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2015/12
04
[ #778 ]

この一月ほど・・・

 この一月程の間、TVや新聞等で矢鱈と”テロ”という言葉が踊っている気がします。
 余りTV等観ない私ですらそう想うのですから”テロ”というキーワードが取り上げられる事が多いのでしょう(確かにパリの事件等悲惨な出来事が各地で起っている訳ですからさもありなんですが)。
 今朝も米国カリフォルニアで起った銃の乱射事件が報道されておりましたし・・・・。



 この乱射事件の報道”テロかどうかは現段階では確定出来ない・・・・”といった報道がされていたのですが、テロと銃の乱射殺傷事件は異なるという事なのですかね?
 そういえば先日起った靖国神社のトイレでの爆発事件は確か”ゲリラ”と報道されていた記憶もありますがこの辺りどう異なるのでしょう・・・・。

 組織的な破壊活動=テロといった印象で使われている気はするのですが、個人的な行為は単なる犯罪であってテロとは異なるという事なのですかね?
 あるいは政治的な物がテロなのか・・・・・?

 また政治的でかつ組織的破壊活動=テロとしますと、例えば対戦中のフランスレジスタンスは?あるいは同時期の蜂起したワルシャワ市民の活動は?(ドイツ側からすればテロ活動と思えますが・・・・・)
 戦争中の行為であればテロではなくそれこそゲリラ活動となるのでしょうか?

 しかしそうなると・・・・・、例えば幕末の長州志士の活動は?英国領事館焼き討ちなんて典型的テロ活動にも思えますし、更に言えばフランス革命の時のバスティーュ監獄の襲撃もフランス王朝からすればテロでしょうし、またボストン茶会事件は?とかその後の軍事的反抗運動は?
 とか・・・・ね。


 実は、この”テロ”という言葉に限らず横文字・外来語というものどうも苦手となのですよね、(特に最近)矢鱈世間に氾濫としておりますが、どうも雰囲気だけで使われているといいますか、誤魔化されている気がするといいますか、ともかく一度日本語に直して考えてみたくなるのです(私が外国語が苦手なおっさん故か・・・・)。


 ということで、何はとまれ広辞苑で”テロ”なる言葉を探してみますと「テロリズム・テロルの略」と載っておりまして。

 それならばと、”テロリズム”を引いてみますと・・・・・。
 ①暴力、或いはその脅威に訴える傾向
 ②恐怖政治
 と書いてありまして。

 ①は詰まり、政治や交渉事等に暴力を持ち込む様な事・・・ですかね?(或いは恫喝や恐喝?)

 ではパリの事件の場合、空爆をやめろという主張を通す為に起こされたと一般には喧伝されておりますので、まあ当てはまる気はします・・・・が、そうなると元々の空爆は受ける側からするとテロでは無いのか・・・・?という理論展開もありそうで・・・・。


 でもう一つ、②の恐怖政治の方ですが・・・・、

 確か先日、TVの某ドキュメンタリー番組で”恐怖政治を始めに行ったのはレーニンである”といった内容を流していたのですが、それを聞いて私は一寸、???と思った覚えがあります。
 確か昔言われていたのは、恐怖政治の嚆矢はフランス革命後に成立した共和政が行った、ギロチン等を使った物であった筈・・・・(一説には400万近い反対派の農民やカトリック僧、領主が虐殺されたとか・・・・・・)。
 まあそれはさておき権力側が行う恫喝的政治という事ですかね。

 つまりは恫喝=テロということになるのですかね?(広辞苑を全面的に信じる訳でも無いですが・・・)
 とすると、こうした特長的事件以外にも世間には溢れている様にも思えますね・・・・、多くのTVCMとかある種の政府広報なんて物も恫喝的といえば恫喝的ですし・・・・・、OOハラスメントなんてのも・・・・まあ個人的な行為はテロとは言わないのかも知れませんが・・・・・。

 
 ちなみに”テロル”の項は、
 (恐怖の意)あらゆる暴力的手段に訴えて敵対を威嚇する事。テロ。

 なんて載っておりまして、やはり”暴力による恫喝”に近いですね。


 どちらにしろ結局、力に拠って他者をコントロールしようとする行為=テロ、といっても良いのかも知れませんね。


 先月あたりから書いていますが全ての”力”という物、使いようによっては暴力に成り得る物でなある訳ですが、ではそれに対抗する手段は有りや無しや・・・・と・・・・。


 よく言われる、「ペンは剣よりもなお強し」。
 これはどうか?

