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2012/07
01
[ #400 ]

萩再訪

 萩に行ってまいりました、約半年振りの再訪です。

 前回は浦上記念館の浮世絵展が目的だったのですが、今回はその時外観のみ愛でさせていただいた旅館への宿泊が目的です。


 その旅館は


 芳和荘

 芳和荘(旧・長州楼)  大正11年築の妓楼(遊郭)建築です。
 前回訪れた時は時間も無く宿泊出来なかったのですが、その後あるお客様が宿泊に伺われたと聞き、何はとまれ時間を捻出し宿泊に行って参った次第です。



 わざわざ?と言われそうですが、そうなのです。

 以前、名古屋の中村に在った稲本楼様に食事に伺おうと計画していた事があったのですが(そういえばたまに覗いて下さる”O様”、学生時代に此処でアルバイトをされていらっしゃったとか・・・)、時間の調整が付いた時には既に店を閉めておられた、という苦い経験もあり兎に角出かける事にした訳です。


 旧・稲本楼  
 旧・稲本楼の建物



 萩に到着後はチェックインの時間まで少しばかり萩の街をそぞろ歩き・・・。今回は堀内地区を中心に。

 萩の街並みは良いですね、小雨で空気がしっとりしていた所為も有るのかも知れませんが、改めてその良さを実感した気持ちです。


 夏みかん  堀内地区街並み
 和装の似合う街並みでもあります。


 そして夕方、満を持して芳和荘へ・・・。


 玄関

 これが正面玄関。


 此処を入りますと正面に大階段。中は下足入れとなっております(階段箪笥の様な物ですね)。

 下足入れ

 入り口から真直ぐに大階段という造りは、私の妓楼建築のイメージと少々異なるのですが、途中で右に折れ曲がるのでそうした物なのかも知れません。また往時は、階段を上がった辺りに神棚が設置されていたそうです。

 階段を上がりますと目の前に立派な中庭(前栽)、其れを取り囲む回廊、凝った手すりが眼に飛び込んで来ます。


 中庭・夕方  中庭・深夜  中庭・早朝


 観ているだけで落ち着きます。また開放感が有ります。
 そして、建築からの時間を感じさせるかの様に庭の木々が大きくなってます。
 妓楼建築というと、お客様同士があまり顔を合わせないで済むような造りに成っているイメージがあったのですが、ここの回り廊下はおおらかな雰囲気です。

 (以前、食事に訪れた大阪の百番様の造りはそんな感じでした)

 飛田・百番の中庭 

 百番の中庭



 閑話休題、なにはとまれ宿泊する部屋に案内していただきます。
 この部屋です。


 表札・泊まった部屋

 恐らく妓楼当時はNO2の女性の部屋だった様に想われます。


 泊まった部屋・外観

 この写真の真ん中、角の部屋です。
 内から観ると・・・。


 手すり・泊まった部屋


 また当日の宿泊は私と連れ合いの2人だけの様子。それもあり旅館のご主人に色々と案内をしていただいたり、説明をしていただいたり。
 良くしていただきました。


 この芳和荘の建っている地域、明治34年に萩市内に点在していた遊女屋を1箇所集めて成立した場所である事。この建物自体は大正時代の建築である事。昭和33年の売春禁止法施行に伴い廃業。その後、今のご主人の家が昭和39年買取、1部改装の後下宿屋をしていた事。萩が観光ブームで賑っていた時代には旅館として賑わっていたこと。買い取られた当時(ご主人が子供の頃)の建物の様子・・・・。
 また、板頭の座敷の外壁だけ何故か二重になっている事。等々・・・。

 因みに板頭の部屋、妓楼当時は2間続きだった物を改装時に2部屋に分けられたそうです。


 その広かった方の部屋。

 表札・板頭の部屋  板頭の部屋

 因みに改装前の平面図はこうです。


 改装前・平面図


 改装後の平面図を部屋割り表で見ますと・・・。


 部屋割り表

 (写真が下手で申し訳ありません)

  

 この芳和荘。洗面所や便所が共同であったりと現代の基準を求める方にお勧めし辛いですが、昔の遊郭の雰囲気と昭和中期の旅館の雰囲気を同時に味わえる非常に貴重な建物と想います。
 また、外国人バックパッカーさん等にはお勧めかも知れません(現に、しばしば宿泊があるそうです)。 

