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2016/05
04
[ #822 ]

リキュールのはなし 7

 前回の続き、19世紀に多くの薬草系のリキュールが商品化され流行したという話。

 産業革命やフランス革命経て科学という物の力が社会に認知され、それらが生み出す物が人々に大きな力をもたらすといった時代風潮がその根底に在るのでは?という事なのですが、各種の(科学的に造られる)薬品も当然そうした物の一つでしたでしょう。

 そうした薬に拠り、人々が所謂”不老不死”に近づけるという幻想を抱く事が出来、当時、科学文明の象徴ともいえる蒸気機関車のごとく疲れを知らずに働き続ける事が出来るという幻想も持てたりする時代で有ったともいい得そうです。

 またその延長線上に”ロボット”等という存在も在りそうで・・・・・。

 しかし考えてみれば、現代TV等で盛んに広告されています健康食品とかサプリメントもそうした物の延長線上にもありそうですし、またスポーツ等で体を鍛えて能力を高めるとか、自動車やオートバイに乗ることに拠り自らの運動能力を強大にするという事も、ある種同種の無意識の上にありそうにも思えます。

 兎にも角にも、個人の能力を科学の力に拠り強大に出来るという幻想、或いは風潮が強かった時代といいますか、あるいはそれ以降の近現代がそうした時代であるともいいますか・・・・・。


 そうした風潮の中で、肉体だけでなく精神の発揚にも効きそうなリキュールという物も流行した訳でして・・・・・。


 はい、アブサンですね。

 ランボーやアルトーといった詩人やゴッホやロートレック等の画家等、当時、多くの芸術家が耽溺したリキュールです。

 
 この”アブサン”、諸説ありますが18世紀にスイス西部でアンリオ姉妹が造り出しと物を1792年、ピエール=オーディナーレという人が商品化、後に今のペルノー社の創始者である、アンリ=ルイ=ペルノーが1797年に大々的に売り出し、1820年代頃からパリ等で流行したといわれています。

 その後20世紀になり、世界各地で禁止されるようになり、ある種幻のリキュールとなっていたのですが、1973年、アブサンの主成分である”ツヨン”の食品や飲料ににおける含有基準が新たに制定され、2000年頃から再び商品として出回るようになり、現代では結構な種類が出回ってもいます。


 また、スイスにはアブサン特区なんて物も造られているとか・・・・・。
 そういえば、上記のアンリオ姉妹にしろ、ペルノー氏にしろ、スイスの方。また、前回記した、パラケルススという錬金術師?もそう。また、現代でも薬品産業や薬品の臨床試験でも著名な地。
 中々スイスって・・・・・。


 閑話休題、恐らく16世紀ころから、ある種の科学的なものがヨーロッパに浸透し始めるのですが、と同時に、魔術的なもの神秘主義的なものも流行した様にも思えるのですよね。

 そして19世紀辺りまでは、科学的なものに対し、人々はある種の魔術的な要素を感じる面もあったのではと思えるのです。
 (どちらも、人々に対し、大きな力を感じさせる物でしょうからね・・・・・・。)


 また、科学が力を発揮する中である種神秘(主義)的なもの精神的なものに惹かれていった面もあるのではと思えるのです。

 そしてアブサンは正にその象徴的存在であったのでは?とも。

 こんなポスターを観ると特にそう思われるのです。


 ポスター


 女性の側にいるのは錬金術師でしょうね・・・・・。


 
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2016/05
08
[ #823 ]

税金が・・・・!

 先日とどいたオートバイの納税通知書。
 開いてびっくり!


      納税通知書


 確か昨年までは1台、4000円だったはず・・・。50%の値上げですか?
 (本気で、一台ナンバー切るかな?)

