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2014/05
03
[ #604 ]

セナが亡くなって20年ですか

 先日、A=セナが亡くなって20年という報道を耳にしました。
 もう20年も経過したのですね。
  

 特にセナのファンという事も無かったのですが、80年代後半辺りの10年間、何はとまれF1GPの中心にいた人物、記憶に残っていますね。

 当時は色々の雑誌にインタヴュー記事等も多く掲載され、それらから受けた彼に対するイメージは他のF1パイロットとは少々異なった個性を持っている、だったと思えます。


 何といいますか・・・・。一寸、アメリカンポップスのスター、マイケル=ジャクソン等と近いイメージを感じてしまいます。
 どこか少年の様な純粋さを保ったままと言いますか・・・。


 もしかするとセナ、F1で社会的に成功しようとか、金持ちになろうとか・・・、そうしたある種の大人っぽいエゴが割と少なかったのでは?といった印象なのですよね。しいて言えば、純粋に車で速く走りたかっただけなのでは?といった印象です。

 インタヴュー等で彼がよく言っていた「自らの速さで、友人や家族、応援してくれる人達を幸福にしたい」といった台詞も、あながち嘘では無いのでは?と今では思えたり・・・。


 またもう一つ、確かセナは83年の英国F3での圧倒的な成績でF1にステップアップした筈ですが、確かその時の登録名は”ダ=シルバ”だったのですよね、そして84年のトールマンのテスト時も確かそのまま。それがシーズンが始まったとたん、登録名が”アイルトン=セナ”に変わっていて、これは誰だ?と思った記憶があるのです・・・。
 セナ自身が、いかにもブラジル人的な母方の姓の”ダ=シルバ”にコンプレックスがあり、登録名を変更したとか・・・。何だかこの辺りも、M=ジャクソンが自らの黒人的な肌の色や鼻の形を気にして整形を繰り返した事と共通する物を感じるのです・・・・。


 そのセナ、無くなった94年シーズンは当初から表情が冴えなくみえ、F1という非常にシビアなビジネスであるF1の世界に対し、その少年の様な純粋さのみでは太刀打ち出来なくなった苦悩の様な物が顔に出ていたのかな?等とも思ったり・・・・。

 また当時の2輪GPのスター”F=スペンサー”にも一寸似た印象を受けるのは私だけかな?


 上記の3人とも80年代を代表する各分野のスター、またある種の新人類的空気をまとっていると言いますか・・・。
 もしかすると当時、そうした(セナとかM=Jの様なタイプの人が成功出来、かつ潰されて行く)時代だったのか?等とも思えたりもします・・・。


 
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2014/05
05
[ #605 ]

Nina de los Peines

 プリミティヴな弦楽器+唄 といった音楽に惹かれる面があるのです・・・、何て書きましたが。
 そうなると当然こういった楽曲にも惹かれる訳でして・・・。


          nina de los peines

 「MIRAME A LOS OJOS」    Nina de los Peines
 


 フラメンコのカンテのアルバムです。歌い手はラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス。20世紀の主に前半活躍された女性歌手で、ある種フラメンコの母的存在の方。

 フラメンコといいますと情熱的といったイメージが強いかもしれませんが、この方の歌声にはある種の”哀しみ”といった事を強く感じます。
 ロマの両親のもと生まれ育ち、スペイン各地で(どさ廻り的に?)歌われていたという事が影響しているのかも知れません。遊行芸人的哀愁と言いますか・・・、そんな物を感じます。
 ギターが奏でるリズム(2拍子や4拍子の物が多い気がします)に彼女の唄が重なっている雰囲気で、何といいますかクラッシク~現代の音楽といった物とは違うある種の土着性の様なものが意識され、一寸心に染み入る感じです。
 日本やあるいはアラブ的な物も感じるといいますか・・・、
 更にいえば世界各地にこうした物は在りそうで、音楽というか唄といった物の原点といった事を意識しますね。
 また個人的には、海の存在や、死という物の存在を感じてしまう面も・・・。

