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2010/11
03
[ #235 ]

 雑考45  地球温暖化

 地球温暖化に関する議論が為される様になったのは恐らく20数年前位からであろうと認識しているのですが、未だこれといった具体的対策等もまとまらず、相変わらず今日に於いても色々の議論が繰り返されるばかりといった気がしているのです・・・。
 また海のすぐ側で生まれ育った私としては海面上昇の事もあり、やはり気になる事柄の一つでもある訳です。


 そこで私なりに少しばかり考えてみますと・・・・。

 地球温暖化の原因についてなされる議論・・・、大まかに2つに分けられる気がします。


 その1つは、その原因が太陽活動の活発化等の自然的要因にあるとするもの・・・。言い換えれば人類の経済活動には拠らないとするもの・・・。
 まあ私は所詮場末の飲み屋の親爺なので、この論にどれ程の正当性が有るか判断するほどの能力は無いのですが・・・。
 太陽の活動の活発化等が原因で有るならば・・・、

 仕方無いですよね?

 定めと諦め、笑って置くしか無い訳でして・・・。もしそうで有るなら議論しても仕方ない様に想う訳です(勿論そこから哲学的話にしても悪くは無いですが)。
 尤も移住やシェルターの確保といった議論も有りかも知れませんが、個人的にはそんな予算も無いですし、何だかみっともない気もしますしね・・・。
 まあ”定めである!”と笑って生きて生きたいですね



 問題はもう一つの人類の経済活動が問題で有る場合(他の環境問題も含め)ですよね。


 これが原因かどうかといった議論もされている訳ですが・・・。
 温暖化が100%人類の経済活動に原因が有る事と証明する事など出来ないでしょうし、また同時に100%原因が無いと証明する事も不可能でしょう。その辺りでディベート等をしても不毛で時間の無駄な気もします。
 ただ私としては、温暖化を含めた環境問題に人間の経済活動が何らかの影響を与えている様に思えますし、そうした前提にたって考えておく方が良い気がします。

 で、そうした方向で考えてみますと・・・。

 温暖化の原因についても化石燃料使用説、過剰森林伐採説・・・等々語られますが、まあその辺りには触れず・・・。


 元々近代より以前の人々は、他者との調和、或いは自然との調和を良しとする考え(意識、価値観・・・)を持って生きていた様に想うのです。言い換えれば他者と”無益な争いをしない”事、食物連鎖のシステムからはずれない事、といっても良いかもしれません。調和共生の思考を良しとしていたと。

 それが近代西洋自我の誕生により自我拡大の思考に変わる訳ですが、西洋近代自我とは個人の感情、枠組みを大事にする思考といっても良いかもしれませんし、またそれは公よりも個を大事にする思考とも言えるかも知れません。あるいは個人の欲望、エゴの拡大を肯定する物という言い方をしても良いかもしれません・・・。

 ともかくそれ以降、西洋(の自我)は世界に拡大していくのですが。端的に言えば世界を侵略したって事ですよね・・・。南北アメリカ大陸、アフリカ、オーストラリア、アジア・・・。
 そうして世界を侵略した後に、化石燃料という過去の遺産を消費する(略奪する)。過去を侵略するといっても良いかも知れません。(まあ石油無機生成説ってのもありますが・・・)
 更に現代になり、各種債権という形で未来を侵略する。更に拡大志向は止まらず、宇宙開発という形で、地球外にまで拡がろうとする・・・。


 かなり乱暴な言い方をしましたが、何が言いたいのかというと、この拡大思考に拠り増大した人類のエゴの総量が、地球の容量を超えてしまった事の表出の一つが、温暖化現象では無いかと想う訳です。

 では再び拡大思考から、調和・共生の思考に戻れるのか・・・?

 何だか無理な気がします。化石燃料、原子力等々・・・一度覚えた蜜の味を人類が忘れられるのか・・・。
 個人のエゴを否定・制限する志向に立ち戻れるのか・・・・。
 難しい気がします。環境問題に関する議論にしろ、結局は自分達に都合の良い環境をいかに守るか?といったエゴの肯定でしか無いものが多い気もしますし・・・・。


 またこうした見方も出来るかも知れません・・・。

 閉じた空間(例えば絶海の孤島等)において食物連鎖の頂点に立つ種が急激に個体数を増やした場合、その種は食料となる物を食いつくし、餓えから急激な個体数の減少を招き、結局は絶滅する。
 地球という閉じた空間において食物連鎖の頂点に立つ”ホモサピエンスという種”が、急激に数を増やしその結果として滅ぶのも、これまた自然である・・・。
 (現実には、捕食者は個体の小型化等で対応し種を守るのですが・・・)


 あれ?結局人類は滅ぶという結論になってしまいました。これでは考えた意味も無いかな・・・?


