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2015/11
02
[ #769 ]

伝統楽器

 東広島中央生涯学習センターでこの様なものを鑑賞してまいりました。


       べトナム民謡

 ベトナムと日本の伝統楽器の演奏です(あるお客様からチケットを譲っていただいたという事で・・・はい有り難い事です)。

 こうしたプリミティヴな楽器の音色に惹かれる面のある私としては嬉しい体験でした。


 先ず興味を惹かれたのが、”ダンバウ”という楽器、”一弦琴”も呼ばれる様でその名のごとく弦が一本しかない弦楽器。
 何とも不思議な音色。
 少し後ろの席でしたので良くは見えなかったのですが、右手で弦をはじいて音を出すのですが、左手で棒?を操作し弦の張力を変化させる事で音程を調整している様にみえました。
 何といいますか少し”テルミン”の様な音色。あるいは弦楽器のトロンボーン的ともいえそうです。

 そして更に良かったのが、”コニ(私の耳には”クニ”と聞こえましたが)”という楽器。
 胴の無い二胡といった外観。
 胴が無くてどうやって音を響かせるかといいますと、本体から紐が伸びていましてその先に付いた木片を口にくわえ、口腔を共鳴装置として音を増幅するというシステム。
 二胡と”ムックリ”をあわせた様な楽器なのですが、口腔を共鳴装置としている故か、その音色が何とも面白く、強いて言えば、蛙の泣き声の様な、あるいは猫の鳴き声というか、女性のタイ語というか・・・・・。
 曲も熱帯の森やジャングルがストレート浮かぶ曲調。面白かったです。

 そして竹製のマリンバといった感じの”トルン”、その音色から何だか南米(フォルクローレとか)を連想してしまいました。
 まあ、遺伝子的には近いでしょうしね。

 そして”ダンニ”という楽器、これはまあ二胡ですね。
 曲調も中国的な感じ。
 収穫祭の曲ということでしたが、確か、周の勢力拡大により圧迫された雲南辺りの米作文化の民の一部がマレー半島にも移り住み米作文化を定着させたなんて話も有った筈ですし、その後も政変等に拠り中国南部の人々がマレー半島周辺に移住したなんて事もしばしばあったはずですしね・・・・・(戦国から江戸初期に掛けては日本人も貿易等で交流したり、移住したりも有りましたし)。

 何といいますか、古くは国境なんて余り関係なかったのでしょう。
 まあ国家というシステム自体近代的システムとも言えそうですし・・・・。
 それよりもといいますか、音楽という物、もともと奏者と聞き手のパーソナルな物といいますか、個人的な物という気がします。
 特に伝統的な音楽や民族音楽、庶民の音楽は。

 そんな事を思いましたね。

 
 また、日本の伝統楽器の演奏ですが、琴と尺八による「上弦の月」の演奏も良かったのですが、次の琴の二連弾演奏「めぐりめぐる」
、これが迫力。
 こういった言い方は失礼にあたるかもしれませんが、一寸クロアチアのチェロのディオ、”トゥー=チェロズ”をおもいだしました。
 とにかくプログレッシヴな演奏で、琴という楽器のポテンシャルといいますか可能性を感じさせていただいた気がして、想わず拍手でしたね。

 どちらにしろ、興味深い数時間を過ごさせていただきました。


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鑑賞て来ましたCM(0)TB(0)URITOP

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2015/11
06
[ #770 ]

お札

 何年か前の事ですが、中国語に堪能なお客様に誘われて上海まで一杯飲みに出かけた事が在ります。
 その時の事ですが、上海市内を観光等している時そのお客様が、買い物等で手にしたお釣りのお札を一枚ずつ丁寧に観察されているのです。

 不思議に想い、そのお客様に「いったい何をしていらっしゃるのですか?」と尋ねてみますと・・・・。

 その方がおっしゃるには「今はどうか判らないけれども、昔は中国の田舎町辺りではお釣りの札の中にしばしば偽札が混ざっている事があったんだよね、それで一枚づつ確認をしている訳」  と・・・・。

 
 「あらまあ、そんな事があったのですね」と答えた訳ですが、ふと疑問が沸きまして再度その方に尋ねてみました。
 「で、そうして偽札が混ざっていた場合どうするのですか?」

