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2015/06
01
[ #721 ]

無意味に走り回る

 昨日、長期予報では雨だったものが晴天と変り、それならば・・・・と。
 9時頃に家を出、何時ものGSでタンクを満たし・・・さあ、どちらへ向かうか・・・・。

 何はとまれ、フロントタイヤは北に・・・・。
 R375~K29~K6・・・・・といった感じ・・・・そこからR261~R9と、ひたすら下道で浜田市へ。
 流石に疲れて一休み・・・・。

 バイクを止めたのは、旧・新地地区辺り・・・・・。



 ハイ、この辺りもその昔遊郭地だった場所ですね 笑 。

 休憩&ストレッチがてら周辺を散歩してみますが、往時の風情は無し。
 完全に再開発済みです。
 
 近くの下山稲荷に参拝し、再び走り出す事に・・・・。

 下山稲荷


 浜田市、・浜田城城下町・北前船で賑わう港町・漁師町・陸軍駐屯地・大戦末期の漁船の徴用・・・・・等々切り口は沢山有りそうですのでチャンスがあれば改めてゆっくり訪れて見たいと想います。

 何はとまれエンジンに再び火を入れ、そこから海沿いに行けるところまで西へと下る心算が・・・、気が付くと津和野に居りました   笑   。


 まあ、目的地が有って家を出た訳でも無いのでこれも有りかと・・・・。
 此処でも休憩&ストレッチがてら街並みを散歩。



 そういえば確か津和野にはコレが有った筈・・・とそこに向かいますと・・・・・。




 北斎美術館


 閉館しているのです、「葛飾北斎美術館」。



 大阪で開催中の肉筆画展に出向く気力は無く、代りに・・・・何て思いついたのですが、残念です。
 それでは、としばらく街並みを散歩・・・・。


 津和野には遊郭は無かった筈すですが花街(置屋)は存在した筈なので、そんな名残を求めて・・・・。
 (たしか”おこうさん”という芸妓のはなしを耳にした記憶が・・・・・)


 
 浜田でも想ったのですが、中小の地方都市は何処も寂れ気味ですかね・・・・。
  
 交通の発達&スピード化 等々で宿泊される方は減少傾向でしょうね・・・・。


 閉められた旅館さんかな?

 津和野・新町

 付近のスナック等も閉められた店ばかりに想えます。


 また津和野といえば白壁の残る城下町といった印象が強そうですが、私としては乙女峠の話も気になります。

 明治維新以降のキリシタン迫害。



 そこで、こちらへ・・・・。

 教会


 ”I H S”の紋章がはっきり見えますので、イエズス会承認の教会という事なのでしょうかね。

 そういえば、”西 周”の生誕地もここ津和野とか?

 色々歴史について考えてみたくなります。



 
 1時間余り散歩したでしょうか?
 再びバイクに跨り、もう少し西へと走り・・・・。




 此処に少々バイクを止めさせていただいた後Uターン、帰宅する事に・・・・。

 芳和荘前


 著名な芳和荘様の前です。

 今回は雰囲気の残る妓楼建築に出会えなかったので、此処で目の保養?をして帰ることに   笑  。


 下道オンリー、トータルで520㌔位は走りましたかね(20年落ちのバイクでよくやるね・・・・)。

 19時過ぎの帰宅。

 最期は流石に握力が無くなりましたが、まあトレーニングの代わりだと思って走ってみました。

 
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2015/06
06
[ #723 ]

DIANA KRALL

 前回、白人女性ジャズヴォーカリストというとやはり”ヘレン=メリル”何て書きましたが、21世紀の現代だともしかするとこの女性なのかな?とも思ったり・・・・。


        Diana Krall-LiveInParis

  「LIVE IN PARIS」  DIANA KRALL


 恐らく人気等を考えても今のアメリカを代表する女性ジャズシンガーでは無いかと思えます。ヘレン=メリルの後継者といいますか(おっと、そういえばヘレン=メリル女史未だご存命でしたね、失礼)。

 また(このアルバムではそうでも無い気がしますが)、カントリーやロカビリーといったアメリカの伝統音楽的アレンジがしばしば感じられる事も、その人気の一因かとも思えたり。もしかするとその辺りが今のアメリカを代表するジャズシンガーの位置を獲得できた理由かもしれません。


 そしてこのアルバムですが、確か2002年の発表で彼女の人気を不動にしたアルバムという印象を持っています。
 またそれ以上に何といいますか、彼女の持つ”姉御(あねご)感”の様な物が良く感じられる気もするのですよね・・・・・。

