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2014/02
01
[ #575 ]

敦盛

 一昨日は旧正月という事で、頭に浮かんでしまいました。(笑?)

 幸若舞「敦盛」の一節。


 思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置くさら白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、栄花は先立って無常の風を誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も、月野先立って有為の雲に隠れり
 人間五十年、化天(下天)のうちを比ぶれば夢幻の如くなり
 一度生を享け滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ


 信長が出陣の折に良く舞ったとされる舞曲として著名な部分。

 実際に舞っていたか?はよく判りませんが、信長公記にも記されていますし、この辺りの事をわざわざ創作する必要性も低いので、事実に近いのでしょう・・・・。

 すると信長、結構文化人で有ったという事ですね(大名の嫡男ですから当然と言えば当然ですが)。


 
 閑話休題、信長といえば、やはり本能寺の変。信長公記にも記述が有りますがその辺りに関しては少々疑問も・・・。信長公記、江戸期に入っての物でしょうし、一般に流布している物は更に後の写本でしょうから、又に政治的に重要な記述という物は色々と有るでしょうから・・・。

 まただからこそ今でも”本能寺の変の謎”といったテーマで色々と語られたり、本が出されたりする訳でしょうね。
 私もそれなりに疑問も抱いてみたり・・・。(笑)

 その疑問、よく言われる”本能寺の変の謎”というテーマは、例えば光秀は何故謀反を起こしたのか? 怨恨か? とか、光秀に黒幕はいたのか? とか、本当に光秀が行ったのか?・・・・・とまあ、挙げればキリが無いですが、私としてはこうした物、少々主語が違うのでは無いか?と思ったりするのです。

 どういうことか?一寸記してみますと・・・。


 先ず”本能寺の変”とはどういった事が起こっていたのか?
 私なりの推察(妄想)ですが・・・。(笑)


 先ず光秀に対し、当日(天正10年旧6月2日)閲兵の為、(信長軍の)部隊を率いて本能寺周辺に参集する様に信長から指示が出ていた。(川角太閤記他)

 故に信長は当日早朝、本能寺周辺で混乱(騒ぎ)が起きているという報を小姓衆から聞くも、”光秀に率いられ参集予定の兵たちが早めに到着し喧嘩でもしているのであろう”と判断し、「是非に及ばず(仕方ない)」という声を発した。
 そして閲兵に備え朝の手水(洗面)を使っていた折に背後から弓を射掛けられ、薙刀等で抵抗するも・・・・。
 此処で信長は「余は余自ら死を招いたな」と呟き・・・。
 そして本能寺は炎上。

 本能寺に討ち入ったのは斎藤利三(内蔵佐)、光秀の重臣で後の春日局の父、の一隊。
 (信長公記、日本王国記等から推察)

 とこんな感じであったと思えるのですが、とすると、この事件?にアプローチしようとする場合。



 A 斎藤利三は光秀の指示で信長を打った(のか?)
 B 斎藤利三は光秀の指示無く信長をうった(のか?)

 と先ずは斎藤利三を主語として問題提起をするべきでは無いのか?と思える訳です。
 (これが私の疑問の一つです)


 この前提で少しばかり妄想を拡げてみますと・・・。

 上記の A の場合に、光秀は個人の意思により斎藤利三に信長を打つ支持を出した、Aーa。
 光秀は何物(複数可)かの指示、或いは唆しに依り信長打つ指示を出した、Aーb。
 大まかに分けるとこの2パターンが考えられる訳でして。
 Aーaが一般に史実として教科書にも載る説。Aーbが所謂”黒幕説”。


 Bも同様に、Bーa、斎藤利三が個人の意思で本能寺に討ち入った。Bーb、斎藤利三は何物かの指示や唆しに依り 本能寺に討ち入った。と分けられますが、そうなると・・・。
 Bーaだと、光秀は斎藤利三の謀反?に巻き込まれた。Bーb、光秀は何者かに嵌められた。となりそうです。
 (こんな説を唱える人はいるのかな?まあ、有りそうですが・・・)