 何だか最近税金が上がってばかりの気がします・・・・。


 更に言えば、聞くところによると原付等は100%の増税とか・・・・?
 そういえば少し前に軽自動車の税金も上がった記憶が・・・・。
 (更に言えば其の前に4ナンバー車や古い車も・・・・)


 個人的には原付や軽自動車、古い車に対する増税は如何な物か?と思うわけでして・・・・。


 数年前から山間部の過疎地等では、”買い物難民”なんて問題も発生しているといった報道が盛んにされていた訳ですが、公共交通機関が少ない山間部の過疎地等では、軽自動車や原付はある種生活必需品ともい得る訳で、人によっては死活問題(というと大げさかもしれませんが)にも成り得る可能性だって考えられる訳ですよね・・・・。

 生活必需品にたいする増税って、言ってみれば人頭税の様な要素を持ちうる訳でしょう・・・・・。
 ほんと如何な物かと・・・・。

 消費税だってそうですよね・・・・・。


 たしか若い頃には物品税という物が有り、ぜいたく品には高めの税が、生活必需品には無税であったり、安めの税であったりした訳でして、恐らく庶民の幸福という事を考えればそちらのほうが明らかに善政と思えるのですが・・・・・。


 まあ、こんな事を書きますと、250超のオートバイなんてどう考えても生活必需品ではないでしょ?なんて声も聞こえそうで・・・・、一寸、”やぶへび”気味ではあるのですが・・・・・ 笑 。

 
 また、古い車等に対する増税も・・・・・。

 古い物を大事に使うという行為・・・・、本来わが国では褒められた行為であったはず・・・・・。
 (”もったいない”とか”足るを知る” 何て言葉こそ正に我が国の良き文化の象徴の様に思っていたのですが・・・・・)

 
 更に言えば、軽自動車の増税が決定した際に、普通自動車に乗っている人のなかで、「私達は元々高い税金を払っていた訳だし、軽自動車をのっている奴等は”いい気味だ、ザマヲミロ”」何てことを口にする方も有った記憶も・・・・。
 (何だかね・・・・・?といいますか、何と下衆な台詞といいますか)

 嫌な時代に成ってきたなと思ってしまいます。

 
 

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2016/05
10
[ #824 ]

近代日本の人類学史

 最近楽しく読ませていただいている本です。

 とは言いましても中々読み応えのある書籍でして、まえがき&序章、そしてあとがきを先ずは読み終え、本編に入って少しばかりといったところで、本格的にはこれからなのですが・・・・・。

 この本です。


    近代日本の人類学史


 
 

 (文化)人類学といった種類の本にも興味を惹かれる私なのです。


 しかし結構、目を引く副題が添えられています、”帝国と植民地の記憶”  ですから・・・・。

 更に帯にはこんな文言も・・・・。


 帯


 ”日本人類学は「大東亜共栄圏」の子供か?  と・・・・。

 
 何となく政治的な香りのする本といったイメージも受けそうですが、読み始めてみるとそんな事は無く、署名の通り我が国の人類学の歩みの記録といった内容です。

 
 一般に文化人類学というと、柳田国男とか、折口信夫、宮元常一といった名前が挙がりそうで、地方の民話の収集とか、農村の暮らしや風俗といった、いわば民俗学的イメージが強いですが、本来の(文化)人類学という物はもう少し違った位相が在りそうです。

 つまりは人類学、或いは文化人類学という物、本来は植民地の獲得や経営といった事と非常に親和性の高い学問でもあり、当然我が国の人類学もそうしたスタート地点を持っている事は事実なのですよね。


 しかし考えて見ますと(文化)人類学に限らず、16世紀以降の(西洋的)学問、殖民地の経営や獲得、其の手段としての戦争等と非常に親和性が高いと思えるのです。

 武器兵器の発展に工学が寄与した事は言わずもがな、医学薬学だってそうですし教育学なんて植民地支配(或いは自国の民の支配)のツールとしての役割は大きかったでしょう。


 勿論そうした方向ではなく、純粋に学問的好奇心や所謂善意に基づいて活動された面も多いでしょうが、ただ全ての学問はそうして(戦争や支配者の協力者として)存在、発展してきた事は事実でしょうし、意識はしておくべきとは思うのですよね・・・・。

 そしてまた人類学という物、結局は人(類)の営みそれ自体を研究対象としている訳でして、ある種哲学的ともいえそうですし・・・・、其の拡がり自体にも興味を惹かれるのです。
 (尤も私の様な素人には学問をやたらと分野ごとに細分化しても仕方なくも思えるのも事実ではありますが)


 何だか話が変な方向に行きましたが、この本、結構読みやすく、また興味深く楽しく読まさせていただいています。

 書きたい事はたくさん有るのですが、未だ読んでいる途中なのでこれ位に・・・・・。



 因みに・・・・・。


 謹呈

 
 という事で・・・・、感謝です。

 

