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2016/06
04
[ #831 ]

選挙

 TV等で選挙の話題がではじめました。
 確か来月実施される参議院選挙から(国政選挙としては初めて)18歳以上の方に選挙権が与えられるとか?という事は有権者の数がかなり増えるのでしょう。
 尤もこのところ投票率がかなり下がっている様子ですので、実質投票数はそれ程増えないのかも知れませんが。

 では振り返って私はといいますと・・・・。
 二十歳で選挙権を手にして以降、いける選挙は殆ど投票に行った気がします。

 (真面目、不真面目といった話しではない気もしますが) 「真面目ですね?」等と言われる事も・・・・。


 では何故、マメに投票に行ったのか?といいますか、世間一般論として皆は何故投票に行くのか?或いは何故行かないのか?



 少々勝手な考察(想像?妄想?)をしてみますと・・・・。


 例えば人々が投票に行く理由としては・・・・。

 1、 権利だから
 2、 義務だから
 3、 どこかの政治団体(政党等に)所属している
 4、 応援している人がいる
 5、 知人が出ている
 6、 人に頼まれた
 7、 実利に直結する
 8、 政党の主張や政策に期待して・・・
 9、 当たり前だから
 10、その他
 

 って感じですか?まあ他にもありそうですが・・・・。


 では行かない理由は・・・・・

 1、 面倒くさい
 2、 政治や選挙に興味が無い
 3、 自分の一票で何かが変わるとは思えない
 4、 入れたい人がいない
 5、 その他

 ってところですかね?



 この辺り一寸突っ込んでみますと・・・  (笑)  

 例えば、
 1、の権利だから・・・・・。2、もそうですが、権利とか義務って言葉を声高に言うのは私としてはどうも・・・・・(あえて皮肉で言ったりはしますが)。個人的には余りこうした実感は無いですね。
 3、はそうした方は当然そうでしょう。 ただ私はそうした物に所属はしていませんので・・・・。
 4、5、は地方選挙だと結構有りそうです。確かにこうした理由で行った事もありますね。
 6、 の誰かに頼まれた、という理由で行く方、結構昔は多かった気がしますね。これが減って投票率が下がったのでは?なんて思ったり。
 7、実利に直結する何ていいますと、結構いやらしい気もしますが、実は民主主義とか政治の本質はこれの気もします。唯、サラリーマン等では関係ない事が多いですよね?会社勤めの時はそうでしたし、また現在も基本的には私個人としては全くといっていい程政治に拠る実利は無い生活ですしね・・・・。
 8、これが正等ですかね?またこう考えている方も多そうです・・・・。
 9、???といった感じですが。良く考えると私はこの理由で行って来た気がします。
 10、他?というと・・・・。 宗教やイデオロギーや思想? 面白いから・・・? また昔は”選挙は祭りだ”とか”戦だ”とかいわれる方も多く・・・・・。


 行かない方は一寸省略。


 何を面倒くさい事を書いているかといいますと。
 昭和の時代、結構投票率が高かった理由に、9の当たり前だから(振り返ると私もこの理由なんて書きましたが)、とか。祭りだ、戦だ、何て理由があった気がします。 

  
 恐らくですがわが国では、普段の生活は昔からの仕来りとか慣習に従って暮らしていて、それで大きな問題も無い事が多かった様に思えるのですが。では、そうした日常に何か突発的に問題が起った時はどうするか?といいますと・・・・(特に維新以前)。
 寺社等に皆が(村・地域の構成員)が集まり、一人ひとりが意見や考え思うところを述べる、そしてそれを地域の親方的人間が聞き、一つの結論を出し、其の理由を皆に説明する。

 こうした対応をしていた筈です。
 そしてこうした事を”座”なんていう訳ですが・・・・。
 そしてこの”座”に参加し意見を述べるのは当たり前の行為だった(また皆がちゃんと意見を言える雰囲気も在った)・・・・と。
 これが我が国の伝統的意思決定システムだと思われるのですよね。

 また、年に1度、或いは何度か、祭りの時には地域ごとに結束して他地域と競い合う。
 まあ、これがある種地域同士の社交でもあった訳でしょうが・・・・。

 明治維新以降、徐々にこうした伝統的な祭りが減り、その代わりにある種選挙が其の役割を担わされた面もあった様にも思えるのですよね(村議会選挙や町議会選挙といった地方選挙は特にそうした雰囲気に溢れていた気がします)。