 滅ばば滅べ・・・。と嘯いてみますかね・・・。


 ただ個人的には近代文明が行き詰った先にあるであろう混乱が緩やかなソフトランディングある事を祈るばかりです・・・。
 そうして出来うることなら、私自身パニックならずへらへらしておければと想います・・・。

 相変わらずの言いたい放題でした・・・。



 ますた


 
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2010/11
09
[ #236 ]

 有馬

 7日の日曜日、店をお休みとさせていただき有馬に行って参りました。

 例年この時期、年末営業に備え気力・体力の復活を図る為等と理由を付け温泉に出かけるようにしているのですが、今年は有馬を選択してみました。

 名の知れた温泉街でもあり、広島からそう遠く無いにも関わらず未だ訪れた事ない故の選択です。
 そういえば以前読んだ小説「悪名」の序盤の舞台にもなっていますし・・・。
 ついでに「猫と正造と二人の女」も読み返してみたり・・・。


 車やバイクでの移動も考えましたが、公共交通機関での移動を選択。楽ですし飲めますものね。
 
 JR在来線~こだま~ひかり~北神急行~神戸電鉄と、ひたすら乗り継ぎ有馬へ。電車の旅もたまには良いですね。

 有馬に到着後は先ずは旅館に荷物を預けて周辺を散策。
 坂、階段の多い街並みは風情が有ります。また私好みの古い建築物も多く中々興味深いです(現役の建物が多く、看板が目立つので写真には撮り辛いですが・・・)。
 遊郭跡・色街跡・花街の建物や街並みが好きなのですが、古い温泉街も有りですね。


    建物1  建物2  建物3


 また、検番も生きているようです。

    検番


 旅館の女将に帰り際に訊ねたところ2軒有るそうです(今回は芸妓を揚げるのが目的でも無いし、予算の問題も有るのでパスです)。


 泊めていただいた旅館も手入れの行き届いた古い建物。建物、風呂、料理とも満足出来ました。特に料理、私としては文句無し、感動でした。



 翌日は六甲の紅葉を眺めつつ移動。ロープウェイ~六甲バス~ケーブルカーと乗り継ぎ神戸へ・・・。アクセスが好く想った以上にスムースに神戸に移動出来ます。


 紅葉  ケーブルカー


 そこで訪ねたのは(酒飲みとしては当然?)灘。しっかりと試飲をさせていただき、気に入った酒を一本購入・・・。
 が、試飲のしすぎか?帰り道落として割るという失態。
 酒飲みとして恥ですな、反省です。申し訳無い事をしました。


 こんな感じの休日をさせていただきました。気合を入れ直し年末まで頑張りますか。


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2010/11
13
[ #237 ]

天地に愧じず  六道 慧

    

         天地に愧じず


 天地に愧じず  六道 慧  2005・09  光文社時代文庫
 ジャンル  時代小説


 
 六道(りくどう)慧 氏の書く御算用日記シリーズの2作目です。現在12作まで出ております。


             御算用日記シリーズ


 お客様に勧められた事が切っ掛けで読み始めた本です。女性作家のシリーズ物時代小説という事で正直あまり期待していなかったのですが、想った以上に楽しめました。

 巻末の参考文献を眺めても判るのですが、しっかりと資料を読まれたうえで書かれていることが感じられます。にも関わらず押し付けがましく無いのが嬉しいです。この辺り女性作家ならではなのかも知れません。男性作家だとやや知識・資料が表に出やすい気がする事が多いように想うのです・・・。
 それと何より伊智、冨美、三紗の三姉妹のキャラクターの描き方が見事。流石女性作家と言うべきでしょうか・・・。

 しかし一番の魅力は各巻にて使われる格言・名言。その選択、使い方です。

 例えば、・水濁れば、則ちふるうの魚なし、とか ・水は方円の器に従う、 ・田に畠に打出の鍬の小槌かな、 ・電光影裏斬春風、 ・足るを知る、それこそが富、 ・甚を去る、もの壮んなれば、則ち、老ゆ、・・・等々。
 日本文化、東洋文化の奥深さを再認識させて貰える気がしますしギスギスした現代の中で、ホッとさせてもらえる気もします。


