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2018/06
05
[ #1029 ]

若冲 他

 先の日曜日福山方面にいっておりました。

 主目的はこれ、


      若冲


 ふくやま美術館で開催中の特別展 
 「若冲と京の美術」  -京都 細見コレクションの精華ー   展


 連れ合いも鑑賞てみたいといい、気候も良いので久々のタンデムです。

  
 でその展示ですが、良かったですね(ここ数年のふくやま美術館、行きたくなる特別展が多い気がします)。

 全体としては若冲展というよりは細見コレクション展といった内容で、いかにも京都というか都の趣味というか、そうした雰囲気が感じられる展示物が多く堪能させていただきました。
 (以前京都の細見美術館を訪れた際は休館日でしたので、そのリベンジが出来た気分です)
 
 前半の展示は特に都趣味というか、派手&雅というか・・・、洛中洛外図や祇園祭礼図といった屏風絵も多く展示され(ハイ、好みなのです)嬉しかったですね。またそれらの屏風絵や扇面画等に描かれた人物の構図等、後の浮世絵等にも引き継がれているというか浮世絵師達が参考にしたであろう事も想像出来、楽しかったです(そういえば、錦絵の嚆矢晴信の師匠の祐信は京都の絵師でしたしね)。

 また、同美術館で併催されておりました「日本伝統工芸中国支部展」も観させていただいたのですが、これまた良かったのです。
 特に書く受賞作が展示されております展示室のもの。陶器等迫力満点で、眼福でした(というか驚き&圧倒されました)。


 
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2018/06
08
[ #1030 ]

聖戦美術

 先日あるお客様が貸して下さった本、といいますか画集です。


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 「聖戦美術」  陸軍美術協会

 

 昭和17年に出版された非売品の画集。
 陸軍に帯同した画家たちの描いた作品を集めた画集ですね(第二弾かな?)。


 カヴァーを開くとこんな感じ・・・・。

  003_201806081026177b7.jpg



 初めに数点の題字(書)が掲載され、その次に多くの絵画(主として洋画)が掲載されています。

 因みに最初に掲載されています題字(書)及び表題の書は、松本石根陸軍大将。

 そして絵画のトップバッターは・・・・



   005.jpg

 藤田嗣治


 当時わが国の洋画界美術界の第一人者という地位にあったことが伺われます。
 また藤田嗣治氏はこうした絵画を描いたことにより戦後戦争協力者として非難を浴びた訳ですが・・・、またそれらを要因として渡欧、フランス人として生涯を閉じた訳です。


 そんな事を思いながらこの画集を捲らせていただいたわけですが・・・・、私の感想として、全体としての雰囲気、暗いのですよね。色調もそうですし、描かれている場面や対象も全体的にそう・・・。

 どう観ても、「勝った勝ったまた勝った」といった雰囲気ではないのですよね。
 果たしてこれで国民の戦意高揚に繋がるのか?というと甚だ疑問な訳です。

 (もしかすると藤田氏も、にもかかわらず戦争協力者としての非難を受けたことにより、この国の美術界に見切りをつけ渡欧となったのでは?等と思ってしまいます、やはりこの国の美術界の嫉妬体質に・・・云々・・・・)


 まあ、実際の戦場を自らの目でみた画家達がそれを描いている訳ですし、現実の戦場、特に20世紀以降の近代戦の現場って、そんな勇ましく格好の良いものでは無い訳ですから、それを画題といして描くとそんなに華々しいものにならないのはあたりまえといえばあたりまえでして・・・・。
 まあそれも含めて芸術家の視点といいますか、画家の良心(というと大げさかもしれませんが)なんて事を思ったり。
 もしかすると日本人のメンタリティー故かも知れません(”海ゆかば”だって戦意高揚に繋がる曲調と想えないと同様に)。

 兎も角この画集をながめますと、戦地で一旗挙げて・・・という気分にはなれそうも無いのですよね。

 しかしそう思うと、往時何故こんな画集が出版されたのか?
 まあ色々あるのでしょうかね。


 そう思うと実際に戦争を煽ったの、こうした画家たちのように実際に戦場に赴いた人たちでは無いのかも知れません。

 当時の新聞広告等みますと、それこそ「空爆にはキャラメルもって」の広告ではないですが、そうしたメディア、つまり、大本営発表をひたすら垂れ流した新聞とか、広告代理店、あるいは広告主だった大企業辺りが主体だった様にも思われますがどうなのでしょうね?(またその雰囲気やシステム、今現在にも行われている気も・・・・というと嫌味ですかね?)


