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2017/05
05
[ #932 ]

純正

 普段乗っているオートバイを車検に備えノーマルに戻し、此処しばらく乗っているのですが、これはこれで味わい深いのです。


     ノーマル



 純正状態のバランスの良さといいますか何と言いますか、郊外をツーリング(普通の)ペースで流したり、タンデムで走ったりしてもこれはこれで良い感じなのです。しいて言えばジェントルな乗り味といいますか・・・・。

 確かに街中を走ったり一寸ペースを上げたりすると、サイレンサーやカウル周りの重さも感じるのですが、これはこれで有りといいますか、純正の良さみたいな物を感じる訳です。

 たまにはこうして純正に戻すのも良いというか、色々と感じたり考えたり出来て楽しいですね。


 しかしこの単車も95年式、果たして何時まで動いてくれますかね。


 
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2017/05
11
[ #933 ]

色々散策して来ました

 昨日まで久々長期のお休みをいただき(恐らくは9年ぶり?)色々と散策といいますか旅行といいますか、何はとまれして来ました(&今夜からお店を再開です)。

 リフレッシュ休暇・・・?或いは嫁さん孝行?
 良くは判りませんが刺激を求めて、というのも理由かも知れませんし、相変わらずの街並み徘徊も勿論理由です。


 
 巡ったのは、

 朝代遊郭跡周辺~竜宮遊郭跡周辺~21世紀美術館(展示はお休みでしたが・・・・)周辺~栄町(桜町)遊郭跡周辺~忠武洞遊郭跡周辺・・・・・、といった具合です。
 
 何て書きましてもその筋に興味の無い方からすると ??????? だとは思います。



 そしてまた、その筋に興味のある方からしても・・・・  一寸 ”???” かも知れません・・・・。

 何故か・・・・?



 先ず、7日に訪れました朝代遊郭跡

 朝代遊郭跡

 これは西舞鶴の某所・・・。


 そして竜宮遊郭跡

 竜宮遊郭跡

 これは東舞鶴の某所・・・。



 そして翌日の21世紀美術館&周辺は・・・・、

 21世紀美術館

 金沢ですね・・・・(東西の廓は昨年歩きましたので今回はスルー)。



 そして栄町遊郭跡は・・・・、

 栄町遊郭跡

 境港の某所・・・・・(Uターンかい ?? )。


 そして忠武洞遊郭跡周辺・・・・。

 忠武洞遊郭跡

 これは・・・・。



 釜山(海外かよ・・・・・・・、と突っ込まれそうです・・・・・)。



 一寸廻り方が変ですよね?大体、足(移動手段)は・・・・・?? 




 はいこれです。

 ロマンチカ


 今日は一寸バタバタなので、詳細はまた後日アップします。

 リフレッシュ出来た気はします。

 はい。


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2017/05
17
[ #934 ]

舞鶴他(街並み編)

 先日少々まとまった休みをいただきましてちょっと出かけてまいりました。
 めぐって来たのは舞鶴他の日本海側諸都市です。


 舞鶴を訪れるのは実質初(正確には30年程前にオートバイで通過はしているのですが、雨中に通過しただけですので)。
 ここで先ず目指したのは朝代地区。西舞鶴駅前から徒歩で向かいますが、其の手前高野川に掛かる橋を渡っている折に思ったのが、この街(西舞鶴)は江戸期に北前舟等の入る港町としてかなり繁栄していた街であろうという事。


 高野川

 高野川と国道が交わる辺りにも立派な商家建築が幾つか残っておりましたし、また訪れた朝代神社にありましたこの巨大な灯篭等も其のあたりを想像させられるのです。


 石灯籠

 江戸期、北前舟等の廻船の主要航路は日本海側だったと思われます。当時の廻船では銚子の鼻や遠州灘沖が結構な難所という事も有り少なくとも江戸中期頃までは日本海が主要航路。故に日本海側の港町が発展していた訳ですし、そして港町の神社等には化政期辺りから大阪あたりの豪商が立派な石灯籠を寄進している例も多いように思われます故ですね・・・・。



