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2011/06
03
[ #293 ]

仲蔵狂乱  松井今朝子

   

        仲蔵狂乱


 仲蔵狂乱  松井今朝子  2001・02  講談社文庫
 ジャンル  時代・歴史小説


 歌舞伎役者、初代中村仲蔵を描いた小説です。
 作者は松井今朝子氏。最近、歌舞伎評論家としてTV等でも結構お見かけする気がします。

 松井今朝子氏と言うと直木賞受賞の”吉原手引草”が著名な気もしますが、私としてはこの作品が好みです。


 吉原手引草は確かにまとまりも良く読み易いのですが、その分どことなく迫力不足に感じます・・・。
 まあここ数年の直木賞、全体的にそんな印象を受ける気もしますが・・・。
 吉原手引草も何とは無くですが出版社、或いは編集者のリクエストで書かれたのではないか?といった印象をうけました。


 その点この”仲蔵狂乱”はある種の迫力の様な物を感じます。やはり著者が歌舞伎研究者という事なのでしょうか、著者の想い入れの様なものを感じるの気がします。

 作品としてどちらが優れているかは私には判りませんが、少々纏まりが悪くても著者の想い入れを感じる作品に惹かれますね・・・。


 色々と書きましたがこの作品、1ページ目から引き込まれる、それこそ読み出すと止まらない感じの小説。また、著者の歌舞伎に対する愛情を感じる本でもありました。

 こんな小説に出会うと嬉しいですね。


 そういえば中村仲蔵という落語もありましたが、それも良いですよね。勿論演者にも依るでしょうが・・・・。


 
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2011/06
06
[ #294 ]

バイクで散歩? (上関)

 昨日、何とか天気ももちそうなのでまたもやバイクでウロウロ・・・。
 相も変わらずたいした用事も無いのに無意味に走り回っておりました。

 割引終了間近という事でしょうか、高速は車が多いです(因みに私のバイクにはETCは付いておりません)。4輪を縫いながら走る感じになりました・・・。

 高速を降りたとたんに雨がポツポツ・・・。やられたかな・・・?
 で雨を避ける意味あいも兼ねバイクを停めます。


 停めた場所は山口県柳井市。江戸期以来の商家、街並みが保存されている場所です。


  柳井


 柳井川には雁木跡も残っており、水運を利用し発展した街である事が理解出来ます。
 此処で二・三建物を見学。


 先ずは醤油資料館。
 麹の香りが良いですね。日本酒同様発酵により作られる液体。興味を惹かれます。
 此処で作られる甘露醤油、水の変わりに生醤油で仕込む醤油。酒で言えば”貴醸酒”の様な物ですかね・・・。


 次に”むろやの園”。敷地800坪の商家。
 少々、痛み気味なのが気になります・・・。


 其処から、旧石原地区辺りを散歩。
 早い話。石原遊郭が在った辺り・・・(相変わらずです)。

 住宅地+寂れた飲み屋街と言った風情。
 (こうした現状の元遊郭地って多いですね)


  石原
 このドアの手すりなんか、一寸惹かれます。


 そうこうしているうちに雨も上がり、室津、上関方面へ移動・・・。

 この辺り、海から眺めたり訪れたりは何度かしているのですが、バイクでは初めてかな・・・?
 一寸、気になる建物もあり訪れてみました。

 その建物はこれ。


 四階楼  四階

 四階楼。明治12年建築の擬洋風木造建築(妓楼ではありませんが)。


 更に橋を渡って上関に・・・。

 この辺り古くからの港町。江戸期以降は遊郭もありました。
 また下関同様、源平の戦いにまつわる説話等が多く残るイメージもあります。
 (今は、原発建設の件で有名かな)
 (建設予定地方面の道沿いには”原発に反対する人は上関に来ないで”の看板も・・・)


 で、遊郭があった通り周辺を散歩。
 いかにもといった建物は残って無い気もしますが、近くに木造3階建ての建物や古い商家が残っています。


 上関 木造三階建て


 柳井に比べると街自体少しこじんまり。
 山間部への拡がりが無い故ですかね?(勿論、明治以降は鉄道の有無が重要でしょうが・・・)

 そういえば御手洗の妓楼、若胡子屋さんは確か此処の出、墓も残っているそうです。
 
 
 後は夕方まで行き当たりばったりに走り回り・・・。
 
 相変わらずの休日の行動パターンです。寒くなるまで、月に1度位こんな事をしているのでしょう。


 

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2011/06
13
[ #296 ]

雑考56  味

 最近TVにおいて矢鱈とグルメ番組、或いはそれに類する物(例えばタレントが食事をするとか、飲食店を紹介するとか・・・)が多い気がします。
 尤も、私はその手の番組が苦手で見ないようにはしているのですが、それでも目に付きますので相当に多いのでしょう。


