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2011/01
04
[ #255 ]

雑考49  笑い声

 この時期になりますとTV等で 「笑う角には福来る、皆さんおおいに笑って、幸せになりましょう」 といった台詞がやたらと聞こえて来る気がします。



 尤も普段から 「大きな声で笑ってストレス解消、健康で長生きしましょう・・・」 等といったフレーズ、其処彼処に溢れている気もします。
 しかしそれと同時に 「大の大人が、人様の前で大きな声で笑うものでは無い」 とか、「男たるもの、歯を見せて笑うものでは無い」 といった躾けをされた覚えも有ります。


 この矛盾といっても良い言葉、如何なる事か・・・。少し整理してみますと・・・。



 元々”笑い声”とは如何なるものなのか・・・。
 私が考えるのは霊長類行動学等で言われる”パント・コール”或いはそれに類する物に近いのでは?という事です。
 では”パント・コール”とは何なのか?
 それは、霊長類のオス同士が挨拶や順位付けの確認、又は群れのリーダーが縄張りの主張等々の為に出す声、といった物だと想われます(素人なので簡単に書きます)。

 他にもパント・コール等に関しては色々の見方も有るのでしょうが、私が聞いて記憶に残っている話があります。

 それは・・・。


 霊長類のオスで順位の低い個体が、自分より上位の個体と争いになった時、この低位の個体はより上位の個体(例えばボスざる)の側に行き、上位の個体に対しパント・コールを発する事がしばしば有る。という話です。
 つまりこの場合のパント・コールは、強い物の威を借りて相手を攻撃する(からかう?)時に使われる、ということ。またそれは同時に、仲間と他者を分ける意味も含むのでは無いかと思える事なのです。


 つまり笑い声(パンとコール)にはこうした作用や意味合いが有ると想えるのです。
 仲間内では仲間意識を確認し合い、他者には疎外感、敵意を感じさせる。


 だからこそ・・・・

 「オドリャァ、今、わしの事、笑ろーたろーがぁ!」なんて台詞(難癖?)が一般に成立するわけですよね(広島弁で申し訳ない)。


 また笑い声以外にも霊長目共通の(受け継いだ)本能と言うか、大脳の古い部分に刻まれた感情の様な物は、有るように想われます。


 例えば相手の目をジッと見る・・・・。
 オス同士でやると、順位付けを確認しましょうか?=争いましょうか?という事でしょうし。
 大きな音を出す等、目立つ行為をする事・・・。これはボス(リーダー)にのみ許されたディスププレイ行為=他の個体がやると争いになる。等々・・・。


 だからこそ・・・
 「ワリャァ、何、人の事、見よーんならぁ!」なんて台詞・・・、以下略。 (笑)



 結局、人間のオスにもこうした部分が有るのだと感じます。


 またそれ故、人類が社会生活を始め、群れ(村)の中に成人男性が多く暮らす様になった時点で、無益な争いを避ける為に色々の作法といった物が(自然発生的かもしれませんが)造られて来たのでしょう。
 そしてその作法、本能的では無い故、社会(家庭)の中で躾けられて来た様に想われます。ある種それが文化と言っても良いのかも知れません・・・。

 マナーとかルールですよね?とも言われそうですが・・・。
 マナーとかルールなどと言う以前に、大人になる為に身に付けて当たり前の物だった気がしますし、躾けられた気もします(少なくとも、昔は)(私が出来ているとは言いません 笑 )


 何だか説教臭く、かつ回り道をしてしまいましたが。結局笑い声、他者が居ると想われる場所では発する(少なくとも大きな声では)物では無いという事。
 大きな声で笑いたいのであれば(その必要が有るかは疑問ですが・・・)身内だけの場を選択する事。
 寄席や、コメディー映画をやっている場所等は、ハレ(非日常)の場であろうと想われる故許されるという事・・・。