 それに答えておっしゃるには・・・「出来るだけ早くとっとと使ってしまう」 と。

 「では、受け取った店側ではどうするのですか?」

 「其処も早めにお釣りとして客に渡すんでろうな・・・・」 

 「そんな物なのですか・・・・?  ん~? では最後はどうなるのですか?」


 「まあ偽札がくたびれて、誰が見ても一目で偽札と判るようになった時に持っている人間や、銀行等にもっていってチェックを受けた人間が貧乏くじをひくのだろうな・・・・まあ、トランプのババ抜きみたいな物かな・・・」 と・・・・。

 (幸いこの時の上海ではそんな物には出くわしませんでしたので過去の話かもしれません・・・・)

 とこんな話をした記憶があります。



 そしてその時想った事が・・・、

 偽札といってもそれが流通している間は真札と全く変わらない扱いをされている訳でして、現場では偽札も真札も違いは無いのでは?という事(使う皆が真札と思って使えば・・・・)。

 その偽札で買い物だって出来るのでしょうし、一杯飲む事だって出来るのでしょうから・・・・・。

 普段、私だってお札や硬貨で仕入れもしますし飲代も頂きますがそれは当然真札と思って疑わずに使っている訳で、信用というか(偽札ではないという)思い込みの上に乗っかって生活(経済活動)している訳です。


 では、誰が見ても偽札と判らない偽札だったら(例えば銀行に持ち込んでも判らない)どうなるのか?
 (確か何年か前に”スーパーK”だったか、そんな精巧な偽ドルが流通しているなんてニュースもあった様な記憶も。東アジアの某国が刷っているとか、中東の某国が刷っているなんて噂も流れたり)


 当然、真札として扱われる訳でしょうからそれで殆どの物は購入出来るでしょうし、出来るでしょう。
 (まあ、そんな精巧な偽札が作れるのか?という話は有るでしょうが、真札だって人間が刷った物、当然、技術的には可能ですよね?)
 
 極端な事を言えば、兵器や武器だって購入できる訳ですし、大量の傭兵を雇う事も可能な訳ですよね。

 つまり、そうした高性能な印刷機(輪転機)を持てばそれだけの力を所持出来るという事ですよね。
 (個人の行う範疇では無さそうですし、またそんなに簡単な話でもないでしょうが。)

 つまり貨幣経済が世界に浸透した現在では(偽札を刷れる)輪転機こそが力という事に成るとも言えそうで・・・・。


 
 更にここでフッと思った訳です。

 別に偽札の必要は無く、世界的に流通するお札を刷れる輪転機こそが”力”という事にもなりそうです。
 となると・・・・各国の中央銀行は・・・・・。

 妄想が拡がってしまいました(あながち妄想でも無いか?)。
 


 更に最近では、スマートペイとかカード決済等々がかなり普及してきています。どこかで買い物をすれば口座の残高が減り、振込みが有れば増えるという事が当たり前に行われていまして、皆それを疑わずに使っている訳でしょう(確かに便利ですしね)。
 
 しかし、このシステムも基本的には人間が作ったものでしょうから、何らか操作は全くの不可能では無い気がします。

 例えば、あなたの口座残高を増やすから傭兵として働いてね・・・・・なんて事も可能ですよね・・?。

 (基本的にサラリーマンにしろ公務員にしろ、口座に給与が振り込まれるからこそ働いている面が大きいでしょうし)



 となると、輪転機すら要らなくなる訳で・・・・・。

 そして、このお札(あるいはお金。貨幣という物)、多くの事が出来る圧倒的力を内包している訳で(額が大きくなれば大きく成る程・・・)して、当然使い方によっては暴力と生り得る訳ですよね。


 まあ昔は、「銭金じゃね~や!」 という対抗手段も有った訳ですが、この言い回しも既に死語な気もしますしねぇ・・・・。


 マイナンバーなんて話が出る昨今、一寸こんな事をかいてみました。

 

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2015/11
09
[ #771 ]

BEPPU YOKO

 今回も日本の女性ヴォーカリストさんのアルバムを・・・。


          別府葉子


 
 「Beppu Yoko Concert Now ”Sit,Ca Va? Mjvbit” 」   Beppu Yoko



 現役で活躍されていらっしゃるシャンソン歌手の方のアルバム、因みにライヴ盤です。
 このシャンソンというジャンルの曲も惹かれるのですよね・・・・。
 まあ、19世紀末~ベル・エポック~エコール・ド・パリの時代のパリの風俗・歴史、興味深いですし。


