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2014/08
01
[ #633 ]

HARIS ALEXIOU

 葡~西~仏~伊 と続けますと、次はやはり”希”となりますかね・・・。
  
         ハリス・アレクシーウ


 「Hey」           XAPIΣ AΛEΞIOY

 邦題 「永遠の想い」  ハリス・アレクシーウ


 ハリス・アレクシーウという歌い手さん、ギリシャの大衆歌謡の女王といった位置づけと聞いた事があります。いってみればギリシャの美空ひばりといった感じの方かと・・・・。

 このアルバムはかなり現代的ポピュラーミュージック的アレンジで、いかにもギリシャの大衆歌謡といった雰囲気は少なめに想えます。

 幾つか聞いた事の有るギリシャの大衆歌謡ですと、私の様な日本人の受ける印象はかなりアラビア的といいますか、ロマ的といいますか(正教圏の国々の大衆歌謡、かなりロマの方々が担っているといった話も聞いた事があります)、そんな印象が強かったのですが、このアルバムはそうした面を少し押さえ気味に作られているのかも知れません。
 その分、ある種の勇壮さを感じさせるリズムという物の印象を受けるのです。

 確か、アテネオリンピックのセレモニーでマケドニアの伝統音楽が演奏されていた記憶があるのですが、そんな印象です。
 他、思い出したのがオルフのカルミナ=プラーナ(?だったかな)。

 何といいますか壮大で勇壮な印象。
 確かカルミナ=プラーナはバイエルン州の古いベネディクト派修道院から出てきた歌曲集をオルフがアレンジしたといったものであった筈・・・・。

 もしかすると中世以前(グレゴリオ聖歌より前)のキリスト教圏の音楽ってこんな雰囲気であったのかな?等と想ったりするのですよね・・・。
 そういえば、アイリッシュダンスの音楽とかバスクの音楽何てのも、一寸似たような勇壮さを感じる気がするのですが・・・?

 この辺り誰か詳しい方教えて下さらないかな?等とおもったり・・・。

 
 また、邦題が「永遠の想い」となってますが、伝道の書辺りからですかね・・・・。

 一寸いい加減な話でした・・・。

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2014/08
04
[ #634 ]

わくぐみ

 先月も似たような事を書いたのですが、最近いやなニュースを耳にする事が多い気がします。
 佐世保の女子高生の事件、等々・・・・・。 何故こんな事になっているのか?

 少し考えて見たくなります(所詮は場末のバーテンダーの戯言ですが・・・・)。



 実は物事の”意味”(あるいは善悪)とは、ある種”わくぐみ”が決定している様に想うのです。
 勿論現在では法律(成文法)が決めていると言う認識(事)になっているのでしょうが・・・。
 (そういえば最近TV等で政治家の方々が矢鱈と”法の支配”という言葉を口にされる気も・・・・)

 しかし実は六法には”人殺しをしてはいけません” ”盗みをしてはいけません” 等とは書いてなかった筈です。
 唯、”人を殺した場合は何年以上、または無期の懲役、あるいは死刑に処す”とか・・・・。盗みの場合はどうとか・・・。
 言ってみれば、量刑が記されているばかりの様に・・・・。
 そして、何故人を殺してはいけないかという理由、根拠は、記されていない・・・・。


 こう書きますと、”それは法律ではなく宗教の役目である”といわれそうですが、まあそういう事ですね・・・・。

 つまり何が正しいか?といった事は宗教という”わくぐみ”が決定していた・・・・と言えそうです。
 (重ねて言えば、実は宗教も所詮は人が作った手段・・・・ともいえますが)

 また我が国では、西洋のように宗教(一神教)の影響は強くなかったので、それよりも世間様とかお天道様が見ているといった、いわばアニマが決定していた世界であったと・・・・(或いは村社会的、”世間”)。


 恐らく本来、この意味(善悪)を決める”わくぐみ”って、自然発生的であったのでしょう。
 地域に住む人々の間で時間をかけて成立していった物で、その土地の気候風土とか、人々のDNAや食生活etc により出来上がっていったもの・・・。
 またこういいますと・・・、それは”文化”とか”慣習”とか”しきたり”とか”作法”とかと言ったものではないですか?と言われそうですが、有る面そうした物が善悪を決定していたというか其処に現れていたというか・・・・。