 こうしたフラメンコ、そこに死という哀しみとそれゆえに生の喜びといいますか、人が生きる事や運命といった物を意識させられる気がします(また今では禁止されたそうですが、闘牛といった物にも・・・)。


 我が国でも、生老病死を四苦として、生きる事自体を”苦”=哀しい物と捕らえている面があった様にも思えます。その辺りに共通性を感じます。
 
 (先日聞かせていただいた、”平曲”にも同様の物を感じたり・・・・)

 

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2014/05
07
[ #606 ]

賀儀城辺り

 GWもアッという間に終わりましたが、私の様な職業の人間にはあまり関係は無かったりなのです。
 基本的には略毎日カウンターの内側に立っております訳ですから。
 しいて挙げればGWに中1日だけ、連れ合いをバイクの後ろに乗せて近所を散歩した事ですかね。


 向かった場所はこちら、賀儀城址。


  賀儀城跡

 忠海にあります浦宗勝由来の水軍城址です。


 賀儀城看板



 先日あるお客様に「村上水軍の娘」という本を貸していただき、夫婦して読んだばかりということもあり、訪れて見る事にした訳です。


 この場所、国道から細い道を入って行かねばならず、4輪車では一寸躊躇してしまう場所。その分、人の気配も少なくお気に入りの場所の一つなのです。
 当時の水軍の砦の雰囲気もよく解り、また建物が無く城址のみ残っているという事も私好み。


 直ぐ側には、同じく宗勝由来の床浦神社も在りまして、地形も含め当時の事に思いをはせたり・・・。

 床浦神社

 床浦神社看板



 折角ですので、賀儀城の本丸跡まで登ってみますと、わずか20m程の高さですが360度の眺望が開けます。 
 今では、周りの樹木が伸びまして少々視界の邪魔ですが、往時はこの上に更に砦が築かれていたのでしょうから、そこに登れば更に眺望は開けていたでしょう。

 
 南東南西

 (下手な写真で申し訳ない)

 
 
 実はここに至る前、本郷~三原~幸崎と走り、三原城址の天守台跡にも立ち寄ったり・・・。

 三原城址 三原城址2

 
 三原城址。JR(旧国鉄)が本丸跡を貫き、更に天守台南半分は新幹線ホームの下となっております。
 (拠って、天守台に揚るには駅の建物の中からです)
 非常に個性的な城なのですがね・・・。


 福山城址もそうですが、基本的に広島県の街、城下町の割りにその風情(文化)が余り残っていないのは、この辺りにも象徴されている気もします。(明治維新時やその後の立ち位置、歴史にも拠るのですかね?)


 そういえば、幸崎の能地の港も埋め立てられていたり・・・・。(この能地者の漁師等が宗勝の水軍の中心であった記憶が在るのですが・・・)



 これら含めこの周辺、探せば水軍やそれ絡みに歴史や遺構が多く、その辺りの事に想いを馳せるのも結構楽しいのです。


  

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2014/05
12
[ #607 ]

古地図展

 昨日あまりに天気の良さに、ついついバイクを車庫から引っ張り出し・・・。


   歴史博物館
 


 地図を眺めるという行為は私の好きな事の一つ、また、少し古めの地図に興味を惹かれる面も強くバカナリヤのトイレにはこんな物が掛けてあったりで・・・。


 トイレの地図



 因みに場所は ”広島県立歴史博物館”。

 この地区、福山城本丸で有った場所なのですが、現在は福山城公園として整備され、他にも市立美術館や福山城博物館も在り、福山市の文化ゾーンを形成しています。
 芝生やこじんまりとした庭園も美しく(その割には人も多くなく)嬉しくなります。

