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2012/10
03
[ #426 ]

戯言 10月 (絶滅危惧種)

 1月程前に日本川獺(カワウソ)が絶滅種に指定されたというニュースが流れていましたが、この絶滅種であるとか絶滅危惧種ってヤツに少々惹かれます。

 特に、”危惧されない”絶滅危惧種なんて存在に。


  今回、川獺と同様に指定された九州のツキノワグマも、もしかするとそうした存在で在ったかも知れないですし、既に絶滅して久しい日本狼もそうした存在であった様にも想えます。
 まあ絶滅危惧種って、多くが絶滅してからその存在を振り返られる訳で、絶滅危惧とは言われても殆どの人々からは危惧すらされていない様にも想えます。
 私自身、日本川獺の存在なんて普段は忘れていた訳ですし・・・。

 それでもやはり少々惹かれるのです。


 私が良く捜し歩いている(?)妓楼(遊郭)建築の建物なんて物も、ある種典型的”危惧されない絶滅危惧種”とも想えます。


 東岡2

 こんなヤツですね・・・。


 他にも方言とか、妖しい路地裏、寂れた街並み、木造3階建ての温泉旅館とか、煙草喫みとか・・・。
 (バカナリヤなんて店もそうかも知れません・・・?)


 
 閑話休題、絶滅あるいは絶滅危惧生物の中で一寸気になるのが「朱鷺」の存在。

 現在どういう位置づけなのですかね?

 確か1981年に最後の野生種が捕獲されたので、その時点で野生絶滅種ですかね?その最後の生き残りの”キン”もたしか2003年に死んでしまったので、絶滅種?
 ただ現在は保護センターで繁殖し野生に戻しているので、絶滅種では無くなったのかな?

 良く判りませんが・・・。


 しかしこの朱鷺、学術名”Nipponia nippon”。正に我が国を象徴する鳥の様にも想えます。
 (因みに、国鳥は雉でしたよね?)
 そうした事を想いますと、もしかすると朱鷺が野生絶滅した1981年の時点で日本らしい日本は滅んだのかな?等とも想えます。

 日本らしさとは何か?という問題、定義付けも在るでしょうが、個人的にはこの日本列島の風土と人々が調和して作り上げた風俗とか風景・・・。そんな物に想えます。

 例えるなら、或は代表的な例を挙げるのならば、棚田や段々畠、農村の水田、手入れのされた山林、干潟・・・等の風景の様なものかも知れません(適度に日本人の手の入った自然の風景)。

 それ故、そうした場所に多く生息していた泥鰌等の小魚や蛙等の小動物や水生昆虫を餌としていた朱鷺の野生種絶滅は、正に一つのメルクマールだった様にも想えます。

 最近のTV等で「日本再生」なんて台詞を良く耳にしますが、それも既に一度、我が国の文化が滅んだ事を人々が無意識的に認識している故かとも想われたり・・・。
  

 そういえば朱鷺で思い出す事がもう一つ、それは伊勢神宮の遷宮。
 その遷宮に使用される須賀利太刀の柄飾りに、確か朱鷺の羽根が使用された筈。
 そうした面でも朱鷺=日本とも思えてしまいます。



 詰まらない事を色々書きましたが、何はとまれ危惧されない絶滅危惧種に一寸惹かれるこの頃です。


 
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2012/10
06
[ #427 ]

今年も・・・

 今年も少しだけですが仕入れてみました。
 オクトーバー・フェスタ・ビア


  Fビア

 左から ・シュナイダー ・シュパーテン ・ホフブロイハウス ・エルディンガー

 お気が召せば・・・・。


 

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2012/10
10
[ #428 ]

備後辺りを・・・

 天気が良いので備後辺りをバイクでふらふら・・・・。
 何度も訪れている場所なのですが、この度は「大日本職業別明細図(復刻)の福山市版(府中町付)&鞆町版」を入手しましたので、それを見ながら街並みでも散歩するかという算段で出かけた訳です。


