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2016/11
01
[ #880 ]

新規開店だそうです・・・

 本日11月1日、新規開店だそうです。


 ラジカル

 Standing Bar Radical  (スタンディング バー ラジカル) (ラディカル?) 

 日本酒メインの立ち飲みバー ということだそうです、日本酒好きの方いかがですか?

 (場所は西条中央郵便局の裏の通り)

 
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2016/11
07
[ #881 ]

今年も・・・

 昨夜は予約制で営業、最近年に一度行っておりますワイン会です。

 今年のテーマはフランス物の単一品種縛り。(フランスで作られる)品種の特徴を再確認してみようということです。

 赤が、カベルネ メルロー シラー ピノ グッルナッシュ の5種。白が、シャルドネ S・ブラン ミュスカデ ゲブルツ ・ヴィオニエ の5種、他 メルローのロゼスパークリングにミュスカのスパークリング(ノンアルコール)という取り合わせを基本に実施。
 (他にも出ましたが・・・)


 003_201611071143523cf.jpg  009.jpg   因みにこれは準備中。



 しかしそこはバカナリヤ、勉強会的ではなく楽しくワインを飲みましょうという雰囲気で・・・・。


 何はとまれ無事実施出来ました、参加の皆様ありがとう御座いました。来年も行えると嬉しいです。
 

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2016/11
10
[ #882 ]

そういえば

 アメリカ大統領選も終わり、メディア等に拠れば(”大番狂わせで”???)次期大統領がトランプ氏に決まったとか・・・・。
 何はともあれ少しは気に成り久々にニュースや情報番組を割と観ておりました。

  
 しかし、久々にTVのニュースや情報番組を色々観て感じたのは、TV等の大手メディアの”いい加減さ”といいますか”無責任さ”といいますか、”性質の悪さ”といいますか、”質の低下”といいますか・・・・、そんな印象ばかり強く感じてしまいましたね(まあ、本来マスコミなんてそんな物でしょうが・・・・、その昔は”新聞ゴロ”なんて言葉もありましたし・・・)。

 一部の映画やドキュメンタリー以外、もうTVはいいかな?という気分ですね。

 
 

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2016/11
13
[ #883 ]

秋故に?

 秋故に・・・という訳でもないのですが、今年も時間を捻り出し幾つかの展示を観て回ってみました。

 先ず一つ


    ミケランジェロ
 
 ふくやま美術館で開催されました”ミケランジェロ展”


 いわずと知れたルネッサンス末期の多才な芸術家、店名も店名ですしやはり興味を惹かれる訳です。
 (しかしふくやま美術館、定期的に興味深い特別展を開催して下さいます)

 閑話休題、この展示に出かける前に想っていたのは、ミケランジェロの作品フレスコ画や彫刻が主体で絵画作品はあまり無い筈、ではどういった展示内容に・・・・?等と・・・。
 結果、まあ予想道理といいますか・・・・、フレスコ画の下絵や建築物の設計図やデッサン等々、及びその周辺といった内容でした。

 しかし結構マニアックな内容といいますか・・・自分の知識の無さを痛感させられた気もしますし、また故に知らない世界を見せていただいた気もする展示でしたね。ルネッサンス後期の建築様式等予習しておけばよかったな?とも少し想ったり・・・・。
 それはそれとして当時の年表やシスティーナ礼拝堂の壁画の解説等、興味深く観させていただきました。



 次にこちらも鑑賞に・・・・。


   上村松園

 三次の奥田玄宗美術館の特別展示、上村松園展ですね。


 浮世絵に興味惹かれる私としてはその延長線上に有るともいえるこうした美人画の展示もしばしば出かける事が有るのです。
 そうした中で上村松園の作品に対する印象は・・・・兎も角”綺麗”な美人画といいますか。

 個人的な印象では上方の美人画はどちらかというと、単に綺麗なだけではなく女の情念や内面の・・・・・といった物が析出しているような作品が多い気がしているのですが(特に女流)、その中で上村松園の作品は京都画壇出でありながらそうした面があまり感じられ無いといいますか・・・。
 女性の描く女性の理想像的といいますか・・・兎も角綺麗な・・・(あるいはだけ)といった印象を持っていたのです。