 そして、4つの考え方には各々に疑問点も生じる訳で・・・。
 例えば・・・。

 ・Aーaの場合、本能寺炎上後の光秀の行動が余りにも非迅速、非合理的に思える。また光秀の動機は?(怨恨説は、忠臣蔵同様に元禄期か、それ以降に作られた物でしょうから)
 ・Aーbの場合、黒幕(達)は、一体何時、光秀に指示を出したのか?その時間、手段は有ったりのか?(光秀に最終的に本能寺に参集の書状が届いたのは前日の6月朔日)
 ・Bーaの場合、斎藤利三の動機は(長曾我部との関係か?)?山崎の合戦の後、捉えられ市中を引き回される斎藤利三を観て公家の勧修寺晴豊が記した「かれなど信長打”談合衆”也」の言葉との整合性は?
 ・Bーbの場合は、Aーbと同様の疑問が・・・・。


 他にも、江戸幕府に置ける春日局の位置づけの不自然さは如何な物か?とか・・・。


 とまあ、簡単に考えてもこれ程の疑問がある訳でして、勿論それぞれの疑問にそれなりの答えも用意は出来ますし、それぞれの場合においてそれを肯定する答えも用意は出来る訳ですが。
 そして更に疑問は疑問を呼ぶのですよね。(例えば、黒幕となりそうな(人)物でも、正親町天皇、公家衆、イエズス会、秀吉、家康、堺衆、毛利、細川、吉田神道、長曾我部、義昭・・・・・・、或いはその連合等)
 

 少々妄想を膨らませてみましたが何が言いたいかといいますと、歴史を考察するって結構面白い訳で、本能寺一つとってもこれくらい妄想を膨らませる事が出来ましたし、近現代史や世界史となれば更に・・・。
 加えて言えば歴史なんて、後の権力者(支配階級)が自分達の都合で書き上げ流布する面が多いですしね・・・。
 
 どちらにしろ人間や人間の営み、興味深く思います。またそうした事について考える事も。そうした営みの中に、或いは一部に自分も生きていて、そして死んでいく訳ですから・・・。


 旧正月という時期の所為かそんな事を考えましたね(おっと、一行目に戻ってしまった・・・)。


 
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2014/02
03
[ #576 ]

嬉しいウィスキー

 先日手元に嬉しいウィスキーが届きました。
 個人的にとても嬉しいウィスキーなのです。


       キリン・グレーン
  

 キリンディスティラリー シングルグレーン 2種
 左が The Fuji Gotemba Single Grain Whisky 15 years 
 右が The Fuji Gotemba Single Grain Whisky 40th anniversary (500本限定)


 特に右の40thが嬉しいのです。

 この40thのウィスキーをブレンダーとしてブレンド・開発した目瀬様。実は昔、拙店バカナリヤをアルバイトとして手伝って呉れた時期が有るのです。彼のブレンダーとしての処女作がこの・40thウィスキーとの事。

 文句なく嬉しいです。


 更に彼、昨年ブレンダーとしてこんなウィスキーも作られたそうで・・・。


          27y


 The Fuji Gotemba Single Grain Whisky 27years Single Cask


 100本限定で1本10万円のウィスキーとのこと、更にエチケットに彼のサインまでしてあるとか。
 
       サイン

 彼の出世作という事でしょうね。(買ってやらねば・・・)


 普段このブログ、単体の商品に対しての紹介やテイスティング、コメント等しない事にしているのですが、今回は折角なので上記2本の私なりのテイスティング・コメントを少々・・・。


 先ず右の40thから、
 ヌメッとした口当たりとスッ消えていく感じは、スコッチのモルト等には余り無いタイプで印象的です。少し前の本坊酒造の限定品とも一寸似た印象のテクスチャー。(水と御殿場の環境に由来するのでしょうか?)
 トップの香りはウッディー、樽では無くウッドの印象。味はかなり甘さを感じます、メイプルシロップ的、全体的に優しい印象ですが、後にしっかり樽の印象、タンニンも残って満足感も有り。

 ウィスキーとかブランデー、リキュールといったジャンルを超えて、食後等にゆっくり楽しみたい感じの酒ですね。
 そのままデザートとして味わいたい感じです。つまみ何て不要。よく飲まれるスコッチのシングルモルト等とは全く違った酒といった印象。その分個性的で評価は分かれそうですが、私としては凄く美味しいです。わざとらしさも無い感じ。



 左の15yhは、初めにフルーティーな香り、味も果物的酸味の様な物を感じます。その後にバニラ的甘さ、グレーンウィスキーで良く感じるウィート(小麦)やコーンの感じは殆ど無いです。モルトや他のグレーンウィスキーとも一寸異なった、バランスの良いウィスキーといった印象。モルト好きの方にはこちらの方が違和感は少ないかも。


 簡単に書けばこんな感じ(後は店のカウンターで・・・)。 
 

 どちらにしろ、美味しくて、嬉しいウィスキー2本です。

 (何時か、御殿場に見学に行きたいです・・・、ただ東広島からは交通の便が悪いのですよね・・・、バイク引っ張り出すかな?)