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2016/05
13
[ #825 ]

徳川名宝展

 昨日は広島県立美術館で開催中のこちらの展示を鑑賞して参りました。


     徳川展

 徳川名宝展  です。


 副題に”天下大平”とありますが、個人的にはこの江戸の時代(パックストクガワーナ=徳川の平和等とも言われたりもしますが)、日本が日本らしくあった時代でも有り、また精神的にも豊かで、正に世界に誇れる時代ではなかったか?とも思えるのです。

 ということで、江戸期の我が国に惹かれる面の多い私としては訪れてみたい展示だったのです。
 そしてまたこれが、そう思っているところにある方からチケットを頂戴いいたし(感謝)、いそいそと出かけた次第。


 肝心の展示内容ですが、印象としては兎に角幅広い展示、何かに特化しているという訳ではなく、徳川家縁の品を幅広く展示してあったという印象でした。

 武具・武器・調度品・もんじょ・軸・絵画・絵巻物・貨幣・衣装・・・・・・といった具合(という事でマニアでなくても楽しめる展示という印象)、良い目の保養をさせて頂きました(強いて言えば、天下太平の副題の割りには庶民の物は少なめな気も少しだけ、まあ徳川家の名宝ということでしょうからね)。

 また何と言いますか、流石徳川家?ですかね?良い品が数多く保存されている事に驚きました・・・・。
 まあ1603年江戸に幕府を開いて以降幕末まで為政者一族であり、維新後も名家として現代に至る訳ですからね(確か維新以降も貴族院議長は徳川氏だった記憶も・・・・・)。
 
 
 閑話休題、個人的にはもんじょ類が(良く残されている事も含め)興味深く、また絵巻物の豪華さにも・・・・・・。

 はい、楽しませていただきました。


 そして折角なのでこちら、

 収蔵品展

 収蔵品の名品展も鑑賞させていただきました。


 第一次大戦から二次大戦の間の時期の西洋作品の良い物が多く、結構これまた私好みで・・・・。

 また広島県縁の作家の収蔵も、そこは県立施設らしく・・・・・と。

 はい、楽しかったですね。


 因みに、良い天気でしたので足はオートバイを選択、タンデムシートに連れ合いを乗せ・・・・といった具合で(最近割とタンデムで走ることも多いかな)。

 これまた気持ちよかったですね、良い季節になりました。

 

 

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2016/05
17
[ #826 ]

コダワリとかビョーキとか・・・・

 前回の続きです。
 
 前回、”拘り(こだわり)”という言葉は私の若い頃は否定的な意味に使われる事が多く、ほめ言葉として使われる事は無かった。

 (尤も、今では某国営放送すら肯定的な意味で使用されているようですし、言葉も時代と共に使われ方も変わる物ですしね・・・・)(全然を肯定的な言葉の前に置くなんて事もそうですし・・・・・)。

 唯、個人的には未だに好きに成れない・・・といった意味の事を書いた記憶が有るのですが・・・。
 まあ、流行り言葉やスラングといった物も似た面がありそうですが、基本的に苦手ですね。
 (例えば、”ヤバイ”何て言葉・・・・・・)

 


 閑話休題、では当時、最近”コダワリ”とか”ヤバイ”なんて使われ方をしていた言葉といいますと・・・・。


 まあ、色々と思い浮かびますが・・・・印象的なのは”ビョーキ”という言葉。 最も最近のように「”コダワリ”のお店です」といった使われ方では無く・・・・・。

 (大体、”こだわり”の料理とかお店といった使い方、当時は無かったですね。といいますか、TVでそうした店舗や料理を紹介する番組自体無かったですし、グルメ番組なんて物も僅かで、またもう少し違った物でした。大体において人前で食い物が美味いとか不味いとか口にすること自体が憚られる行為でしたしね) 


 あくまで個人に対し、「あいつは”ビョーキ”だ」といった具合に・・・・・。

 そういえば”コダワリ”という言葉も現在似た使われ方をしている面もありますよね「あいつはコダワリだ、とか、拘るやつだ」とか・・・・。
 ただ、そこに含まれる物は少々異なる気がします。