 といったところですかね。


 蛇足乍、身内(或いは仲間、朋輩)と他者の違いは・・・。
 食欲、睡眠欲、性欲、金銭欲等を充たす姿を見せても良い相手・・・・。
 ですかね?
 では何故、他者にはそれらを見せてはいけないのか・・・?
 それらを充たす行為は個体維持、保存の為の、動物的行為。言い換えれば、究極の利己的行為だからでしょうね・・・。
 (まただからこそ、同じ釜の飯を食った仲間という事が意味を持って語られるのでしょう)


 新年から説教臭くなりました。お許しを・・・・。

 ますた

 
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2011/01
08
[ #256 ]

雪見

 先日友人に誘われ、スキー場に行って参りました。
 今シーズンの初滑りです。と言うよりは足慣らしがてら雪を見に行った感じです。


 同行の友人がボード派なので私もボードを持参。
 私が店をやらせていただいてます東広島、この冬、殆ど雪は降って無いのですが山には結構な積雪。年末年始のニュースでも山陰地方の豪雪を伝えておりましたが、確かにこの数年ではまれにみる積雪量かも知れません。
 スキー場関係者の方もホッとしていらっしゃるかも知れません(災害に遭われた方には申し訳無いですが・・・)。


 閑話休題行ったスキー場はカンビキというこじんまりしたスキー場。足慣らし気分という事もありでの選択。
 しかしこれはこれで正解だったかも知れません。
 当日の天候は”雪、時々止む”といった感じ・・・。
 私の様なオッサンになると雪の中滑るのは結構辛いのです。悪天候時に標高が高く、広く、長いコースはほんと寒くて・・・。

 またそれ以上に視界不良が怖いのです。私の様な眼鏡使用者は特に。雪が付着~くもる~雪面が見えない・・でかなり怖いです。質の良いゴーグルでも手に入れれば良いのかも知れませんが・・・それも結局は中の眼鏡がくもる気がして・・・(ダイビングの度付きマスクでもして行こうか・・・、或いは度付きスイミングゴーグル・・・。不気味でしょうね・・・。)。
 視界不良だと他のボーダーとの接触も怖いですしね・・・・。


 その点は当日行ったカンビキ、適度に狭く人も少なく正解でした。


   KANBIKI.jpg   雪見


 時間的に店からも近いので帰って営業するにも都合が良いですし。


 しかし大して滑った訳でも無いのに次の日、腰が痛い・・・。
 年末年始、殆ど運動せず飲む、食べる、寝るを繰り返したつけでしょう。そこでいきなりのボードは久々に腰に来ました(横乗り系の遊び、左右バランスが悪い故か腰に来易い気がします)。
 

 それはそれとして、今シーズンは久々に雪が豊富そうなので何度か出かけてみたいと想います。

 ますた

 

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2011/01
11
[ #257 ]

ポーランドの至宝展

 1週間程前の事ですが、広島県立美術館で開催中の「ポーランドの至宝展」を観に行って参りました。
 毎年、新年のこの時期に美術館に行きたくなるのです。そこで今年は県立美術館を選択。


 以前、県立美術館ではエルミタージュ展という企画展示が2度程行われた記憶が有るのですが、それを思い出し出かけた面も有ります。
 サンクトペテルスブルクは姉妹都市、或いは血の日曜事件の悲劇。ポーランドは原爆とアウシュビツという先の大戦の二大悲劇としての繋がりか・・・?といった事も考えたり・・・。


 出かけてみますと思った以上に来館者が多く少々驚きました。
 新年故ですかね?


 閑話休題、展示内容ですが、ポーランド王室のコレクションという事で収蔵品展といった雰囲気。その分少々テーマ性に欠ける印象を受けるました。私の観賞の仕方に拠る物かも知れませんが・・・。
 余り頭で考え過ぎず、気に入った作品に見入っていれば良いのかも知れません。ただそれをするには人出が少々多かったかな・・・?

