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2013/04
03
[ #479 ]

花を横目に・・・

 久々まともにバイクに跨りました。

 冬の間はメンテの都合で跨るか近所に出かける程度で、まともに跨るのは4ヶ月振り位といった具合。
 乗り方を忘れてしまいそうで、本格的に暖かくなって来た事もあり、車庫から引っ張り出してやる事にした訳です。


 基本的に夜行性の私ですので、少し遅めに家を出・・・、気の向くままに向かった先は・・・。


 橋

 音戸町です。


 第二音戸大橋開通の報を耳にし、一寸眺めにと言った具合です。
 2本の音戸の橋を近くで見ますと・・・・。


 橋2




 せっかくここに来ましたので、気になっていました旧音戸(隠渡)遊郭の大門の痕跡を探したのですが、結局見つける事は叶わず(地元の方に大体の場所をお聞きしたのですが・・・・、センス無いのかな?)。


 気を取り直し、そこから南に向かいバイクを走らせます。 

 倉橋の南端、鹿島辺りへ・・・。

 倉橋島、至る所に桜やこぶしが花開いており、それを目の端に捕らえながらの走行、瀬戸内の島々、結構桜が植えてあるのです。


 この辺り、若い頃に良く水上オートバイで来ていました。

 音戸大橋やこの橋の下も良く通った物です。


 堀切橋



 閑話休題、鹿島周辺は古くからの重要な港。

 地理的位置、地形に鑑みてもそれは想えますし、室尾なんて地名もそれを象徴している様に思えます。
 (瀬戸内、室の付く地名が多く・・・、室尾、室津、室積、沖家室・・・。それらは昔、街道筋に駅が設置された物の海版という事でしょう・・)


 バイクを止めたのは、宮ノ口という鹿島の突端の集落。

 典型的な漁村集落といった風情ですが、想った以上に活気が有ると言いますか、子供たちが遊んでいたり釣りをしていたり。
 海の傍で育った私としては何とも癒される空気感です。
 

 宮ノ口2


 また、立派な段々畑も在ります。


宮ノ口

 こうした段々畑や棚田が私としては「美しい日本」の風景の代表的な物に想えるのです・・・。


 長居はせずにUターン、鹿老渡~室尾の街並みも少し眺めさせて戴きます。


 鹿老渡は、こんな感じ・・・。

 鹿老渡  鹿老渡2  鹿老渡3

 廻船で栄えた名残をなまこ壁に感じます。


 室尾では・・・。

 室尾  室尾2

 海端の集落らしく迷路のように小道が入り組み、いかにもといった雰囲気です。


 また、各所とも漁村集落らしく・・・・。


 見返り美猫  猫会議

 こんな物にも出会えます。(何、撮ってるんだか・・・)



 そうこうしている内に小腹もすきましたので、此処まで走って昼食(カレー)とすることに。


 術科学校桜

 海自、第1術科学校の一般公開です。


 此処を訪れるのは、義務教育(小学校)時代の社会見学以来ですかね・・・。



 是を観るのも久々です。

 特殊潜航艇



 他こんな物も

 45口径40cm



 また教育参考館も見学、内部には東郷平八郎元帥の遺髪が(御神体として?)奉られているそうです。

 たまにはこうした場所を訪れ、色々考える事もよいかも知れません。


 その後は倉橋南端の鹿島とは逆に、江田北端の切串迄走って帰宅。
 
 今シーズンの乗り始めはこんな感じ。

 未だ本調子ではない感じで、一寸、恐々走って来ました。

 
 
 
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2013/04
05
[ #480 ]

EDITH PIAF

 アマーリア ~ ひばり ~ ビリー=ホリデー と続けますと次はどうしても・・・、


           PIAF.jpg

 EDITH PIAF 
 

 エディット=ピアフ。 一般的ベスト盤です・・・。

 何年か前にドキュメンタリータッチの映画も製作され、観に行きました。


 この50年代という時代、各国を代表するような大衆歌謡の女王といった人が存在し、またその知名度、歌われる楽曲の浸透具合も相当に高い時代であった様に想われます。

 最近は結構売れている歌手でも、興味の無い人には殆ど知られてなかったりします物ね。
 (特に私は殆どTVの歌番組等を見ない所為か、名前・顔・楽曲が一致する最近の歌い手さんが殆どいません・・・。)

 当時の社会情勢にも因るのでしょう(例えば人が耳にする音楽ソースの殆どが、ラジオとレコードという時代で有ったとか・・・)。
 また音楽に限らずその後の時代は物(商品)に対する人々の価値観が多様化した時代となり、世界的知名度の”スター”という物も誕生し辛くなくなったですしね。
 (そうした意味で世界的知名度を有する最後のミュージシャンはビートルズですかね?或いはM=ジャクソン?)



