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2013/11
03
[ #552 ]

祐天

 累の霊が菊に憑依したという事象は、ある面累が菊を人質に取り羽生村の人々に無理難題を押し付けている事とも読み取れ、そういった状況に置いては村人達に勝ち目は薄い・・・云々~と先月書きましたが、此処で祐天というヒーローの登場と成るわけです。


 では、そこで祐天は何をしたのか?
  
 まず初めに、阿弥陀経・四弘誓願・般若心経・光明真言・隨求陀羅尼・称名念仏等を唱えますが、累には全く通じない・・・。
 言い換えればそれは、当たり前の言葉に依る説得が効果を示さなかった、とも言えそうです。

 ではそれを受けて次に祐天はどうしたのか?


 庭先に出て、天に向かって吠えるのです。

 それは・・・・。


 「十劫正覚の阿弥陀仏、天眼天耳の通を以て、我がいふ事をよく聞かれよ。五思惟の善巧にて、超世別願の名を顕し、極重悪人、無他方便、唯称名字、必生我界の本願は、たれがためにちかいけるぞや。また常在霊山の釈迦瞿曇も、耳をそばだてたしかに聞け。弥陀の願意を顕すとて、是以甚難の説を演べ、我見我利のそらごとは、何の利益を見けるぞや。それさへ有るに、十方恒沙の諸仏まで広長い舌相の実言は、何を信ぜよとの証誠ぞや。かかる不実なる仏教共が世に在るゆえ、あらぬそらごとの口まねをし、誠の時に至りては現証少しもなきゆえに、かほどの大場にて恥辱に及ぶ口おしや。但し此方にあやまり有りて、その利益あらはれずんば、仏のめり法を譏る、急いで守護神をつかはし、只今我身をけさくべし。それなき物ならば、我ここにてげんぞくし、外道の法を学びて、仏法を破滅せんぞ」 


 格好良いですね。殆ど歌舞伎の台詞の様です。まあそれ故、この台詞をそのまま祐天が吠えたとは一寸思い難いのです(恐らくは作者(残寿)の創作の面も強いのであろうかとも思えます)が、それはさて置き意味は伝わります。


 つまり早い話、天(仏)に喧嘩を売っている訳で「これだけ真面目に仏法を学んで来たのに、この大一番で効果がないのはどういう事だ?此処で仏教の力を示せないのであれば、邪教を学んで仏教を滅ぼすぞ!」何て言ってる訳ですから・・・・。
 非道い話ですね。

 更にこの台詞の意味を現代風に解釈すれば・・・。
 祐天は天に向かい、更に”累に聞こえる様に”こう吠えたのでは無いかと?

 「神?仏?法律?そんな物、俺には関係無いね!!」と。

 
 更に村人に対し「菊の命を俺に呉れ、菊も殺し俺も死に、そうやって村人を苦難から救おう」と宣言し、菊(累?)の髪を引っ掴んで顔を上げさせ、本人(累?)自らに「私が悪うございました」と言わせる訳です。


 殆どヤクザですな・・・。(笑)



 
 更にひと月程後、菊に新たな霊(後に助と判明)が憑依した時等には・・・。
 菊に対し「汝は菊や?累や?」と問いかけ、相手が答えないとなると・・・いきなり髪を引っ掴み床にねじ伏せ「人が物を訪ねているのに何故答えん?ねじ殺してやろうか!」と脅す訳ですから・・・。

 まんま、ヤクザですわな。(笑)



 しかし実は、世の中こうした物かも知れません。
 現代は法事国家である等と言われますが、それは結局、世の中を(裁判等という)神を殺した後の論破ゲームに成り果てさせ、有る面小理屈を言う人間ばかり世に憚る様になる訳でして・・・。
 たとえ暴力的であろうとも、”してはいけない事はしてはいけない”と言える、躾けの出来る人間も必要な気がします。

 
 また祐天が言った「菊を殺し自分も死に、村人を苦難から救う」というあり方は、正に武士(道)と言いまか・・・。人・地域、詰まりは = ”一所” を救い守る為に、場合によっては殺人も辞さず。そうしてその罪を背負うという覚悟・・・・、正に武士(道)的と想えます。(またこの台詞辺りから、人質事件を連想した訳でもありますが)


 ではこの羽生村事件において、武士は何をしているのか?