 なんと言いますか米語を使う女性特有の”姉御感”の様な物を彼女に感じるのですよね(勿論、プライベートがどんな方かは判ら無いのですが・・・・)。
 もしかするとその辺りもアメリカを感じさせるジャズシンガーとしての人気の要因かとも思えたり・・・・。

 で、このアルバムをチョイスです。

 
 

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2015/06
09
[ #724 ]

まちかどアートワークス(竹原)

 こんなイベントが開催されておりまして。


  ポスター

 ひろしま三都、道めぐり (まちかどアートワークス)


 古い街並みと現代アートのコラボ企画ですね。

 最近この手のイベントが矢鱈と多い気はするのですが個人的には好みの方向性という事でもあり気候も良さそうという事で、そのうちの一つ竹原会場を覗いて来ました。

 足はバイクです。
 道の駅にバイクを停めそこから北へ向かって古い街並み&アート作品を眺めながらそぞろ歩きをさせていただいた訳なのですが、改めて眺めると雰囲気の在る建物、江戸から明治・大正・昭和初期と想える建物が良く残されているのです。
 また、来る毎に道等の整備も進み綺麗になり観光地らしくなって来ている印象です。


  街並み

 この建物が在る辺りが街並み保存地区の南の入り口ですね。




 実はこの竹原市、個人的にはかなり馴染みの有る街でして・・・といいますか、此処の学校に通っていた時期もありました・・・・。


 その当時(昭和の後半といいますか、20世紀の終盤三分の一といいますか・・・)は、高度成長~日本列島改造論~バブルに向かう時期でも有り、兎に角目新しい物や・近代的な物・文明的な物・・・・あるいは開発といった事・・・・等々が持て囃される風潮でもあり、現在街並み保存地区と呼ばれる地域は、街並み保存は一応されていましたがどちらかというと日の当たらない場所といいますか、お荷物的に見られていた印象が有るのです。

 実際に住んでいらっしゃる方達の口からも「家を直したい、あるいは建て替えたいのだけれど色々と規制が多く、その割には補助金なんて僅かだし、ほんといやになるね・・・・」といった意味の声を聞いた記憶もありました(子供の頃の記憶なので少々曖昧ですが・・・・)。

 それが今では良い感じで(実際この竹原の街並み保存地区の建物群は広島周辺では数といい保存といい最も良いのでは?と思います)観光地となり・・・・、逆に当時賑やかだった駅前は見事シャッター通り・・・・。
 時代の流れといった事を感じますね。




 とはいいましても、この日は”道めぐりフェスタ”というイベントも開催され、また当然アート作品展示も行われていたにも関わらず、人出はそんなに多く無かったのですよね(個人的には有り難かったですが)。
 先日訪れた津和野もそうでしたが、地方都市の観光という物が難しくなっているのですかね?といいますか”観光”という物自体が変って来ているといっても良いのかも知れません・・・・・。



 閑話休題、現代アートの展示はこんな感じで・・・・・。


 作品


 確かこの作品と似た物を、東広島市河内町で行われた”宇山DNA”で観た記憶が・・・・。 



 そんなこんなでアート作品や建物愛でつつ歩かせていただき(民族資料館で開催の竹鶴正孝展も観させていただき)、北の端の正連寺でUターン。


  街並み2

 灯籠等からも時代と往時の繁栄を感じる寺です。





 
 また、帰りがけに思ったのですが、この場所・・・・。
 

 雁木
 

 この写真の場所から北に数百メートル程が見事な雁木といいますか川船の船付き場となっておりまして、家の裏手や道から川に降りる事が出来る様になっている場所も多く、往時の繁栄を感じさせるといいますか、岡山北部、勝山地区の同様の物と比較してもさほど見劣りはしないのでは?と個人的に思うのです・・・・・。

 そして、昭和の時代には(恐らく地域の方々)がしっかりと川切り=川の手入れもされていた記憶が有るのです・・・・・。

 が、現在は写真のごとく・・・・。
 川幅も三分の一以下かな・・・・・。


 更にこの地区の北辺りに在りますこちらも・・・・・。

 小早川神社看板


 今では・・・・・。


 
 小早川神社



 完全に崩壊中、灯籠の上部も無くなっており・・・・・。

 戦国武将の小早川氏、それなりの知名も有ると思うのですが・・・・・。


 何というか・・・・、観光(業・開発・・・・・・)という物に付いて一寸考えてしまいました・・・・・。 





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2015/06
13
[ #725 ]

