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2018/01
05
[ #993 ]

お笑い

 新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
お正月はゆっくり過ごされましたでしょうか?
 私はというと今年もカウンターの内側で年越し、ということで相も変わらずで・・・。

 しかし年々正月らしさといったものも減じているようにも思えます、コンビニエンスストアやショッピングセンター等元日から開いていますしね。子供の頃はそうしたお店も三が日は閉めていた様な記憶もありますが(もしかすると田舎故という事もあったかも知れません・・・)。
 またそんなこんなで子供の頃の正月というと、TVでやっていたお笑い番組を結構観ていた印象があるのですが、最近は殆ど観なくなりましたね。
 といいますか、何時頃からかTVのバラエティー番組やTVドラマといった物を殆ど観なくなったのです。
 
 そんな私ですが、たしか先月の中ごろ、ネットのニュースサイトか何かで”ウーマンラッシュアワー”という芸人が披露した漫才が凄かった(あるいは笑えない)といった事が結構でていて・・・・気になってその漫才をネットで観て見た訳です(便利な時代ですね)。
 
 で、感想はというと・・・久々に笑える漫才を観させていただいたといいますか、一寸懐かしいといいますか・・・・。
 そう昔の漫才って、ああいった風刺的な側面がけっこう強く、そこが笑えたという印象が有るのです。


 上にも書きましたが何時ごろからかTVのバラエティー等を一切観なくなったのです、それはおそらく1980年台の初めくらいから。そしてウーマンラッシュアワーの漫才はそれ以前のお笑いの空気を感じた訳でして・・・・。
 
 おそらく其の頃、1980年代になった頃から所謂”お笑い(番組)”の質が変わった印象なのですよね。
 

 ではそれ以前の”お笑い”は、更にいえば”笑う”という行為とは?

 個人的見方ですが”笑う”という行為、霊長目の”パントコール”と同様、あるいはそれに端を発するものだと思えるのです。そしてサル等が発するパントコール、解釈は色々有るでしょうが仲間(身内)と敵を分ける行為、あるいはそうした状況で使われる、あるいは意味を持つ行為と思われるのですよね。
 昔から言われませんでした?
 公の場で大きな声で笑うな。とか、見ず知らずの人の前で笑うな。とか。
 そう、見ず知らずの人とは中々笑えないですし、仲の良いグループとか共同体の中でリラックスしていると自然に笑えますしね。
 笑うという行為はそうした物だと思えるのですよね。

 下手に見ず知らずの人の前で大きな声で笑ったりすると・・・・
 「ワリャー、なに人のこと笑よーんなら (怒)」 とか 「ワリャ、今、ワシのこと笑ろーたろーが (怒)」
 となるのもそうした査証ですよね。


 何だか話が横道にそれていますが・・・・。

 そう1970年代以前の笑いとそれ以降のものの違いって話で・・・・。

 なんといいますか、1970年代までは多くの日本人。お笑いを楽しむような時といっても良いかも知れませんが、そうした人々の自己認識に、”庶民”というものが有ったのではないのかと思うのですよね。

 其の頃までは、漫才にしても落語にしても。演じるのも聞くのも(観るのも)、基本的に庶民。あるいはそうした意識が有ったのでは無いかと思えるのです。生活者といっても良いかも知れません。 
 そうした庶民が日々の生活で色々と足掻きながら暮らしている、その足掻きが滑稽だったりして、其の姿に共感しつつ笑えるというのが実は日本の伝統的話芸というか・・・庶民芸能の本質というと大げさですがまあそうした物ではないかと思えるわけで・・・・。

 たとえば、往時人気だった藤山寛美の新喜劇だってそうですし、それ以前、名作と言われる古典落語(文七元結にしろ芝浜にしろ)もそうですし、古くは近松の世話物もそうですしね・・・・・。

 そして80年代ころになるとバラエティー番組で演じられる笑いが、そうしたものから”弱いもの虐め”の物に変わってきた気がするのです。そして個人的にはそれらは笑えない故そうした物(バラエティー等)は一切観なくなってしまった・・・・。
 またその後もそうした”弱いもの虐め”的なものがどんどん多くなっていった気がするのです。


 結局其の頃から、日本人のメンタリティーも変わったのかも知れません。
 確かわが国がGNP世界第二位になったのが1968年だったと記憶するのですが、その後の70年代は石油ショック等もありそれを実感できる部分は少なかった気がするのです、それが80年代となり、バブルに一直線に向かうごろから何かが変わった気がします。

