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2013/05
02
[ #488 ]

映画 「天使の分け前」 The ENGEL'S SHARE

 映画「天使の分け前」を観て参りました。


     天使の分け前


 職業柄(シングルモルト売らせて頂く事の多いバーテンダーとしては)観て置かない訳にはいけない映画であろうと時間を捻出し・・・・。


 シングルモルト・ウイスキーが前面に出る映画という物も珍しく、映画内でもグレンゴインの蒸留所美しい内部であるとか、バルブレア蒸留所の年代物(恐らく19世紀の物)の建物等が登場し、モルトウイスキーに興味が有る方、お酒好きの方には興味惹かれる映画であろうと想われました。


 では、映画全体の感想としてはどうであったか?

 全体を通しての印象は、やや統一感に欠けると言いますか、消化不良の印象。

 前半、特にオープニングの少年審判から~主人公に子供ができ~、といった辺りはスコットランド、あるいは英国圏の若者の置かれた現状、あるいはその厳しさの様な物が感じられ、緊張感が有ります。
 (英国圏で、”貧しい家庭やあるいは都市部のそうした家庭の多い地域で生まれ育った多くの若者には、まともな生活を送るチャンス、可能性、希望といった物はかなり少なく思える”、といった現状。先日なくなられた元英国首相のサッチャー女史の行ったサッチャリズム、あるいはほぼ同時に米国で行われたレーガノミクス。これらの負の遺産の現状とも言える物が垣間見える前半です。また、これを観ますと我が国の現状、及び未来といった事も考えさせられます。)


 それに比べると、後半~ラストはいかにも中途半端。コミカルさも中途半端ですし・・・。


 実はこの映画に関しては、鑑賞前に”不良少年がウイスキー造り通して人間的に成長し大人になって行く”といったストーリーを想像していたのですが、(後半の展開は)少しばかり違っておりました。


 では何故、私がそう思い込んでいたのか。

 (シングルモルト)ウイスキーというというもの(ワインや日本酒だってそうですが)、やんちゃで未完成な原酒が熟成により味わいのある酒に変わっていく事に一つの魅力があると思えます。
 正に人間の成長の様に・・・。

 ウイスキーのニューポッドにしろ、出来立てのワインにしろ日本酒にしろ、新酒の時には少々尖がり過ぎて灰汁の強いくらいの物の方が長期の熟成に耐え、よい物に仕上がって行く事が多いように思えます。

 逆に新酒の時から飲みやすい、若飲みに適した物は時間に負けてしまう事が多い様にも・・・。

 
 この、ボディー感が強く渋み等の個性の強い(強すぎる)原酒が、樽の力や時間の力、樽が置かれた環境の力等により味わいを深めてゆく。
 これが、ウイスキーも含めた酒(オールドヨーロッパの酒文化)の魅力でも有った筈ですし、シングルモルトの最大の魅力であったとも思えるのですが・・・。
 (故に、不良少年の成長譚として描かれた映画であろうと想像していたのです・・・)

 そうなりますとこの映画、その成長の以前で終了。
 


 映画の中で登場するモルトミルのレア物の樽、及びそのオークション付けられる高値・・・・等々に鑑みますとこの映画、シングルモルト・スコッチウイスキーが商業主義に取り込まれている事、現状に対し皮肉っている面も有るのかも知れません・・・。
 しかしそうなると、それはそれでやはり少々分裂症気味にも思えます・・・。


 どちちらにしろ私としては少々消化不良(まあそれも含め色々考えるのも楽しくは有りますが)。

 どうせなら”トレイン・スポッティング”位に突き放した明るさが有った方が、スッキリする気がしました・・・。


 
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2013/05
05
[ #489 ]

島根半島辺り

 先日も愛用のバイクに跨り、一人無意味に走り回っていました。


 何処に向かったのか?

