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2012/08
03
[ #410 ]

パネル時計

 現在バカナリヤの店内にこんな物が有ります。


  時計

 サントリー・オールドの販促グッズのパネル時計です。


 パネルの時計の部分が、実際に時計として機能しています。

 お客様に期間限定でお貸しいただいています。

 このパネル時計の来歴等は、こちら、にあります。

 来店時、眼につけば愛でてやって下さい。



 久々に、サントリー・オールド 仕入れてみるかな・・・?

 
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2012/08
05
[ #411 ]

戯言 8月 (オリンピック)

 オリンピック、佳境の様ですね。ニュースもオリンピックの事ばかりと思えます。
 しかしオリンピックの雰囲気も年々変わって来た様な・・・?

 良く言われていた「オリンピックは勝つ事では無く参加する事に意義がある」といった論説も語られなくなった様に思えます。



 しかしそもそも(近代)オリンピックとは何なのか?

 クーベルタン男爵が提唱し1886年アテネで第一回が開催された国際的スポーツの祭典。と言うのが一般的答えでしょう。

 では何故その時期に男爵が提唱し各国に認められ開催される事になったのか?
 

 男爵の提唱したオリンピックの精神「オリンピズム」には、「スポーツを通して心身を向上させ、国籍等の様様な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神を持って理解しあう事で、平和でより良い世界の実現に貢献する」 とあります。


 詰まりは”オリンピックを開催する事に拠り、世界平和に貢献出来る”と、男爵等開催に努力された方々は思っていたという事なのでしょう。
 逆に言えばこの時期の世界の平和が壊れそうな時期であったという事かも知れません。
 たしかに19世紀後半は帝国主義隆盛の時代とも言われます。アヘン戦争、露土戦争、普仏戦争、日清戦争・・・・・。


 では何故、帝国主義の隆盛が起こったのか?

 理由は色々と考えられそうですが、先ずはフランス革命等に拠る神聖ローマ帝国の実質的解体(カトリックの威信低下)、詰まりはヨーロッパという枠組みが壊れ(かけ)たという事。
 同時に生まれた近代国家(民族国家、或は帝国)。
 また産業革命に依る生産の拡大~デフレ~市場(植民地)獲得競争。


 では何故男爵たちは、スポーツを行う事が平和に繋がると考えたのか?

 マッチ・ウェンロック・オリンピックがヒントになったという説がありますが(これにはイギリスの産業革命がもたらした残酷な社会に対抗する為の自助論辺りの影響も有りそうですが・・・)、私としては其れよりも、以前から英国にあったスポーツと言うもの力(或は社交性)に期待した面が大きいのでは無いかと想像するのです・・・。
 

 100年戦争終結に拠り、英国では相対的に王室の力が弱まり、地方貴族(領主)の力が強まった・・・。
 そうなると、隣あう地域どうしやその領主って、どうしても争い易いし疑心暗鬼にも成り易い(家や国でもそうでしょう)。
 そうした状況の中、戦や争いに至る事を回避する手段として領主同士の社交としてのスポーツが英国で発達したのではないか?と想像するわけです・・・・。


 では何故、スポーツという社交に拠り戦争(争い)が回避され易いのか?

 争いの要因の一つとして大きいのは、互いの疑心暗鬼や信頼感の欠如だと思うのですが。
 では、相手に信用して貰う手段として何があるのか・・・?
 言葉を弄すること自体では余り効果は無い気がします。
 我が国だと、究極は切腹。命がけで身の潔癖を証明するという作法に行き着くのでしょうが・・・。


 そこでスポーツ。特に危険なスポーツ。

 例えば、ボクシング。

 殴り合いという、場合によっては生命の危険さえ伴う究極の状況。そんな状況でさえちゃんとルールが守れるか?
 殴り合いの”恐怖”の中でさえ、ナックルで相手の上半身の前側面のみ殴打する事意外は行わないという意思の強さの証明。
 敗れそうになってもルール違反をしないという事で、自身が卑怯者で無いことを証明する行為。

