2010/06
06
[ #179 ]

 雑考35 鯨

 ”鯨”と聞いて、”たまには食べたいな”と想うのは、私がやはり日本人だからでしょうか・・・?
 というよりも私が育った時代、田舎町で最も手に入り易く、かつ安価であった動物性蛋白質が鯨肉でしたので、それを食べて(学校給食でもしばしば出ました)育った故の懐かしさなのでしょう・・・。

 昨今では捕鯨反対主義者の方からお叱りを受けそうですが・・・。



 

しかしこの捕鯨反対主義、違和感が拭えません・・・。

 何故なのか・・・。

 この捕鯨反対論、他に食べ物のはいくらでもあるのに、何故、可愛らしく知的な鯨や海豚を殺して食べなければいけないのか?残酷だ、といった主張だった気がします。
 しかしこの、可愛い、可愛くないは主観の問題ですよね。言い換えれば感情の問題。感情論の議論はその時点で不毛だと想うのですが・・・。

 それに元来人間という存在。他の動物の命を奪い、その肉を食さ無ければ生きて行けない残酷な存在ですよね。
 果たして牛、豚、鳥、等の動物を殺して食べているという自分達の残酷さ、罪の意識を、鯨を可愛がる事や捕鯨を禁止する事で贖罪出来るのでしょうか・・・?

 そうした意見もあるせいか最近では、捕鯨反対=環境保護 といった論調で語られる事も多くなった気もしますが、この”環境にやさしく”といった言い回しも違和感が拭えません。(自然破壊に賛成する心算は毛頭無いですが)

 何故なのか・・・?

 ”環境にやさしく”と言えるという事は、やさしくしない事も出来る事と同義のような気がします。
 それって、自分達が自然の保護者的立場にあるという意識を感じるのです。今風の言い方をすれば、自然環境に対する”上から目線”といいますか、自然のペット化意識といいますか・・・。
 (人類は、唯一、神が、自らに似せて創った特別な生き物であるから、他の生物、自然、等を、管理、指導、保護・・等、する立場にある。或いはその権利が有るって事なのでしょうか・・・?)
 何となく、自分のペットは溺愛するにも拘らず、他者には徹底して残酷、攻撃的になるといった人々の行動に近い気もします。

 これって、選民思想、或いは肥大した自己愛と表現しても良い気がするのです。
 この見え隠れする、選民意識、自己愛の強さが違和感の正体かも知れません。

 元来人間は”自然に生かされている”といった意識と共に生きてきた気がするのですが、それは自然を人間よりも上に置き、畏怖、畏敬する意識ですよね?またそこから自然との調和こそを良しとする思想も在ったと想いますし、そのほうが当たり前ですよね。
 
 尤も、ではあなたはどれほど自然に優しく生きているのですか?と突っ込まれると、返す言葉も無いのですが・・・。


 ただ一つ。食事の前には手を合わせ、”いただきます”とつぶやきます。
 食事は、私のために死んでくれた、動植物の命を”いただき”自分の血肉にする行為なのでしょうから・・・。
 それ故”いただきます”の言葉は、供養と鎮魂の言葉にもなるのでしょうから・・・・。

 相変わらずの戯言です。

 ますた
 


 追記

 尤もこの反捕鯨運動、ベトナム戦争や植民地侵略等における白人の有色人種に対する非人道的行為について国際世論が盛り上がりつつ有る事に対し、その目先を変えるために造られたムーブメントという話も有りますが・・・。

 

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