2012/04
04
[ #376 ]

戯言 4月 芥川賞

 今回の芥川賞(146回、平成23年下半期)2作品、読んでみました。
 2月程前の事です・・・。



 田中慎弥氏のあの受賞会見が気に成ったという事で・・・。(笑)

 掲載の文藝春秋を購入し読んでみますと、個人的にはもう一つの受賞作、円城 塔氏の「道化師の蝶」に興味を惹かれました。

 その理由。

 この作品、もしかすると「読み流せる」作品である事に意味があるのかと思えます。それこそ個人的には”飛行機の中で読んでみたい”作品ですね。(笑)



 実は私、飛行機の中で小説等が読めない性質でして・・・。
 気圧の低さで集中力が落ちる故か、はたまた絶対的移動速度に負けてしまう所為か・・・。
 小説が読めない・・・。かといって寝る事も苦手で寝付けない・・・。
 
 別に乗り物が苦手という訳では無いのですが・・・。
 その査証として、在来線では良く小説を読んでいますし、またうたた寝も良くしています(しばしば乗り越したり・・・)。
 (新幹線は少し苦手、あまり読めません、やはり絶対速度の問題か?)(まあ、気圧の関係でしょうが・・・)

 そんな私ですが、では飛行機に乗っている時はどうしているのかといえば・・・。
 機内誌を読み飛ばしているか、数字パズルの様な物を解いているか、ヘッドホンで何か聞き流しているかですね。
 集中力が必要とされる事が出来ないので、パズルを解いたりしてる事が多いです。

  
 何だか話が横道にそれましたが、そこでこの「道化師の蝶」という作品、そうした状況で”気持ちよく読み流せそうな作品”という印象なのです。

 例えるなら、イージーリスニングと言われるジャンルの音楽であるとか、重過ぎないインストゥルメンタルジャズの作品の様な印象なのです(一寸、キース・ジャレットのケルンコンサートを思い出しました)。

 気持ちよく美しい文節を読み流す(美しい音節を聞き流す)感じ・・・。

 しかし音楽を聞き流すという行為は良く有りますが、文章を読み流すという行為は可能なのか?
 全く一緒とは言いませんが、私自身はアリだと想います。


 そうなるとここでもう一つの問題、”読み流せる(説の無い)小説”に果たして価値は有るのか?小説なのか?

 選考者の評も、この辺りで別れていた様に想えます・・・。


 ”小説とは呼べないかも知れませんが、文学作品としては成立するのでは?”というのが私の感想。

 元来”文学”と言う言葉。明治時代に”literature”という英単語を和訳して成立したのでしょうが、その折”music”を”音楽”と和訳したように”文楽”と和訳しようとしたのだが、既に文楽という単語が存在した故”文学”としたという話を聞いた事が有ります。

 確かに音楽、文学、絵画、建築デザイン、陶芸 etc 。同様の空気を内包している様に想えます。

 音楽もメッセージ性が強く有る音楽だけが音楽の枠内に捉えられる訳ではないでしょうから・・・。故にメッセージ性(説)の弱い文学も有りでは?想う訳です。
 

 そんなこんなで私としてはこの「道化師の蝶」という作品、小説では無いかも知れませんが(小説かもしれませんし)、ピアノジャズの様な、イージーリスニングの様な、或は城達也のジェットストリ-ムを連想させる様な(文学)作品、といった印象を受けましたし、その印象自体が面白(興味深)かったですね。
 (勿論、読み流せる、読み飛ばせるとは言っても、最近の携帯小説等とは一線を画す物と想えます)


 実際に飛行機の中か、客船の上で再読してみたいですね。(笑)

 ますた

 
 追記

 もしかすると、私が理系よりの人間故に引かれたのかも知れません。(理系的空気を感じる作品でもありました)
 
   

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