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2015/08
04
[ #740 ]

ビアガーデン

 ここ数日は盛夏らしい猛暑。
 ホント暑いですね。
 まあ立秋を控えたこの時期は一年でも最も気温の高い時期、そんな物といえばそんな物なのでしょうが・・・・。

 しかしこれだけ暑い日が続くと酒飲みとしては行きたくなるのが”ビアガーデン”。

 とはいいましてもこの私、職業柄ビアフェスタ等に顔を出したりスタッフ側になったりという事はまま有りましたが、単に”日が暮れ徐々に暗くなっていく景色の中でビールを飲む為”といった理由でビアガーデンに出かけるなんて事は今の店を初めて以降はやった記憶が無いのですよね(忘れているだけかも知れませんが)。

 しかしたまにはそれも良いかと、ビアガーデンに行って来ました。
 先の日曜日の事です。

 
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2015/08
07
[ #741 ]

MAKOTO (真箏)

 前回は中国の女性ジャズヴォーカルのアルバムでしたが、今回は”和”を感じる女性ジャズヴォーカルのアルバムを・・・。


              MAKOTO


  「Makoto Sings Jazz」  MAKOTO (真箏)


 収録されている曲は基本的にジャズのスタンダードナンヴァーなのですが、一寸、アンニュイというかコッケティッシュといいますか・・・そんな印象。其れ故か、或いは発音故か間の取り方故か?聞くほどに”和”を感じるアルバムの印象。

 まあ、私の先入観のなせる故かも知れませんが・・・・・。


 何故ならこの歌い手のMAKOTOさん、このアルバムを吹き込まれた時点では・・・・、

 芸妓姿


 祇園甲部の現役の芸妓さんだったのです。



 折角なので、正面のお顔も(某雑誌から拝借)・・・・・、

 雑誌から 雑誌から2

 他にも”和”を感じるジャズボーカルは多いでしょうが、前回アップした記事が京都なのでこのアルバムを選択。


 芸妓さんの歌う大衆歌謡(いってみればジャズもアメリカの大衆歌謡の側面もあるでしょう)のアルバム(レコード)という存在、現代では珍しいと想いますが、昭和の前半まではしばしば存在したという話を聞いた事が有ります。
 お座敷唄とか小唄等を吹き込まれる事はしばしば有ったようですが(例えば小説”長崎ぶらぶら節”にもそんな話が記されていますよね)、西洋音楽的大衆歌謡(歌謡曲とか演歌・ムード歌謡・ポップス等)を吹き込まれたり歌われたりする事もあったとか・・・。
 往時、そうした歌謡曲のレコードは、レコード会社が作曲家の先生に曲を依頼し、そのお弟子さん筋等の音大等で西洋音楽を習った歌い手さんが歌うという物が主流だったという話ですが(例えば淡谷のり子さん等・・・・)、其れに対し芸舞妓さんはそうした西洋的歌唱法とは違った歌われ方をされていたとか・・・・。
 まあ芸舞妓さんは有る面戦前のアイドルでも有りますし、あの化粧やイメージで大きな口を開けて歌うことは難しかったでしょう。
 そこで、ある種の儚さとか線の細さといった印象を受ける歌い方だったとか・・・・(島倉千代子さん等がその延長線上にあるとか・・・・)。


 相変わらず話がずれていますがこのアルバム、個人的には確かにそうした雰囲気を感じるのですよね・・・・。

 
 

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2015/08
10
[ #742 ]

暦の上では・・・

 確か今年は8月8日が立秋でしたので暦の上ではもう秋なのですね。
 確かに一昨日から朝晩の空気の内に僅かでは有りますが秋の気配が感じられる様になりました。
 改めて二十四節季の季節感というもの良く出来ていると感じます、日本の四季や感覚に合っているといいますか・・・。

 
 例えば立春、例年(グレゴリオ暦)2月の4日前後ですが、その前の半月程(1月末の1週間)が平均気温の最も下がる時期(サイン曲線のボトムの時期といいますか・・・・・)。それが過ぎ、かすかに平均気温の曲線が上向き始めた時を、立春=春が立ったと表現しているのでしょうが、確かにそんな気がします。
 ほんの微かな春の兆しを感じて春が立つというメンタリティー、何とも日本的と言いますか東アジア的といいますか・・・・・良いですね。
 立秋も同様に・・・・。