 閑話休題、ピアフですが、当時からビリー=ホリデーと比較されたりもされる存在であった様にも思えます。

 2人ともある種の暗さ、哀愁といった物を感じさせる存在ですし、歌声ですし。同じ1915年生まれという事もあったのかも知れません。
 また共にアメリカ、フランスという所謂”自由”を標榜する国の代表的女性シンガーでもありますしね。

 しかし、この二人の歌唱から受ける印象はずいぶんと異なります。
 まあ、ジャズ、シャンソン(フランス大衆歌謡)という違いが有りますので、当然といえば当然なのですが。


 そこで私がピアフのCDを聞いて受ける印象というのは、一言「切迫感」ですね。

 特に彼女の代表曲の一つでもあります「LA VIE EN ROSE」(邦題、バラ色の人生)等びに特にその印象が強いです。

 この曲、多くの人がカヴァーもしている曲ですが・・・。

 例えば・・・、サッチモ等の歌声で聞きますと、確かにある種の哀愁という物もありますが、歌詞の内容のように(辛い日々だけど?)あなたが私の側にいるから、私の人生はバラ色・・・。と聞こえるのです・・・。
 これがピアフの歌唱で聞きますと、あなたがいなくなると私は手首を切りますよ・・・。といった感じに聞こえてしまうのです。  (笑)
 (曲自体が第二次大戦中の暗い時代に作られた物という事も有るのかも知れませんが・・・。)


 もしかするとこの切迫感こそがピアフの最大の個性かも知れませんし、またフランスの自由がもたらした物なのか?等と想ってしまいます。

 ビリー=ホリディも、色々と幸福とはいえない幼少期を過ごした様ですし、ピアフも娼家で育つとか、失明の体験が有るとか幸福とはいえない幼少期をすごした様ですが・・・・。

 私の勝手な想像(妄想)ですが・・・。

 ビリー=ホリディの場合、その原因を肌の色に起因する物等に転化出来る訳ですが、ピアフの場合にはそれが出来にくいのでは?等と想ったりします。

 つまり、現在の自分の有り様は、全て自らに由すると想わざるを得ない、と言いますか。

 この辺りがもしかするとピアフの切迫感、或いは自由の国フランスの空気の一つなのか?と想ったりもする訳です(サガンにも有りそうな・・・)。

 相変わらずの戯言です。

 

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2013/04
08
[ #481 ]

店の花見

 今年も店の花見を実施しました。


 風が強く、また気温も低く、雨も時たまぱらつく中での実施。
 桜は散っていたり、残っていたり。

 余りの寒にゆったりと椅子に腰掛ける余裕も無く、ひたすら呑み続けるという事態に・・・。

 また、主催者(私)が最も酔っ払っているという何とも情けない状況。
 散りはじめの桜やお酒、カメラに収めていたはずが何処に行ったやら・・・?唯一残って画像が・・・・。


 花びら


 という事で本日、片付けをしながら昨日消費したお酒を確認。

 こんな感じです。


 酒

 白ワインが三本。(ソアベ、甲州、アウスレーゼ)
 ボルドーの赤2本。
 酒が4合瓶6本(奥播磨3本、+竹鶴、弁天娘、中島屋)、一升瓶1本(富礼)
 ウイスキーが白州1本+ボウモア半本
 他ジン少々、カンボジアのビール、焼酎が宮崎の甕入り(京屋酒造甕雫)約4合?