 そんな事をおもった画集でした。

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2018/06
13
[ #1031 ]

VOL.13 土佐の高知

 先の日・月で四国の高知に行ってまいりました。

 はい、バカナリヤの恒例行事となってしまいました一泊旅行(以前にも書きましたがお客様とこうした旅行を行うのが良いのか・・・?と想う面も無い訳ではないのですがもはや完全な恒例行事、お客様との距離感は意識している心算ですし、また参加してくださる皆様もその辺り理解してくださっている様で相変わらず実施っています。そして、またこれからも出来れば続けたいとは思っております)です。


 前置きが長くなりましたが、今年は7年振りに土佐の高知を再訪。7年前に参加された方々から非常に楽しかった故出来れば再度、との声もありました故。また前回参加できなかった方からも一度高知に・・・という意見もありで。
 
 移動手段は前回同様レンタカー、運転手は当然主催者の私(これも前回同様。運転変わりましょうか?という意見も有りましたがそういう訳には参りません)。

 行程は少し変え・・・・。

 前回が、7時に東広島発~香川県で讃岐うどんの梯子~桂浜で酔鯨ショップでの買い物&観光~酔鯨酒造酒蔵見学~お座敷。2日目は自由行動&得月楼でランチ及び盆梅見学~帰広、という行程でしたが、今回は少し遅めの8時20分出発、寄り道せず昼前に高知着~解散各自自由行動、という最近のこの旅行らしいパターンです。


 因みに私は、地元の居酒屋で昼呑み兼昼食~最近出来た高知城博物館見学という行動。
 しかし一杯引っ掛けての博物館見学はちょっと失敗だったかな?集中力が・・・。
 そこで、早めに切り上げ館内のカフェでコーヒーをいただいておりますと、目の前に雨に煙る高知城天守・・・・。


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 7年前にも歩いているのですが雨に濡れた石垣も魅力的とであろうということで、酔い覚ましも兼ね?城内散策に向かいました。


 はい、雨に濡れた野趣あふれる高知城の石垣、魅力的でした(ここの石垣好きなのです)。

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 その後ホテルにチェックイン、濡れた服や靴を変え夜のお座敷に。


 会場は前回同様料亭”濱長”さま。

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 最近は恥ずかしげも無く店の名前を曝し・・・・。  笑

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 そのお座敷・・・・・、先ずは豪快な皿鉢の盛り付けに驚かされます(基本的に料理や食い物をアップする趣味は無いので写真は無しです)。

 その皿鉢料理を女将さんに取り分けてもらいつつ・・・、また芸妓さんにお酌をしてもらいつつしばらく食事&歓談。

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 その後正調土佐節の舞を観せていただき・・・・。

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 続いて高知流のお座敷遊びで楽しませていただきます。

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 前回同様楽しませていただきました(というか参加者の皆様、楽しまれていた様子で良かったです)。

 ありがとうございました。


 その後は各自自由行動。
 私はバーを一軒。
 (寝不足と体調不良で一軒が限界でした・・・・)
 (そういえば前回の高知の時も体調不良で・・・相性悪いのか・・・?)




 明けて二日目・・・・。
 同じルートを帰広も面白みが無いので、今回はドライブがてら少しばかり遊んでみました。


 先ずは・・・・・・カツオのタタキの藁焼き体験。

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 先ずはしっかり手を洗い(某レストラン副店長の指導の下・・・・?  )~
 カツオに塩を振り・・・・・。


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 良い手つきですな・・・・。



 焼きます。


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 (某日本酒BARのマスター、カメラ目線でカツオを炙るの図)


 
 後は店の方が切り分け&盛り付けして下さり、皆で美味しくいただきました。


 IMG_20180611_110711.jpg  (あれ?食い物の写真はアップしないのでは?と突っ込まない様に・・・・)


 本当に美味しかったのです、一瞬で皆のお腹に収まりましたから。



 その後、大正市場周辺散策~四万十川周辺ドライブ

 といった具合で無事時間通り、東広島に帰りつきました。


 皆様お疲れ様でした。

 &

 お世話になった高知の皆様、ありがとうございました。
 またいつか行きます。


 ということで、今回も無事終了。


 
 

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2018/06
16
[ #1032 ]