 ラグビーなんてのもそうした要素が強かった様に思えますし、命がけの危険なスポーツ程、己が信用に値する人間だと証明され易いと人々は感じたのでは無いかと思えます。

 またゴルフの様に自己申告の競技、詰まりはズルをしようと思えば幾らでもズル出来る状況に於いてさえ、ズルをしない。これも似たような効果が有る様にも思えます。
 (古代以前、人類が採集主体の生活をしていた当時から続く遊戯的戦との類似、なんて話を広げても良いのですが・・・・)

 話が長くなりましたが、兎に角男爵等はこのスポーツの持つ力、社交性に期待したのでは無いかと思えるのです。


 ではそうした面で近代オリンピック開催は成功したのか?


 少なくとも戦争の回避という面では失敗でしょう。まもなく第一次世界大戦が起きる訳ですから。

 更にその後はヒトラーのベルリン大会や、戦後のステートアマの問題の様に国威発揚の手段にされたり、80年のモスクワ大会の様に露骨な国際政治の道具にされたり(そういえばミュンヘンでのテロなんてのも・・・)。
 そして84年のLA大会以降は露骨なショービジネスに・・・・。
 (現代では殆どのスポーツが、産業やビジネスとなっている様にも思えます・・・)


 何故、近代オリンピックは戦争回避、平和構築という面で失敗したのでしょう・・・。 
 やはり、昔の英国とは時代が違ったのでしょうかね?
 農本主義の世界なら、其れはそれでスポーツの社交性は力を持てた様に思えます。
 近現代の資本のドラスティックな残酷さに対抗する術にはなり得なかったという事なのでしょう・・・。


 そして今後もますます、ショー化、商業化を突き進むのかも知れません。

 ロンドンオリンピックのニュースに触れ、そんな事を思います。

 
 

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2012/08
10
[ #413 ]

BUD POWELL

 店を開けて比較的早めの時間等に、思わず掛けてしまうアルバムがあります。


       the scene changes BUD POWELL

  the scene Chengees
  THE AMAZING BUD POWELL


 余りにも”らしく”また著名な作品でありアップするのも恥ずかしい気もするのですが・・・。

 特に1曲目の ・CLEOPATORA'S DREAM
 私としては、いかにもBARに似合う曲といった印象なのです(もしかすると、何処でそうしたシーンを見た記憶が拠るのかも知れません・・・)。


 実はこの曲、耳をそばだてて聴いてみますと・・・。パウエルさん、結構ミスして無い?って思えるのです。
 特に左手・・・・。

 もっとはっきり言えば、酔ってるのか?という印象・・・。

 プロの演奏家が酔って演じて良いのか?という話も出そうですが、私としては、これはこれで非常に魅力的。ほろ酔い加減なのかも知れませんが、流暢な演奏で聴いているだけでワクワクしそうなスイング感。期待感、心地よさ・・・。


 実はBARの楽しさって、ある種ほろ酔い加減の心地よさ、ほろ酔いでする会話の楽しさ。あるいはそれでも少し保とうとする緊張感、一寸した期待感・・・。そうした面が本質に在る様な気がするのです。

 そこでこの演奏、正にほろ酔い加減の心地よさを感じさせて呉れるのです。(勿論音楽として成立してますし)
 それでついつい流してしまいます。


 もしかするとバド・パウエル自身は酒、あるいはドラッグで寿命を縮めた面も有るかも知れませんが、それも含めてBARを感じてしまうアルバムなのです。

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2012/08
15
[ #414 ]

ドライブ

 13・14の両日、夏休みと称し店を休ませていただいた訳ですが、何をしていたかと言いますと男3人で当ても無くドライブ。

 確か3年ほど前の秋の連休にも同じメンバーで同じ事をした様な記憶があります。


 何はとまれ13日の朝、西条をAさんの車で出発。岩国IC迄は高速で・・・少し渋滞もありましたが割りとスムーズに到着。
 其処から187号を錦川沿いにドライブです。
 このルート、結構お気に入りでバイクでは何度も走った記憶があるのですが、今回の様に人様に運転していただいて景色を眺めながらのんびり走るのもまた良いものです。
 途中車を止め、少し河原に下りてみたり・・・、涼しくて気持ち良いです。
 