 先ずは府中市。

 往時、芦田川の水運と北に向かう塩の道の結節点として栄えた印象。
 明治の初め頃には色町(遊郭)も造られていた様です。


 町原川沿い

 こうした景色を見ますと、水運が盛んであった事が偲ばれます。
 
 少し前にも歩いていますが、今回は地図(明細図)があるのでその確認といった具合。


 老松にて

 (何やってるんだか・・・)



 小一時間散歩して福山市に移動。

 此処は城下町、駅の直ぐ北に福山城の天守があります。
 其処から南東方向運河沿いに江戸期から遊郭(新町遊郭)がありました。

 ただ福山市、昭和20年の空襲で市街地はほぼ灰燼に帰してますし、その後の再開発等もあり昔の風情は殆ど残って無いですね。
 現在、旧新町辺りは歓楽街に(それはそれで、土地の記憶という物でしょう)。
 
 城の直ぐ近くまで入っていた運河(入川)もかなり埋め立てられています(歓楽街の一部~リーデンローズ~みなと公園~大学等、戦前は運河の中でしょう)。
 その辺りで・・・。


 たばこ屋

 

 現役の歓楽街は少々写真に撮り辛いので早々に鞆の浦に移動、気になっていた場所へ。


 それはこちら、

 ありそ楼

 ありそ楼様。
 旧遊郭(貸席)清月楼の建物を再生されたカフェ&ギャラリー。


 上がらせていただきました。

 2F  3F

 この日は鞆の浦全体のアートイベントの会場にもなっていらっしゃる様なので早めに退散。

 (年に何度か花魁姿に変身出来るというイベント等もされていらっしゃるそうです)(期日等はブログで確認下さいとの事)    ↑


 地図で確認しますと、昔の遊郭の中心部は駐車場になっていますかね?


 遊郭の場所


 それはさておき鞆の浦、路地等は昔(昭和2年)から殆ど変わって無いですね・・・。建物も・・・。
 萩等もそうですが、古い地図で歩ける街は楽しいです。
 (週末辺りから、鞆歴史民俗資料館にて鳥瞰図と観光絵葉書の展示があるとか・・・、また来るかな?)



 更に尾道の旧新開(久保町)辺りにも立ち寄り・・・。

 尾道にて  尾道にて2

 古い楼妓建築等は、廃墟になりつつあるかも知れません・・・。


 更にしつこく糸崎にも立ち寄り。


 堤防  唐破風


 以前と違い波除けの堤防が高くなっています(調度工事中でした)。

 近所の商店の方のお話では、20年程前の台風19号で一帯、潮に漬かったそうで・・・。
 

 その方のお話ではこの糸崎遊郭、昭和32年頃までは非常に賑やかで(三原にも色町があったけれども、糸崎の方が断然賑っていた)、特に国道が高架になるまでは遊郭から鉄道を走る汽車が直ぐ其処に見え、客車が通る度、お女郎(べっぴん)さんたちが妓楼の二階の窓から手を振っていらっしゃたとか・・・。


 通り


 その方のお話から想うとここから北(鉄道方面)に入った通り辺りがメイン通りであった様子。

 廃墟になりつつ

 廃墟となった楼妓建築


 そういえば糸崎はこれも著名な存在・・・。

 糸崎神社


 神功皇后ゆかりの糸崎神社。
 手前の立派な門は、三原城内に在った物を移築した物だそうです。
 万葉集に歌われた歌碑もあります。


 こうしてみると糸崎、古い港であると同時に門前町的な要素もあったのかも知れません。
 (昔は現糸崎駅が三原駅であった事もあり栄えていた場所でしょう)

 相変わらずです。

  

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2012/10
14
[ #429 ]

MILES DAVIS AND MODERN JAZZ GIANTS

 定番ばかりですが・・・。


      miles.jpg

     MILES DAVIS AND MODERN JAZZ GIANTS


  
 バーのカウンターではリラックス感と同時に少しばかりの緊張感も必要かとも想っています(店のタイプにも拠るかも知れませんが)。

 バカナリヤでも、たまに緊張感が少し上がったりする事もあるそうで・・・(申し訳ない、恐らくは殆ど私の責任です・・・ 笑 )。
 しかしそれはそれで(少々自己弁護的ですが)、緊張感の有る会話や言葉のやり取りというものもたまには良いと本気で想っています。