 その後文明が発生(発達)し、異なる文化や慣習を持った人々が同じ地域(枠組み)で暮らすようになり、その習慣の違いから混乱や争いが起きる・・・・。そして、それを治める為に導入された(造られた)のが所謂”宗教”という物。

 例えば聖徳太子が17条の憲法の中で、3ぽう(=仏法僧)を敬えとしているのは、仏教的価値観をベースに善悪を決定します、という事でしょう。
 しかしその宗教(仏教)も、日本(等)の場合はアニマ=精霊信仰、先祖崇拝、無意識等に習合され(取り付かれ)こ異なった姿となっていく。
 まあキリスト教だって、ローマ文化やドルイドやその他のヨーロッパ各地の人々の慣習や文化に習合され微妙にかたちを変えていった様にも思えますし、ムスリムだって同様に・・・・・。


 ともかく、いってみれば昔は慣習(文化)といったやや抽象的で観点的なわくぐみが意味を決定していた。そしてその後はそれらと習合した宗教というわくぐみや領主制・王政・幕藩制etcが・・・。


 そして現代という時代は、その”わくぐみ”いわば文化を殺す事により成立してきたのですよね?

 言い換えればプロテスタンティズムやグローバリズムと言うものが文化や宗教や地域といったわくぐみを壊し、詰まり旧来の意味を破壊し、そしてその後に成立したのが現代でしょう。

 その旧来の緩やかなで適度な大きさを持った”わくぐみ”が壊された後に残ったのは、恐らくは”個人”という最小の”わくぐみ”。
 個人と言う最小単位が繋がり無く集まって出来た社会。
 現代は個人主義というのはこういったことでしょう。

 またそうした”わくぐみ(意味)”を失った現代社会において、個人間のエゴの調整システムとして導入されたのが、成文法(あるいは国際法etc)。


 昔は「何故人を殺してはいけないのか?」何て質問に対しては、「やかましい、そんなものは常識だ!」ですんでいたものが、近代以降は「ルールだ(法律で決まっている)から」ですよね(あるいは捕まるから、死刑になるから・・・)。

 あまり抑止力にはならないですわな 。


 本来、法律(成文法)なんて無くても(知らなくても)そうしたお約束(不文律)で世の中は結構幸福に回っていたのでしょうし、法律ってのは所詮は補助的な物でしか無かった筈なのですがね・・・・。

 それが現代では法律こそが唯一絶対的な物といった雰囲気・・・・(法の支配ってそういうことでしょ?)。

 手段が目的化したというか・・・・。



 特に私等は単車乗りでもあり、過去に道交法に拠り散々に免許停止処分等を頂いていますので・・・余計にそう想うのかも知れませんが・・・。 ( 笑 )
 
 交通取締りって、車に乗る上での作法や文化よりは、道交法のみが支配する空間ですからねえ・・・・。


 長くなりましたので、続きは次回にでも・・・(まだ、書く気かよ、私・・・。)

 
 

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2014/08
08
[ #635 ]

好きだったイベント

 今回の記事は完全に私個人の昔話、おっさん単車乗りの郷愁ですので笑ってスルーしていただければ・・・。
 

 昔のF1はどこか草レースっぽさが残っていてその頃が面白かったとか、昔の2輪のレースにあるアマチュア的パッションの様なものが良い・・・・・、何て事ばかりを書いていたのですが、私も一時期、草レースに良く顔を出していた時期があるのです。

 そうして参加させていただいた草レースの中で特にお気に入りだったのが、岡山県の中山サーキットで開催されていた”Exciting Sunday(エキサイティング サンデー)というイベント。
 このイベント、実に草レースらしい草レースといいますか、単車乗り、サイドカー乗りの運動会的といいますか・・・・、適度に真剣で適度にアットホームという何とも雰囲気の良いイベントだったのです。
 クラスはクラッシクバイク、4stのシングル・ツイン、サイドカー、それぞれ数クラス・・・・。









 という事で、その雰囲気が伝わるかな?と当時の写真を少しばかり(押入れに眠っていました写真をデジカメで撮ってといういい加減な物ですが・・・・)。


 89年ピット
 89年のピット風景、雨天です。


 89年sc
 同年のレーシングサイドカークラス(多分予選)、走っていらっしゃる人は誰だか知りません (笑) 。
 ショートホイールベースの車体が雰囲気です。


 90年スタンド
 90年のグランドスタンド前、結構観客が入ってます・・・・。


 92年スタート
 92年のスタートシーン。


 94年スタート
 94年のスタート前。


 雰囲気伝わりますかね?
 