 しかし、こうした表現もこれから余り使われなくのるのかな?という気もしているのも事実。


 確か今年の4月の初め頃でしたかね、TVの天気予報や情報番組等で”気象学的に春は新暦の3・4・5月なのです”という言い回しがあちこちでされ気になったのは・・・・、どの局の番組でもそうした事が語られ、非常に耳に付いたので覚えていたのですが。
 何故に今さらそれを強調するのであろうと・・・・。各局でいっていたのでなんらかの指導があったのでしょうか?(穿ちすぎですかな 笑)
 
 気象庁(気象学)的な季節の定義が何時から使われる様になったのかは正確には知らないのですが、確かに私が子供の頃から有りましたので結構古くからとは想いますが、まあ切っ掛けは明治6年1月1日からの新暦(グレゴリオ暦)の導入なのでしょうが・・・・。

 
 そういえば春夏秋冬の四季も色々の定義がありまして・・・・。

 日本の場合、江戸期までは基本的に二十四節季の四季、俳句等の季語もこれに沿っている訳で日本文化といいますか・・・、日本古来のメンタリティー合致するのはやはりこれ・・・・。

 西洋等では、春分・秋分等を重視する物が多そうで、春分から夏至を春とするといった様に・・・・。
 いわば天文学的な四季といいますか。

 実はグレゴリオ暦も春分を基準に(3月21日)とするように制定したので1月1日が冬至と微妙にずれているとか・・・・。
 西洋では宗教的にかこの春分や秋分を重視する様で・・・・。
 他にも各宗教(ユダヤやイスラム等)は、月の動き(太陰暦)も重視している様ですし中々暦や季節の話は複雑なのです・・・・・。


 まあ、アジア諸国においても事情は似た物かも知れません、基本的に正月は日本を除いて旧正月重視ですからねェ。



 何をクドクド書いているかといいますと、この春の季節の報道辺りから、もしかすると今我が国は再び転換点を迎えているのかと漠然と漠然とですが想うのですよね。

 明治維新に拠りグレゴリオ暦が導入され、公式な物はそれに統一され・・・・・、それでも地方の祭り等は旧暦で行われていた物が1904年の地方改良事業から廃止の指導を受け、更に敗戦後(特に昭和30年辺りから)急速に新暦に合わせるようになり、地方の文化や慣習・風習も消されて行き・・・・(そういえば売春禁止法もこの時期ですか)。
 
 そして今、もしかすると再度(3?4?度目)の転換点に有るのかな?という印象といいますか漠然とした不安といいますか、感じたのですよね。例えば安保法案や派遣労働法等々の事も含め・・・・・。
 
 そして立秋の過ぎ暦の上では秋と成ったのですが、果たして次の春を迎えた時にどの様な雰囲気(社会)に成っているのな・・・・、なんてね・・・・。


  

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2015/08
14
[ #743 ]

お墓

 お盆という事で何箇所か墓掃除(墓参り)に行って来ました。

 家の代々墓を主に・・・・。

  
 こうして墓に参ると想うのですが、子供の頃までは墓所にも基本的には各家の代々墓が建っていまして、軍人墓を除き個人(や夫婦)のお墓という物は少なかったと想います。
 
 恐らくお墓という物、基本的には家(血族・親族)の象徴といいますか、親族の集まる場所といいますか、祠の様な存在といいますか・・・・。沖縄の亀甲墓等特にそうかも知れないと思えます。長崎で墓所で花火をするなんて風習も・・・・。

 家(建物)の中に在ると神棚とか仏壇、外だとお墓。
 また商家の庭等に在るお稲荷さん等も近い存在かと・・・・。

 個人の墓(武将等の物)はお墓というよりも供養塔という存在に近い様にも・・・・。



 またこのお墓という存在、我が国への仏教伝来よりも古くから存在している訳で(勿論神道よりも)・・・・。
 
 しかし最近は、例えば散骨なんて話もそうですが・・・・・墓や葬儀といった物もきわめて個人に帰属する物に変わっている印象。
 
 社会生活全てがその方向に行っているのは確かですが、戦後の個人主義(核家族)的な空気・意識、確実に墓という存在にも影響している気がします(明治維新の影響もあるでしょう)。