 9時過ぎに家を出GSでタンクを満たし・・・北方面へ。
 フライトロード~フラワーロードと繋いで庄原市へ、此処でトイレ休憩。結構気温が低くトイレが近くなります。

 しかしこれは序の口。庄原から432号を北上し始めてまもなく路面がウエットに、更に目の前にPC。
 路肩に設置された寒暖計は”11℃”。
 ペースを上げる事も出来ず、指先が凍えてきます(冬用のグローブなんてしていません)。

 高速の尾道~松江道が、三次から北へ無料区間大半で開通した事は聞き及んでおりましたが、GWに対面通行の高速道路の渋滞・ノロノロはゾッとしないとあえて一般道を選択したのですが、まさかのウエット路面&低温。
 トイレ休憩が多くなります。


 閑話休題、何処を目的地に設定していたか?といいますと。


 先ずは、米子市の灘町辺りにバイクを止めてみます。
 此処は米子城址の直ぐ北。米子湾からの運河沿い、船着場であった場所。


 運河沿い

 当時の面影が偲ばれます。

 後藤家という立派な商家の建物も保存されています。

 後藤家


 更にこの辺りは、昔は色町でもあった場所(遊郭地)でも有るのです。

 という事で、一時間程周辺を徘徊(相変わらず怪しい中年です)。


 花園町3 

 弁天湯

 この銭湯の”弁天湯”なんて名前もそれらしいです。


 雰囲気の有る建物が結構残っているという噂を小耳に挟んでいたのですが、余り残っていないですね。
 その分空き地等が増えている様子。
 町全体に漂う雰囲気は確かにそれらしいのですが・・・・(こうした場所の建物、多くは20世紀末で期限切れなのかも知れません)。


 しいて挙げればこんな感じ・・・。

 花園町1  花園町2  花園町4


 という事で次へと移動。





 石畳

 (著名な青の海石の石畳の路地)

 こちら美保関です(そしてまた此処も昔遊郭の有った場所)、美保館という見事なつくりの旅館が健在です。


 美保館表

 裏(路地側)には立派な唐破風も有ります。


 美保館裏


 更にこんな物も。

 潜り通路

 建物を貫通した通路(路地)(何箇所かこうした物があり、興味深いです)、チャンスがあれば一度宿泊してみたいものです・・・。



 しかし美保関、歴史有る港町としての空気が街全体に漂っています。
 非常に私好み。
 先日訪れた醍醐桜の後醍醐天皇との関わりもありますし、後鳥羽上皇とも・・・。


 美保神社も見事です・・・。


 巫女

 (巫女さんは関係ないか・・・?)


 また、仏谷寺にはこんな物も・・・。


 吉三地蔵

 八百屋お七の恋人、”吉三”の墓。


 他、こんな建物等・・・。

 美保神社横
 

 しばらく街並み等徘徊&軽く食事も済ませて次に移動・・・(もう一度ゆっくり歩いてみたい街並みです)。



 次にバイクを止めたのは・・・・。

 本陣記念館

 平田本陣記念館。


 ここは以前、浮世絵展を観に来た事がありますので2度目の訪問です。

 今回の企画展示はこれ。


 日本のポスター芸術
  
 「日本のポスター芸術」  展


 明治中期から戦前の酒類を中心とした飲料ポスターの展示です。
 職業柄非常に興味を惹かれる展示という事で、これ故島根半島方面を目的地に設定した訳です。


 展示内容ですが、点数はそれほど多く無いですが、非常に興味深く鑑賞させていただきました。

 感じた事も多く有ります・・・・。例えば・・・・、
 明治中期~戦前といいますと、19世紀の終わり頃から20世紀初頭。
 ヨーロッパ、パリでは世紀末の爛熟からベルエポックの時代。
 その影響は明らかにありそうです(アール・ヌーヴォー~の時代)。

 また昔学校で”戦前は軍国主義で、暗い時代であった”と習った記憶が在るのですが、こうしたポスターを観ますとまた違った印象を持ちます。

 言ってみれば、大正ロマン~昭和モダンの時代。
 
 明治後半から戦局の悪化が顕在化するまでは、実は結構バヴリーな時代では無かったのか?という事(遊郭等も盛んに造られた時期ですし・・・・)。

 近代戦という物、壮大な経済活動・消費活動な訳で(それこそ軍用艦・軍用車・軍用機・軍服・装備品等フル生産体制)・・・、景気が悪い筈は無いですし(国家財政は逼迫するでしょうが)正にバブル的であった気がします。

