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2016/02
02
[ #795 ]

春画考

 先日、永青文庫主催の春画展の図録を購入してしまったという記事をアップいたしましたが、その図録にも一通り眼を通す事も出来ましたし、たまには春画に付いての戯言を記してみるのも悪くは無いか?と思いまして今回は春画に対し想う事を徒然に・・・・。

 確か以前に浮世絵について簡単に記した記憶も有るのですが、この何十年か浮世絵を眺める事は好きな行為の一つです。
 基本的に一般の浮世絵、出来れば明和年間~文化十年辺りの物が好みでして春画は少々苦手ではあるのですが・・・。
 
 
 では何故、春画が少々苦手かと言いますと・・・・やはり”三欲を満たすを行為ストレートに描いている”からですかね?

 三欲(食欲・性欲・睡眠欲)を満たす行為は人様に見せないのが基本、と言いますか三欲に限らず欲望を満たす行為を公の場で行う事は無作法な(みっともない=見たくも無い)事であるというのはある種世界共通の自明性であった筈です。そして春画という存在、性欲を満たす行為を露骨に、しかもかなり誇張的、あるいは生々しく描いている訳でして、どうも日常的に観るには辛い物があるのですよね。特に今回の図録の様に最初から最後まで略そればかりという物は、かなり精神的にきついのです。
 ポルノ写真とか所謂エロ漫画の方がまだましといいますか。


 やはり春画は覗き見程度が良い気がします・・・・。



 閑話休題、今回の図録を観て思ったのは、やはり浮世絵の一ジャンルではあるという事。

 例えば鳥文斎栄之。
 栄之に関しては「寛政年間を中心に活躍した美人画の名手で歌麿のライバル・・・云々・・・」といった意の説明が良くされているのですが、浮世絵を観ることを覚えた当初は「歌麿と双璧をなす美人がの名手と言われても、質、量共に圧倒的に歌麿が上に思えるのだが・・・・」等と想っていた訳です。
 しかし栄之の描く肉筆春画を見させていただきますと・・・・成程、歌麿のライバルという評価も伊達では無いな・・・・と想えたり。

 といいますか、肉筆春画に関しては栄之の作品の方が・・・・等とも思えたり・・・。
 尤も、歌麿の肉筆春画は見たことが無いですし・・・・・また歌麿の「歌まくら」は流石に迫力ですが。
 まあ、歌麿は春画よりも一般の美人がを描きたかったのかも知れないな、とも思えたり(所作や表情・着付け等も含めた女性の魅力を愛していたのか?何てね)。

 これは他の絵師についても同様。春画作品も含め観てみないとその絵師の個性等は判らない物とも思える訳です。


 また春画という物、基本的に享保の改革以降は一応禁制ではありまして、一般の浮世絵に比し刷られた量はやはり少ないでしょう。
 恐らくは一般の浮世絵=売れなければならない商品、それに対し春画は少量生産品。絵師等の力の入れ方や自由度も上の様で、其の分、絵師の個性がより判り易い気もする訳です。



 話は変わりますが、「春画」という言葉。どうも江戸期には使われていないようで・・・。確かにこの漢字2文字の熟語、江戸ことば(或いはやまとことば)というよりは明治の新語という語感ではありますよね。

 では維新以前、こうした物はなんと呼ばれていたか?といいますと、一般的には「わらいゑ」(笑い絵)という物が多かった様です。
 ではこの手の浮世絵を観て現代人が笑えるのか?というとどうでしょう?
 まあ、笑いにも色々とありはしますが・・・・。


 こんな事を考えていますと、以前どこかで目にした次のような言説を思い出すのです。



 それは・・・・。

 ・昭和の終わりの頃、日本が急速に豊かになり殆どのトイレが水洗化されたが、もしかするとこれが日本人のメンタリティーの変化に与えた影響は思った以上に大きかったのでは無いか・・・・?