 
 貴重な体験をさせていただきました(百番との雰囲気の違いも面白いと想えます)。また、良くしていただきました。
 お土産にこんな物を頂いたり・・・。

 ボールペン

 宝物にします(笑) 

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2012/07
04
[ #401 ]

公開講座

 先日、自宅からそう遠くない場所に在ります近畿大学工学部で行われた公開講座を聴講してまいりました。


 テーマ(講座名)は、


  公開講座

 「食品のおいしさと科学」


 仕事柄、気になる講座名。カウンターの内側に立ってばかりの日々ですので、たまにはこうした刺激を受けたいという気持ちで申し込み。


 受講した感想は・・・?  一寸とっちらかった印象でしたかね。

 「食品の”おいしさ”」に対しては数多くのアプローチが有る様に想えます。
 想い付くまま挙げても、生物工学、心理学、社会学、文化人類学、文学、歴史学、民俗学・・・・といった科学の範疇に入りそうな物やそれ以外各種文化論的アプローチも可能にも想えます。

 有体に言えば”おいしさ”と科学の関係となると余りにも範囲が広すぎて、2時間では纏めるには難しいという印象。
 講師の方も少し遣り難そうに見えました・・・・。


 勝手な意見ですが、工学部らしいアプローチに特化した方がまとまり易かったのでは?と想ったり。
 (例えば食品工学の現状とか、食品工学から見る味の定義とか・・・・。)

 ただ、そうすると受講者が減りますかね?(難しいですね・・・・、無料講座に言いたい放題で申し訳ない。)


 しかしこれはこれで刺激にも成りました。
 また面白いテーマの講座があれば、時間を作って聴きに行ってみたいですね。

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2012/07
07
[ #402 ]

戯言 7月 (店で流す曲)

 音楽に詳しい訳では無いのですが(楽器なんて弾けませんし、カラオケも苦手といいますか憎悪してる?)、にも拘らず店では何かしらの曲を流しています。
 
 
 十数年前に店をオープンした当初から、どんな音楽を流すべきか?あるいはバーという空間にはどんな音楽が相応しいのかということは悩みの対象。
 勿論、音楽を流さないという選択も含め・・・。音楽に詳しく無いのであれば流さなくても良いのでは(流すべきでは無い)、という考え方も首肯できますし。

 唯現実問題として”バカナリヤ”、古い木造建築の二階に在りまして防音等が非常に良くないのです。店の前の路地の話し声(場合に拠っては哄笑や喧嘩の怒声も)等が良く聞こえます。
 更に数年前からは階下がカラオケスナックになりまして、その音もかなり響きます。
 サイレントバーは成立しない環境です。

 では防音のしっかりしたハコならば音楽を流さないという選択も有ったのか?
 何とも言えませんがやはり流していた様に思えます。音楽を流さない事で生まれる緊張感、流す事に拠る各種のメリット等色々考えたとは思いますが・・・。


 閑話休題、現実にはバカナリヤではCDにて音楽を流しています。

 恐らく・・・。
 ・JAZZ&JAZZボーカルが、7~8割。他は色々。
 ・基本的には日本語の歌詞の物は流さない(とは言っても、たまに都々逸が流れたり)
 ・ボーカルは女性ボーカルが多い
 といった感じになっています。

 
 JAZZが多いというのは、やはりバーのカウンターの空気、或はカウンターでなされる会話。JAZZに近い気がするからです。

 JAZZの定義をどうするか?となると限がなくなりそうですが、その即興性は一つ特徴ではないかと思えます。
 少し砕けた言い方をすれば、楽器の音色という言葉を使って会話(掛け合い)を交わしてる様に想えるのです。
 それはバーのカウンターでの会話の空気に近く思えるのです。
 JAZZ(バー)らしさと言う枠は守りつつも各々が割りと自由に、どういった曲(話題)をどういったアレンジ(方向性)、音色(言葉)、アドリブで・・・・演奏する(語る)のか。
 そうして一つの曲、或は夜が出来ていく。また其れがその時だけの消えものっていう事も・・・。