 閑話休題、この朝代地区を私が訪れたのはそれもありますが明治20年代に遊郭地となった故(相変わらずです)。
 どうも朝代地区の高野川沿いは往時商家街だったと想像されますが、その裏手が遊郭地とされたように思えます。もしかすると往時から茶屋や旅籠の在った地区かも知れません(一寸、米子の灘町遊郭と似た立地にも思えます・・・)。

 
 そして朝代神社の次に訪れた千野宮神社、これが良かったのです。

 此処の社を囲む玉垣・・・・。


 朝代玉垣1

 朝代玉垣2


 といった感じで・・・・記されている名前が、・朝代貸席組合 ・朝代芸妓一同 ・霞月楼 ・・・と往時遊郭に存在した店等の名がずらり。

 更に入り口付近にはこんなものも・・・・。

 大門柱?


 大門の門柱に思えるのですがいかがでしょうか・・・?


 
 ということで周辺を少々徘徊。

 立派な木造3階建ての建物が残っていたり、他にも雰囲気のある建物がちらほら・・・・。


 木造3階建て  朝代建物


 思うのですが古くからの港町はこうした色町の存在等に寛容な気がするのですよね・・・。そうしてこうした玉垣や碑等も割りと残されているように・・・・・。


 また桂林寺という立派な寺も観させていただき・・・・・

 桂林寺


 田辺城址公園経由で西舞鶴駅に取って返しました・・・・。

 田辺城址公園


 因みに田辺城址、戦国武将細川幽斎が思い出されますが、この幽斎、信長暗殺の黒幕の一人なんて説も有ったり・・・・(妄想が膨らみますな・・・・)。それはさておき市民の憩いの場として愛されている印象でした。そこ此処に往時の石垣も残っていますし花も綺麗で・・・・・。


 
 そして西舞鶴駅からJRで一駅(思ったより遠いです)、東舞鶴駅に降り立ちました・・・・。

 ここでタクシーを拾い目的地を告げます・・・・。

 それは・・・・・。



   竜宮遊郭跡

 旧竜宮遊郭跡。
 (お約束です 笑 )


 因みにこれは私が愛読している書籍に掲載されている往時の絵葉書。


   往時の竜宮遊郭



 此処は明治30年代東舞鶴に海軍鎮守府が置かれた際に開かれた遊郭。

 この朝代と竜宮の関係、同じ軍港都市”呉”の吉浦遊郭と朝日町遊郭との関係を連想させられますね・・・(私だけか・・・?)。


 でこの竜宮遊郭跡ですが、かなり開発が進んで住宅地然とした雰囲気となっています。また空き地もチラホラ・・・・・。
 (このあたり土地の記憶の強弱か?あるいは立地に寄るものか・・・・)

 ただこの場所は、こんな感じで・・・・。


 植え込み


 往時のメインロードの中に造られた桜の植え込みの形が残っているのです・・・。(他所にはあまり無いのでは?)

 またこんな如何にもカフェー建築といった建物が残っていたり・・・・。

 カフェー建築


 結構雰囲気は感じられました。


 そしてそこから再び東舞鶴駅までバスでも使って帰ろうかと国道に出てバス停の時刻表を確認・・・・・・。

 が・・・・・、時間が中途半端な故か1時間以上バスが無い!
 仕方なく駅までトボトボと歩きましたが結構な距離・・・・。もしかすると戦後竜宮遊郭が流行らなかったのはこの辺も要因の一つかとも思われたり・・・・・。
 (そして商店街は西も東もシャッター通り・・・・、地方都市の悲哀を感じます・・・・)

 閑話休題、東舞鶴駅に無事到着、これで私の舞鶴徘徊は一段落。そこ此処に花が植えられ綺麗な印象も有る街でした。





 明けて二日目、今度は金沢。

 金沢といえば私のような人間からすると東廓西廓となるところですが、此処は昨年割りとしっかり歩かせていただいております故今回は、21世紀美術館~兼六園~金沢城址公園~と定番コースを歩かせていただき、近江町市場で鮨をつまみに軽く一杯としました。