  そうしてその手の番組で、タレント等が食事をし「美味しい~!」等とコメントをしている場面を見ると、美味しさ、或いは味とは?何であろうか等と想わず考えてしまいます・・・(職業柄といったところでしょうか・・・)。



 基本的に私は食べ物に対して好き嫌いは無いのですが、それでも日によって食べたい物やそうでもない物が有ったりします。


 例えば・・・。

 私は海の側で生まれ育った故、定期的に新鮮な魚介類が食べたくなったりします。そうした時は生まれ故郷に帰り地物の魚を食べるのですが、そのときは本当に嬉しく感じます。
 また、どうしようもなく肉を食べたく成ったり、野菜が食べたくなる事も有ります・・・。そうした時に食べたい物を食べる事が出来れば、当たり前ですが非常に幸福を感じます。


 何が言いたいかと言いますと、味の感じ方、その時の体調や気分に左右される面が多いのでは?という事。
 そうなると結局のところ美味しい物って”その時にその人が美味しいと思う物が美味しい”といった一つの結論に達するのです、が・・・。


 確かに最近「自分が美味しいと思えればそれが美味しいんだ!」等と公言される方が多い様に感じます。
 しかしそれって拡がりが無いですよね。
 言い換えれば、個人的な味(話)が全て・・・。


 元々グルメ・グルマンという言葉・・・。多くの人々が食べて皆が美味しいと感じる味や料理を探求するムーブメントだったはず。言い換えれば、絶対的美味しさとか、社会的美味しさを追求する動き・・・。


 しかしここでも私は、はたと考えます。

 味の感じ方、美味しさの感じ方、人それぞれに感じ方に違いが有るはず・・・。また、年齢に拠っても・・・。

 例えば乳児は母乳の味を美味しいと感じ、それ以外の味はオミットするという話があります。
 人間、生まれた直後は母乳的な味、詰まりは甘みのみを美味しいと感じ、成長と共に塩味、酸味、等々を楽しめる様になり、最後に”えぐ味”を楽しめる様になると一人前の舌になった。と言う考え方は有った筈です。
 また加齢と共に舌も鈍くなり、最後(老齢期)に楽しめる味は甘味と渋味である(故に老人は、渋いお茶と甘い茶菓子を好むという説も・・・・)。

 更に人種や育った環境に拠っても味覚に対する感じ方は違いそうです・・・。
 例えば我々の業界では、白人の方にお出しするカクテルは少し甘味を勝たせる、厚みをもたせる方が良いと言われますし、海の側で育った人と山中で育った人も味の感じ方に違いが有るかも知れません。

 更に香りの問題。味は7割以上香りに依存すると言う説も有ります。

 加えて言えば情報の門題。マスコミが美味しいと言う物、人が美味しいと言う物が美味しい、と感じる事も(人も)有るでしょう・・・。

 更に酒類となると、其処にアルコール由来の物も加味され・・・・。


 美味しさとは何か・・・・?ホント限が無いですね・・・。
 まあだからこそ日本料理、西洋料理、中華料理等々が発展してきたのでしょうし。グルメと言われる世界の歴史・文化も出来たのでしょう・・・。
 そう想うと「美味しい」と言う言葉、軽々に発せられない気がするのです。


 結局私は仕事柄か、こんな事を考えて行くのでしょう。



 ますた

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2011/06
18
[ #297 ]

落語にみる江戸の酒文化  宮田登 他

           

     落語にみる江戸の酒文化


 落語にみる江戸の酒文化  旅の文化研究所 編  1998・04  河出書房新社
 ジャンル 酒・日本文化


   この本はシリーズ物の内の1冊で、他に”落語にみる日本の旅文化”とか”~江戸の性文化” ”~~悪文化” なんて物が有ります。その中で私が選ぶのは職業柄やはりこれ、酒文化編ですね・・・。

 内容は色々の方の著述により江戸の酒文化を考察するといった物ですが、私としては”落語にみる江戸の酒文化”というより”落語と酒からみる江戸文化”といった内容に想えます。


 江戸文化・・・・。
 色々の捕らえ方は有ると思いますが・・・。
 例えば武士の文化とか、江戸時代の庶民文化とか・・・・。
 私が想うにこの本は”江戸文化=江戸と言う都市の文化”という捕らえ方をしている様に想えます。
 当時世界最多の人口を誇った江戸という都市の住民が生み出した文化・・・。


 何故そう感じたか?少しばかり内容に付いて書いてみますと・・・。


 それまで(江戸が隆盛するまで)の飲酒は村全体でハレの日に行う行為であった。村祭り等の日に村全体で飲酒・泥酔し”向こう側”に近づく行為であった。

 向こう側?