 「あいつはビョーキだ・・・・」といった場合其処に含まれるのは、あいつは色々な物から自由だ、とか魅力的だ、突き抜けてる、といった具合に、ある種の賛辞や尊敬や憧れ、或いは共感・・・・といった物を主体とした感情が有った様に思われるのですよね。
 (勿論、ちょっとした妬みの様なものもあったかもしれませんが・・・・・)

 勿論それ以前にも”病気(ビョーキ)”という言葉(この場合漢字ね)、独特の意味合いイメージもあった訳ですが・・・・。
 なんといいますか、昔の小説等では薄幸の美少女的に不治の病なんて物(例えば古くは結核、7・80年代だと骨肉種とか白血病・・・・)が、ある種繊細な感受性のと豊かな知性の象徴的に捉えられていましたし・・・・・。また西洋では「病気も出来ない様な不健康な人間とは金輪際付き合いたくない」といった台詞が有ったり(ニーチェだった筈・・・・)。


 兎も角そんな感じで、どちらかといえば万人・世間から一歩抜け出しているといった意味で使われていた気がします。
 といいますかその時代、世間一般からより自由で知的で特出しているといった事や行為、人が評価されていた様に思われるのです。
 

 それが何時ごろからか(恐らくは90年代になった辺りか・・・・)?特出する事が難しくなった気がします。
 どうも禁煙ムーブメントや健康増進法の頃からですかね・・・・。
 兎も角、健康に対する脅迫観念が強くなったといいますか・・・・・。(昔はそれ自体を笑い飛ばしていたといいますか、批判的に笑い飛ばせる事が良い事だった気がするのですよね)

 極端かもしれませんが、いい面でも悪い面でも特出すると叩かれる様にになった。
 或いは多様性に対する寛容さが無くなったといった方がいい得ていますかね・・・・。
 
 (勿論スポーツ選手や芸能人や一部に金持ちのようにマスコミが肯定する特出は認められる気もしますが、それも一瞬でバッシングの対象に変わったりり・・・・・。)


 確か其の頃(90年代になった頃)からですかね?教育現場でのイジメが問題に成る事が多くなったのは?
 (生き地獄とか、死んでお詫びを、といった遺書を残し自死する生徒が問題になったのは・・・・)

 なんといいますか、解り易いもの意外はバッシングの対象といいますか・・・。


 そう、”ビョーキ”なんて言葉自体、いまTV等マスコミで使うと問題にされそうですよね。

 ネットの発達もあるのかも知れませんがそうした空気、どうした物かとも思ったり・・・・。

 一寸、愚痴っぽかったですかね?

 
 追記

 恐らくは自分が理解できない物や者は否定する・攻撃するといった人間が増えたのでしょう。
 でもそれは、兎にも角にも自分が傷つきたくない、という感情の表出でしょう。自らが傷つきたくないから先制攻撃をする、徒党を組む。
 何だかね・・・・・。

 
 

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2016/05
20
[ #827 ]

ウイスキーのはなし 4

 バカナリヤのバックバーにはウイスキーが多く並んでいるのですが、其の多くがスコッチウイスキーの所謂シングルモルトといわれる物・・・という事で其の辺りのはなしを少々。


 ウイスキーが英国全体で良く飲まれる様になったのは19世紀初頭ころからではないかと思えます(また世界的に何度かウイスキーブームの様なものもあった思いますが其の嚆矢ともいいますか・・・・)。
 其の理由として思いつくのは、一つは産業革命等に拠り英国が豊かに成ったという事が一つ。
 酒という物、そこは矢張り嗜好品、豊かでないと消費量も増えない訳でして・・・・。
 (そういえば最近耳にした話に、最近の我が国の若者の酒離れの主要因の一つが、格差と貧困に求められるという話しもありました)
 

 またもう一つ重要と思われるものが、ナポレオン戦争。

 言ってみれば第0次世界大戦的でもありまして、英国と仏国が互いに海上封鎖何て事を行う。

 これに拠り英国では、フランスから輸入されていたワインやブランデーが手に入りにくくなる、そしてその代わりにウイスキーの需要が拡大する訳です。
 (他にも戦費調達の為の酒税強化という側面で語られる事もあったり、また戦争終結後の失業対策としてダフタウン辺りで蒸留所が造られたなんて話も・・・・・)

 一方仏国では、砂糖の輸入減少~テンサイ糖の発明~後にテンサイ糖の需要減少からスピリッツ原料への転用~リキュール原料となり、リキュールブーム発生なんて事も・・・・。


 閑話休題、そうした社会情勢の中で、スコッチウイスキーの蒸留所がこの時期に結構誕生しています。

 其の中で最もエポックメイキングな物といえば・・・・・。


 この酒ですかね?