 まあ城址という視点で見ますと、少しばかりきれい過ぎて哀感に欠ける気もしますが・・・。


 因みに天守閣等、昭和20年の戦災に焼け、今はRC造の博物館が建っております(JR福山駅は二の丸跡でしょう)。


 福山城

 折角なので公園内を散歩がてらその博物館にもお邪魔(上の展示の半券で少し割引がありました)。


 (この公園の猫はあまり人馴れしてない様で・・・・ 猫の尻尾 尻尾だけ・・・)


 
 更にそこから鞆の浦の民俗資料館に移動し関連展示も拝見。

 鞆資料館

 (こちらは半券で無料入館出来ました)



 また鞆に立ち寄ったのはもう一つ理由がありまして、それは・・・。


 保命酒


 海外向けに度数40度の保命酒が造られたという噂を耳にし、一寸気になっていたのですよね。


 何はとまれミニボトルを購入。通常の大きさの物が欲しかったのですが、バイクに積めそうに無いので断念。味見をして気に入れば改めて購入するか?という事に。

 酒蔵バイク

 製造元の岡本亀太郎本店


 こんな感じで半日うろうろして来ました。

   



 追記

 気まぐれにバイクの2次減速比を少しばかりロングに変更したのですが・・・・。
 かなり乗り味が変わったのですよね・・・・。
 
 一寸失敗かな?という気もしていたり・・・。
 
 何やってんだか・・・・・。
 

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2014/05
15
[ #608 ]

文明と文化

 最近、文明・文化という言葉が気になっておりまして(あまり一つの事柄に囚われ過ぎる事は良く無いと解ってはいるのですが)。


 閑話休題、先月文明は手段で文化は足掻きでは無いのか?等と書いた記憶が在りますが、それを少しお酒の視点から見てみますと・・・。

 18世紀にイギリス、ロンドンではジンエイジ(ジンクレイグ)と言われる時代がありまして・・・、産業革命によりジンが大量生産され廉価に出回る、また都市部に下層労働者が集まり、そうした労働者が労働の苦しみから逃れるためジンに逃避し死んで行くといった時代(一説によると下層労働者の平均寿命は30に達しなかったとか・・・)。
 またその後、フランス等でも産業革命が起こり、蒸留酒も普及しアルコール依存という問題が浮かび上って来る。
 

 そうした状況に政府や社会はどういった対応をしたのか?といいいますと・・・、
 最も有名な物は米国の禁酒法ではないかと思われます(他、英国ではジンに掛ける税金を増やしたり・・・)。
 禁酒法は1914年に成立し1920年~33年まで施行された法律で、基本的に酒類の製造販売を禁止する法律なのですが、こういった物が言ってみれば文明的手段と思うのです。
 成文法という手段、あるいは対処療法的手段。
 
 そして禁酒法が施行されていた時期の米国、もぐり酒場や酒の密造・密売が盛んに成り、結果として逆に酒類の消費量が増えたとも言われています。
 そして1933年に禁酒法は廃止となる訳です。


 では、成文法的でない対処とは?・・・・といいますと。


 ここで思い出すのが「酒と薔薇の日々」という映画。アルコール依存をテーマとした名作ですが、この中でアルコール依存となった夫婦が飲むのがジンのストレート。

 どういうことかといいますと、ジンをストレートで飲む人間・行為はアル中の所業、言い換えれば人間失格という不文律(お約束・文化・慣習・等々)を、英米は足掻きの後に生み出したという事なのでしょう。
 「失われた週末」という映画ではライウイスキーでしたので、安酒を酔っ払う目的の為だけに(特に一人で)飲むのはアウトという文化と言っても良いかも知れません。

 詰まりは、成文法=手段=文明的で、不文律=時間をかけて出来あがった慣習(お約束・常識)=文化のような物、と言っても良いのかも知れないな?と。


 そして現代、法事国家=成文法で統治される国=文明国家=正しい国の在り様となっているように思えますが、確かにある面そうでしょう。
 成文法って白黒はっきりして解り易いですしね(笑)。
 唯、同時に”成文法に記載されていない事は何をしても良いのだ!”的に陥っている面も出て来ている気もします。
 そして、その穴を塞ぐ為に新たな条文を造ったり・・・。