 そうしたカウンターでの緊張感漂う会話を連想させてくれるのがこのアルバム。

 このセッションではマイルスとモンク、お互いに殴り倒そうとか、刺してやろうか?等と考えたとか考え無かったとか・・・。

 その成果が、THE MAN I LOVE の2つのテイクなのでしょう・・・。


 異なった意見や考え方を持つもの同士の会話から生まれる適度な緊張感、それはそれで上手く行けば非常に面白い結果をもたらす気もします(最低限の作法なりマナーは当然必要ですが・・・)。


 では、カウンターの空気が凍ってしまった様な時にこのCDを流すのか?

 はっきり言ってそんな怖いことは出来ません・・・(笑)


 それはさておき、会話にしろスポーツ等にしろ適度にホット&クールな姿勢って大事な気がします。
 このアルバムを聞きますと、そんな事を想ったり・・・。

 
 

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2012/10
17
[ #430 ]

市内で・・・

 某インポーター様の内見会(試飲会)の為広島市内に出向いて来ました。春、秋はこうした事が多い気がします。


 内見会

 会場の様子はこんな感じです。約2時間で、出品された100余りのワインの内の8割以上は味見させていただきましたかね?
 何種か仕入れたいと想っています。



 それはそれとして、折角市内まで出ましたので此処にも立ち寄りました。


 県美

 広島県立美術館。
 特別展示はヴェネツィア展。


 内容は・・・・。

 一寸予想と違っていましたかね?

 以前どこかで観たパリ(世紀末)展?(だったか?)
 そんな感じの展示(街の歴史とか地理とか風景・文化等を中心とした)を予想していたのですが・・・、ヴェネツィアに有る幾つかの美術館の収蔵品の展示が主、といった印象が強かったです?

 それはそれで楽しめました。(私自身が博物館的展示が好きな所為でそうした印象になったのかも知れません・・・)
 
 と同時にヴェネツィアに付いてお客様等からお聞きしました話を少しばかり思い出しました。



 ヴェネツィア、年間に千万人単位の観光客の訪れる世界を代表する観光地。
 映画にも良く登場します(最近ではツーリストとか、007カジノ・ロワイヤルの新作。007ロシアより愛をこめてとか・・・・)
 (そういえば映画007シリーズ、観光地紹介映画の嚆矢という気もします。流石クック旅行会社を生んだ英国ですかね?)。

 そしてそれなのに(或はそれ故にか?)、非常に治安の良さを感じさせる街ですね。
 地図を見ながらの夜の一人歩きも、此処なら出来そうな印象がありました(現に、そうした観光客の姿も多く見かけました)(海外の他都市では一寸遣りたく無い行為です)。


 夜のベネチア


 実はこの治安の良さは現地マフィアが担っているとか。
 まあそうした物なのでしょう(その分少々物価が高い?)。

 まあヴェネツィアは元々他の場所から隔離されたような立地の自治都市国家ですしね・・・。

 それ以外にも、商業都市として成立したヴェネツィアのその個性。十字軍~レコンキスタ~ルネッサンス~新教徒運動~世紀末~現代資本主義 etc etc・・・。 

 色々と妄想が拡がり楽しかったですね。



 またワインの試飲会の後という事で、ヴェネツィア辺りの(で飲んだ)ワインの事を考えたり。


 ルガーナ

 (個人的には、↑こんなのがお気に入り。ベネト州辺りでユニ・ブランから造られる、ルガーナ。)
 (日本だと余り見かけませんし、割高な気も・・・・)


 

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2012/10
23
[ #431 ]

 お陰様で・・・

 先の日曜日、お陰様で・・・・、


  1・2級

 
 一寸安心しました(一応、2クラス優勝させていただきました)。

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2012/10
27
[ #432 ]

日本の酒のはなし 2

 前回、魏志東夷伝倭人の章で書かれている酒は、口噛みの酒の可能性が高いのでは?なんて書いて尻切れトンボにしていたのですが・・・、何故そう想うのか?という事です。


 先ず我が国(日本列島)に米造りが如何なる形で伝播したか?という事ですが、現在、大きく分けて2つのルートが言われている様に想えます(勿論細かくいいますと、幾らでも細分化出来そうですが・・・)。

 その2つ、中国南部等からの直接的伝播、朝鮮半島周辺経由の伝播、と言えそうです。
 それぞれどういった理由、経路でそうなったのか?