   グレンリベット

 
 グレンリベットですね。

 1824年創業のタグが輝いています。


 この年にハイランド地方の蒸留所としては初めに合法蒸留所として登録された常習所です。
 ローランド地方の蒸留所は以前にも書きましたが、徴税官から隠れる事が難しい故、合法蒸留所として稼動していた訳です。
 (また、ローランドとハイランドでは酒税も異なっていたとか・・・・)


 この19世紀初頭、ウイスキーの需要が増えた事が切っ掛けでグレンリベットが合法の蒸留所として表舞台に登場する訳ですが・・・・。
 しかし考えれば、ローランドの蒸留所の生産量を増やして対応するというやり方もありそうです(まあ、これは連続式蒸留器の発明と導入という形実現する訳ですが)。
 
 まあそうならなかった理由としては、ハイランド地方で造られる密造ウイスキーの方が、ローランドで造られる合法ウイスキーよりも明らかに美味しかったという理由にもありそうです。
 (この辺り、ジョージ4世がグレンリベットのウイスキーを所望したとか、褒めたなんて逸話で語られています)

 まあ考えてみれば合法のウイスキー、高い税金を払いかつ生き残る為に規模拡大に拠る大量生産や原材料のコストカット、すなわちモルトの使用量を極限まで減らすといった事を行っていた訳ですからさも有りなんなという訳で。
 対して、ハイランドの密造業者はハナッカラ税を払う心算は無い訳で、重税を掛けられているモルトをふんだんに使い、かつ少量生産で職人的に丁寧に造っている訳ですからね(合法の物より違法な物が美味しいというのも如何な物かとも思えたリ、まあそうした物だとも思えたり・・・・)。

 また、ハイランドの(密造)ウイスキーの生産流通量を増やすという方法もありそうですが、これはこれで製造業者(や流通業者)としてはリスクが高い訳で・・・・。


 そうした中、ゴードン=アレクサンダー伯とグレンリベットのオーナーのジョージ=スミスが協力しグレンリベットをハイランド発の合法蒸留所として登録する訳です。

 詰まり、密造蒸留所のまま規模を拡大すると、摘発のリスクも高くなりますし、其の場合の損失も多くなる訳でして、またそれ以上に合法蒸留所となれば、工場拡大の為の投資資金を投資家から集めれれる訳です(実はこれが大きな理由では?とおもえます)。

 ともかく、このリベットの成功を基にハイランドに多くの合法の蒸留所が誕生する訳です。(マッカランやアベラワー、ベンネビス等々・・・・・)

 言い換えれば、モルトメーカーが家族経営(のいわば有限会社的存在)から、企業(近代的株式会社 INC  CO、LTD)に脱皮した瞬間とも言えそうです。



 蛇足ついでに言えば、わが国の日本酒醸造所も江戸期は基本的に家族親族経営的な存在でした、それが近代酒造メーカーとして変わってゆく嚆矢は、私がバーをさせて頂いています東広島西条地区といわれます(西条は近代酒造発祥の地ということ)。
 

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2016/05
27
[ #829 ]

ENRICO PIERANUNZI


 クラッシックとジャズのクロスオーヴァー的音楽を流す事も多いのですが、このアルバム、クラッシックの曲のジャズアレンジではないのですが一寸似た空気を感じてお気に入りだったりします。


       Enrico Pieranunzi

「Raconti mediterranei」  ENRICO PIERANUNZI

 
 恐らく収録されているて曲全てオリジナル曲なのでしょうが、なんといいますかアリア的といいますか、オペラ曲的といいますか・・・・。

 とにかくオールドヨーロッパ、或いは地中海、イタリアといった雰囲気に溢れています。
 (タイトルは地中海の物語 かな?)