 錦川鉄道の駅

 錦川鉄道の駅です。
 凄いロケーションに有りますね。機会が有れば一度のんびりと汽車に揺られてみたいです。
 

 其処から木谷峡辺りを散策。渓谷らしい景色が楽しめる場所ですが、河原まで降りるのに中々良い場所が見つけられずUターン。
 主旨を変え、休憩を兼ねて温泉に漬かる事に。


 入らせていただいたのは、木部谷温泉。
 こんな色のお湯です。


 木部谷温泉

 鉄分・塩分・カルシウムの味がしっかりする源泉掛け流し(加温)の温泉。
 良い湯です。

 風呂上りに食堂で定食を肴にビールを少々、その後は座敷で仮眠させていただきリラックス。
 この辺り当ての無いドライブの良さですね。
 アットホームな雰囲気で、何だか親戚の家に遊びに来たような居心地の良さ。まったりさせていただきました。
 

 其処から今夜の宿まで移動。
 一寸お願いしてハンドルを握らせていただいたり。


 宿を取ったのは此処。


 恩湯

 長門湯本温泉。

 旅館はこちら。


 旅館

 利重旅館様。
 古い木造3階建ての旅館です。

 長門湯本温泉と言えば、恩湯・礼湯の二つの公衆浴場が中心だと思うのですが、その礼湯のすぐ側で営業いていらっしゃる旅館です。



 湯本温泉、その恩湯の直ぐ側に無料駐車場がありここが中心部と思えるのですが、その周辺には営業を取りやめた旅館の建物が沢山有ります。

 廃旅館
 その中で、唯一と言って良い営業中の旅館が利重旅館です。

 その営業を取りやめた旅館の看板を見させていただくと、バイパス沿いに建つ大型ホテル(旅館)の名前が散見出来ます。
 バイパス開通を機に(確か昭和42年)そちらに移られたのでしょう。

 
 で、利重旅館ですが内部はこんな感じ。


 手すり  窓ガラス

 この手すり、先日泊らせていただきました大正時代の妓楼建築の”芳和荘”にあった物と非常に良く似た造り。時代が推察出来る気がします。窓に嵌っているガラスも昔ながらのガラスで、適度なゆがみが時代です。

 浴場

 浴場はこんな感じ。
 源泉掛け流しで泉質は最高。アルカリ泉らしく手を摺り合わせたりすると、独特のヌルヌル・スベスベした感じが顕著です。

 他、こんな造作も時代を感じられて嬉しいです。

 階段  障子  丸窓


 料理も手造り感の溢れる料理で、しっかりと酒の肴にさせていただきました。

 色々な意味で昔の旅館の寛ぎを与えていただいた様に思えます。
 (完全に私の趣味でしたが、他の2人にはどうだったかな?)


 
 しかしこの長門湯本、色々の意味で地方の温泉街らしい温泉街といった印象です。

 歴史は室町時代まで遡り、江戸期には毛利藩主も湯治に訪れた由緒在る温泉地。
 (往時、礼湯は身分のある方の湯で恩湯が庶民の湯であったとか)

 明治期頃からは湯治場として栄え、鉄道開通(確か大正13年)に拠り観光地として発展、高度成長期には社内旅行や観光ブームで賑わい、その後の官々接待の禁止やバブルの崩壊、遊びや消費の主役が女性に移行した等の時代風潮等に拠りさびれ、温泉(源泉掛け流し)ブームで少々再生・・・・。

 こうした温泉場の歴史全てが詰まっている気がする場所です(昔は飲み屋や秘宝館、ストリップ等もあり、芸妓さんもあったそうです)。
 

 次の日は、萩市や奥津温泉、奥津峡辺りに立ち寄りつつ帰還です。
 
 3年前もそうでしたが雨が降ったり止んだり・・・。
 私が雨男なのかな?(組み合わせか?)