 似ていると感じます、故にJAZZ。



 日本語の歌詞のものは流さない理由はやはり耳に引っかかりすぎる故。
 理解出来、かつ聞きたくない他人の声って、騒音なんですよね。


 女性ボーカルが多いのは、女性の声が楽器としての音色として素晴らしく心地よく思えるから・・・・。

 等々・・・。


 こんな感じでCDを選択しています。


 ただ実際こうして理屈っぽく書いても仕方ない気もします。
 どんなCDを流しているかそのうち少しづつアップするかも知れません。


 

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2012/07
11
[ #403 ]

倉敷辺り

 先日連れ合いが「倉敷にオープンしたアウトレットモールを1度覗いてみたい」等と言いまして、其れなら車を出しましょうか?という事で倉敷に・・・。
 また折角倉敷まで車で行くのであれば、ショッピングモールだけで帰る手は無い訳でその前に少々寄り道をする事に。


 先ず立ち寄ったのは玉島地区。江戸時代より備中随一の港町として栄えた場所、当然色町も存在していた訳です。古い街並みが残っているという噂も耳にしており何はとまれ立ち寄る事に。

 適当な場所に車を止め、新昭和橋の少し南の辺りから裏通りを散策しながら北の旧仲買町方面へ。
 確かに古い建物が残っています。江戸期の物と思われる虫篭窓の商家建築等々・・・。

 虫篭窓


 また其処此処に私好みの建物も・・・。

 私好み  私好み2  木造3階建て  昭和橋付近


 旧仲買町の北辺りにはこんな物も

 思案橋?

 旧思案橋かな?

 遊郭地の境目にはこの手の橋がよくある気がします。と言いますか川や堀を境界として町が成立すると言いますか・・・。
 どちらにしろ、こうした物が見つかると一寸嬉しいです。


 其処から里美川を渡り旧新町方面へ。こちらは大正~昭和といった風情が多く残っている印象。ギンザと名付けられた商店街の風情は完全に私好み。映画の撮影にも使われたという水門の設置された橋を観てUターン。

 商店街にて  木造3階旅館?  閉店したスナック  水門から


 渋滞に遭遇し時間の余裕が無かった事もあり、名残惜しくも次に移動。



 次はJR倉敷駅近くのコインパークに車を止め、アウトレットモールへと・・・


 行く前に何はとまれ川西町辺りを散歩。

 そう、此処も昔色町だった場所です。


 此処が昔、色町(遊郭)の入り口だった辺り

 遊郭入り口  川西橋

 やはり橋があり、川で隔てられています。

 振り返ると、商店街の入り口(出口?)

 アーケード

 この味の有る商店街を抜け、駅の連絡通路を渡りアウトレットモールへ・・・。


 因みに川西地区、こんな建物が残っていました。

 橋の付近  丸窓  銭湯  県道近く

 

 アウトレットモールの事、忘れてますね・・・。




 勿論アウトレットモールも一通り歩きました。

 そこで感じた事は?と言いますと。

 私自身はブランドやブランド品の事が判らないので、どんな店が入っていたか等殆ど記憶に残っていないです。また値段が安いとか高いとかもよく判りません。

 強いて言えば、百貨店(デパート)と余り変わらない印象ですか?
 少しばかり価格設定が低めの物、店が多いのかな?高級ブランドは少ない?そんな印象は受けました。


 一番の違いは”開放感”ですかね?


 何といいますか人工的に造られた商店街といった印象。


 思えば昭和の時代、商店街に在った各個人店舗等が大型商業施設等に入居、出店等を行い、商店街がシャッター通りと化した記憶、印象があるのですが、今は逆に百貨店が徐々に寂れ、アウトレットモールという新しい商店街に移行しているのも何とも面白いというか・・・といった印象です。

 各地の商店街が無くなり(シャッター通りと化し)、逆に人々が商店街的な物を求めているのでしょうか?
 私にはよく判りませんが・・・。そんな事を思いました。




 今回、駆け足で3箇所を廻りましたが、倉敷市。駅に隣接した大型アウトレットモールもあれば美観地区もあり、川西の様な場所や玉島地区もあり、中々魅力的な地域ですね。特に玉島地区は一度時間を作ってリベンジしたいですね・・・(バイクで)。
 