 名主が言っています。「こんな不名誉が役人にしれたら、村の存亡の危機だ」

 この事件の当時。1670年代、既に武士は見事に官僚化、小役人化してた訳ですね・・・。



 閑話休題。この事件を切っ掛けに人々に名が売れた祐天。その後、どうなるのか?


 この事件から約15年程後、祐天は浄土教団を退団し野に下るのです。

 まあ仕方ないのかも知れません。祐天の様に個性が強く、かつ無頼な人間は組織の中では生き辛い訳で。
 結局組織というもの、その組織が大きくなればなる程、組織の主流派とは異なった考えを持った人間を、変わり者として傍流に追いやり排斥する物ですから・・・。


  
 そうして祐天が下野して3年程後に「死霊解脱物語聞書」が開版(出版)され、祐天は庶民を初め多くの人々のヒーローとなる訳です。
 確かに上の台詞何て格好良いですし・・・。(実際、祐天。江戸後期の勇み肌のお兄さんの彫り物の題材にも結構なっていたり)

 
 そこから更に約10年程後、祐天は浄土教団に復帰。最終的には増上寺の法主という、実質教団トップ辺りまで出世する訳ですから、(祐天派の成した)「死霊解脱物語聞書」の出版という乾坤一擲の賭けは成功したという事なのでしょう。


 しかし、庶民の人気・知名度だけで出世が出来るとも思えないですよね。他の力を持った(反祐天派、教団主流派の)坊主の妨害もあるでしょうし・・・。
 
 では何故、これ程祐天は出世できたのか?


 それはどうも大奥の引きが強かった事に拠りそうです。

 この時期、17世紀の終わり頃から18世紀始めに掛けての大奥、荒れていますよね。確か、絵島・生島事件が1714年頃ですし。

 大奥内部が、京都(公家)派と江戸(旗本)派に別れ勢力争いをしている時期。
 女ばかりの世界での壮絶な勢力争い。
 考えただけでもゾッとしますが、そんな状況。

 そうして、たとえその勢力争いに勝利したとしても(勿論、破れても)、大奥の女性の心には明らかに悪意が凝り固まって残ったと思われます。
 そうして大奥の女性、特にその上部の上臈の様な女性。自分の心中に巣くった悪意の存在は意識したでしょうし、取り除こうともしたでしょうし、苦しみもしたでしょう(特に年齢を重ね死期が近づけば)。

 この”悪意”というものを観念化・実体化させた物を恐らく西洋では悪魔と呼び、日本では悪霊・悪魂(玉)等と呼ぶのでしょうが・・・・そうなりますと当時の大奥の女性、自分(の心中)に悪霊が取り付いているという思いを抱いても可笑しく無い訳でして・・・。
 そこで、悪霊祓い(エクソシズム)のエキスパートとしての評判の高い祐天の出番となったのでしょう。

 現に、天英院や月光院とも大奥にて対面している訳で。違う言い方をすれば、彼女たちのカウンセラー的であったのかも知れません・・・。



 そんなこんなで、4ヶ月程色々と勝手・言いたい放題を書きましたが、怪談累ヶ淵、そして祐天、興味深いのです。
 特に祐天のそのヤクザな存在感や無頼なスタンス、ある種庶民的で解り易い雄弁の力。実は今の世の中にも求められているのでは?と思ったり。

 といいますか、祐天の様な怖いおじさんも少なくなったな。と。

 という事(何がだ?)で累ヶ淵の話は、一応これで終わりとします。

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2013/11
07
[ #553 ]

近くの街並み・・・

 先日、広島市内まで買い物に出たい用事が出来まして、外を見ると見事な秋晴れ、これはやはりバイクで行くべきだよね?とエンジンに火を入れる事に・・・。
 また、折角バイクを車庫から引っ張り出すのであれば買い物だけで帰るのも勿体無いな?と少しばかり足を延ばしてみました。 