 
 それ以外にも、西洋国家同様に製糖会社がラム酒を造っていたり、またそれが海軍ご用達と広告していたり・・・。

 興味深い展示でした(数年後には広島にも巡回してきますかね?その折は再訪したいです)。


 一通り観させていただき帰路に(書士の方が大判のポスターを下さると謂われたのですが、何せオートバイ、積む場所が無いので泣く泣く断念)。
 
 復路も往路と同様な理由で一般道(54~375)を選択。

 一寸、車が多く選択ミスだったかも知れませんが(まあGWですし仕方ないですかね)(また、寒かったですが)、19時過ぎには無事帰宅。


 トータル約550㌔?。
 心地よい疲労で、一寸元気回復かも知れません。

 (しかし例年この時期には同じような事ばかり書いている様な・・・・、私も進歩の無い人間ですな)。
 

 

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2013/05
10
[ #491 ]

梅酒

 先日あるお客様から梅の実を戴きました(ありがたい事です)。
 そこで梅酒を漬けてみる事に(自宅用)。


  確か三年ほど前にも造った覚えが有りその時にはベースとなる酒をグラッパ&泡盛としましたが、今回はジンとしてみました。
 果たして如何な事にあい成りますやら・・・。


 梅酒

 

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2013/05
14
[ #492 ]

CHARLIE PARKER

 前回ピアフの歌声に切迫感を感じると書きましたが、この演奏にも切迫感を感じます。


          parkar.jpg

 CHARLIE PARKER  「at BIRDLAND and CAFE SOCIETY」


 言わずと知れたモダンジャズ  ビ バップ の創始者チャーリー・パーカー。

 このCD、前半の5曲が1952年終わり頃のバードランドでの演奏、後半が1950年のカフェソサイエティーの演奏ですので晩年のライブ演奏です。
 それ故かジャケットの彼の姿もかなりくたびれている印象を受けます。聞いた話では34歳で亡くなった時には一見60代に見えたとか・・・・。
 アルコールやドラッグはそうした状況をもたらし易い様です。
 また、目つきもかなり怪しく見受けられます。


 またこのCD、それこそ ”BIRD in BIRDLAND”。
 彼の名を冠したジャズクラブ”バードランド”で彼が演奏しているCDなのですが、このバードランド、彼の名を冠してオープンした割には、彼には名前の使用料その他一銭も支払われていないとか。この辺りにも当時彼の置かれていた立場を斟酌出来そうです。
 重ねて言えば、当時米国における黒人ジャズミュージシャンの置かれていた立場、状況が推し量れる気がします。(米国というと、やたら著作権等に対して五月蝿い印象が有りますが、有色人種はその範疇に入らないのかも知れません)(また故にこの当時から、ヨーロッパで活動する黒人ジャズミュージシャンも出てくるのでしょう・・・)


 閑話休題、収録されております演奏ですが、晩年という事も有るのかやはりある種の切迫感を感じてしまいます。

 何故かそうした印象を受けるのか?
 想うにチャリー・パーカーの演奏、凄く(実際以上に)早く感じるのです、コードの変化もやたら頻繁ですし。
 もしかしたら彼は他者に比べ少しばかり体内時計が早く動いているのでは?等と思わされます。

 またもう一つ、正規のタイミング、バックの演奏に比べほんの僅かですが、早め早めに音を出している様に聞こえます。この早目はやめのタイミングの演奏が、ある種急かされている印象を聞き手(私に)与えるのかも知れません。
 この少しばかり聞き手を急かす感じ、これが切迫感を与える印象に繋がっている様に思えます。

 
 事実チャーリー・パーカー、若くしてジャズの第一人者となり34歳で他界する訳ですから、正に生き急いだ人生、切迫感を持った人生であったのかも知れません。

 (彼の事を描いた”BIRD”という映画では、子供のような素直さを持ち続けた人間という見方で描いている印象でしたが、その辺りはアル中由来の物とも思える気もします・・・)