 さて21世紀美術館ですが、ちょうど展示がお休み(月曜日)ということもあり、ゆっくりと建物を愛でさせていただきました。


 21世紀美術館

 正に現代アートを主に展示する美術館に似合った建物といった印象、興味深かったです。


 そして兼六園、此処は約30年振りですか・・・・。
 若い時はその魅力等良く判らなかったのですが、一歳拾うとまた違った味わいといいますか・・・・。


 兼六園

 こんな場所で金沢芸妓さんと、何て思ったり(笑)。


 そして金沢城址。
 此処も30年ほど前訪れている筈ですが記憶が・・・・・・。


 で、今回思ったのは・・・・石垣が魅力的!

 金沢城址

 &ともかく広い・・・ということ(流石加賀百万石ですか・・・・)。


 また50間長屋も復元され・・・・・(これはこれで築城時の雰囲気が伝わって良いのかも知れません、賛否はありそうですが・・・)。


 そして近江町市場は相変わらずの人出。
 何といいますか金沢市、日本海側の唯一の勝ち組都市といった雰囲気も・・・・・。

 それはそれとして、市場内で食べた鰯の握り寿司が私の口に合い嬉しかったです(鰯、下魚ですが美味しいのです、足が速くてあまり握りなどにはならなかったりですしね・・・・)。




 更に翌日は境港。


 此処はノーチェックだったのですよね。港町ですし遊郭色町が存在しない筈は無いとは思っていましたし、若いころ訪れた印象も適度に怪しく・・・・・。唯、其の手の資料等にはほとんど記載されずで・・・。
 
 唯、少し前に此処に昔栄町(桜町)遊郭なる物が存在したと聞き及び・・・・其の辺りを歩いてみようという事です。


 栄町遊郭跡


 が・・・・・・、雰囲気のある建物は見当たらず・・・・・・・(やはり戦中の徴用船の事故による壊滅故か・・・・)。
 

 栄町辺り

 この建物も一寸違う印象だし・・・・・。

 ということで、代わりといっては何ですが水木しげるロード歩いてみることに・・・・・。


 これが思ったより良いのです・・・・。
 漫画で街起こし??? 等と思って訪れて無かったのですが、これが結構魅力的といいますか、本気度が伝わるといいますか、手抜き感が無いといいますか・・・・・。

 はい、良かったです。

 特にこの”砂かけ婆”さんなんて、動き等ちゃんと煮詰てあるな~~という印象で。

 砂かけ婆



 更に造り酒屋のかくうちで軽く飲んだりと・・・・・、

 精米歩合


 ハイ、結構楽しかったのです。境港。




 そして翌日は更に釜山で街歩き。
 韓国上陸は初めてです。


 国際ターミナル前から無料バスで南浦洞、チャガルチ近くに行き、先ずは国際市場の東の通りを歩いてみます。
 此処は帽子や鞄、靴といった商品が並んでいるのですが余り魅力は感じなく、更に真ん中の通り、此処は厨房機器や食器が並んでいるのですが此処も・・・ということで富平市場に移動してみると。
 此処は一寸DEEPな雰囲気で、路地(裏)好きの私としては結構好みといいますか・・・・・。

 此処で・・・


 モペット


 働いてる感満載のモペット発見(私には車種不明)、人や店は写し辛いのでこんな物を撮ってみました。

 また市場内といわず、歩道等もバンバン走っているスクーター、排気量の大小に関わらず大体こんな一体型のバンパーをつけています。

 スクーター




 それはそれとして、そこから忠武洞遊郭跡辺りに移動・・・・(相変わらずです)。

 この辺り10年余り前までは風俗街として栄えたらしいのですが、法改正により・・・・・・ということらしく。
 (そういえば我が国も風営法の改正等で風俗産業が派遣・デリバリー型に移行し、いわばコールガール化といいますか・・・店舗型は急速に目立たなくなっているとも思えるのですが、この辺りもグローバル化、西洋化、なのですかね?)
 (ジェントリフィケーション?)
 