 何だかそんな事を思いましたね・・・・。


 代々墓

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2015/08
21
[ #744 ]

ユトリロ

 広島美術館で開催中の”ユトリロとヴァラドン -母と子の物語ー ”展を観て来ました。
 久々の広島美術館です。


     P8190295.jpg

 

 19世紀半ば~19世紀末~ベル・エポック~エコール・ド・パリといった時代のパリの風俗は個人的に興味惹かれる対象、今回のユトリロ&ヴァラドンも、この19世紀末~エコール・ド・パリの時代の作家ということで出かけた訳です。
 何といいますか、江戸の爛熟期との共通性といいますか(モンマルトルと吉原周辺・・・・の類似と差異)何て事も思ったり・・・・。


 実はヴァラドンという作家今までノーチェックだったのですが、何といいますか19世紀末のパリの芸術家達の集まりの中心近くに存在した女性だったのですね・・・・・、もしかするとエコール・ド・パリ時代の”キキ”の様な面もあるのか?と思わされたり・・・。
 またそれ以上に彼女の目力の強さ、作品の力強さ、デッサン力といった物に少々驚かされました、またそれ以上にモデルとなる人物の動きといいますか所作といいますか構図といいますか、そのあたりの認識力の様な高さといいますか・・・・。
 楽しめる展示でした(ユトリロはどうした?)

 また広島美術館の常設展も相変わらずですが良いですね、今回はホールの展示が日本近代洋画の作品に変わっていましたが、これも良かった印象。

  022.jpg

 建物の形や規模も含め好きな空間です。(勿論、現美や県美も好きですし・・・・。そう思うと広島県、良い美術館が多いですね・・・・。)


 それから、次いでといっては何ですが、近くで開催中の”アートアクアリウム展”も覗いて来ました。
 
 前半の方に展示された”金魚コレクション”のコーナー等を観ていますと、久々に魚を飼ってみたくなりましたね(実は開店当時、バカナリヤの店内に水槽をひとつ設置していたのです・・・・)。
 そしてメインの展示の”大奥”、昔観た映画「さくらん」を思い出しました(前回は花魁というテーマだったとか、其れもみてみたかったですな 笑 )。
 

 しかし、それ以上に想ったのは・・・・・、
 これだけ照明が頻繁に変わり、かつ大き目のBGM、さらに多くのお客様の存在や視線etc。
 金魚さんのストレスにならないのかな・・・・・という事。
 

 また会場内、フラッシュ撮影や動画撮影は禁止でしたが、通常の撮影は可と成っておりまして・・・・・。何といいますか、人の流が滞るのですよね・・・・。最近他の観光地や公共の場所でもそうなのですが、いかがなものか?と思うことも多いですね。
 まあ時代の流れ、いっても詮無いことでしょうが・・・・。


 等といいながら私も一枚撮影してみたり・・・・ 笑 。


 026.jpg


 まあ、そんなこんなで久々市内で遊んで来ました。


 追記

 金魚や愛玩犬等のいわゆるペットを生み出した人間の執念といいますか、支配欲といいますか・・・・、少々怖くも思えたり・・・・。

 

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2015/08
29
[ #746 ]

日本の酒のはなし 6

 我が国の飲食文化の基と成る物は室町から江戸中期にかけてその殆ど登場していた様に思えるのです。

 例えば現代に続く日本料理の基礎となる懐石料理の登場もその時期でしょうし、普茶料理・精進料理といった物もそうでしょう。
 まあ、我が国の飲食文化・接客文化の基礎となる茶懐石・茶の湯・侘び茶・茶道といった物の登場がこの時期ですので。
 
 また、握り寿司・天麩羅・蕎麦切りといった所謂”和食”の代表的な物も江戸中期には登場していますので、ほんとこの時期までにはある程度完成の域に達していた様にも思えるのです。器等も含め・・・。


 では、酒はとなりますと・・・・。
 侘び茶(茶道)を完成させたと言われる利休。”酒道”というものも提唱していたとか・・・・。まあ、これは江戸時代に消えてしまったといわれていますが・・・・。