 寒さの所為か燗酒、湯割りが人気だった様な・・・。


 更に、近所の居酒屋に場所を移し、2次回。
 酔っ払う筈です。


 でも来年もまた実施りたいです。

 

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2013/04
12
[ #482 ]

写真力

 何だかこの4月は寒くて天候も安定しませんね、先週末辺りから風も強く気温も低く雨もぱらつき・・・。

 その不安定な天気の中、こちらに行ってみました。


 美術館

 奥田元宋・小由女美術館

 天候は、しっかり雨(時々止む)



 雨


 気温も低め・・・。



 特別展示は、

 写真力

 篠山紀信 ”写真力”


 篠山紀信が取り立てて好きという訳では無いのですが、若かりし頃の70年代~80年代辺りは雑誌等のグラビア写真と言えば篠山紀信という時代であり。グラビア雑誌等殆ど買わない私ですらその名前は知っていました。
 で、少し気になりましたので。

 ポスターのジョン&ヨーコの写真にもやられましたかね・・・・。



 感想は?・・・・。

 もう一つ私好みでは無かったですかね・・・・。何処がドウとは言えないのですが・・・・(雨の平日にも係らず、入場者は多めでしたが・・・)。


 という事で、早々に帰宅する事に。


 しかしこの時期は、色々な処に色々のものが花開いていてドライブには良い季節かも知れません。
 
 三和~三次間の375沿いの桜。満開は過ぎて散り気味でしたが凄い数ですね。年々木の数が増えている様にも思えます。(敷名地区という場所ですか?)
 確かこの道が開通して20年余りと思えますが、そのときに植えられた桜が調度良い樹齢なのかも知れません。
 来年は盛りの時期に、ふらっと弁当でも携え訪れてみたいですね。


 桜


 他に豊栄の芝桜も、こちらは少し早かった気もしましたが、これも中々見事。

 芝桜
 

 若い頃には花に目が行く事も少なかったのですが、今年は何故か気になります。

 
 

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2013/04
17
[ #483 ]

美作辺り

 先日、両親を車に乗せて少しばかりのドライブ。
 昨年あたり二親とも入院する事も有ったのですが、少しは体調も戻って来たと聞き、花見がてら連れ出そうという算段。



 初めに車を止めたのは、備中高梁。
 城下町の空気の残る私好みの街。
 河岸とか港等、水の存在が感じられる場所がすきなのです。


 観光駐車場に復元された高瀬舟が展示してあります。
 
 高瀬舟

 川舟という事で平底です。

 20石位積めるのですかね・・・・。(30石か?)
 明治以降も鉄道網が整備されるまでは水運が日本各地で重要な役割を果たしていた筈です(現在はトラック輸送花盛りですが・・・)。


 街並みには立派な虫篭窓を備えた商家が見受けられます。
 街並み保存地区の紺屋川には、立派な柳の老木も・・・(桜は散り終わりといった感じでした・・・)。


 虫篭窓  柳


 
 そこから更に車を走らせ、次に停めたのは・・・。


 醍醐桜



 そう、醍醐桜です。
 
 醍醐桜2
  

 既にかなり散っていました・・・。

 ガイドブック等では4月中旬が見頃と有ったのですが今年は早いのですかね・・・・。

 醍醐桜の立っている場所かはなりの山奥、まさに隠里、隠谷といった風情の場所。
 此処を後醍醐天皇が歩かれたのですかね?
 それなりの街道が存在したという事なのでしょう・・・・。



 閑話休題、そこからこちら経由で・・・。


 勝山・河岸

 勝山、この河岸(船着場、雁木)の風情も好きですね。


 此処に宿泊。


 砂湯


 湯原温泉です。


 著名な温泉街の割りに私自身、宿泊(入浴)は初めて。

 此処の桜は咲いています。


 湯原・桜

 他の場所の桜とは種類が違うのですかね?同じソメイヨシノ系に見えるのですが・・・・。(醍醐桜は違う種類でしょうが・・・)

 

 で、湯原温泉の印象は?といいますと。

 昭和の40年代・50年代の団体旅行全盛期に繁盛した場所であろうという印象。
 平成になり会社等の団体旅行が下火に成るに伴い寂れて来た温泉街という感じですね。
 それはそれで風情を感じます。

 泊めていただきましたホテルも当時の高級(一流)ホテルといった印象。現在の目でみますと古さも感じますが、当時高級ホテルであった名残は十分感じられます。設備、料理、接客等も必要十分と思えますし、またリーズナブルな印象でした。
 