 といった物です。


 どういうことかといいますと・・・・。

 いくら絶世の美女、若くて美人で着こなしや所作も文句なしといった女性であっても、排泄という行為はしなければならない訳でして・・・・。勿論、上等の着物を身に着けた二枚目の男性であろうが、渋い紳士であろうがそれは同様に・・・。(排泄欲も根源的欲求、欲の一つでしょう)

 いってみればそこから、人間一皮向けば所詮は唯の糞袋では無いのか?といった視線も持ちえた訳でしょう。
 (また、故に排泄という行為も他者に見せる物でもないですし、普段はそうした気配すら他人に感じさせない様にもする訳でして・・・・。また公の場に出るときはそれなりの格好や所作、行動も求められる訳でしょうし・・・。)
 (そういえば図録の中にもそうしたビロウな物も数点掲載されていました)


 こうした視点で春画を眺めて見ますと、其処に描かれているのは男女の営み、直裁に言えば性行為。
 同じような物を感じるのです。

 日常(ケ)の世界ではいかに気取っていても、異性と閨を共にすればすることは他の動物と同じ事をしているだけでは無いか?といった視点。
 つまり、”人間様”何て威張っていても動物と対して変わらないのではと・・・・。
 確かに古い日本の御伽噺や落語等には結構動物が登場しますよね(狸なんて特に・・・・落語の狸賽とかね)。
 昔の日本人は、動物との親和性が高かったという事でしょう。
 (そういえば、江戸期、矢鱈とベタベタしているカップルを冷やかす言葉として、「このチクルイ(=畜類)めが!!」という物が使われていたそうですが、同様のメンタリティーでしょう)
 (最も西洋でもキリスト教普及以前に起源を持つ民話等には結構擬人化された動物が登場しますが・・・・)



 色々と書きましたが、春画=わらいゑ の笑いとは、例えば・・・・。


 ~ 楽は苦の種 苦は楽の種 二人してする 人の種 ~ 
 
 とか

 ~ 酒を飲むまで 男と女 トラになる頃 オスとメス ~

 とか

 ~ 惚れたはれたと やれ喧しい 人のせぬ事 するでなし ~


 といった様な都々逸を耳にした時に出る、言わば”クスッ” とした笑いと同様な笑いをもたらす存在だったのかも知れません。


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2016/02
04
[ #796 ]

さようなら


 「さようなら」

 というタイトルの映画を観て来ました。
 気になっていた映画でもあり、広島市内まで出かける用事も有ったという事で。

 特にこの映画は舞台設定等を考えますとTVで放映される事も無さそうに思えます故、映画館で観て置こうと思っていたのです。

 
 良い映画でした、といいますか好みの映画です。
 簡単にストーリー等記しますと・・・・・。


 舞台は近未来、原発事故にて全土を放射能で汚染された日本。その汚染に拠り国民が順次海外に避難を始めているという状況。
 そして主人公は難民認定され日本に来ていた病弱の白人女性。
 また彼女は其れらの諸事情に拠り避難順位が下位になったと思われ・・・・・。

 そうした状況の中、彼女は子供の頃に親が買ってくれたアンドロイドを話し相手に生活し、アンドロイドが語ってくれる若山牧水等の詩を聞きながら静かに死を迎える、と言う物。
 (この舞台設定ではTV放映の可能性は低いでしょ?そういえば以前映画館で観た”A2-B-C”という映画も今は観れないとか?)
 そして、アンドロイドは阪大が作成した実際のアンドロイドが勤めています。


 そして観終わって思って事は、この舞台設定やアンドロイドの演技(?)というもの、話題には成りましたがそれ自体はあくまで舞台装置に過ぎないという事。

 この映画を観て考えた事。それは、文明が生まれて今日までの人間の営み、いわば”歴史”というもの、また自らの”死”の存在も含め今此処にある状況、いわば”現実”という存在に”個人”として如何に向き合うか、認識するのか?という事。
 (この個人として客観的にという事が実が現代では中々難しく成っているとも思えます・・・・・)

 また”コミニュケーション”という事やその意味。そしてそのツールとしての”言葉”(言語や語彙の選択といった事も含め)。

 そして”記憶”という物。


 少々大げさですが、正に今観る映画としてお勧めしたくなる映画でした。

 まあダメな(合わない・・・等々という)方も多いとも思えますが。

 兎にも角にも良い映画とおもえました。
 必見、かな?