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2012/07
15
[ #404 ]

ワインのはなし 3

 中東付近で高級な酒としてその地位を築き、生産や流通も始まったワイン。その後はギリシャでも生産が始まり・・・(他、エジプトを経てアフリカ大陸の北を通ってガリア地方の南部に伝わるというルートもあった様ですが・・・)。


 そうギリシャ(最近、経済的に追い詰められている報道ばかり目立ってますが・・・)、現代西洋思想の原点古代ギリシャ・・・。
 その古代ギリシャの酒というとやはりワインというイメージが付きまといます。

 ホメーロスのオデュッセイアしろ、それを基としたユリシーズにしろ其処に出てくるのはやはりワイン(ユリシーズが巨人を酔っ払わせて倒す行為、八岐大蛇を連想したり・・・)。


 オデュッセイア 
 本棚の隅に転がってました

 勿論、麦を主食としている訳ですからビール(ピノン、或はブリュトン)も飲まれた筈ですし、ネクタール(神酒)は蜂蜜酒(ミード)とも考えられたりしますが、やはり主役はワインと思えます。


 では?古代ギリシャでワインはどの様に飲まれていたのか?


 ここで登場するのが「シュンポリオン(シュンポシオン)」というキーワード。現代のシンポジュウムの語源となった言葉です。

 ワインを酌み交わしつつ、詩や音楽等の芸術、また哲学や自然科学等の科学等々を主たる話題とした酒宴。
 (そういえば十数年前、国民文化祭ひろしまにて東広島で開催された”酒と文化の祭典”という公演を聞きに行った覚えがあります。主賓は発酵学の大家”小泉武夫先生”、後半はシュンポリオン的にお酒を飲まれつつ他のパネラー方々と語り合うという形式だった記憶があります)


 そして此処で飲まれていたのが水(場合によっては海水)で薄められた(恐らくは赤)ワインです。
 (割合は、ワイン1に対し水が2~3とか・・・)
 何だか薄くて不味そうですが・・・。

 何故こんな飲み方となったのか?
 

 想像ですが・・・。

 それまでの酒の飲まれ方と言うのは収穫祭等の祭の時、つまりはハレの場での飲酒が主流であった様に思われます。言い換えれば皆で酔っ払う事、非日常を体験する事、それに拠る一体感・・・等々を目的とした酒宴だったと思われます。

 それに対し古代ギリシャの酒宴は、かなり日常的な行為であるという事。

 古代ギリシャ。アテナイ(アテネ)やスパルタ等の都市国家の成立といった面でも語られますが、都市という過密な空間で生活するという事は、それなりの理性やマナー、規則の厳守を求められる面も出てくると思えます。
 またそれが発想の自由さをも奪う故に、思考の固定化をほぐして新しい斬新な発想を生み出す為の飲酒と言う行為。或は飲酒をしながらの議論、会話という事も求められた気もします。


 また其れは”泥酔する事に対する禁忌”も強力に生み出した様にも思えます。
 其れ故の薄めたワインでは無いのかと・・・。


 そこに、飲酒に拠る発想の広がりを求めつつ泥酔を避ける飲み方という、都市生活者の飲酒形態が生まれた様にも思えるのです。


 

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2012/07
20
[ #405 ]

ワインのはなし 4

 古代ギリシャではワインを水で薄めて飲んでいた、と前回書きましたが、では水で薄めずにそのまま飲む人間は居なかったのか?
 文献等では、ワインを薄めずに飲むのは悪魔の所業?である。或は身体に恐ろしく悪い行為である。即座に泥酔に至り大変な事になる。といった論調ばかりが残っている様です。


 では実際にそうした連中は居なかったのか? 