 確かに使いようによってはペンは武力に対抗出来そうですが・・・・・、というより現代ではペン(マスコミ・情報)こそが最高の力を持っているようにも思えます(まあ、グーテンベルクの活版印刷の発明以降といっても良いか?それ自体そうした意図で造られた面もありそうですしね)。第四の権力とも言いますし・・・・。
 詰まり使い方に拠っては最高の暴力にも成り得る訳でして。


 といいますか(宣伝等に拠る)洗脳こそが最も効率の良い(他者を支配する)手段ともいえそうですよね。

 しかしそうなると・・・・もしかすると教育こそがある面、最大の暴力(テロ)装置にも成り得る・・・・??



 怖いですな・・・・。

 
 まあ相変わらずの与太話でした・・・・。

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2015/12
07
[ #779 ]

たまには

 昨日は某所でパーティーに列席。


 たまには正装で・・・・。


 ツリー


 この時期らしくツリーの前で。

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2015/12
11
[ #780 ]

FOUJITA

 久々、映画館に出向いてきました。
 広島サロンシネマ、鷹ノ橋に在った時はお気に入りでしばしば出かけていたのですが現在の場所に移転してからは初の訪問です。新しくなり昔の様な風情はやはり望めませんが、観客の入れ替え時の対応等、昔ながらで良かったですね。
 

 閑話休題、観させていただいた映画はこの映画。


       foujita.jpg


 「FOUJITA」
 エコール・ド・パリの時代その中心で活躍していた日本人画家、藤田嗣治を描いた映画。
 気になっていたのです。


 しかしこれが行きがけの国道が雨&事故で渋滞、開演時間に5分程遅刻してしまいオープニングを見逃すという失態。更に、普段映画館に出かける折は良く見える眼鏡を持参する事にしているのですが、これも忘れ・・・・・。 全体的に暗めの色調の映画という事もあり眼が疲れてしまい・・・・。
 という事で、出来ればもう一度じっくりと見直してみたい気分です。


 それはさておき、映画の内容自体は結構気に入りましたしね。

 そこで感想等を少々記してみたいと思います(これから観る予定の方は読まれない方が良いかも知れませんが・・・・)。

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本とか映画とかCM(0)TB(0)URITOP

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2015/12
14
[ #781 ]

恐らくは乗り納め

 昨日は暖かかった事も有り、こいつを少しばかり動かしてみました。
 恐らくは今年のこいつの乗り納め。


 2号機




 先ずは三原市に向かい、市立図書館&歴史民族資料館へ。

 図書館でこんな展示が有りまして。

 
 書画

 詩&書&画&イラストのコラボ企画。


 実は詩も書も良くわからない私なのですが、何はとまれ観せて頂く事に。


 (恐らくメインの)詩は、7・5 7・5 7・5 7・5 の形式の四行詩、漢詩の五言絶句等の形式を踏襲されているとの事。

 この7・5調、やはり日本人に馴染みます。和歌・俳句都・都逸・・・ etc、いずれもそうですし。で、詩の内容は現代詩という事かかなり優しい印象の物。漢詩を意識した四行形式という事で緊張感溢れる物かと勝手に想像していたのですが、現代人のモノローグ的といった感じで優しい物が多い印象です。
 (尤も、漢詩、それ自体にも詳しく無い私がいう事なのであてにはなりません。漢字のあのカクカクしたいかめしいイメージがそう私に思わさせているだけなのかも知れませんしね・・・・・)