   
 当時愛車にしていたのは、新古車で手に入れたSRX6(87年式、俗に言うⅡ型)。これを少しだけ触って出ていました。


 普段は通勤やツーリングにも使っていましたので基本的にノーマルに毛の生えた(何処にだ?)程度。
 ピストンやキャブレター・カム等ノーマルのままでした・・・(レギュレーションの事もあったかも知れません)。
 そんなバイクでも結構遊べたのが中山サーキットというこじんまりしたサーキットの良さだったとも思えます。







 恥ずかしながらこんな感じで・・・・。



 94年予選 94年
 94年



 このバイク、
 94年がエキサイティング・サンデー最後の開催となり、95年からTIをメインに・・・・、といった事情も有り手放してしまったのですが・・・・・。
 残しておけばよかったかな。




 因みに手放す直前(95年)のSRX、

 街乗り
 

 モトサロンの2in1を気持ち上向き加工し、それに合わせてポートを拡げ、バルブ周辺を磨き、吸気系を裸にしてキャブのジェットを変え、熱対策を少々。車体はFFのスプリング(WP)、ヨシムラカヤバサスユニット。自作プレートのステップ。Fブレーキホース。チェーン&スプロケ・・・・。
 ホンとこれ位。
 (手放す直前にアルミのスイングアームとST1カムを組んだのですがレースでは使ってないので効果は???)


 良く遊ばせてもらったバイクです。(シングルは触り易いのです)(またそれが楽しかったのですよね)。





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2014/08
11
[ #636 ]

新霊

 新霊(しんれい)、
 私が生まれ育った地域では、初盆を迎えてない死者(昨年のお盆以降に亡くなられた方)の事を指したり。その方の最初の初盆(前)に行われる法事・供養会といった事を言ったり。あるいはそうした方のある家の事をさしたりします。


 ということで昨夜、世話になった掛井さんの新霊(供養)の会に列席して参りました。
 私の様な者にまでお声掛けいただき、本当にありがたい事です。


 盃


 と言う事で、詳細は無し。


 飾られていた掛井さんの遺影を拝ませていただきますと、思わず涙が・・・・。


 合掌

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2014/08
17
[ #637 ]

無目的ドライブ

 このお盆、2日ほどお休みさせていただき何をしていたかと言いますと・・・、行き当たりばったりのドライブ、しかも中年のオッサンばかり3人で(笑)・・・・。

 ほんと何やってんだか・・・・。確か一昨年のお盆も似たような事をしていた様な・・・(更にその2・3年前にも・・・・)。


 しかしこうした無目的、無計画、行き当たりばったり、生産性ゼロの行動もたまにはリフレッシュになるのです。
 (流石に宿だけは押さえて置きましたが)


 目的地は四国の右下辺りに・・・。室戸岬~徳島間、3人とも訪れた事が無いと言うことで・・・。

 私自身は、室戸岬まで丁度30年前にバイクで行った事がありますが、そこでUターンして高知方面に引き返したのでそこから徳島方面は未到達。


 しかしこうしたドライブをしていて最近一寸面白くないな、と思うことが・・・・。
 何がって、何処に行っても似たような風景ばかり・・・。
 特に地方都市の幹線道路やバイパス沿い。

 そこに存在する物は全国チェーンやフランチャイズの ・ショッピングセンター ・ファストファッションの店 ・コンビニエンスストア ・ファミリーレストラン ・DIYショップ ・ドラッグストア ・家電量販店 ・眼鏡店 ・自動車販売店 ・レンタルショップ ・リサイクル店 ・うどん屋とかラーメン屋、回転寿司・・・・ 等々。

 何だかね・・・・。


 その点、四国の右下。安芸市を過ぎてから徳島の小松島の手前辺りまで昭和の50年代で時間が止まっている感じ。 
 不便と言えば不便なのですが、一寸懐かしくてよい感じでした。

 室戸岬やスカイラインも30年前と同じ佇まい(まあ、変わりようも無いかも知れませんが・・・・)。


       室戸

 室戸岬



 因みに30年前に行った時のスカイラインにて。

 30年前  30年前2
 ( 笑 ・・・。)

 
 
 その後は海岸で一寸たそがれたり・・・・。

 たそがれ





 2日目、完全に無目的も面白くないかな?ということで昨年に続き・・・・。


 菊水連


 一寸、嵌ってる?

