|
祐天 |
では、そこで祐天は何をしたのか?
まず初めに、阿弥陀経・四弘誓願・般若心経・光明真言・隨求陀羅尼・称名念仏等を唱えますが、累には全く通じない・・・。
言い換えればそれは、当たり前の言葉に依る説得が効果を示さなかった、とも言えそうです。
ではそれを受けて次に祐天はどうしたのか?
庭先に出て、天に向かって吠えるのです。
それは・・・・。
「十劫正覚の阿弥陀仏、天眼天耳の通を以て、我がいふ事をよく聞かれよ。五思惟の善巧にて、超世別願の名を顕し、極重悪人、無他方便、唯称名字、必生我界の本願は、たれがためにちかいけるぞや。また常在霊山の釈迦瞿曇も、耳をそばだてたしかに聞け。弥陀の願意を顕すとて、是以甚難の説を演べ、我見我利のそらごとは、何の利益を見けるぞや。それさへ有るに、十方恒沙の諸仏まで広長い舌相の実言は、何を信ぜよとの証誠ぞや。かかる不実なる仏教共が世に在るゆえ、あらぬそらごとの口まねをし、誠の時に至りては現証少しもなきゆえに、かほどの大場にて恥辱に及ぶ口おしや。但し此方にあやまり有りて、その利益あらはれずんば、仏のめり法を譏る、急いで守護神をつかはし、只今我身をけさくべし。それなき物ならば、我ここにてげんぞくし、外道の法を学びて、仏法を破滅せんぞ」
格好良いですね。殆ど歌舞伎の台詞の様です。まあそれ故、この台詞をそのまま祐天が吠えたとは一寸思い難いのです(恐らくは作者(残寿)の創作の面も強いのであろうかとも思えます)が、それはさて置き意味は伝わります。
つまり早い話、天(仏)に喧嘩を売っている訳で「これだけ真面目に仏法を学んで来たのに、この大一番で効果がないのはどういう事だ?此処で仏教の力を示せないのであれば、邪教を学んで仏教を滅ぼすぞ!」何て言ってる訳ですから・・・・。
非道い話ですね。
更にこの台詞の意味を現代風に解釈すれば・・・。
祐天は天に向かい、更に”累に聞こえる様に”こう吠えたのでは無いかと?
「神?仏?法律?そんな物、俺には関係無いね!!」と。
更に村人に対し「菊の命を俺に呉れ、菊も殺し俺も死に、そうやって村人を苦難から救おう」と宣言し、菊(累?)の髪を引っ掴んで顔を上げさせ、本人(累?)自らに「私が悪うございました」と言わせる訳です。
殆どヤクザですな・・・。(笑)
更にひと月程後、菊に新たな霊(後に助と判明)が憑依した時等には・・・。
菊に対し「汝は菊や?累や?」と問いかけ、相手が答えないとなると・・・いきなり髪を引っ掴み床にねじ伏せ「人が物を訪ねているのに何故答えん?ねじ殺してやろうか!」と脅す訳ですから・・・。
まんま、ヤクザですわな。(笑)
しかし実は、世の中こうした物かも知れません。
現代は法事国家である等と言われますが、それは結局、世の中を(裁判等という)神を殺した後の論破ゲームに成り果てさせ、有る面小理屈を言う人間ばかり世に憚る様になる訳でして・・・。
たとえ暴力的であろうとも、”してはいけない事はしてはいけない”と言える、躾けの出来る人間も必要な気がします。
また祐天が言った「菊を殺し自分も死に、村人を苦難から救う」というあり方は、正に武士(道)と言いまか・・・。人・地域、詰まりは = ”一所” を救い守る為に、場合によっては殺人も辞さず。そうしてその罪を背負うという覚悟・・・・、正に武士(道)的と想えます。(またこの台詞辺りから、人質事件を連想した訳でもありますが)
ではこの羽生村事件において、武士は何をしているのか?
名主が言っています。「こんな不名誉が役人にしれたら、村の存亡の危機だ」
この事件の当時。1670年代、既に武士は見事に官僚化、小役人化してた訳ですね・・・。
閑話休題。この事件を切っ掛けに人々に名が売れた祐天。その後、どうなるのか?
この事件から約15年程後、祐天は浄土教団を退団し野に下るのです。
まあ仕方ないのかも知れません。祐天の様に個性が強く、かつ無頼な人間は組織の中では生き辛い訳で。
結局組織というもの、その組織が大きくなればなる程、組織の主流派とは異なった考えを持った人間を、変わり者として傍流に追いやり排斥する物ですから・・・。
そうして祐天が下野して3年程後に「死霊解脱物語聞書」が開版(出版)され、祐天は庶民を初め多くの人々のヒーローとなる訳です。
確かに上の台詞何て格好良いですし・・・。(実際、祐天。江戸後期の勇み肌のお兄さんの彫り物の題材にも結構なっていたり)
そこから更に約10年程後、祐天は浄土教団に復帰。最終的には増上寺の法主という、実質教団トップ辺りまで出世する訳ですから、(祐天派の成した)「死霊解脱物語聞書」の出版という乾坤一擲の賭けは成功したという事なのでしょう。
しかし、庶民の人気・知名度だけで出世が出来るとも思えないですよね。他の力を持った(反祐天派、教団主流派の)坊主の妨害もあるでしょうし・・・。
では何故、これ程祐天は出世できたのか?
それはどうも大奥の引きが強かった事に拠りそうです。
この時期、17世紀の終わり頃から18世紀始めに掛けての大奥、荒れていますよね。確か、絵島・生島事件が1714年頃ですし。
大奥内部が、京都(公家)派と江戸(旗本)派に別れ勢力争いをしている時期。
女ばかりの世界での壮絶な勢力争い。
考えただけでもゾッとしますが、そんな状況。
そうして、たとえその勢力争いに勝利したとしても(勿論、破れても)、大奥の女性の心には明らかに悪意が凝り固まって残ったと思われます。
そうして大奥の女性、特にその上部の上臈の様な女性。自分の心中に巣くった悪意の存在は意識したでしょうし、取り除こうともしたでしょうし、苦しみもしたでしょう(特に年齢を重ね死期が近づけば)。
この”悪意”というものを観念化・実体化させた物を恐らく西洋では悪魔と呼び、日本では悪霊・悪魂(玉)等と呼ぶのでしょうが・・・・そうなりますと当時の大奥の女性、自分(の心中)に悪霊が取り付いているという思いを抱いても可笑しく無い訳でして・・・。
そこで、悪霊祓い(エクソシズム)のエキスパートとしての評判の高い祐天の出番となったのでしょう。
現に、天英院や月光院とも大奥にて対面している訳で。違う言い方をすれば、彼女たちのカウンセラー的であったのかも知れません・・・。
そんなこんなで、4ヶ月程色々と勝手・言いたい放題を書きましたが、怪談累ヶ淵、そして祐天、興味深いのです。
特に祐天のそのヤクザな存在感や無頼なスタンス、ある種庶民的で解り易い雄弁の力。実は今の世の中にも求められているのでは?と思ったり。
といいますか、祐天の様な怖いおじさんも少なくなったな。と。
という事(何がだ?)で累ヶ淵の話は、一応これで終わりとします。
Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.