 技術的な面でも、室町時代には”火入れ(低音殺菌法)”が出てきますし、諸白造りも始まった筈。さらに”みりん(酎)”も登場しますし・・・・。これなどは和風デザートワインといった感じでしょうか・・・・。
 さらに江戸時代に入ると関西圏に置いて・生もと造り・寒造り・木灰精澄法・木綿濾布・・・・等も登場し所謂”清酒(当時は上酒と呼んでいた気も・・・・)も登場する訳で・・・・・。
 さらに言えば柱焼酎を添加し、飲み口を良くした辛口の酒なんて物も造られたり・・・・・。

 他にも、備後の保命酒の様な物(これなんか薬草系リキュールといっても良い気が・・・・)も有りますし、また落語の青菜等でも名前の出る柳陰(ヤナギカゲ)なんて、焼酎に味醂を加えた物でしょうから(他の説もありますが)ある種カクテル的なのかも知れませんし。
 (そういえばこの柳陰、竹原あたりではにごらず”ヤナギカケ”と呼んでいたとか、そして塩田労働者等が夏場に井戸で冷やした物を仕事上がりに引っ掛けていたとかいないとか・・・・・)

 また、往時の黄表紙等に(管巻太平記だったか・・・・)、新酒と古酒が喧嘩になり其れを焼酎が仲裁する・・・・なんて話も有りましたので、新酒・古酒・焼酎、それぞれにファンが存在したとも思えそうです。

 なんといいますか、想った以上に昔の我が国の酒文化は発達していて豊かだった気がするのですよね。

 勿論、洋酒は殆ど輸入されていなかった訳ですが、その分国産の物や飲み方等が豊かだった気もするのです。

 吟醸酒以外の物は殆ど登場していたのかな。
 タイムマシーンでも有れば一度江戸時代にタイムスリップしてみたいですね。




 追記

 室町時代辺りでは、主たる酒の生産地はやはり都に近い場所、伏見とか一寸下って奈良、あるいは北の若狭周辺が主流だったのでしょう(確か伊達政宗も若狭から杜氏を招聘し地元民にその技を盗ませ東北での酒造りを定着させたとか・・・・・)。
 その後、水運の便の良い灘が主流となり江戸期の酒造の中心は灘周辺の印象が有ります。

 尤も、灘周辺の酒は多くが江戸等に送られたりで一大酒業産業地といった印象。また、地方において消費される物はその地方で造られる事も多かったでしょう。
 また、所謂”どぶろく”なんて村々で造っていたでしょうし・・・・。


 では、私が店をさせていただいています広島県(安芸の国)といいますと・・・・・、文献で残っている物だと天正年間(信長の時代ですか?)に三津で酒造が行われていたと記されているのが最古とか・・・・。
 安芸津町三津地区、三浦仙三郎氏の印象が強いので明治期以降の印象が強かったのですが(最近はいま一つ元気がない気もしますが明治後半から昭和にかけて三津杜氏といえば一大勢力だった訳です。そういえば昔、県立竹原高校安芸津分校には醸造科が有った記憶も・・・・(高校で醸造科というのも今考えると凄い気がします)、けっこう伝統的な酒造地だったのかも知れません、江戸期には藩米の集積地でもあった筈ですし・・・・・(まあ故にとも言えそうですが)。
 また、江戸期には竹原や三原も酒造が盛んだった筈ですし、他の県の事は余り判りませんが、広島の海岸線も結構酒造が盛んだった様です。


 

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2015/08
31
[ #747 ]

海を眺めに

 昨日はプライベートな友人達と海を眺めに・・・。


    県民の浜



 10年程前まではやたらと海遊びをしていたのですが、その頃のメンバーで・・・・。

  

 事前の週間天気予報だと降水確率70%ということで、近場を選択、蒲刈に。
 集合地点にはこんなアート作品が・・・・。


 三ノ瀬


 この辺り観光地として結構整備されています。(永野兄弟のお膝元という事もあるのでしょうか?)


 目的地とした県民の浜にもこんな物が・・・・。

 天文台


 当日、この県民の浜のビーチは既に今シーズンは終了の様子で売店も閉まっていました。
 その分、人出も少なく静かで助かりました。
 何だか最低一年に一度はこうして海を眺めたくなるのです。
 ワイン何ぞ飲みながら”ボ~~~っと”過ごす時間が欲しいのです。


 唯この日は、ここの施設で知っている方々がダンスパーティーを開催中という事でそちらににも顔出し。
 結構忙しい私なのです。

 でもリフレッシュにはなりました。

 

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