 何と言うか”俺たちは金持ちな日本人だ・・・”といった自意識が芽生え、強くなっていった気が・・・・。
 (確か東南アジア等への買春ツアーなんて事が問題視されて来たりしたのもこの頃のような・・・・)

 つまり自分たちは”庶民”ではなく所謂”勝ち組”だという自意識に変わっていったのがこの頃からという気がするのですよね。
 (勝ち組なんて言葉がはやるのは未だ先ですが)

 で、笑いも庶民の悲哀といったものから、弱いもの虐めの下衆な物に変わっていったと・・・・・。

 そして現状は・・・・。



 そんな事を考えさせられた、ウーマンラッシュアワーの漫才でした。

 

 
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2018/01
08
[ #995 ]

ワインのはなし 13

 もしかするとワインというお酒こそが多くの酒類のなかで最も早くから嗜好品的に飲まれていた酒かも知れません。
 おそらくは造り始められたのも最も早いでしょうし。
 広義のワイン。世界各地、果物の収穫が出来比較的温暖なところでは自然発生的に造られはじめられたのでしょうからね・・・。

 では嗜好品としての地位を確立するのは・・・?というと。
 まあ、ギリシャのシュンポシオン辺りに求めても良いのでしょうが、やはりらしいのは帝政ローマ辺りですかね?


 「サテュリコン」のトリマルキオンの饗宴辺りでは明らかにそうした気配が有りますし(というかこれはそれこそ饗宴というか爛熟というか・・・)、おそらくその少し前、帝政の始まる前位から既にワインの産地とか、ヴィンテージに対する意識は芽生えたようですので既にこの頃から嗜好品としてワインを飲む人々も存在していたということでしょうから。

 尤もそういった人々は貴族なりの社会的地位や経済力の高い人々であったでしょうが(サテュリコンのトリマルキオンの饗宴も確か成り上がり、金満の解放奴隷が貴族、役人を接待する宴の話だった筈ですし)。

 また18世紀のフランス貴族や英国のブルジョワもそうした意味で嗜好品的にワインを飲んでいたでしょうし・・・(ポンパドール公爵愛飲のシャンパーニュとか・・・・)。

 では比較的庶民にまでそうした習慣(=ワインを嗜好品的に捉え飲む意識)が芽生えるのは・・・?というとやはり19世紀?
 特に後半のパリなどではグルメーブームが巻き起こる訳ですし・・・。

 ただこれも、比較的豊かな都市生活者等の間のみといった面もまだまだ有りそうな気もしますし・・・・。
 やはり流通や広告(情報)といったものが発達しないと中々庶民(あるいは中間層)までにはといった面もと・・・(そうした面では江戸中期以降の日本の都市部や19世紀のパリ周辺って中々おもしろそうですよね)。

 でそうなるとやはり第一次大戦後、特にAOC制度の制定が・・・・ということになるのでしょう。



 閑話休題、ではわが国でワインが嗜好品的に飲まれるようになるのは?というと。

 もちろん一部の洋行帰りの人々やお金持ちはかなり早くから嗜好品としてワインを認識していたでしょうが、一般庶民となると・・・・。

 確か70年代くらいからワインブームの様なものがしばしば起こって来始める訳で、おそらく切っ掛けは洋酒の輸入自由化でしょうね。

 でそのころ(70年代)に比較的早くにはやったのがドイツの白ワインだった気も・・・。
 そしてその頃から徐々にキャンティーとか、ボルドーといった言葉も定着した印象があります。
 (確か日本酒の地酒ブームの走りもこの頃ですかね?)


 結構早い気がします。
 やはりAOC等で、嗜好品として捉える、あるいは学ぶシステムといった物が確立されていた故でしょうね。

 そしてバブルに向かう時期のボジョレーブームやその周辺から一気にそうした視点が定着した印象です。

 
 しかしだからこそですかね?逆にワインは学ばなければ・・・といったイメージもついている印象も少々。
 たまにワインは難しい、とか解からないから・・・・といった声も耳にしたり・・・・。

 (別にそんなに難しく考える必要も無い気が個人的にはするのですが・・・・)
 
 
 また、他の酒類もワインに習って嗜好品的位相を身に着けようとしている印象も・・・・・。

 そう確かにワインとその周辺は歴史が長い故か、色々酒としても周辺システムとしても良く出来ているというか、厚みがあるというか・・・・。兎も角、奥深いというかキリが無いというか・・・・。

 その辺りもワインの魅力なのでしょうね・・・・リーズナブルな物から高価な物の幅も広いですし。


 特に最近はリーズナブルな物でも大外れは減った印象。
 わが国でもワインを楽しむ方が当たり前に増えた印象ですし、また増えてももらいたいです。

 (まあ、中間層の減少といった事も言われるのでどうなるか解かりませんが・・・・。嗜好品消費の担い手はやはり中間層でしょうからねぇ・・・)