社交の酒のはなし 2

 前回、祭祀としての酒はある種擬人化された神との社交の酒、飲酒とも捕らえる事が出来るのでは?
 そしてまた社交という行為は、あえて損をする、あるいは無防備になる、負ける・・・等々というところに本質があるのでは?
 等と書きましたが、結局社交って無益な争いを避ける為の行為であり、それは信用に値する人間であることを相手に見せる行為故でしょうから・・・・。
 まあそれも行き過ぎると北米ネイティヴのポトラッチ的な方向に過激化したりする可能性もある訳ですが、それでもやはりちゃんとした”負け様”を見せる事が社交の本質という気はします。最近良く使われる”ウィンウィンの関係”もある種の信頼関係かもしれませんが、それって利益が出なくなったり分配が偏ったりすればたちまち解消されたり対立に陥ったりすることは想像に難くないですからね・・・・。


 前置きが長くなりましたが、泥酔し無防備に成るという社交スタイル以外にもいくつかの社交スタイルをもった飲酒行為というのはありそうで、今回はその辺り・・・・。


 泥酔し無防備になる、あるいは”迷惑をかける=借りを造る”といったスタイル以外にというと、まあ飲酒に限らずですが”リスクを共有する”というのも重要な社交スタイル。というか互いに信頼関係を築く上で重要な方法論にも思えます。

 例えば、朋輩同士がよく言う台詞で「昔よく一緒に悪さをしたよな・・・云々・・・」という言い回しがありますが、だいたいこれって、”一緒に良いことをした”には成らないのですよね。悪いことをして、ある種社会から叱責をうけたり、極端なことをいえば逮捕されるリスクをともに背負うというか、行うというか・・・・。
 まあそういうことですよね。

 振り返って飲酒という行為であれば、ひとつの器で廻し飲みをする、なんてのもある種そういうことな気がします。
 例えば一対一の場合、もし相手が重大な伝染性の病気に罹っている可能性は完全には否定できないわけで、もちろん大勢の場合、そのリスクは更に高まるわけでして・・・・。
 言ってみれば共に病気のリスクを背負う訳です。
 正に社交といいますか・・・・・。

 これの顕著な例は、もしかすると喫煙も知れません(勿論、喫煙という行為にはそれ以外にも色々な要素が含まれているとも思いますが・・・)。
 紫煙による健康リスクを共有するというのはいかにも社交的でしょ?(もっとも喫煙による健康に対するリスクというもの、実はメディア等で喧伝されているほど高くは無い気もしますが・・・ 笑 )
 言い換えると、相手の喫煙を許すことにより自らがリスクを引き受ける、許容するって非常に社交的といいますか大人な気がするのです?
 (そうした見方をすると最近の嫌煙権論争、自らが健康リスクを僅かでもこうむりたくないという主張、あるいはそうした感情論にも思えます。自分だけはほんの少しも健康リスクを負いたくない、ひたすら我が身大切・・・・、これじゃ社交にも何もならないですよね?)

 また、そうした面では性行為こそ究極の社交とも言えそうで・・・・。
 (最近性行為に積極的でない若者が増えているなんて話も耳にしたりしますが、ひたすら自らの(健康)リスクを避ける社会風潮に照らしあわせば、さもありなんですかね?)


 なんだか相変わらず話がずれていますが・・・・。

 唯そうした見方をすると、ある種会社の飲み会とか体育会系の飲み会で、”ワシの酒が飲めんのか~~”なんていうのはリスクの強要というか不利益の強要というか・・・、どちらにしろ社交ということからはずれている気はします。
 やはり個人が主体的に自らの意思で行わないと・・・・。



 それ以外の社交的飲酒というと・・・、思いつくのは、古代ギリシャの”シュンポリオン”。
 これがもう一つの、或いはある種洗練された社交の飲酒スタイルの代表にも思えます。


 これは現代で言えうところの”シンポジウム”の語源とも成ったといわれる飲酒行為で、皆で集まって芸術や学問、哲学等の文化的な会話を交わす祭、薄めたワインを飲むことにより、より自由な会話や議論をし、新たな視点や発想、より高度な会話にしようという行為ですね。

 そう、学術的議論等は知識が勝つというか、構造主義的に組み立てられている故どうしても固定化するというか、新たな発想が生まれにくい訳で・・・・、そこですこしアルコールを入れ、理性を少し緩めることにより、普段出来ない発想をしようというわけで・・・・。
 当然これは泥酔しては無理なわけでしょう・・・・・。


 そう泥酔しない飲酒は社交という面ではもうひとつのスタイルといいますか・・・・。

 実はBARのカウンターでの会話というものはそうした物というか、それを理想としている面は有りますよね?
 (少なくとも拙店はその心算です・・・ 笑 )

 泥酔しない社交としての飲酒=シュンポリオン的飲酒、それはある種ジャズのセッション的とも思えたり・・・・。

 そうした社交ツール・社交スタイルとしての酒ってのも良くないですか?