 

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2014/02
07
[ #577 ]

KONRAD JUNGHANEL

前回からバッハ繋がりで・・・。


        LUTE.jpg

 「J・S・BACH  DIE LAUTENWERKE」   KONRAD JUNGHANEL
  

 バッハのリュート作品集です。奏者はコンラート・ユングヘーネルなる方。

 リュートと言うのは古楽器の一つ、アルバムジャケットのイラストに描かれている様な物です。
 楽器という物、大まかに分けると打楽器・弦楽器・管楽器・・・と分類出来そうですが、現在使用される弦楽器の基となったのは、確か古代中東辺りの”カヌーン”であったと、聞いた事が有ります。
 そのカヌーンがその後発展し、今でも中東辺りで使われる”ウード”という楽器となり、それが東へ伝わると琵琶⇒月琴、二胡、三線等となり、その三線から三味線が生まれる・・・・。
 また西に伝わり、”リュート”、ビオール⇒ギター・チェロ、バイオリン等々となったと記憶しています。

 そしてリュート等の古楽器、後にギター等に取って代わられ余り使われなくなる訳ですが、当然それなりの理由が存在した訳で。それらは恐らく、調律が狂い易い・大きな音を出しづらい・保持がし辛い・・・等々が大きな理由で有ったと思われます・・・。

 特に、調律が狂いやすいというのは結構大きいのでは無いかと思ったりします。
 たまにお座敷等で聞かせていただく三味線も、しょっちゅう調子を整えていらっしゃいますし。

 言い換えれば上記の様な古いタイプの弦楽器、メロディを奏でるという作業の他に、調律に常に気を配るという作業をしなければ成らない訳です(更にエンドピン等も無いしフレットも無い、箱自体も響かせなければ成らない・・・)。

 現代的な弦楽器に比べると不完全な楽器と言えるのかも知れませんし、それ故後の楽器に取って変わられたのでしょうが、個人的にはそうした楽器の音色や存在に惹かれる面も多いのです。

 それはもしかすると私が楽器が弾けない故かもしれません、またそれ以上に、私が四輪という乗り物よりも二輪という乗り物に惹かれる人間である故かも知れません。


 二輪という乗り物もある面不完全な乗り物といえそうで、それを操る場合、・ステアリング・スロットル・ブレーキ・クラッチ・シフト等の各レバー等を操作しなければ成らないのは四輪と同様ですが、二輪の場合それに加えて、車体と自分の体の位置関係や車体と自分の体を含めたバランスや重心位置等に気を配らなければならない訳でして、こうしたある種の余計な作業をしなければ成らない存在であるという事が、古楽器という存在とも近いとも思えるのです。
 また上記の理由から、二輪の場合、四輪と同じコースを同じペースで走る場合、四輪に比べ精神的にも肉体的にも疲れる訳ですし、難しいい訳ですが、それが良いのですよね(勿論、四輪には四輪の難しさという物も有るでしょうが・・・)。


 何だかひたすら二輪と四輪の比較に成りそうなので、この辺りで・・・。


 

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2014/02
16
[ #579 ]

RUSH

 久々に映画館に行って来ました。
 観た映画は・・・・、


          RUSH.jpg

                        「RUSH」


 76年シーズンを中心に、ラウダとハントという2人のF1パイロットを描いた映画です。
 私自身、F1が最も面白かったのは70年代では?等と思っておりまして、これは観に行かねば!と時間をやりくりして出かけてきた訳です(時間の都合で、吹き替え版を観る事と成ってしまったのは少々残念ではありましたが・・・)。
 

 更にいえば私、昔からバイクに乗る時のヘルメットがこんな事に成っておりまして・・・・。


    ヘルメット

 (ハントのファンと言うわけでも無いのですが・・・、 笑 )



 それはさておき、映画の内容・感想ですが・・・悪くないです。

 当時の映像も上手にはめ込まれていますし、俳優の雰囲気も良かったです(加えていえばラウダの吹き替えも結構雰気)。
 そして何より70年代のF1の良さや、当時の2人の位置付けや個性といった物を再確認出来、この頃がF1の転換点でも有った事や、この2人がその象徴的存在で有った事も理解し易く、非常に楽しめました。



 では私が思うところの70年代F1の魅力とは何なのか?