 また、有名な”砂湯”ですが・・・。

 事前の印象としては、ダムという人工物の直ぐ下の露天風呂。風情ってどうなのか?とか、泉質だって中国地方に良くあるアルカリ単純泉でしょ?等と想っていました。

 それでも何はとまれ入ってみない事にはと、夕食後暗くなって浸かってみますと・・・。


 暗さの所為で、ダムの存在は気に成りません。また、お湯が何とも気持ち良い。

 お尻の下、川原の砂(砂利)の間から湧き出て来る少しぬるめのやさしい湯、何時までも入っていたい気にさせられます。また当然の事ながら源泉掛け流しですので、やさしいだけでは無い存在感もあります。

 著名であるにはそれなりの理由があったのですね・・・(スペックとかカタログでは判らない面が温泉にはありそうです)。
 しかも無料開放。有難い事です。



 明けて翌日はこちらに・・・。


 がいせん桜

 新庄村のがいせん桜です。
 ここはノーチェックだったのですが、醍醐桜でお会いした方が「今、見頃で良いですよ」と教えて下さり立ち寄る事に・・・。


 見事です。ソメイヨシノが調度満開。(他の場所では既に散り終わりなのに何故?)
 また、街並みもよろし。

 新庄村、こうした場所(宿場町の遺功の残る場所)の様です。


 説明板

 
 更に川土手では枝垂れ桜が4分咲き。GW辺りまで楽しめるかも知れません。


 土手の枝垂れ

 天気も良く、感謝です。


 
 更にそこからこちらに・・・。


 津山城址


 津山城址、鶴山公園です。

 ここは桜祭りも終ってソメイヨシノも散り終わり(他の花はちらほらと咲き残っています)。


 鶴山公園・桜

 
 しかし津山城址、良いですね。

 立派な石垣もそうですし(よくもこんな山中に、このような大きな城を築いたものです)、市民に愛されている雰囲気もあります。
  

 石垣

 (この場所の石垣は400年の経年変化か、少し膨らんで来ている様にも思えます・・・)


 桜祭りも終わった後という事で人出も少なく、ありがたかったです。(祭りの後といった風情でした)


 そんなこんなで、岡山県北部の桜を何箇所か回ってみました。
 来年はバイクでも引っ張り出してみますかね。

 (この春は、桜ばかり追いかけている様な・・・・)
 
 
 

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2013/04
19
[ #484 ]

私が遊郭に惹かれる訳

 以前からこのブログを覗いて下さっている方やバカナリヤのカウンターに座られた方は、何故か私の話題が”昔の遊郭が云々~、色町が云々~、といった方向に行きたがる事と想っていらっしゃるのでは無いかと思います?


 バーのブログで色町が~、なんて事を書く必要も無いですし、バーのカウンターの話題が遊郭云々というのも変ですよね・・・。
 素直に酒の話でもしておけば良い訳で・・・・。

 何故、こんな事に成ってしまっているのか?言い訳がましいですが少しばかり記してみますと・・・。



 今から十数年前、店を開店した当時に良くして下さる日本料理屋の大将がいらっやいました。その方のお話で、
 「現在の日本料理の原点、基本的な形式という物は室町時代に成立した茶の湯の文化にあり、その茶の湯で供される料理、懐石料理(茶懐石)が基と成っている。
 またそこから日本料理というもの、その茶の湯の精神、哲学等を継承しつつ少しづつ進歩を続けて来ており、その先に現在の日本料理が在る。
 それ故に握りずし、天麩羅、すき焼き等、代表的和食とされる物も正当な日本料理の範疇に入るかというと微妙で有る、云々・・・。」
 といった事をお聞きし、私自身非常に納得する事もあり、感謝致しました。

 と同時に、では”日本のバーの原点となる物、あるいはその形式、哲学の原点となる物は何ぞや?”という疑問も抱いた訳です。(日本料理の茶懐石の様な物)
 
