2010/04
17
[ #161 ]

 雑考32  蔦重

 以前に書いた事も有りますが、浮世絵という物に少々興味を惹かれます。

 とはいっても、そこは場末の貧乏バーテンダー、本物の浮世絵をコレクション等出来よう筈もなく、たまに美術館に足を運んだり、暇な時に画集を眺めたりするのがせいぜいなのですが・・・。
 そうして画集を眺めたりしている時に、やたらと気になる人物が一人。それが、”蔦重”こと”初代蔦屋重三郎”なのです。



 いったい蔦重は何をしたのか?、あるいは何をなそうとしていたのか?そこに興味を引かれる私なのです・・・。


 蔦重が何をなそうとしていたのか・・・?私なりに考えてみますと・・・。
 写楽がそのヒントになるのでは?と想えます。


 写楽に関しては時代小説等でも散々描かれており、私の様な素人がいうことでも無い気がしますが・・・。
 ただ、そうした小説等は・・・”写楽は誰か?”といった視点で描かれている物が多い気がします。しかし、私が想うのは、”写楽”は単にブランド名(企画名)では無いのかな?という事。

 どういう事かといいますと、一連の写楽の作品群は写楽という人間が描いた作品群と言うよりは、写楽の印の付いた作品群で、実はそれこそが蔦重の為したかった事ではないかと想う訳です。
 つまり・・・、企画・蔦屋重三郎、制作販売・耕書堂、”写楽画”印の役者似顔絵揃・・。 という事では?と・・・。
 今風に言えば、プロデュース・蔦重、制作・耕書堂、写楽画ブランド、役者絵シリーズというか・・・。

 しかしそうなると、此処に浮世絵師の名前は無いですよね・・・。あるいは存在感が薄いというか・・・。実はそこが、蔦重の詐術というか、成したかった事では・・・?と想う訳です。

 浮世絵を浮世絵師の力で売るのでは無く、企画によって売る形に変えたかったのでは・・・、と想う訳です。

 唯その結果、浮世絵師の存在は単なる下絵師、下絵業者となる可能性が高くなります・・・。だからこそ、この時期からそれが感じ取った歌麿が、蔦重から距離をとり始めたのでは・・・?等とも想う訳です。


 現実には蔦重、その数年後には死んでしまうのですが、化政期より後の浮世絵は企画物の大量販売の時代となりますよね・・・。東海道五十三次とか、富嶽百景とか・・・。勿論その時期でも、腕のある浮世絵師の作品は名前が残っていますが、浮世絵自体が大量消費される商品となったのも確かな気がします・・・。
 (何だか1970年代末から80年代にかけて、”読んでから観るか?観てから読むか”のキャッチフレーズで、出版と映画のコラボを成し遂げ、映画を監督名ではなくブランドで売ろうとした方ともイメージが一寸重なる様な・・・)

 勿論それが良いとか、悪いとかという気は有りません。漫画だって非常に趣味的、同人誌的だった物が週刊誌の登場により、底辺、マーケットが拡がり今日のマンガ文化を築けたのでしょうから・・・。

 ただ蔦重、彼なりに浮世絵に対する思い入れも有ったのでしょうが、やはり浮世絵を商売の道具、金儲けの道具としてのみ観ていた面が強いのでは無いかという気がします。そういった面でも非常に現代的というか、今のメディア人っぽい印象を持ってしまう私です。
 それと同時に200年も時代を先取りしていた蔦重に、また蔦重の活躍した時代にやはり興味を引かれる私です。




 追記。 所詮、素人の戯言ですので笑って聞き流して頂ければ幸いです・・・。

 ますた

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