2011/01
24
[ #261 ]

雑考50  エス

 ごく最近はあまり耳にしなくなりましたが、1~2年程前にはやたらと、「どエス⇔どエム」等という言い回しが耳に付いた記憶があります。


 尤もこの「どエス⇔どエム」の二元論以外にも、こうした言い方は多い気もしますが・・・。
 例えば、「草食系⇔肉食系」であったり、「勝ち組⇔負け組」、「根アカ⇔根クラ」、「まる金⇔まるビ」、等々幾らでも出てきそうです。
 もしかすると昨今の日本人、こうした言い回しが大好きなのかも知れません。
 (尤も私は外国語が全くの苦手な者で、外国人にこうした事が有るかは解りませんが・・・)

 閑話休題この「どエス⇔どエム」・・・、多用されていましたが、ここでの”エス”とか”エム”、実際どういう事なのか・・・。
 本当のところ皆さん、どういった意味で使われていたのでしょう・・・。
 嗜虐的⇔被虐的・・・。まあそれはそれで良いのかも知れませんが・・・。

 ちょっと歴史も踏まえ考えてみたくなります・・・。


 ここで言う”どエス”の”S”・・・。18世紀の貴族マルキ・ド・サド侯爵の、サドの頭文字、Sですよね・・。
 彼の著した”悪徳の栄え”等がこの言葉の流行の発端になっているのでしょう・・・。

 ではサド侯爵、何故そんな本を書いたのか、あるいは何が言いたかったのか?そうして”S”なる言葉、どう捕らえるべきか?

 確か以前タレント?の”みうらじゅん”氏が何処かのコラムで、”SMのSはサービスのS”と書いていらっしゃったのを読んだ覚えがあります。しかし現実にサービス業(接客業?飲食業?)で口を汚させていただいている私としては、少々物足りない気もするのです。


 そこでサド侯爵の生きた18世紀のヨーロッパ、あるいはヨーロッパの歴史の大まかな流れ・・・。

 もともと人々にとって何が正しい事なのか・・・。
 原初の時代、それは慣習とか、習慣に拠って規定されていたと想われます。”お約束”といっても良いかも知れません。それらの慣習、人々が暮らす地域の自然環境や生活様式等々に拠り、長い時間の中で自然発生的に、あるいは熟成され成立していた様に思えます。

 その後文明の発生を経て、異なった慣習をもった人々の接触が始まり、混ざり合った生活が始まる。あるいは異なった習慣を持った人々を内包した統一国家が誕生してくる。
 この統一国家を成立するために必要とされた価値観(それは、何が正しいかを規定する)。その一つが貨幣であり、さらに一つが宗教(一神教)(聖書)だったのでしょう。


 そしてヨーロッパでは3世紀のローマのキリスト教の国教化以降、このキリスト教の力が強くなる。
 尤も中世ヨーロッパに於いては都市国家として、割と小さな単位にて自治が成立していたため、現実には領主(貴族)がその地域の慣習に従い自治を行っていた面も強いと想われます。

 しかし時間と供に、領主の力よりもキリスト教の力が強くなる。またそうした中で教会も腐敗する・・・。


 前置きが長くなりましたが、サド侯爵が為したかった事(それは有る面無意識的かも知れませんが)。
 それは・・・、世の中の何が正しいのかは、教会に決めてもらわなくても良い。地方領主の責任に於いて自らが決めてやる・・・、って事ではなかったのか?という事です。
 この領主の責任感。(これは日本の地方領主や殿様、庄屋等々にも求められた気がします。)
 
 つまり私としては”S”の言葉を日本的解釈をするのであれば、この地方領主に求められた様な”責任感”と訳したい訳です・・・。サービスのSでは無く責任者のS。(そして無責任のM?)



 詰らない事を長々と書きましたが、こんな事を書くとマスターはSなのですか?Mなのですか?等と聞かれそうです・・・。

 私自身プライベートでは全くのノーマルだと想っています。何せ所詮は自分基準ですから 笑 。
 あるいはS的な面もM的な面もあると思っています(そんな物でしょう・・・)。
 
 ただ店のカウンター内に立つ時は意識して、S的であろうと想っています。

 だってバカナリヤにおいては、私が店の責任者(Sekininsya)ですし、店の主人(Syuzin)ですし。カウンターで交わされる会話の審判役(Sinpan)、指揮者(Sikisya)、支配者(Sihaisya)に成らなければいけない事も在りますし。出来れば責任感(Sekinin)を持って、接客(Sekkyaku)、サービス(Service)が出来ればと想いますから・・・。

 ちょっとくどかったですね・・・・。



 くどいついでに・・・・。
 ”エス”の言葉で思い出す物がもう一つ。

 それが、この映画。

  es

 1971年にスタンフォード大学で行われた心理学実験を基に作られた映画です(監獄実験とも呼ばれた実験です)。

 人間が環境や肩書き、立場によっていかに変わるか、残酷に成りうるかを実感させられる意味深で怖い映画です。
 責任感の無い立場、逆に責任と言う言葉が言い訳になった時の怖さを感じる映画です(”しつけ”という名の虐待とか・・・?)。
 一見の価値有り・・・かな?

 ほんと、くどく成りました。

 ますた      

スポンサーサイト

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

面白いですよ
面白く、読ませていただいてますよ。
フランス大革命の際に、マルキ・ド・サドがバスティーユ監獄の窓から群衆を煽り、監獄襲撃が成功したと読んだことがあります。
一応は王権と教会に対立する革命派だったようですね。

15時すぎに もうすぐ北風 さんから

2011/01/24(月) | URL | #-

2011/01/24 - ■■■

 もうすぐ北風様、お優しいコメント有難う御座います。
 言いたい放題のブログ(逆に、顔を晒してのブログ故、余り過激な事も書けないのも事実)ですが、これからも宜しくお願いいたします。

11時すぎに ますた さんから

2011/01/25(火) | URL | #-

2011/01/25 - ■■■

COMMENT:

SECRET: (管理者だけに表示を許可する場合)
 
トラックバックURL :