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2011/12
02
[ #345 ]

お酒と人生

 先日こんな物を聴いてまいりました。


        公開講座

 広島大学 市民公開講座 ”お酒と人生”
 


 アルコール飲料を扱っています以上この手の知識も必要かと・・・。

 と言いますよりもこの手の話、昔から興味を惹かれる対象。若い頃は良くこの手のテーマの本を肴にして酒を飲んでいた記憶があります。


 メイン講師はアルコール専門病院の嚆矢、久里浜病院・院長。

 内容は・・・・遺伝体質と飲酒の関係についてがメインテーマ。

 もう少し具体的に言えば・・・。
 遺伝的に受け継がれたアセトアルデヒド脱水酵素の活性に拠り3種。1B型アルコール脱水酵素の活性に拠り3種。
 3×3で人間の飲酒に対する遺伝的体質は9種類に分類出来るという事。

 そしてそれぞれにアルコールや執病リスクに対する傾向があるという事(またそれは大まかに5つのタイプに分類出来る・・・)。

 他、アルコールを分解するために掛る時間の目安とか・・・・(この辺りは良く語られる事ですが・・・)。


 私の感想は・・・?

 アルコール依存に対する研究も日々新しくなっているのですね・・・、という印象。

 プレアルコホリックなんて概念(分類)も作られていたり・・・。
 アルコール依存症スクリーニングテストも以前良く書籍等に掲載されていた物と異なっていたり・・。

 興味深く拝聴しました・・・・。



 しかし結局は飲酒とどう付き合うか・・・・って事なのでしょうがね。

 医学的に観れば、健康の為飲酒量を減じましょう・・・で正解なのでしょうが・・・。ただ其処は嗜好品、そんな訳にも行かない面が在りますよね・・・。
 (健康で長生きする事が人生の目的でも無いでしょうし・・・。どちらかと言えば、手段?)

 結局人様に迷惑を掛けない範囲で飲むことが出来る量で飲酒するという事が重要な気もします。
 (人の迷惑ってのも場面場面で変わる気もしまが・・・)



 私としては飲酒と言う行為を医学的に観るか、社会学的に観るか・・・?という視点も重要にも思えます、がこの社会学的視点、文化的視点・・・。最近あまり無い気がしますね。
 まあそれが現代であり唯物論って事なのかもしれません・・・(確かサッチャー元英国首相が演説で”この世に社会という物等存在しない”と言っていた記憶が在ります。新自由主義には社会という視点はないのでしょうね。)。


 絶滅種の戯言ですかね・・・・。

 
 
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2011/12
05
[ #346 ]

嗜好品文化を学ぶ人のために  高田公理

             

   嗜好品文化


 嗜好品文化を学ぶ人のために  高田公理/嗜好品文化研究会(編)  2008・04  世界思想社
 ジャンル 嗜好品



 書名に惹かれ衝動買いの本です(某新聞の書評欄でも褒めていた事もあり・・・)。

 如何にもという書名、”酒”という代表的嗜好品を扱っております身としましては購入してしまう本です。
 また”バー”という空間も非常に嗜好品的空間では無いかとも想っておりますし。


 内容は、序章に始まり・・・。

 1章 「多様なる嗜好品の世界」
  (酒、コーヒー等、代表的嗜好品の紹介)

 2章 「広がりゆく嗜好品の世界」
  (水、ケータイ等、嗜好品的位相を見せ始めた物の紹介)

 3章 「嗜好品文化へのアプローチ」
  (歴史学、文化人類学等の各学問の視点における嗜好品)

 4章 「嗜好品文化研究の古典」
  (過去に出版された、嗜好品に関する書籍の紹介)

 終章

 という構成に成っています。


 そこで感想・・・・・。

 ちょっと私がイメージしていた(或は、求めている)物とは異なるかといった印象(書評欄にやられちゃったかな?)。

 何といいますか・・・ちょっと、とっ散らかった印象です。まとまりに欠けるといいますか・・・。


 各々のテーマに付いて書かれた物に関しては非常に興味深い、また面白い文も多いのですが、全体として観るとどうしてもとっ散らかった印象になります。

 何というか・・・嗜好品の様な多様な位相を見せる物、現象について一冊の書籍にまとめる時に、この本の様な共著というスタイルは相性が良く無いのかも知れません。
 尤も、私がこの本のコンセプトを理解せず読み物としての面白さを求めるのが間違いなのかも知れませんが・・・。

 ただこのやり方でも、序章辺りで嗜好品、或は嗜好品的な物とは何か?をしっかりと定義付けしてあるともっとまとまったのでは・・・等と想ったり・・・。

 (例えば、3章の社会学。これが序章ならもっとまとまった気もします)(余計なお世話ですね・・・、色々あるのでしょうし・・・)
 

 書名に在る様に、嗜好品文化を学ぶ人のための入門書、手引き書という位置づけの本という事なのでしょうかね。

 そういう視点で見ると手元に有っても良いかな?と想える本ではあります・・・。

 (一寸、ネガティブな回になってしまいました)