 そこで自分なりにバーの歴史等々に付いて調べてみたり、考察してみたり・・・と成るわけです。


 そこでバー(BAR)成立の歴史と云うものを簡単に纏めますと(少々、私の主観が入っているかも知れません)。
 
 17世紀前後より、西洋では”イン”と呼ばれるタイプの宿屋が増えてきます(現在でも、~インという名のビジネスホテルが多々有りますが、そのインですね)。
 そうしたインという言わば商人宿、馬車宿には当然の事ながら馬をつなぐための場所がありました(我が国でも本陣とか、大きな商家には馬繋ぎがありましたが、そうした物でしょう)。
 そうした馬をつなぐための横木(BAR)の側には、馬車の御者等が馬の様子を見ながら酒が飲める飲酒スペース成立した。それがバー(BAR)の語源・嚆矢と言われています。

 我が国で言うと、江戸期なら馬丁・馬子・駕篭かき・・・といった人々が一杯引っ掛ける立ち飲み屋、煮売り屋といった風情ですか?現在だと、色々の運転手さん御用達しの立ち飲み屋や”かくうち”ですかね?

 それが18世紀の後半に米国で、バーカウンターを挟んだ対面接客でカクテルを造り提供するという遣り方が成立し、それが19世紀頃に世界に拡がって行く。
 また、世界に拡がったバー(BAR)というものが各地に定着し、その土地の飲食文化等と習合しその国にあった形態・やり方に変化し現在にいたる。

 例えばスペイン等でBARと言うと”バル”と読み、カウンター主体の立ち飲み居酒屋といったスタイルが主流ですし、イタリアでは”バール”と読み、スタイルは様々ですがエスプレッソや酒、軽食を出す、いわば英国圏のパブ的な物が多い気もします・・。
 といった具合に・・・。


  バルにて   バールにて

 
 大雑把に書けばこういったところでしょうか。



 そして我が国のバー(BAR)ですが・・・。

 幕末から明治に架けて居留地等に住み着く西洋人が増え、当然そこには西洋風の酒場も出来る訳ですが、その後居留地の外の都市部や街場にも、それをまねて西洋風の酒場が造られる様に成る。

 そうして色々なスタイルの西洋風の酒場や飲食店が出来るようになるのですが、その中で昼間の営業に重きを置きコーヒーを主体にした物が、後の喫茶店となり。
 大箱でテーブル席主体の酒場が、ビアホール(後に所謂カフェーとか、キャバレーにも発展)となり。
 小箱でカウンター主体、日本伝統の接客文化(=それはとりもなおさず、茶の湯の精神・哲学・作法等)を習合して成立したのが、日本のバーであった。というのが大筋だと想います。


 そうしますと日本のバーの原点は、カウンター接客(確かにそれは、茶の湯の主客の関係に良く似ています)で、茶道・茶の湯の精神を基とするもの・・・。と成る訳でして・・・。

 日本料理同様に茶の湯が全ての基(あるいはその基となる禅の精神が全て)と成る訳ですよね。


 確かにそれはそれで納得出来るのですが・・・(確かに日本の接客業の全ての原点は茶の湯といっても良いとも思えますが)、少し物足りないといいますか。

 それは何かといいますと。


 やはり”バー”って。夜の世界に属する物。

 ある種(真っ当な?)料理屋とは違った夜の空気とか、遊びという言葉に象徴される香りと言いますか、歓楽街(盛り場)という言葉や飲み屋街という言葉から連想される雰囲気といった物が、もう一つ重要な要素として必要なのではないか?と想った訳です。


 ではその”遊びの世界”、”夜の世界”の基本となる形式の原点は何処に有るのか?等と考えますと・・。
 戦国末期から江戸の初期に於いて成立した”遊郭”の文化に求めるかとは出来ないのか?等と思い至った訳でして・・・(私が浮世絵に少しばかり惹かれていた所為かも知れません、歌麿なんて正に青楼画家ですしね・・・)。
 
 そうした訳で遊郭等に付いて一寸調べたりしてみますと・・・・・・・・コレが面白いのです。


 そして現在に至り、という次第です。 
 長くなりましたので、続きは次回に・・・・。


 ますた
 
 

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2013/04
22
[ #485 ]

蒸留酒のはなし 2

 前回、”蒸留酒は8世紀頃にアラビヤ(イスラム圏・中東・アレキサンドリア)で造られたのが嚆矢であろう・・・”何て事を書きましたが・・・。
 現在著名な蒸留酒、ウイスキーにしろブランデーにしろジンにしろ生産地はキリスト教圏が主流ですが、誕生した当時はそうでは無かったという事ですよね。


 ではキリスト教における酒の位置づけ、飲酒の位置づけってどうなのか?