  
 閑話休題。
 実はこの方の存在を知ったのはネットの情報・・・・といいますか少し前からからこの方のブログを読ませていただく事がありまして、その書かれていらっしゃるブログの書き方が結構私好みなのです。

 また、そこに自身の動画も挙げて下さっていらっしゃるのですが、私、PCで動画を視聴する事が苦手でして、これはやはりCDで聴かせていただくのが一番だろうと・・・・。

 本来、バーで流すBGMとしてはライヴ盤は少し適さないとは思ってのですが、何せ切っ掛けがこの方のブログの文章だった訳ですので、”語り口”がお聞きしたくてライブ盤とあいなりました。


 はい正解だったと思っています。
  
 何といいますか、そこはかとなく人柄が間じれれるMCという印象です。

 日本語のMCが入り、かつ、楽曲の半分位が日本語で歌われているという事で確かに営業中のBGMとしては存在感が在りすぎる面もありますが、ここのところ割と暇な時間帯に自分用に流しています。

 相変わらず、アルバムの紹介になっていませんね。



 折角なので少しばかり感想も。

 全体として少し現代的アレンジの印象です。
 ラスト近くで収録されていますスタンダードナンバー「バラ色の人生」。この曲、色々な方が歌われていまして、歌い手さんによって色々な印象を受ける曲なのですが、彼女の歌われる”ラ・ヴィ・アン・ローズ” アレンジの所為もあるのでしょうが、割りと明るめな印象。健康的といいますか、元気な雰囲気の印象です(まあその歌詞自体、実ははそんな感じの曲でしょうし)、アルバムのサブタイトル”Beppu元気です”の印象通りかな。
 こんなのもありですよね。

 それとまたスタンダードナンバーの「マイ・ウエイ」、原曲がシャンソン(フランス)とは聞き及んでいたのですが、その歌詞が和訳してありまして・・・・・。
 良かったです・・・・   (微笑 ?)
 何といいますか、私の想像するパリの雰囲気ですね・・・・。

 楽しませていただいているのです。

   
 

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2015/11
13
[ #772 ]

広島のモーターサイクルレースの軌跡展

 昨日このような展示を観て来ました。



        垂れ幕


 「広島を駆けるモーターサイクルレースの軌跡」展

 開催場所は安佐南区に在ります”ヌマジ交通ミュージアム”
 (何時名前が変わったのでしょう、確か以前は広島市交通科学館という名称でその方がしっくり来る気がするのは私だけでしょうか?まあ、色々と事情も有るのやも知れません)

  
 閑話休題、単車乗り?の私としては惹かれる展示名でも有りますし、手にしたパンフレット、

  ポスター

 これです

 に、サブタイトルとして 「かつて、東京、大阪についでモーターサイクルレースが盛んだった広島 残された痕跡から、今その熱気がよみがえる」

 とあるのです。しかし実は私のような世代からすると広島という土地は全く逆の印象がありまして、広島=”三無い運動”の強かった地域、全国でもトップクラスに限定解除が難しい地域という印象を持っている人が多いと思われるのです。
 (現実に西隣の山口県には美祢サーキットが、東隣の岡山県には中山サーキット、後にはTIサーキットも存在したにも関わらず広島県にはサーキットは無かったわけですから・・・、オッと一時期野呂山スピードウェイが在ったか・・・・)


 その当たりの疑問もあり、またもう一つパンフレットの裏にこんな表示が有りまして・・・・。


 展示車両


 TZ650 ??? 何だそれは ???   と。

 (TZ500は判ります、TZ750も・・・、しかしTZ650は???です。 80年代の始めごろK=ロバーツがデイトナで走らせたTZ500の排気量アップのバージョンは有った筈ですが年代が違うし、TBCで走った物か???とか、しかし年代が・・・・?)

