2011/09
12
[ #321 ]

アルコールと作家たち  ドナルド W グッドウィン

                   アルコールと作家たち

 アルコールと作家たち  ドナルド W グッドウィン 小山昭夫 訳  2001・01  現代企画室
 ジャンル  酒・アメリカ文学・精神病理


 以前アップしました「詩神は渇く」という本と、基本的に同じテーマで書かれた本です。

 そのテーマは、ロストジェネレーションの作家とアルコール飲料(酒)の関係。

 しかしこの2冊の読後感はかなり異なります。
 同様のテーマで書かれていて著者は共に米国人。しかも原作の米国に於ける発売時期も共に1989年。にも関わらずかなり違った印象を受ける2冊です。

 ではどういった風に異なった印象であったのか?
 簡単に言えば「詩神は渇く」の方が私好み。本としての完成度が高いと言いますか「アルコールと作家たち」の方は、原作を直訳した印象。

 では「詩神は渇く」の方が良くて「アルコールと作家たち」は駄目なのか?

 恐らくそんな事は無いのでしょう。
 主旨の違いスタイルの違いなのでしょう・・・。


 ではこの二冊、具体的にどう異なるのか?

 先ず取り上げている作家が少々異なります。
 フォークナー、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、オニールは共通で、「アルコールと作家たち」の方は更にポー、スタインベック、ラウリーも取り上げています。
 また「詩神は渇く」は作家の文章(取り上げた4人以外も含め)やことわざ等々を散らばせているのに対し、「アルコールと作家たち」は作家の事を取り上げた当時の新聞記事やインタビューを多く取り上げています。
 
 等々、色々な違いは有るのですがこの2冊のスタイルの違いを最も端的に言えば・・・。

 「詩神は渇く」の方は、右開きで縦書き。
 「アルコールと作家たち」の方は、左開きで横書き。
 この点に集約されている気がします。

 英語が苦手な私としては「アルコールと作家たち」の方は、どうしてもその英語的な文体に馴染めず違和感を感じてしまう、という事なのでしょう。

 結局この2冊を読み比較して私が最も感じたのは、言語の特性、性質あるいは性格って、確かに存在するので有ろうという事。


 因みに以前、この2冊の本をあるお客様にお貸しした事が有りまして・・・。その方は日本語、英語、同じように使いこなせる方だったのですが・・・。その方に「どうでした?詩神は渇くの方が、違和感無く完成度が高い印象を受けられませんでしたか?」とお聞きしたのですが。その方の返答は「いえ、私としてはどちらも違和感無く楽しめました」という事でした。

 また以前、このお客様とカウンターを挟んで会話をしていた折。内容が少し難しく、と言いますか、少し議論的になったときにそのお客様がおっしゃったのは・・・、
 「こうした会話をしていると、英語に切り替えたくなります・・・。」

 実はこうした事例、以前読んだ精神科医が著者の新書にも紹介して有りました。

 その内容とは、ある患者様(バイリンガルな米国人)の例。
 ビジネスをする時は英語が使い勝手が良い、しかし彼氏と仲良くしている時や人にやさしくしたい時は日本語が出てしまう・・・、という事例でした。

 その事含めやはり英語(米語)はビジネス、あるいはディベート向き、議論向きの言葉であろうという事。
 そして日本語はやはり”和”。詰まりは無益な争いを避けるのに適した言葉であろうという事。

 どちらが優れているか?なんて事を言うのは、それこそ無粋でしょうが・・・。

 ただ、この”無益な争いをしない”という事、実は大切な気がします。
 自然界の動物、あるいは自然それ自体、無益な争いはしていない様に想えますから・・・。


 何だか話がずれてしまいましたが・・・。この本、あるいは2冊、興味深くお気に入りの本です。

 追記

 実の事をいえば「詩神は渇く」文芸評論家の方が原作で、訳者がアルコール依存症を経験した翻訳家であり・・・。
 「アルコールと作家たち」医学博士が原作者で、訳者が東大医学部卒の教育法人理事長・・・。
 という違いが、この2冊の違いの結論なのかも知れません・・・・。

 ますた

スポンサーサイト

タグ :    /

マスターの本棚からCM(0)TB(0)URITOP

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

COMMENT:

SECRET: (管理者だけに表示を許可する場合)
 
トラックバックURL :