 何やってんだか?って気になりますね(笑)。


 何となくはですが、不文律(お約束)という物を皆が解っていて、成文法は補助的な存在である方が暮らしやすいといいますか、文化的という気がするのですが・・・・。

 振り返って日本の江戸時代、正にそういった時代であったように思えます。故に世界の歴史学者からも高く評価されるのでしょうし、また我が国の評価が高かったのもその遺産故という気もします。
 (そして、私も惹かれると・・・、笑)

 相変わらずの戯言です。

 

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2014/05
20
[ #610 ]

またまた京都

 この日月と京都に行って来ました。ここ数年行なっておりますバカナリヤの旅行です。

 前回同様、新大阪の新幹線改札を出た所で一時解散、自由行動。
 夕方、ホテルロビーで再集合、現地集合組も合流し、夜は何時もの”コレ”です。








 舞妓



 その後はめいめいバーホッパー(バーフライ)。


 そして次の日は、こちらで集合。



 山崎


 そうなりますと、〆はやはり・・・、


 飲み比べ

 と、こうなるのです・・・・。

 



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2014/05
23
[ #611 ]

またまた京都 2

 明けて2日目、気合でベットを抜け出し早めの時間から街歩きを開始。
 先ずは、朝で人通りの無い先斗町を南から北へ歩きます。


 先斗町

 しっかりと打ち水がしてあり気持ち良いのです。流石は京都の花街、他の町の歓楽街とは違います。
 先斗町、”一人で歩くにゃ広すぎる二人で歩くにゃ狭すぎる”等と言いますが、私は当然一人歩き。

 ここから更に北に向かい、旧木屋町辺りを通って・・・、

 木屋町辺り



 目指したのは二条新地跡。
 多くは無いですがそれらしい建物も在り、雰囲気も僅かながら感じられます。

 二条新地

 
 更に北に歩き、旧東三本木遊郭跡へ・・・。ここはこうした場所です。

 三本木高札 三本木碑

 広島に縁の頼山陽先生も一時期滞在されていたとか(昨年訪れた丸山遊郭の花月にも頼先生滞在の書斎が残されていました・・・。昔の遊郭は文人・墨客の集まるサロン的な面も強かったですのでそうした物なのでしょう)。
 この東三本木遊郭跡、路地の造り等がいかにもといった物で、建物もわりと残っています。

 例えば、

 東三本木建物

 更にこの銭湯何て雰囲気です・・・。

 三本木銭湯




 ここから思いつきでUターン、細見美術館まで歩く事に。

 が、しかし・・・、

 細見美術館
 
 確かに月曜日ですし、京都春の観光シーズンも昨日の日曜日で一段落ですからね(思いつきで行動してはいけませんね)。


 ということで、更に歩いて平安神宮へ・・・。

 平安神宮


 平安神宮。名前は平安と付いておりますがその存在の有り様、私としては”明治”という時代を強く感じてしまいます。
 他、市美術館(休館日故、建物の外観のみを愛でさせていただき)や伝統産業ふれあい館の展示も拝見。

 市美術館

 (確かこの辺り、昭和初期に京都博覧会の会場であった場所、そうした意味でも近代化という言葉・時代が意識されます)

 来る時に目に付いた古本屋を覗きながら(古本屋という空間も私の好きな空間の一つです)先斗町周辺まで取って返し、雰囲気の良い喫茶店で昼食替りのビールを一杯(今日もか?)。
 これで時間調整しこちらに向かいます。


 鴨川おどり

 先斗町歌舞錬場。鴨川をどりが開催中。ここで他の方と待ち合わせ。
 鑑賞券&お茶席券を皆様にお配りします(少しは主催者らしい事もしないとね)。
 皆様と一緒に鴨川をどり・・・・は観賞せず・・・・。(したい&するべきという気持ちは強く持っていたのですが、どうしても行って観たい場所がもう一つありまして・・・。)皆様と別れ、一人電車に飛び乗りました。