 相変わらずの言いたい放題です。

  
 

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2013/05
17
[ #493 ]

Alfons Maria Mucha

 廿日市の”海の見える杜美術館”でこの様な展示を観て来ました。


       ミュシャ


  知られざるミュシャ展    ー 故国モラヴィアと栄光のパリ ー


 ミュシャという作家及びその作品群に対しそれ程思い入れが有る訳では無いのですが、彼の活躍した19世紀末のパリの風俗事象には興味を惹かれる物が有りまして・・・(そういえば、他にも大規模なミュシャの巡回展が行われているそうで、流行なのですかね?)。


 19世紀末のパリ、一般に「世紀末」と呼ばれる社会風潮、社会状況、文化・・・。
 フランス第三共和制のもと産業革命が進み、蒸気機関、電気、ガスといった科学技術や近代文明の普及に拠り生み出された数々の事象、等々・・・。又それはパリ市民という都市生活者に余暇余裕ももたらし、そこに生まれた演劇、アート、グルメブーム、旅行ブーム、3度の万博、デパート、バーゲン、キャバレー、商業雑誌、等々・・・。 
 その、喧騒・軽薄・過剰・・・。
 又、爛熟・退廃と呼ばれる世相。
 未来が提供され、夢見られる時代。 
 更に、近代文明の生み出す圧倒的力と利便性(あるいは未来)に対する、漠然とした不安も生まれた時代(それは、後に訪れる2度の世界大戦で具現化する訳です)。

 そしてそれは我が国戦後の、高度成長~バブルの発生と終焉~現代という時代の雛形、メルクマールとも言えそうです。
 (尤も当時の日本も明治後半から、成金の誕生、大正ロマン、昭和モダンとその影響は受けていた訳ですが・・・。)(観光旅行ブーム、遊郭地設立ブーム?等も・・・)



 閑話休題、展示内容ですが・・・。

 会場である”海の見える杜美術館”、どちらかといえば小規模な美術館という事で、実はそれ程期待せずに出かけた訳なのですが、これが結構な数(160余り)の作品が展示して有りまして、良い意味で期待を裏切られました。
 全体を6つの作品群に分け、その頭にそれぞれのパートの解説文を付けるといった遣り方で、個々の作品に対して細かい解説は付属はしないのですが、これはこれで展示内容と相性が良い印象でした。


 しかしミュシャの作品ばかりをこれだけの数見続けるのは、かなりの体力・精神力のいる作業にも思えたのも事実。
 ミュシャの作品、特にパリ時代以降の物は一枚でもかなりの存在感があります(数々の意匠や象徴、情報等が盛り込まれている故か?)。
 途中からはなんとなく胸焼けがするといいますか、気持ち悪くなると言いますか・・・・。一寸ミュシャに当てられた印象。結構疲れました。


 という事で?この美術館の2Fにありますカフェのデッキスペースで寛がせていただきますことに。


 天気さえ良ければ非常に心地よいスペース。ロケーションも良く、お気に入りです。


 宮島  ウッドデッキ  手すりが少々目障りでは有りますが・・・・。


 この日は、この展示に併せて造られたケーキとコーヒーをいただきました。
 普段、私は余りデザート等を頼まずにコーヒーのみという事が多いのですが、少し気になったのです。

 これがまた素晴らしく良い感じの物で、非常に満足感が高かったですね。嬉しい驚きでした。
 凄く贅沢をさせていただいた気持ちになったスイーツでした。
 一寸、嬉しかったです。

 鑑賞疲れも少し解消です・・・。

 

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2013/05
19
[ #494 ]

私が遊郭に惹かれる訳 (2)

 前回、日本の歓楽街や飲み屋街で行われている「遊び」は、16世紀末頃から成立した「遊郭」にその基本形が見出せるのでは?等と考え、遊郭の事を調べ始めそれに興味を惹かれるように成った・・・。
 といった様な事を書いたのですが。


 では、そもそも「遊び」とは何なのか?

