2011/06
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[ #297 ]

落語にみる江戸の酒文化  宮田登 他

                落語にみる江戸の酒文化

 落語にみる江戸の酒文化  旅の文化研究所 編  1998・04  河出書房新社
 ジャンル 酒・日本文化

  

 この本、シリーズ物の内の1冊で他に ”落語にみる日本の旅文化”とか ”~江戸の性文化” ”~~悪文化” なんて物が有ります。その中で私が選ぶのは、職業柄やはりこれ、酒文化編ですね・・・。

 内容は色々の方の著述により江戸の酒文化を考察するといった物ですが、私としては”落語にみる江戸の酒文化”というより、”落語と酒からみる江戸文化”といった内容に想えます。

 江戸文化・・・・。
 色々の捕らえ方は有ると思いますが・・・。
 例えば武士の文化とか、江戸時代の庶民文化とか・・・・。
 私が想うにこの本は、”江戸文化=江戸と言う都市の文化”という捕らえ方をしている様に想えます。
 当時世界最多の人口を誇った、江戸という都市の住民が生み出した文化・・・。

 何故そう感じたか?少しばかり内容に付いて書いてみますと・・・。


 それまで(江戸が隆盛するまで)の飲酒は、村全体でハレの日に行う行為であった。村祭り等の日に村全体で飲酒・泥酔し、向こう側に近づく行為であった。
 向こう側?
 言い換えれば・・・、一寸難しいですが・・・。
 あの世、彼岸、死んでから行く場所、鬼の世界、神の空間、死者の世界、山、森、地面の下、海の中・・・。そんなところ・・・。
 そしてそれは、村人共通のハレの日に行われた・・・。

 そこで、江戸という都市。
 全国から色々な人間が寄り集まり成立した場所=都会。
 其処ではハレの日も、人それぞれに異なる場合が多くなる。詰まりはハレの日の個人化が起こる。それに伴い飲酒の個人化も起こる。

 そこで何が起こるのか・・・?

 村全体での飲酒の場合、泥酔する事が可笑しくない(或いは泥酔すべき)。しかし個人(都市)での飲酒の場合、泥酔は”見っとも無い”。
 だって飲んでる個人としては”ハレ”でも、一歩外に出れば其処には、日常の生活”ケ”の人々が溢れていますから・・・。

 そこで泥酔しない飲み方が良しとなる。
 言い換えればハレの個人化・飲酒の個人化は、同時に制御されたハレ制御された飲酒を生みだした。

 個人の意思の力で”ハレ”あるいは感情を制御する事を良しとする。またそれが出来る人、そうした状態。これを”粋(イキ)”と呼ぶ文化。
 つまりは、江戸文化=都市文化=粋の文化である。という事。
 そうした内容に想えます。


 ここで、私が想うのは・・・。
 一人飲み。泥酔しない飲み。他者の存在に気を配れる、適度な距離感を保てる飲み。またそれらを良しとする空間。
 これって、バーのカウンターに近いですよね。
 この辺りが私がこの本に(あるいは江戸に)引かれた理由の一つかも知れません。
 バー文化=都市文化=江戸文化=粋の文化・・・・。一寸手前味噌ですか?


 閑話休題、もう一つ落語から見た場合は・・・。

 落語に出てくる酒飲みって、これが結構泥酔している人が多いですよね。(らくだ)とか。
 商売柄ちょっと身にツマサレルと言いますか、聞いていて辛さを感じる事も・・・(風邪うどんの酔っ払いとか)。
 これはどういう事か?
 制御されたハレ=都市の日常が、ある種”ケ”となり、泥酔=ハレを許される空間、ある種の異空間としての寄席が成立。また、そこでの笑いが成立したという事かも知れません。
 寄席や落語の世界は”泥酔しても良いんだよ”と言ってくれる空間と言えそうです。
 (もしかすると、泥酔者に対する少しばかりの優越感の笑いも有るかも知れませんが)

 結局寄席と言う空間、ある種日常とは異なった価値の空間。異界として緩衝材になりえた空間と言うのは確かな様に想えます。また、笑いの持つカタルシスの力・・・。条理、不条理の浄化・・・。
 またそれをもたらす、落語家というトリックスター・・・。

 そうした意味では飲み屋(バー)なんてのも、ある種異空間故の存在理由がある気もします。

 長くなりましたが、そんな事を考えた本でした。
 面白く読める本です。
 
 ますた

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