 それはそれとして、当時の街並みを写実的に描いた作品等、非常に興味深かったですね。
 私自身ポーランドという国に対しそれ程知識が有るわけでは無かったのですが、解説や作品群から、何とはなくですがポーランドのヨーロッパでの位置付けと言うか、成り立ちというか、その辺りに付いて考えさせられ嬉しかったですね・・・(美術展の観方では無いかも知れませんね)。


 相変わらずの私です。

 

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2011/01
15
[ #258 ]

書いておぼえる 江戸のくずし字いろは入門  菅野俊輔

           

江戸のくずし字


 書いておぼえる 江戸のくずし字いろは入門  菅野俊輔  2006・11  柏書房
 ジャンル  実用書

   
 基本的にビジネス書やHow~to本、実用書といった類の本は読まないのですが、こんな本なら持っています。
 (実用書と呼んで良いかは微妙なところですが・・・、教科書・・・?)


 内容は書名そのままに江戸時代の寺子屋(手習い所)で使われていた手本等からの抜粋をテキストとして、当時よく使われていた”かな””くずし字”の読み書きを覚えるための本です。

 元々浮世絵の画集等を眺める時に、そこに書かれている言葉が読めれば更に楽しみが増えるであろう・・・という意思の基に購入した本です。


 で、浮世絵の内の文章や古文書が読める様になったのか?

 そんなに物事、甘くないですよね。
 読み書きそろばん、やはり日々の積み重ね蓄積が大事な様で・・・。日々古文書等を読んだり、この本を手本にくずし仮名を書いておれば身に付くのでしょうが・・・。根が蘭堕なもので・・・・。
 更に江戸期の文章。仮名だけでなく漢字も多く使われておりますし、中々すらすらとは読めないですね。
 (尤も私の本業はバーテンダー、江戸の仮名の読み書きが出来なくても余り問題は無い気もします・・・)
 (というか全く仕事には関係ない気もします)



 しかし浮世絵を眺めたりする場合に参考になったのは事実。
 時代にも拠りますが、浮世絵や黄表紙。難しい漢字は余り多くは使われていないので、仮名が判るとかなり読めた気になれます。
 またそうした実用的な面を除いても江戸の雰囲気が感じられ楽しい本です。


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2011/01
18
[ #259 ]

雪見Vol,2

 昨日は連れ合いにせがまれた事もあり、また雪も良さそうな故今シーズン2度目の雪見に・・・。

 場所はテングストン。今回はボードではなくスキーという事もあって此処を選択。

 幾つか理由は有るのですが、先ずは私自身スキー板を履くのは数年ぶりという事。また連れ合いとのんびり滑るのには良い選択で無いかとも想った故・・・。

 このスキー場、ガンガン滑るというよりのんびりと景色等を楽しみながら流すのに似合っている気がするのです。


 そうしたスキー場の故か人出も少なく、私の様なオッサン久々のスキーには適当だった気がします。


     雪山    雪



 しかし今年はここ数年に無く雪が多いですね。もう少しでリフトが雪につっかえてしまいそうなところも・・・。
 道にも結構な積雪、行き帰りの道中は久々に雪道のドライブを楽しませてもらった気もしました(帰りに山越えの県道を少し選択してみたり・・・)。


 閑話休題、山間部の市町村では今シーズンの除雪費用・予算を使い切ってしまった・・・等と言う話も耳にしたり・・・。暮らされいる方々は大変そうです・・・。
 

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2011/01
22
[ #260 ]

たまには・・・

 たまにはちゃんとしたランチでもしますか?という事で・・、三原市に在るフレンチレストラン”シャガール”様へ。
 フレンチでランチは久しぶり。ちょとワクワクします。


 料理は真っ当なフレンチ。特に野菜やハーブのフレッシュ感、香り、嬉しいです。デザートも私好み。想わずデザートに合せて食後酒をオーダーしたくなったのですが、車での訪問故自重しました。
 マールか何か飲みたかったのですが・・・。