 推察ですが、当然存在したと想われます。
 (で無ければ”ワインは薄めて飲むべきである”といった論説が喧伝される筈も無いでしょうし)

 当然の事ですが”ワインを薄めて飲む”という行為(所作、文化)が発明されるまでは、皆、生のままで飲んでいた訳でしょうしね。
 その後ある時期に、人々がある程度日常的にワインを口に出来る状況が生まれ、其れに拠り泥酔する者であるとか、酔って対人関係に問題を起こすとか、身体を壊すとか、そうした事も生まれる様になり、社会問題化もし・・・。其れを受けて、ワインは薄めて飲むべきという作法が発明されたと考えるのが自然に思えます。

 其れは江戸に新吉原が誕生した後に「初回・裏・馴染」という仕来りが発明された事と似ている様にも思えます。
 実際にこの仕来りがどの程度守られていたか?という事も含め。  (笑)  


 しかし、この薄めるという手間を掛けてわざわざワインを不味くして飲むという行為、この無駄に思える面こそがある種文化の一面とも思えます。


 少し話を戻しますが、ある時期からワインを日常的に飲める状況(人々)が生まれて来た訳ですが(それ以前はどちらかと言えば、ハレの飲み物)、その理由は何なのか?

 考えられる理由は幾つかあります。


 1・ワインの保存技術が確立した
 2・ギリシャでワインの生産量が増大した。(このころから輸出も始まります)
 3・ギリシャが地中海の派遣を握り、豊かになった。
 4・銀貨の鋳造が本格化し流通が発達した
 等々

 一義的には、1のワインの保存技術が確立した事が大きい様に思えます(で無ければ、他の要因が成立しても収穫期後の一定期間以外にワインは飲めない訳ですから・・・)。

 そのころから、アンフォラという素焼きの壷にワインを満たし松脂で密閉する事に拠りワインの酸化を防ぎ、長期(夏季)の保存を可能にする技術が確立して一年中ワインが飲めるようになる。
 またその他の理由(ギリシャの国力増大等)により、かなりの人々が年中飲めるようになったのでしょう。


 では当時のギリシャのワインはどんな味なのか?と言うと・・・、
 あくまで想像ですが、何時か書いた黒海周辺のワイン同様に、甘味が強く重めのものが主流だったと想像できます。
 そして更に、アンフォラの密閉に使われた松脂に香りが付着し、スパイシーになった物と想像出来ます。

 この松脂の香りの付いたワイン、今でもギリシャの名物ともなっています。


 有名な物では・・・。

 レツィナ

 レツィナ・オブ・アッテカ。

 サヴァティアノという品種で作られた白ワインで、松脂で香り付けされています。
 (当時飲まれていた物は赤ワインでしたが・・・)


 ではこのワイン、美味しいのか?


 恐らく現代の感覚や基準で図ると個性的地酒の粋を出ないのでは?といいますか、そうした評価をされている様に思えます(其れすらも一つの商品価値として意味づけされています)。


 しかし私は結構好きなのです。
 夏に香りの強いオリーブオイルと、たっぷりのハーブを使った料理なんかと合わせると、最高って思えます。

 また、そうした地中海の気候や料理に合せて飲まれてきた物(残って来た物)の様にも思えます。

 そうした面もアリですよね?

  
 

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2012/07
23
[ #406 ]

ヘルター・スケルター

 先日広島市内に出かける用事が有り、時間も取れましたので今話題の映画「ヘルター・スケルター」を観て参りました。


 実はこの映画の原作コミック、十年程前に某書評と書名に興味を惹かれ購入しておりました。
 (その本はお客様に貸したキリになってしまいましたが、この度映画化されると聞き及び再読したくなりまして再び購入してしまったという私としては一寸お気に入りの作品です。)(普段は女性向けコミックなんてまず読まないのですが・・・)


 ヘルター・スケルター

 装丁も雰囲気・・・。



 実は同じ監督作品の「さくらん」という映画も映画館で観ておりまして(舞台設定が江戸吉原、観に行きます・・・)、その「さくらん」も事前にコミックを読んでいたのです。


 先ずそこで映画「さくらん」の感想はと言いますと・・・。

 映像が動かなければ(スチール写真としてなら)、素晴らしく美しい。
 唯、動き始める(動画となる)と台詞や所作がどうしても美しく想えない。
 という物。
 (私が江戸吉原という世界に少々想い入れが有る所故かも知れません)
 (しかしそういえば、少し前に観に行った「源氏物語」の映画も似たような印象)


 で今回の映画、「ヘルター・スケルター」の感想・・・・・・、
 

 の前にこの原作コミック何を描いているのか?を・・・


 それは、非常にタチの悪い市場経済主義という存在、同様な(或いはその走狗たる)マスメディアという存在。それらが作り上げたどうし様も無い現代。またそこで生きる女性という生き物の性(サガ、或は業、欲)といった物を描いている様に思えるのです・・・。
 (女性の欲を食い物にして肥大した、市場経済主義とマスメディアというと嫌味過ぎるか?)