 言い換えれば・・・一寸難しいですが・・・。

 あの世、彼岸、死んでから行く場所、鬼の世界、神の空間、死者の世界、山、森、地面の下、海の中・・・そんなところ・・・。
 そしてそれ(飲酒)は村人共通のハレの日に行われた・・・。


 そこで、江戸という都市。
 全国から色々な人間が寄り集まり成立した場所=都会。
 其処ではハレの日も人それぞれに異なる場合が多くなる。詰まりはハレの日の個人化が起こる。それに伴い飲酒の個人化も起こる。


 ではそこで何が起こるのか・・・?

 村全体での飲酒の場合、泥酔する事が可笑しくない(或いは泥酔すべき)。しかし個人(都市)での飲酒の場合、泥酔は”見っとも無い”。
 だって飲んでる個人としては”ハレ”でも、一歩外に出れば其処には日常の生活”ケ”の人々が溢れていますから・・・。

 そこで泥酔しない飲み方が良しとなる。
 言い換えればハレの個人化・飲酒の個人化は、同時に制御されたハレ、制御された飲酒を生みだした。

 個人の意思の力で”ハレ”あるいは感情を制御する事を良しとする。またそれが出来る人そうした状態、これを”粋(イキ)”と呼ぶ文化。
 つまりは、江戸文化=都市文化=粋の文化である・・・という事。

 そうした内容に想えます。


 ここで、私が想うのは・・・。
 一人飲み。泥酔しない飲み。他者の存在に気を配れる、適度な距離感を保てる飲み。またそれらを良しとする空間。
 これってバーのカウンターに近いですよね。
 この辺りが私がこの本に(あるいは江戸に)引かれた理由の一つかも知れません。
 バー文化=都市文化=江戸文化=粋の文化・・・・。一寸手前味噌ですか?


 閑話休題、もう一つ落語から見た場合は・・・。

 落語に出てくる酒飲みって、これが結構泥酔している人が多いですよね。”らくだ”とか。
 商売柄ちょっと身にツマサレルと言いますか、聞いていて辛さを感じる事も・・・(風邪うどんの酔っ払いとか)。

 これはどういう事か?
 制御されたハレ=都市の日常がある種”ケ”となり、泥酔=ハレを許される空間、ある種の異空間としての寄席が成立。また、そこでの笑いが成立したという事かも知れません。
 寄席や落語の世界は”泥酔しても良いんだよ”と言ってくれる空間と言えそうです。
 (もしかすると、泥酔者に対する少しばかりの優越感の笑いも有るかも知れませんが)

 結局寄席と言う空間、ある種日常とは異なった価値の空間。異界として緩衝材になりえた空間と言うのは確かな様に想えます。また、笑いの持つカタルシスの力・・・。条理、不条理の浄化・・・。
 またそれをもたらす、落語家というトリックスター・・・。

 そうした意味では飲み屋(バー)なんてのも、ある種異空間故の存在理由がある気もします。

 長くなりましたが、そんな事を考えた本でした。
 面白く読める本です。
 
 

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2011/06
20
[ #298 ]

マイ・バック・ページ

 昨日は店をお休みさせていただき広島市内へ。
 某バーにて行われるウイスキーのテイスティング会の為。


 テイスティング会は17時スタートという事で、折角市内に出るのであればと映画を1本観る事に。

 その映画は”マイ・バック・ページ”。


 リードに”その時代、暴力で世界を変えられると信じていた・・・”とありますのでその時代、1970年前後=70年安保、学生運動の時代を、あるいはその時代観を描いた作品であろうと鑑賞の次第です。

 学生運動に関わった年齢では無いのですが、何処と無くですが興味引かれる気持ちも有ったり・・・。


 感想は・・・?といいますと。

 時代を描いた。という印象は私としては薄いです。
 時代と言うより、自衛官殺害事件とその周辺に特化した印象(間接的に時代を描いてるのかも知れません・・・)。
 

 そこで全体として私が感じたことは・・・。


 その時代、あるいは60年代にアメリカで始まった学生運動、あるいは当時の左翼運動等々は、モノを言うこと(自己)主張する事を良しとした。
 しかしそこでなされる自己(近代自我の)主張は、ある面子供の理論に陥るという事。
 (その辺り、松山ケンイチ、上手かった気がします)。

 僕が、僕が、僕が、私が、私が、私が、でも、でも、でも、・・・。


 こうした言葉、あるいは思想・・・餓鬼っぽく思えるのですが・・・・。


 更に”僕タチ”なんて言葉になると・・・・。(或いは、我々は・・・)
 
 そうした印象が残りました・・・。


 (確かオープニングのシーン辺りで壁に「連帯を求めて孤立を恐れず」なんてセリフが書かれていた気がしますが、私などは”孤立を求めて連帯を恐れず”といった性格なので相性が悪のかも知れません)



 閑話休題、その後は予定通りウイスキーを飲み倒し(違いました、試飲です)。

 12種の樽出し度数のウイスキー。楽しませていただきました。
 歳のせいか、応えます。
 それはそれで良いのかも知れません。 年齢を実感する事も・・・。
 
 

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2011/06
24
[ #299 ]

雑考57  自由

 自由・・・・。

 難しい言葉だと思えるのです。
 勿論、使いやすい言葉だと思われる方も多いかも知れませんが・・・。


 私としては口に出し辛い言葉の一つに想えます・・・。


 私は自由だ!人は生まれながらに自由で有るべきだ!自由に生きる権利が有る!