 来年は単車引っ張り出して来てみるかな?

 
 そんなこんなの行き当たりばったりの小旅行、たまには何も考えず、という時間も悪くないのです。





  

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2014/08
22
[ #638 ]

ワインの話 9

 1575年にオランダでボルス社が創業するまでは、各種スピリッツやリキュールやビール、あまり流通に乗る事は無かったのであろうと想われる・・・、恐らくワインを除いては・・・・等と書いたのですが。

 ワインは、実は結構昔から流通に乗っていた様に思えるのです。


 例えば古代メソポタミアで消費されていたワインの多くはグルジア周辺で生産された物であったという話ですし、ギリシャのワインも古くから輸出されていたとか・・・・。また古代ローマ時代、ガリアから樽造りの技術が伝わって以降は・・・・。

 そうした視点で見た場合に思いつくのが”ボルドー”のワイン。
 よく、単一品種のブルゴーニュと比べ各種品種をブレンドして造られるのがボルドー産ワインの特徴云々~と言われますが、それ以上にボルドーにはネゴシアン(ワイン商、流通業者、ワイン商社)の存在感が大きいという印象が有るのですよね。


 そうなった理由は色々と考えられそうですが、ジロンド川という水運に適した川の存在や、海までの近さという事も大きいでしょうし、12世紀半ばから15世紀頃まで英国領であり、ここで造られるワインの多くが、ワインの造れない英国に輸出されていた事・・・、更に17世紀のオランダとの交易とか・・・・。

 兎に角ボルドーのワインは古くから(外貨獲得の)商品としての存在感が強かったと言えそうに想えます。

 またそれにより、ボルドーのワインの味を育てたのは、消費者である英国(の貴族)であったり、その間に入る商社であったりとも言えそうに思えるのです。


 まあワインに限らず商品と言う物、メーカーが作り出す面もありますが、消費者が育てる面も強い気がしますし、流通業者や商社の意見が反映される面も強そうですものね・・・。
 
 そういった意味でもボルドーのワイン、もしかすると英国好みの味(にブレンドされていた)なのかな?とも思えたり・・・。
 (そういえば英国圏を代表する酒、ウイスキーも最近のモルトブーム以前はブレンデッド物が主流でしたし・・・)

 と言いますか、そこは世界を制した大英帝国。ワインに限らず飲酒文化や他の嗜好品文化。その基準や方向性に与えた影響は非常に大きい気がします。
 (また最近のモルトウイスキーやワインの傾向は、その一大消費地である米国の好みに引きずられている気も少しします・・・)

 閑話休題、一時期英国領であったボルドー、その後英仏間に100年戦争が起こり(14世紀半ば~15世紀半ば)フランス王の元に帰し・・・と同時に戦争により英国へのワインの出荷も減少・・・となったのですが、その代わりに英国が輸入を増やした酒・・・・それがヘレスのワイン、詰まりはシェリー。

 またその後に英西戦争が起こり・・・・・。

 そうやって現代まで続くわけですよね・・・・・。
 

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2014/08
24
[ #639 ]

一寸不思議な酒

 今、店にこの様な酒があります。


     ヤードーン



 と言っても、エチケットも何も無いので何か判らないでしょうが・・・、


 容器はこのお酒の物。


    リージェンシー


 リージェンシィーという、タイ・ブランデーのポッケットビン。



 そして中身は”ヤードーン”というタイのリキュール。


 各種薬草を入れたビン(壷)にラオカオ(タイの米焼酎)を注いで造るリキュールです。

 タイに行くと街のところどころにこのヤードーン屋台があり、立ち飲み屋を兼ねて営業しているそうで、各々の店でオリジナルのヤードーンを漬けて販売しているそうです。(リカーショップに行くと市販品もあるとか)

 因みにこれはバンコクのヤードーン屋台の物とか。(精力剤的なタイプとの事)

 そういえば昔グラッパに行った時、そこのリカーショップ(グラッパ屋)でグラッパに漬ける為の香木を売っていましたが、洋の東西を問わず似たような物が有るのですね。


 お気が召せば・・・。

 

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2014/08
29
[ #641 ]

飲食店?