 それも疑問で出かけた訳です、天気も良かったですし。


 なにはとまれ館内に入り2階の展示スペースへ・・・・・其処に鎮座していたのは・・・・。






 TX650


 TX650改のダートトラックレーサー。



 誤植ですな・・・・・。

 まあそれはさておき、綺麗な仕上がりのTX650ですね。

 私がヤマハ好きという事もあるのかも知れませんが、このXS系のエンジンの造詣、美しいと思得るのですよね。
 音も良いですし(年式を考えると)結構早いのですよね(クラッシックレース等で観た感想)。
 また現役当時アメリカのダートトラックでも活躍したはずで、このスタイルは確かに似合います。



 さて、肝心のかつての広島でのレースの展示ですが、
 ・大正時代から昭和一桁の時代に”招魂祭”のイベントといった形で毎年レースが開催され盛り上がっていたという事。
 ・当時市内の竹屋町付近に宍戸オートバイ(SSD)というメーカーが存在しそれらのレースで活躍していた事。
 ・またその会社が経営不振で倒産後、技術者たちが東洋工業に移り、戦後に自動車等の開発に携わった事。
 ・戦後も昭和21年頃にはレース好きの人達が集まりレースを始めた事。
 ・その後、復興イベント的に30年代半ばまで開催されていた事・・・・。


  等々が当時の新聞のコピー等の資料で展示してありました。

 また広島でそうしたレースが開催されなくなった後、選手の中には浅間火山レース等で活躍された方も在った・・・と。



 で、展示車両としては、


 オートレーサー
 
 このダート仕様のオートレーサーが珍しいかな?


 また、このCR71

 CR71

 当時のホンダの4STらしく、ドライサンプでシートの下部分にオイルタンクがあるのが判り易いです。またアルミのHリムが入っていたり・・・・。


 CR110

 これはCR110のいわゆるミッキーマウス。


 どれも保存状態が良いです。



 後、このバイク。

 CRM250R


 阿賀の呉越え峠の側にあった”単車屋”という単車屋さんの社長さんがファラオラリーで使われた物。
 当時(1980年代~90年代)、結構競技等頑張っていらっしゃっていた(盛り上がっていた)店の印象があります。



 とまあ、こんな展示だったわけですが、

 戦前の広島でレースが盛んで、戦後も昭和30年代半ばまでは結構レースも開催されていた事は判りましたが、では何故そうであったのか?という(客観的)考察・解説については具体的には何も無い訳でして、またその後の事も・・・・・・。


 一寸中途半端な展示という印象でした。


 といいますか、このミュージアム自体何といいますか・・・・・という印象。
 子供向けの博物館なのか判りませんが・・・・・一寸ミュージアムとしては中途半端といいますか残念といいますか、そんな印象です。

 建物は立派なのですがね、その分余計に思ってしまいました。



 追記、

 では何故広島のモーターサイクルレースシーンがそうだったのか・・・・?という事については色々と考えさせられたり、その辺りの勝手な考察もしてみたくなりましたね。

 いつかアップするかも知れません、長くなりそうなので今日は此処まで。

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2015/11
16
[ #773 ]

7年ぶりの・・・

 昨日はあるお客様の自宅の庭でバーベキューをしながらの飲み会。
 丁度7年ぶりの企画。

 メンバーも半分位は同じですかね。

  
 そして今回も豪華な食べ物&酒。


 例えば、峠下牛のカルビ&ロースとか、鹿の腿肉とか・・・・。
 酒もハートランドの生7ℓに日本酒各種とか・・・・。

 酒で印象に残っているのは、中嶋屋の平成7年もの、上品なアモンティリャードというか高級な紹興酒というか、良かったです。
 あと雁木の発泡のにごりも食が進む味でした。


 スタートが13時過ぎで、私がその方の家を遠慮させていただいたのが確か20時位。

 7時間飲みっぱなし、しかも昼から飲む酒は酔っ払います。
 (今回も単なる飲ん兵衛のおっさんとなってしまいました、反省です)


 しかし7年前に比べると皆さん飲む量食べる量共少し少なくなりましたかね、変わりに喋る量は増えたかねな・・・・。

 そんな気がした一日でした。

 

 

 追記

 何故か会場に天体望遠鏡が・・・。

 望遠鏡

 結構メカメカしくって惹かれました。

 

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2015/11
19
[ #774 ]

勝手な考察

 先日ヌマジ交通ミュージアムの特別展にて、その昔広島ではモーターサイクルレースが盛んであった事を知り少々驚いた云々、という事を書きました。また、では何故そうであったのか?という回答はその展示にては得られず、考察をしてみたくなったとも。
 そこで少々勝手な考察をしてみたのです。