 そうした先入観も有っての鑑賞だったのですが、基本的な印象は変わらずです。が、ただし単に綺麗なだけでは無いという事も感じさせていただいた展示でした。
 基本的には彼女の理想像的なものは作品を貫いてる気がしますが、また同時に年齢と共にそれが少しづつ変わっているといいますか・・・。また、江戸の浮世絵の影響等も・・・・。
 はい、この展示も楽しませていただきました。



 またその日は近くで行われておりましたこちらの展示へとはしご・・・・。


   刀

 中国地方に関わりのある日本刀の展示ですね。


 現代刀匠の作品が多く展示されていて興味深かったです。
 なんといいますか現代の刀。打たれて時間がたっていない故か”金属”という印象を強く感じるのですよね。

 日本刀という物、刃、それ自体の経年変化がそれ程有るとは思えないのですが、古い物とは明らかに異なったたたずまいを感じるのです。日本刀も時間と共に成長いいますか何と言いますか・・・・雰囲気がが変わるのですかね?

 そんな事を想いました。



 またつい先日、呉に出かける用事があり序と言っては何ですがこの展示も・・・。


 呉の町並み

 入船山記念館のミニ企画、軍港・呉のメインストリート。


 ハイ、古い街並み等に惹かれる私としてはやはり行きたく成る訳です。
 展示内容は、ミニ企画と銘打っているだけにホントこじんまりした展示でした、私好みの遊郭や歓楽街に関する物も無く・・・・・。
 (まあ、当たり前といえば当たり前か・・・・)

 それはさておきこの周辺の雰囲気好きなのです、初秋のそれを愛でる事が出来ただけでも良かったです。


 兎も角。美術館という空間、あるいは作品鑑賞は私のストレス解消手段の一つでもありまして、暇を見つけてはウロウロしている訳です。


 11月後半からは年末に向け気ぜわしくなりますので少し難しそうですが、また来年も好みの展示に出会えると嬉しいなと思っております。

 
 

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2016/11
17
[ #884 ]

他者

 確か先月”人様の前で三欲を満たす姿を見せないのが作法(マナー)の原点~云々・・・”といった事を書いた記憶があるのですが・・・
 では”人様”とは? といった話にも成りそうです・・・・。

 人様・・・言い換えれば”他人・他者”という事なのでしょうが、では一体どこからが他者なのか?あるいは他者で無い者とは? とも・・・・。

 
 他者、あるいは他者で無い者。
 勿論色々な定義付けは出来そうですが、最も小範囲で言えば”自分個人以外は全ては他者である”という考え方は当然ありそうですし、これが原点という気もします。

 唯この考え方には当然周辺から、それは”個人主義”でしょ?といった言葉がある種非難口調で飛んでくるわけでして、特にそうした(自分以外は他者であるといった)考えを声高に主張したり、そうした行動をあからさまにとったりいたしますと、かなりの確立で非難されそうです。
 (まあこの辺りは同調圧力に強い日本ならではといいますか・・・・  笑 )

 しかし想うに、個人主義、あるいは個人以外が他者であるという考え方・感覚がそれ程間違っているのか?あるいは非難されるような物なのか・・・?というと、これが結構疑問でもあるわけでして。

 大体において”個人主義”なんて言葉がわが国で流布する以前から”所詮人間死ぬ時は一人”とか、あるいはそれに近い言い回しや感覚は多くあった訳ですし(江戸期の文章や落語等でもしばしば登場する気がします)、それ以前に、”第一反抗期”何てのも有りまして・・・・。

 第一反抗期、早い話、人間は3歳位に最初の反抗期が訪れ、何はとまれ(母)親の言う事を否定したがる・・・。
 そしてこれは恐らくは成長の一過程で必ず訪れる物で、それまで幼児自身の感覚として母乳を呉れる母親と自分の境目が認識出来なかった物が、この時期から母親を他者(自分と異なる他人、一個人)として認識し始める故の行動とも言われているわけでして、生物(哺乳類)としていわば当たり前の事でもありそうです。

