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2018/03
05
[ #1010 ]

しゃれ

 先月、”おしゃれ”という言葉はある種江戸時代後期を代表する価値観のひとつである”しゃれ(洒落)”が基ではないか・・・?等と書いた記憶が有るのですが、では江戸時代の洒落、あるいは洒落ているといった言葉、具体的にはどんな価値観や行為だったのか?等とも想ってしまうわけなのです。

 そんな事をグズグズと考えておりますと、思い出したのが以前どこかで目にした記憶のある”番付”。
 具体的には”花競 贅二編”という見立て番付ですね。

 そう江戸時代も後半になると相撲の番付に見立てて色々な番付が刷られ人気を博したようなのですが、現代に置き換えますと”何でもランキング”といった感じですかね。

 そして”花競 贅二編”の番付は言ってみれば、男がやりたい贅沢な遊びの番付といった内容で、具体的にはこんな感じです。


 
 

       番付


 この番付、相撲番付で言えば向かって右、東が”しゃれの方”となっているのです。
 因みに左、西は”いきの方”と成っています。

 で、これを観れば当時の江戸っ子の”しゃれ”の意識が想像出来るかな?なんてね。


 そして、この中で”しゃれた”贅沢遊び筆頭は伊勢の”多々馳走籠”となっております。
 これはオンシの用意する贅沢な駕篭で居たせりつくせりの伊勢参り、という事でしょう。
 因みに対応する”いきな”贅沢遊びは安芸の宮島の”七夷船廻り”となっております。

 で次が、しゃれの方が”川一丸家形船”での川遊び。
 これは当時著名な豪華屋形船、一説には贅沢にやれば一晩300両ほども掛かるとか掛からないとか。
 今で言えば、隅田川かお台場辺りの花火大会に、巨大なモーターヨット(クルーザー)で出張ってフライングデッキで銀座のクラブの綺麗どころをはべらせシャンパーニュを・・・といった具合ですかね?

 対応するいきの方が”加茂川夕涼”。
 個人的には加茂川を見下ろす(貸し)座敷で馴染みの芸妓さんや舞妓さんと・・・・・といったイメージかな。



 とまあこんな感じなのですが・・・。

 こうしてみると、しゃれの方の遊び、言ってみれば誰でも知ってるメジャーな遊び。その分ミーハーというか何と言うか・・・・。 
 似合わない奴がやると、単なるお馬鹿?といった感じになりそうですし、それなりの人がやってもちょっとね・・・・、という感じですかね?

 でいってみれば、その馬鹿を承知でやる”遊び心”これが”しゃれ(洒落)”
 あるいは”しゃれっ気”かな?


 しかしこれはこれで結構難しそうです・・・・。

 先ず、結構金が掛かりそう(まあ、その無駄使い感がしゃれなのでしょうが・・・)。
 また、一応金さえ有れば誰でも出来そうですが、下手すると単なる下品な馬鹿になりそうですし。
 これがいい感じで洒落た感を醸し出そうとすると、そうとう・・・・。

 またこの番付の下のほうに、料理の部でしゃれの方が”初松魚(カツオ)のなまりぶし”なんて有るのですが、まあこれなんて典型的な”しゃれ”に思えます。
 江戸の後期、最盛期には一本数両(今で言えば10万円以上した)初鰹。またそれは新鮮さと初物に対する対価だった訳ですが、それを敢えて”なまりぶし”にしてしまう。
 まあ、見事というか何というか。それこそ「洒落だよ、しゃれ」という言葉が聞こえそうで・・・・。


 で初鰹のなまりぶしに対するいきの方は?といいますと・・・”鉢植え茄子ノ新漬”。 
 渋いですな。

 そう洒落は遊び心(まあ程度ものという気もしますが・・・・)ですかね?ただしスマートにやれれば・・・・といった感じですかね。

 思えばファッションもそんな気がしますよね。
 スマートで一寸遊び心が感じれれるのが”おしゃれ”の基本という気も・・・・・。


 ではもう一方の”いき(粋)”という価値観は・・・・?