 どこまで足を延ばしたかといいますと、大竹市の玖波地区。
 此処にも古い街並みが残っているという噂を耳にしておりまして。

 
 隧道

 幹線道路である国道2号のすぐ側に上の様な隧道が有り、この隧道から西に旧西国街道の街並みが残っておりました。


 玖波3

 こんな感じです。


 玖波地区の歴史については、私などが詰まらない事を書くよりも当地に設置して有りました案内板を読んで戴く方が早そうです。


 説明板


 しかし、広島~岩国間の2号線と言えば交通量の非常に多い幹線国道、このすぐ側にこうした街並みが残っていますのは少々驚きでした。
 少し西に行けば、大竹市の重工業地帯ですしね。
 

 私が店をさせていただいています東広島市西条地区も、その昔は西国街道の宿場町(更に古くは国府であったり、維新後は近代酒造の街としての面も・・・)、少し似た空気が有りまが、西条に関して言えば最近急速に開発が進んでいる印象。
 その点、玖波は昔の風情が残って居る様にも想えます。


 玖波  玖波2




 そこから広島市内へと取って返し、買い物の前に更に一寸バイクを停めてお散歩。


 停めた場所は、旧西遊郭跡周辺。

 とは言いましても広島市内は昭和20年8月に見事に焼け野原にされていますので、戦前の遊郭建築は当然存在しないのですが・・・。しいて言えば羽田別荘様が、殆ど結一当時の場所に残っていらっしゃいます(戦後間も無く再建されたとか)。


 羽田別荘


 この羽田別荘から北側に、当時西遊郭が拡がっていたわけですが、

 
 地図 昭和14年    明治27年  明治27年 (舟入遊郭地と記されています、開設はこの少し前)


 久々にこの辺りを歩いて一寸驚きました。


 実は30年程前、ほんの短い期間ですがこの辺りのアパートにいた事が有りまして。その当時の羽田別荘、広大な敷地に立派な石垣等も有り見事な存在感をたたえていた記憶が有ったのですが(更に夏には、その敷地内の日本庭園でビア・ガーデンが行われていたり)、現在では母屋を残し他は殆どが駐車場と化しています。


 羽田別荘2


 時代の流れといいますか寂しいと言いますか・・・。また、周辺地区も再開発真っ盛りといった印象。


 では、他に当時の空気を感じさせる物は無いのか?といいますと。


 川沿い

 川沿い周辺に連れ込み(ラブホテル)が多いのは土地の記憶でしょう。(そう言えば40年程前、親戚がこの辺りで一軒やっていた記憶が・・・) 


 川沿い2

 もしかすると、天満川沿いの遊歩道にある柵は当時の物か?また、土手に大きな柳の木が幾つか在るのももしかしたら・・・・。

 更に近くの公園に在るこんな物も当時の名残か?

 宗易型灯篭  神明型灯篭


 これ(井戸のポンプ)は当時の物でしょうかね?(此処以外でも広島市内、そこここに残されてます)。

 井戸ポンプ

 
 と、まあ。西遊郭の跡は急速にその気配を消して居るという事ですね・・・。(買い物はどうした?)





 またそれとは別の日ですが、紅葉を眺めに少しだけバイクを走らせてみたりもしておりました。

 
 野呂の紅葉2


 場所は、1980年代にしばしば訪れておりました峠道。

 野呂の紅葉

 
 バイクの味利きも兼ねてですかね(夏前に、カウルを外たもので)。

 しかし此処の走り方、完全に忘れてます(笑)。怖いの何の。
 
 ほんと、最近は観光ライダーです。


 

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2013/11
11
[ #555 ]

話芸復興

 昨日、桂文珍独演会を聴いて来ました。
 今年はどうするか?と悩んでいるところにあるお客様がチケットをお譲り下さりまして、ありがたいことです。

 ここ数年は、毎年の様に聴きに行かせて頂いて折りますので、私的には略年中行事の感も在りますが今年も楽しませて頂きました。

 今年の演目は、前座・楽珍さんの”たぬ賽”~、文珍師匠”かぜうどん”~、内海英華師匠の三味線芸~、文珍師匠”けんげしゃ茶屋”~、中入りの後締めに、文珍師匠”天狗裁き” といった構成。