 訪れた場所・・・・、それは、橋本。



 橋本および山崎周辺、地図で確認しても解るのですが、桂川・宇治川・木津川という3本の立派な川が合流し、淀川となる場所です(更に橋本には運河的な大谷川も・・・)。
 明治になり鉄道が敷設される迄は(あるいはその後もしばらくは)水運が流通の主役な訳ですから、そうした意味でこの地域は重要な地域だった訳です。更に、エゴマ(油)の名産地としても古代から著名で油座が存在もしていたり。
 そうした理由もあるのか、北西に一時期、長岡京という都が設けられてもいました。
 長岡京が廃止され平安京に移りますと山崎側には西国街道が、橋本側には京街道が設けられ(この2街道、山越えせず京~大阪間を結べる重要な街道、山崎辺りには駅も設けられ・・・)、また、この2街道を結ぶ橋が橋本から山崎に架かっていた事もあります。更に橋が無くなってからは渡し舟が通っていたり・・・。

 こうした土地ですので、歴史上著名な事が多く起こっています。
 楠正成の子別れ、秀吉・光秀の山崎の合戦、鳥羽伏見の戦いの場にもなっています。(橋本には幕府軍の陣屋が設けられていました)
 更に橋本の東、男山には石清水八幡宮もあり、その参拝者の宿場町・門前町的な要素もあり・・・・。

 という事で、橋本は江戸期より飯盛り女の多い宿場町・茶屋町として名を馳せて来た場所です。

 そして明治中期以降は遊郭として・・・。


 ということで、何はとまれその遊郭跡を愛でさせていただこうと、京阪橋本駅に降り立つ私なのです。


 
 そしてこの街、見事に私の好みに合致。

 先ずは、駅の山手にこの建物。

 橋本遊郭歌舞錬跡


 旧橋本遊郭歌舞錬場跡です。
 (確か橋本遊郭、昭和の始め頃に芸・舞妓は殆ど存在しなかった筈ですので、五条楽園と似た経緯で造られた物ですかね?)

 また駅から大阪方面に少し歩いた場所に(駅周辺にもそれらしい建物が残っています)この銭湯が・・・、

  橋本湯

 近くに大門の跡の様な物が在ります、ここが大阪側の入り口でしょう。


 ここから淀川の川土手(旧国道1号)に上ってみますと・・・、こんな感じです。


大谷川沿い


 そそこから大谷川沿いに降り、遊郭の川側の入り口と思える栄橋を渡ったところに渡し場であったことを示す石塔が在ります(映画鬼龍院華子の生涯のオープニングは此処の撮影でしたよね?)。


 石塔

 この石塔から駅方面に少し歩き右に曲がると、先の銭湯・橋本湯に至る橋本遊郭(中之町)のメイン通り。
 またこの辺りで京街道が枡形(クランク状)に成っています。
 そのメイン通りに入りますと・・・・。美しい妓楼建築が残っています。


 メイン通り

 いつもでしたら”見事な”と表現する事の多い私ですが、ここの妓楼建築は”美しい”と表現したくなるのです。
 その理由、各々の建物が揃って二階建ての日本建築の様式である事、欄間や玄関周辺の造作が洒脱である事、現住建造物として人が住まわれ手入れされている事・・・等々、ですかね。

 勿論、痛みの目立つ建物や、空き地や駐車場と成ってしまっている所もあり、町並みも少々歯抜け状態では有るのですが、これほど往時の雰囲気を保っていると思われる場所は希少ですね。

 例えば・・・。


 建物 欄間 欄間他2 欄間他 玄関灯 ステンドグラス

 (他にも目を惹かれる物が多く有ります)(個人的には、何とか町並み保存してもらいたい場所です)