 そんなこんなでしばらく鑑賞させていただき、続いて隣の民族資料館も拝観。
 そこからは少し遠回りで自宅に。


 おそらくこのバイクの今年の乗り納めでしょう、年末は気分的にもバタバタしますし・・・・。
 
 そしてこれからはメンテのシーズン。年が空けたら色々とメンテナンスをしてやりたいのです。
 (果たしてその時間や気力が有るかは解りませんが・・・・・)

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2015/12
17
[ #782 ]

CHIE AYADO

 またまた日本の女性ヴォーカリストのアルバム。

   
           CHIE AYADO

 「LOVE」  CHIE AYADO

 
 いわずと知れた綾戸智絵の確か5枚目のアルバム。最も彼女がのっていた時期の作品かな?とも思えます。
 スタンダードナンヴァー中心の選曲でどの曲もアレンジが見事といいますか・・・・。
 また、ジャズというよりもゴスペルといった雰囲気の歌声故年末のこの時期流したくなる方です。

 しかし聴いていますと、ゴスペルというよりもコテコテの関西ノリといいますか、新喜劇や漫才の掛け合いの様な雰囲気。
 しかしまたこれが結構惹かれるのです。

 以前、関西弁と上海弁が似たイントネーションを持つかも・・・・なんて書いたことがありますが、英語とも親和性が高そうな気も・・・・。
 といいますか大阪周辺、古代から国際貿易の拠点、色々の国籍の方が訪れた場所。
 外国人にも物怖じしないメンタリティーを持つ土地柄なのかも知れません。
 (そういえば、ウルフルズの曲にも大阪、他に比べれば外国同然~~なんてフレーズが有った様な)
 
 そうした意味でも年末に関わらずたまに流したくなるアルバムなのです。



 追記

 以前どこかのTV番組で、”彼女が出身の小学校に出向き児童に音楽の授業を行う”といった企画を行っていたのを観た事が有ります。
 児童を数名の班に分け、それぞれの班にBEATLESの”let it be”を聴いてもらい耳コピで歌詞を書き出してもらい・・・・最後は彼女のピアノに合わせ大合唱といったやり方だったと思うのですが、これが何とも楽しそうに見えまして。
 小学校時代、私にもこんな先生がいれば音痴にならなくてすんだのでは?と思わされ(実は私とても音痴、カラオケ苦手です)うらやましかったですね。


 閑話休題、そうした彼女の」人間的魅力も感じられそうな一枚なのです。

 

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2015/12
22
[ #783 ]

ジンのはなし 4

 前回シャンパーニュの話の中で19世紀初頭頃からドライな酒が好まれ始めジンもドライジンに変わってゆく・・・何て事を書いた記憶が有ります。そこで今回は其の辺りの与太話を・・・・。


     ロンドン ドライ ジン

 著名なドライジン


 
 17世紀末から18世紀、英国では石炭産業や鉄鋼業が盛んとなり、またそうした場所で働く底辺労働者がジンに溺れ、ジンという酒の悪名が轟いたという話は結構著名なのですが、それに対し英国政府も各種法律を造り対策をしようとする訳です。
 課税強化であるとか、販売業者を許可制にするとか・・・・・・。唯、初期のジンに対する規制は殆どザル法で果々しい成果は上がらなかった様です。またその後、課税の強化を更に進めたり販売規制の徹底化等で(1751)徐々に英国内でのジンの消費も落ち着く事になるのですが・・・。
 といいますか、それは税率が高くなり低所得者が購入し辛くなったともいえそうです。

 そしてそうした状況もふまえ18世紀の終わり頃からジンも大量生産によって生み出される安酒、といったイメージから徐々に英国を代表する酒へと脱皮していくのですが、例えば・・・・、

