2011/03
07
[ #270 ]

雑考52  付け馬

 ”付け馬(付き馬)”何て言葉も、もはや廃語(死語)なのでしょうね。今では落語の廓話で耳にする位。
 (春風亭柳好の付け馬なんて一寸好きです・・・。)


 尤もこの”廓”何て言葉も廃語に近いかも知れません。
 (因みに付け馬とは、時代に拠って多少意味合いが変わるかも知れませんが、遊行費の不足分、ツケ等を取り立てる為にお客様に同伴する人、あるいはそうした行為。)

 ではいったい何時頃まで”付け馬”何て言葉が一般的に使われていたのか?

 はっきりした事は判らないのですが(今でも使われる方は使われるでしょうし)、1975年(昭和40)頃までは一般に使われていたのではないかと想っております。
 この頃まではサラリーマン向けの4コマ漫画等で、年末になると”付け馬”をテーマにした物が風物詩の様に描かれていたように想われる為です。

 では何故この頃から減って行ったのか?

 確か3億円事件が発生したのが1968年、その後サラリーマンの給与が銀行振り込みに移行して行ったのが最大要因では無いかと想います。またその後のクレジットカードの普及も更にそれを進めた様にも・・・。
(尤も、日本に国際クレジットカードが登場したのは、事件より前だった記憶もあります)


 何が言いたいかというと、この頃まではそれなりの店では、盆暮れ払いが当たり前に有ったという事。
 尤も居酒屋や飯屋等、不特定多数の人間が出入りする場所では現金払いが当然でしょうが。食い物や酒そのものを商うのでは無く”遊び”といった抽象的な物を売る場所では、盆暮れ払いが結構あったのではないかと思われる事です。

 盆暮れ払いですから店側とお客様の間にそれだけの付き合い、信頼関係が有ったらしいと思えること。
 それ故、今では京都のお茶屋さんの特徴的に言われる”一見さんお断り”といった空気が、そうした場所では結構当たり前ではなかったのか想われます。


 では何故そうした店(お茶屋さんや、高級料亭、高級クラブ等)では盆暮れ払いにしていたのか?
 恐らく一つはお客様を信頼しているという査証(サイン)として、もう一つは目の前でお金の話をするのははしたない、といった感覚の所為では無いかと想います。


 ではバカナリヤはドウなのですか?と聞かれますと、拙店は不特定多数の方が出入りされるお店なので、ツケはお断り致しております。またカードも一応使えますがお勧めはしておりません。


 何故か?

 盆暮れ払いの話とは視点が異なるのですが、バーで酒を楽しむとか外食をするといった行為。それは有る面遊びの要素が強いのではと想うのです。
 言い換えれば、ある種の蕩尽であるという事。
 詰まり無駄使いであるという事。
 普段の生活(ケの場)に於いては稼ぐ事・貯める事が”良”とされますが、遊び(ハレの場)では、逆に蕩尽(無駄使い)が”良”では無いのか?と想う故です。


 どちらにしろお客様の前でお金の話を口にしないと言うのも。逆にあえて現金を払う行為をするという事も、それは貨幣の持つある種の呪術性を皆が認識していたという事(無意識的であったとしても)ではないかと想うのです。

 そして給与の銀行振り込みの一般化やクレジットカードの普及(更に最近では電子マネーなんて事も耳にしますが)、それらが貨幣の呪術性、詰まり貨幣の持つある種の”汚さ”や、”醜さ””違和感”といった物を薄め、意識させなくさせて来たのでは?と感じるのです。

 どちらが良いのかは判りません。
 しかし私としては人類が貨幣経済を始めて以降恐らくは感じたで有ろう貨幣に対する想いや、それ故に出来た慣習といった物をたまには想像してみたいとは想います。

 それ故に他店に飲みに行くときは、いつもニコニコ現金払い。
 それが遊び(蕩尽)の楽しさの一つだと想います故・・・。

 どちらにしろ貨幣という物の意味、たまには考えてみたいと想います。

 ますた

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