 等と書きますと、「遊び?そんな物、”飲む・打つ・買う”に決まってるだろ、それ以上面倒くさい事を考えてどうする?」といった事を言われそうです。
 確かにそれはそれで(飲む・打つ・買う)も良いのですが、やはり少々物足りない。


 ”飲む・打つ・買う”以外にも遊びの範疇に入る物事も多そうです。例えば子供時分にした遊びは飲む・打つ・買うでは無かったですし、また犬や猫等のペットを飼われた経験の有る方であれば、犬や猫も遊ぶ事(あるいはそう見える事)は経験されているでしょう。TV等の動物ドキュメンタリー等見ても殆どの哺乳類は遊びをしている様に見えますしね。
 では、そうした「遊び」の根源的定義は何か?と考えますと・・・・。


 それはやはり「非実利的な行動」と言えそうな気がします。(無駄な事)


 本来、動物(生き物)の究極の目的は、生まれ~成長し~子孫を残す事。その為の行為、それに繋がる行為、これが実利的行為でしょうが、詰まり・・・・。
 食べる、寝る、異性を得るための行為&交尾。
 詰まりはこれらに直接係らない行為が本来の「遊び」である様に思えます。

 そしてこの”遊びの非実利的で有る事”、これが重要に思えます。損なこと、無駄な事。またそれは江戸文化で言われるところの”粋(イキ)”という言葉にも繋がっているようにも思えます。

 ホモサピエンスが生まれ~農耕が始まり~都市のような物も成立し~役所のような物も出来。その後宮仕えといった事も始まるのでしょうが、宮仕え=詰まりは”仕事(つかえること)”といった事をして生きなければいけない人々が増えてくる、こうなると、有る面仕事に直接関係の無い行為=遊びとも成るのでしょう・・・。
 現代では農耕以前の様な生き方、例えば海で貝を拾ったりして生計を立てたりする行為=採集的漁労等の行為を、遊戯的漁労と表現したりするのもそうした意味で興味深く思えます。


 閑話休題、仕事、宮仕え等は、やはり生き物としてやや不自然な行為に思えるのですよね。
 成人したオス、つまり大人の男が狭い空間に集まっているという時点で。

 野生等だと争いが増えそうです。
 まあ野生だとこの争いを減じるために順位付けが起きるのでしょう、そして人間の社会、会社等でもそのために地位や肩書きで順位付けをしているとも言えそうです・・・・。

 それでもやはりギスギスはしそうですよね?出世欲なんてのも有りそうですし。

 この(古代に役所なんて物が出来た)頃から既に、出所が面倒くさいなんて話も生まれて来た様で・・・。
 そうした事を想うと、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さえこそ揺るがれる」の歌も興味深く聞こえます・・・。


 それはそれとして、そこで生み出されたのが「社交」という行為。

 端的に言えば他者に対して悪意が無い事、敵対心がない事を証明する行為。

 例えば、歳暮や中元といった行為も典型的社交でしょうし。
 詰まり他者に物を提供するといった、損をするといった行為により関係性を良好にする事。
 まあ、あまり激しくなりますと北米ネイティヴのポトラッチでは無いですが、より損をする事に拠り相手より上の立場に立とうとする方向にエスカレートしたり・・・。(また故に贈り物は余り高価ではいけない訳で・・)


 一寸話がずれた気もしますが、兎に角そうした形で社交的行為が生まれたのでしょう・・・。
 例えば上司や同僚を自らの屋敷に招いて”もてなす”といった行為が・・・。
 それがもっと大規模で公な行為になれば、他国の要人、使節等を宮殿でもてなすといった行為になる訳で。例えば首里城の広場なんて典型的そうした場所でしょうし、沖縄舞踊の原点もそうでしょうしその踊り子等も、舞妓・遊女の原点の一例とも思えます・・・・。

 そうして上司や同僚、ライバル等を自らの屋敷に招いてもてなしの行為をする訳ですが・・・。
 そこで行われるのは、先ずは酒食の提供。
 これは贈り物同様、損をする行為と同時に、食事という本能的行為を共にするという事で仲間意識を育む面も有るのでしょう。
 そしてそれ以外には、俗に言う歌舞音曲、琴棋書画。 
 