観光

 このところTVのニュース等で、”日本を訪れた外国人観光客の数が前年比OO%アップとか、経済効果がいくら~~”といった報道も多い気がします。また、私自身暇を見つけては単車でウロウロ、観光ライダーと化していますし(とはいっても訪れるのは遊郭跡や色町・花街跡ばかりですが)、前回、観光に付いて少し考えたくなる~~等と書いた記憶も・・・・。
 それに最近、日本を訪れる観光客が増えているという報道は良く耳にするのですが、私が訪れる様な場所(地方の中小規模都市等)は逆に寂れて観光客も減っている印象が強いのですよね。

 ということで、少し”観光”という事に付いて考えてみようと思うのです。


 ではそもそも”観光”とはどういった物なのか?

 観光という言葉、それ自体は恐らく明治以降に造られた新語でしょう。江戸期以前は”旅”とか”~~参り”とか”物見遊山”と表現されていた筈ですから。

 ではこの”観光”という物、あるいは観念を生み出したのは?といいますと、(結構著名な話ですが)19世紀半ばにトマス=クックがクック旅行会社を創設したのが嚆矢でしょう。
 そしてこのクック氏、進歩主義者といいますか禁酒活動家の面も強かった様で、旅行会社を設立した理由も旅行を飲酒に代わる楽しみとして定着させる為であったと言われています。

 つまり、それまで(19世紀半ばまで)の人々の余暇の楽しみといいますと、”飲む・打つ・買う”特に”飲む”、詰まり飲酒がその主流だった訳です。
 それをクック氏は(観光)旅行という物で代替しようとしたともいえる訳です。詰まり、旅行という体験、学習をとうして個人が進歩する。その進歩や成長することを楽しんでもらおうと考えたのでしょう。(体験学習とか教育資格産業的な面もあったという事でしょう・・・)

 で、その通りに事が運んだのかというと、どうもそうは行かなかった気がします。
 単なる娯楽化してしまったといいますか・・・・・。


 少し話は変わりますが、この19世紀半ばにもう一つ似たような物?も誕生するのですよね・・・・。


 それは何かといいますと、「万国博覧会」。


 今でもそうですが、この万博会場に良く有る物の一つに居ながらにして世界の風景が楽しめるといった趣旨のパビリオン。360度のスクリーンとか3D映像とか、最近では世界遺産のそれとか、ドローンで撮影された映像とか・・・・・。
 有りますよね・・・?

 こうした物に拠り、世界の風景が単なる”見世物”とされてしまった面が強いと思われます。

 また、実はそれは風景だけでは無さそうです。

 19世紀後半から20世紀前半にかけて万博等で流行った物に、実は人間(未開人・原住民・有色人種)の展示が有りました。
 まあ”土人”という動物(半獣人)を展示する動物園といいますか・・・。

 また最近は動物園や水族館等で”行動展示”なんて物が流行りですが・・・動物の観察も、動物園の動物から、より自然に近いものとしてサファリランド、更に実際に現地に旅行しての観光・・・・といった様になる。と同様に、人々(現住民?)の生活や文化形態を観光に行く物として観光旅行やパックツアーが成立して行く面も強くなる訳です。

 となると・・・・、観光する側は良いですが対象となる(観光される)側って、結構惨めでは無いのか?という事も当然考えられる訳でして(たしか民俗学者の宮本常一氏もどこかの著作で地方の文化・民俗等の観光化にはそういった難しさが有る事を指摘されていた記憶も・・・・)。
 また戦後良く言われていたのは、交通の発達に拠り観光旅行が世界的に流行したが、西洋人が行きたがるのは旧植民地が多いという言説も・・・・・。
 詰まり観光(旅行)とはある面、上流階級(金持ち)が原住民の生活や文化を見世物的に観る行為、とも言えそうで(かなり嫌味ですが・・・・・)。

 そう考えると、観光の推進という物、実はかなり考えなければいけない物という気もしますよね。


 少し話が戻りますが、先に19世紀半ば以降、風景や人々に暮らしといった物が”見世物”として観光の対象と化したと書きましたが、見世物故により解り易くて面白い物が求められる様に成るのはある面当然の成り行きでしょう。
 それに拠り観光や観光地等が、イベント・エンタテイメント・ショービジネス化していく。あるいは、それらが観光の目的となる訳で。

 確かに、東O・Dランドや大OUSJ等は今でも多くの人出で行列も出来るとか・・・・。


 観光それ自体がショービジネス化したのが現代といいますか。
 
 しかしこのショービジネス、言ってみれば典型的アメリカ(現代)型のサービス業とも言えそうです・・・・。

 
 アメリカ型のサービス業 ?????? 