 かなり我田引水的ですかね?



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2018/06
23
[ #1033 ]

わかってはる

 ここのところ”しゃれ(洒落)”と”いき(粋)”は江戸っ子のメンタリティーや価値観を規定するのに重要な言葉であり、またそれに対し”すい(粋)”は往時の難波っ子の価値観を・・・・等と書いたのですが、ではもうひとつの代表的都市、京都ではどういった言葉がそれに当てはまるのか・・・・?と考えたくなりますが、これが中々思いつかないのですよね・・・・(私のような田舎者からすると解らなくて当然なのかも知れませんが、それでもやはり色々と考えてしまうのはいつもの癖でして・・・・)。

 
 もしかすると”いき”とか”すい”といった解りやすい表現、京都人には無いのかも知れません。
 確かに、いき⇔やぼ や すい⇔ぶすい といった二元論、確かに下世話というか餓鬼っぽいというか、どちらかといえばあまりやりたくない方法論ではありますしね。

 考えれば京都、1200年の都でして、そうした雅な方々といいますか公家衆の方々といいますか、そうした方々の存在がそれなりに身近に感じられたでしょう。また都ですから地方から色々な方々が上ってこられる(訪れる)訳でしょうし、そうした方々をもてなす文化といったものが煮詰められたきた街でしょう。その辺りもしかすると京都を考える上でひとつヒントになりそうな気もします。
 確か旧島原跡に”角屋もてなし博物館”という私好みの(笑)建物(揚屋建築)も存在しますしね。
 (そういえば最近”もてなし”に接頭語の”お”を付けて”おもてなし”なんて言葉が矢鱈とTV等で使われる気がするのですが、どうも気持ち悪いというか・・・・。)

 
 いわば、公家さんとかそうした方々を日々もてなす中で成立して来たのが、ある種京都文化の一つの側面という気がします。
 日本式の接客文化って、突き詰めると京都式という気もしますしねぇ・・・。

 そうした中である種の大人なやり方というか方法論が確立されたのでしょう・・・。

 ではそれはどういうものか?というと・・・・。
 それは自己主張しすぎないというか、気配を消すというか・・・そんな物な気がします。

 そう、接客とかもてなしって”いかにも”もてなしています、というのはやはりちょっと違うといいますか。

 例えばチェーンの飲食店などで、矢鱈と大きな声で「OO名さまご来店~」とか「OOオーダーはいります~~」とははっきり言って煩いだけで・・・・・。
 まあそれは極端な例でしょうが、基本的に、いかにももてなししてますって雰囲気を相手に感じさせるのはやはりいかがなものかと・・・。それって結局、自分たちが”もてなしています”という自己主張でしかないわけでしょうし。
 (それこそ京都風にいうと、”お下品やわぁ~”と成りそうで・・・笑 。まあ、逆にこんな言葉が出たりするので大阪人は京都人が嫌いなのかも知れませんが・・・ 笑 )

 そう、昔ながらの良い接客って、やはり接客する側が気配を消しているというか、出しゃばり過ぎないといいますか。
 いい料亭や旅館の仲居さんなんてそうですよね、気配は感じさせないのにさりげなくかゆいところに手が届くといいますか。何かよくわからないけど気持ちよかった印象が残るというか・・・・。


 そういえばここ最近といいますかバブルの頃からか?解り易いのが全てといいますか、兎にも角にも解り易さを求めたり、それを良しとする風潮が強いですが、いってみれば、解り易いってのはやはり餓鬼っぽいのですよね・・・・・。

 
 等と考えますと、京都風、それはある種”自己主張しないことを自己主張する”といいますか・・・・、何か禅問答みたいですが・・・・。
 もう少し具体的に言えば、ほのめかしといいますか、遠まわしといいますか、直接的で無いといいますか・・・。あるいは両義的といいますか・・・・。
 まあ複雑ですよね・・・・。

 で、そうしたほのめかし的だったり遠まわし的ないいまわしを察することができ、またそれ故にストレートな言い方もしない・・・。
 でも、それらを解るというのが京都人的なのかも・・・・。

 それこそ、”わかってはる”と・・・・。

 何を・・・・といわれると・・・・、これまた私の様な田舎者には ???????  な感じですが・・・・。


 それこそ”ぶぶずけだしましょか?”的な世界?

 でわかってないひと(よそさん)には一寸いけずに思えたり・・・・。

 でもまあ確かにそれが大人ともいえそうですし、日本的ともいえそうですし、成熟ともいえそうですし・・・・・。

 ほんと、田舎もんの勝手な戯言ですが・・・・。


  

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