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備北辺り |
昼前に家を出、さあ目的地は何処にしましょう? 一応目的地を決めないと走り辛いですものね・・・。
で、今回は此処を目的地に設定。

三味線横丁という路地です。
こうした名前の路地が存在する事を聞き及び、そこは路地好きお座敷好きの私としては気になる訳で・・・と、此処を目指してスタート。
ガソリンを満たし走り始めますが寝不足気味の所為か少々頭が重く、また身体の反応も鈍い気もします。
という事で普段よりマージンを少しばかり多めに取って走る事に・・・。
今後もバイクに乗り続けるにはこうした事も大事に思えます。
三味線横丁の在る新見までノンストップで走れない距離でも無いのですが、今回は無理せず途中で一休み。
バイクを止めたのはこちら・・・・。

上下町という街です。
此処も古い街並みが残っていますので休憩がてら少しばかり散歩。




上下町、瀬戸内(笠岡、福山、府中)~山陰(石見、大森)に至る”塩の道”の結節点にあり、江戸中期以降は天領として代官所もおかれ栄えた町で当時の面影が偲ばれます。
建物等愛でさせていただき、休憩にもなりましたので再びエンジンに火をいれ三味線横丁を目指して走ります。
三味線横丁の在る新見市。古くは中国山地の街らしく鉄、及びその輸送等の高梁川の水運、明治以降はセメント・縫製業等で栄えた町と記憶しております。
という事で立派な高瀬舟の船着場跡が有ります。

この近くに旧花街跡、御殿町があります。
歩いて見ますと・・・。
今は昔ですかね?往時は賑やかだったのでしょうが、裏手辺りは多くの建物が取り払われ空き地と成っております。
それでもこの三味線横丁、入り口側から北側に・仕出屋自由亭跡・料亭松葉跡・料亭松月跡、裏手には置屋料亭梅屋跡、他にも一軒の料亭跡(少し痛み気味)が在り。他にも料理旅館大阪屋の別館跡等残っています。





未だ住民の方が生活していらっしゃる様子なので目立たぬよう、気配を消して歩かせていただきます。
しかし、仕出し料理屋+置屋料亭という組み合わせ、二業地の典型ですかな。往時の花街の有り様が想像でき嬉しいです。
特にこんな物が見つかりますと私好みで嬉しいです。

当時の風俗営業の鑑札です。
(右のプレートに許可番号と業種、岡山県公安委員会の文字、左のプレートに二十才にならない方は入場お断りしますの文字)
近くにはこんな建物も残っています。

麹屋さんですね。
昔の町では麹屋というのは重要な役割を果たした面があったと記憶に有ります。味噌・醤油・酒・・・等々を造る場合に何れも麹が必要な訳ですから。
そんなこんなで街並みを愛でさせていただきまして、スタートが遅かった事もあり早めに帰途に・・。
帰りがけ、次いでといっては何ですが、こちらの街にも立ち寄り・・・。

東城です。
バイクを止め最も目に付いた建物を覗くと「どうぞ上がって下さいな」の声。

三楽荘という建物です。
江戸期には商家、明治期に酒造を始め後に旅館に転身。現在は町の所有となり文化財にも指定され公開されている建物との事。
内部を見学させていただいたのですが見事な造りです。
一枚板から削りだされた吹寄花菱格子細工の欄間であるとか、花形の窓と障子の組み合わせとか、昔ながらのの板ガラス、お庭・・・等々。離れの二階和室でお座敷遊び・・・、と行きたい気分?



更に東城、新見同様こうした物も。

高瀬舟の船着場跡ですね。近くには金毘羅さんの常夜灯も保存してあり水運が栄んであった事が判ります。
他にこんな建物等も在り・・・。


東城、雰囲気の有る私好みの街並みでした・・・。
今回、上下・新見・東城、3箇所の街並みに立ち寄ってみたのですが、3箇所とも非常に似た空気を感じる町でした。
古くから街道筋に存在し、その地域(半径10キロ圏?)の中心的町として賑わい、昭和の後半から急速に寂れていった町。またそれ故、建物等が冷凍保存(タイムカプセル)的に残り、現在それらを観光資源として活性化を図っている・・・。
そうなった事。こうした町が多く生み出されている事・・・。
色々と想います。
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