 とはいいましても、単なる一単車好きのおっさんの言いたい放題なのですが・・・・。


 これより本文。

 その展示で知ったのは、大正から昭和9年の時代並びに昭和21年から34年に掛けて広島市周辺で盛んにモーターサイクルのレースが開催されていたという事。

 前回も書きましたが、私の様な世代からしますと広島という地域は”三無い運動”が激しく、また限定解除の試験も全国の都道府県のトップクラスで難しい(苦労しました)という印象しかなかったのです。
 それが戦前戦後の時期、2輪のレースが盛んだったとは・・・・。


 では何故そうであったのか・・・・?


 広島市およびその周辺という地域が現在の様な繁栄を迎える基礎と成ったのは、天正年間の毛利元就の広島城築城がその嚆矢であることは論を待たないとおもいます。
 この天正19(1591)年の毛利氏の入城以降、現在の広島市は安芸の国の国府として行政都市として存在して来た訳ですが、しかし江戸時代の広島の街の印象は薄いのですよね。広島県で生まれ育った私ですらそうなのですから余程そうなのでしょう。
 その理由は幾つか考えられると思うのですが、例えば・・・・。


 1、瀬戸内のやや奥まった場所に位置し、また大田川河口の扇状地にある故広島湾が遠浅の傾向もあり、北前船等の大型の廻船が寄り辛かった。
 2、福島正則改易の後入府した紀州浅野藩は、浪士が吉良邸討ち入りを行った赤穂浅野藩の本家という事もあり、江戸時代は幕府に睨まれない事を是としていた傾向が強く、印象に残り辛い。
 3、第二次長州征伐以降、広島藩は薩長方として戊辰戦争を戦い、それ故維新後も新政府との親和性が強く、江戸時代が良かったとは言えない空気が強い。

 等々が考えられそうです。


 その比較的地味な印象の広島の街が急速な発展を始めるのは、明治の陸軍の駐屯地、特に明治21年陸軍第五師団の本拠となってからでしょう。
 特に明治27年からの日清戦争中には広島城本丸に大本営が置かれ、明治天皇もいらっしゃった訳ですから。

 基本的にわが国は天皇がいらっしゃる場所=都(首都)とも言っても良い訳でして、わずか一年足らずとはいえ広島市が日本の首都で事にもなる訳でして発展しない方がおかしい訳です。
 そしてその後も、日清~日露~一次大戦といった具合に原爆投下まで軍都広島として活況を呈す訳です。


 実はこの軍都として発展した事が戦前モーターサイクルレースが盛んであった事の大きな理由に私には想われる訳です。


 先の大戦中の日本陸軍、特に戦争末期はその非現実的とも思える作戦や神風等に象徴される行為に拠り、精神主義的で非合理的組織で有ったとの印象が非常に強く印象付けれている訳ですが、本来、近代の軍隊という存在は非常に現実的で合理的な存在な訳ですよね。事実日本軍も太平洋戦争開戦までは非常に合理的判断をしていたとも言われていたり・・・。


 また近代の軍隊という物、最先端の科学技術との親和性が非常に高い組織でもありますよね。

 銃砲だってそうですし、軍艦や飛行機・軍用車両等、当時の最先端の科学技術が惜しげもなく投入してある訳ですから。
 (ホント、零戦にしろ大和型戦艦にしろ、コンピューターも無い時代に良く造ったものですよね)
 更に言えば、一次大戦にヨーロッパで使用された毒ガスにしろ、広島に投下された核爆弾にしろ、正に近代科学技術の産物である訳ですから。


 そうした軍の存在に拠り発展した広島という街は海軍の呉と共に非常にモダン思考で、近代化・近代科学技術を”是”とする空気の強い街であったといわれています。

 例えば現在の原爆ドーム、往時の産業振興館はそうした近代工業製品を展示・奨励する建築物であった訳ですし、余談ですが、当時の西遊郭、呉の朝日遊郭と並び、モダンな遊郭といわれていたそうですし 笑 。



 では、その近代科学技術(モダン)とは何なのか、あるいは何を目指すのか?
 