 
 

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2018/01
12
[ #996 ]

遊べる浮世絵

 先日広島市内まで出かける用事が有ったのですが、折角なので少し早めに家を出て午後からの用事の前、少しばかり美術館に立ち寄ることに・・・。
 場所は広島県立美術館、開催中の特別展示は「遊べる浮世絵展」です。


      遊べる浮世絵


 
 そう、浮世絵、好きなのです。
 ただ今回の特別展、タイトルが示すように”遊べる浮世絵”ということで少々子供向けというか、子供でも楽しめる浮世絵展という趣旨にも思え、おそらく展示も子供絵とか、判じ物、尽くし絵、武者絵等(いわば幕末期の物)が主体であろうと思いそれほど触手は動いていなかったのです(個人的には寛政期までの美人画等にやはり惹かれるもので・・・)、が折角なので何はとまれと観賞せていただく事に。


 しかしこれはこれで楽しめたのですよね。

 普段、母子絵等の浮世絵あまり眼にする事も多くなかった事もあり、図録等でも観た事の無い作品が結構多く、またそれ以上に惹かれたのが(洛中洛外図的視点で描かれた)年中行事屏風とか、盤双六の実物とか、豪華な貝あわせの実物等の展示でした。
 それと歌麿の潮干のつとの実物が眼に出来たのも・・・・。

 結構面白かったです。


 その中で個人的にお勧めなのは、絵双六(上がり双六)の女性の出世物(娘家訓出世双六等)。

 こうした絵双六、江戸後期に結構出された様なのですが特にこの女性の出世物は面白いのですよね。

 ふりだしからサイコロを振り色々な升目を通ってあがりを目指す訳なのですが、そこの枡に描かれている職業といいますか商売といいますか、これが多様で面白いのです。
 因みにふりだしから初めに向かうパターンとして、生娘とか、踊子とかに並んで、”お囲い”何てのが有ったり・・・(つまり金持ちの妾が職業として認められていたように思えます。
 そこから、三味線の師匠とか手習いの師匠とかに進んだり・・・・。
 また、ばくれん=不良娘になり~飯盛り女になり病気になり~ゴゼになり・・・・デッドエンド(因みにゴゼになるとそこで終わり)とか。
 あるいは大奥に奉公しそこから商家に勤めるとか、飯炊き等のした働きから・・・とか、子守や乳母とか、とりあげ婆とか、のり売りとか、ご新造とか、やまのかみとか、やり手とか・・・・・。

 とにかく多くの職業というか”しのぎ”というか商売というか生き方というか・・・・が描かれておりまして、結構江戸の女性の自立感というか、生活観が伝わって来るのです。
 (実は男尊女卑が庶民の間で強くなるのは明治以降という見方も・・・・・)

 まあ言ってみれば江戸後期の女性向け”人生ゲーム”です。
 (因みに良い方の上がりは、万福長者で楽隠居というパターンが多い気が・・・)


 男の子向けの物は、英雄双六とか、武者双六とか、名所双六とかで、ステレオタイプというかあまり興味を惹かれないのですが娘向けの物は興味深いのです。
 もしかすると江戸時代、男性より女性の方が生き方の選択肢が多かったのか?とも思わされますね。
 (まあ、確かに男だと職人の弟子となって職人になるとか、商家に勤めて商売人になるとか、武士や農民だと長男は家を継ぎそれに縛られるとか、またそこから外れると中々苦労しそうですしね・・・?尤も”ぼてふり”とか気楽そうな気もしますが・・・・)


 何だか相変わらず話がそれていますが、その辺りも含め結構楽しめた展示でした。
 やはり浮世絵は面白いですね。


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2018/01
12
[ #997 ]

ウイスキーセミナー

 前の記事の続き、午前中に浮世絵展を観た後本来の目的ウイスキーのセミナーに向かいます。
 
 インポーターのガイアフロー様主催で、スウェーデンにあるマイクロディステラリー”BOX蒸留所”の試飲セミナー。そしてガイアフロー様が立ち上げられた静岡蒸留所のセミナーです。

