2011/04
23
[ #281 ]

善松漂流記

         善松漂流記

 善松漂流記  2000・04  ジャンル 郷土史

 


 江戸時代に海難事故に遭遇し漂流、その後アメリカ船に助けられ帰国を果たした人物というとジョン=万次郎、こと中濱萬次郎が先ず思い浮かびますが、この冊子に取り上げられている、平原善松もそうした人です。

 ジョン=万次郎が難したのが1841年(天保12年)、帰国が1851(嘉永4)。その後幕府にも重用され、今では幕末の重要人物、著名人の一人として名を連ねておりますが、それに比し平原善松は知る人ぞ知る、といった存在かも知れません。

 といいますか、ジョン=万次郎の方が特異な例なのかも知れません。


 17世紀半ば頃に河村瑞賢が、東、西廻り航路を確立以降、商品経済の発達、江戸の発展等に伴い廻船も増加し、それにより、各廻船間の競争等も増すに従い海難事故が増えた事は想像に難くありません。
 そしてその多くの遭難者の中には、異国に漂着したり異国船に救助されたりする船員も、僅かではありますが存在したようです。

 平原善松もその一人。

 安芸の国、豊田郡木谷浦(現、東広島市安芸津町木谷)の人で、1806年(文化3)年に遭難し、アメリカの船に救助されハワイ、マカオ、ジャワ島を経て、翌年日本に帰着した人です。

 恐らくハワイに上陸した初の日本人の一人ではないかと想われます。

 ジョン=万次郎の遭難よりも約35年前の遭難・・・。

 この時代、タイミングが彼の様な存在を生んだのかも知れないとも想われます。

 18世紀末から19世紀初頭にかけ、アメリカ船が捕鯨等で日本近海を航行する事が多くなった時代。
 またイギリス、オランダ、ロシア、フランス等が、海外の通商、貿易等に力を入れていた時代。
 ナポレオンが台等した時代(その影響もあり、オランダ船が長崎に来れなかった時期もあったと想います)。
 そして当然、鎖国の時代。また1825年の異国船打払令よりは前・・・・・。

 それら多くの事が善松の運命に何がしかの影響を与えたのは確かな気がします。


 因みにこの冊子、その善松が帰国したおりの「取調調書」を筆記したもの、及び彼らが漂流してからの国元の様子の事。また、その数年後に起こった川尻村(現呉市川尻町)出身の久蔵の遭難と帰国のことの要約、等々がまとめられた冊子です。

 
 瀬戸内に廻船業や船乗りが多かった事が想像出来ますし、当たり前ですが海が海外まで繋がっている事や、江戸後期の雰囲気等にも、私としては想像が拡がる冊子です。

 ますた

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