 加えて言えば、恐らく本来非難されるべきは行き過ぎた”利己主義”であって個人主義では無いと思えるのですが・・・・(どうもこのところ利己主義は肯定され個人主義的感覚は非難され易い気も・・・・・)。


 閑話休題、ではもう少し他者で無い者の範囲を拡げてみますと・・・、それは当然”2人”という存在が思い浮かぶ訳でして・・・・。
 例えば夫婦やカップル、また仁侠映画等でよく語られる義兄弟何てやつもそうかもしれません。

 詰まりその2人という存在以外が他者、他人という物、逆に言えば2人だけが”身内”という感覚。
 そう、恐らく他者・他人の反対を表す言葉は”身内”なのでしょう。

 そしてこの身内だけには本能的行為(=3欲を満たす行為)を見せても良い、言い換えればそれを見せることが恥ずかしく無い相手が”身内”といっても良い気がします。

 確かに夫婦やカップル等、そうでなければ同じ布団に潜り込めないですしね。同じ場所で食事をするということもそれに近い行為でしょうし。


 では、所謂(それこそ”男の友情”なんて言葉で語られ女性には理解し辛い等と言われた)義兄弟的関係とは・・・?
 (何だか最近、異なった意味で婦女子には人気とか・・・・ 笑 )


 個人的意見ですが、これも動物として当たり前な行為という気もします。

 ニホンザルの様なサルの仲間にしろ、あるいはライオンの様な存在にしろ基本的に群れを造って生活する哺乳類。その群の中で生まれて成長したオスは、有る程度成長すると群れを離れ放浪する事になる訳ですが、この際しばしば2頭で行動するとも言われています。
 それと同じ事なのでしょう。

 つまり本来人間にも、(特に男は)成長過程において、群れ(村等)という自閉的共同体を離れ彷徨う過程をを必要とする・・・というのが自然の摂理とも想われますし、どこか本能(無意識)の中に組み込まれている様にも思えます。


 そういえばわが国でも古い時代は女系相続が多かったとも言われますし、地方豪族等は娘の婿に中央の武士等を迎え勢力の安定と維持に努めてきた歴史も有りますしね、また大店の商家等でも娘婿に番頭等を迎え店を維持したり、現在でも閨閥等はそうした理論で拡大している面が強そうですし・・・。 


 ただ、この”2人以外は他者”という有り方や感覚も結構非難されそうな日本でもありますが・・・・。
 それこそ無宿者・無頼者・任侠世界といった感じで・・・・・。


 ではこれより大きな身内感といいますと・・・・。

 血縁共同体ですと、家族~親族~氏族・・・といった具合ですかね?
 地縁共同体だと、字(部落・・・最近は差別用語扱いですが 笑 )~村~町~・・・・・・。
 利益共同体だと、会社、企業、・・・同業者組合等各種団体ももそうかもしれませんし・・・。
 他、擬似家族=OO一家とかOO組とか。外、同窓会とか県人会、チームとかグループとかOO族(これは外から命名している気もしますが・・・・)とか・・・。

 まあそこらじゅうにありそうですよね。


 
 一寸話が長くなりましたので、以下は来月にでも・・・・・?

 

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2016/11
21
[ #885 ]

この週末は・・・

 この週末はこんな感じで過ごしておりました。

 先ず土曜日は久々にダンスのコンペ・・・・。

 015.jpg


 歌って踊れるバーテンダーを目指している訳では無いのですが(といいますかカラオケ等歌うことは本当に苦手故、初めから無理なのですが・・・・) (笑)、相変わらずダンスは細々と続けております。
 姿勢等も含め仕事にもプラスとなるか?との思いもありますしね。