 
        1769


 ゴードンのラベルには1769年創業の文字が・・・・。



 そして更に、19世紀に入り連続式蒸留器が発明されいわゆる”ドライジン”が造られる時代となるのです。ビィーフィーターの創業は確かこの頃。

 そりて英国(イングランド)を代表する酒の地位を確立する・・・。



 しかし、思うのですがこれらのジン、これ見よがしに”ロンドン”という文字と”ドライ”という文字が入っていますよね?
 そう、シャンパーニュの時にも書きましたが、19世紀頃からこのドライな酒が流行り始めるのです。

 19世紀といいますと、正に大英帝国が世界の覇権を握った時代。
 奴隷貿易に拠る資本の蓄積、金融業の発達。それを基にした産業革命、更にインド等の植民地化、アヘン戦争何てのも・・・・。

 
 そうした豊かさを背景に砂糖の輸入量・消費量も増え、甘口の酒よりもドライな酒が好まれ始めた事は確かにあるでしょうが、それ以上に、以前のオールド・トム・ジンの持つ甘ったるいイメージ、負のイメージからの脱却も有ったのでは?等と想像したくなります。
 と言いますか当時のロンドン、世界の金融センターでもあり、またバヴリーでもある世界に冠たる最先端都市。

 この近代的な都市、ドライで洗練されたイメージを持たせる為、あえてロンドン”ドライ”と名乗った様です。
 (そういえばわが国でもバブルの頃から矢鱈とドライのイメージ・ネーミングで売れたビールが有った様な・・・・・ 笑 )

 そう近代都市、それまでの人間味のある(ウェットな)人間関係に比し、ドライ(ビジネスライク)な人間関係で成り立つ空間とも言えそうで、そうした事の肯定されるのが近現代とも言えそうです。


 また、ドライジンといえばもう一つ思いつくのがジン&トニックというカクテル。

 現在でも公式なパーティー等のウェルカムドリンクとして正式に供されるのはこのジン&トニックなのですが、このことからも19世紀には世界の社交の中心、社交文化を作法等の決定権を英国が握っていった事が感じられます(その前の時代、フランス革命以前はフランス、ルイ王朝がその発信地だったと思われます)。


 そう、正にロンドン・ドライ・ジンは現代という時代を感じさせる、酒。
 ドライでビジネスライクなイメージ。近代都市都生活者的イメージの酒・・・・・・(更に言えば金融とか資本主義もイメージも・・・・)。
 故にドライ・マティー二も造られる酒・・・。 

 そんな酒、
 ですかね?

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2015/12
28
[ #785 ]

勝手なる考察 2

 確か1月半程前ですか、交通ミュージアムにてこのような特別展示を観させていただき色々と思ったことを好き勝手に書かいた記憶が有るのですが、その続きです。

 前回は戦前(大正から昭和一ケタ台)の広島市周辺はモータサイクルレースが盛んだったという事に付いて言いたい放題でしたが、今回は戦後について勝手な考察を・・・。

 (あくまで素人の勝手な考察、笑って許していただければと思います)

 

 その特別展の中に確か、昭和21年には既に有志が集まってオートバイのレースを行った~~、といった内容の事が記述されていたのですが、考えてみれば大変な事だと思えるのですよね。
 昭和20年代初頭といえば敗戦に拠り決定的な物不足の時代、そうした時勢下においてレースを開催した方々が存在するというのは驚きでした、特に広島市は核爆弾の被害に拠り一面の焼け野原(交通ミュージアムでも昭和21年、市内を走っている路面電車の画像が拝見できたのですが、正に一面瓦礫の山でした)、そうした中でレースが開催された訳ですから・・・・。

 第一、車両はどう調達したのか(田舎に疎開させていたのかもしれませんが、対戦中は当然のことながら強い供出要請があった筈です)?更に燃料は?OILは?タイヤや装備は? といった具合に相当に大変そうです。

 しかしそうした状況下でもレースを実施りたくなる。
 オートバイの魔力といいますか、モータースポーツの魔力といいますか・・・・。
 一度嵌ると中々抜け出せないのは確かですよね?(故に私もこんな勝手な事をダラダラと書いている訳ですが・・・・)。