 誰かに頼まれて投票に行く何てのもそうした故、という面が多かった気がするのですよね・・・・。
 或いはある種(村・地域)のイベントとして捉えられていたという事かも知れません。

 そして21世紀になり。こうしたメンタリティーもかなり減り・・・・かといって近代西洋的な自我や個人主義的なものも根付かず・・・・、イベント的な物も沢山存在しまた個人的な存在となり・・・・。
 で、投票率も下がり・・・・。
 


 とまあ、勝手な事を書いてみましたが、こうしてみると私が投票に行っていたのは、たまには選挙という物について考えてみたかった故かも知れません。


 来月の参院選、18歳以上に選挙権が与えられるという変化もありましたし、たまには選挙という物について考えるのも楽しいかもしれませんね。

 
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2016/06
08
[ #832 ]

諏訪辺り

 この日曜日には諏訪辺りをうろうろしておりました。

 今年の初め辺りに年老いた父が「最近足が悪く歩くのも辛くなった・・・歩けるうちに一度旅行をしておきたい・・・」といった意味の事を言いまして。
 諏訪方面としたのは父曰く「日本で唯一足を踏み入れていない都道府県が長野県」という事です。



 今年は御柱祭の年という事もあって新たに建てられた御柱を愛でさせていただこうと塩尻駅までJRを乗り継ぎ、レンタカーを借り出し向かった先はこちら・・・。


    春宮

 下諏訪大社春宮です。
 春宮~秋宮~本宮~前宮 という順で廻りました。


    御柱


  

 先ず訪れた春宮、諏訪の自然の力、或いはそれと共に在ったこの地域の人々といった事を思いましたね。
 特に裏手の森や浮島社周辺。何かしらの”気”といった事も思います。

 この石仏等、大和朝廷系の物とは異なったメンタリティーを強く感じます。

   石仏

 
 摩崖仏的でもあります・・・・。
 山の民といいますか石の民といいますか、縄文の風情といいますか、まつろわぬ人々といいますか・・・。
 ともかく諏訪一族という中央とは異なった存在を思いました。



 次に秋宮。

 此処は中仙道と甲州街道の結節点、そうした土地故の空気といった物を・・・・・。
 (塩尻や諏訪湖周辺、そうした街道の結節点でもある訳です)

 
   街道碑

 

 街道の結節点であり、故に宿場町であり、更に諏訪大社の門前町となりますと、其処には当然、遊女(色街)が存在した訳でして・・・・。
 此処ではその気配、或いはその名残を探してみました・・・。


 先ず訪れたのはこちら・・・・・。

    真清神社

 真清(ますみ)神社という小さな祠。

 此処にはこのような物が祭ってあります。


 夫婦岩


 夫婦岩(陰陽石)ですね。
 そして其の由来書きも・・・・。

 由来

 元々、真寿美楼(ますみろう)という妓楼の中庭に有り人々の信仰を得ていたこの岩、妓楼の廃業にともない遊女さん達が此処に岩を祀る祠を建立されたという事でしょう(寄進者の名も女性ばかりでした)。


 
 次に立ち寄ったのはこちら・・・・。

 豊川稲荷
 
 此処の玉垣には・・・・・。


   玉垣


 ”カフェー モダン”と刻まれています(他、下諏訪料芸組合とか・・・・)。

 恐らくこの辺りが往時のそうした場所でしょうね。


 更にこちらにも立ち寄り・・・・。


   資料館


 歴史資料館ですが、此処の二階には、往時の食売女(飯盛り女)の資料も展示してあり・・・・。
 (嬉しいですね 笑。  そういえば以前訪れた伊勢にもより特化した資料館がありましたが、確かに諏訪大社周辺と伊勢神宮周辺、少々似た空気を感じます)。

 写真  飯盛り





 秋宮はどうした・・・?

 
 はい此処は伊勢神宮で言えば内宮といった感じですか。ここで一寸気になったのはこれ・・・。


 唐獅子

 狛犬なのですが・・・・・。

 私にはどう見てもライオンに見えるのです・・・・。
 まあ、狛犬のモデルは唐獅子でしょうし、更に其の基はライオンでしょうから悪くは無いのでしょうが・・・・・どうもライオンの紋章というとベネチアとか・・・・・商売や金融・・・・・。といった事を思ってしまうのですよね・・・・(穿ち過ぎ?)