 そして土曜日は地元東広島で開催されるコンペに何はとまれエントリー・・・・・、が結果は散々・・・・・。


 002.jpg

 3・4年前は割りとマメに出ていてそれなりに場慣れもしていた筈だったのですが最近はダメダメですね。
 (来年以降どうするかな?といった気分です)



 そして日曜日・・・・、土曜日は会場のセッテイング&片付け(完全に肉体労働です)までやりましたので、この日は筋肉痛の気配。
 この状況でごろごろしておりますと更に悪い結末が待っていそうと、何はとまれガレージからバイクを引っ張り出し・・・・。
 タンデムにて先ず向かったのが、広島空港側の三景園という庭園。
 季節の紅葉を楽しませて頂こうという算段です。

 が、これが、人・人・人・・・・・。
 おまけに駐輪場も無し(係員に尋ねてみても”そんな物は無い”との事)。

 という事で此処での鑑葉は諦め別の場所に移動することに。



 向かったのは”御調八幡宮”この辺りでは最も古い八幡様ですかね・・・・。

 周辺も親水公園的に整備されておりまして紅葉を愛でるのにも良い感じでした。


 御調八幡宮



 また、多くの絵馬やこんな物も奉納されており。


 釜

 三原市の旭菊水酒造で使われていた釜ですね。
 (この上に大きな蒸篭を乗せ酒米を蒸した物でしょう。江戸時代に広島県で最も酒造が盛んだったのは恐らく三原。外、竹原や安芸三津、まあ海沿いの地域ですね・・・・)


 そこから、少し東の八幡様にも立ち寄り御調の道の駅で小休止(ここは2輪専用のパーキングスペースやサイクルスタンドも設置してありまして助かります)の後、Uターンして仏通寺の紅葉を愛でに・・・。

 が仏通寺に通ずるわき道に入ったとたんに大渋滞・・・・。
 三景園もそうでしたが、まあシーズン盛りの日曜日ですしねエ・・・・・私もその一人な訳ですし・・・・。

 といいますか最近、イベント等に集まる人が多い気がします(更に言えばイベントが無いと人が集まらないといいますか・・・・情報が発達した世のサガですかね?)。



 閑話休題、仏通寺。
 何度も訪れている場所ですが良いですね。自分が年齢を重ねるごとに魅力が増すといいますか・・・・。


 仏通寺


 日が陰るまでゆっくりさせていただきました。 
 (次はシーズンオフに訊ねたいです)


 そんな週末、結構リフレッシュにもなりました(ダンスは散々でしたが)ので、年末まで頑張ってカウンターの内に立ちます。

 

 

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2016/11
27
[ #887 ]

聖の青春

 映画館で映画を観て来ました。

 その映画・・・。

 
   映画ポスター

 「聖(さとし)の青春」  (ポスターに主演の松山ケンイチさん他のサインが入っていますね)


 
 
 この映画、少しばかり気になっていたのです。
 (あるいは”村山聖”という棋士の存在が気になっていたというべきか・・・・)

 という事で映画も村山聖の生誕地、安芸郡府中町に在りますシネマコンプレックスを選択。



 村山聖という棋士の存在を知ったのは何時頃だったかは良く覚えてはいないのですが、たまに観る将棋のTV対局等で広島出身の若手の強豪がいるという事を聞き気になっていたのです。
 (私自身、将棋は指さないのですがTV等で将棋の対局を観るのは結構好きだったりするのです・・・・)


 そして実際、初めてTV画面で見た村山棋士の印象は強烈そのもの・・・何といいますか・・・・、兎に角印象に残る棋士では有った訳です。


 特に記憶に残っているのは淡路棋士との大局をTVで観た時ですかね・・・?
 その印象 ”何だこの小汚い奴は・・・・”と・・・・。

 ボサボサで脂ぎったフケだらけの頭髪、薄汚れて脂の浮いた顔、体型に合って無くかつ皺だらけのスーツ、第一ボタンをだらしなく開けたシャツ&緩めたネクタイ・・・伸び放題&垢まみれの爪・・・・、等々。