 良くもこんな原作を映画化するよね!と言うのが、観に行った理由の一つ。

 また監督が映画「さくらん」と同じ方。
 原作の世界。詰まり、見た目表面は素晴らしく美しいが内面やプライベートはメチャメチャ、といった雰囲気に相性が良いかも?とも想ったのです。



 で、映画「ヘルター・スケルター」の感想・・・。


 想った以上に原作に忠実。各役者さんも、原作のキャラクターに非常にマッチしています。ストーリーも文脈的には、原作のまま。

 結構良く出来ている印象。

 「さくらん」の映画もそうでしたがこの監督、原作コミック(の世界)を出来るだけ忠実に実写化されるのが好きなのかも知れません。

 唯その分、原作を超えれないと想えるのも事実。
 まあ、読者というもの原作を各々個人の理想形にと想像力を使って勝手に読んでる訳ですから(声とかリズムとか描かれていない部分とかも含め)・・・。其れを考えるとかなり良く出来た作品と想えます。



 唯、あくまで私の趣味で言えば、もっと”エロく””グロく”描いても良いのでは?という印象。
 折角の実写なのですから・・・。

 濡れ場も結構有るのですがあまりエロく無いのですよね。

 もしかすると監督も主演女優さんもそれほどエロさの無い女性なのかも知れません・・・。
 (勿論、わざと抑えて撮ったのかも知れませんが・・・。)


 そんな印象でした。


 しかしこんなコミックが20年近く前に描かれていた事自体が驚きです。
 マンガ、侮れずです。


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2012/07
26
[ #407 ]

ドリンク系チューハイ

 地元、東広島市の飲料メーカー宝積飲料様が、こんな物を造られたそうです。


 エナジー・ショット

 エナジー系チューハイ ”energy shot” (エナジー・ショット・チューハイ)


 栄養ドリンク味のチューハイだそうです。
 最近都会のクラブ等で、若者がある種の栄養ドリンク的な物でウオッカを割るのが流行りだとか・・・。
 (私は知りませんでした・・・・)


 試飲させていただきました。

 確かドイツのリキュールで”レッド・ベア・エナジー”てのが有りましたが、それを思い出しました。
 (一寸味は違いますが・・・)

 世界的にこうした栄養ドリンク的な物が流行なのですかね?


 どちらにしろ地元の宝積飲料様、頑張っていらっしゃるようです。

 陰ながら応援したいです。


 

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2012/07
28
[ #408 ]

周防大島辺り

 先日目覚めると良い天気。という事でバイクのエンジンに火を入れる事に・・・。
 さて何処に向かう・・・?
 (この書き出しもワンパターンだな)


 思いついたのが以前から気になっていた「周防大島文化交流センター」。
 民俗学者、宮本常一氏の業績を展示している博物館です。
 
 夏の日差しの下、アクセル開け気味で到着・・・・。 
 は、したのですが何と”休館日”
 下調べ位しとけよってね・・・。思いつきで行動するとろくな事になりません。


 そこで目的地変更。
 少しはなれた場所にあります、橘民俗資料館を目指します。
 この橘地区辺り、潮待ち、風除けの船泊だった場所、私の興味の対象の一つ。

 到着しますと・・・。


 閉館

 入り口に「休館中」の張り紙・・・・・・・・・。
 ついて無い時はこんな物ですか・・・・。


 更に予定変更。


 沖家室、地家室方面へ・・・。


 この沖家室島、江戸期には長州藩の船蔵や番所も置かれ、その後も漁業と潮待ちで賑った地区として著名な場所、また対岸、大島側の地家室には長州藩の茶屋も有った場所。
 沖家室大橋の袂にバイクを止め、少しばかり散策。