 またもう一つ思うのは、対戦中、我が国には”国家”という枠組み=意味しか存在しなかった訳で、個人の意思なんて言える状況では無かった筈ですが、それが敗戦に拠り個人の自由意志なんて事も言えるような空気も生まれ・・・・、特にオートバイに乗る行為なんて正に個人的行為、そうした事も熱意に繋がったのでは?と思う訳です。


 しかしなんといいますか、頭が下がりますね。



 そうして有志主導で(いわば草レース的に)モーターサイクルレースが行われ盛り上がって行った・・・・・・かといいますと、どうもそうでは無さそうです。

 ではどうなったか?といいます、確か当日の展示のどこかにも書かれていた記憶が有るのですが、まもなく車券(勝者投票券)が売られる様になる(昭和24年には既に売られていたとか・・・・?)。
 

 つまりは公営ギャンブルとして開催されるようになっていった(行政に取り込まれた?)。


 まあ、時代背景を考えるとそれも詮無い事かも知れません。


 先にも書きましたが、昭和20年代初頭~前半のこの時期、わが気には決定的な物不足に陥っている訳です。

 太平洋戦争において海の藻屑と化した艦船の総トン数はいかばかりでしょうか?更に航空機。それらは物資の固まりな訳ですから。更に熱帯のジャングルや大陸の土と化した軍用車両等々。
 勿論こうした物的資源と同時に多くの人的資源(人命)も失われている訳です。

 更に言えば徴用された民間商船の数も膨大でしょう(恐らくはこれでけで800万トン以上?)そしてそれらに詰まれた多くの物資や民間の船員に命も海に沈んだ訳です。
 (こうした事もあって戦後、港町の遊郭が寂れたり・・・・・、余談ですな・・・・)

 なんといいますか、当時の指導部、あえて壮大な蕩尽を行っていたのか?とさえ思えます(意識的か無意識的かはわかりませんが・・・・・)


 更に各地の主要都市のインフラ等、殆どが空爆(空襲)に拠り灰燼と帰している訳で・・・・。


 とにかく酷い物不足の時代。
 そうして物不足が何を生み出すか?といいますと、先ずはインフレーション(新円への切り替え等の政策も行われますが効果は限定的?)。
 またそうした中で街の復興も行わなければいけないが、予算は無い・・・・・。


 そうした状況の中で緊急避難的に生み出されてのが、いわゆる”宝くじ”。
 いわば公営のばくち。

 市場に流通する貨幣を吸い上げインフレを抑制すると同時に復興予算を確保するという事ですよね。

 そしてそれは結構うまく行く訳です。
 そしてそれに続いて各種公営ギャンブルが認可され治自体(や省庁)の復興予算確保の手段となってゆく。

 例えば昭和21年に競馬(農水)、23年競輪(通産)、25年オート(通産)、27年競艇(運輸)・・・・・・・。


 そうした時代背景の中で広島周辺レースも車券が売られ、復興予算の確保や復興記念イベントとして開催されていったようです。

 確かに考えればこれしか無かったのかもしれません。

 広島市内は一面の焼け野原。
 其の中で行うには一番良かったイベントとも思えます。

 戦前に開催されていた歴史もありますし、戦後既に有志が集まって開催されている訳ですから人的資源の確保もしやすい。
 それに第一、ダートで行うオートレース、ちょっとした空き地があれば開催できますからインフラの整備も最小限ですむ訳ですから・・・・(現実に各学校等のグラウンドで開催されていた様です)。
 ライダーだって走る場所が確保出来た訳ですしね。


 そんな感じで昭和34年まで盛んに開催されていったという事らしいです。



 (そうした背景がある所為か?、若い頃バイクにゼッケン何て付けていますと、近所のおっちゃんから「アンちゃん、オートレースに出るんかい?」何て声を掛けられた記憶も・・・・。)
 (広島周辺では長い間オートバイのレース=オートレースという認識だったのかも知れません)

 

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