 共に歌い踊る、あるいは歌舞音曲を提供する。
 双五六や囲碁のゲームを共にする、あるいは共に書画をしたためたり鑑賞し会話する・・・。
 こうした行為に拠り、相手の性格、本性、知性等が窺えるという事なのでしょう。


 此処で、「飲む・打つ・買う」的な話。

 人の性根を観るには、共に酒を飲む、マージャン等のゲームや博打をしてみる、共に女を買いに行く。これが最も判り易いというのは良く言われる事です。ではそこで、性根のどういうところを観ているのか?
 それはやはり卑怯者では無いところでしょう。わが身大切では無いところ、といっても良いかも知れません。
 違う言い方をすれば、勝つため、実利のため、金のためには手段を選ばないような相手は信用出来ない。という事かも知れません・・・・。
 詰まりは負け様の美しさの様な物・・・。(ゴルフなんてのもそうした意味で行われて来た面も有るでしょう・・・)

 
 何だか、遊郭等の話からはずれて来ましたが・・・・。
 で、もう一つの歌舞音曲を提供するという方。

 これを行う(舞う、音曲を奏でる・・・)のは、招いた屋敷の主、及びその女房連の役割でしょうが、場合によっては主や女房連中が、客の所望するそうした物が苦手な場合だって出て来る訳で・・・。といいますか、全員が全員、歌舞音曲の名手で有るわけも無いでしょう(まあだからこそ、上手な人はもてたりするのでしょうが)。
 で、そうした場合には、その上手な方(歌舞音曲のエキスパート)に手伝っていただく。
 
 この辺りが遊女(遊君・太夫)の嚆矢でしょう。(今でも、日本の伝統芸能の名取等を~太夫というのもその延長線でしょう)

 そしてこの場合、遊女に礼をするのは、招かれた客では無く、招いた主でしょう。
  

 では、性的な事はどうであったか?

 これは有る程度有ったでしょうし、それを行ったのは女房・女官連中であったと想えるのですが・・・。

 ちゃんとした屋敷を構えられるという事は、一つの血族集団でしょうし、そうした血族集団においては、血が濃くなる事を本能的に避ける事から、外部の遺伝子を持ったオスを歓迎する風潮もあったでしょう。
 (この辺りを追求すると夜這い文化論的になりそうですが・・・)
 
 ある種、源氏物語の世界ってこうした物のようにも思えます。

 
 そこから時代が下ると、個人的に(自分の為に)遊女・遊君を自らの屋敷に招く人間も出てくる・・・。 そしてのちの遊女に繋がって行くのでしょう。

 そういえば平家物語の中で、平家一門の連中が、鞆の浦にて周辺の遊君・遊女を集め戦勝の宴を催した・・・といった部分が有ったように想うのですが(飛脚到来?)、この辺りも一寸興味深いですよね。
 遊君=太夫的存在? 遊女=売春婦的存在? 等と想像が飛躍します・・・。

 
 そして時代が下って、いよいよ遊郭の成立・・・。

 私個人としてその嚆矢は、秀吉が小田原攻め時に作った砦(石垣山一夜城)。その中の茶室やその集合体ではないかと想像するのです・・・・。

 多くの武将がひとところに集まり戦況も長引いている訳で、そこで武将同士の社交も頻繁に行われたでしょう。
 ただ社交として他の武将を自らの屋敷に招こうとしても、戦場ですから屋敷は無い訳です・・・。また自らの陣内に招くのも中々難しいと成れば・・・。そうして専用の場所、茶室等もいくつか造られたのでは?と考えたり。

 そこから唐入り時の名護屋城の茶屋町~京都二条の遊郭~と進化して行った様に思えて成りません。

 実際に当時16世紀末秀吉の時代も京都は社交の中心でしょうが、各武将全てが他武将をもてなすに事足る屋敷を所有していたとは考え辛いですし、故に皆が使える社交場として遊郭が生み出された様に思えるのです・・・。


 言いたい放題が長くなってしまいましたが、まあ遊びは非実利的で有る事がかっこ良いという事と、少なくとも本来の遊郭は売春街ではなく社交街で在ったであろうという事が言いたかっただけなのですけどね・・・・。 
 