 会場に着きますとこんな感じでテーブルの上に試飲用のウイスキーが並んでおります。



 試飲

 手前3つがBOX蒸留所のオフィシャルもので、中2つがガイアフロー様がBOX蒸留所で樽買いされたもの。奥の3つが静岡蒸留所の原酒です。



 会場の雰囲気はこんな感じ。


 セミナー



 言ってみれば共に、最近各地で開設される事の多いマイクロディステラリー。ビールで言えばクラフトビールのマイクロブリュワリー。


 閑話休題、色々と興味深い話を聞かせていただきました。

 BOX蒸留所の物、(その場でオーダーはしなかったのですが)少し入れてみたくなりましたね。

 その折は飲んでみてください。

 

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2018/01
14
[ #998 ]

衝動買い

 先日、珍しく本屋で平積みされていたコミック(漫画)を衝動買い。
 基本的にコミックや平積みされている本を買うことは少ないのですがなぜか衝動買い。
 たまにはこうゆうのも悪くないかと・・・・。


 その本(漫画)ですが、結構巷でも話題ですかね?



   君たちはどう生きるか

 「君たちはどう生きるか」


 
 表紙の男の子の目力に負けたのか?このストーレートなタイトルに惹かれたのか?我ながら良く解からないのですが・・・衝動買いです。


 早々に読んで見ますと・・・・。

 基本的に書かれているのは至極当たり前のこと。といいますか、通過して来た事といいますか、数十年前に考えたことといいますか、今でもたまに考える事といいますか・・・・。

 多くを知り、感じ、自らの心の動きを内観し、考え、決断し、行動し、そうして成長し生きていく。
 そしてその際に大事なのは他者の心の痛みがわかること。
 これが無ければいわば人でなしに堕すると・・・・。

 とまあ、こうした内容ですかね。


 私自身がそうしたことをちゃんと行えたかはさておき (笑)。
 当然、良い事も悪い事もしたし、卑怯な事もそうでない事もしたし・・・。
 その成れの果てが今の私な訳ですな。


 他、いくつかこの本を読んで感じたこと。

 確かこの本(漫画)1935(昭和10)年に児童文学として出版された本を基にコミックされた物だと思うのですが、とすると当時の若者も原作を読んでいた訳ですよね?そしてこうした本を読んで色々と考えながら成長した若者がその後戦争に巻き込まれていく訳でしょう。戦争、あるいは当時の軍隊、圧倒的”不条理”ですよね?
 特に戦場なんて・・・。

 そして彼らはその不条理にそうとう苦しんだでしょう・・・・。
 それを思うと心が重くなりましたね。
 またもしかすると彼らその不条理な体験が、戦後のアプレゲールや愚連隊を生み出したのかもと・・・・。


 またこの漫画、100万部も売れた(刷られた)そうで・・・・。
 このような漫画が100万部(凄い数ですよね?)も売れる今という時代、これはこれで大丈夫なのか?とも思ったり。
 普段平積みの漫画なんて買わない私もツイツイかってしまった訳なので人事でもないのでしょうが、ただ最初にも記したようにこうした事は自然と自分で愚図愚図と考えるものですし、あるいは普段の生活の中で自然と学んでいくもので、こうした一寸言い方は悪いですがハゥツー本的タイトルの漫画がここまで売れるというのも(そう、確かにこの表紙とタイトルは正解というか、インパクトがあるというか、売れた理由のひとつでしょうね)ちょっとね?とも思いすね。


 それともうひとつ、男児にとって叔父(両親の兄弟)という存在の良さも・・・。いってみれば叔父って、最も近い他人の大人といいますか。
 その距離感や存在って結構大事にも思えるのですよね。
 確か古いフランス映画の名作に”ボクの叔父さん”なんて有った記憶も有りますし。
 その叔父という存在が内包するのは、おそらく適度な、あるいはゆるい、ちょっと無責任な”父性”なのではないかと思えるのですよ。
 これが結構良いのでは?と。


 まあ、”父性”というものは何か?といくとこれまた難しいのですが、まあ言ってみれば”システム?社会性?お約束?不文律?フィクション?しきたり?社会的ルール?・・・・etc”

 まあ良く解かりませんがそんなものでしょう。

 おそらく古い時代はある程度大きくなった男の児って、近所の銭湯での大人の会話を小耳に挟んだり、葬式等の儀式で同じようになんとなく学んだり、時にはしかられたりと、とにかく近所のおっさん達の会話や振る舞いから色々な事を学んだり、知ったり、考えたりして成長した面が強いと思いますし、また大人も子供が聞いている、見ていることを意識して振舞っていた様に思えます。
 
 これが父親とか教師、先輩とかになると、ある種の絶対的力関係というか上下関係や責任感が有りすぎて色々難しい面も多そうですが、これがいわば他人の大人ですと適度に無責任だったりしてやさしくもできたり・・・と。