 アメリカ型のサービス業では、お客様の我が儘に出来るだけ答えるのが良いサービスとされる訳です。いってみれば”お客様は神様です”といった方向性(そういえばこの”お客様は神様です”のフレーズが流行ったのも大阪万博の時でしたよね)。


 こう書きますと、それの何処がいけないの?当然でしょ?なんて意見が飛んで来そうですが・・・・。

 このアメリカ型のサービスという物が進んでいくと、お客様の要求(我が儘)が無限に肥大化する方向に行きやすい訳です。
 その結果として、現場が疲弊する(アメリカ型の典型、ファストフード系のチェーン店、そうなって来ている様に思えますが・・・・)。
 また、価値観が一元化しやすいので多様化が失われ易い、その結果、資本力が大きい所しか生き残らない・・・・等々となり易い等々。 

 結局地方の小さな観光地とかレジャーランドは疲弊する、と・・・・・。

 (もっとも遊郭地という観光地・レジャーランドは昭和33年の法律が基で消えていく・・・・笑 ) 



 観光という物が矢鱈とTV等で騒がれ、又そうした番組もグルメ番組同様に目に付きますが、たまには観光という事に付いても少し考えても良い気がするのです。



 




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2015/06
19
[ #726 ]

リキュールのはなし 5

 リキュールという酒が普及した要因の一つとしてボルス社の誕生の影響が大きいのでは?等と書いた記憶が有るのですが、他の要因に付いても少しばかり妄想を拡げてみたくなるのです。

 例えば、カトリーヌ ド メディチ(メディシス) 辺りから・・・・・。

 
 カトリーヌ ド メディチ 、名前の通りイタリアのメディチ家の血を引く女性ですが、彼女が1533年にフランスのアンリ2世に嫁ぐ訳です。
 そしてその時に多くの従者を伴って輿入れする訳ですが、その中に、料理人や菓子職人、医師や占星術師等々も含まれる訳でして・・・、そしてその料理人達がイタリア料理をフランスに伝え、今に繋がるフランス料理の基礎を造り。また、菓子職人(パティシエ)達が同様にフランス菓子の基礎を造った、といえる訳です。

 当時(それまで)のヨーロッパ文化の中心はイタリアだった訳ですね(丁度ルネッサンス期の終わり頃ですか?)。と言いますか古代から当時まで地中海沿岸がヨーロッパ文化の中心であった訳で・・・・、当時ももしかすると、オスマン帝国の方が文化的だったかもしれませんし、あるいはビザンツ帝国(コンスタンチィノープル)とか・・・・。


 閑話休題、彼女の従者の中には医師や占星術師も当然含まれていた訳ですが、彼らはいってみれば、錬金術師や科学者とも言える存在。そして彼らがリキュールの製法をフランスに伝えた面も大きいと思えるのです。

 そういえば彼女の結婚相手”アンリ2世”の死を予言したノストラダムスなんて正にそうした存在ですよね。


 そしてその100年余り後の17世紀半ば、フランスはアンリ4世を戴いたブルボン王朝に代わる訳ですが(因みにアンリ2世との直接の血縁は無かった筈です)、この頃から(西)ヨーロッパの中心がフランスに変わるのですよね。
 それは、恐らくカトリックとプロテスタントの両方をうまく融和させた(取り込んだ)故。そして重商主義。

 兎に角、その頃から革命までフランス王室(ブルボン朝)がヨーロッパの中心として、またそれ故にヨーロッパ社交文化の中心として君臨する訳ですが(ベル薔薇の世界ですな・・・・・)そうした社交パーティー等で注目を集め定着していった物の一つにリキュールがある訳です。
 ドレスの色にリキュールの色を合わせるなんて事が流行るのです(だからこそボルス社も成立出来たのかも知れませんし)。

 また、このフランス宮廷文化の繁栄があったからこそ現在もフランスのブランドメーカーがその存在感を保っているとも言えるのですよね。

 

 いってみればこの時期(あるいは以降)、ベルサイユ等で開かれる社交界に参加する王族や貴族達は、色々の色のリキュールを捜し求めた訳でしょうから、そうした物が修道院辺りから流出したり、錬金術師に造らせたりなんて事も在ったと思われます。
 (そういえば、カトリーヌ ド メディチ がフランスに輿入れ後に流行った物にもう一つ、神秘主義なんて物の・・・・、この辺りも錬金術(占星術)師の影響かも知れませんね・・・・。)