 どちらにしろ、明治以降の近代日本を感じます。





 そして前宮。

 前宮
 


 此処は太古からの地域の神社といった趣を強く感じます。
 裏山自体が御神体とか・・・三輪神社(大神神社)等と同じですかね。

 個人的には此処が落ち着きます。




 他、先宮神社も寄りたかったのですが良い時間にもなり、結構疲れもしましたので早めに上諏訪温泉のホテルに向かいました。


 (そこで一寸はミーハーしてこれも・・・・・)

 間欠泉



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2016/06
09
[ #833 ]

長野辺り

 前回の続き。

 早起きして上諏訪の遊郭跡を散歩した後、ホテルで一風呂浴び朝食も済ませ次の目的地に移動。
 それはこちら・・・・。


     松本城


 
 松本城です。
 国宝指定も受けている名城です。
 
 個人的には天守閣の残らない石垣のみの城址が好みといえば好みなのですが、此処は良いですね。
 折角なので天守閣内部も見学させていただきましたが、これがまた良いのです。

 天守の建物自体も良いですが、窓から遠くに望める山々が良いですし、鉄砲に特化したとも言える展示も良かったです。


 こんなマニアックな物も有ったり。

 鉄砲


 それから城下町も少しだけですが散策、これまた雰囲気。
 城下町の空気を色濃く残す街、どこか文化的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?
 まあとは言いましても私が主に歩くのは少々怪しい雰囲気の残る場所だったりもするのですが・・・・ (笑) 。


 其の辺りで・・・・・。

   松本にて   松本2



 観光開発された故か綺麗に整備された街の印象、怪しい雰囲気の建物は少ないですね・・・・。
 (市内から少し離れた場所に遊郭跡が在る事も知ってはいたのですが、今回は時間が無くスルーです)


 ということでそそくさと移動、次はこちら・・・・・。



   仁王門

 善光寺です。これは立派な仁王門。


 本堂はこんな感じです。

   善光寺
 

 遠くとも一度は参れ善光寺・・・・等とも言いますし、年老いた親を伴っての善光寺参りも悪くは無いかと・・・・。


 此処はなんといいますか上諏訪の本宮に近い雰囲気。神社仏閣という言葉もあるとおり、著名な寺や神社、少々似た空気を感じます。
 また今回は神社仏閣ばかり巡っていましてやや食傷気味といいますか、疲れも有りで長居はせず早めにに次の目的地に移動(遊郭跡もスルーです 笑 )。




   火之御子社

 戸隠の火之御子社。


 由緒は・・・・・

   由来



 此処が気になっていたのです。

 由来にも記してありますが、”天うず女命”を祭る神社で仏教に習合されることの無かった神社です。
 戸隠で最も古いと思われる九頭竜社(古くからの竜神信仰の場所)も九頭竜権現となったにも関わらずです・・・・。
 また”あまのうずめの命”、古事記の逸話を素直に受けるのであれば、日本最古の遊女とも言えそうですし・・・・。

 更に言えば、天岩戸伝説も気になります。
 天岩戸伝説、皆既日食が基になって作られた逸話という説も強いですが、もう一つ火山噴火による火山灰の影響で太陽が遮られた事を基にした逸話という説も有り・・・・・。
 (恐らくは上記二つの出来事、或いは更に他の出来事等も習合して生まれて逸話でしょう・・・・)
 其のうち皆既日食は卑弥呼失脚に繋がると思え、そして此の地の伝説は後者の火山噴火由来では?と個人的には思っています。



 しかしどちらにしろある種の空気を強く感じる場所でした・・・・・。



 それからこの日の宿泊地までドライブ・・・・。

 選択したのは上山田戸倉温泉。

 善光寺参りの精進落としの地として賑わった等という話を耳にした事もあり・・・・(また、見番が生きているなんて噂も耳にし・・・・)。



 ホテルに行く前に一寸だけ寄り道、城山城址公園(荒砥城址)に立ち寄るという話になり・・・。
 しかしこれが駐車場に車を止めますと、其処から更に(数百M?)歩かなければならない事が判明、しかも閉館時間間際・・・という事で、駐車場からの景色のみを愛でてホテルに向かう事に・・・・。


