2011/02
08
[ #264 ]

雑考51  スポーツ

 「マスターは色々とスポーツをされるのですね?」等と、お客様に言われる事があります。
 しかし私自身としては自分に対しそうした認識を持ってはなくて、「そんな事は有りませんよ」と答えるのです・・・・。
 こうした事が有る故か「スポーツ」とは何ぞや?等と少し考えてみたくなります。


 


 そこで”sport”の綴りを英和辞書で引いてみますと、初めに”スポーツ”と書いてあったり・・・。
 もはや完全に日本語と化しているのかも知れません・・・。と言うより、ドイツ語であろうがスペイン語であろうが、”スポーツ”は”sport(s)”の様です。
 詰まりは英国の”スポーツ”の概念が世界に拡がったという事なのでしょう。
 (基はフランス語の”disport”=気晴らしが語源の様ですが、現代のスポーツのイメージはそれだけに留まらない気がします・・・)


 そこで思い出すのが・・・・。
 現在世界で最も競技人口が多いと想えるスポーツ・・・、サッカー(フットボール)。
 これも英国圏発祥と言われていますが・・・、その非常に古典的な姿の競技が今でも残っているというのを、以前、何処かのTV番組で視た記憶があります。


 その競技、アッシュボーンの「ロイヤル・シュローブタイド」。

 この「ロイヤル・シュローブタイド」、競技では無く祭りじゃないか・・・。と言われそうなのですが、スポーツの原点を感じさせてくれる気がするのです。

 どの様な物かといいますと・・・、
 復活祭辺りの2日間、村の中で川の上流地域と下流地域に住む男達がそれぞれのチームに分かれ、村の中央広場に投げ込まれた1つのボールをいかに自分達の村に有る”マト”に迄運べるか・・、という競技です。
 ルールらしいルールは無く。あるのは・殺すな・ボールを隠すな・教会に立ち入るなの3つ位。そして日没の定まった時間に決着が付かないときは、引き分けとなるという事。

 2日間行われるので2戦有る訳ですが・・・・。その結果片方の地区が2勝する事は、まず無いらしいという事。
 (そういえば隠岐の古典相撲も、2戦して常に1勝1敗とか)

 これはドウいう事か・・・・?

 つまりは勝つ事自体にそれ程重きを置いてないのでは?と私には想われるのです。
 では参加者は何に重きを置いているのか?
 それは証明する事では?・・・と。
 何を・・・?
 恐らくは、自分が卑怯者ではない事(男らしい事、信用できる人間である事)を・・・。
 誰に・・・?
 先ずは対戦相手に、そして仲間に、更に、視ているであろう神々(天)に・・・。また観客に・・・。

 
 では何故こんな事をする必要が有るのか・・・。


 恐らく多くの場所・文化圏に於いて、隣り合う村・地域って、常に争いの危機を孕んでいる気がします。土地の境界の事にしろ何にしろ・・・。
 そこでお互いが信用できる男である事を証明しあう事により、普段の無益な争いを減じる事が出来る故ではないのかと・・・、少なくとも私はそう考えます。


 こう考えると日本各地の祭り・・・。特に”博多の山笠”とか”岸和田のダンジリ”とか、各地にある”大綱引き””けんか祭り”等にも共通の物を感じる気がします。
 勝利を目指すが、それが最終目的では無いという事。

 実利よりも、卑怯者でない事の証明の方が重要で有るという事。
 詰まりは実利(勝利、土地、金、等々)の為に、卑怯なまねをしない人間である事。

 言い換えれば古典的スポーツとは、地域同士の”社交”で有ったのではないかと想う訳です。


 その後英国は、100年戦争を経て地域領主(貴族)の力が強くなるのでしょうが、地域の代表で有る貴族同士の社交が個人競技(古典的の個人スポーツ)に成ったのでは無いか・・・、とも。

 例えば今、人気のゴルフ。
 社交で有るからドレスコードが有る(社交パーティー結婚式等に、ジーンズ&Tシャツは無いですよね)。 また、勝利自体が目的では無いから、ハンディキャップが存在する。
 互いに信用出来る事が前提故スコア等も自己申告だし、審判も要らない。
 等々・・・。
  
 更に其処から、地域領主に代わって選手が出るような事にもなる。
 近代オリムピックも、国という地域同士の社交として考えられたのでしょう(それにより、戦争を防ごうとした)。だからこそ”参加する事に意義が有る”というフレーズが成立する。

 有る面、大相撲だってそうした面がある様に思えます。地域の代表であるから四股名が、~~山とか、~~海・・・、と成る・・・。高校野球が人気であったのもそうした理由に寄る物でしょう。


 しかし今のスポーツはそうした面からかなり外れていますよね。

 現代のスポーツ・・・。
 いったい何時頃から現代的スポーツが登場するのか。
 やはり、19世紀ではないかと想えます。
 
 この時期に何が起こったのか・・・・。

 象徴的なのは万国博覧会の開催・・・。特に3度のパリ万博。

 これにより全ての物が”ショー・ビジネス”(金儲けの見世物)の対象になる事が、証明され・・・。
 工業製品であれスポーツであれ、世界各地の風景であれ(旅行会社の成立もこの頃では?)、さらには未開人、商品・・・・。
 どんな物であれ、見世物にしたて金儲けの対象に出来る事が証明され・・・。


 特にスポーツはこの頃からショー化した気がします。そしてそれを支えたのは、当時は、大衆紙、後に、ラジオ、そしてテレビ・・・・。

 恐らくマスコミ(の発達)が古典的(社交であった)スポーツを、現代的(ショーとしての)スポーツに変えてしまったのでしょう。
 オリムピックだって1984のロサンゼルス以降、完全にマスコミ(放映権主導)のショーになった気がします。だからこそ、先の冬季大会の服装問題なんて事になる(フリースタイルスキーは、アメリカでの放映権料の為導入されたのでしょうから)。
 
 大相撲にしろ、明治期の某新聞の勝ち負け重視の報道から興行的に見られる面が強くなり、更に戦後、某国営放送の都合により仕切り時間(ルール)を変えてしまった時点で、ショーとしてのスポーツの道に踏み出したのでしょうし・・・・。


 何だか色々とまとまりの無い事を書きましたが・・・。
 ”スポーツ”。社交の面も有り、ショー・ビジネスとして行われている面も有り、又、運動、身体鍛錬、レジャー、余暇の暇つぶし、遊び、気晴らし、・・・。
 兎に角多くの位相を内包しているのは事実でしょう(3S政策の一つという見方も・・・)。
 その辺り多面的解釈をもう一度しても良い様に想えます。
 というより、多面的解釈をした方がより楽しめる気がします・・・。


 ますた
  

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