 簡単に言えば、F1が未だ”大いなる草レース(アマチュアスポーツ)”の空気を保てていた事、自動車レースの原点であるところの貴族(ブルジョワ)同士の社交(としてのスポーツ)といった面も保っていた事辺り有ったと思えます。
 (勿論技術面・テクノロジー等の事も有りますが、細かい事を書けば切りは無いのですが・・・)

 そしてこの2人。
 破滅的で享楽的、故に(特に英国で)人気者である、ある種古いタイプのレーサーとしてのハント。職人的でプロフェッショナルな姿勢(プロフェッショナルの言葉の元々の意味は、”金儲けを目的に働く人間”の意でしょう)、勝つためにはステアリングを握っていない時でも努力を惜しまない、現代(人)的レーサーのはしりとしてのラウダ。

 そう言えば76年は二輪のGPのワールドチャンピオンも、破滅的・享楽的雰囲気を感じさせる人気者の英国人、バリー・シーンでしたし、この頃、70年代中期がそうしたタイプのレーサーがチャンピオンを取れた最後の時期であったとも言えそうです。
 更にいえば、パイロット(レーサー)だけでなく、デザイナー、設計者、メカニック、チーム監督、オーナー等々、個人の存在感が輝き、F1を動かしていた時期とも言えそうです。

 また、サーキットを速く走るという共通の目的に対し、同じ3リッターエンジンを積みながらも色々のアプローチが可能な時代でもあった訳で、それらの異なった個性のマシンが意外と近い戦闘力を発揮出来た事も楽しいのです。
 
 その後、80年代中期以降はコンピュターやテレメーターシステムの発達に依り、殆どのマシンが似た形となり初め、現代では殆ど同じような形状。

 また現代では、テクノロジーや勝つためのメソッドといった物が発達し、F1チームも一つのシステムとして動く様になり、パイロットもそのシステムの単なる1つのパーツと成ってしまった感が有ります。

 またそれはF1以外の世界でもそうなって来ている様にも思えるのです。
 (子供時代から(社会的)成功者に成る事を目的として、良い中学~良い高校~良い大学~良い就職・・・・を目指し、生活の殆どの部分捧げなければ成らない時代、しなければ負け犬となってしまう時代。)
 ハントの様なタイプは生きていけない時代に成って来た様に思えます(92年マンセルが最後かな?)。そしてラウダの様なタイプ(その完成型がシューマッハとも言えそうですが・・・)が主流となり・・・。


 因みにこの映画が描いた時代のその後・・・。
 77年以降、ハントは早々に引退、享楽的な(ある種ヒッピー的)生活を続け40代で夭折。ラウダは77年、84年とチャンピオンとなり、更にラウダ航空という会社を立ち上げ社会的な成功者となる・・・。
 (そう言えば60年代、ホンダに勝利をもたらしたR=ギンサーというF1パイロットも引退後ヒッピーをしていた筈・・・)


 さらに余談を続ければ、76年は富士で初めてF1が開催された年。白人文化圏以外の地域でのF1開催の嚆矢。
 F1が大いなる草レースから脱却を目指してグローバル戦略を始めた年。
 そして、そのフロンティアの地として選ばれた日本(現代では、アジアや中東でやたらと開催される様に成っていますが)。放映権等の力や、FIAの組織としての力が急速に増大する時代の始まり・・・。

 正に76年は転換点であったのでしょう。
 個人的にはその辺りの事も頭に浮かんだ映画。楽しめました。
 もっとも、F1に興味の無い一般の日本人の方が観てどの様な感想となるかな判りませんが・・・。



 色々と書きましたが当時のF1、様々な面で魅力的なのです。その辺りの事を何時かアップしてみたいですね。

 
 

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2014/02
18
[ #580 ]