 そうこうしているうちに次の用事を思い出し・・・。

 それは淀川を挟んだ対岸の、サントリー山崎蒸留所の見学。
 淀川の土手に立つと対岸にありますサントリーの工場が目視出来るのですが、淀川を渡る手段が無いのです。
 悩んだ末、再び電車を乗り継ぎJR京都駅経由で向かう事に・・・・。(なにやってんだか・・・)



 
 ここの見学は確か4年振り位。


 蒸留罐

 ハイボールブームでウイスキーが良く売れている所為か、蒸留ポットはフル稼働状態の様です(おかげで部屋が暑いこと・・・)。また昼間の気温上昇の故でしょう、樽の貯蔵所もアルコールの香りが充満し、酔いそうでした。


 こんな感じで一泊二日、良く歩き回った京都でした。

 




 

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2014/05
30
[ #613 ]

リキュールのはなし 3 

 教会からは否定的な扱いを受けていたリキュール(や蒸留酒)、次第に社会に普及し始め、近代の夜明けと共に教会もその存在を認めざるを得なくなり、その後急速に普及し始めるのですが・・。
 では近代の夜明けとは何なのか?

 昔、世界史の教科書では中世から近代の境目を1492年に設定してあった筈。
 ではこの1492に何が起きたのか?

 当時教えられたのは”コロンブスの新大陸到達(発見?侵略?)。そして大航海時代の始まり。
 確かにそうなのですが、もっと重要なのが(スペイン)異端審問の本格的な開始。
 1479年スペイン王国の成立を経て、1492年1月のグラナダ陥落でレコンキスタが完遂、そして異端審問のユダヤ追放の開始。(確か期限は7月末までだったかな?)(そうなるとコロンブスの8月頭の出航は・・・・)

 閑話休題、これによりマラーノとかコンベルソと呼ばれた人々がスペイン等南ヨーロッパのカトリックの支配地域から大量に逃げ出し始めるのですね。
 恐らく最も多かったのは、当時スペインの支配下にあったネーデルランド(現ベネルクス3国)、他、商工業金融業の中心ベネチア、更にそこを経由して東ヨーロッパへ・・・。また、海を渡ってイギリスへも・・・・。

 そしてネーデルランド周辺の北ヨーロッパで金融・海運・商工業を始める。
 そこで生まれたのが、世界初のリキュール製造会社、


 bols.jpg

 ボルス社です。(エチケットに1575年の文字が・・・)


 このボルス社の誕生により、リキュールがヨーロッパに広まり始め、カトリック教会もリキュールを認めざるを得なくなった面も強いのでしょう。
 因みにボルス社、後にオランダジン(ジュネヴァ)も製造販売する訳ですから、スピリッツの普及にも影響を及ぼしていると言えそうです。

 そうお酒(洋酒)の世界でも1492年は重要な転換点なのです。
  


 
  

 追記

 この異端審問、中々語りにくいテーマですが、これが世界に与えた影響は大きくそれは近代の成立~現代にも繋がっていそうです。

 異端審問が良いか?悪いか?という話にすると面倒くさいのですが・・・。カトリックから観ればレコンキスタ等で儲けて存在感を増したモリコスやコンベルソ(マラーノ、改宗ユダヤ教徒)、”利子を取って金貸しをしてはいけない、個人が必要以上の蓄財をしてはいけない”というキリスト教の教義に反する異端者であるから審問すべきとなるのでしょうし・・・。
 審問される彼らからすれば、王室等が借金を棒引きにする為や、財産を没収する為に始めた事だろう・・・。と、いう事に成るでしょうしね・・・。

 唯、これが切っ掛けとなり、反カトリック運動=プロテスタント運動が始まり・・・(例えば、ルターの論題は1517年、農民戦争1524~、オランダ独立戦争1568~、アルマダ戦争1588、30年戦争1618~・・・・)、イエズス会等も出来、更には魔女狩りなんて言葉も・・・・。

 そしてボルス社はこのオランダ独立戦争(オレンジ公ウイリアム)の時代に創業されている訳で・・・。
 当然ながら、酒も歴史の一部という事なのですよね・・・。

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