2011/04
16
[ #280 ]

雑考54  江戸

 ここ10年程前から”江戸”、或いは”江戸文化”といった物を見直そうという空気が強くなっている様に想えます。

 そういう私自身も確かに”江戸”という存在に惹かれます。

 


 確か子供の頃には学校で”江戸時代は身分差別が厳しく、5人組等の相互監視も行われ、村八分なども有り、自由の無い、言ってみれば日本史の暗黒時代・・・”といった内容で教育された覚えが有ります。

 しかし有る程度年齢を重ね浮世絵等に魅力を感ずる様に成りますと、この江戸という時代に惹きつけられる自分を観じます。

 では江戸の魅力とは何なのでしょう・・・。


 表現の仕方は色々とあると想いますが、江戸末期(から明治初期に架けて)に日本を訪れた外国人の言葉を借りますと。

 例えば・・・。

 「この国に貧乏は存在するが貧困は存在しない」

 「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう 大それた欲望を持たず 競争もせず 慎ましやかな満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てる事を知っているのだろう」

 「金持ちは高ぶらず 貧乏人は卑下しない。本物の平等精神、我々はみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々にまで浸透している」

 (この辺り、以前アップした、逝きし世の面影、という本に詳しいです)


 素晴らしい社会ですよね。
 
 何故このような社会が成立したのか?(勿論、良い事ばかりでは無かったかも知れませんが)

 
 結局当時の日本。日本列島にもたらされる自然の恵み、詰まりは太陽や大地、其処から生み出される作物や海の恵み・・・。それによって生かされている事を、人々が身体感覚として判っていた事に拠る気がします。

 そして日本というある種閉じた空間において(地球だって閉じているのですが)、お互いが社会を出来る限り居心地の良い空間にしようとしていた事。
 言い換えれば、哺乳動物の動物の従うべき掟、詰まり自然の摂理に外れない方法で文化、文明を築いていた事。

 結局それは、不要な争い・無益な争いをしない事を良しとする事。争いの作法を知っていた事。


 殆どの哺乳類は縄張り争いにしても、相手を殺すまではしない筈です。
 食物を得るための縄張り争いに命は賭けない・・・。(それをするくらいならよその場所に行く)
 群れの中で順位付けの戦いはするが、それは結果として争いを減じ、調和をもたらす・・・。
 等々・・・。

 つまりは生き物として自然であった事・・・。

 この辺りに理由が有る気がします。


 先日の震災に来ていた外国人記者もこの国の人々の素晴らしさを伝えていました。またその理由としてこの国の人々が、楽天的運命論者である事、またそれは自然に生かされているという認識から生まれている。といった意の事を伝えておりましたが、そういう事だと想います。


 その後、明治維新~敗戦~バブル・・・と日本はひたすらアメリカ(プロテスタント)化し現在に至ったのでしょうが、それは生活する事が、調和から競争への変化したともいえる気がします。

 そして現在、その不自然さに人々が限界を、辛さを感じ始めたからこそ江戸を見直す動きが増えている気がします。


 こういう言い方も出来るかも知れません。

 不自然なもの・・・・、詰まりは人間がご都合主義で作り出したもの・・・・。それらに縛られても仕方ない気がします。自縄自縛ですものね・・・・。

 またこういう言い方も・・・・。現代はそれまでの多様な価値観(忠、義、孝、優、鎮魂、調和・・・等々)を唯一つの尺度(経済)でしか計れなくしてしまった。それはやはり薄っぺらいのでは?と・・・。


 何だか愚痴ばかりになりましたが、しかし確かに今一度、江戸の文化の良さを見直す時期に来ているのかも知れません。

 ”新党江戸”何て出来ると、一票入れたいかな(笑)。

 ますた

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