 恐らくそれは「効率」なのですよね。
 近代科学に拠り、効率的な社会を造る事が近代化といっても良いかも知れません。

 そしてその”効率”を端的に表す尺度が”速度”な訳です。

 実はこの速度こそが近代を象徴するキーワードとも言えそうです(近代を象徴する新幹線だって正に速度を誇りますよね)。


 つまり速度=スピードを是とする空気があったという事。
 更に言えば軍隊という組織、戦う事を目的とした組織でもありますし、近代という時代自体が人々や社会に競う事を求める物であるともいえる訳で、当然レースという物が肯定される空気であったといえそうです。

 実際行われたのも招魂祭という、近代明治になって行われる様になった祭りのイベントとしてという側面も強かったようですしね。


 この軍都としての広島の空気が当時レースとの親和性をうんだのでしょうね・・・・。

 ホント勝手な考察でした・・・。
 長くなりましたので戦後の事はまた改めて・・・・。




 追記


 自動車や自動二輪のレース=モータースポーツは、フランスにて(新興)貴族同士の社交として始まったといわれています。
 まあスポーツという物自体、本来は貴族(地域領主)同士の(あるいは地域同士や個人対個人の)社交的行為というのが元々の存在理由でしょうし。

 自動車技術者や自動車製造会社のオーナー・出資者としての貴族(ブルジョア)同士の社交がその嚆矢でしょうが、2輪の場合はそれよりも乗り手同士の社交といいますか、乗り手の勇気や技術等々が問われる面が強い気がします。
 より個人的な行為とも。

 当時は庶民とまでは言得ないでしょうが4輪に比べれば2輪のレースは割りと一般の人々でも参加出来そうです。


 で展示のされた資料、戦前の広島のレースで活躍しているのが”チチヤス乳業”のサイドカー。

 往時は広島にもチチヤスに代表されるような、町衆が育っていたという事なのだろうとも思ったり。

 そういえばチチヤス乳業、戦後も芸国国際スキー場を作られたり、スキー選手をスポンサードされていたり(夏見 円選手等)、何といいますかモダンな町衆らしい町衆といった存在という印象を持っていたのですがのですが当時からだったのですね・・・。



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2015/11
21
[ #775 ]

呉市へ

 昨日は久々に日差しも有り暖かかった故、一寸呉まで。

 目的はこれ。

 
     北斎&リヴィエール


 呉市立美術館で開催中の「北斎とリヴィエール」展。

 

 浮世絵、1900年前後のパリ風俗、共に興味惹かれる対象であるという事で出かけてみた訳です。
 足は単車。東広島~呉道路の開通以来、呉の街が近くなりました。

 呉市立美術館



 さて展示ですが、富嶽三十六景×エッフェル塔三十六景が主かと思っていましたが、1階は全て「北斎漫画」の展示。
 北斎漫画、冊子等では良く眼にしていたのですが現物をこれだけの数を鑑賞するのは初めて、見応えがありましたね。その成立過程等も含めた解説も必要十分な感じで見やすかったです。版木の展示が多かったのも嬉しい事でした。

 そして2階に富嶽三十六景&エッフェル塔三十六景、およびテーマに沿った広島市立大学美術部員の作品展示という構成。
 富嶽三十六景もまとめて鑑賞させていただくのは初めてかも知れません。


 そしてリヴィエールのエッフェル塔三十六景ですが・・・・。

 富士の山という物、確かに江戸期、江戸の中心、江戸庶民の(心の)ランドマークで有った訳でして、またエッフェル塔は19世紀末から現代までのパリの中心、パリ市民の(心の)ランドマークであり、確かにそうした面では共通性といった物も多そうです。


 実は観に行く前は、富士の山も含め火山列島であるこの国において火山という存在は太古からの畏怖の対象・象徴であり、いわばアニマ的存在。対してエッフェル塔という存在はフランス革命100周年を記念して建てられたものであり、いわば”ヨーロッパ的アニマ”や文化等を習合・内包したカトリック(教会)に対する、プロテスタント(自由主義・科学万能主義・蓄財主義・・・)からの勝利宣言のモニュメントともいえそうで、似ていても本質は異なるのでは・・・・?等と思っていたのです。
 故、同じ三十六景でもかなり雰囲気方向性は異なるのでは・・・・と。