 これは長くなりそうなので次回にでも・・・・。







 追記

 閑話休題、この”花競 贅二編”という番付結構お気に入りなのです。

 何がって・・・・、当時の色町の名前や関連がてんこ盛りなのです。

 番付の中央、行司の部分に・・・
 ・江戸吉原・京島原・大阪新町・長崎丸山・大阪島之内・祇園新地。
 更に・品川・三国・博多・室津・鞆の浦・・・・他・宇都宮・船橋・岡崎・吉田・松戸・甲府 とありまして・・・・。

 更に本文中に・・・・、
 ・伊勢・下関・新湊・有馬・駿河・潮来・鳥羽・水戸・・・・・といった具合。

 ともかく面白いのです。


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2018/03
09
[ #1012 ]

ミュシャ展

 ひろしま美術館で開催中の「ミュシャ展」を観て来ました。


     ミュシャ展




 ミュシャの描く絵画、ポスター、イラスト、リトグラフ、或いは女性像等・・・・、好きか?と問われますと、実はちょっと苦手だったりするのです(では何故に観に行く? 笑 )。唯、彼の活躍した時代、(19)世紀末からベル・エポックと呼ばれる時代の社会風潮に興味を惹かれるといいますか、魅力を感じる面が有りいそいそと出かけた訳です。

 その展示内容或いは鑑賞した印象ですが、バランスの良い展示といいますか正統派な展示といいますか・・・・ミュシャという作家を判り易くみせていただける展示でした。
 もう少し具体的にいえば、生まれ育ったチェコ時代~ベルリン留学時代~パリでの最盛期~アメリカ滞在期~スラブ民族主義に回帰する晩年のチェコ時代、といった展示内容でそれぞれの時代の作品等を彼が係った(モデルとした)女性の紹介と共に紹介されるといったものでした。


 個人的に感じたのは、彼自身晩年に生まれ故郷に戻りスラブ民族主義的活動に向かうのですが、常に彼のベースに有ったのは生まれ育った故郷の文化や風俗等だったであろいうという事ですね。

 (後に)アール・ヌーヴォーと呼ばれる当時の流行。植物の意匠、或いはそれらを意匠化したデザインの大流行、それを代表する作家がミュシャであり彼の作品には多く植物がこれでもか?と描かれている訳です。また紐が絡まった様な独特の意匠も(こちらの方が目に付くかな?)。
 個人的な意見ですが、これらはもしかすると彼が生まれ育った東欧の刺繍や編み物の影響が強いのでは無いのか?という思いです。
 実際彼は女系家族といいますか、多くの姉妹や母親等の女性に囲まれ(そして彼女たちは当然刺繍や編み物、裁縫等を日常的におこなっていたでしょう)幼少期を過ごした訳で、これが彼の作品に与えた影響は多大ではないかと、という事ですね。
 
 そうした意味でも、ミュシャという人物を知るには良い展示という印象でしたね。




 追記

 そういえば数年前に呉市立美術館でもミュシャ展が開催った様で・・・・。
 私は行けてないのですが、行かれたお客様のお話では、色々の小物(お菓子のパッケージや箱等)の展示品が充実していたとか・・・・。もしかするとそちらの方が私好みだったかも知れません、行きそびれた事が少々悔やまれます。

 
 

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2018/03
30
[ #1014 ]

祭祀の酒のはなし 2

 前回、古代の祭祀で飲まれる酒はそれを醸す事自体に意味があり、いってみれば粥占と同様にその出来・不出来に神の意思を感じていた面が有るのでは?云々・・・・といった話を書いた記憶が有るのですが、勿論、祭祀に置ける酒にはもうひとつ、それを飲むという行為もある訳でして・・・・。

 では何故祭祀(祭り)で酒を飲むのか・・・・?等と問いかけると何だかそれ自体野暮な行為とも想われそうですが、あえて記してみますと・・・・。

  
 ひとつは神と酒を酌み交わし共に酔っ払うという事。いわば神との社交ですかね?こうした意識は当然有ったと想うのですが、社交としての飲酒、社交ツールとしての酒・・・・といった話になりますと、当然人と人との社交、そのための酒ということも考えなければならないですし、そもそも”社交”とは何ぞや?という結構面倒くさいこともやらなければならなくなりそうですので、この話は次回のテーマにするとして (笑)・・・・・。
 
 私個人としてはもうひとつ。祭祀における飲酒は実は神に近づく、或いは神と一体化するといった側面も有ったのではないかとも想う訳です(確か前回、化粧=コスメといいますが、その語源はコスモス=宇宙にあり、化粧をすることによって特に祭祀の場での化粧は、神≒宇宙・自然 と一体化するという意味が有ったのでは?ともかきましたし)が、そうした面から・・・。


 では酒を飲んで酔っ払うと神に近づけるのか・・・・・?