 船蔵跡  御番所

 船倉・番所も今は石碑を残すばかり、寂れた漁村集落といった風情。


 沖家室

 これはこれで風情が有ります。
 暫く行くと、往時の繁栄を思わせる立派な蛭子神社が有りました。


 蛭子神社

 そこで一服、Uターン・・・。帰りがけ、山手の小さなお寺にこんな物・・・。


 地蔵墓

 文化14年の地蔵墓、戒名に童女の文字・・・。これだけで禿墓と想うのは、私の頭が溶けている所為でしょう・・・。




 そこから地家室の太夫鼻(タイバナ)から橋の写真を一枚(ピンボケですな)。


 太夫鼻より

 この太夫鼻、地家室にある小さな岬ですが、その昔ここから遊女が身投げをしこの名で呼ばれるようになったとの事。また橋は、宮本常一氏の尽力に拠り架橋された物。



 地家室にはこんな物も・・・。


 石風呂

 瀬戸内地区の船泊等に良くある物です。
 有名なところでは、竹原の忠海地区とか・・・。

 潮待ち港、色町、岩風呂・・・・。ある種セットですね(岩風呂は浄土真宗との関連から見る遣り方も有るとは想いますが・・・)。
 水場、風呂、色町・・・。世界共通のセットという気がします。



 折角出て来たのでという事で、そこから更に一寸足を伸ばし室積までバイクを走らせました。

 ここも古くからの港町として栄えた場所です。
 江戸中期、宝暦頃に沖乗り航路の発達に寄り落ち目になりかけたのを、明和頃より湯女等を使い再度繁栄した街と記憶しております(普賢寺の門前としても・・・・)(第二奇兵隊の話もあるか?)。

 非常に風光明媚な場所です。


 その岬の突端、大師堂にこんな物が有りました。

 歌碑 歌碑2 旧、歌碑 歌碑3

 遊女の歌碑です。


 古くからあった物が痛みが激しくなったのか、近年に建て変えられた物の様です(3枚目の物が基の歌碑です)。

 側面に刻まれて有るのは

 ~周防なる 御手洗の沢辺 耳風の音つれ ささ羅波立・・・~



 其処から江戸期の商家が残る街並みに有ります「光ふるさと郷土館」に立ち寄り・・・。

 管理者の方に、
 ~室積は潮待ち、風待ちで賑った街の様ですね・・・etc、そういえば昔賑った湊町ですから、付き物の色町も有ったのでしょうね?
 ~ハイ、有った様です。
 ~どの辺りだったのでしょうね?
 ~え~っと、何処だったかな・・・・・。


 誤魔化されてしまいました。
 触れてはいけない話題だったのかな?



 そこで休憩室に有りました資料で遊女の歌碑の事等を一寸探してますと。


 性空上人と普賢菩薩の出会い~普賢寺の開廟説話の話が載っており、歌碑自体は何故建立されたかは判らない、と書いて有るばかり、また色街の事がわかる古地図等も無し・・・・。


 やはり触ってはいけないのかな・・・。

 唯、大師堂近くの砲台建設の折り、街の遊女が総出で炊き出しをした、という話がありました。


 で、歌碑ですが、歌は当時の遊女屋の楼主と遊女の符丁が基になっているという説は有ります。

 また歌碑の側の石灯籠、寛政4年、胡屋の寄進となっておりましたので、もしかするとその辺りの関連か?と想ったり・・・。
 (因みに室積、江戸期に茶屋は、大黒屋と胡屋の2軒だったと何処かで読んだ記憶が)
 (郷土館の展示でも天保年間に茶屋が2軒となってました)
 (昭和初期に遊郭が3軒だったかな・・・?)


 そんな馬鹿な事ばかり考えていますと既に夕方(食事すらしてない事に気付きました)。

 何はとまれ一度自宅に帰り店を開けないと・・・と、高速をすっ飛んで・・・が、急遽エンジン不調。

 

 何とか誤魔化しながら帰りましが、乗り方が荒っぽいか?バイクの年齢過多か?
 (後日電気系のトラブル、接触不良と判明。冬にでも全体的に点検増し締めしないといけないかな?) 

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