 そう、しいて言えばニーノ=ロータの”ゴッドファーザー”のテーマや”太陽がいっぱい”のテーマと共通の雰囲気といいますか。、地中海沿岸の香りですね。
 この手の音に惹かれるのです。

 カトリック圏の空気、ヨーロッパ中世から繋がるもの・・・・?そんな事も思うのです。 

 また、このアルバム、ガブリエル=ミラバッジという方の演奏されるクラリネットの音色がまた何ともいえず良いのです。

 私が海育ち故かも知れません。

 
 

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2016/05
31
[ #830 ]

ひとりごと

 最近TV等で車やオートバイの事故のニュースを耳にする事が多い気がします。
 バスやトラックも含め・・・・・。
 実際に事故件数が増えているのかどうかは判りませんが、ニュースとして取り上げられる事は多い気がします。

 確か今日もタクシーが分離帯に衝突し客の会社役員が亡くなったとか、リムジンバスが運転手の体調不良で事故を起こしたとか・・・・。また、昨日のニュースだったと思うのですが群馬辺りで、軽自動車とオートバイの右直事故で4名亡くなったなんてニュースも・・・・。
 また確か先月でしたか?箱根ターンパイクでポルシェを試乗中の自動車評論家が単独事故で亡くなったとか・・・・。

 
 トラックやバスといった所謂プロドライバーの事故に関しては、規制緩和や労働環境の問題(更にもしかすると・・・?)について語らざるを得ず、中々難しい事もあり置いておくとして・・・・・。
 また、私のような人間としてはそれ以外の事故のニュースの方が耳に付く訳でして・・・・。

 そこで、確か以前にも気になると書いた記憶の有る自動車評論家の単独事故の事。
 これが気になったのですよね。


 恐らく世間では”公道でとんでもない速度を出し自業自得だ、とんでもない所業だ・・・・” といった意見が唱えられていたであろうと思いますし。またそうした行為を職業としている自動車評論家という物にたいするバッシングもあったのでは?とも思えます。


 が(まあそうした言い尽くされたステレオタイプの事を書いても仕方ないですし)、このニュースを聞いて個人的に思ったのは、この亡くなられた方、恐らくは”魔が差した”のだろうな・・・・という事。


 試乗車を公道である程度攻め込んで記事にするという事を職業として長年されて来た方でしょうから、ああした事故に繋がるような走り方をする必然性が無い事、また其のリスクは熟知されていた筈でしょうし、何せそれで口を汚している方ですからね・・・・。
 それが何故事故に?というと・・・・矢張り”魔が差した”としか思えないのですよね(勿論、何かしらの機械的なトラブルの可能性もゼロでは無いでしょうが・・・・)。


 例えば(最近は余り観ないですが)モータースポーツ等でも”何故そこでそんな無理をする必要が有るんだ?”と思える状況で無理をしてクラッシュする選手ってしばしばありますよね・・・・。或いはエンジンを壊したり・・・・(後で監督やオーナーから何か言われるんだろうな・・・・何て思ったり)。
 まあ、最近はそうした事をする選手も少なくなった気もしますが・・・・。

 また、モータースポーツに限らず、他のスポーツでもそうした凡ミスをする選手も減ったような。
 恐らくは各種メンタルトレーニングのメッソッド、ノウハウの向上何て事が理由として有りそうです。また、殆どのスポーツにプロ団体が存在するようになり、そうした(凡ミスのある)選手は上にいけない面も増えているのかも知れませんし。
 そう、プロって職業(ビジネス)ですから、ミスは許され辛いでしょう。

 そこはしかし人間、やはりたまには魔が差したり、凡ミスもあるから人間らしい気もするのです(サイボーグじゃ無い訳ですから・・・・)。それにそうした選手故に魅力的な面もありますよね(例えば昔のF1のN=マンセルとかね)?。


 何だか話がそれてしまいましたが、そんなこんなで事故死した自動車評論家の方、正に魔が差したのでは無いか?と思った訳です。其処まで攻める必要も無い状況で何故かやってしまった・・・・と。
 (そしてまたある程度判っていたゆ故、他の車が殆どいない場所で、そして単独事故だったのでしょうし)


 私も若い頃結構経験が・・・・・。

 其処までペースを上げても仕方無い状況で(一般道は押しなべてそうですが・・・・)、ペースを上げて転倒とか。草レースで凡ミスで転倒とか・・・・散々やってきた気がします。(まあお蔭様でこの20年余り、一般道で転倒してませんが。少しは学習したか?)