久しぶりにワイン会

 久しぶりに店でワイン会を実施りました。2年に一度位こうした事を実施っているのです。

 今回はイタリア物で・・・。



      ワイン

 準備中の写真です。

 
 プロセッコ1本、白が3本、赤7本、パッシュート1本、グラッパ1本の内容。
 参加者は12人(狭い店故これ位の人数が精一杯)。

 見事に全てのボトルが空きました。殆ど単なる飲み会ですね。

 入店出来なかったお客様、声を掛けきれなかったお客様、申し訳有りませんでした。
 
 来年、また実施出来れば嬉しいです。

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2014/02
21
[ #581 ]

ブランデーのはなし

 ブランデーといいますと、コニャック等の高級な酒といったイメージが付いて回りますが、今回はそういった(グレープ)ブランデーの話ではなく、もっと広義の、果物から作られた蒸留酒といった意味でのブランデーの話。

 因みに所謂ブランデーという物、16~17世紀頃にオランダ商人が主導して作り拡まった物なのですが、それ以前の話しです。


 アレキサンドリア辺りで蒸留酒製造の技術が確立され各地に拡まって行った事は以前書きましたが、所謂ヨーロッパ(西ヨーロッパ)でワインから蒸留酒が作られ一般化していくのは、14世紀~15世紀と言われています(文献的には1411年のフランスの物とか?)。
 その理由としては100年戦争による衛生面の悪化で有るとかペストの流行といった物があり、その特効薬として一般化していった何て話が有ります。
 それ故か否か”命の水”といった意味の名前が付けられている事が多いですよね。
 例えばフランスでは、「Eau de vei(オー・ド・ヴィー)」・・・。
 こんなやつですね、


    eau de vie

 
 唯、個人的にはもう少し前からこの手の蒸留酒、普及し始めてのでは?等と思っています。
 例えば、以前少し書いた事のある”グラッパ”の様な物とか・・・。


 では何故そう想うのか・・・?私の妄想・推察ですが・・・。
 
 恐らくこの辺りの事を考える場合、スコラ学といった物に少しばかり思いを馳せるのが良いのでは等と思うのです・・・(スコラ学、簡単に言えば、古代ギリシャの(アリストテレス辺りの)科学・哲学的な物、考え、学問といった様な物でしょうが)。
 
 簡単に言えば、キリスト教の誕生~公認~ローマ国教化~ローマの東西分裂といった課程の中で特に西ローマ(カトリック圏)から、それまでローマを繁栄に導いて来たギリシャ文明・哲学といった物が駆逐されて行く、その後西ローマは滅亡、9世紀に神聖ローマ帝国が成立。この神聖ローマ帝国が徐々に再び古代ギリシャの科学・哲学=スコラ学を取り込んで行くといった事を始めるのです・・・。
 そして、そのスコラ学から正戦(聖戦)論の様な物が生まれ、それが十字軍に繋がり、中東付近から先進の科学等がもたらされスコラ学が強化され、そこからルネッサンスといった方向に行くわけですが、こうした動きの中で蒸留酒も拡まって行ったのであろうと。

 特にこの十字軍の動きに依り、蒸留技術や蒸留器がもたらされた面が大きいのでは?等と思えるのですよね。
 (西のイベリア半島辺りから来たルートも大きいでしょうが・・・)

 特に第4回の十字軍(1202~1204)何て、イェルサレムの開放・奪還(東ローマへの援軍)等と言いながら、やった事とと言えば、東ローマの首都コンスタンチィノープルを散々に略奪して帰っただけですからね・・・。
 その第4回十字軍の中心となったのがヴェネチアの商人な訳で(その辺りの物、以前観に行ったヴェネチア展にも展示して有ったり、解説されていた記憶があります)、その後のヴェネチアには蒸留酒が出回った事は十分考えられると思うのです。

 特に当時のヴェネチアはヨーロッパ隨一の発展した都市でも有り、非常に豊かな商人も多く、権力も持っていた訳で・・・。

 そして金なり権力なりを手にし、遣りたい事が出来る様に成った人間(権力者)が次に求めるのは不老不死(死や病の不安からの脱却)であったであろう事は古代から洋の東西を問わない訳でして・・・。

 そうした事を考えると13世紀頃からヴェネチア周辺のイタリアで蒸留酒(アクア デッラ ヴィータ)が普及し始めていたと考えるのが自然に思えるのです・・・。

 そうなるとバッサーノ・デル・グラッパ村の位置(ヴェネチアから水運を利用すれば非常に利便性が良い)も納得出来ると言いますか、面白いと言いますか・・・・。

 そして錬金術師という存在・・・。
 
 長くなりましたので、その辺りは改めて妄想を膨らませてみたいです。
 
 
 