 毎年少しずつ構成(テーマ)に意味(変化)を持たせてある様に感じます。
 今年は上方の古典落語を判り易く、といった印象を受けました。


 楽珍さんの”たぬ賽”は少しアレンジを入れて(これはこれで良く有る手法ですかね)、”かぜうどん”は確か江戸落語の”うどん屋”の基となった話ですよね。そこから英華師匠の三味線、相変わらず良い声で・・・、定番都々逸の”この膝は~~”なんて色っぽくて嬉しくなります。
 ”けんげしゃ茶屋”は初めて聞いた演目でしたが、上方落語らしい鳴り物が入る演目、舞台も新町遊郭~難波新地といった場所でいかにも上方落語といった感じ、一杯飲みたくなる落語ですね。最後の”天狗裁き”はコテコテの夢落ちの話、途中から下げ(落ち)はミエミエなのですが、それでも大いに笑えるというのはやはり文珍師匠の技なのでしょう。


 落語に限らず歌舞伎等もそうですが、古典物は筋(ストーリー)が解っている訳で、それこそ今風に言えばマンネリ・ワンパターンの極地ではありますが、そこがまた伝統芸能の良さと言いますか、楽しいですね。
 (まあカクテルでも、スタンダードなカクテルの良さといった物もありまして、少しばかり通ずる物もあるやも知れません)
 
 閑話休題、”けんげしゃ茶屋”とか、英華師匠の三味線芸とか、(飲兵衛の私としては?)一杯飲みたくなる雰囲気。確かこの会も数年前にはロビーでワインを販売されていた記憶がありましたが・・・。
 今となっては、こうしたホールでは難しいのかも知れませんね。


 どこかの演芸場(寄席)に行きたくなりましたね。

 

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2013/11
15
[ #556 ]

SEX PISTOLS

 60年代後半~70年代に流行ったフリージャズであるとか、フォークソングやロック。ある面”怒れる若者の叫び”といった要素もありそう・・・、といった様な事を書きましたが、怒れる若者と言えばやはり”パンク”といった言葉が連想される訳でして。


       pistols.jpg

 SEX PISTOLS  「Best Of SEX PISTOLS」

 バカナリヤのCDチェンジャーには、こんなCDも入っていたり・・・。



 ピストルズ或いは、パンク。様々なイメージが付着していて(それこそ怒れる若者とか、単なる”餓鬼”とか)、それが先行している気もします、が、ではパンクはどの様に誕生したのか?


 元来19世紀以前の西洋音楽は、民族音楽を除けば現代で言われるところのクラッシクといった物が殆どだったと思われます。このクラッシク音楽、教会音楽~18世紀には貴族の音楽~19世紀辺りでは金持ち(ブルジョア)の音楽、といったイメージが付いていた気がします(オーケストラを編成・維持するなんて膨大な資金が必要ですし)。
 また音楽ジャンルとしても成熟し、聞き手にもそれなりの知識を演奏者には高度なテクニックが求められる様になり・・・。

 そこで、もっと自由で新しい庶民の音楽として20世紀にアメリカで誕生したのが、ジャズ。

 しかしそのジャズも戦後にモダンジャズが生まれ、アメリカの音楽芸術といった視点も持たされるようになり、ジャンルとしても成熟し。詰まりは聞き手にも奏者にもそれなりの音楽理論なり技術が要求される面が強く出てくる。

 そこで50年代より自由な音楽として誕生したのが、ロックンロール、後のロック。

 しかし結局このロックも70年前後から商業主義に取り込まれ・・・、またジミヘンの登場~ハードロック~さらにはプログレと高度な演奏技術全盛となり(そうした面ではウッドストック辺りが転機かな?)・・・。


 そうした状況の中、東海岸辺りで、演奏技術や高額な機材が無くても演って良い音楽として誕生したのがラップであり、もう一つが後にロンドンでブレークしたパンクである・・・・と。

 その(当時の社会情勢を考えると”黄昏の”)ロンドンでのブレークの中心がこの”ピストルズ”となる訳で・・・。

  
 そうした背景故かピストルズ。高度な演奏技術や演奏理論も無く(確かにシド・ヴィシャスは弾けそうにないですが 笑 )、アンチ商業主義、反社会的・・・、といったイメージがついてまわる気がします。