 

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2011/12
09
[ #347 ]

先の日曜日

 先の日曜日の朝9時過ぎに山陽道を西条ICから河内ICに向かって、上り追い越し車線を愛車のピックで走っておりますと・・・・、
 (最近ダンスを教えて頂いておりますダンススクールのパーティーに顔を出すためです)


 ディナー・パーティー

  これです。



 表示板に”事故車有り”との表示が・・・。


 まいったな等と想っております時に対向の下り追い越し車線から素晴らしい排気音が・・・(物凄い爆音が・・・笑 )。

 そこで視線を下り車線に振りますと・・・。


 跳ね馬(フェラーリ)が2・3台アクセル全開ですっ飛んでいきます。

 「オ~!あんな車で全開呉れる奴がいるんだね」なんて想って居ますと更に似たような車が十数台・・・。

 「ン~ッ、出来ればバイクに跨っている時に同じ車線で出会いたかったな~・・・」
  ↑   ↑   ↑
 (出会ってどうするのでしょう?)
 (私も、大概壊れてますな・・・)


 等と詰らない事を考えつつ・・・・・・・・ふと視線を前に戻すと事故渋滞・・・。

 危うく事故を大きくするところでした・・・笑 。



 次の日、朝刊を開いて見ますと・・・。

 あら、まあ!

 スピードは控えめに・・・ですかね?



 閑話休題、ダンスパーティー・・・・・。

 大失敗、ボロボロでした。
 何だか全然音が取れなくて・・・。
 (本番に弱い私です)
 (と言いますか、もっと真面目に練習しないと・・・それともセンス無いのかも?)


 しかしメインイベント、ゲスト(立石組)のデモは凄かったです(特にルンバがエロくて・・・・)。
 これを間近で観れただけでも出かけた甲斐がありました・・・。

 

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2011/12
19
[ #350 ]

ウォーターシップダウンのうさぎたち  リチャード・アダムス

               

    ウォーターシップダウンのうさぎたち


 ウォーターシップダウンのうさぎたち  リチャード・アダムズ  1980・06  評論社文庫
 ジャンル  児童文学



 基本的に童話や児童文学、ファンタジーといったジャンルの本は苦手なのですが、この作品は非常に魅力的に感じます。

 本のあとがきにも書いてあるのですが、1972年英国で出版された時に騒然たる話題をまきちらしたとある事も首肯出来ます。
 十分に大人の観賞に耐えうる小説と想えます。


 ストーリーとしては、主人公である”あなうさぎ”の「ヘイズル」が、友人のファイバーの予知夢を切っ掛けに仲の良い数匹と村を離れ、幾つかの冒険を重ねた後自分達の村を築き、それを繁栄に導き、天に召される・・・といった内容で、こういった風に書きますといかにも児童文学的ストーリーと想えそうですが、その枠に収まらない厚みと魅力を感じます。

 その魅力・・・。切り口は幾つも在りそうです(故に厚みを感じるのでしょう)が、私が想うに此処に描かれている主人公ヘイズルの一生。これが”ごく当たり前の”成長譚となっていることに在りそうに想えます。
 それは人間に限らず、多くの哺乳類に当てはまる成長譚であり、生活の様に想えます。

 生き物としての、あるいは哺乳類、霊長目、人間の共通無意識の最大公約数に合致した当たり前の様に想えます。故に惹きつけられるのでは?と。

 オギャーと生まれ、自我が目覚め、幼児期の万能感を脱し、生まれ育った共同体を棄て、規制の枠組みから脱しさ迷う過程を経、社会性と知恵を身に付け、己の居場所を確立し、子孫を残し、年老い、天に召される・・・。

 こうした群れを作る哺乳類(人間も群れを作る哺乳類でしょう・・・)の一生の一つのモデルケース、或は理想型が描かれている気がします・・・。


 また、キャラクター設定も見事と想えます。

 村の首長として成長する主人公ヘイズル、対照的に独裁者としてのウーンドウォート、戦士ピグウィグ、知恵者ブラックベリー、預言者(神官?)ファイバー、語り部ダンディライアン・・・・・・etc。

 それは我々が採取を中心とした生活を(他の動物同様に)していた頃の、共同体の最低構成要素を想像させて呉れる気がします・・・。


 産業革命を経て(それはもしかすると不自然に”自己”の拡大を強制される時代となったのかも知れません)第二次大戦が終結し、現代となり、そこに人々が違和感を感じ始めた時代・・・・。

 そうした時期故に作者もこうした作品を生み出せ(し)たのかも知れませんし、また人々に評価されたのかも知れません。

 更に言えば英国圏、特にスコティッシュ、アイリッシュ等に残るケルトの民話文化の影響といった物もこの作品の背景にありそうな気もします(ビートルズの楽曲の一部の歌詞に感じられるような・・・)。



 何はとまれ色々の切り口で読める小説で、私のお気に入りの小説の一つです。

  
 

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2011/12
24
[ #351 ]