 基本的に宗教全般(特に一神教)、飲酒、特に”酔っ払う”事には否定的です。ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ・・・。仏教だって基本的には否定的。

 酔っ払う事に肯定的なのはアニミズム(精霊信仰)の世界。酔っ払う(泥酔する)事は神々(精霊、あちらの物)に同化する事でしょう・・・。


 そこでキリスト教・・・( かなり私の主観も入りますが・・・)。

 元々キリスト教は紀元前後にローマ帝国のシナイ半島周辺で誕生する訳ですよね。
 何故なのか?

 当時のローマは有る面、最盛期な訳です。その中心地であるローマと東方の貿易路となるのがシナイ半島辺り。拠ってその周辺は非常に商業主義的に発展するのですが、その分貧富の差も拡大する。

 そしてこの必要以上の貧富の差の拡大は、やはり不自然な訳です(あるいは多くの人々が不条理に感ずる)。
 社会も混乱するし、庶民の不平不満も高まるし、社会全体も不安定になり、絶望も拡がる・・・。

 そうした社会情勢故に自然回帰的な平等を訴えるキリスト(教)が、人々に評価され広まるという事も起きるわけで・・・。(それは後にメッカで、イスラム教が起きる事と同じ意味でしょう・・・)

 それ故当時の(古い)キリスト教、少々極論な言い方ですが不自然な物事(文明・科学等)には否定的ですよね。
 それは文明・不自然さの象徴ともいえる貨幣に対する捉え方にも現れているとも思えます。
 (基本的に中世までのキリスト教、利子を取って金を貸す事、必要以上の蓄財は悪い事であるとしている訳で・・・)

 
 前置きが長くなりましたが・・・。古いキリスト教圏、基本的に科学や文明の不自然な発達にはある種否定的。
 拠って、科学の生み出した蒸留酒にも否定的です。(でした)
 その所為か、今でもカトリック等の強い地域などでは、アルコール=蒸留酒=余り飲んではいけない物とする感覚は強い様に思えます。

 逆に醸造酒は、ビール=液体のパン。ワイン=キリストの血=自然の恵み。といった捕らえ方で肯定的。
 故に(今は変わったかも知れませんが)高速道路のSA等でもビール等は売っていました。

 また、(自宅等で)一人で酒を飲んで酔っ払うという行為に対しても、否定的。

 そして中世等では蒸留酒やその発展型のリキュール等を扱える人間は、医師とか、占星術師とか、ある種の教会、修道院等、特殊な人々に限られていた訳ですよね。


 では、蒸留酒を生み出したアラビヤやイスラム教ではどうなのか?(少々私の想像も入りますが・・・・・)

 イスラム教も誕生した当初は、飲酒(醸造酒を飲むこと)という行為に対してそれほど否定的、厳しくは無かった様に思えます。ただし、酔っ払う(泥酔する)事は禁忌。
 それは現在のイスラム教でも世俗派等はそうした捕らえ方をしている面も有るようです。

 ただ、蒸留酒(ラキ・ラク)の誕生により泥酔してしまう人間が増加し、社会問題化した面が有るのでは?と思えるのです。   
 その結果、飲酒自体を禁忌とする方向に解釈が進んでいく、あるいはそうした解釈が力を持つという方向に。

 ”ルバイヤート”に登場する酒に関する詩を読んだりすると、そう思えて仕方ないのです・・・。

 勿論、砂漠という厳しい環境がイスラム教を厳しくしていった面もあるかでしょうが・・・。

 
 どちらにしろ近代の萌芽以前は、蒸留酒はある種特殊な酒で(特に中世ヨーロッパでは)禁忌対象であったと観ても良いと想えるのです。


 
 

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2013/04
26
[ #486 ]

少々疲れましたが・・・

 基本的にはイベントやテーマパークといった人の多い場所は苦手なのですが、連れ合いが前売り券購入済みといいますし、また地元でもありますので一寸覗いて来ました。

 開催中の”ひろしま菓子博”

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