 しかし現実にはそうでもなさそうです。確か”ジョン・サイモン・リッチー”も「みんなはどう思っているかは知らないが僕はシド・ヴィシャスを演じているだけなんだ」といった意味の事を言っていた記憶が有りますし、ジョニー・ロットンも後の本名のジョン・ライドンで「PIL」なんてユニットをやったりで、それなりの音楽理論ももちあわせていた様な・・・・。
 またもともとピストルズ、マネージャーのマルコム・マクラレンが一儲けを考えて作った物であり、反商業主義でも無いのでは・・・?とか。


 等と面倒くさい事を長々書きましたが、実はそうしたことはどうでも良い気がします。

 私自身ラップとかパンクといったジャンルの音楽は少々苦手なのですが、このピストルズにはなぜか惹かれるのです。
 その音故か?イメージ故か?

 兎に角、格好良い?

 何処が?
 シンプルな音もそうですが、なんと言いますか全体的に”制御された反抗心”と言いますか。”無頼な感じ”と言いますか。
 特にジョニー・ロットン。結構、自己制御しつつ無茶をしている感じを受けます。
 この辺りに惹かれるのかも知れません。

 
 

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2013/11
22
[ #557 ]

BLACKADDER

 先日、広島市内で行われましたウィスキーのセミナーに顔を出してまいりました。
 ブラックアダー(ブラッカダー)というインディペンデントボトラー様の販促・試飲セミナーです。


 実はこのブラックアダーというボトラー、以前からお気に入りの物でバカナリヤのバックバーにも何本か並んでおります。


      ボトル


 此処のウィスキーの特徴といたしましては、先ずはノンチル&ノンフィルター、更にRAWCASKシリーズは完全無濾過で樽の内側の炭化した木片までも混入しているといった事。
 他にも無濾過・無加水・ノンチルといったボトラーズ様も多いですが、それらと比較しても、よりワイルドな味わいと言いますか、いかにも樽出しといった印象の強いボトラーです。
 その分、洗練味に欠けるとか、雑味を感じるといった意見も出そうですが、その雑味も味の内と考える私の様な人間からしますと、非常に美味しく感じる製品の多いボトラー様です。



 でそのブラック・アダーのセミナーが広島県内で行われる事も稀少故、何はとまれ顔を覗かせてみたのです。
 

            テキスト 



 講師は同社代表のロビン=トチェック氏。
 

 講師



 講習を聞かせていただいき感じたことですが、ブラッカダー社、ウイスキー専門誌等の雑誌へのボトルの提供等はされていないようで、また、樽とかの細かいスペックに関しても余り語らない方針にお見受けしました。
 何はとまれ飲んで感じて下さい、といった姿勢ですかね?(細かい情報やスペック=知識に捕われられる事無くという姿勢、私としては嬉しい気持ちです)

 ここ数年お気に入りの(また少しずつ認知され始めました)、しっかりした味のある純米酒などとも似た哲学?を少し感じます。(故にお気に入りだった訳ですが・・・)



 もう一つ想った事は、当日の講師で同社代表のロビン=トチェック氏、実はスコットランド人ではなくイングランド人との事(もともとはチェコ系とか)。
 ボトラーズ=スコットランドのイメージが強かったので少々驚きましたが、考えてみれば非スコットランド人故に、こうしたある種スコッチらしいスコッチをセレクト&瓶詰めできるのかも知れないとも思いましたね。
 それはもしかすると、スコットランド人ではない故にウィスキーに対するある種の慣習とか思い入れから自由になれる故かも知れませんし、スコッチウイスキーに客観的視点を持てる故かもしれませんね。
 (日本人も清酒というものを完全には客観視しづらい面があると同様)

 それはまるでベルギー人であるジョルジュ=シムノンが、20世紀前半のパリの風俗・空気感を見事に感じさせる文が書けるがごとく。或いは米国人を父とするアガサ=クリスティーが、ロンドンの街並みやイングランド郊外の田園風景を見事に書き表す如く・・・。

 そんな事も思いましたね。

 