 シリーズの中でこの第二作目を選んだのも、”天地に愧じず”の言葉がお気に入り故です。
 ”俯仰天地に愧じず”。天を仰いでは天に愧じず、地に俯いては地に愧じず。こうした生き方を目指したいものです・・・(出来てい無いですが・・・)。
 そういえば昔”人は見ていなくても、お天と様はみていますよ。”と躾けられた気もします。

 更にこの巻に出てくる”心くらべ” なんて言葉も良いですね。財産や能力、持ち物をくらべ誇るのでは無く、心のまっすぐさ、心構えこそが大事である・・・。
 何が正しいのか?誤っているのか?非常に難しい現代であるからこそ、こうした言葉に触れると嬉しいです。


 色々と書きましたが、気楽に読める時代物です。
 最近少しばかりマンネリ気味な気もしますし、主人公の2人の男性のキャラクターがちょっとファンタジーっぽくなったといいますか・・・・。
 まあそんな気もしますが、気軽な時代物シリーズとしてお気に入りです。


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2010/11
21
[ #240 ]

 シベリウス

 広島交響楽団の新しいCDが発売になったようです。


     シベリウス


 シベリウス 交響楽 第2番 ニ長調 作品43 及び 悲しきワルツ 作品44


 元々、広響とシベリウス。因縁が深いそうで・・・。で今回はシベリウスだそうです。

 

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2010/11
22
[ #241 ]

紅葉、横目に・・・

 昨日目が覚めますとこの季節としては暖かく天気も良い。これは一寸でもバイクに跨るべきだという事で、軽く近所を一周。


 この秋はろくにバイクに跨れず、乗り方忘れそうだったので何はとまれ走りましょうって事で。
 いつものGSでタンクを満たし・・・さあどうする。
 これといった当ても無いけど、紅葉でも見ながら走れればと想いスタート。


 ”紅葉を見ながら走る”とは言っても、本当に紅葉を見ながら走ると脇見運転で怖い事になるので、あくまで視界の端っこに紅葉の存在を引っ掛けながら、先のコーナーの入り口や出口をにらめ付けて走るわけですが・・・。


 しかし久々に走ると乗り方を忘れてますね。何処かギクシャクして決まらない。一体感が持てないというか・・・。日陰の路面がウエット気味に見えることもあり、普段より大人し目で1時間足らず・・・。
 ちょっと一服。


 その休憩場所の少し手前で長い石段が視界の端に。気に成ったので登ってみる事に・・・・。


 良い感じの紅葉が有りました。嬉しかったですね。


       紅葉1     上から



 この時期に走っていて好きなのは、里の古い神社や学校にある”大銀杏”。あの孤立した感じ、孤独に立っている黄金色を視界の端に感じるのが好きなのですが、こうしてたまたま立ち寄った場所でいい感じの紅葉を愛でる事が出来たのは、それはそれで嬉しいものでした・・・・。

 

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2010/11
23
[ #242 ]

雑考46  活字

 たまに自分自身、やはり活字好きなのかな?と思う事があります。

 尤も活字好きとはいっても、金属活字の重く冷たい質感が好き。とか、昔の講談社の旧仮名の活字で刷られた文章を眺めているだけで、逝っちゃいそう。とか、和紙に木製活字で摺られた文字が最高・・・。
 といった様な好き加減ではなく(当たり前か?いや、そうとも言えないか・・・?)、単に読むという行為好き。或いは情報を得る手段として、他の媒体よりも少しばかり活字が好きなのかも知れない・・・。といった程度なのですが・・・。

 話が大分ずれた気がします。


 閑話休題、どういった場合にそう思うのか?