クリスマスエアロ

 昨日、会員となっておりますアスレチッククラブのクリスマスプログラムに顔を出してみました。
 ここ数年、年末のこの時期にはこうした物に参加している気がします。

 時間の都合もあり普通のエアロビックダンスを1本と格闘技系のエアロ1本です。


 辛かったですね。年々、歳と共にきつく感じる様になっております。
 特に今年は余りこの手の身体の使い方をしていなかった所為か、体力の低下を実感致しました。

 今回参加した格闘技系のプログラム。米国発で世界共通の振り付けといったタイプの物だと想うのですが、正直この手のプログラム少々苦手なのです。それで余計辛く感じたのかも知れません(格闘技系のエアロが嫌いという訳ではないのですが・・・)。
 (確か昨年参加した時のダンス系のプログラムもこの手の物だった様な・・・)

 理由は色々有るのですがごく普通のエアロビクスダンスが好みです。
 年々そうしたクラスが減ってきた気もしますし、私自身余りしなくなりましたが・・・。



 しかし昨年末からの1年の体力が低下分は実感出来た気がしました。
 これだけでも参加した意味は有ったかも知れません。

 来年は、もう無理かな?
 (それとも、もう一度鍛え直すか?体力の低下に対抗する事も楽しそうな気もしますし・・・)

 まあ来年になって考えましょうか・・・。

 
 

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2011/12
29
[ #353 ]

文藝春秋 2002・1月号

               

     文藝春秋


 文藝春秋(2002・1月号)  2002・01  文藝春秋社
 ジャンル  月刊誌



 2002年1月号の文藝春秋です。発売されたのが2001年の12月という事で、調度10年前の文藝春秋です。

 文藝春秋、定期購読している訳ではないのですが想い付いた様に購入する事が有ります。理由という程の物は無いのですが、しいて挙げれば文字数の多さですかね(笑)。この適度な読みごたえが好みかも知れません。
 気になった特集の時等にたまに購入。
 この号もそうだったと記憶しております。
 
 この号のその特集ですが・・・。


 「遺書」



 文藝春秋、定期的に”死に様”といったテーマの特集を組まれる様で(最近一寸マンネリ気味か?)この号もそうした方向です。


 想えば現代思想の嚆矢と言われるデカルトのコギト、「我想う故に我在り」って奴。しかしこの言葉の中には自分しか無いのですよね。他者も無ければ社会も歴史も、ましてや「死」なんて存在しない。
 唯、我(自分)が有るだけ・・・・。

 この辺りがスタートの故か現代思想って、結局、餓鬼(子供)の思想に成り易い気がします・・・。


 振り返ってデカルト以前、特に我が国に於いて最も確かに想えた事は”考えている自分だけは否定できない”では無く・・・”何時かこの自分の肉体は確実に死を迎える”という事だった様に想えます(現代は「死」を見ない様にしている?或は生老病死から逃避している・・・?)。

 故に近代以前には、確実に訪れる「死」にどう意味を持たせるか?何のために死すか?誰の為に死すか?という考え方が有った気がします。そして見事な死に様を成し遂げる事を”天晴れ”と・・・。



 前置きが長くなりました・・・・。

 そこでこの号ですが、多くの方の遺書(あるいはそれに類する物)が掲載されています。

 先ず目に付くのはやはり軍人の方。
 江戸時代まで武士は死の覚悟を求められた身分でしょうし、また武家にも死の作法が在った様に想えます。明治維新以降に徴兵が始まり、武家以外の出身の兵が多くなり、結果、靖国神社がああいった型で成立するように成ったのでしょうが・・・(身内の死に対する作法を持たない遺族の為、詰まり武家以外の遺族の為)。そして武士・武人は存在しなくなった・・・等といわれている気もします。
 が彼らの遺書を読みますと、少なくとも現場の兵士には武人の覚悟を抱いた方も多かった気もします。
 またそれとは少し異なるかも知れませんが(以前知覧でも拝読した覚えも有ります)、特攻隊士の方の遺書にはやはり心を動かされる気がします。

 軍人以外の方ですと自死された方の遺書と、病老死の方のものに分けられる気がします。(他に事故死の方、登山家の方の物)


 どちらにしろ「死」という絶対的な物に直面した、或は意識した文章という物にはある種の空気を感じます。



 今年2011年は大きな震災もあり、実は「死」という物が思った以上に身近に存在する事を実感させられた年では無かったか?と想えます。
 たまには「死」という物の存在を意識し、表裏一体の「生」という物を考える事も良い気がします。
 一年の区切りの時期ですしね・・・・。

 
 因みにこの号に掲載されていた遺書、辞世の句等の中で私のお気に入りは・・・・。



 落語家、三遊亭一朝氏の

 「あの世にも 粋な年増が ゐるかしら」
 
 こんな洒脱な辞世が読めるにはまだまだ遠いですが・・・・。






 追記

 このカテゴリー「マスターの本棚から」も今回で調度60回。人で言えば還暦。
 今回で最終回とさせていただきます。
 また気に入った本に出合えたら、その都度アップするかも知れませんが・・・・。


 ますた 

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