのか?

 勿論、この風習が存在した理由は、比較的閉じた地域社会(村社会)(群れ)において、新しい血を入れ、血が濃くなる事を避ける種族保存の本能から来たものでしょう。他の霊長類でも、何等かのやり方(オスが群れを離れるとか、メスが離れるとか・・)を持っている気がしますし。また祭りと言うハレの空間に比較的限定される事により、ケ(日常)の秩序を維持する意味もあったのでしょう。
 我が国以外でも南方の地方には広く見られる気もします。


 では何故、あの頃に無くなったのか?
 その大きな理由の一つは、やはり地域社会への帰属意識の解体ではないでしょうか。敗戦により、西洋型の個人主義の導入による自我の拡大。また、農地解放による地域の繋がりの減少、習慣的行事の意味の減少・・・。
 勿論、婦人の人権擁護意識、運動の拡大も影響したかも知れません。(売春禁止法もこの時期ですし)

 そうしてこの時期、夜這いをかけた男が婦女暴行で訴えられるといった事も起こり始める。それはある種、地域社会の不文律よりも、成文法(新憲法)が上回った時期なのかも知れません。


 閑話休題、地域社会に帰属意識を無くした人々は(特に男は)どうしたのか。
 勿論、強固な自己を築き孤独に打ち勝って生きて行ければ良いですが、基本的に人間は社会的(群れを作る)動物。中々難しいのでは?

 そこで恐らくは、地域の代わりをしたのが企業なのでしょう。年功序列、終身雇用もその査証ですよね。しかしそうした企業に就職出来なかった人間、或いは終身雇用の壊れた現代では・・・?
 恐らくは、新興宗教、政治団体、同窓会、暴走族、趣味のサークル、家庭・・・、等々がその対象になったのでしょうが・・・。で、家庭に帰属し過ぎると、引きこもりとか、逆にDVとか・・・・。
 
 昔の地域社会の存在感が強かった時代が良いのか、今の様にグローバル(ある種、民主主義か?)が良いのか私には判りませんが・・・。不文律(お約束)の無くなった社会は残酷な気がします。


 そんな事を考えてしまった本でした。(全く、本の紹介になって無いですね・・・)


 ますた
 
 

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2010/02
27
[ #144 ]

 上海

 先日、上海に行って参りました。

 中国語の堪能なお客様のお誘いが有り、それならば上海で一杯飲るのも一興かと出かけた訳です。
 また、今、世界で最もHOTな街の一つ”上海”に接して自分が何を感じるかという事にも興味が有りまして・・・。


 そのお客様とは私が宿泊するホテルで待ち合わあせ。故に浦東空港から先ずはホテルへ・・・。
 ホテルの在る場所は・・・・、

 上海不夜城地区。


 不夜城・・・・?!
 
 馳 星周の小説を思い出し、ちょっとドキドキするやら、ワクワクするやら・・・。



 そのホテルの周辺、裏は高層マンション群、しかし隣は貧民街と呼んでも良い風情のある場所、また他にすぐ近くに古い官庁を想わせる建物や、金融ビル、百貨店街、工事現場、空き地・・・・。



 これが上海か・・・?






 
 その後お客様と無事合流。今の上海を象徴する浦東地区へ・・・。SWFCビルからリバーサイドで日暮れまで過ごす。

 後に若者が集う繁華街へ。ここで日本語の堪能な現地の女性二人と合流し、流行の火鍋屋へ・・・。


      火鍋


 これが、内装、サービス、味、ともに悪くないのです。このまま東京でやっても流行ると想わせられます。特に蛙は絶品。一度ご賞味あれ。


 その後、この2人の女性が勤めるラウンジに移動、実は改装中なのですが、ここで深夜まで飲み倒す。





 明けて2日目、先ず訪れたのが旧共同疎開近くの市場の朝市。ここは終戦直後の東京というか、アジアというか・・・。
 これも上海。

 そこから繁華街の外灘、南京東路~豫園~田子坊と移動。

 田子坊は古い庶民的民家の残る1区画に、その古い民家を使ったギャラリーやデザインオフィス、ブティックや、カフェ、小物屋等々が集まる場所(旧フランス疎開?)。
 ある面、今の上海のお洒落地区か・・・。


 ただ私としては、何となく日本にも有りそうな、と言うか日本の後追いをしている様な・・・。
 私がおじさんのせいかも知れませんが、若者向けの感じ・・・。
 その割りに価格も日本に近い・・・。


 さらにそこから、何故か業務用厨房機器専門店に移動・・・。

     厨房機器店
   
 何やってんだか・・・・。





 夕方からはブランドショップの入るビル(デパート?これは日本以上の規模かな?)内を歩いたり(行ったのは本屋)した後、夕食は1920年代の建物で食べる正等上海料理。
 日本の中華料理とは少々、味が異なる印象。


 その後、バーでモルトとカクテル・・・・。






 さらにそこから昨夜行ったラウンジを再訪。
 この日が改装後のプレオープンとの事で、急遽、私がシェーカーを振る事に・・・。(実は、この為に昼間、厨房機器の店で道具を物色していたのです)。
 さらに数ヶ月後にはバーコーナーもオープンとの事で、スタッフの方に基本的な道具の使い方を教える・・・。

     仕事? 

  (ホント、何やってんだか・・・)





 そこから更にもう一軒バーに飲みに行く。このバーは最初に行ったバーの2号店。非常にレベルが高い。東京のオーセンティックバーと言っても全く違和感の無いレベル(1号店は少々ラフに崩してる感がありますが、此処も日本のバー的スタイル)。


 で、チーフバーテンダーの方に色々尋ねてみると・・・・。
 元々日本人のバーテンダーの方の指導で始められた店との事。そうして彼はその方の孫弟子に当たるとの事。また今でも東京のバーとの交流が有るとの事。


 しかし、この日本的繊細なカクテルの造り方、接客の仕方が、上海人に受け入れられるのか?(因みに、彼、日本語はほんの少々)



 疑問に思ったので訪ねてみますと・・・。

 ”中国人も同じアジア人、日本式の繊細な作業を理解して下さる方も有ると思いますし、日々、中国人のお客様が増えています” との答え。また、これからもこの繊細なやり方を続けるとの事。


 日本のバーテンダー文化の継承者がこんなところに居るのかと思うと、刺激になりました。




 そんなこんなの上海でしたが、その印象は?というと。日本の昭和20年代から平成20年代までが、モザイク的に交じり合い上海全域に広がっているというのが私の印象。

 その何でも有りと、そこ此処で感じた”合利性”(合理性では無いよ)がパワーの源かと思う次第・・・。



 しいていえば


 上海 

 こんな感じ?



 さらにいえばこれらも上海

 ビル群  市場  田子坊  豫園

 風俗店  サイドカー    男子公衆便所大  路地


    

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