 閑話休題、この辺りと思われる場所を少々徘徊してみたのですがハングルが読めない私としては風情が・・・・・。
 (そう、朝代の玉垣みたいなのが好きなのです)


 忠武洞遊郭跡  つれこみ?

 これくらいで・・・・・。


 代わりに猫なんか撮ってみたり・・・・。

 釜山の猫


 まあ、港町ですから・・・・・。


 それから、忠武市場辺りを歩き(此処も雰囲気でした)、チャガルチ市場ビル(此処は観光化され過ぎの印象)、ロッテデパート(綺麗ですが広すぎて疲れました)と歩き・・・、自宅から持ってきた地図を頼りに国際ターミナルまで歩き・・・・・。




 が・・・・。

 何か景色が違う・・・・・・。


 周辺を結構うろうろしてたのですが、やっぱり来がけにバスに乗った場所が判らない・・・・・。

 意を決して建物まで歩き内で人に尋ねると・・・・・・。


 此処は昔の国際ターミナル。1年ほど前にターミナルの移転がありまして此処からタクシーで5分程です。との返答。


 持って来た地図が古かったのですね・・・・・。
 疲れが一気に出まして(其の所為かここ数日体調が・・・・)、何はとまれ広い道まで出てタクシーを拾うことに。


 しかしこのタクシー、運転手さん愛想がよくまた日本よりリーズナブルで助かりました。



 とこんな感じで各地の町並みを徘徊した数日でした・・・・。


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2017/05
22
[ #935 ]

日本海周辺(移動手段編)

 先日、舞鶴~金沢~境港~釜山~といった日本海沿岸の諸都市を散策してきた事は既に記しましたが、今回はその移動手段の話。

 こいつですね・・・・。


      船

 コスタ・ネオ・ロマンチカというイタリアのカジュアルクルーズ船。



 事の始まりは確か4月の10日頃。
 自宅で雑誌に目を通しておりますとこのクルーズの広告が・・・・、たいそうリーズナブルな価格表示に驚き傍に居た連れ合いに「えらくリーズナブルなんだけどどう思う?」・・・なんて感じで其の雑誌を手渡すとそれを一瞥した連れ合いは、「行く、行きたい、行かねば・・・・・」といった具合で・・・・。



 そう以前にもショートクルーズに行った事が有るのですが、その折連れ合いは体調が余り良くなく(その後しばらくして入院~手術という仕儀と相成りました故結構悪かったのでしょう)て楽しめずリベンジの機会を探していた様で、もうこれは行くしかないか?という状況。また私も最近煮詰まり気味といいますか・・・・。で、たまにはリフレッシュをと、その後数日の検討の後行くことに決めた訳です。

 時間も差し迫って居ます故、何はとまれ広告主の旅行社にTEL・・・・、空き部屋が有るという話で結果5月6日博多港発に乗ることに・・・・。


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2017/05
30
[ #937 ]

ウイスキーのはなし 7

 戦後、今に続くウイスキーの事を思うとやはりこの酒の話は外せない気がするのですよね・・・。


      フィディック

 グレン・フィディック 12年


 1963年に市販が始まった初のシングルモルト・スコッチウイスキー。


 何故1963年だったのかはいまひとつ良く判らない気もするのですが其の辺り徒然に妄想を膨らませて・・・・。
 
 
 前回も書きましたが、戦後スコッチウイスキーは英国の外貨獲得の主力商品となり盛んに海外、特に米国に輸出されるのです。

 特に1950年代から60年代という時代の米国は戦後の好景気、まさに我が世の春といった具合で・・・・、まあ第二次大戦唯一の勝ち組といっても過言では無いでしょうし。そう、映画でいえば”アメリカングラフティー”等が描いた世界。
 当然スコッチウイスキーも盛んに輸出され、高級ウイスキーの地位を獲得する訳です。