 どちらにしろ、久々に寛いだ2日間でした・・・。

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2012/08
19
[ #415 ]

ワインのはなし 5

 古代ギリシャでシュンポリオンとという、ある種サロン的な私宴(酒宴)空間が誕生したという事を以前書きました・・・(其処ではワインを水で薄めて飲んでいた、等々)。
 その古代ギリシャでの飲酒文化でもう一つ気になるのが、デュオニュソス祭。

 
 酒・豊穣・再生の神デュオニューソスの名を冠された祭。
 ・デュオニューソスはローマ神話では酒の神バッカス(バッコス)となり、祭もバッカス祭(Bacchanalia=バカナリヤ)と成る訳ですからやはり気に成ります。 (笑)


 また古代ギリシャと言えば、もう一つ。「(直接制)民主主義」の嚆矢という印象も強いのです・・・。
 この民主政治が成立してくるのはペルシア戦争(bc500~bc449)の勝利・終結を期にと言われます(それ以前は貴族政治での統治)。
 因みにホメーロスは貴族政治の時代の人。ソクラテスやプラトンは民主制の頃の人間です・・・。


 閑話休題、デュオニュソス祭。紀元前6世紀頃に(詰まりは民主制に伴い)始まり、5月頃に野外劇場で悲喜劇を上演、肉を食し、ワイン(酒)を痛飲し、観る、語る・・・・。

 こうした場では、ワインを水で薄めて飲むといった上品な作法は行われていない訳で・・・。
 悲喜劇という人間の感情の部分に直接コミットする物を観、濃い酒を飲み、人間の本質、本能的部分を開放するといった催しであった様に思えます。
 言い換えれば、日常的(ケ)飲酒のシュンポリオン、非日常的(ハレ)飲酒のデュオニュソス祭。

 またこの辺りの飲酒に関してはプラトンの「饗宴」や、その後進のプルタルコスの「食卓歓談集」辺りに色々書かれていたり・・・・。
 その辺りの事を想いつつ「饗宴」や「食卓歓談集」に登場する飲酒の話等に触れますと、「”美味い”と言うのは”甘い”とは違う」という言葉があったり。「ワインは濾したりせず大甕から直接飲むむべきだ」何て言葉があったり・・・。


 民主制成立以降、ワインを薄めずに飲む事も増えていたり、グルメ嗜好的になっていたり、ワインの貯蔵法が確立しつつあったり・・・・。そんな事が伺えて興味深いと同時に、ある種現代との類似を想わされます・・・。
 (推察するに、歴史の経過(民主制)とともに飲み方が荒っぽくなっている様です。)

 そうした面でも、西洋史学が古代ギリシャを西洋文明の基とする事がわかる様な気がします。
 また同時に飲酒のあり方等や、その行く末に対する杞憂の様な事も想わされたり・・・。

 このギリシャの民主制ですが、結局、扇動と衆愚に拠り僅か100年程度で滅んでしまうのです。

 戦後の我が国、矢鱈と民主制絶対論的風潮ですが、このギリシャの末路を想うと・・・、です。 

 

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2012/08
25
[ #416 ]

瀬戸田

 先日、瀬戸田を訪れてみました。近所の割には訪れる機会が無く、約二十年振りです。


 R185を海岸沿いに走り、須波港からフェリーを利用。
 途中驚いたのは、幸崎の能地の漁港が跡形も無く埋め立てられていたこと。
 能地と言えば尾道の吉和地区や豊島と同じく家船の巣。瀬戸内の漁業集落として著名な場所ですが・・・。
 時代ですかね・・・・。