 
        さようなら


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2016/02
08
[ #797 ]

MOZART JAZZ TRIO

 以前、ジャック=ルーシェのプレイ・バッハのアルバムをアップした記憶が有るのですが、こうしたクラッシックとジャズのクロスオーヴァー的アルバムは結構好きで良く流します。


            モーツアルト

 「SWINGING’ MOZART」  MOZART JAZZ TRIO

 
 クラッシックのアルバムそのものを流しても良いのですが、クラッシックの曲、多くが音圧の幅が広く結構ヴォリューム調整に悩むのですよね、特に拙店の様に他の店のカラオケの音が漏れ聞こえるような店では結構難しいのです。
 それに店の空気という事も・・・。矢張りカウンター主体のやや雑多な雰囲気のバーにはジャズが似合う気がしていますし。


 クラッシクの楽曲、最近ではラップ等でも良く使われていますし、以前はテクノとかディスコ系の音楽でもフュチャーされたりと西洋ではしばしばアレンジして使われていますが、全体としてバッハの曲が多い気もします。
 といいますかモーツァルトといった古典派以降、或いはベートーヴェンの様なロマン派以降の曲はどうもジャズアレンジは少ない気もします。
 メロディー等が煮詰められている分、即興的にアレンジする事が難しいのかも知れません・・・・。

 で、このアルバムですが、メロディーラインは余り弄らず原曲らしさが残されていてそのままモーツァルトといった感じですが、しかししっかりスイングしていた良い感じです。

 まあモーツァルトの曲自体、他のクラッシクの楽曲に比べ何と言いますか・・・・・、軽快というか、軽薄というか、即興的というか・・・・。どちらにしろ、そのまま現代的雰囲気もる気がしますので、いい感じに嵌ったのかな?等と勝手に思ったり・・・・。

 (そういえば、昨年K様の結婚披露宴で演奏されたピアノ×フルートでのジャズアレンジのモーツァルトも格好良かったな・・・・)

 
 どちらにしろ、実はこうしたクロスオーヴァー的曲、一寸好きなのです。

 

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2016/02
11
[ #798 ]

ボンボン

 今年も買ってしまいました、リキュールボンボン。
 酒の選択&このミニボトルの様なパッケージングに惹かれるのです。


        ボンボン


 1本を除き昨年買った物と同じ品揃えですが、何故かラムがハバナクラブから、マウント・ゲイに変わっていました・・・。

 バレンタイン迄カウンターに置いておいて、其の後はお客様に食べていただければと思っています。

 

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2016/02
15
[ #800 ]

狂言

 昨日の日曜日はバレンタインデーでしたが、私はおっさん一人店の近くで催された狂言を観に行っておりました。


 はい、こんな催しが有ったのです。


            狂言


 広島大学文学部主催のバレンタイン狂言会です。

 

 このフライヤーを見るとおっさん一人で出かける事にしり込みもしたのですが、何せ店から徒歩圏内、しかも入場無料という事でいそいそと出かけて来ました。

 バレンタイン狂言会と銘打たれたいます事もありますし、プログラムに第一部として「入試に役立つ(かもしれない)古典の言葉」と講義名の付けれれたミニ講義が催されるともありましたので、妙齢のカップルや中高生と其の親御様組み合わせの来場者が多いか?と恐々出向きましたが・・・、そうした方々の姿は少なく幅広い年齢層、といいますか結構高めな年齢層と見受けれれました。
 日本の古典芸能という事で敷居が高く感じられるのですかね?