 そう、戦後のアメリカ映画等を観ていますとしばしば、「これは俺の取って置き、スコッチの12年物だ・・・」、何て表現に出くわします。そうした位置づけなのでしょう。

 また其の流れで我が国でも、60年代辺りからスコッチウイスキー=高級品、高級ブランドといったイメージが定着していた気がします(それこそジョニー=ウォーカーの黒なんて・・・、また初期にはホワイトホースやベルとかも・・・。黒澤監督の天国と地獄だったですか?ホワイトホースがそんな感じで使われていたのは・・・・)。

 といいますか、世界的にそうしたブランドイメージが定着し英国からのウイスキーの輸出量が飛躍的に増える時期ですよね。

 で、其の時期にグレン・フィディックは初の市販シングルモルトウイスキーとして売り出される訳ですが、実はこの時期のモルトウイスキー蒸留所は厳しい時期だった・・・なんて記述もあったりして・・・一寸??? な気分だったり。


 それはさておき、初の市販シングルモルトとして・・・と書きましたが、それまではそうした物は無かった訳です。

 つまりスコットランドのモルト・ウイスキーの蒸留所は基本的に樽の形で売っていた、という事。

 流通業者が樽で買い付けブレンデッドウイスキーのメーカーに売りに行くという形が主流。
 またそうした業者が独自にビン詰めして売ったり(いわゆるボトラーさんですね)。
 あと、地元の人が直接買いに来たりもあったでしょう・・・・。

 ともかく、スコットランドのモルトウイスキー蒸留所は”瓶詰めライン”を自前では持っていなかった訳ですね。

 でこの時期にフィディックはそうした投資を行い(他、樽造りの職人を抱えたり、ビジターセンターを造ったり・・・・)独自に販売を始めたという事でしょう。

 
 という事は50年代~60年代辺り、ブレンデッドウイスキーの会社は景気は良かったが、モルトウイスキーの蒸留所はその下請け的でボチボチといった感じだったということですかね?



 閑話休題、ともかく1963年にフィデックは売り出された訳でして・・・・・。


 で、どうなった・・・?

 一つはグレンフィディック自体がブランド品としての地位を確立したという事は有るでしょう。


 以前、某所でイングランドの方とプライベートで飲む機会が合ったのですが、その際彼が”私のとっておき”として出してきて下さったのが、グレン・フィデイックの18年でした。
 確かに私がウイスキーを飲むようになった頃に聞いた話で、当時イングランド人のとっておきの酒はグレン。フィディックの18年と聞いた事があったのですが(高度成長期の日本人にとってのジョニ黒やナポレオン的な存在)、そういった地位を確立したということでしょう(他英国のTVドラマや映画等でもそうしたシーンを観た記憶も・・・・)。


 そしてもう一つはウイスキーがそうした社交ツールから嗜好品としての位相も獲得したという事でしょう。

 それこそフランスワインがAOC等により、セパージュ(葡萄品種)やテロワール(土壌や風土)の違いを楽しむ(場合によっては学んだり)嗜好品となったように(シングルモルト)ウイスキーもその風土等の蒸留所の個性に違いを楽しむ嗜好品としての地位を得たという事だと思えるのです。

 つまりは趣味や道楽の対象に成るべく踏み出した・・・・ということなのでしょう。
 そして現代、シングルモルトはウイスキー出荷量の15%以上を占める様になり、各地にモルトバーが出来ていたり・・・。


 もちろん今という時代、ウイスキーや酒だけでなくほかの多くの物や商品も、趣味(収集、おたく)の対象として存在、あるいは消費されている訳ですが・・・。

 鉄道・車・音楽・映画・・・・キリが無いですが・・・・・。
 
 現代というものそうしたものかも知れません・・・・(いや、骨董とか絵画を考えると、けっこう古いか・・・・)、。

 そんな事を考える訳です。


 

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