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2014/02
28
[ #583 ]

ソチ五輪も終わりまして

 ソチ五輪も終わりましたが、今回のオリンピックはつまみ食い的に結構TV中継を観た気がします。
 仕事を終え深夜に帰宅しますとちょうど何かしらの競技を放送していまして・・・。
 そして見始めるとスポーツって、やはりと言いますか結構面白いのです(お陰で少々寝不足気味だった気も・・・)。
 

 では?観た競技の内でどれが好みか?と聞かれますと・・・、やはり昔ながらのアルペンスキーと成りますかね。

 あのタイム(時間)とか、コースという物に対し恐怖心を押し殺し、肉体を駆使して挑んでいく選手の姿にはやはり惹かれるのです。
 モータースポーツ(特に二輪)のタイムトライアルと似た雰囲気という事もお気に入りの理由かも知れません。
 早い者勝ちってのもシンプルで良いですしね。その辺り最近多いジャッジスポーツ(尤も最近はダンスを齧ったりもしていますので、それはそれで楽しめるのですが・・・)よりもやはり好みです。

 こう書きますと、では”スキークロス”何て競技の方がよりモータースポーツ(レース)ぽくって良くないですか?何て声も聞こえそうですが・・・。
 確かにスキークロス、判り易くて面白いのですが、この判り易過ぎる事が少し好みと違うと言いますか・・・。
 判り易い競技って、その判り易い見方に切り口が限定される気がするのです・・・。
 
 昔、TVでレース中継等を観ていますと「同じ所を似たような車がグルグル回っているのを観て何が面白いの?」なんて言われる事がよくありましたが、その単調さを主観的に解釈出切る面が結構面白かったのです。


 
 また”4人乗りボブスレー”も非常に印象に残っています。
 競技(レース)自体が面白いというよりも、その競技中の雰囲気、TV画面を通してもその雰囲気の良さが伝わって来た気がします。
 何というか、選手だけでなくスタッフ(ピットクルー?)や運営側、観客も含め、全員が根っからボブスレー好きな感じで・・・、そうした方々が和気あいあいと楽しくやっている雰囲気。これに惹かれましたね。
 勿論”国の威信を掛けて”何て意識も有ったのかも知れませんが、それ以上に好き物が集まって楽しんでいる感じが良かったです。
 これこそスポーツの原点と言いますか、草レースの楽しさと言いますか・・・・。兎に角、良かったのです。

 そんなこんなで、ソチ五輪、結構楽しく見れたのは確かです。
 唯、苦手だったのが、競技と競技の間に挟まれた解説といいますか、ワイドショー的バラエティー的放送。
 所謂タレントとかアナウンサー等が(盛り上げようと?)喋られる部分(この盛り上げる・盛り上がるといった言葉も好きになれない言葉では有るのですが・・・)。苦手と言いますか、不快ですね(TVを消す切っ掛けには丁度良かったとも言えます)。

 
 そこで思い出したのが、昔のF1中継。確か89年シーズン辺りの事だと思うのですが、某プロレス中継上がりのアナウンサーが起用された時の事。それと同じ印象。
 (確かその時放送をしていたTV局、開局始まって以来の抗議の電話の数を記録したとか)
 
 別に貴方(アナウンサーやタレント)に見方を強制されなくてもレース(スポーツ)中継くらい、自分で能動的に観れますから!といった気持ちでしたね。
 元来TVとは非常に押し付けがましいメディア。活字を読むように能動的に接す事が難しいのですが、更にそこで押し付けがましく見方を強制されますと・・・。

 今思えば、どうもその頃からF1中継に対する興味が少しづつ減じていった様にも思えたり(店を始めて以降は殆ど観ていません)。
 
 そして先日「RUSH」という映画を観に行き、”もしかしたらF1や他のモータースポーツ、放送のあり方に関わらずレースその物が昔の方が面白かったのでは?”何て想いも湧いたのです。
 その辺りの事も書きたいなと想ったのですが、長くなってしまいましたので来月辺りから・・・。まあボチボチと・・・。
 当時の雑誌等全く残して無いのでアヤフヤな記憶が頼り、いい加減な話にはなりそうですが・・・。




 追記

 

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