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2013/05
24
[ #495 ]

ワインのはなし 8

 蒸留酒は8世紀頃にイスラムの世界で誕生し10世紀頃から一般化し始めた、といった事を以前書きましたが、これは当時に地中海東部の覇権がローマからイスラムに移行した事にも起因しているとも言えそうです。


 ではその頃ヨーロッパ(ローマ)はどうなっていたか?といいますと、395年に東西に分裂、その後476年に西ローマ滅亡から混乱の時代を経て、800年にカール大帝の加帝(神聖ローマ帝国の誕生)といった時代背景といったところですかね?

 そしてこのカール大帝がワイン好きで、後のヨーロッパワインの発展に与えた影響は大きいのでは無いかと言われています。(著名なワイン、コルトン・シャルルマーニュの名前などもその関係ですよね)

 尤もカール大帝に限らず、分裂前のローマ帝国の時代からローマ市民は相当なワイン好きで有ったのは事実のようで、戦場にさえ各種のワインが入った壺(アンフォラ)を持ち込んでいた事は証明されていますし、一説には古代ローマ帝国の支配圏はブドウ栽培(ワイン造り)の出来る場所と基を一にしているとも言われていたり・・・。(現・英国は一寸例外か?)(どれだけ、ワイン好きなんだ?)

 もしかするとこの辺りの事がベースとなり、キリスト教でもワインが特別視されたのかも知れません。


 そして神聖ローマ帝国が誕生し北方へ勢力を拡大していくに連れ、葡萄の栽培範囲も北へ拡がるといった現象も起きる訳ですが(ミサを行うのにワインが必要ですし・・・)。

 そうした状況のなか、此処で重要な役割を担うのが”修道院”。例えばブルゴーニュのシトー派等。(そういえばノルマンディー辺りのべネディクト派等もお酒と深い関わりが有りそうです)

 では何故(あるいは如何に)、修道院が重要な役割を果たしたのか?

 
 最も重要なの要素は、葡萄栽培を北に拡げて行く為の品種改良ですかね・・・。

 例えば現在、日本で有名なワイン産地と言いますと、北海道の池田町ですとか、山梨勝沼ですとか、長野、山形・・・等々、どちらかと言いますと清涼な風土の場所、少し寒冷な場所が多いですが、本来葡萄は温帯~亜熱帯系の果樹で寒冷地には適さない物だった筈です。

 この、葡萄の品種改良やワイン造りに置ける技術の向上に重要な役割を果たしたのが修道院。


 どういった事かといいますと、例えば葡萄の品種改良を行おうといった場合その栽培法や、土壌等々を何年にも渉り試行錯誤、観察、記録、分析といった作業が必要でしょうが、それを出来る人材や予算、道具を持っている場所が修道院であったという事ですよね。
 実際、文字の読み書きが出来る人々がいて(当時のヨーロッパの識字率がどれはどかは判りませんが、決して高くは無いでしょう)、かつキリスト教を布教させる(あるいはそのために葡萄造り、ワイン造りの普及が重要である)といった強力な動機もあった訳ですし・・・。

 そういえば我が国でも古い時代には、寺社が酒造りに重要な役割を果たしていましたが、洋の東西を問わず同じような事をしている様です・・・。

 
 こうしてみますと修道院や教会、あるいは寺社、現在の大学のような事を行っていた訳ですよね。
 と言いますか修道院、教会の方が歴史は古い訳で、大学という存在はそれらに対抗するためや、それらのシステムを参考に、或いは発展させてといった面も有るでしょう、後には反カトリック的になった物も有りそうですが・・・。
 
 一寸話がずれてしまいました。


 何はとまれ神聖ローマ帝国(その範疇が、ヨーロッパともいえますし、EUともかぶります)や、その修道院がワインの普及、葡萄の品種改良に与えた影響は事の他大きそうです。

 現在良く言われるワインのテロワール(土壌等の影響)なんて言葉も、シトー派のワイン栽培に対する研究から端を発している様にも想えますしね・・・。


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