    城山史跡公園

 櫓跡まで登れば更に良い景色に出会えたのでしょうが、雰囲気は伝わりました。
 (先日訪れた備中松山城からの眺めと共通する物がありますね、此の時期の山城に共通する物でしょう・・・)


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2016/06
14
[ #834 ]

山下洋輔 in くらら

 先日、このコンサートに行ってまいりました。


    山下洋輔


 くらら会館記念シリーズ~ひがしひろしま音楽祭特別企画~ 「山下洋輔 スペシャル・カルテット」

 

 こうした大き目のホールにジャズが似合うのか?という事はさておき、東広島で山下洋輔のライヴが観れるのならば、と 何はとまれチケットを予約、出かけて参りました。(店から直ぐそこですしね・・・・)

 
 オープニングは山下氏のピアノソロで始まり、2曲目がベースとドラムが加わったトリオ編成、3曲目以降はサックスも加わりカルテット・・・といった構成だったのですが・・・。
 2曲目のトリオ編成での演奏が始まると、私の中?に「オーッ、これは楽しいぞ!」という言葉が湧き上がって参りまして、其処からラストまでとにかく楽しくて仕方なかったですね。

 はい、楽しませていただきました。身体が勝手に揺れて仕方なかったですね(一寸廻りに迷惑か?)。

 勿論、口開けのピアノソロも良かったですし、とにかく大満足でした。

 東広島でこうした催しが生で鑑賞できる事はありがたいです。
 また、機会が有れば是非出かけたいですね。


 

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2016/06
20
[ #835 ]

YOSUKE YAMASHITA

 先日コンサートを聞かせていただいた事もあり、この方のアルバム。


    Y YAMASITA


 「PLAYS GERSHWIN」   YOUSUKE YAMASHITA

 
 一寸古めのアルバムですが、まあ定番といいますか、ガーシュインの曲を中心としたアルバム。
 こうしたスタンダードの曲のアルバム、店で流すには安心感がありますしまた演奏者の個性もわかり易い気がするのですよね。 (ガチガチのジャズバーでもないですし・・・)ガーシュインの曲も良いですしね・・・・。


 まあこのアルバム自体、一寸大人し目の演奏といった感じで評価は分かれそうな気もしますが、山下節といいますか、そのあたりは感じられると思います。


 まあしかし、やっぱり生(ライヴ)は良かったですね(当たり前ですが・・・・)。

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2016/06
24
[ #837 ]

白線秘密地帯

 このところ珍しく風邪気味という事もありまた雨天続きで外出も儘ならずということで、ここ数日はたまには家で撮り貯めた映画でも見て過ごすか・・・・といった事をしていたのです。
 が・・・その中で一つ、妙に惹かれた映画がありました・・・。


 その映画、「白線秘密地帯」というタイトルで1958年公開の古い邦画。

 
 

 実は私、それ程古い映画に詳しい訳でも無く、この映画も単に1958年(昭和33年)公開という事とそのタイトルに惹かれ録画をしていたのですが、あまり期待もせずに観始めタイトルのバックの建物を観た瞬間・・・、
 思わず座りなおしてしまいました。


 これが見事(典型的)なカフェー(遊郭・妓楼)建築。
 古い街並み(特に色町跡等)に惹かれる私としては見事ツボに嵌る建物な訳です。
 また、それ以外にも惹かれるシーンが多数。



 少し検索してみますとどうもこの映画のコンセプト、「売春防止法施行に伴い地下に潜った売春業者とそれを摘発する警察の実態をロケを多用し、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描く」 映画という事だそうで・・・。
 とにかく撮影当時(おそらく1958年の春から夏にかけて)の東京の社会風俗やファッションや風景等々が画面に溢れ、また所謂風俗業の実態が推察出来るという何とも私好みの映画だった訳です。




  因みにここからは完全に私の趣味的独り言です  (笑)


 先ずはタイトルバックの建物。ストーリーの中で、売春防止法完全施行に伴い廃業した洲崎弁天町(洲崎パラダイス)の遊郭(サロン赤玉)として登場するのですが、まったくそうした建物と推察されます(またその壁面についているシンボルマークが吉原の老舗遊郭、火炎玉屋の物に似ている気も・・・・)。