 しかし、狂言、言って見ればショートタームの笑劇、まあコントの様なものですし、口語劇ですので言葉もそれ程難しくも無い訳ですから、わかり易いのですがね・・・・。



 閑話休題、講義、演目とも楽しませていただきました。

 講義はして下さった教授が良い声をしていらっしゃる印象、内容も聞きやすかったですね。

 演目は「御茶の水」という古典物と「濯ぎ川」という新作を一つずつ。共に楽しませていただきました。


 強いて言えば、やはり古典物が好みですね。
 小唄も良いですし、舞といいますか身体の使い方等、やはり魅力を感じます。

 楽しい一日を過ごさせていただきました。

 唯一つ、舞台の後ろに、イラストなりタペストリーなり屏風なりでも良いので松が描いてあれば・・・とは思った次第。

 やはりこの手の物は(劇の)神様がいらっしゃらないとね・・・・と。
 やはり鏡松が無いと寂しいのです(贅沢ですかね?)。

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2016/02
19
[ #801 ]

カクテルのはなし 2

 前回、カクテルという存在はアメリカ(文明)を象徴する酒云々という話を書きましたが、其の続きです。

 では実際”カクテル”なる言葉は何時ごろどの様な経緯で生まれたのか?あるいは何故”カクテル”と呼ばれるのか?

 まあ、この辺りに関しては諸説紛々でして・・・・。
 ・初期のカクテルが雄鶏の尾羽で混ぜられた故とか、フランス語の卵立てが語源だとか、英国のコックエールという物が語源・・・・南北戦争時の逸話が云々・・・・とか、まあ挙げればキリが無い訳です。

 
 
 では?どの説が正しいのか?間違っているのか等と口角泡を飛ばしても、それはそれでせん無いことにも思えます。
 こうした社会風俗に属する言葉について、誰が最初に発したか?なんて事は解り様が無いですし時代とともにその意味も変わったり、隠語的に成ったりもしますしね・・・・(特に私好みの遊郭色町関係の言葉何て特にそうですし・・・ 笑 )。

 それこそカウンターでの与太話のネタに丁度良い気もします。


 閑話休題、では最初に文献にカクテルなる言葉が登場するのは?といいますと・・・・。

 1806年にニューヨークで発行されていた新聞に記された物が初出とか・・・。
 (朽木ゆり子著 ”マティーニを探偵する に拠る)

 その5月13日の紙面に”カクテル”なる言葉を始めて耳にした読者の質問に答える形であったそうで・・・。


 そしてこの事から推察しますと、19世紀初頭頃にアメリカでカクテルという言葉が広まり始めたという事でしょう。

 つまりカクテルなる物(言葉)が誕生したのは18世紀末頃?と成りますかね。
 アメリカの独立宣言が1776年ですから、カクテルはアメリカ独立直後に誕生したとも言えそうで、そうした面でもやはりアメリカを代表する飲み物といえそうに思えるのです。

 
 では、何故この時期にこうした物が・・・・となる訳ですが・・・?

 まあ、私の勝手な妄想ですが・・・・。
 独立当時(18世紀末)アメリカ人はどんな酒を飲んで下のか?といいますと・・・。まあ、お金持ちは当時英国で高級とされていた酒類でしょう。シェリーやコニャック、他マディラやシャンパーニュ・・・・・等々。

 では庶民は?といいますと・・・・?まあビールは水代わりでしょうが、他は・ラム・ジン・初期のウイスキー・・・・等のホワイトスピリッツが主体でしょう。
 そして当時のそうした酒は荒々しくお世辞にも美味しいといえる様な物では無かったのでは?と思われます。
 現代ではフリーザーでキンキンにひやしたドライジンやテキーラ何て物も結構人気でそれなりに魅力も有りますが、往時は未だ冷凍技術は誕生していない訳ですし、また連続式蒸留器も・・・・・。

 詰まり、荒々しいスピリッツを常温で飲む訳ですからかなりワイルドな飲み口であった想像されます。

 そうした中で、幾つかの酒を混ぜたり、或いはシロップ等を混ぜるとそれらが結構飲みやすくなることが発見される。
 この辺りが走りではないですかね?