 この適度な無責任さというかやさしさというか責任感(で、場合に拠っては遊び相手にもなれたり・・・)の代表的なのがこの叔父という存在のてきとうな”父性”かな?とも想った訳です。


 少々我田引水的にはなりますが、実はバーテンダーにものめられる重要な要素のひとつがこの(叔父のような)”父性”でとは常々おもっていたりしまして・・・・。
 またスナック(広島ではスタンドともいいますが)のママさん等の本来的売り物は”母性”では無いかとも。
 (この辺がファミリーレストラン等とは違うところ)


 翻ってこの本が多量に売れているのは、こうした近所のおっさんとか親戚の叔父さんとかとの交流、そうした人たちからなんとなく学ぶ機会の減少も一因では無いかと思いましたね。


 また蛇足ながら、この本は基本的に子供向けの本、おそらく対象年齢は10台前半、小学5年生から中学生いっぱい辺りでは無いかとも思える本でした。拠って当然ながら私のようなおっさんには内容自体は少々物足りない印象も。


 ではどんな本が好みかと(あるいは高校生以上向けだとどうだ)いうと。



 最近読んだ本ではこの辺り、面白かったのですよね。


 都市と野生の思考


 「都市と野生の思想」  インターナショナル新書
 
 適度な読み易さ&対談形式が私好みで楽しかったです。


 

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2018/01
19
[ #999 ]

広重

 先日こちらも観賞て来ました。


    広重


 ひろしま美術館で開催中の 「歌川広重の世界」 展。
 
 
 またまた浮世絵。そう好きなのです。


 とはいいましても今回展示の歌川広重の保永堂版”東海道五十三次”のシリーズ、実はじっくりと愛でさせていただいたことが無かったのです。
 理由は色々と有るのですが、余りに著名すぎてなんとなく観た気になっていたのもそのひとつかもしれません。
 子供の頃に永谷園のお茶漬けの付録にこのカードが入っていましたよね?応募すればそろい物が貰えた様な記憶も・・・・。
 また単独では結構様々な浮世絵展でも展示されていたり・・・。
 それとやはり浮世絵は女絵に惹かれる面が強く、どうも風景画にはいまひとつ惹かれなかったとかと、やはり化政年間以降のベロ藍が積極的に使われだして以降の物は一寸けばけばしい印象が有ってとか・・・(等々)。
 

 そんなこんなであまりじっくりと観てはいなかった訳ですが、今回の展示がひろしま美術館に巡回してくる事を聞き及び、また他の美術館で観賞されたお客様等の評判も良く何はとまれ覗いて観る事にした訳です。

 併設展示の”根付”展も気になり。



 でその感想ですが、この保永堂版の東海道五十三次の揃い物。確かに名作の呼び声高いのも納得でした。
 特に初刷り、かつコンディション良い物ばかりの展示という事も有ったのでしょうがなるほど名作といいたくなりましたね。
 また後刷りの物や佐野喜版も展示されておりまして、その辺りも興味深かったです。
 (佐野喜版に賛としてつけられた狂歌等も魅力的です)


 また江戸の名所シリーズ等も展示されており・・・・。

 その構図などからフランス等の印象主義作家に多大な影響を与えたことで著名な名所江戸百景シリーズ。それも含め兎も角江戸時代のわが国の美しさ、良さといったものを再確認させられた気がしました。
 また作者の広重自身もそうした物=江戸や各地の風景や風情、風習やそこに生きる人々、に対する深い愛情をもった人であったでろうということが感じられる展示でした。


 その中でも特に保永堂版の五十三次は最も精魂込められたシリーズかなという印象(といいますか、東海道五十三次が売れ一躍人気絵師となり、その後は少し仕事に追われる面も有ったのかな?等と思ったり)。

 小説等でもそうですが、デビュー作あるいは出世作の魅力といった物って存在する気がしますよね。


 また蛇足ですが、東都名所シリーズの吉原の絵(鳥瞰図的三枚続きの物)の実物が観れた事も嬉しかったです。



 もうひとつの”根付”展の方はというと・・・全体的に現代作家物が多い印象でした。
 その中で個人的に魅力を感じたのは、入り口付近に展示されておりました、帯と煙草入れや印籠と一式で展示されていた物。

 やはり根付は基本的には実用品といいますか、そうした面が強い物に思えるわけでして。”用の美”といいますか、個人的にはそこに惹かれるのですよね。で、近現代の作品は美術品や作品としては面白いのですが、どうもこの”用の美”という物が・・・。
 ということで少しフィギュアっぽく感じてしまうといいますか・・・。やはり皆が和服を着ていた時代の物に惹かれましたね。

 そんな展示でした。


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