 そしてそのストーリー、上野のトルコ風呂(新トルコ温泉)にて、そこに勤める新人女性が一見客に絞殺されるという事件が発端となり展開していく訳ですが・・・・・。当時の(おそらくは過渡期的状況にあった)トルコ風呂の内部等が推察出来るシーンです。
 因みにトルコ風呂(確か1951年に銀座にオープンした新東京温泉が嚆矢とされている筈ですが、その折には蒸し風呂式の大浴場を備えた物で、今で言えば都心部のヘルスセンターとかサウナの様な形式だったものと思われ<ただし美人マッサージ嬢をそろえていた>、その後、徐々にサービスに性的な物が加わるようになり・・・・といったもので)、この映画が撮影された当時は所謂”本番”といわれる行為はなされて無かったと思われます。

 また、そのトルコ風呂の1階の待合室で女性と客が(チーク)ダンスを踊っているのもいかにもで・・・・・。
 (確か大正からこの時期にかけて、ダンスで相方の女性を選んでもらうというシステムが各地の遊郭地等で流行っいた筈です、まあまた故に、98年の風営法改正まで社交ダンスがその対象にもされていた訳だったり・・・・・と) 

 更にドライブクラブという裏風俗が登場したり、あるいは新宿のバーが登場したりと、当時のそうした物の雰囲気が推察出来る訳ですね。


 また東京各地の風景がいろいろと登場するのですが(おそらくは撮影されたと思われる)、昭和33年夏前後という東京タワー開業(この年の年末です)直前。
 数年前に流行った映画”三丁目の夕日”シリーズそのままの時期な訳ですが、個人的にはやはり生の街並みがよいですね。
 また東京オリンピックの開催決定が確か翌年5月だった筈、故に開発ラッシュ前とも言えそうで、それも有るのか未だ牧歌的ともいえる下町の風景等魅力的なのです。


 因みに俳優陣はといいますと・・・・。

 主役の刑事役が宇津井健。(やたらとハンカチを使うシーンが印象に残っています、当時のハンカチ王子か?)

 (おのぼりさん?の)オボコい女性を手篭めにしてカタに嵌め、売春婦に仕立てる新宿のバーの支配人役が天地茂。

 絞殺犯(九重京司)を秘密保持の為射殺するやくざ役が菅原文太(この映画が実質デビューとか)。

 女女衒”ころがしの政子”役が荒川さつき。

 トルコに勤めたり、自分で稼いだりという風俗嬢役が三原葉子。


 といった感じです。


 映画としてみますと、どうも原本となるフィルムの欠損(15分)により、ところどころシーンが飛んで唐突な展開となってしまったりもしていますし(ちゃんとストーリーは判ります)一般受けがどうかは判りませんが、ともかく昭和33年当時の社会風俗や街並みが感じられる魅力的映画だと思うのですよね。

 ちょっとめっけもんの映画でした。

 

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2016/06
27
[ #838 ]

重森三玲

 昨日、このような講演会を聴いてまいりました。


        重森三玲


 東広島市教育委員会文化財講演会  「重森三玲の庭園」

 
 駅近くの前垣邸(賀茂泉さま)のお庭が国の史跡指定を受けるということに伴い実施された講演会と思われます。

 庭に詳しいわけでは無いのですが、こうした物にも興味を惹かれる私なのです。
 また場所が、店から徒歩圏内の東広島市市民文化センターで、おまけに公聴無料!(有難い事です)という事でイソイソと出かけて来ました。


 講演会は2部構成。第一部が作庭家と重森三玲の人となりを、第二部が重森三玲の作庭手法を古庭園との比較も含め解説、といった内容でしたが、どちらも楽しく聴かせていただきました(しいて言えば、個人的には特に一部が楽しかったですね)。

 その後前垣邸の庭の見学会も催されたのですが、大人数でゾロゾロという事も少々苦手ですし、また店の事も有りましたのでそれは遠慮させていただきましたが、有意義な時間を過ごさせていただきました。


 また、講演の細かい内容ですが、此処に記しても仕方ない気も致しますので、カウンターでの話題の一つにさせていただければと思っております。

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2016/06
30
[ #839 ]