 どれも少し???と想ってしまいます。


 ”自由”どういう意味なのか・・・。何時頃から使われているのか・・・。
 ハッキリしたことは判りませんが明治維新以降に良く使われるように為ったのは確かでしょう、また特に敗戦以降更に・・・。
 江戸中期頃に使われていたという文献に接した記憶も有るのですが、あいまいです。
 (源内さんあたりだったかな・・・・)


 尤も江戸期から使われていたとしても、明治以降あるいは敗戦以降に”自由”という言葉の持つ意味、イメージが変わったのは確かではないでしょうか。
 

 では元々の自由の意味は・・・・?

 そのまま読めば・・・。
 自由・・・・、自(自らに)由(由する)。

 詰まりは自分自身の事、身の回りに起こる事、行動指針。これ全て自らに由する。
 要するに他人、世の中、社会・・・・等々の所為にしないという事ではないのかと思えます?
 
 そうしてそれは、完全な孤独をもたらす、あるいはそれに殉じる覚悟を必要とする気がします。


 一方、最近?の使われ方は。
 他人、社会、慣習、等々に束縛されたくない、縛られたくない、命令されたくない・・・・。
 こんな使われ方ですかね・・・・。


 似ているけど違う気がします。

 確かに不当に入れられた刑務所の中や、明らかな迫害、虐待、等々の下に置かれ立場ならば、其処からの開放の意味として、そうした使い方も有るかも知れませんが・・・・。
 (尤もたとえ刑務所の中だって、手一本、指一本動かす事は自分の脳の命令でしょうし、頭の中で下らない事を考えほくそ笑む事くらい、自らの自由意志で出来る気はしますが・・・)
 (勿論、洗脳や薬物、暴力を使う技術が発達した現在では、それも言い切れない気もします・・・・)



 少し話の方向を変えますと・・・。
 自らに由するという自由と。最近の使われ方の自由。この二つ。勝手と我儘の違いにも似ている気もします。

 自分勝手な事を言うな!我儘を言うな!
 子供のころ、良く言われたような記憶が有ります・・・ 笑 。
 どちらも似た感じで使われている気もしますが、でもこの二つ”勝手と我儘”似ているけど違う気がするのです。


 例えば無人島に一人で居る場合・・・。
 当然自己の判断で行動しますよね・・・。これは有る面、自分勝手と言えるかも知れません。自由と言っても良いかも。
 では我儘と言い得るか?
 言い得ないと想います。
 ”我儘”、とは他者との関係性が有ってのみ成立する言葉。


 ”我が” 想うが ”まま” に他者を動かそうとする行為、他者の意思・主観・自己決定権を無視する行為と言っても良いかも知れません。
 自らは、自分の判断(勝手)で行動し、他者も自分の判断(勝手)通りに動かそうとする(無視も含め)。
 実はこれが我儘では無いのかと想う訳です。
 故に他者の存在しない無人島では、我儘は成立しない。
 

 何だか話がずれましたが・・・。
 この(現代における)自由と言う言葉。口に出した時点で単なる我儘と捉えられかねない言葉に思えるのです。
 だって”僕は、自由だ!”なんて、他者に向け発した場合・・・。それって、僕は自分のエゴ通りに行動します。あなたはその行動に合せなさい(行動を認めなさい)。
 って事ですよね?

 結局”自由”だ何て言葉。口に出した瞬間に他者に期待している、甘えている、都合良く動かそうとしている・・・・。
 そうなってしまう様に想えるのです。


 では昔ながらの自由。
 自分の身に起こる事全てが自分に原因が有ると考え不言実行をするか・・・。
 これは究極の孤独かも知れませんし、もしかすると暴力的かも知れません。

 しかしある種、この孤独に耐えれないと優しくもなれない気もします。
 また生きて死んでいく上で、この孤独はお互い様と言う気もします。

 (自由には当然孤独が付いてくる?)
  
 だから淋しい(承認欲求が満たされない)からといって、自由とか権利なんて言葉、軽々に口にしないのが正解ではないかな・・・・。



 "自由~、自由~、酷い言葉ね~、冷めた女に男が恵む~”・・・なんてね。



 ますた

 

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