 恐らくは一月ほど前の事ですかねですかね?通勤に使っている道の側に回転寿司のお店がオープンしたのは。

 ほぼ毎日その前を通るのですが、入りやすい立地とは思えない割りに駐車場には常に多くの車や自転車が・・・・。
 流行っているのですね~等と思って眺めていましたが、先日たまたま連れ合いを乗せその近くを通る事があり「一寸入ってみる?気になるし・・・」という事で、店内に・・・・。


 少々驚きました・・・・。


 店内に入りますとレジ&受付の様なスペースが在り、そこにレジ&フロア係と思える女性スタッフが2人程・・・・。
 そしてこの2人以外の店員の姿は全く見えないのです。
 2人で入店ということでしょう、テーブル(BOX)席に「こちらです」と案内され・・・・、


   以上!



 そのうちに両隣の席にもお客様が入られた感じでしたが、衝立越しなので微かな気配を感じるばかり、通路を挟んだ席(向こう三軒?)は空席だった事もあり他人の姿は一切目に入らず。
 目の前をひたすら、コンベアーで寿司が流れていくばかり・・・・。
 そしてその上方にタッチ式の液晶モニター。
 注文・清算・メニュー確認等、全てこのモニター間に合います。
 更に皿を返却口に投入しますと、5枚ごとにその液晶画面でくじ引き(ゲーム)が行われ・・・・。



 これは何だ??? という印象。



 その雰囲気は飲食店というよりも・・・、
 パチンコ屋?(とはいってもパチンコなんて20年以上していないですが)
 あるいはゲームセンター?(これも20年以上行ってないですが)。
 はたまた、寿司の自動販売機?
 何ともいえない不思議な感覚。


 まあ実際には、コンビニエンス・ストアに近い方法論なのでしょうが・・・。

 入店~欲しい商品を手にし~清算~出店をするまで一言も口を利かなくても可能なシステム。一切の他者とコニミュケーションを取らなくても良い形態。(恐らくこの回転寿司でもそれは可でしょう、スタッフのマニュアル通りの案内に頷く~食べる~清算ボタンを押す・・・・・)


 私の思っている飲食店とは別の存在ですね、一寸驚きました。
 (現実にはインターネット・カフェ等か近い存在かな・・・)


 自分の殻、あるいは友達とか家族とかといった自閉的共同体のノリ、ひたすら内向きの視線や価値観で通用する空間。
 誰でも入れるパブリックな空間にも係わらず、他者や他人に一切の気配りをしなくても良い空間・・・。

 何といいますか、私がさせていただいています(カウンター・クローズド)バーとは180度逆の世界。


 コンビニエンス・ストアが全国に普及したのは80年代という印象(出来たのはもっと前)ですが、確かに楽で便利だったのですよね、他者とコミニュケーションしなくても買い物が出来るって。
 そしてそれが当たり前になり、社会性とか他者への気配りとか作法の様な物が急速に衰退し・・・、恐らくはそれ故に接客に関するトラブルも増える(クレーマー問題とか・・・)。
 そこでそれならばと、更に出来る限りの接客を廃せばトラブルを減ずる事が出来る・・・。そういう解釈でよいのですかね?
 (究極の接客が接客をしない事になっている?) 
 これでレジ&フロアのスタッフが人型アンドロイドになれば完成かな?


 何といいますか・・・、凄い時代に成って来たなという印象。

 確かに最近、道を歩いていてもスマートフォンを観ながら歩いている人にぶつかられそうになったりといった事も増えましたが、同じような事なのでしょうね。

 そのうちスナックとかバーなんて存在も必要無くなるのかな?

 個人とか、身内とか、友達グループとか、ライン繋がりとか、そうした小集団の内側の価値観だけ見てれば良い社会。 

 確かに楽(らく)なのですが、楽(たの)しく無い気も・・・・。


 しかしそうした小集団から出れない人間、昔は田舎者と呼ばれた気もするのですがね・・・・。
 まあ、私も田舎者ではありますが・・・・。(社会性も欠如気味?)

 昭和の人間、時代遅れの人間の愚痴と聞き流していただければ・・・・。



 でも、少々驚いたのです。

 

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