 いかに若者とはいえその服装は、対戦者に失礼では無いか?と正直想った物です。
 (勿論ムヒカ元大統領の様にネクタイという存在は、自由主義経済或、国際金融資本、プロテスタント・・・等々の奴隷となる事の象徴故にどのような場所でも締めない・・、といった考え方も在るでしょうが、まあそれとは違いますしね・・・ )

 特に将棋という物、柔剣道といった武道同様、礼に始まり礼に終わるという存在。
 更に言えば、敗者は自らの口で勝者に対し「負けました」と宣言しなければならない作法。そうした意味でも、もしかすると柔剣道以上に礼が重んじられるといいますか、武士道的といいますか・・・・、まあそうした物と認識してました故その姿は異形そのもののに見え・・・・。
 兎に角、強く印象に残った訳です。


 またその後こんな本が出版された事も聞き及び、思わず購入&読了・・・・何てことも・・・・。

 
 本

 (またこの本を読んで対淡路戦の事情も解った訳です)

 そしてまたそれ以上に、バカナリヤをかわいがって下さるお客様の一人”H”様が、この村山聖が小学校の頃に何度か対局された事が在るそうで、そのお話をカウンター越しに聞かせていただいた事もありまして・・・・・、これはやはり映画館で観ておかなければ・・・・と想った訳です。
 

 
 そこでこの映画の感想ですが、一言で言えば”悪くは無い、でも物足りない・・・” といったところですかね。

 演技派の俳優さんが多く出演されそれぞれに名演とも想えるのですが、それでもやはり物足りない印象なのです。
 私が想う村山聖という存在の迫力、意味、魅力といった物が余り描かれてないといいますか・・・・・。
 (それ程古くない実在の人物を主人公に映画化するのは難しいのでしょうかね?)



 私が想う村山聖という存在の魅力、それは・・・・・
 やはり彼が幼年期に病気を罹患したことにあると想うのですよね。

 幼年期にネフローゼという非常に身体的に苦しく、また完治の可能性も殆ど無い病気を患うということ・・・・。

 その苦しみ、或いは不条理に対しその幼さで立ち向かわなければ成らなかったわけでしょう。
 そしてそれは恐らく徹底した内観が求めれれたでしょう。
 (親の責任にしても何一つ解決はしないですし、他人にあたったところで苦しみが減じる訳でもないですしね・・・)

 また、同病で入院している同年代に子達の”死”も目の当たりにした訳でしょうし、死という絶対的不条理に対しても自分一人で立ち向かって来た訳でしょう。

 その徹底した内観は禅的でも在るでしょうし、哲学的でもあるでしょう・・・・またそれは他人の内面に対する想像力も育んだでしょう・・・・。
 そうした思考が個人として世界やそれがもたらす不条理と立ち向かう事に成るわけでしょうから。
 そして其れゆえの彼の厳しさと他者に対する優しさ・・・・・、
 そういったものが描ききれていたかといいますと・・・・。


 そんな印象でしたね。



 まあそれも仕方のない事かも知れません。

 現在日本で製作されるこうした映画、いってみればある種ファンド的でもあるわけでして、俳優はさておき政策側はいわば勝ち組。
 村山聖の様に、自らに降るかかる不条理に彼のように立ち向かわなくても良い立場の人達とも言えそうですしね・・・・。

 
 閑話休題、本来(或いは江戸以前)の日本人は考えるベースが”何時かは自分にも死が訪れる”という、いわば憂き世の不条理を基にした文化に生きてきた様にもおもえます。そうした意味でもこの村山という棋士の存在は魅力的に感じられるのでは無いかと想うのです・・・・。

 (対して近代はデカルトのコギトではないですが生きているということが前提。或いは生に対する安直な肯定以外無い様にも思えたり・・・ )


 とまあ、そんな事を考えながら観た映画でしたね。



 因みに原作本ですが・・・。

 帯に

 帯

 ”小学校高学年から読めます” と記してありますように少々児童書的な読みやすさに仕上げてある気がします。しかしまた同時に見込むと深みも感じられる魅力ある本とも想います。

 

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