 閑話休題、何はとまれフェリーで沢港に上陸。

 フェリー



 瀬戸田町(生口島)、見所は色々と有りますが今回はこれに惹かれて訪問。

 美術館

 平山郁夫美術館特別展示「海のシルクロードと瀬戸内の文化」展。興味を引かれるタイトルなのです・・・。


 拝見させて頂きますと・・・、タイトルに関連しそうな画伯の絵の展示。

 私としては文化人類学、あるいは歴史学・社会学的展示かと勝手に思い込んでおりました故、少々肩透かし。
 (冷静に考えれば美術館の展示ですからねぇ~)

 しかしそれはそれとして画伯の絵の方向性やその成り立ちが理解出来る興味深い展示でした。
 (瀬戸内の風除港に生まれ海と船を観て育ち、大戦中に思春期を過ごし広島で被爆・・・といった体験や成長過程・・・・・)


 その後、瀬戸田の商店街周辺を少し散策。

 商店街


 雰囲気の有る商店街です。昭和30年代で時間が止まっている様です。
 
 そのまま瀬戸田港辺りまでフラフラと散歩。
 この辺りは瀬戸内の港町、当然昔は色町の空気が漂っていた場所の筈です。
 (確か、昭和初期に妓楼が7軒だったか?)

 古い商家に混じって雰囲気のある建物もちらほら・・・例えば・・・。


 さざなみ スナック 三角 住之江旅館裏 好み 住之江旅館

 (瀬戸田に限らず瀬戸内のそこそこの港町、昔はほぼ何処でも遊女屋は存在していた様ですし、そうした物です。)



 其れはさておき、瀬戸田の名所と言えば・・・。

 戦後では、やはり”耕三寺”ではないでしょうか。


 しかしこれが訪れた記憶が無いのです。
 物心が付いてからは余りの著名さに少々避けていた気もします(また、所詮は近代に建てられた物でしょ?なんて思いもあり・・・)。

 それでもやはり一度は観て置かないと、と訪れてみました。


 予想以上に良かったです。
 孝養門なんて、ホント吃驚です。


 孝養門

 日光東照宮の陽明門をそのまま写して建立された物との事ですが、見事です。

 各伽藍に収蔵されております仏像等も素晴らしい物が有りますし。
 正式名称は耕三寺博物館となっていますので博物館登録なのでしょう。
 確かに博物館的要素も強いですが、それ以上に私には”仏教テーマパーク”といった印象です。

 
 宗教とテーマパークの組み合わせって?と、いう意見も有りそうですが・・・。
 江戸時代には日本各地の神社仏閣は一大観光地であり、遊び場であり、テーマパークであり、門前町は盛り場でも有った訳ですから・・・。

 また現代でも世界各地の寺院・教会等、地域の重要な観光地資源となっていますしね。
 デ○〇ニーランドだって”アメリカ文明万歳教”という宗教のテーマパークとも言えそうですし・・・(笑)。


 それはさて置き耕三寺、良かったです”潮聲閣”なんて建物もありますし。


 潮セイ閣

 耕三和上がご母堂の為に昭和2年に建築された建物との事ですが、当時流行の洋館建築と書院造りの和建築の複合の建物で恐ろしく手が込んでいます。
 先日、萩で訪れて伊藤博文邸と近い時期の物ですが、この頃(明治末から昭和初期)の建築物にも少々惹かれます。


 更に金剛館という建物(博物館)もあり盛り沢山です。

 今回の企画展示はこれ。


 金剛館展示

 「もののけが蠢く百鬼夜行の世界&もののふが輝く源平合戦の世界」

 これも楽しませて頂きました。

 金剛館の書士の方にお聞きしたところ耕三寺、昭和29年に某観光組合の人気観光地投票の一位を獲得されたとか・・・。
 実際訪れてみみますと、それも納得できる気がしました。


 瀬戸田町、季節を選んで再訪したいですね(蓮の花の咲き乱れる時期とか)(今回は一寸暑過ぎましたので)。

 (向上寺、シトラスパーク、中野集落等興味惹かれる場所も多いですし・・・)
 

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