 また他ですと・・・、樽の注ぎ口から滴る物を受けていた容器(受け皿)に溜まった色々の酒が混ざった物を安く飲ませた事が切っ掛けでは無いかともいわれていますし、それがカクテルの語源の最有力の説とも・・・・。
 そういえば、カクテルを造るときにカウンターに敷くバーマット、これに溜まった物を最安のカクテルとして出す何て行為は今でも存在するらしいです・・・・・。


 そうして酒に混ぜ物をすることがある程度認知された時に起るのが、ナポレオンの海上封鎖、フランスとの擬似戦争。更に英米戦争。
 これらに拠りフランスや英国から入ってくる高級酒の輸入量が減少したのは確かでしょう。

 で、そうした中で既存の酒に混ぜ物をして高級酒に近い物を造り出すという行為、詰まりカクテルがある程度お金に余裕のある層にも広がり世間に認知されたのでは?と思う訳なのです。

 例えば初期にマティーニはジン+スウィートベルモットであったといわれていますが、これなどは長熟の蒸留酒の味を目指している様にも思えますしね(マンハッタンも一寸そんな気がしますし・・・・)。 
 

 相変わらずの与太話でした・・・・。

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2016/02
26
[ #803 ]

ちょっと昔の祇園町

 少し前に図書館で借り出した本、個人的に印象に残ったのです。


            祇園町

 「ちょっと昔の祇園町」    祇をん新井豆爾

 


 何度かお客様と共に祇園辺りで遊ばせていただいた事もありますので、おそらくそれ故でしょう。

 何といいますか、この本に書かれている空気の様な物を感じさせていただければと思い京都に出かけていた訳です。
 それは、恐らく昔から伝えられ、また練り上げられた京都のもてなしの伝統といいますか仕来りの魅力といいますか、恐らくそのような物なのでしょう(どうも一言では言い表し辛いですが、日本文化とか京文化といわれる物かも知れません)。

 また最近”オモテナシ”何て言葉が耳に付きますが、それとは少々似て異なる物とも思えます。
 しいて言えば、職人全般にも言えるかもしれませんが、仕込み(住み込みの徒弟制度)、それに拠る伝統や技術の継承と研鑽・・・・、そうして出来上がる物、伝わってきた物の凄み、文化・・・・そうした物ですかね。


 店の京都旅行を実施る前にこの本を読んでおけば更に深みが増したかも・・・?何て事も思いましたが(2015年出版の本ですので現実的には無理ですが)、現実問題としてもし実際にこの本に触れていたならば恐ろしく緊張して固まったかも知れません・・・。

 尤も今でもお座敷に揚がらせていただきますと相当に緊張します・・・・、といいますか緊張を紛らわそうとツイツイ飲み過ぎ、失態続きな気がしています(ダメダメな私です)。

 
 ともかく古き日本良さ、或いは京都の花街の空気を感じさせていただける本です。



 追記。


 この本を読んで思い出したことが幾つあります。

 其の一つが、ある舞妓さんの事。

 2度座敷に着て頂いた事のある舞妓さん。
 一度目は店出し直後とお聞きしましたが、確かに緊張されている様子、帯等も恐らく置屋さんに在った物という印象でした。そしてこちらにも緊張が伝わる程硬くなられていたご様子。
 それが数年後、同じ舞妓さんに来て頂いた事が有りまして、其のときは襟替えを間近に控えていらっしゃるというお話でしたが、その落ち着き・・・・。またそれ以上に舞の見事さ・・・・(まあ私、素人なので舞の良し悪し何て良くわからないのですが、それでも圧倒されました)。
 修行、仕込みの力という物を見せ付けられた気がしましたね(そういえば其の舞妓さんも”豆”の付くお名前でしたね・・・)。

 そしてもう一つ、都をどりの舞台で観た舞。演目は確か「京里山雪女郎子鷺」。
 (凄みがあって)寒気がしましたね。


 何だかまた京都に行きたくなりました・・・・。
 (と同時に、いい加減ちゃらんぽらんに生きてきた私としては、一寸自分が恥ずかしくなる気もする本でもありました)
 

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