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2013/11
25
[ #558 ]

岡山

 例年この時期には”年末営業に備え気力・体力の回復を図る”等と適当な理由を付けて温泉に行くことにしていたのですが、今年は上手に日程の調整が利かず日帰りドライブでお茶を濁すことになりました。

 そこで目指したのは・・・、岡山市周辺。近場といえば近場なのですが、目覚めたのが朝10時過ぎ、遠出は厳しいということです。
 

 最初に車を止めたのは”最上稲荷”。一応自営(商売)をしているにも拘らず訪れた記憶が無い故です。

 結構長い門前の参道がありますが、現在では他の多くの神社・仏閣同様シャッター通りの体。
 まあこれはこれで哀愁を感じます・・・。


 参道入口


 昭和の30年代辺りまでは賑わったのであろう思える風情(今でも初詣時期には賑わいそうです、この賽銭箱等はその時の為なのでしょう)。
  賽銭箱 


 先日立ち寄った由加山等もそうですが、こうした神社の観光資源としての価値の低下を感じますね。


 しかし旧・本殿周辺を散歩させて頂きますと、往時の賑わいの名残の様な物を感じます。江戸中期~昭和中期の時期、こうした神社仏閣はレジャーランドの要素も備えていたのでしょうね。
 (門前町に色町が存在したかはノーチェックです)

 閑話休題、此処で幾つか気になった(気に入った)物。
 

 まずは、焼き物の灯篭。


 磁器の灯篭


 近くに寄る事叶わず、何時頃・誰が・どうして寄進されてのか解らないのですが興味を惹かれますね。
 (こうした神社等の灯篭、個人的には寄進の時期に偏りがある気がするのです、我が国の景気や社会の状況等と関連している気がします)


 次に旧・本殿に有ったレリーフ。

 レリーフ1 レリーフ2 レリーフ3

 京都の祇園祭のやま・鉾等もそうかも知れませんが、その意匠から西アジア的な空気を感じてしまうのです・・・。


 他にも幾つか興味惹かれる物もありましたが、時間の都合も有り早々に移動。
 次の目的地”後楽園”に。



 後楽園も遠く無い割には訪れた記憶も少なく、恐らくは小学生の頃以来。


 後楽園

 美しい、お庭らしいお庭ですね。
 庭園内から(基本的に)近代建築物が見えないのがまた良いですね。
 
 続いて歩かせていただいた岡山城址及びその周辺地域も含め岡山市、大都市でありながらも城下町としての風情を残している様に思えます。(市民意識としてか?)


 岡山城も、天守自体は再興されたものなので残念な感はありますが、石垣等、魅力がありますね。

 野面積み  少し膨らみ気味か?




 そこから少しばかり市内を散策、建物等を愛でさせて戴く事に・・・。



 メインとしたのは、旭川の中洲の地域(中島地区)・・・(笑)。
 まあ、私の趣味で・・・。 
 

 この地域、ある方のお話では”20年程前に洪水対策を含めた再開発計画が持ち上がった折には、既にそれらしい建物は殆ど残っていなかった”との事でしたが、何はとまれ歩かせていただく事にした訳です。

 確かに往時の建物そのままという物は少ない印象。
 また、生活感もそれなりにあります故、露骨に写真を撮る事も憚られますのでホンの軽く一回りさせていただいただけですが、空気感はありますね。
 

 目に付いた建物を少しだけ。


 東中島 東中島2 西中島 西中島2


 こんな感じです。また橋の袂に建つ派出所も何とはなくですが丸山遊郭入口の警察署の建物を思い出しました。

 派出所
 

 そうこうしているうちに日が陰り初めましたので早々に帰途に。
 もうすぐ12月、日が暮れるのが早いですね。

 


 他、岡山で目に付いた物としては・・・。


 出石  粋な商家建築。

 禁酒会館  大正建築としての意匠も素敵ですが、職業柄建物名にも惹かれまして。


 稲荷の猫 猫 後楽園  猫。 招き猫の土産物も目に付きます。


 それと見事な秋晴れ(流石晴れの国?)の所為か、飛行機雲?が目に付いた一日でした。

 雲

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