 

 例えばこのリキュール。

 shartreuse.jpg


 レシピが1605年にアンリ4世(ブルボン朝)の宮廷関係者から伝わったと云われています。





 追記

 更に云えば異端審問を切っ掛けにプロテスタント運動が起こり、彼らから教会に対する寄付が激減した為に、教会や修道院は院内で造っていた酒類(ワイン・ビール・リキュール等)を地方領主や庄屋等に売って収入を得始めた・・・・何て事も関係しそうです・・・(押し売り的だったなんて話も・・・・・)。免罪符の発売もこの時期ですし・・・・。 
 

 相変わらずまとまりに欠ける文章でした・・・。
 

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2015/06
22
[ #727 ]

今年も梅酒を・・・

 今年も少しばかり梅酒を漬けてみました(因みに自宅用です)。

    梅酒2015

 ベースとしたお酒はジン。氷砂糖を少し多めで。
 以前ジンで造った物が連れ合いに評判が良く、今回もジンで漬ける事にした訳です。

 それと昨年漬けた物の味見も少々。
 昨年はテキーラ&ラム&バーボンで漬けたのですが、現時点ではラムで漬けた物が相性が良い感じ・・・・。

 さて来年はどうするかな?

 
 

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2015/06
29
[ #729 ]

近くの神社・仏閣

 少し前の事です、梅雨の晴れ間の青空という事で車庫からバイクを引っ張り出して近所を一廻り。
 先ずバイクを停めたのは、此処。
 

    仁王門

 並滝寺という真言密教の古刹。
 最近こうした密教系の古い寺院に惹かれるのです。


 この並滝時、行基が開いたと伝えられているそうで、そうなると安芸の国でも最も古い部類の寺となるのでしょうね。
 因みに現在の建物群は、それまでの物が宝暦年間の台風で崩壊したため明和年間頃から再興された物とか・・・。
 明和年間といえば晴信が活躍した時代、大体1760年代くらい、約250年前ですかね?

 因みに本堂は・・・・、


   並滝寺・本堂

 このような藁葺き屋根です。

 そして、向かって右の灯籠には享保の文字が、左の灯籠には明和の文字が読み取れました。


 という事でこの石垣も恐らく江戸中期以降の物でしょう。

   石垣


 

 さらにそこからひとっ走り、こちらに・・・・・。


    志和神社

 志和神社の鳥居前・・・・。



 この神社はこうした由来のもと、明治の終わり頃に建てられた物です。


 神機隊・説明文


 八条原城跡



 という事でこちらにも・・・・。


 神機隊・墓


 志和IC近く、西蓮寺の中に有ります神機隊の墓所です。

 各々の墓石、その上の部分が後の軍人墓の意匠に近い気がします。
 といいますか、平安神宮等もそうですが、末広がりを強調した四角錘的意匠が明治政府(長州)の好みなのですかね?

 因みに西蓮寺はこうした由来を持つ寺です。


 屯所・説明文


 幕末諸隊の一つ「芸州回天軍第一起神機隊」(神機隊)の屯所であった訳です。



 こうした神機隊の様な幕末の諸隊、実はかなりの数が有った様なのです・・・。
 例えば著名なところでは、幕府方で白虎隊とか彰義隊・・・・・。薩長方では奇兵隊・・・・赤報隊も割と著名ですか・・・?
 新撰組は小説や講談等でも著名ですが(幕末諸隊に入るのかな・・・・?)。 
 しかしそれ以外の諸隊に付いては、あまり客観的に語られる事も無い気がします(郷土の英雄譚的には多いのかも知れませんが・・・・・)。

 色々と難しそうでもありますしね、しかしこうした諸隊の存在は個人的には、幕末~明治維新~近代化~~・・・といった時代を想う時結構重要な存在とも思えそうなのです・・・。



 それはさておき、近所でもまだまだ知らない事・場所は多く・・・・そうした場所を訪れるにもオートバイは便利なのですよね。
 まあこの季節、車の少ない道を走るだけでも気持ち良いですし。



 追記 

 昨日、群馬県の国道で大型のオートバイ同士の正面衝突事故が有り・・・・・・・・といったニュースが流れていて、オートバイという存在に付いて少し考えたくなりました。

 また、神社という存在や寺(仏閣)という存在に付いても・・・・・(ブログには書き辛そうなテーマでありますが)。

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