カクテルのはなし 3

 以前”カクテル”という存在がアメリカで普及し始めてのは19世紀初頭ではないか?等と書いた記憶が有るのですが、では現在私たちが飲んでいる様なカクテル、言ってみれば現代的なカクテルが認知されたのは何時頃なのか?という事も気になる訳でして。

 まあ、こうした社会風俗に関することは諸説噴飯、これといった正解は無いとも言える訳ですが(まあそこがまた面白いのですが)、に思いつくまま少しばかり記してみたく思います。
 そもそも、現代的カクテルの定義をどうするかということもありますし、世界的に認知といっても地域差もあるでしょうしね。

 それを踏まえて少々強引に・・・・。


 よく言われるのは、著名なサボイ・カクテルブックが誕生した(1930年)頃をその嚆矢とする物。
 あるいはパリのハリーズ・アメリカン・バーの誕生した1911年頃、あるいはそこのバーテンダーがカクテルブックを出した1919頃という意見。
 更にさかのぼれば、ジェリートーマスがアメリカでカクテルブックを出したといわれる1860年代・・・・。何て話もあるわけですが・・・・・。

 まあ、個人的には19世紀後半辺りと思いたいわけです。


 何故か・・・?


 19世紀の後半は世界で万博なんて物が盛んに開催され、いわば・未来的なもの・現代的なもの・アメリカ(新世界)的なものが持て囃された時代風潮がありまして、その時代風潮に乗りカクテルというアメリカ的飲み物が持て囃され普及したのでは?と思うわけです。
 特にパリでは、1867・1889・1900と立て続けに万博が開催され、現代文明の力が展示され普及した時代でしょうから(特にその象徴が1889のエッフェル塔ともいえそうで)。

 
 此処でカクテルがアメリカ(現代的な国、未来的な国、新世界)的象徴の飲み物と書きましたが、何故か・・・・?
 
 恐らくは・・・・・。
 現代文明という物が目指すのは実は効率の良さなのですが、またその象徴として、あるいはそれを計る物として速度、速さといったものが、良しとされる訳です(生産現場等でもそうですよね?)。

 そしてカクテル・・・・・。

 19世紀後半当時、高級とされていた、あるいは美味しいとされていたアルコール飲料は、コニャック等のブランデー、ブレンデッドウイスキー。
 そしてそれらは共に数年~場合によっては数十年の熟成の効果にりその美味しさが形作られる訳ですが、それに対しカクテルはそれに比肩する美味しさを数分間で造り出す訳です。

 ねっ?スピーディーでしょ?
 この速度感が時代にマッチしたと思う訳です。

 また、現代は近代科学技術を肯定する時代、特に往時はそうだったでしょう。
 カクテルを造る行為、一寸化学実験的ですよね、おそらくこれも持て囃された理由でしょう。

 更にいえばカクテルを造る行為、ショー(見世物)的でもありますよね?ショー・ビジネスもアメリカ的な物を良く表すキーワードの一つ、これにも合致していた訳でしょう・・・・。


 そうしてこうした理由により、19世紀末にパリを中心に世界的にカクテルが認知され普及したのではと考えるのです。

 たとえばドボルザークの「新世界」が発表され人気を博するのも確かこの時期(1890年代)だった筈ですしね。
 

 また、カクテルの”ブランデー・アレキサンダー(フランス名アレキサンドラ)”もこの時期ですよね?

 1863年、アレクサンドラ女王とエドワード7世皇太子の婚姻。あるいは、1901年の戴冠式の二つの説がありますが、個人的には1901説を押したいですね、19世紀末にカクテルが普及していた故に1901年にこうした逸話をもったカクテルが流行ったと・・・・。それに(ヨーロッパで)製氷機が普及するのは1870年代以降でしょうし・・・・(やはり氷の存在がないとね・・・・)。


 更にいえばこのイラスト。


 チャップ・ブック


 
 ロートレックが描いた物ですが・・・・・。

 舞台はパリに有った、アイリッシュ・アメリカン・バーのカウンター。
 発表されたのは1895年。

 まさにこの時期、アメリカンスタイルのバーとそこで出されるカクテルが、流行し認知され世界に広まった時期と思えるわけです。

 


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