 また困った事に、前日の夜に奥歯が一本トラブル。朝の内に歯科医で治療したため車でなくても自重せざるを得なかったのも確かです。
 しかし歯科治療の直ぐ後に食事に行かざるを得なかったのは残念でした。
 (それでも十分に楽しませていただきましたが)


 今度は飲める状態でリベンジしたいですね。

 それと当たり前のちゃんとした料理ってやっぱり良いですね。刺激に成ります。



       シャガール入口




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2011/01
24
[ #261 ]

雑考50  エス

 最近はあまり耳にしなくなった気もしますが、1~2年程前にはやたらと「どエス⇔どエム」等という言い回しが耳に付いた記憶があります。

 尤もこの「どエス⇔どエム」以外にもこうした二元論、言い方は多い気もしますが・・・。

 例えば、「草食系⇔肉食系」であったり、「勝ち組⇔負け組」、「根アカ⇔根クラ」、「まる金⇔まるビ」等々幾らでも出てきそうです。
 もしかすると昨今の日本人、こうした言い回しが大好きなのかも知れません。
 (尤も私は外国語が全くの苦手な者で、外国人にこうした事が有るかは解りませんが・・・)


 閑話休題この「どエス⇔どエム」・・・多用されていましたが、ここでの”エス”とか”エム”実際どういう事なのか・・・。
 本当のところ皆さん、どういった意味で使われていたのでしょう・・・。
 嗜虐的⇔被虐的・・・?
 まあそれはそれで良いのかも知れませんが・・・。

 ちょっと歴史も踏まえ考えてみたくなります・・・。


 ここで言う”どエス”の”S”・・・。18世紀の貴族マルキ・ド・サド侯爵の”サド”の頭文字、Sですよね・・。
 彼の著した”悪徳の栄え”等がこの言葉の流行の発端になっているのでしょう・・・。

 ではサド侯爵は何故そんな本を書いたのか、あるいは何が言いたかったのか?そうして”S”なる言葉、どう捕らえるべきか?


 確か以前タレント?の”みうらじゅん”氏が何処かのコラムで”SMのSはサービスのS”と書いていらっしゃったのを読んだ覚えがあります。しかし現実にサービス業(接客業?飲食業?)で口を汚させていただいている私としては、少々物足りない気もするのです。


 そこでサド侯爵の生きた18世紀のヨーロッパ、あるいはヨーロッパの歴史の大まかな流れ・・・。


 もともと人々にとって何が正しい事なのか・・・。
 原初の時代、それは慣習とか、習慣に拠って規定されていたと想われます。”お約束”といっても良いかも知れません。それらの慣習、人々が暮らす地域の自然環境や生活様式等々に拠り長い時間の中で自然発生的に、あるいは熟成され成立していた様に思えます。

 その後文明の発生を経て、異なった慣習をもった人々の接触が始まり、混ざり合った生活が始まる。あるいは異なった習慣を持った人々を内包した統一国家が誕生してくる。
 この統一国家を成立するために必要とされた価値観(それは、何が正しいかを規定する)。その一つが貨幣であり、さらに一つが宗教(一神教)(聖書)だったのでしょう。


 そしてヨーロッパでは3世紀のローマのキリスト教の国教化以降、このキリスト教の力が強くなる。
 尤も中世ヨーロッパに於いては都市国家として、割と小さな単位にて自治が成立していたため、現実には領主(貴族)がその地域の慣習に従い自治を行っていた面も強いと想われます。

 しかし時間と供に、領主の力よりもキリスト教の力が強くなる。またそうした中で教会も腐敗する・・・。


 前置きが長くなりましたが、サド侯爵が為したかった事(それは有る面無意識的かも知れませんが)。
 それは・・・、世の中の何が正しいのかは、教会に決めてもらわなくても良い。地方領主の責任に於いて自らが決めてやる・・・って事ではなかったのか?という事です。
 この領主の責任感(これは日本の地方領主や殿様、庄屋等々にも求められた気がします)。
 