 で、観させていただきますと・・・・。これが中々良いのです。

 エッフェル塔三十六景、エッフェル塔自体を描いているかといいますと(勿論そんな作品も入っていますが)、エッフェル等が建った、あるいは建ちつつあるパリという街に住む人々を活写している面が強そうで、これが結構良いのです。

 富嶽三十六景や北斎漫画もそうですが、市井の人々に対する視点・愛情のような物を強く感じますが、エッフェル塔三十六景もそうなのですよね。パリの市井の暮らしや庶民に対する視点といいますか。
 そうした視点も含め、19世紀末のジャポネスクは成立していたのかも・・・・?と思えましたね。

 (しかし北斎の描く江戸期の庶民に比し、描かれる19世紀末のパリの庶民は陰を感じるといいますか・・・・、暗さを感じますね)


 どちらにしろ楽しませていただきました、人も多からず少なからずで(福山のピカソ展より多かった気も・・・・)。



 それから折角なのでこちらにも立ち寄り。

 戦艦展


 はい、大和ミュージアムですね。特別展示は日米最後の戦艦。

 この特別展示は一寸イメージしていた物とは異なりましたが、それはそれで・・・・。
 (大和ミュージアムとミズーリ記念館の姉妹提携記念の展示という趣旨が強そうかな?)

 そして常設店も・・・・・(何だか以前訪れた時に比べ、幾つか展示も変わっている気も・・・・)。

 しかし此処の展示、好きなのです。造船と海軍と共に発展してきた呉の街という存在・空気・歴史が良く感じられます。
 また、ガイド(学芸委員?)の方々にも展示に対す愛情のような物が感じられますし、全国から鑑賞者が集まるのも解る気がします。

 この日も多くの入館者でした。


 この日はあまり時間に余裕が無かったので早々に退散しましたが、また改めて訪れたいですね。
 いっそのこと泊まりで・・・・?
 呉の街、好きなのです。

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2015/11
29
[ #777 ]

シャンパーニュのはなし

 これから一月余りの期間は恐らくは一年で最もシャンパーニュが抜栓される時期では無いかと思われます。
 クリスマスにしろ新年のお祝いにしろ。
 そこでシャンパーニュに対する与太話を少々・・・。

 
 シャンパーニュ、ワインの仲間のなかでは割と歴史が浅いのですよね。
 現在のシャンパーニュの様な発泡性の物が造られる様になったのは17世紀も後半になってから、それまではシャンパーニュ地方も主として赤ワインを生産していた訳でして。
 
 そして17世紀の後半、かの著名なピエール・ドン・ペリニヨンの功績に拠りシャンパーニュが誕生する訳です。

 かいつまんで言えば、英国でワインを発泡させて飲むといった事が行われていると知ったペリニヨンがその手法を導入し、発泡性のワインを生み出したという事なのですが、もしかするとこの時期、丈夫なガラス瓶&コルク栓が開発されていた事も運が良かったのかも知れません。

 そのシャンパーニュ、当初はそれ程著名な酒では無かった様に思われます、どちらかといえばランス辺りで造られている泡の出る変わったワインといった位置づけかも知れません。

 ではどの様にして今の様なお目出度い酒、特別な酒という地位を築いて行ったのか・・・?


 先ず始めはポンパドール(公爵)婦人が好んで飲んだ辺りから、これを切っ掛けにフランスの宮廷辺りで流行り始め・・・・(18世紀中頃でしょう)、その後ナポレオン=ボナパルトが好んだという話も有って著名となり。更にこの後、クリコ婦人(ヴーヴ・クリコ)による新たな手法の発明や糖分測定技術の発達も有り、拠り安定した生産も可能になり、また味もドライとなり・・・・。

 そして世界的に現在の様なお祝いの酒パーティに欠かせない酒としての地位を築くのは、19世紀後半。
 いわば19世紀末から、という事のようです。


 では19世紀末にシャンパーニュがお祝いの酒として世界に定着したのは何故なのか?