 ここで一寸話が横道に逸れますが・・・。

 そもそも倭人とは何ぞや?という事。

 どうも漢書辺りに記される倭人とは、日本列島に居住する人々とは思えません。

 此処から私の妄想が広がります・・・。

 古い時代に中国で倭人と認識されていたのは、揚子江周辺、雲南省辺りの米作民族の様に想えます。
 そしてその倭人、黄河文明”周”の拡大(南下)等に拠り南に移住を余儀なくされ、福建省とか現在のベトナム(越)方面へ移動。ここから琉球弧等を通って米作が伝播したルート。或いは揚子江南部から船で直に。


 もう一つ、雲南周辺に留まった初期の倭人が後に”呉”に吸収され、その後、呉の滅亡と共に遼東半島経由~朝鮮半島経由にて日本列島に至るルート、それに拠り米作や酒造技術が伝播したと想えるルート。

 勿論他にも色々有りそうですが・・・。

 例えば始皇帝の秦の中国統一の過程に拠る迫害や混乱圧迫等(また、その前の春秋戦国の混乱)から逃れ、大量に日本列島への渡来が有ったのは事実でしょう・・・。
 更に徐福に率いられた秦人の大量移住・・・。(5世紀にも有ったとか・・・)


 で、魏志東夷伝の酒を嗜む人々は?という話にもどしますと・・・。
 この人たちは結構南方(ルート)系の文化、遺伝子を色濃く伝える人々では無いかと思えるのです。

 それは同書にて倭人の風俗を記した部分、特に「男子は鯨面・分身し~」辺り・・・(他にも色々有りますが・・・)。
 この鯨面、顔にする刺青(彫り物)ですが、これってベトナム周辺等の山岳少数民族等に今でも有るとか、また南方系の海洋民族にも似た物が有ったり・・・。

 宮古とかの漁労民の各種の刺青なんてそんな物でしょう。
 古い時代の瀬戸内の漁労民等にも有ったようですし・・。
 (海の龍=出雲神話のワニ=鮫、避けの意とかも在るのでしょう・・・・)

 かなり短絡的ですが、この辺りから当時日本列島に居住していた倭人、南方の影響が濃く想われます。

 で、この南方文化の米作の酒、やはり口噛みの酒の可能性が高い気がするのです。


 沖縄(琉球)や奄美では、祭等で出される酒、神酒(噛み酒)にはその文化も伝承されているようですし・・・。

 また本土でも、祭の酒は元々噛み酒であったという話も有りますし・・・。

 そういえば古事記辺りにも噛み酒の記述は残っていた様な・・・(一寸記憶があいまいですが、申し訳ない)。



 この噛み酒、飯を口で噛み(アミラーゼに拠り澱粉を糖化)、それを吐き出した物を集めて発酵させて造るのですが・・・・(そこで、米を長い時間噛み続けると痛くなる場所が、”こめかみ”)。
 現代だと、えっ?人が一度口に入れた物を飲むの? なんてなりそうです・・・。

 ん~。確かに・・・。

 でもだからこそ米を噛む役目は(恐らくは美しい)処女(おとめ)だったのでしょう・・・。
 そういえば西洋でも、収穫したワインを足で踏むのは、処女(おとめ)の役割でしたしね・・・。
 (何処かのワイナリーで女子高校生足踏みのワインなんて出したら、マニアに受けそうな気もしますが?食品衛生法に引っかかるか?それ以前に世論に叩かれる? 笑 )


 相変わらず話が脱線気味。放って置くと卑弥呼が~邪馬台国が~、なんてなりそうなのでこの辺りで・・・。


 まあそんなこんなで魏志東夷伝の酒は口噛みの米の酒では無いかと想っているのです。


  

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