 私自身、電車等自分が運転しない乗り物に乗る場合。なにはとまれ本(文庫が多い)を一冊持参する事にしているのですが、たまにそれを忘れた場合に電車内の中吊り広告や路線図等、また停車した場合の駅名や、広告。それらをともかく読もうとしている自分に気付いた時ですね・・・(それは活字好きというより、単なる活字中毒とか、自閉症気味とか、幼児的とか、多動症的なのかも知れませんが)。
 また場合によっては駅の売店に飛び込み、何はとまれ文庫本1冊衝動買い、なんて事をしたり・・・(しかも、読んだことのある本、持っている本を買ってしまった事が何度もあります)(私が無意識に選んでしまう本のタイトルに何らかの傾向が有るのでしょう)。


 それはそうと、初めに情報を得る手段として活字媒体が好きなだけと書きましたが、特に小説等のフィクションの場合に本で読むのが好きですね・・・。
 その昔”観てから読むか?読んでから観るか?”なんてフレーズがありましたが、読んでから観ると、まずは失望した覚えがあります。

 まあ映画に限らず、読んでしまった小説が他の媒体になった場合・・・。
 例えば漫画だと”顔が違う”と想ったり。ラジオドラマだと(あまり無いかな?)”声が違う、展開のリズムが違う”と感じたり。映画等だと”全て違う・・・・”と感じたり・・・・。
 

 結局、活字好きの人間。自分の描いた世界、イメージに合わない物には不満を感じるのかも知れません。
 もしかすると、単に我が儘なのかも知れませんね。


 ただ有る程度年齢を重ねると、読んでから観ても結構楽しめる様になった気もします。
 歳を取って鈍くなったのか?はたまた、許容量が増えたのか・・・(後者と想いたいですが)。良い作品が増えたのか?

 元々洋画は”字幕を読む”という行為があるので、ある程度自分でリズムを作れるせいか違和感は少なかったのですが、最近は日本映画でも楽しめる事が増えた気がします。
 尤も本よりも映画の方が良かったと想う作品は少ないですけれど・・・(この辺りが、活字好きなのかも知れません)。


 もしどうしても1つ映画の方が良かったと感じた物を挙げると・・・。
 最近では、


 「嫌われ松子の一生」 ですかね?



 この作品、原作(本)が私の好みに比してあまりにクドイ、重い、暗い・・・等々な印象があり(其処が好のみな方、御免なさい)、この様な作品をどうやって映画にするの?と気になって観に行ったのですが・・・。

 やられましたね。


 泣き笑いのミュージカル。良い意味でやられたと想いました。
 何だか昔の”藤山カンビ”の新喜劇と言いますか、近松の戯作と言いますか・・・・。
 或いはミュージカル映画故の”音楽の力”なのかも知れません・・・(そういえば昔の映画音楽って、雰囲気ありましたよね・・・)。

 
 何だかまとまりの無い事を書いてしまいましたが、本(活字)好きは本好きとして、映画等も楽しみたいと想います。あるいは、多くの事を楽しめる許容量を備えておきたいと想います。


 ますた
  
 

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2010/11
29
[ #244 ]

乗り納め? (宮嶋)

 昨日は、私個人として恐らく年内最後の休日。
 じっとしておくのも面白くないので、寒さの中バイクを引っ張りです事に・・・。
 今シーズンの乗り納めかな?


 この寒い中、さて何処に向かおう・・・。


 そこで向かった先は、安芸(秋)の宮島。

 海上から等、外から眺めることは多かったのですが足を踏み入れるのは20数年振りかも知れません。


 しかし紅葉シーズンの日曜日故か人が多いです。少々驚きました。
 そこで私としては人気の少ない通り選んで歩き廻る訳です。


 先ず探したのは旧新町(大坂丁)。江戸の初期から続いた遊所ですね・・・。
 厳島神社、日本でも有数の歴史と知名度を誇る神社仏閣。当然、門前町には遊所が在った訳で・・・。

 しかし今は昔ですかね?恐らくはこの通りであろうと想われる場所に行っては見たのですが・・・、当時の面影や雰囲気は残っていないです・・・・。江戸期に(時期にもよりますが)、前期には揚屋もあり、後期には芸妓屋も在った場所ですが・・・。
 近くに乙女坂なる小路や、乳地蔵などが有るのがその名残でしょうか・・・。
 明治期頃から、場所や形態等が変わったのでしょう・・・。


 そこから山手の人通りの少ない路を選び、歴史民俗資料館へ・・・(こうした場所が好きなのです)。
 帰りは表参道の商店街を通りましたが、やはり、人・人・人・・・。
 まあ観光地が賑うのは良い事なのかも知れません。

 そんな感じの久々の宮島でした。私好みの建物は少なかったですね。

 浮世絵みたい? 旧新町通り? 歴史民俗資料館 鹿に紅葉

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