 19世紀末といいますと、ロートレック等が活躍したパリのイメージが強いのですが、シャンパーニュを流行らせたその発信地はどうもロンドンに有りそうです。


 当時、パリには(藝術)キャバレーや、カフェ・コンセールといった物があちこちに建ち(例えばシャ=ノワール等)世紀末パリの空気を造り出して行くのですが、同じ19世紀後半、ロンドンでもミュージック・ホールといったある種の劇場酒場が多数出来、活況を呈するのです。
 そしてそれらのミュージック・ホールに出演していた芸人(歌手・エンタテナー)が実はシャンパーニュを流行らせた、といわれています。

 物の本に拠れば、その最も著名な一人が”ジョージ=レーバーン”で有るとか。
 彼は先ず始めに”シャンペン・チャーリー”という歌を流行らせ、続いて”モエット・アンド・シャンドン”という曲も流行らせた(また”クリコ”という曲を流行らせた歌手もいたとか)。
 そうしてこうした歌とともにシャンパーニュを抜栓して乾杯するといった形式が流行し世界に発信され、世界標準となって行った、という事なのです。
 そして当然その背後には新聞や雑誌&広告業の誕生といった事がある訳ですが・・・・。


 こう書きますと、結局シャンパーニュの価値はマスコミが生み出した(あるいは流行らせた)物なのか?と、いう話になってしまいそうなのですが・・・・(確かに19世紀以降、世の中の価値、何が正しいか・間違っているか?といった物はマスコミが決めている面が強いといえそうですが、あるいはグーテンベルクの活版印刷の発明が嚆矢か?)。唯、シャンパーニュという酒にそれだけのポテンシャルが無いとこれだけ著名にも普及もしない訳ですし、また時代の空気といった物もそれを後押ししたようにも思えます。


 ではシャンパーニュの魅力とは何なのか?
 それは矢張り発泡している事にが第一と思われます。

 瓶内発酵し発泡している事にに拠り、その抜栓作業が一寸儀式的といいますか、イベント的になりますよね。そうした意味でもやはり特別なイベントに相応しい酒という位置づけされるのに合い相応しいと思われます。
 また、発泡していることに拠り、その気泡とともに香りが立ち上ってくる訳でして、積極的に香りを嗅ごうとしなくても自然と香りが感じられる、人の味覚は7割以上は香りに左右されるといわれますが、この香りが感じやすい訳ですからそれは美味しく感じられますよね。
 更に、グラスの底から立ち上る泡を見ているだけでも飽きないですし、視覚も楽しませてくれる訳ですから。
 更に、適度な度数、また発泡性であることににも拠り、アルコールの吸収が早い。これも口開けの酒ととしては適当と思われます・・・・。  等々。


 また、時代も味方した面もありそうです。

 確かこの頃(19世紀)ソーダサイホン何て物も造られ始め、ウイスキー・ソーダといった飲み方もされる様になる訳ですが、こうした炭酸飲料の好まれる時代であった事もありそうです。
 ドライで刺激的な飲み物が好まれる時代、またそれらが科学とか未来、新世界といった空気とともに語られ好まれる時代。
 そういえばジンもこの頃から、”ロンドン ドライ”ジンになってゆく訳で・・・・。

 この辺りプランテーシャンに拠る砂糖の生産量が向上しイギリスにおける砂糖の消費量が飛躍的に伸び、アルコール飲料に甘さが余り必要なくなったとも言えそうですし、確かわが国でも景気の悪いときは甘口の酒が、良いときは辛口の酒が流行るなんて伝承?も有りますし、確かに19世紀ロンドン(あるいはパリも)バブル真っ盛りといった空気ですしね。

 
 おまけついでに、シャンパーニュという酒、ポンパドール侯爵~ナポレオン~ロンドンといった具合に飲まれ流行って行くわけですが、それは世界の社交文化、あるいはその発信地の移り変わりといった事も感じさせらます。

 18世紀の終わりにフランス革命が起るまでは、フランスブルボン王朝が社交文化の標準形を決めていた訳でしょうし、その後は世界帝国となった大英帝国が決定して行く・・・といった事(故に今でもフランスのブランド品が強かったり、公式のパーティーのウエルカムドリンクがジン&トニックであることが多い・・・・といった風に)等々、色々と興味を惹かれます。

 (そういえば、ポンパドール・ナポレオン・ロンドンのシティ、どれもいわばブルジョワ、市民階級上がりといいますか、プロテスタントといいますか・・・・、シャンパーニュも当時としては結構科学と親和性が高い気もしますし・・・・、シャンパーニュ、実は近現代を象徴する酒なのかも知れませんね)
 
 
 

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