 つまり私としては”S”の言葉を日本的解釈をするのであれば、この地方領主に求められた様な”責任感”と訳したい訳です・・・。サービスのSでは無く責任者のS(そして無責任のM?)。



 詰らない事を長々と書きましたが、こんな事を書くとマスターはSなのですか?Mなのですか?等と聞かれそうです・・・。

 私自身プライベートでは全くのノーマルだと想っています。何せ所詮は自分基準ですから 笑 。
 あるいはS的な面もM的な面もあると思っています(そんな物でしょう・・・)。
 
 ただ店のカウンター内に立つ時は意識して”S”的であろうと想っています。

 だってバカナリヤにおいては私が店の責任者(Sekininsya)ですし、店の主人(Syuzin)ですし。カウンターで交わされる会話の審判役(Sinpan)、指揮者(Sikisya)、支配者(Sihaisya)に成らなければいけない事も在りますし・・・。
 出来れば責任感(Sekinin)を持って、接客(Sekkyaku)、サービス(Service)が出来ればと想いますから・・・。

 ちょっとくどかったですね・・・・。



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2011/01
31
[ #263 ]

遊女  北小路 建

         

   遊女


 遊女  北小路 建  1964・01  人物往来社
 ジャンル  風俗史



 書名はそのまんま”遊女”。我が国に於ける遊女の歴史を一冊にまとめて書かれた本です。
 まあ遊女といっても歴史的には色々の捉え方もある気はしますが、この本は遊女≒売春女婦の視点にて書かれております。

 古くは”万葉集”から、今に残る投げ込み寺の実地調査等もふまえ書かれている本です。

 遊女の歴史(史料)への登場から、この本が著された昭和38年の現状までを1冊にまとめて有り、我が国の遊女の在り様、歴史を知るには中々良い本の様に想えます。

 また副題に”その歴史と哀歌”と有るように、全体として少しばかり”虐げられた遊女”といった視点が表に出るように書かれている様にも思えますが、それは出版時期故かも知れません。

 戦後西洋から民主主義、進歩主義、自由主義等々が色が々な形で流れ込み、そうした視点や組織あるいは婦人の人権擁護といった視点が強くなった時代。
 そうして売春防止法が昭和31年に成立、翌年実施、33年発効。その5年程後に書かれた本故といった気がします。

 ただ民主主義をもたらした西洋、進駐軍・・・。しかしその占領軍の為に敗戦直後、吉原が占領軍慰安所として再興されたのも事実でしょうし、その為に占領軍慰安婦として女性が集められたのも事実でしょう。また戦後、赤線、青線と呼ばれる場所の成立が性の売り買いに拍車を架け、結局そうした女性の悲惨さを増し、これが売春防止法の成立の力とも成ったのも事実でしょう。

 更に民主主義、進歩主義の力が強くなりすぎた?故か、この頃から反動(的)等という言葉が使われ始める・・・(この辺り、書きすぎると面倒くさいのでやめますが)。

 勿論この著者もその辺り(の空気)、十分に認識されて書かれている気がします。そしてそれ故に、この出版時期でありこの副題なのか?とも勝手に想像を膨らませたり・・・・。



 閑話休題この本、私としては興味深い本なのですが、中でも特に面白く思えたのが、高尾太夫に関する考察です。
 講談等でも取り上げられる”仙台高尾”の吊るし切り。

 かの山東京伝は、仙台候による高尾太夫の殺害は無かったという考えであったそうです(そうして、そうした文献も残されている)が、この著者は高尾太夫の殺害が有ったという視点で書かれていらっしゃいます。

 この高尾太夫殺害の経緯を、江戸の西方寺や仙台の現地調査、あるいは各種文献、そして著者の想像力も含め説明されている辺りが非常に楽しく読めました。
 またその辺りから、著者の遊女、あるいはそれを中心に成り立った文化といった物に対する愛情を感じます。


 更に言えば、”遊び”といった物に伴う文化の奥深さ。そうした事を感じさせていただける本です。

 

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