 でも人間なんてそんな物な気がします・・・・。


 ただ、余りに高性能な自動車やオートバイは其のときのリスクが高い訳です。
 またそれ故に魅力的な訳でもありましょうが・・・・。


 まあこんな事を書くと、公道でとんでもないスピードを出して何考えてるんだとか、とにかくスピード違反=絶対悪といった非難がありそうです。
 或いは、交通法規を守らない人間=絶対悪といった非難が沢山来そうです。

 更に言えば最近。ともかくルールを守れ、あるいはルール違反だ、と他者を叱責、攻撃する論調、人が増加している気もします。


 まあ、確かに正論かも知れませんが・・・・・。



 しかし、思うのですよね・・・・・・。


 ルールって、所詮は人がご都合主義で作った物では?何てね(特に最近)。

 (とは言いましても、別に私自身ルールに従う事はやぶさかでは無い人間の心算でもあります。結構、硬いとか真面目と評されている気も・・・・)。
 
 
 それに、道交法を全て熟知し全く僅かな違反もせず走っていいる人って無いと思えるのですがね。
 たとえ無事故無違反だとしても。(この場合の無違反=無検挙という事でしょうし・・・・。またもしそんなドライバーがいたら、結構迷惑かも・・・・・ 笑 )
 
 それに、制限速度や道交法を遵守していても事故はゼロにはならないでしょうし・・・・。


 こうした事を書きますと非難を受けそうでもありますが、道交法に限らず成文法という物(或いはルールという物)、言ってみれば”手段”ですよね?
 違う言い方をすれば、道具、ツール・・・・・。

 詰まり目的ではない訳でして・・・・・。


 別に道交法を守るの事を目的としてハンドルを握る人はいないわけでして・・・・。
 目的は移動であったり、楽しみであったり、仕事であったり・・・・・・。
 別の物ですよね。


 そして道交法(ルール)という手段の目的は、道路を使用する人々がより快適にスムーズに不快でなく安全に等々・・・道路を使用する為ですよね。

 故に極端な言い方をすれば、砂漠や原野の中の見通しの良い一本道(で他に車や人がいない)ならば、別にどんなスピードを出して問題ない訳で・・・・。
 他者(被害者)は存在しない訳ですから。

 言い換えればこの他者の存在に対する想像性が社会性の基本とも言えそうで・・・・。(詰まりルール厳守主義=社会性とは一寸異なるといいますか・・・・・)


 現実もある面そうですよね、皆が快適で事故が無ければ、其の瞬間は道交法は余り意味を成さないわけで・・・・。


 また道交法で限らず法律(成文法)という物、一つの社会、枠組みにおいて、其の構成員が拠り快適に生活出来る事、無益な争いを減じる事、幸福に活動できる事・・・・・等々を目的として制定された道具な訳でして・・・・・(或いはだった?)。


 理想論を言えば、成文法なんて存在しなくても皆が幸福に暮らせる社会の方が、そりゃ快適ですわな。
 大体、有史以前なんて成文法なんて無くても皆暮らしていた訳で・・・・。江戸時代の庶民も成文法なんて余り関係なかった筈ですし、故の天下泰平とも言えそうですし・・・・・。


 そしてこの目的(皆が快適であること)を忘れた、手段。それは一言で言えばやはり単なる力すなわち”暴力”となる気がするのですよね。

 
 何だか話がずれてしまいました・・・・(何時もか・・・・)。



 しかし、先日の群馬の右事故といい昨年のこれも確か群馬のオートバイ同士の正面衝突といい、オートバイの事故の報道が耳に付くのも事実。

 そう大型のオートバイ、高性能なだけに何かあると残酷な結果が待っているのですよね。

 それ故により社会性(他の車の存在)を留意しなければならない乗り物。
 大体、物理学の法則には勝てない訳ですし・・・。
 
 まあそれでも、或いはそれ故魅力的な訳で・・・・。


 其の当たり覚悟して乗るしかない訳です。あるいは乗り続けましょうね。



最近オートバイを引っ張り出そうとすると雨なので、変わりに詰まらない事を長々と書いてみました。
 

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