 個人的には、少なくとも古代の人々はそう想っていたのでは?とおいます。

 何故か?・・・・・

 酒を飲むと多くの方は酔っ払いますよね?

 では酔っ払うという行為はどういうことか?


 まあ、いわば”麻痺”ですよね?

 何処の?・・・・


 エチルアルコール、最初に麻痺させるのは、いってみれば”大脳新皮質”の様です。

 違う言い方を知れば理性とか知性とか観念とか計算とか・・・・、いわば学習等に拠って築かれた部分。
 そう、酔っ払うと、加減乗除等、計算能力が怪しくなったり・・・・。

 いわばこの状態を”ほろ酔い”なんていったり普通に酔ったといったり・・・・。


 蛇足ながら、更に進むと”大脳旧皮質”まで麻痺が広がり運動能力にまで影響が出て・・・・。ろれつが怪しくなったり、足元がふら付き千鳥足になったり、転んだり・・・・。
 まあこうなると、泥酔、或いはその一歩手前って感じですか?

 さらに酔っ払うと、体が拒否を始め吐き戻したり・・・・。こうなると完全な泥酔、泥酔いですな・・・・。

 また、強い酒をハイペースで飲みすぎたりするとここを超えて脳幹部まで麻痺が広がり・・・・、こうなると急性アルコール中毒ってやつで、生命の危険も・・・・ですね。


 ホント話が横道にそれていますが・・・・。


 閑話休題、はじめの酔っ払った状態、つまり、大脳新皮質、理性、左脳的なものが麻痺した状態。つまり理性が適度に停止し妙な発想が生まれたり、本能的になったり、子供の様になったり・・・・、これをいってみれば昔の人は、自然=つまり神に近づいた、或いは、神と一体化した、神を感じる・・・・・等々、或いはそれに近いと感じていたのでは?と想う訳ですし、また、そのために祭りで酒を飲んでいたのでは無いかと想う訳です。
 特に古代では・・・・。

 今でも、南方等で先住民的文化の名残が強い地域の祭祀の飲酒って、そうした面が残っていそうですしね。
 わが国の祭りにもそうした気配は感じたりすることも有ります・・・・・。


 では西洋(キリスト教文明等)ではどうだったのか?というと・・・・・。

 先に書いたコスメとコスモスの話ではないですが、理性の奥にある本能的部分≒神に近いという認識はやはり有ったのでは無いかと想うのですよね。


 一寸話が違うかも知れませんが・・・・・。
 
 その昔、八木重吉というクリスチャンの詩人の方がこんな詩を確か残していらっしゃり・・・・

 「おんなには こころはない  ことに若いおんなにはない かれらの肉たいは そもまんまでこころである だから男より神に近い」

 何だか女性陣からしかられそうな詩ですが・・・・。


 なんといいますかこの詩で彼がいう”こころ”は、いわば理念、理性、観念といった方が現代ではしっくり来る気がしますし、この詩でかれのいう”肉たい”は、自然とか本能とかに近い気がします・・・・。

 そして、彼が言いたかったのは、女性は男より自然に近く、故に神に近いと・・・・。
 まあ、日本人のクリスチャンの詩ですし感性ですからそれが西洋のクリスチャンに当てはまるかは疑問ですが、しかし、西洋のキリスト教の中にもやはりこれに近い感覚があった様に想われて仕方ないのですよね・・・・。


 ほんと話がとっちらかってしまっていますが・・・。


 で、話を(古代、)祭祀で飲まれる酒に戻しますと、そこで求められたのは・・・・・卜占的な意味を除くと・・・・。

 基本的には酔える酒、それも出来ればほろ酔いが長く続き悪酔いはしないのが理想ですかね、出来れば参加者全員が飲める飲み易い酒ならなお良しですかね?

 確かにネクタールとか、エリクシールとか、神話に登場する理想の酒ってこうした存在という気がしますよね・・・・。

 心地よい酔いが長く続き適度に理性を休め心を開放してくれ、新たな発想やひらめきを与えてくれ、悪酔いはしない酒。

 確かにひとつの酒の理想形という気もします・・・・・。

 相変わらず話が変な方向にいってしまいました・・・・。


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